カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2024年10月18日 (金)

健康診断・右脚ブロック(続き)

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9月12日にこのブログ(健康診断・右脚ブロック)で記したように、この7月に受けた健康診断で「要精密検査」と云われた心電図は、9月の循環器科での診断では「正常範囲」という結果となった。ただし9月の受診時には血圧が高いので1ヶ月ほど自宅で朝・晩に測り、それを記録した「血圧手帳」を持参のうえ、心臓エコー検査を念のため受けて下さいと云われていた。こうして1ヶ月強、先日はこのエコー検査の為に記録済の血圧手帳を持って再び病院を訪問した。なにせ生来の気の弱さと医者嫌いのため、病院に行くだけで脈拍は80以上に上がり、上の血圧が180から190にもなる所謂「白衣恐怖症」の身である。9月に診察を受けた際にも、女性医師がパフパフと手動で空気を入れる従来の血圧計で測ると1回目は上が160、2回目150、下も100前後とあって、「家で朝・晩毎日血圧を測れ」との彼女の指示を無視するわけにもいかなくなった。


と云うわけでこの一か月強、朝・晩、自宅の血圧計を持ち出してはカフを腕に巻くのが日課であった。この間は10日間ほどクルーズ船の旅にも出たので、船には小型の簡易血圧計を持ち込んで毎日の船上での測定。一日のうちで最も血圧が高いと云われる朝は、起き抜けでまだ目が完全には覚めきらない状態で2回、夕方はアルコールが入ると血圧が下がるので、その直前の6時半頃に2回、毎日毎日血圧を測っては平均値を記入してきた。夕方の忙しい時には都合の良い数値を適当に書いてしまおうかとも思わないではなかったが、医師の指導に逆らうほどの勇気を持ちえないわが気の小ささに苦笑しつつ、冷えた缶ビールを目の前にして血圧計のスイッチを押し続けたのであった。


その結果は、朝が上140~150・下が90~100、夕方は上は120~130・下が80であったが、とにかく血圧は年がら年中変化して捉えどころがない所がくせ者である。前夜に酒を飲みアルコールがまだ体内に残っている朝や、その日仕事が忙しい事が見込まれる朝には確実に最高血圧は150を超える。逆に昼に水泳をした日は数時間たった夕方でも上が100くらいであり、いったい何の数字を手帳に記入したらよいのか混乱するほど変化が激しい日もある。私のように自宅にいる者ならまだしも、会社員ならオフィスの手許には血圧計がないし、会議や宴会もあるから、一体どうやって毎日測定して相当程度に正しい数値を出せるのか不思議なところではある。


などと1ヶ月以上それなりに苦労して記録した手帳を持参して、30分にも亘る心臓のエコー検査を済ませ循環器科の医師の2回目の診察となった。診察台にあるエコー検査の動画画像を見ながら先生は、「この心臓右側の動きがやや遅れ気味なのが右脚ブロックですが、これはまあ大丈夫でしょう。心臓の各弁もとてもよく動いていますし、隔壁も正常です」とのコメントである。血圧手帳を一瞥した彼女は、「この数値は薬を飲むかどうかのボーダーラインです。ただ運動を良くしているようなので、当面は塩分を控え気味するなど注意して生活して下さい」「ご存じかと思いますが、血圧が130台で降圧剤を処方する医師もいますが、私はなるべく薬を使わない考えです」とのことで、次のアポイントもなしの無罪放免ということになった。健康診断から3カ月以上に亘った「心電図要精密検査」騒動も、予想通り何事もなく終わりを告げ、これからは定時に血圧を測る作業から解放された。人騒がせな健康診断ではあったが、結果オーライでほっと一息の秋の空の下である。

2024年10月13日 (日)

カブリオレの屋根を開ける候

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昨日の都内の気温は最高で約25℃、湿度が50~60%とあって、やっと過ごしやすい気候になってきた。今日も25℃ほどの予想とのこと。7月初めから3ヶ月に亘る猛暑も去り、ほっと一息である。この気温や湿度は東京で云えばちょうど5月終わりから6月初め頃のそれとほぼ同温・同湿になるが、同じ気候なら、私は初夏の頃よりこの季節の方が好きである。なにより毎日の日課であるジョギング(最近はウォーキングの日もある)に出る時、「これからますます気温が高くなっていく」と先を見て憂鬱になるより、「毎日寒さに向かう」と考える方が遥かに心理的負担が軽い。秋の気配が濃くなるに連れ、夏と同じ力で走っていてもスピードは自然と速くなるし、汗をかく量が減って呼吸が楽になるからである。妻はだんだん明るくなる春~初夏にかけての気候が好きらしいが、私は町の木々が徐々に色づいて落ち葉が散る風情の方により趣きを感じるのだ。


という季節になり、我がカブリオレのルーフも3カ月ぶりにオープンで走れるようになってきた。いまや車齢16年のおばあちゃんグルマとなったが、このところBMW自慢のシルキー6(直列6気筒)エンジンの吹け上りがとても気持ちよい。決してとばしたりはしないのだが、都内の道路でも時速20キロから60キロくらいまでの加速は、ツインターボの効果もあってアクセルコントロールが楽しい。ところで、これに乗っていると新たな出会いがあるものだ。今朝はマンションのガレージでルーフを開け出発しようとスイッチをオンしたところ、すぐ脇のクルマに乗り込もうとしていた小学校低学年の男の子が、「あ、屋根があく」と興味深くこちらを見ているではないか。じっと凝視される手前、ニコニコと彼に笑顔を向ければ、若いお父さん、お母さんがクルマから降りて手を振って挨拶してくれる。こうなると彼らとは今後エレベーターで会っても話を交わすことになるだろう。住人同士、普段あまりコミュケーションをとる機会がないマンションでも、このようにクルマを媒介として顔見知りができることもある。


その後、ルーフを開けて一人皇居近くを流していると、すぐ後ろから新しいBMWセダン(320)がピタリとついてくるのに気が付いた。なにか文句でもあるのかと注意していると、赤信号で停止した私の真横の車線にそのBMWがピタリと停まり、同じような年齢のドライバーが窓を開けて話しかけてきた。どうやら「クルマの調子はどうですか?」と彼はしゃべっているらしい。「以前、同じクルマに乗っていたんだけど、ルーフの故障などしませんでした?」と語りかけてくるので、「一回調子が悪くなって部品を代えたらエラク高くて参りましたよ」と答えると、「私も同じで、それは保険で直しました」などと交差点での会話が弾む。彼は「今乗っているこのクルマはディーラーの代車で、BMWアルピナの納車待ちなんですよ」と、どうやらきわめて高価な新車を待つワクワク感をカブリオレ仲間に話したくてたまらないようだ。「それは素敵ですね。早く納車されると良いですね」と共感しつつ、「最近のBMWのキドニーグリルは大きくなりすぎですよね」などと短い信号待ちの時間でも話は弾む。そうこうするうちに信号が変わって発進したが、その後はお茶の水付近まで2キロほど並走し、最後はお互いに手を振りつつ道を右と左に分かれた。都心の道路で見ず知らず同士でも、こんな出会いがあるのもカブリオレならではである。別れ際、彼が放った「オープンエアドライブ、楽しんで下さいね!」の挨拶が心地良かった。

2024年9月12日 (木)

健康診断・右脚ブロック

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健康診断の心電図検査で「 要精密検査」と言われ、心臓内科で診察を受けてきた。心電図と云えば、もう十年以上も前から「 完全右脚ブロック」との結果で、いつも「 経過観察」と言われてきたが、今度は一段階深刻な「 要精密検査」とのことで、おそるおそる、これまで泌尿器系でかかりつけで、健診もここで受けた総合病院に行くことにした。それにしても毎日のようにジョギングや水泳などの運動を続けているし、70歳台と謂えども走ることに関しては、そんじょそこらの若造には負けないと自負している身である。心臓こそは”絶好調”と感じているのに、一体「 要精密検査」とは何のことだろう。「まあ、大したことはあるまい」と思っていても、健診結果が届いてから診察までの一か月の間は、「 ひょっとしたら、最後の健診からの1年半の間に心臓に自覚できない大きな変化があったのだろうか?」という心配が頭をもたげてくる。妻は「そばで見ている限り、絶対大丈夫よ。きっと70歳台になったので注意喚起の意味があるんじゃない?」と心配性の私の憂いを一蹴するように涼しい顔をしている。


老人医療で近頃話題になっている和田秀樹医師によれば、 健康診断と健康状態のリンクを長期に亘って大規模に調査した研究はなく、これを受ければ寿命が伸びると云うエビデンスはないと常々表明している。さらに彼は、健診結果に一喜一憂するより、日々の体調がよければそれが良しとして、健康診断などはおやめなさいと呼び掛けている。世界広しと謂えども、健康診断を定期的に実施しているのは日本だけなのだそうだ。この中の「正常値」とは、健康と考えられるすべての人の平均値をはさんだ95%を「健康」としているだけであって、ここには老化現象や個人的な相違は加味されていない。例えば老人になれば血圧が上がるのは一般的で、以前は最高血圧は年齢プラス90まではOKだったものが、今は一律で139以上が「高血圧症」としてすべからく「異常」にカテゴライズされてしまう。元気な盛りの30歳台も70以上も同じ閾値という方が、逆に「異常」だと普通は考えるのだが、健康診断の意味はそうではないらしい。今回は心臓の思わぬ「 要精密検査」だったが、これを完全無視して自分の”絶好調”を信じるかと云うと、それもできぬのが気の小さい我が悲しさ。健康診断など受けなければ良かったのかな、と揺れる心を抱えつつ暑いさ中の受診である。


緊張しつつ心臓内科の40歳台とも見える女性医師の前に座れば、彼女は以前の心電図や心臓エコー検査の画像を見ながら首をひねっている。「 右脚ブロックとは、心臓の右側に行く電気信号が遅れ気味のことを謂うのだが、前回と比べて特に顕著な相違はないのに、何で健診の判定が 『 経過観察』 → 『 要精密検査』」になったのかなぁ?」と医師は呟く。「 心電図の折れ線は以前よりわずかに変化してるので、こういう判定になったようだが、まあ大したことはないので、念のために血圧を家で測りながら、一か月後に心臓のエコーを撮ることにしましょう 」との診断で取り敢えず無罪放免である。ホッと安堵しつつ病院からの帰りすがり、すっかり肩の力も抜け、和田医師の「 病気探しで心配するだけだから健康診断なんかお辞めなさい」との話が頭に浮かんでくる。この一か月間の杞憂のほうが健康には良くなかったと思うと、彼の考えに共感を覚える一方で、6年前に手術した膀胱ガンや、4年前の前立腺癌は人間ドックで見つかったので、早期に発見でき除去して良かったと思うのも事実である。帰宅して妻に報告すると 「ほーら、やっぱり私が言ったとおりじゃない」と笑っていたが、やはり健康診断を完全に止めるわけにもいかず、受診すればしたで、加齢とともに要観察やら再検査が増え心配の種が増えるとあって、凡夫の悩みは尽きない。

2024年9月 5日 (木)

時代の証言者 こころで走る 瀬古利彦氏

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読売新聞の「 時代の証言者」 では、マラソンの瀬古利彦氏が、『 心で走る 』との題で、彼の生い立ちや競技歴を連載で寄せている。私も最近は時間ができたので慶応競走部の後輩の試合にはよく顔を出すようになったが、競技場の観客席では瀬古氏の姿を見かけることも多い。彼は早稲田大学競走部のOB会会長をつとめているにも関わらず、息子さんが慶応卒とのことで、日ごろから 「僕は慶応が好きなんですよ」と広言しつつ、試合後のOBたちの飲み会にはいつの間にか慶応側の席にきて、その饒舌に場を和ませてくれる好漢である。私と同じく、60歳過ぎてから奥さんと共に社交ダンスを始めたとのことで、これも彼に親しみを感じるところだ。なので毎朝起きると彼のこのシリーズを楽しみに朝刊を開いているこの頃である。


ここ2日間は、早稲田大学に入学して中村清監督に運命的に出会ったことを中心に話が進んでいるが、かつて駅伝やトラックで遠くから見かけた監督に関するエピソードがとても面白い。昭和51年、瀬古氏の入学と時を同じくして早大に駅伝監督として返り咲いた中村氏は、「『今の早稲田が弱いのお前たちのせじゃない。面倒をみなかったOBのせいだ。俺が代表して謝る 』 と言い出すと、何十発も自分の顔を殴りつけるのです。皆が言葉を失っていると 『 これでも足らんだろう 』と口元に血をにじませ、今度は壁に頭をうちつけました 」。砂浜での朝練習では「『俺はこれを食ったら世界一になれると言われたら食う 』と言って、口の中に(足元の砂を)放り込んでしまいました 」 と、瀬古氏は中村監督の尋常では考えられぬ熱情を著している。


この逸話に関して、友人である早大の元駅伝選手(瀬古よりやや年上)からかつて聞いたのは、 中村監督は口元に血をにじませたではなく、「口から 血がドバっと噴き出た」であり、砂浜の砂を食べたのは、「俺はこんなに陸上競技を愛しているのだと、グランドの土をムシャクシャ食べた」であったが、いずれにしても、そのようなことが本当にあったのだと情景が目にうかぶようだ。その友人は「 練習が終わると、着替えもしない前に中村監督のとにかく長い話が始まるので、汗で濡れた練習着が冷たくなって、みな風邪ひいちゃうんですよ」という話もしていたが、熱血漢の監督と運命的な出会いをし、そのチャンスを逃さず、教えを忠実に実行したのが凡百と違う瀬古選手の偉大なところである。そういえばあの頃は、中村監督に限らず明治大学野球部の島岡監督など軍隊式の名物指導者が健在だった。今では選手に手でも上げようものなら即座にパワハラで訴えられる時代となったから、この連載はまさに「時代の証言」という感がする。

 

早慶対抗陸上 100回記念祝賀会でスピーチする瀬古氏
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2024年8月12日 (月)

パリオリンピックの日本選手団の活躍

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いろいろと物議を醸す点もあったが、パリオリンピックが無事に終了した。日本選手団は金メダルを20個獲得しアメリカ・中国に次いで第3位、銀・銅含む総メダルの獲得数は合計45個で、米・中・英・仏・豪に次いで第6位と大健闘であった。日本の得た金メダルの数は海外で開かれたオリンピックでは最多との事で、今大会はロシアが出場していなかったことが我が国のメダル数を押し上げた可能性があるが、それにしても立派なものである。注目したいのは、体操・柔道・レスリングなど従来から強かった種目だけでなく、フェンシング・近代五種・馬術・セーリングなど、これまで欧米人が得意と思われてきた種目でも日本が活躍したことだ。スケートボードやブレイキン等はオリンピックの種目としてはどうかと思うが、それら新しい競技でも日本人が金メダルを取って大活躍したことを含めると、我が国ではスポーツの裾野が大いに広がっているだけでなく、スポーツを取り巻く環境が成熟していることを感じる。


野球やサッカーなどプロで興行が成り立つ種目ではなく、古くからある軍隊に起源をもつスポーツや、街の遊びから発展してきた新しい種目に多くの人材を輩出できるのは、我が国の治安や世情が安定しており、これらの競技を支えるインフラや経済的な基盤が整っているからだと云える。そう考えると金メダルの数で世界第3位の位置を占めたという結果は、若者の人口が減ったとは言え、日本は衰退していないと云えるのではないか。為替の円安や人口の高齢化もあり、GDPではドイツに抜かれて世界4位になり、この先はますます国力が落ちるとする悲観論で世論は喧しいが、私の感触では移民問題に苦しむ欧米諸国を引き離して、ますます日本は良い国になっている。幾度もここで指摘した通り、国内旅行をすると「さびれた北国の寒村」などという風景は今やほとんど見られず、どこへ行っても総じて住宅はモダンになり、田畑には高価な農機が走って漁港は立派に整備されている。駅のトイレにウォシュレットがあるような国は世界のどこにもないし、落とした財布が戻ってくるのは日本だけである。日ごろ聞く、日本はこのまま駄目になっていくかのような論調は大いに疑問に思っている。


オリンピック期間中、日銀の植田総裁の金利の引き上げ宣言と、たまたま予想を下回ったことを示す米国の景気統計の発表が重なり、我が国では株が暴落すると共に急速に円高が進んだ。7月初めの約160円から一時は140円近辺まで、円の価値は10%以上上昇したことになる。これまで日本下げが得意だった一部評論家や経済学者は、日本経済の衰退が円安を招いたと常々政策を批判していた。特に「アベガー、」と罵りながらアベノミクスを貶めたい一派は、株の高騰には目をつむり、円安が日本弱体化の象徴と喧伝してきたのだが、この1ケ月で国力がみるみる回復したとでも言うのだろうか。日本の衰退の証として一番に挙げられた為替水準は、主に日米の金利差と、それに伴う金融市場のテクニカルな資金運用によるものであり、状況によってはいかようにも変化し、国力なぞを正しく反映するものではないことが、今回改めて明らかになった。これら世間に流布する我が国をディスりたい勢力による日本衰退論に与(くみ)するのでなく、今後のやり方次第では、少子化社会と云えどもスポーツと同じく日本経済はまだまだ元気に伸びる余地があるのではないか。そんな期待を大いに抱かせる、我が国オリンピック代表団の活躍ぶりであった。

2024年8月 9日 (金)

目明き千人 盲千人

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皇居 北の丸公園

前回記したように、昼間は暑いのでジョギングは朝早くに済ませるように心掛けているが、用事があってそれが出来ぬ日はやや涼しくなった夕方に走っている。先日も夕方に皇居へ走りに行った帰りに、緑一杯で日陰が多い北の丸公園を通ることにした。ここはゆったり散策したり休んだりする場所なので、その日も歩く様にゆっくりと園内の小道を走っていると、向こうから小さい犬を繋がずに散歩する若い女性が歩いて来た。この公園では過去に幾度もトラブルがあったとみえて、犬は必ずリードにつなげとあちこちに大きく掲示が出ているのに、時々こういうバカがいる。特に若い女性と小型犬の組み合わせが危険で、訓練がまったくされていない犬がキャンキャンとジョガーに吠えかかってくるのは大抵この組み合わせパターンの時である。私もこれまで何度も不愉快な思いをしたが、案の定、この日も小型犬は警戒心も顕わに近寄ってきたので、すれ違いざまに「犬はつなげよ!」と彼女に注意をした。


ところがこの女性は悪びれるどころか、日本語がまったく分からないのか、犬はそのままに睨み返してくるではないか。耳が悪いのか、はたまた日本人ではないのか、思わず 「犬はリードにつないで!」と立ち止まって再び注意をした。それにも関わらず、彼女は相変わらず睨み返しながらその場に突っ立っているので「 言う事が分からないのか?ここは犬を放してはダメだと掲示があるだろう。リードを付けないなら警備員に通報するぞ!」と我が声もつい大きくなる。悪びれた様子どころか不服そうなその態度に、こちらの気持ちはヒートアップしそうになるが、これ以上話の通じない者を相手にしてもしょうがない。夕暮れの公園で若い女性にからむ抑制の効かない暴走老人と思われるのも不愉快なので、注意はそこで止めジョギングを再開して現場を離れることにした。最近はクルマの運転中に乱暴なドライバーに遭ってもカッとしないようにしているのに、思わぬところで女性に対して大きな声を出してしまったことに自省の念が湧かぬでもない。どこにでもバカはいるから、こちらの怒りの導火線に火が着かないように日ごろから自制は必要だ。しかし私が声高に注意したことにより、この女性は北の丸公園ではリードをつけないと怒られることを知り、咬傷事故の抑制に少しは寄与したかと考えると、声を出して良かったとも思う。


ルールを破るだけでなく、人に迷惑をかけても何とも思わぬばかりか、注意をした方が悪いとでも言わんばかりの若者の態度は不愉快だったが、この日は良いこともあった。夕食は妻と近所のとんかつ屋へ行ったが、その店では会計金額によって押されるスタンプが一定数貯まると次回に500円の割引を得られるカードをくれる。ところがこの晩このカードを提示すると、有効期限の日付から既に2カ月が過ぎていた。ダメ元で若い女性店員に 「あ、これはもうダメだよね ?」と尋ねると、彼女はニコニコと「 見なかったことにします」とポンポンと2つスタンプを押してコンプリートさせた上で、その場で割り引いてくれたのだ。店長でもない若い店員の機転の利いた対応に 「 そうか、それはありがとう、なら今月はもう一回くるよ」と思わず再度来店の約束をしてしまったほどだ。「ルールはルール」のような紋切り調のサービスが多い中、「損して得取れ」と融通を効かせる店員もいる。バカな女で不愉快になっても、とんかつ屋の彼女の笑顔で一日が気分良く終われた日であった。世の中は「めくら千人、目明き千人」である。

2024年8月 4日 (日)

夏休み 百日紅(サルスベリ)の季節

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皇居周辺の百日紅もピンクの花盛り

連日猛暑が続く。日中は気温が35度にもなるので、ここのところ日課のジョギングは朝6時半に起きて済ますことに。大汗をかいて帰宅し、シャワーを浴びてから摂る朝食が美味い夏の朝である。そういえば、近年のあまりの暑さに夏の全国高校野球選手権大会は、この夏の一部日程で午前中2試合と夕方1試合だけの2部制にすることを決めたほか、今後は試合を7回で打ち切りにする議論が始まっているとニュースが伝えている。しかし7回でゲームセットとは野球というスポーツの醍醐味を根本から削ぐルール変更だろう。戦術が大幅に変わるだけでなく、過去の記録を収集し比較するのが、野球観戦の楽しみの一つなのに、スコアの一貫性という面でも7回での終了制には疑問を感じる。同じ時期に行われる高校総体では、暑さ対策で競技ルールを大幅に変更したとは聞いていないし、そもそも甲子園大会で試合中に暑さで足がつった以外、本当に倒れた選手などこれまでいたのだろうか。私は今のままで良いと思うが、そんなに熱中症が心配ならプロ野球の協力を得て、夕方までは大阪ドームを借りて涼しい中で試合をすれば良い。かつて夏の甲子園の記念大会で参加校が増えた年には、西宮球場で分散開催されたこともあったから、歴史的にもおかしな事ではなかろう。


さて朝のジョギングをしてしまうと、今日のような週末はエアコンの効く居間でその後ダラっと過ごすことになるが、パリオリンピックのテレビ中継はまったく見る気がしない。そもそもオリンピックとはアスリート中のアスリートが競う最高の場所であるはずだ。しかしストリートギャングの遊びかと見まごうブレイキン(ストリートダンス)やらスケートボードが、オリンピックの競技種目とは何とも白けてしまうのである。BMX(チャリの曲乗り)は、まるでサーカスや見世物のようだし、ビーチバレーやバスケの3on3もそれぞれの本競技で充分だ。ゴルフもオリンピックには不要だろう。出場選手が大変な努力をし、各種目で卓越した技量を持つことは認めるものの、なにもこれらの競技までオリンピック種目にしなくても良いのにと思う。このまま行くと、そのうちゲートボールも、という声も出かねないか?。あれもこれもと種目が増えた結果、本来のオリンピックが持つ崇高とも云えるアマチュア競技精神が薄れてしまうようだ。パリオリンピック開会式の「最後の晩餐」をパロった醜悪な演出に接してみると、オリンピックは商業主義や変な主義主張と決別し、もう一度クーベルタン男爵の精神と手弁当のアマチュアリズムに戻れと言いたくなる。競技種目も、1964年の東京オリンピック程度で充分である。


ふとマンションの窓外を見れば、夏休みだというのに子供たちの姿が町なかにほとんど見られない。我々が子供の頃、この季節は「夏休みの宿題は涼しい朝のうちに済ませなさいよ」と親に言われ、午前中こそ家にいたが、昼からは虫取り網を持ってセミやクワガタを追いかけ、長靴を履いて近所の川でドロンコ遊びをし、池でアメンボや水生生物などを取ったりともっぱら屋外で遊んだものだった。男の子はちょっとした広場や公園で草野球に興じたし、砂場で相撲をとったり道路にロウセキで絵を描き、女の子は横丁にゴム紐を張ってゴム飛びをしていた。徒党を組んでは、自転車であちこち出かけたのも良き思い出である。今に較べれば、親は子供のことは放ったらかしで、あれでよく交通事故に合ったり大けがをしなかったりしたものだと、つくづく幸運に感謝したくなるくらいだ。これに対して最近は多くの公園ではボール遊びが禁止となり、都会の小河川は暗渠となって消えたうえ、子供の声がうるさいだけでクレームになるというから世の中は変わったものだ。その結果、男の子はキャッチボールをしなくなり、ボールを前に投げられない子が多数いると云うから、世も末かと思えてくる。あらゆる面で保護・管理されている今の子供に較べて、昭和20年代~30年代の子供で本当に良かったと昔を懐かしむ夏休みの時期である。「腕白でもいい、たくましく育ってほしい!」の昭和のキャッチコピーは遠くになりにけりだ。

2024年7月19日 (金)

運転免許 高齢者講習

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70歳になって数年経ち、今年の年末には運転免許の書き換えだなぁ、と思っていたら、突如「 免許証更新のための講習のお知らせ(重要)」なる葉書が警視庁より送られてきた。高齢者の免許更新が面倒になるとは聞いていたが、てっきり75歳以上の問題だとばっかり思っていたのでびっくりである。綴じ込みの葉書を開封すると「 70歳以上になる方で、(運転免許の)更新を希望される方は、更新手続き前に、( 免許有効期限の6カ月前から)高齢者講習等を裏面記載のいずれかの場所で受講して下さい」とあり、裏面には都内の教習所42か所の住所や電話番号の一覧表が記載されていた。75歳になる前でも何かしなきゃならないのか、とがっかりしながら、葉書の文面を読むと、リストにある教習所のどこかに自分で電話をかけてアポイントをとり、「 高齢者講習」なるものを受けなければ、次の免許更新手続きに入れない仕組みになったようだ。


教習所に今さら行かねばならないとはなんのこっちゃ?と悪態をつきつつネットで警視庁の情報などを検索すると、令和4年5月の施行により無事故無違反のドライバーでも、70歳を超えたら免許証更新時には必ず高齢者講習を受けねばならぬことになったとある。高齢者講習の会場はどこも混んでいるのでとにかく早めの予約が必要で、都内の便利な場所にある教習所はすでに8月~9月くらいまで予約で一杯のところもあるとのことだ。妻は日頃、私の運転は安心でうまいと誉めてくれるし、毎日ピアノを弾いてジョギングをし、今は週に一度は水泳と社交ダンスをこなしているから、運動神経や認知にはまったく問題なしだと自分では思っているのだが、税務署や警察などの公権力にはからきし弱い私である。「なんとも面倒だなあ」と思わずため息が漏れ出たものの、法律とあればこれも仕方がない、さっさとやってしまおうと諦め、一番早く予約がとれた都内23区の西のはずれにある私鉄某駅に近い教習所で講習を受けることにした。


まったく地縁のない郊外の教習所だったが、50数年ぶりに身近に練習コースを見つつ建物に入ると、昔と違って中は随分と明るくモダンである。我々が免許をとった頃は、イジワルで嫌味タラタラの教員が多く(今なら間違いなくパワハラ)、その物言いにアタマに来てフロントに文句を言いに行ったことも幾度もあったが、最近の教習所の雰囲気は大分違っていて、若い教習生たちが伸び伸びと運転練習に励む様子がうかがえる。指定された時間になり、一般の免許証取得者と異なる別室に通された高齢者は男女5名。まずは受講料8000円の徴収に始まり、教官からこの講習の意味や最近の道交法のポイントに関する講義である。昔と大きく違って教官の講義はユーモアを交えひどく丁寧なのだが、これは我ら年長のジジイ・ババアに敬意を表したものか、はたまた最近の風潮なのか、身構えていたこちらもやや肩透かしである。いま運転で注意すべきポイントは、クルマが動いている間はいかなることがあってもスマホを操作することの禁止と、横断歩道及びその付近での歩行者の絶対優先を心がけるべしのことである。


続いて別室に移って目の検査が行われ、普通の視力検査の他に視野角度の測定、動体視力や夜間視力の測定と生まれて初めての検査を種々行う。いろいろな視力を測定する機械の前に座らされたが、8000円も払ったのだから普段は経験できない検査をいろいろしてよとの開き直りの気持ちである。講習の最後は教官が教習車(オートマ)の助手席に乗り、講習所内のコースを高齢者一人一人、各々10分~15分ほど運転する実技走行であった。例によってS字クランクや一時停止など50年数前を思い出す懐かしい実習だったが、段差に乗り上げた直後に直ちにブレーキを踏みクルマを停車させる実技もあって、これは昨今の老人のブレーキ踏み間違いによる事故を想定したものに違いない。これらの検査や実技走行はあくまで合否を判定するテストではなく、高齢者のための講習という位置付けだそうだ。こうして2時間余、めでたく「運転免許取得者等教習(高齢者講習同等)修了証書」を取得することが出来たが、この証書があれば来たる次回の免許更新手続きは、以前より簡単に済むそうである。

 

さて当日配布された資料によると、運転免許保有者1万人当たりの死亡事故件数は、年代別にみると70歳~74歳で0.29件であり、これは25歳~29歳を除き他の年代とまったく同等かまたは低い事が示されている。逆に16歳~24歳は0.43件と危険率が極めて高いことが明らかで、講習が必要なのは70~74歳より寧ろそちらの方である。メディアによる「 高齢者の運転が危険」とのいい加減な報道にも押されて、70歳からこのような講習が行われるようになったようだが、75歳になれば免許更新時にもっと厳しい手続きが待っているとのこと。行政は高齢者の運転を抑制する方向にもって行きたい意図がありありだが、一方で高齢者医学の専門医である和田秀樹医師は常々「 高齢者の免許返納などもっての他」と声を大にして叫んでいる。当日の講習会に参加した高齢者5名は皆ピンピンとあって、年齢による一方的差別とも云える恣意的な行政は如何なものかというのが講習会後の率直な感想である。「人間が犬を噛めばニュースだが、犬が人間を噛めばニュースにならない」とはよく言われることだ。たまたま起きた高齢者による事故はセンセーショナルでニュースにはなるが、統計的に本当に高齢者の運転は他の世代より危険なのか、有意の確率で重大事故を起こすものなのか?(例えば免許保有者1万人当たりの事故率といっても実際に運転している人とペーパードライバーの比率が各年代でどう異なるかデータが示されていない)、高齢者の増加という基本的要因も加味して真剣な議論が展開されることを望みたい。

2024年7月 7日 (日)

KT50 慶應義塾體育会同期会と第100回早慶対抗陸上記念祝賀会

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相変わらずのサスペンダー姿 早慶対抗陸上祝賀会でスピーチする河野太郎大臣

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河野大臣に絡んで大ウケした早稲田OB会長の瀬古利彦氏

武漢ウイルス禍で2020年以来、4年間中止になっていた體育會36部の同期卒業者の会(KT50)が、日吉キャンパスのファカルティラウンジで昨日開催された。この4年間の物故者が19名あったという事だが、地方に住んでいる者も多いなか、大学卒業から50年経っても、総勢330名のうち110名が参加したというから立派な出席率と云える。どうやら皆、この会の再開を心待ちにしていたようで、今回はいつものメンバーに加えて、初出席の顔が多数あったのが目立った。これまで企業の役員などを勤めてきた者、或いは地方の工場などで長らく現場を離れられなかった者などが、やっと70歳を過ぎて任を解かれ出席できるようになったようだ。前後の代の同期会では出席者が少なくなり開催できなくなった世代もあると云うから、我々の学年はとても集まりが良いということになる。卒業当時は、野球や蹴球(ラグビー)などは戦力の谷間とも云える時代で、圧倒的なヒーローがいなかった故に、却って皆の結束が固いのかもしれない。(リンク2019年7月6日:KT50 慶應義塾體育会同期会)

かねてより顔だけは知っていても、なかなか話かけるチャンスがなかった他部の者同士も、「同じ釜のメシを喰った仲間」となるのだろうか、お互い目が合うと、今の現役部員の活躍や共通の友人の話題、合宿所のメシや賄のオバサンなどの昔話などで盛り上がる。70歳をとっくに過ぎてしまえば、もう裃を着ている必要もなくなったという感じであろう。最後に皆で会った5年前と比べて、今回は格段に他部の出席者との距離が縮み、和気藹々とした会場の雰囲気になったことが印象的だった。最近の體育會はラクロスなど新しい競技も増えたし、100名を越す部員を擁する部も多いが、当時は野球部や蹴球部や我が競走部のような大きな部でも部員は60人ほどとあって、同期は各部ともせいぜい10数人程度だった。学園紛争が吹き荒れたあの時代、大方の大学生とは反対に弊衣破帽、デモも勉強もせずスポーツに打ち込む生活をしてきた数少ない仲間とあって、老いて同期の絆は年々強まるようだ。


この日はたまたま昼間に第100回早慶対抗陸上競技会が同じ日吉の陸上競技場で行われ、試合後は学生食堂で記念祝賀会が行われたので、同期会に参加した我々競走部の仲間は、引き続き祝賀会へと両パーティ掛け持ちとなった。対抗試合の方は慶應の主将・豊田君がパリオリンピック準備のため出場を見合わせるなか、早稲田大学は4x200米リレーで日本新記録を出すなど、実力と層の厚さの違いを見せつけて慶應を下したが、夜に行われた祝賀会は、両校部員の他、関係者やOBなどが多数出席して大いに盛りあがった。当日は、陸上の試合中から何やら目つきの鋭い短髪・黒い背広姿の男たちがキャンパスのそこかしこに立っているのを不思議に思っていたら、早稲田大学競走部OBの河野洋平元衆院議長と慶應OBの河野太郎デジタル担当大臣の親子観戦とパーティ出席のために、周囲の警戒にあたるSPであった。


河野太郎氏は祝賀会のスピーチで「 慶應大学の競走部は中退です。でも慶応高校競走部時代に国立競技場で行われた早慶戦のオープン競技の5000米で、瀬古選手と一緒に走りました。後ろから来た瀬古選手にあっと云う間に抜かれたと思ったら、実は私は1周遅れでした」とウケを取ると、やおら早稲田大学競走部のOB会長である瀬古利彦氏がマイクを奪い「あれは1周ではなく、2周か3周遅れです」とまぜ返してワーッと会場が盛り上がる。政治家としての河野親子には許せない部分も多いが、これもいっときのご愛嬌と一応拍手を送っておいた。それにしても高校に続き、大学に入ってたかだか4年間、若い日に運動をやっただけで、70歳を過ぎた今も、同期の皆や世代を超えた早慶の多くの仲間と喜びを共有できるとは何と幸せなことだろう。運動部を卒業して良かったとの思いと、肉体的にも経済的にもそういう境遇を享受できた僥倖に改めて感謝した一日だった。

2024年6月28日 (金)

日々あれこれ

20240628
新橋の飲み会の行き道、寄り道した日比谷公園ではいまユリの花が満開

「70歳を過ぎてウクライナの人と結婚しました。三十歳以上年下の女性です」と会社の同期入社の男からメールの便りが来た。結婚相手は戦乱を逃れて来日したのか、以前から在住している人なのか定かでないが 「お前は生涯独身か」と皆にからかわれていたから人生はわからないものである。そういえば最近は仕事も暇になってみな寂しいのか、次々とお誘いや近況報告の便りが舞い込む。昨日は中学校の男女友達6人の飲み会だったが、幼稚園の時の仲間、高校や運動部の同僚、会社員時代の先輩後輩など、各種集まりの誘いに応じていると、7月もけっこう予定表が埋まって来た。時々今の仕事に関連する付き合いもあって、枯れ木も山の賑わいだが、元気なうちは会合やパーティにはなるべく顔をだすことにしている。


会合と云えば、我々の世代になると、みな時間だけはたっぷりとある。昼飲みだとサラリーマンの迷惑にならないように、午後一時過ぎから開始。夕方の場合は店がオープンする5時きっかりに始め、7時頃には1次会お開き、その後に軽くもう一杯飲むか、あるいはコーヒーなどで、ということが多い。総じてかつての様にバカ呑みしたりせず、ほろ酔い加減で家路につくから、ジジ・ババパワーも世の迷惑にならずに、経済活性化に僅かばかりではあるが貢献していることになる。別れ際には「せっかくだからLINE皆でやろうぜ」「賛成、賛成!」「で、どうやるんだ?」「俺知らないから誰かやって」「俺も」というのがお決まりの会話。そんな場合には子供や孫とLINE連絡を取りあうことが多い女性陣が、「スマホ貸して、私がセットしてあげる」ということで落ち着くが、「俺はまだガラケーだよ」という男性が残っていて一同ずっこけるのがお約束のパターンである。


昨日の読売新聞の「人生案内」には70歳台の歯科医師が、身の廻りのことをすべてやってくれる7歳年下の妻が先に逝ってしまったらと考えると不安でしょうがない、と相談を寄せていた。作家の藤原智美氏の回答は、掃除、洗濯など家事や身の回りのことを一つづつ妻にならって勉強しなさい、とのことである。家事でないが、わが家はスマホ・パソコンの設定からパスワードの管理まで、ネット関係はすべて妻に任せきりで、もし彼女になにかあったら、在宅で引き受けている今の仕事を始め、ネット時代に生きていくのがかなり不便になることは間違いない。この人生案内の男性以上に我々は夫婦の年齢差があるし、ふつうは女性の方が長生きだからまずこんな心配は無用だと思っているのだが、何があるのか分からないのが人生である。「皆同じようなことを心配をしているんだ」と妙に納得しつつも、いまさらネットやスマホの知識を増やす気力もなく、「頼むから先に死なないでくれよ」と、こればかりは下手に出る日々である。

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