カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2020年9月22日 (火)

これぞネタバレ?半沢直樹

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妻が飛鳥Ⅱの図書館で借りた「銀翼のイカロス」

サラリーマンが日ごろ感じる組織へのうっぷんを晴らしてくれる番組「半沢直樹」の第2クール、10回シリーズもいよいよ来週で最終回だ。主人公である半沢の活躍が痛快無比で、日曜の夜にこれを楽しみにしている視聴者がきわめて多いと話題となっているものだ。日ごろ、テレビはつまらないと不満を抱いていても、この番組は特別である。経営危機に瀕する帝国航空のメインバンク側再建プロジェクトリーダー半沢に対し、同航空への500億円の融資債権放棄を迫る白井国交大臣。それを拒否すれば銀行の過去のスキャンダルを明るみに出すと脅す白井のボスである箕部幹事長。その箕部が絡んだ過去の不正融資の証拠書類を、彼の圧力に屈して銀行の中野渡頭取が本人に渡してしまう、というのが9月20日までのストーリーである。信じていた頭取や大和田取締役に裏切られ「(箕部と頭取と大和田の)3人、1000倍倍返しだ~!」と半沢が叫ぶのが第9話のエンディングとあって最終回が大いに気になるところだ。


ということで、せっかちな私はあちこちネットで「最終回ネタバレ!」を探すも、台本の管理には秘密が徹底されているようで、なかなかこれというのにヒットしない。妻は原作の池井戸潤作「ロスジェネの逆襲」と「銀翼のイカロス」を前に飛鳥Ⅱの図書室で借りて読んだが、テレビドラマは原作からかなり脚色されているのでよくわからないと言う。では自分で考えるしかないので、連休を幸いビデオに録っておいた第9話の全シーンと各出演者のセリフを入念にチェックした。というのも、ここにきて劇中で交わされるごく普通の会話や登場者の何でもない仕草が、実は話の展開の重要な伏線になっていることが多いので、前回を再度見ればきっとヒントが隠されているに違いないと思い立ったものだ。それにしてもテレビドラマにこんなに入れ込むのも久しぶりだ。


さて何度かの会社合併を経験した私は、自分の出身母体に内在する問題をいかに新会社へ軟着陸させるかに腐心したが、「半沢直樹」で展開される合併に伴う葛藤や泥仕合はリアルに我が記憶に響いて「ああ、こういうのあるよね」と画面の前で頷くことしばし。銀行員だった妻も金融庁検査をはじめとする行内風景には「とても誇張されてるけど、ああ、そうだったと思うシーンが多い」と言う。このようにサラリーマンならほとんどが日常感じる「あるある」をベースにしながら、完璧な勧善懲悪の世界、一難去ってまた一難の展開、法律・コンプラインスぎりぎりの半沢の八面六臂の活躍、加えて出演の歌舞伎役者のツボにはまった好演などがこのドラマの魅力である。憂鬱な月曜を前に多くの勤め人が溜飲を下げる要素がテンコ盛りで、このドラマの視聴率が極めて高いのもさもありなんというところだ。


こうして第9話をじっくりと検証した後に感じた、最終回の我が推理である。頭取が箕部に渡した書類は実はコピーに過ぎず、原本は半沢によって世間に暴露され箕部は政界から放逐されると予想する。頭取も不正融資の責任をとって辞任。ポイントの一つはアンジャッシュの児嶋演ずる白井大臣の秘書・笠松だと思われる。東京中央銀行の伊勢志摩支店に乗り込み、半沢たちが調べた箕部に関連する帳簿を熱心に眺めるシーンは、最終回で彼が重大な役割を演じる伏線になっているはずだ。江口のりこ演じる白井大臣も最後は箕部ではなく半沢に有利に働くであろう。第9話で見せた箕部に対する不信顔もそうだし、テレビでは普段あまり見ない江口のりこをここまで引っ張るのは、演出側に大きな意図があるはずだ。最も大きなポイントが香川照之演じる大和田取締役に違いない。半沢と時に敵対しながらも時として心配そうに見守る役柄もそうだし、番組のスポンサーであるスバルと提携しているトヨタでは香川がいまCMの顔である。最後は彼のイメージを壊さない脚本が書かれる(ひょっとして頭取の後任)と思うのは考えすぎか?来週9月27日が第10話で最終だが、その最後はハッピーエンディングとはならず、またいずれ半沢が倍返しの逆襲で出てくることを示唆することでお開きになると思うが果たして如何に?

2020年9月11日 (金)

BS日テレ 友近・礼二の妄想トレイン

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「半沢直樹」や「YOUは何しに日本へ」などごく一部を除き、ニュースを含めて今の地上波のテレビ放送には見たいという番組があまりない。バカなタレントが並んでウイルスの恐怖を煽るワイドショーに、「放送しない自由」のニュースばかりでまるで面白くないのだ。その点BS放送の方がよほどまともで、ちょっと視聴してみようかというプログラムがこちらの方に多い (ただし韓流ドラマはご免蒙りたいが)。例えば夜の8時から10時まで放送されるBSフジのプライムニュースは視点もしっかりしており、ゲストコメンテーターもリベラルが多い地上波よりよほど信頼おける専門家が登場している。プライムニュースを見だすとつい最後までみてしまい、夜ももうこんな時間かと時計を見ては驚く。そのほか早朝のクルーズ船の番組もBSならではの放送で、いつも録画してはポスト武漢ウィルスのクルーズ再開に夢を馳せている。


BSで面白いのが、BS日テレで毎週月曜日の9時から1時間弱放送される「友近・礼二の妄想トレイン」だ。この番組は大の鉄道ファンであるお笑い中川家の礼二と、それほど鉄道ファンではないのだが好奇心満々の旅好き姐さん友近に、二人のゲストを交えて時刻表を見つつスタジオから架空の旅をするという設定となっている。毎回、主に東京をスタート地点としてゲストの好みの寄り道ポイントを経由しながら、設定された目的地まで鉄道のほか、グルメや景勝地を映像で巡る趣向である。番組はずぶずぶ鉄ちゃんのゲストと、それほど鉄分の濃くないもう一人のゲスト、それに女子鉄の久野アナウンサーが絡んで時刻表ベースに、料理や宿などの紹介が適宜織り込まれている。スタジオも、鉄道好きならいかにも考えそうな、列車や駅の銘板に囲まれた凝ったつくりである。


この番組は最新の車両や珍しい車窓風景も画面に多く登場するが、かつて都会で働いていた通勤車両が地方私鉄でまだ活躍している場面など、ロートルに敬意を表すかの鉄道愛あふれる場面が多いのがほほえましい。特に番組中で笑ってしまうのが礼二と毎回変わる鉄道好きゲストがしばしば掛け合いで行う、鉄道場面に関する声帯模写である。車内放送や駅の構内放送のものまねに始まり、電車や気動車の走行音や風切り音など、鉄道ファンなら「ここ!ここ!」と耳を傾けるポイントの擬音芸は秀逸で聴きごたえある。また友近や鉄でない方のゲストが、気動車を「電車」と言うと、さりげなく「電車でなく列車!」と礼二がツッコむのもお約束どおりで、鉄道ファンが安心して楽しめる内容となっている。旅番組というとグルメや豪華な旅館、温泉や寺社仏閣などに焦点が置かれがちだが、鉄道や時刻表を中心に旅を楽しむという切り口が新鮮で、毎回見終わると番組と同じ鉄旅をしたくなってくる。

 

2020年1月30日 (木)

「草花たちの静かな誓い」宮本輝

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数年前に新刊で出版された宮本輝の「草花たちの静かな誓い」が、集英社から文庫本となって出たので早速読んでみた。私には2年前の「田園発 港行自転車」(2018年2月2日ブログ)以来の宮本輝である。物語は主人公である日本の青年が、アメリカに住む亡き叔母の莫大な遺産を整理するなかで、死んだことになっていた叔母の一人娘、すなわち彼のいとこに関する秘められた謎を解いていく筋書である。今回は珍しくカリフォルニアが舞台となり、かつ推理小説仕立てとなっているのが特徴だ。なぜアメリカなのかは、物語がすすんでいく中で解き明かされ、題名の「草花たち」も作中で違和感なく役割が与えられて宮本輝らしい嫌みのない小説になっている。謎解きといっても「息も継がせぬ場面の連続」ではなく、いつもながら「時間の流れ」を大切にした筋書で、いかにもと思わせるストーリーだ。


それにしてもこの小説の舞台設定とアメリカ生活に関する記述は、我々が彼の地を訪れた際に「なるほど!」「そうだよね!」と感ずるようなことが網羅されていて話の展開に厚みを加えている。叔母の家がロサンジェルスの高級住宅地パロス・ベルデスであるならば、作中に登場する弁護士や日系のガーデナー、プエルトリコ人の家政婦、旧ソ連系の探偵などがいかにも多く存在していそうだし、そういう彼らの会話から移民の国「アメリカ」の実態が垣間見えるように巧みに書かれている。アメリカで久しぶりに運転する際の右側通行に慣れるまでの緊張感や、このブログでも書いたように「日本人はコストコと呼ぶが、アメリカ人のほとんどはコスコと発音するのだ」などの記述も読んでいてニヤっとさせられる。プロットをつくるにあたり、作者は現地を訪れ人々の生活を注意深く観察したことがうかがえる。


謎解きの中で明かされるのは、幸せの絶頂から突如として不条理の世界へ陥ったが、強い「愛」の力で運命に抗おうとする叔母の生きざまと、それを支える人たちの勇気である。人間の業(ごう)の深さと、それに対する愛の強さをモチーフにするいつもの宮本輝ワールドが、ここでまた披露される。もっとも純粋なミステリーではないから、読者は小説半ばで筋の展開がだいたい読めるのだが、南カリフォルニアの情景や美しい植物、それに善意に満ちた周囲の人間模様が、凛とした生きた亡き叔母の行動を浮き立たせ最後まで読者を飽きさせることはない。物語の最後はプー太郎だった主人公が叔母の遺産をもとにアメリカで本気で事業を起こすという設定で、これも世代間の贈り物が若者の再生や希望に繋がるという作者の意図を示唆しているようで清々しい読後だった。

 

2019年3月 4日 (月)

「いだてん」の受動喫煙シーン

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文京区の商店街に掲げられた金栗四三のバナー

日曜夜のNHK大河ドラマなどはここ数十年興味もなかったが、今やっている 「いだてん」 は久しぶりに毎週楽しみに見ている。主人公の金栗四三と云えば陸上競技の長距離を志した者ならまず一度は耳にした名前だし、大塚の「ハリマヤ」もかつてお世話になった馴染みの店だからどうしても興味がわいてくるのだ。現在の春日通りに沿って加納治五郎の講道館、東京教育大の跡地、旧ハリマヤの店舗が一直線に並ぶのは、東京高師(のち東京教育大、現・筑波大)や金栗つながりだったのかと、画面を眺めつつ文京区かいわいの歴史に思いを馳せる。


さてそんな 「いだてん」 に変なところからケチがついた。公益法人「受動喫煙撲滅機構」なる機関から、ドラマの中にタバコを堂々とのんだり受動喫煙のシーンが多いのはけしからん、謝罪のテロップを番組で流せとの抗議が寄せられたと云うからビックリだ。私も妻もタバコは吸わないし、町で歩きたばこのニオイが流れてきたら不愉快になるほどタバコは嫌いである。なので受動喫煙反対という趣旨そのものは大賛成なのだが、テレビドラマに対するこの種のエキセントリックなクレームには到底賛同する事はできない。


「いだてん」の舞台は百年以上も前のこと、ドラマの当時はフツ~に見られた光景を、あたかもそんな日常はなかったかのごとく消し去って彼らは一体なにを得ようというのであろうか。「百年前には多くの人が公共の場でタバコを吸っていたから、今の世の中でもそれをやって差支えないんじゃない?」と現代人がドラマを見て考え方を変えるとでも思っているのだろうか。そうだとするならば、受動喫煙撲滅機構はよっぽどテレビの前の「普通の」人たちを低く見てバカにしているといえよう。


ネット情報によると、この機構に対して「それだったら時代劇で人を斬るシーンも削除しろというのか」といった批判がメールで寄せられたそうだ。しかしその担当者は「人を斬るシーンなら血がドバっと出たり、内臓が飛び出たりというのはテレビでは配慮されてやらないはず」で「たばこだけが堂々と出ているのは変ではないか」とまるで頓珍漢な答えをしているという。ちょっと待ってほしい!。タバコは日常の生活に溶け込んだ風景なのに対して、斬り合いは江戸時代に於いても、あちこちで年がら年中ひっきりなしに行われていた「日常風景」ではない。日々のタバコの場面をあたかもなかったかの如く画面から消し去ることと、たまにあった凄惨な斬りあいの現場を描写することを同一に比較できるわけがない。


これに限らず、昔なら普通だったことが、いまや画面から次々と「あれは駄目、これは駄目」と制限されているようだ。表現する領域がどんどんと狭く差しさわりのないものだけになって、このままでは世の中がひどく窮屈になっていく気がする。私が好きだったクレイジーキャッツのギャグやドリフターズのコントも、ビデオやDVDで見れば各種ハラスメントだらけで、今ではとても放送できないであろう。世の中に生きている人々は多種多様なのに、それぞれの人たちの気分にほんの少しでも障ることを恐れて、常に「正しい」ことばかりを表現するような社会の行先はどうなのだろうか。少し前には「アメリカではマックで買ったコーヒーが熱くて舌にやけどしたからマックに賠償しろと裁判する人がいる」と皆で笑ったものだった。しかしこう何もかもがクレームの対象になるのをみると、日本もアメリカを笑えない社会になってきたようだ。弁護士や評論家だけが忙しい、窒息するような社会風潮はもう少し何とかならないものか。

2017年11月27日 (月)

「ALWAYS三丁目の夕日」の世界

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浜松町近辺に勤めるようになって早くも半年近くなった。これまで永い間、皇居周辺あるいは日本橋近辺などに勤務していたから、何やら都落ちの感がないでもないが、毎日通っているとそう悪くもない場所だと思えてくる。芝公園のみどりはこれまで思っていた以上に広くて変化があるし、なにより東京タワーが目の前に見えるのが気分がよい。我々のような昭和どっぷり世代は浅草のスカイツリーなどよりも、高台にどっしりとそびえたつ東京タワーの方がはるかに町のシンボルと思えるのである。


東京タワーで思い出すのは、映画「ALWAYS三丁目の夕日」で、主人公ろくちゃんが住み込みで働く鈴木オート界隈だ。映画の中にたびたび出てくるシーンは、建設中の東京タワーの4本の脚が完成し、これから上に向かって伸びていく昭和33年の初め頃で、鈴木家の一平君は私より2~3年上という設定である。鈴木オートのある「夕日町三丁目」は、愛宕町か西久保巴町(現・虎ノ門三丁目)近辺を想定しているようだが、ここは今や高層ビルが建ち、すっかり様子が変わってしまって映画で描写された町の雰囲気は感じられない。


それよりもその近辺においては、もっと浜松町駅に近い芝公園や田町駅に近い芝二丁目~三丁目あたりが映画の舞台としてはぴったりだという気がする。近代化されてしまった愛宕や虎ノ門より、芝や芝公園あたりは東京タワーを間近に仰ぐ商店街や中小企業が軒を連ね、いまだに下町の風情が残っている一帯である。芝公園二丁目には自動車整備健保会館の建物があるのも、かつてこの町に鈴木オートのような「町の整備工場」が多数あったあかしともいえそうだ。


もっとも映画で一平君と友達の淳之介君が高円寺まで都電で遠征する際は、現在の外堀通りを走る都電3系統に乗ったようで、そうなると舞台の設定はやはり3系統(品川~虎ノ門~飯田橋)が走った西久保巴町付近だったかとも考えられる。とすれば町医者の宅間先生が狸にたぶらかされるのは、さしずめ愛宕山の杜だったのだろうか。とにかく東京タワーを間近に見ながら、フィクションとは云え映画のシーンを脳裏に、往時の街並みや都電の走った跡をたどるのは楽しいものである。

芝二丁目界隈
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2017年2月20日 (月)

祝「題名のない音楽会」3500回と黛敏郎

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(You tube画面より)

テレビ朝日「題名のない音楽会」の放送がこの3月で3500回目になると云う。「題名のない音楽会」は1964年8月に始まって以来53年続けられ、クラシックの長寿番組では世界一として今やギネスブックにも認定されているそうだ。この永い間には、毎回のテーマを主宰し番組を進行させる役目の司会者が何人か代わったが、中でも番組の顔としてただちに思い浮かぶのが黛敏郎氏であろう。私も1970年代のなかばに、黛さんの司会と東京交響楽団の演奏を楽しみに、渋谷公会堂で行われていた番組の公開録画によく通ったものだった。


テレ朝が日本教育テレビだった当時、毎週日曜の朝に放送された「題名のない音楽会」2回分の公開録画は、その1~2ヶ月前の金曜日夕方6時半から会場ホールへの入場開始、7時から録画の収録が行われていたと記憶する。今でこそ公開録画や無料コンサートはどこも年寄りで一杯だが、70年代といえば元気な老人の数などは今と比べ物にならないほど少なかった時代である。入場はいつも自由で入れなかった事はなかったが、渋谷公会堂では良い席に座りたいとその日は残業も切り上げ、渋谷駅ハチ公広場からパルコ前の公園通りを駆け上がったものだった。


何を聞きに行ったのか当時の手帳をタンスの奥から引っ張りだしてみると、昭和50年(1975年)3月7日は「NHK開局50年奉祝」(もう一番組のテーマは不明、ただしアンコール曲はエルガーの「威風堂々」)、6月27日が「ラグ・タイム」と「ベルディ」がテーマ、8月22日には「マーチ」と「ビング・クロスビー」の特集であった。そう云えば黛さんで記憶に残るのは、わが国を憂う心情が番組でしばしば語られる事であった。当時メディアに出る文化人などは、今よりずっと左翼が多かった中、黛さんは堂々と保守の立場を堅持し、音楽の解説に挟んでわが国の美点や徳目を、弁舌さわやかに聴衆に訴えていたのが素晴らしかった。最近は世の中がややまともになり、(当たり前だが)愛国心が恥ではなくなってきたから、黛さんもあの世でちょっと溜飲を下げているのではなかろうか。

2017年2月16日 (木)

マイ・インターン

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せっかく最新型の大型テレビを買ったのだから、その多彩な機能の一部でも使わないともったいない。という事でアマゾンから配信される動画レンタルを我が家で楽しむ事にした。なにしろ新しい映画が一本399円で、48時間以内なら何回でも見る事ができるのである。これでレンタルビデオ屋に行く必要もなく、TVのリモコン一つでカウチポテトが楽しめるのだから便利な時代になったものだ。さっそく先週末には「マイ・インターン」をためしに選んで視聴してみた。「マイ・インターン」は2015年秋のリリースだからちょっと時間が経っているが、人づてにとても面白いと聞いていた作品である。


話はアパレル販売で成功するワーキングマザー(アン・ハザウエイ)率いる会社に、シニア研修生として70歳のベン(ロバート・デニーロ)が応募するところから始まる。わが国では最近「きれる老人」が問題になっているが、主人公ベンは永年培った社会人としての経験をいかし周囲に穏やかに接し、次第に皆の信頼を得ていくのである。電話帳をつくるという古い会社に永年勤続していたベンが、時代の先端を行く企業に勤めるという設定や、ネットにやや戸惑いつつも仕事を忠実にこなすという映画のプロットにはとても共感を覚える。とくに彼が「なぜ、みんなシャツのすそを(ズボンに)しまわないの?」と職場の若者に言うセリフは思わず拍手したくなってしまった。


それにしてもふだんは悪役かちょっとふざけた役柄が多いのに、今回は年齢に似合わない前向き、かつ誠実な役のデニーロで、アン・ハザウエイ扮するやりての女社長と『友情』で結ばれる展開が粋である。カジュアルな職場ながら、びちっと背広を着て上品なネクタイをしめているデニーロを見ているうち、思わず「俺もああいう老人になりたいなあ」などと口走ると、傍らの妻は「是非そうしてね、お願いだから」となにやらニヤニヤ笑っていたわが家のリビングであった。ベンの人柄や人情の機微によって、周囲が順風になるさまを見ると、こちらも何だか幸せな気分になって、「イヤー!映画って面白いですねえ」とかつて淀川長治氏が言っていた言葉を胸に思い出したのだった。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!

2015年2月15日 (日)

「”KANO”1931海の向こうの甲子園」を見て

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野球という競技は独特の「間」を持っているから、数あるスポーツの中でもドラマ仕立てになりやすいようだ。という事で私も 「フィールド・オブ・ドリームス」や 「オールド・ルーキー」など野球をテーマにした映画をよく見る。最近話題の野球映画といえば、台湾が日本統治下だった戦前、島の南西部にあった嘉義農林(かの)高校が甲子園に初出場、準優勝したと云う実話をもとにした台湾製の 「KANO」である 。この映画では当事珍しかった台湾先住民や漢人と日本人の混成チーム、嘉義農林の活躍を再現するとともに、日本が台湾の発展に大いに貢献した事を台湾側が描いていると云う事で週末は映画館に足を運んでみた。


さてスポーツの映画、なかんずく野球ものでは俳優のプレーが下手くそだとひどく白けてしまうのだが、KANOの出演者は皆が野球の経験者とあって、画面で躍動する選手のプレーぶりがとても板についている。特にエースの呉明捷選手を演ずる曹佑寧(ツアオ・ヨウニン)はジュニアの世界野球選手権に台湾代表で出たほどの本格派で、昔の写真で見る実際の呉選手の風貌にそっくりな上、大きくワインドアップする投法がとてもサマになっていた。ネタばれになるので控えるが甲子園大会の決勝を描いたクライマックスはほぼ史実に則しているし、戦前は京城(ソウル)や大連の中学が甲子園に出場していた事などを含め、改めて台湾の映画から往時の植民地の実相を知る事ができるのである。


この映画は当時の日本の台湾統治を肯定的にとらえており、よく外国の映画などに出てくる典型的な根性主義丸出しの狡い日本軍の下士官の様な人物が出てこない。そのため中国本土では「KANO」はまったく評価されない一方、台湾では大ヒットになったとの事で、旧日本の植民地支配の功の面をきちんと評価している数少ない外国映画と云える。ただ3時間以上のストーリーは各種エピソードを盛り込みすぎてやや冗長、また「台湾先住民や漢人に野球がわかるか」とバカにしていた新聞記者が、最後に甲子園での嘉義農林のプレーに接し「違う人種が同じ目的のために努力するのが感動的だ」と発言するのは私にはちょっと”クサ”すぎた。ここはセリフではなく、それとなく映像などで暗示してくれた方がより感動的になるのではと、せっかくの良い映画なのにいささか残念に思った。

2014年2月 2日 (日)

映画 永遠の0(ゼロ)

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遅ればせながら映画になった「永遠の0(ゼロ)」を有楽町マリオンまで見に行った。封切り以来一ヶ月以上経っているのに今日も映画館は満員で、この作品の人気の高さが判ろうというものである。ベテランの俳優だけでなく若手の好演技と、空母”赤城”などは本物かと思うほどのCGの出来栄えで、開演からただちに画面に引き込まれてしまった。予想通り後半は館内あちこちでハナをすする音、それも今日は男性のそれが多く聞こえてきた様な感動的な作品だった。私と云えば隣からティッシュを差し出す妻に「いらないよ」などと強がりながら、涙をこらえる為にヒーローの娘である風吹ジュンの実年齢と、年代の整合性などを一途に考えながら気を紛らそうとした2時間半であった。


その原作を読んだ我が2010年8月 1日 (日)のブログ 『百田尚樹 永遠の0(ゼロ)』はこう記している。

『久しぶりに後味のさわやかな小説を読んだ。百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」講談社文庫である。「2009年最高に面白い本大賞第1位」との帯もあながち誇大広告とはいえないと感じた。物語はゼロ戦を操って先の大戦を生きぬいたものの、終戦直前に特攻で亡くなったパイロットの孫である姉弟が、多くの戦友を訪ね祖父の生きざまを聞き出すという設定になっている。今まで何も知らなかった祖父の事を探るにつれその驚くべき実像が徐々に明らかになるのだが、読者も毀誉褒貶の差が激しい主人公である祖父の、本当の姿を知りたくて物語の展開にぐいぐい引き込まれていく。

超人的な操縦技術を持ちながら「生きて帰る事が大事」と広言し、戦場では不要な戦いを避け、当時の理不尽な軍隊のやり方に時には批判的であった主人公は臆病者であったのか。彼が守ろうとしたものは何なのか、戦友たちの証言にその伏線がちりばめられ、物語の終盤に仕掛けられた展開に読者はあっと驚くのである。作者は戦友の証言という形をとって、兵隊を消耗品としてしか扱わずロジスティックを無視した旧軍隊を痛烈に批判する一方、朝日新聞の記者と想定される姉の恋人を登場させ、散々戦争をあおったあげく戦後は手のひらを返した大新聞や、戦後の薄っぺらい平和主義に強く不快の念を示している。

私が常々感じている事は、現在の視点で旧軍隊や明治憲法下のさまざまな行動を批判するだけにとどまらず、近隣の国に謝罪をすべしと主張する人たちの心の貧しさや想像力の欠如である。帝国主義の時代に日本があの道をとらなければ一体その後の日本はどうなっていたのであろうか。もちろんその過程で不足したり行き過ぎの行為が多々あったであろうから、その事を検証する事は日本人としては大切であろうが、中国や韓国を念頭において謝罪と反省を迫る自虐史観をもったメディアや政治家には驚くばかりである。

「永遠のゼロ」は戦争の不条理を描きつつ、われわれの祖父や親の代が今の人となんら変わらないセンチメントを持っていた、いやそれ以上の”愛”を持っていた事を示そうとしている様だ。我々と同じ心を持ったかつての日本人一人一人の兵士がいかに戦ったのか、下手なドキュメントより命の重さを浮き立たせてくれる素晴らしい小説であった。この作者に注目だ。』


映画化に当たっては、上記の「朝日新聞の記者と想定される」若者に代わり、合コンの仲間が主人公を批難すると云う演出に変わっているのはかえって残念であった。ただそれ以外では、結末を知っていても充分”泣ける”作品で、原作者の百田氏が作った日本人の琴線に触れるテーマを、上手に映画化した点が素晴らしかった。原作が作られたのは2006年、作中にもある様にあと10年もすれば、先の大戦を経験した人がいなくなってしまうのである。今こそ我々はあの戦争の真相を連合国側から見た史観だけでなく、日本人として一から考え直さなけらばならないと映画を見て実感した。

2013年12月10日 (火)

キャプテン・フィリップス

話題の映画「キャプテン・フィリップス」を見た。アフリカ東岸ソマリア沖で海賊に乗っ取られたコンテナ船「マースク・アラバマ」号の、船長と海賊との闘いを描いた作品とあって緊迫した場面の連続で、息も継がせず話は展開する。映画は2009年に実際に起きた話をベースにつくられているだけに、海賊達の恐怖もリアリテイを伴って迫り、観客は映画の世界にすっかり引きずりこまれてしまう。そのストーリーをここで述べてしまうと興ざめなので、それは見てのお楽しみとして、私も日頃”海賊対策”が実務で問題になっても、何か遠い世界の出来事だと思っていたが、映画を見てからはソマリアや武装海賊の存在が急に現実味を帯びて感じられたのだった。


それにしても「マースク・アラバマ」号の様な小型コンテナ船(1092個積)がアメリカ国籍であり、ほとんどのクルーがアメリカ人である事に正直云って驚いた。国際航路に従事する多くの貨物船は、今や採算上の理由でパナマやリベリアなどに籍を置き(便宜置籍)、途上国の乗り組み員を配乗した上、様々な規制などを逃れて運航されている。映画の「マースク・アラバマ」号の様な船を米国籍のまま敢えて運航するのは、安全保障上、有時に必要とされる米国物資の輸送を考えての事で、この船がクレーンを装備しているのも汎用性を重視している事の現れであろう。本来デンマークの国策会社であるマースクラインが、アメリカ資本の買収を通じて米国海事安全保障法などの補助を利用し、多くの米国籍船を所有・運航しているという事実に瞠目するのである。


この映画は、アメリカ海軍の全面的協力と同型のコンテナ船を使って撮影されているので、映像も迫力満点だが「オヤっ?」と気がついた点が2つある。港を出ると船はふつう船尾の国旗はしまうのに、公海を走る「マースク・アラバマ」号は船尾旗の他、本来は寄港先の国に敬意を表するマスト旗に星条旗を掲揚している。海賊を避けるために「アメリカの船」というのをわざわざ誇示しているためだろうが、星条旗を掲げて航海したのが事実とすれば、そんな船を襲った海賊はマヌケという事になる。また救命ボートには定員分の水が数日分備えられているのに、映画ではフィリップス船長に水が与えられない事はさておき、飲料水が不足しているかの様な演出がなされていたのが良くわからなかった。


どうも仕事柄そんな細部ばかり気になって困ったが、トム・ハンクスの名演技にすっかり酔いしれ2時間強の大作が短く感じたのだった。それにしても最近はアフリカ東岸ばかりでなく西岸でも海賊が出没しているそうで、航海の安全からは本当に困ったものである。この事件以降、世界の船会社はデッキに鉄条網を装備し、武装ガードマンを乗せたり、船内に乗員の待避所(シタデル)を造って海賊対策をしているのだが、我が国はようやくこの11月に、日本籍船に武装ガードを乗せる事ができる特別措置法が国会で成立したばかりである。主要な海運国でも最も遅い方の法制化とあって、日本人の平和ボケぶりがここにも反映されているのが何とも哀しいものだ。

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