カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2017年11月27日 (月)

「ALWAYS三丁目の夕日」の世界

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浜松町近辺に勤めるようになって早くも半年近くなった。これまで永い間、皇居周辺あるいは日本橋近辺などに勤務していたから、何やら都落ちの感がないでもないが、毎日通っているとそう悪くもない場所だと思えてくる。芝公園のみどりはこれまで思っていた以上に広くて変化があるし、なにより東京タワーが目の前に見えるのが気分がよい。我々のような昭和どっぷり世代は浅草のスカイツリーなどよりも、高台にどっしりとそびえたつ東京タワーの方がはるかに町のシンボルと思えるのである。


東京タワーで思い出すのは、映画「ALWAYS三丁目の夕日」で、主人公ろくちゃんが住み込みで働く鈴木オート界隈だ。映画の中にたびたび出てくるシーンは、建設中の東京タワーの4本の脚が完成し、これから上に向かって伸びていく昭和33年の初め頃で、鈴木家の一平君は私より2~3年上という設定である。鈴木オートのある「夕日町三丁目」は、愛宕町か西久保巴町(現・虎ノ門三丁目)近辺を想定しているようだが、ここは今や高層ビルが建ち、すっかり様子が変わってしまって映画で描写された町の雰囲気は感じられない。


それよりもその近辺においては、もっと浜松町駅に近い芝公園や田町駅に近い芝二丁目~三丁目あたりが映画の舞台としてはぴったりだという気がする。近代化されてしまった愛宕や虎ノ門より、芝や芝公園あたりは東京タワーを間近に仰ぐ商店街や中小企業が軒を連ね、いまだに下町の風情が残っている一帯である。芝公園二丁目には自動車整備健保会館の建物があるのも、かつてこの町に鈴木オートのような「町の整備工場」が多数あったあかしともいえそうだ。


もっとも映画で一平君と友達の淳之介君が高円寺まで都電で遠征する際は、現在の外堀通りを走る都電3系統に乗ったようで、そうなると舞台の設定はやはり3系統(品川~虎ノ門~飯田橋)が走った西久保巴町付近だったかとも考えられる。とすれば町医者の宅間先生が狸にたぶらかされるのは、さしずめ愛宕山の杜だったのだろうか。とにかく東京タワーを間近に見ながら、フィクションとは云え映画のシーンを脳裏に、往時の街並みや都電の走った跡をたどるのは楽しいものである。

芝二丁目界隈
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2017年2月20日 (月)

祝「題名のない音楽会」3500回と黛敏郎

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(You tube画面より)

テレビ朝日「題名のない音楽会」の放送がこの3月で3500回目になると云う。「題名のない音楽会」は1964年8月に始まって以来53年続けられ、クラシックの長寿番組では世界一として今やギネスブックにも認定されているそうだ。この永い間には、毎回のテーマを主宰し番組を進行させる役目の司会者が何人か代わったが、中でも番組の顔としてただちに思い浮かぶのが黛敏郎氏であろう。私も1970年代のなかばに、黛さんの司会と東京交響楽団の演奏を楽しみに、渋谷公会堂で行われていた番組の公開録画によく通ったものだった。


テレ朝が日本教育テレビだった当時、毎週日曜の朝に放送された「題名のない音楽会」2回分の公開録画は、その1~2ヶ月前の金曜日夕方6時半から会場ホールへの入場開始、7時から録画の収録が行われていたと記憶する。今でこそ公開録画や無料コンサートはどこも年寄りで一杯だが、70年代といえば元気な老人の数などは今と比べ物にならないほど少なかった時代である。入場はいつも自由で入れなかった事はなかったが、渋谷公会堂では良い席に座りたいとその日は残業も切り上げ、渋谷駅ハチ公広場からパルコ前の公園通りを駆け上がったものだった。


何を聞きに行ったのか当時の手帳をタンスの奥から引っ張りだしてみると、昭和50年(1975年)3月7日は「NHK開局50年奉祝」(もう一番組のテーマは不明、ただしアンコール曲はエルガーの「威風堂々」)、6月27日が「ラグ・タイム」と「ベルディ」がテーマ、8月22日には「マーチ」と「ビング・クロスビー」の特集であった。そう云えば黛さんで記憶に残るのは、わが国を憂う心情が番組でしばしば語られる事であった。当時メディアに出る文化人などは、今よりずっと左翼が多かった中、黛さんは堂々と保守の立場を堅持し、音楽の解説に挟んでわが国の美点や徳目を、弁舌さわやかに聴衆に訴えていたのが素晴らしかった。最近は世の中がややまともになり、(当たり前だが)愛国心が恥ではなくなってきたから、黛さんもあの世でちょっと溜飲を下げているのではなかろうか。

2017年2月16日 (木)

マイ・インターン

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せっかく最新型の大型テレビを買ったのだから、その多彩な機能の一部でも使わないともったいない。という事でアマゾンから配信される動画レンタルを我が家で楽しむ事にした。なにしろ新しい映画が一本399円で、48時間以内なら何回でも見る事ができるのである。これでレンタルビデオ屋に行く必要もなく、TVのリモコン一つでカウチポテトが楽しめるのだから便利な時代になったものだ。さっそく先週末には「マイ・インターン」をためしに選んで視聴してみた。「マイ・インターン」は2015年秋のリリースだからちょっと時間が経っているが、人づてにとても面白いと聞いていた作品である。


話はアパレル販売で成功するワーキングマザー(アン・ハザウエイ)率いる会社に、シニア研修生として70歳のベン(ロバート・デニーロ)が応募するところから始まる。わが国では最近「きれる老人」が問題になっているが、主人公ベンは永年培った社会人としての経験をいかし周囲に穏やかに接し、次第に皆の信頼を得ていくのである。電話帳をつくるという古い会社に永年勤続していたベンが、時代の先端を行く企業に勤めるという設定や、ネットにやや戸惑いつつも仕事を忠実にこなすという映画のプロットにはとても共感を覚える。とくに彼が「なぜ、みんなシャツのすそを(ズボンに)しまわないの?」と職場の若者に言うセリフは思わず拍手したくなってしまった。


それにしてもふだんは悪役かちょっとふざけた役柄が多いのに、今回は年齢に似合わない前向き、かつ誠実な役のデニーロで、アン・ハザウエイ扮するやりての女社長と『友情』で結ばれる展開が粋である。カジュアルな職場ながら、びちっと背広を着て上品なネクタイをしめているデニーロを見ているうち、思わず「俺もああいう老人になりたいなあ」などと口走ると、傍らの妻は「是非そうしてね、お願いだから」となにやらニヤニヤ笑っていたわが家のリビングであった。ベンの人柄や人情の機微によって、周囲が順風になるさまを見ると、こちらも何だか幸せな気分になって、「イヤー!映画って面白いですねえ」とかつて淀川長治氏が言っていた言葉を胸に思い出したのだった。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!

2015年2月15日 (日)

「”KANO”1931海の向こうの甲子園」を見て

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野球という競技は独特の「間」を持っているから、数あるスポーツの中でもドラマ仕立てになりやすいようだ。という事で私も 「フィールド・オブ・ドリームス」や 「オールド・ルーキー」など野球をテーマにした映画をよく見る。最近話題の野球映画といえば、台湾が日本統治下だった戦前、島の南西部にあった嘉義農林(かの)高校が甲子園に初出場、準優勝したと云う実話をもとにした台湾製の 「KANO」である 。この映画では当事珍しかった台湾先住民や漢人と日本人の混成チーム、嘉義農林の活躍を再現するとともに、日本が台湾の発展に大いに貢献した事を台湾側が描いていると云う事で週末は映画館に足を運んでみた。


さてスポーツの映画、なかんずく野球ものでは俳優のプレーが下手くそだとひどく白けてしまうのだが、KANOの出演者は皆が野球の経験者とあって、画面で躍動する選手のプレーぶりがとても板についている。特にエースの呉明捷選手を演ずる曹佑寧(ツアオ・ヨウニン)はジュニアの世界野球選手権に台湾代表で出たほどの本格派で、昔の写真で見る実際の呉選手の風貌にそっくりな上、大きくワインドアップする投法がとてもサマになっていた。ネタばれになるので控えるが甲子園大会の決勝を描いたクライマックスはほぼ史実に則しているし、戦前は京城(ソウル)や大連の中学が甲子園に出場していた事などを含め、改めて台湾の映画から往時の植民地の実相を知る事ができるのである。


この映画は当時の日本の台湾統治を肯定的にとらえており、よく外国の映画などに出てくる典型的な根性主義丸出しの狡い日本軍の下士官の様な人物が出てこない。そのため中国本土では「KANO」はまったく評価されない一方、台湾では大ヒットになったとの事で、旧日本の植民地支配の功の面をきちんと評価している数少ない外国映画と云える。ただ3時間以上のストーリーは各種エピソードを盛り込みすぎてやや冗長、また「台湾先住民や漢人に野球がわかるか」とバカにしていた新聞記者が、最後に甲子園での嘉義農林のプレーに接し「違う人種が同じ目的のために努力するのが感動的だ」と発言するのは私にはちょっと”クサ”すぎた。ここはセリフではなく、それとなく映像などで暗示してくれた方がより感動的になるのではと、せっかくの良い映画なのにいささか残念に思った。

2014年2月 2日 (日)

映画 永遠の0(ゼロ)

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遅ればせながら映画になった「永遠の0(ゼロ)」を有楽町マリオンまで見に行った。封切り以来一ヶ月以上経っているのに今日も映画館は満員で、この作品の人気の高さが判ろうというものである。ベテランの俳優だけでなく若手の好演技と、空母”赤城”などは本物かと思うほどのCGの出来栄えで、開演からただちに画面に引き込まれてしまった。予想通り後半は館内あちこちでハナをすする音、それも今日は男性のそれが多く聞こえてきた様な感動的な作品だった。私と云えば隣からティッシュを差し出す妻に「いらないよ」などと強がりながら、涙をこらえる為にヒーローの娘である風吹ジュンの実年齢と、年代の整合性などを一途に考えながら気を紛らそうとした2時間半であった。


その原作を読んだ我が2010年8月 1日 (日)のブログ 『百田尚樹 永遠の0(ゼロ)』はこう記している。

『久しぶりに後味のさわやかな小説を読んだ。百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」講談社文庫である。「2009年最高に面白い本大賞第1位」との帯もあながち誇大広告とはいえないと感じた。物語はゼロ戦を操って先の大戦を生きぬいたものの、終戦直前に特攻で亡くなったパイロットの孫である姉弟が、多くの戦友を訪ね祖父の生きざまを聞き出すという設定になっている。今まで何も知らなかった祖父の事を探るにつれその驚くべき実像が徐々に明らかになるのだが、読者も毀誉褒貶の差が激しい主人公である祖父の、本当の姿を知りたくて物語の展開にぐいぐい引き込まれていく。

超人的な操縦技術を持ちながら「生きて帰る事が大事」と広言し、戦場では不要な戦いを避け、当時の理不尽な軍隊のやり方に時には批判的であった主人公は臆病者であったのか。彼が守ろうとしたものは何なのか、戦友たちの証言にその伏線がちりばめられ、物語の終盤に仕掛けられた展開に読者はあっと驚くのである。作者は戦友の証言という形をとって、兵隊を消耗品としてしか扱わずロジスティックを無視した旧軍隊を痛烈に批判する一方、朝日新聞の記者と想定される姉の恋人を登場させ、散々戦争をあおったあげく戦後は手のひらを返した大新聞や、戦後の薄っぺらい平和主義に強く不快の念を示している。

私が常々感じている事は、現在の視点で旧軍隊や明治憲法下のさまざまな行動を批判するだけにとどまらず、近隣の国に謝罪をすべしと主張する人たちの心の貧しさや想像力の欠如である。帝国主義の時代に日本があの道をとらなければ一体その後の日本はどうなっていたのであろうか。もちろんその過程で不足したり行き過ぎの行為が多々あったであろうから、その事を検証する事は日本人としては大切であろうが、中国や韓国を念頭において謝罪と反省を迫る自虐史観をもったメディアや政治家には驚くばかりである。

「永遠のゼロ」は戦争の不条理を描きつつ、われわれの祖父や親の代が今の人となんら変わらないセンチメントを持っていた、いやそれ以上の”愛”を持っていた事を示そうとしている様だ。我々と同じ心を持ったかつての日本人一人一人の兵士がいかに戦ったのか、下手なドキュメントより命の重さを浮き立たせてくれる素晴らしい小説であった。この作者に注目だ。』


映画化に当たっては、上記の「朝日新聞の記者と想定される」若者に代わり、合コンの仲間が主人公を批難すると云う演出に変わっているのはかえって残念であった。ただそれ以外では、結末を知っていても充分”泣ける”作品で、原作者の百田氏が作った日本人の琴線に触れるテーマを、上手に映画化した点が素晴らしかった。原作が作られたのは2006年、作中にもある様にあと10年もすれば、先の大戦を経験した人がいなくなってしまうのである。今こそ我々はあの戦争の真相を連合国側から見た史観だけでなく、日本人として一から考え直さなけらばならないと映画を見て実感した。

2013年12月10日 (火)

キャプテン・フィリップス

話題の映画「キャプテン・フィリップス」を見た。アフリカ東岸ソマリア沖で海賊に乗っ取られたコンテナ船「マースク・アラバマ」号の、船長と海賊との闘いを描いた作品とあって緊迫した場面の連続で、息も継がせず話は展開する。映画は2009年に実際に起きた話をベースにつくられているだけに、海賊達の恐怖もリアリテイを伴って迫り、観客は映画の世界にすっかり引きずりこまれてしまう。そのストーリーをここで述べてしまうと興ざめなので、それは見てのお楽しみとして、私も日頃”海賊対策”が実務で問題になっても、何か遠い世界の出来事だと思っていたが、映画を見てからはソマリアや武装海賊の存在が急に現実味を帯びて感じられたのだった。


それにしても「マースク・アラバマ」号の様な小型コンテナ船(1092個積)がアメリカ国籍であり、ほとんどのクルーがアメリカ人である事に正直云って驚いた。国際航路に従事する多くの貨物船は、今や採算上の理由でパナマやリベリアなどに籍を置き(便宜置籍)、途上国の乗り組み員を配乗した上、様々な規制などを逃れて運航されている。映画の「マースク・アラバマ」号の様な船を米国籍のまま敢えて運航するのは、安全保障上、有時に必要とされる米国物資の輸送を考えての事で、この船がクレーンを装備しているのも汎用性を重視している事の現れであろう。本来デンマークの国策会社であるマースクラインが、アメリカ資本の買収を通じて米国海事安全保障法などの補助を利用し、多くの米国籍船を所有・運航しているという事実に瞠目するのである。


この映画は、アメリカ海軍の全面的協力と同型のコンテナ船を使って撮影されているので、映像も迫力満点だが「オヤっ?」と気がついた点が2つある。港を出ると船はふつう船尾の国旗はしまうのに、公海を走る「マースク・アラバマ」号は船尾旗の他、本来は寄港先の国に敬意を表するマスト旗に星条旗を掲揚している。海賊を避けるために「アメリカの船」というのをわざわざ誇示しているためだろうが、星条旗を掲げて航海したのが事実とすれば、そんな船を襲った海賊はマヌケという事になる。また救命ボートには定員分の水が数日分備えられているのに、映画ではフィリップス船長に水が与えられない事はさておき、飲料水が不足しているかの様な演出がなされていたのが良くわからなかった。


どうも仕事柄そんな細部ばかり気になって困ったが、トム・ハンクスの名演技にすっかり酔いしれ2時間強の大作が短く感じたのだった。それにしても最近はアフリカ東岸ばかりでなく西岸でも海賊が出没しているそうで、航海の安全からは本当に困ったものである。この事件以降、世界の船会社はデッキに鉄条網を装備し、武装ガードマンを乗せたり、船内に乗員の待避所(シタデル)を造って海賊対策をしているのだが、我が国はようやくこの11月に、日本籍船に武装ガードを乗せる事ができる特別措置法が国会で成立したばかりである。主要な海運国でも最も遅い方の法制化とあって、日本人の平和ボケぶりがここにも反映されているのが何とも哀しいものだ。

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2013年9月25日 (水)

やられたらやり返す、10倍返しだ

視聴率が40%を越えた人気番組、「半沢直樹」の最終回が終わった。その終わり方をめぐって、「 視聴者は不完全燃焼 」「 続編希望 」などの声がテレビ局に多数寄せられているそうだが、私はあれはあれで想定範囲内のエンディングだと思った。もし半沢の仇敵である大和田常務が左遷され、半沢が大出世するかの様なハッピーエンドにしてしまえば、単純な勧善懲悪の劇になりすぎて却って物語の面白さを削いでいた事だろう。


我々も8月の世界陸上をはさんでこの3ヶ月間、日曜の夜になると夫婦二人してテレビの前に座り、「これって会社であるある!」とか「これは実際にはないよね!」などと言いながら「半沢直樹」を楽しませてもらった。私も妻もそれぞれの業界で大同合併の経験があり、特に妻はメガ・バンクにいたので、何となく身につまされる場面も多かったものである。二人とも原作は読んだ事がないから、最終的にどんな終わり方をするのか予想はつかなかったものの、毎回の半沢の「倍返し」に胸のすく思いをして見ていたのだった。


「敵の敵は味方」の様なサラリーマンの出世競争・派閥争いである。特に合併した会社においては、相手の部下を引き上げ、自分の部下は切り捨てる事で相手の歓心を買い、ひいては自分の地位を安泰にする、などと云う上司を実際に私は見て来たから、頭取が合併相手の筆頭役員である大和田常務を切らず、平取締役に降格させるだけという筋の展開は充分想定できるのである。取締役会の場で説明役の担当社員が、常務を土下座させるなどというのはテレビのお遊びとしても、合併したメガ組織の力学として、相手方の実質的に水に落ちた役員に温情を見せかけ、できる中堅や出そうな杭はつぶしておくという頭取のやり方は、いかにも老獪かつ正しい人事の方針といえよう。


それにしてもこの話、大和田常務役の香川照之や、国税・金融庁役人役の片岡愛之助らの演技ぶりにも感心した。ちょっとした顔の筋肉の動かし方で、いかにもそれらしい表情を作るのは歌舞伎役者ならのうまさなのだろう。その他、ほとんどのバイ・プレイヤーの名演技に、妻と二人「嗚呼、花の応援団」ではないが「役者やのう!」と茶の間のテレビに叫んでいたのだった。さて「半沢直樹」とともに楽しんできた「じぇじぇじぇ」のあまちゃんも、この9月末で終わってしまうから、秋からはテレビがつまらなくなりそうで困るね、と妻と話しているこのごろである。

2013年8月13日 (火)

終戦のエンペラー

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夏休み封切りのハリウッド映画「終戦のエンペラー」を見に行った。大東亜戦争が終わって進駐してきたマッカーサー率いるGHQが、東京裁判にあたり天皇を戦争の最終責任者として裁くか否かという問題について、史実に基づく経緯を物語の主軸にし、調査責任者であるボナー准将と日本女性との恋愛を物語の綾にして映画が展開する。トミー・リー・ジョーンズ扮するマッカーサー元帥の振る舞いやそのひととなりを含め、大筋のところ歴史はこんなものだったろうとストーリーの進め方については、安心感を持って見る事ができる作品であった。


ただいくつか見苦しい点を述べると、羽田昌義という俳優が扮する準主役の通訳・高橋が、終戦から半月も経っていないのに、現代風の長髪で登場しているのには驚いた。戦争もののドラマを見て常々思う事は、少なくとも準主役以上の出演者は、それなりのギャラを貰っているのだろうから、演劇のプロとして軍人なら坊主、一般人なら短髪と当時の”なり”くらいしなくては、見る方がしらけるというものである。また旧国鉄の蒸気機関車や列車が海外の保存鉄道を使った映像だったり、終戦からかなりの時間が経っても東京が瓦礫ばかりだったりと、ディテイルという点に関してはもう少し凝って欲しかったシーンも多い。


日本で人気があるトミー・リー・ジョーンズが主役の一人になっているあたり、多分に日本市場をターゲットにしたハリウッド映画なのは判るが、戦争責任については”DEVOTION”という言葉を使って、日本軍においては天皇や国体に対する”献身”が、しばしば行き過ぎて”残虐”な行為につながった、と日本人に喋らせているあたりもちょっと違和感がある。このあたり、いかにもアメリカ側から見たステレオタイプの日本人観で、テーマの重厚さの割には、いかにもハリウッド的簡易歴史観だと感じる。終戦を扱う映画としては若い頃見た「日本のいちばん長い日」の印象が強すぎて、もう少し重厚、かつ生臭いものを期待して映画館に出かけたが、主役のボナー准将(マシュー・フォークス)と日本人女性との恋愛が、あまりにも薄っぺらいストーリー仕立てで却って作品の面白さを削いでいた。


映画ではボナー准将とアメリカで恋人だった日本人女性は、お互いを慕いながらも戦争で生き別れになり、戦後、進駐軍の調査責任者であるボナーが来日して必死の捜索をしたが、米機の空襲で彼女は亡くなっていたというストーリーになっている。もし私がこの映画を作ったら、その女性は帰国後に日本的なしがらみの中で日本人の若者と結婚を強制され、夫は徴兵され特攻隊で戦死するが、それでも短い間でも夫との絆は終生を忘れない日本人に描くだろう。彼女はボナーの来日やその愛も身近に感じて、心はさんざん乱れるが、終生清くけなげに生きる選択をする、というストーリーにした事であろう。まあそんな事を考えながらも、娯楽として見ればまずまず面白い映画で、有楽町の映画館は老若男女で満員だった。学校の歴史教科書では教えないこんな終戦を、若い人にもっと見てもらいたいと思った。

2012年5月30日 (水)

梅ちゃん先生

NHK朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」を楽しくみている。普段テレビドラマなどはほとんど見ないから、朝の連続ドラマが待ち遠しくなるのは「お華はん」以来で、私にとっては実に46年ぶりの事といえる。「梅ちゃん先生」は終戦直後の混乱の中、掘北真希が扮する医学生 ”梅子”とその一家を描いたドラマで、毎回・毎週のストーリーがテンポ良く「お約束」通りに展開するので安心して見ていられるのである。


画面を見ていると、そこここに焼け跡バラックが残っていた子供の頃を思い出し、盛り場の傷痍軍人やら進駐軍のワシントン・ハイツ(今の代々木公園)の記憶が蘇って、自分が生まれた頃はかくも貧しく混乱の時代であって、改めてあの頃は大戦争まもなかったのだと感慨が沸いてくる。それからもう一つ面白いのが高橋克実が演じる「昔の頑固オヤジ」で、その頑固オヤジをお母さんやお婆ちゃんが、うまくいなして丸め込んでしまう家族風景がなんとも微笑ましく、今や「地震・雷・火事・オヤジ」という言葉もすっかり死語になったとテレビを見ながら思う。


ドラマでは梅子がインターンで研修する帝都大学とは、おそらく東京大学医学部がモデルであろうが、その耳鼻咽喉科教授がかなりオタクっぽく作られている。考えてみると私の祖父が終戦の頃、東京帝大医学部の耳鼻咽喉科教授だったから、作り話といえども 「これのモデルが我が爺さんだとするとちょっと酷い」 などと我が家では苦笑していた。先日久しぶりに回顧録などを引っ張りだして読んでみた処、祖父は昭和21年に帝大を辞めているので、ドラマに出てくる昭和26年ごろの教授は祖父の後任だったかとちょっと安心したりする。


さて「梅ちゃん先生」はこの後、掘北真希がどうオバサン顔になっていくのか、ドラマの進展が楽しみなのだが、ただ彼女の鉛筆の持ち方だけは何とかならないものだろうか。今は親指を人差し指の上にのせて鉛筆を握る若い人が結構いるが、昭和一桁生まれは誰もそんな持ち方をしなかったハズで興ざめである。ここはぜひとも演技指導して欲しいものだ。それはさておき出勤前ばたばたとしていて、全部をゆっくり見る事が出来ない番組を、HDレコーダーに録って夕食時にゆっくり鑑賞するのが最近の楽しみである。

2012年2月19日 (日)

ALWAYS三丁目の夕日'64

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ALWAYS三丁目の夕日'64を見た。これまでの二編の後を継いで昭和39年オリンピックが開催される頃の東京を舞台に、鈴木オートの家族の様子や小説家・茶川の生き様がノスタルジック一杯なシーンと共に展開される。画面を見ていると昭和39年ごろは高度成長が始まった一方、近所付き合いがそこかしこで残っていた事、東京でも一歩表通りから入れば、ほこりっぽい横丁だらけで、町も職場もタバコの煙っぽかった事などが思い出される。

この映画が人気なのはストーリー展開のダイナミックさや面白さと共に、時代考証に破綻がなく観客を自然にあの時代に運んでくれる事であろう。この種の映画を見ていて、ふと「ちょっと違うんだよね~」と違和感があると、急にその事が気になって白けてしまうものだが、ALWAYSはその辺は綿密に往時の風景や風俗を再現していて、その緻密な映画つくりが人気の一つなのであろう。

例えば劇中の音楽「無責任一代男」は昭和37年、「学生節」は昭和38年のヒット曲だし、鈴木オートに入庫してくるホンダS600は昭和39年発売の人気スポーツカー、茶川の帰郷シーンは、中央東線のおそらく急行「アルプス」と思われるキハ58系で、二両の2等車をはさんだ長大編成は「ああ、あの頃の国鉄線はこうだったな」と思わず観客を昔に引き戻す。そういうディテイルにこだわった演出が映画を飽きさせなくしているし、鈴木オートの住み込み「ろくちゃん」の交際相手のクルマがトヨタ・パブリカだと言うのも、妙に説得感があって時代のアイテムを物語の伏線として使う演出は憎い処である。

ALWAYS'64は笑いあり涙ありペーソスあり、寅さんの様に安心して見ていられる映画で、始めて見る3D画面の2時間はあっと云う間に過ぎてしまった。そういえば、ろくちゃんの交際相手の着ているセーターと、今日映画に行った私のセーターはまったく同じチルデンセーター、キャメルのVAN JACKETのブレザーも同じものを持っているし、当時のみゆき族の細身ズボンを除くと、映画の彼と私のワードローブはまったく同じ。やはり私はMAN FROM 60'Sと改めて思いながら、暖かい気持ちで映画館を後にした。

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