カテゴリー「旅行・地域」の記事

2019年1月 2日 (水)

沖縄旅行・にぎわう沖縄の本質

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暮れから正月にかけて沖縄に行ってきた。毎年親族一族の誰かが2月末~3月に行われる東京マラソンの抽選に当たるので、その走りこみ練習を兼ねて正月は南の地方に合宿兼観光旅行を恒例にしているのである。これまでにも宮崎や石垣島、長崎、伊豆大島などで正月を過ごし、昨年はしまなみ街道の今治で元旦を迎えたが、今年は東京マラソンに出る義弟の走力強化の一環として皆での沖縄合宿である。


目的の走る事は”それなり”にこなしつつ、合宿ではご当地を観光して廻ったり、旨いものを食べるのが大きな楽しみだ。という事でレンタカーで島内を廻ってみると、沖縄の道は広く、街道沿いには大きなショッピングモールがあちこちにあって、なんだかハワイやグアムにいるような気がしてくる。驚いたのは大晦日でも街道は車の流れが絶えず、飲食店はどこも賑わっており、今まで毎年、暮れ・正月を過ごした本土の各地とはちょっと年末・年始の風情が違う。


そういえば昨年の今治合宿では、大晦日は夜の町がひっそりと暗く、ご飯をどこで食べられるのかひどく心細かったものだった。反対に沖縄のこの元気さはどこから来るのだろうか。沖縄には幾度か来た事があったが、これまで訪れたのは那覇市内が主だったから、初めてそれ以外の地に触れて、島内総じて活気が充ちているのを実感した。なので「沖縄の県民所得は全国でもかなり低い」「全国の米軍基地の70%以上が沖縄に集まっている」など、ふだんインプットされる当地の悲観的なニュースに、今回の旅で違和感を感じたのである。


それもそのはず、いまや沖縄は「観光・基地・公共事業」の従来型の経済に加えてIT産業も伸び、経済が好調、失業者が減って地価上昇、成長率も高いそうである。目を見張るのは道路事情で、ここでは高速道路に加え都市部の国道は何車線もある立派なものが伸びているし、新しいバイパスも完成しているようだ。また各地のきれいな海辺は大規模な護岸工事で造成されているし、さらに今後は空港の拡張などの公共事業計画も多いと聞く。島内あちこちに米軍関連の地元業者も多く、ショッピングモールでは多くの米軍人や家族が買い物をしている姿も見られて、彼らも経済に貢献していることだろう。


これを見ると、どうやらここでは貧しさや米軍基地問題をサヨクがことさら大きく取り上げ、それを沖縄の2大新聞が煽り、自民党が反対運動の盛り上がりを背景に国から多くの補助金や助成金、税の優遇措置を引っ張ってくるという利権の構図ができているのではなかろうか。「辺野古の自然は貴重で基地反対」とサヨクは騒いでいるが、沖縄ではすでに各地で護岸工事が行われ、多くのきれいなさんご礁の海が埋め立てられているのである。ただ辺野古だけ大反対するのも、騒げば騒ぐほどカネの種になる、という仕組みがあるのだろう。ローラとか云うタレントの「美しい辺野古埋め立て反対」のツイッター騒ぎも、何だか事の本質から外れた頓珍漢な出来事に思われる。


パスポートなしで気軽に国内から行ける南国のリゾート、米軍が展開するのでその経済的貢献の上に国から多くの支援があることなどなど、普段のネガティブなメディアの情報操作とは違う将来性ある地である事が今回の旅で感じられた。このような地理的・地政学的なメリットがあるのだから、これからは税制その他で恩典などをもっと得られる土地にしたらどうなのだろうか。例えば沖縄では現在、観光客だけが得られる関税免税があるが、その他すべて島内で消費される商品も消費税なしにするとか、船舶の船籍地とすれば各種免除を得られる地とするなどが考えられよう。またカボタージュ対象外地区として、国内を周遊する外国籍のクルーズ船が沖縄に寄れば一旦日本国外に出た事と同等にし、韓国など外国に寄港する必要がないようにするなどというアイデアもある。その他、簡単なところではオープンカーのレンタカーを多数用意、カジノ解禁など素人でもいくつかアイデアが出てくる。百聞は一見にしかず、基地反対ばかり報道するメディアからは正しい姿が見えてこないようだ。

2018年12月24日 (月)

JTBの時刻表

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時刻表といえば鉄道弘済会(JR)より交通公社(JTB)版が昔から馴染み

60才台も後半、「大人の休日倶楽部・ジパング」の会員となって、JRの全線で運賃や特急料金などが30%引きで乗れるようになった。一生懸命はたらく現役の人たちに対して、高齢者割引を利用して遊んでばかりいるのもナンだか申し訳ない気もするが、せめてジジ・ババたちは消費活動に協力し景気に貢献する義務があろうと云うものである。という事で、この連休前半は妻と二人で東北地方の温泉に「ジパング」を利用して行ってみようと計画した。寒くなった東北地方の温泉で雪でも見ながら、日本酒で一杯などというのもオツなものだ。


さて、こういうフラッとした旅を考えるには、アナログの時刻表が必要なので久しぶりにJTBの時刻表を買ってみた。ふだん使うネットの「路線情報」はA点からB点への移動には便利なのだが、鉄道やバスの路線図を見つつ、あっちに寄ってみるか、途中下車したら次の列車まで何分あるかなどという気ままな旅のプランニングにはあまり役にたたない。ネットの乗り換え案内で見る旅程が早さを優先した一次元的な情報だとすると、時刻表から得られる情報は二次元的な広がりで、それを眺めているうちに旅のアイデアが膨らんでくる気がする。ゆっくりと時間をかけてフェリーで行こうかなどという時も、まず時刻表を見た方が旅のイメージが早くつかめる。


旅の楽しみの一つである列車の選択も、紙の時刻表で見た方がはるかに便利である。東北新幹線などでは乗りたい列車がE2系なのかE5系なのかが一目瞭然になったし、山陽新幹線でまだ活躍する500系に乗りたいと思ったら、500系「こだま」がやって来る時間もすぐにわかる。なにより時刻表をじっくりと読んでいるとJR線の様々な割引や運賃の特例を発見して、ちょっと得をした気持ちになる。かつて神戸に出張する際には「601キロ以上を同一経路で往復すると運賃が1割引になる」という制度を利用して、会社には新神戸までの正規運賃を請求しながら、東京から西明石までの往復切符を買って車中ビール代を稼いだものだったが、こんな割引も時刻表ならではの発見である。


その他、時刻表には全国の路線図、主な駅の構内案内、私鉄やバス、飛行機・フェリーの時刻からレンタカー、それに駅弁の案内まであるから、これ一冊あれば旅の計画はほぼ完成する。分厚い時刻表をつらつら眺めつつ旅のプランや料金をシュミレーションするのも、学生時代にかえった様でなかなか楽しいものである。「ジパング」の会員なら往復割引などに加え、運賃や特急料金が3割引なのだから遠くに行けば行くほど得した気分になる。これからはせいぜい老人の特典を利用させてもらい国内旅行を楽しもうと思っているので、ネットが普及する前にそうだったようにJTB時刻表を季節ごとに買い換えることになりそうだ。

2018年8月22日 (水)

湘南の風

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クルーズを通じて知り合った友人の湘南のご自宅に夫婦して初めてうかがった。遠足気分でロマンスカーに乗り新宿から約一時間、待ち合わせ場所は小田急の片瀬江の島駅である。こうして江の島に電車で来るなどは何十年ぶりだろうか。行き止まり式のターミナル、竜宮城を模して作ったというレトロな小田急の駅舎に降り立つと、海を目の前になんとなくリゾート気分が盛り上がる。


改札口を一歩出ると、ほほをなでる風が海風でまるでクルーズ船のデッキにいるように心地よい。同じ気温でも都会の真ん中の空気と海辺の空気はこうも違うのだろうか。かつて、このあたりから片道1時間以上かけて東京都心まで通勤していた同僚が何人かおり、毎日ご苦労さまと思っていたが、この空気とこの景色に慣れると、暮らすならこの辺り、という気持ちも判らないでもない。


そういえば江の島のある藤沢市には、「善行」駅そばにある県立スポーツセンターに、若いころは陸上競技の試合でよく来たものだ。また今年の正月には箱根駅伝の学連選抜に選ばれた後輩の根岸君を応援しに藤沢橋まで訪れたばかりである。という事で藤沢というとどうしても陸上競技のイメージが浮かんでしまうのだが、ちょっと海岸の方に来てみると古くからのお屋敷とリゾート地帯とあって同じ市内でも場所によってずいぶんと景色が違うものだ。


海の見える新しいマンションの友人宅で暮れ行く相模湾の景色を堪能し、帰りはこれまた何十年ぶりかで江ノ電に乗ってJR藤沢駅に戻ってみた。夏祭りでもあったのか、車内はゆかた姿の若い子たちでごったかえしていたが、こうしてがったんごっとんとのんびりと電車に揺られるのも良いものだ。最近はどこへ行くのもクルマで行く事が多くなったが、缶ビール片手に電車に揺られる小旅行をもっと頻繁にしてみようと思ったのだった。

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外国人も多かった江ノ電

2018年3月21日 (水)

環状四号線

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環状四号線の建設工事(豊島区・高田付近で神田川を渡る架橋建設工事)

都内の環状道路といえば外側の環状八号線(環八)や、かつて公害や喘息でその名を馳せた環状七号線(環七)が知られているが、その内側にも環状六号線(山手通り)や明治通りと呼ばれる環状五号線がある。明治通りの内側には都内を輪のように横に結ぶ道がないのかと云うと、お堀の周囲をぐるっと廻る内堀通りや日比谷通りが環状一号線であり、その外側の外堀通りや最近やっと開通した虎ノ門から汐留に向かう通称マッカーサー道路などが二号線なのだと云う。


これら都心を巡回する環状道路は、関東大震災の復興計画として当時の内務大臣だった後藤新平が帝都復興院総裁を兼任した際に計画されたそうだ。環状道路を利用するとその便利さが良くわかるが、モータリーぜーションの到来など予想もつかなかった時代に、都市の近代化を図り道路整備計画に熱意を燃やした後藤の慧眼には目を見開かされる。しかし後藤が練った環状道路計画も様々な事情でなかなか完成せず、環七が全通したのは昭和60年、環八にいたって平成18年に全通しているとおりである。


当時考えられた環状三号線は現在の外苑東通り・言問通り・三つ目通りを結ぶ道路であったが、この計画路線は本郷弥生から早稲田鶴巻町までの区間が播磨坂地区を除いて今だに手付かずの状態で、いったいいつ完成するのか不明である。一方、環状四号線の方は外苑西通りや不忍通りなどを結ぶ道路で、こちらの方は現在あちこちで道路の建設・拡幅や用地買収などが行われ、徐々に環状線らしき道路ができる事を周囲に示している。先のオリンピックで環七が出来るなど見違えるほど道路事情が良くなった東京だが、今も環状四号線の建設など、余り人々の目に付かぬ場所で着々と道路の拡幅や新規整備は行われているのである。

環状四号線(新宿区・余丁町付近、これで外苑西通りと不忍通りが将来繋がる予定)
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2018年3月 7日 (水)

山手線 E235系に乗る

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山手線に乗ったらラッキーなことに新型のE235系電車がきた。車内の妻面にある製造者銘板をみると2018年製とあるから走り始めてまだ2カ月未満の車両である。先頭車の顔こそどこか別の場所からとってつけたようで不細工だが、この電車にはいろいろな新機軸が盛り込まれているのが乗車するとすぐわかった。網棚の後ろはデジタル・サイネージとか呼ばれる液晶ディスプレーが並んでいて、走りながらも盛んにCMを車内に流している。もっともこの新アイデアも、大きな荷物を網棚に乗せたら、画面が見えなくなってしまうのではないのかと思われる。


このE235系にはパナソニックの空気清浄機が備え付けてあったり、座席の一人当たりの幅が少し広がったりと工夫がこられされているほか、車体強度の見直しや車内の騒音軽減も図られているそうである。車内の音といえば今回たまたま飛び乗った車両が「サハ」だった事もあって、なおさらジョイントを刻む走行音も軽やかな気がしてきた。そういえば通勤電車のモーターはVVVF制御になって、人間の感性に反してずいぶんうるさくなった。リニアーに音が変化せず変調するかの電車のモーター音を聴くと、技術の進歩によってかえって快適性が損なわれたと思っていた。最近の車両はこのあたりについてはかなり改良されたが、まだまだ通勤電車のモーター音はうるさいものだ。なのでE235系に至って本格的に音対策を実施するというのもうなづける。


ただこの編成は、製造者が新潟にあるJR系の総合車両制作所というのがちょっと白けてしまうところだ。電車に乗るとなにげなく見るのは車端に掲げられた製造者の銘板である。かつて一世を風靡した汽車会社、帝国車両、ナニワ工機、新潟鐵工などもなくなり、今やなんと東急車輛も存在しないところを見ると、車輛製造というのは非常に厳しいビジネスなのだろうと想像できる。最近はどこへ行っても東急車輛から事業を譲渡されたJR系の総合車両製作所の電車ばかりが目につく。かつてのようにメーカーと鉄道会社が特色を出そうと競いあうより、限られたメーカーによる標準化設計でコストダウンが優先されるとは車両製造の世界も世知辛くなったようだ。

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2018年1月19日 (金)

(地形を感じる)駅名の秘密 東京周辺

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首都圏を走る最近の通勤電車は、JRも私鉄も同じような車両ばかりでまことにつまらない。鉄道会社が違ってもやって来るのはJRの標準形式E231系や233系に準拠した電車や、日立のアルミ製A trainをベースにした車両ばかりで、どの路線でもあまり乗り心地が変わらない。かつての東急青ガエル5000系はいうに及ばず、両端制御車が旧型台車だった西武701系、独特のミンデン台車音にレジンブレーキ臭の漂った東武の8000系など、目をつぶっていてもすぐにそれと分かるような電車がなくなってしまった。さらに地下鉄を介した乗り入れによって、「川越で霧が発生したから東横線の電車が遅れます」などと云うアナウンスを聞いていると、鉄道のありようも以前とはずいぶん違ってきたと寂しく感じるのである。


そうはいっても鉄道に関する趣味はさまざまで、数ある楽しみの一つに各線の歴史やその発展史を調べるという分野もある。そんな沿線史の視点から書かれた内田宗治著「(地形を感じる)駅名の秘密東京周辺」 (じっぴコンパクト新書)を読んでみると、駅の名前の付け方一つにしても関東・関西ではかなり違う上、鉄道会社によって命名のしかたに独自性がある事がわかり、駅名に関する文化史的側面に「なるほど!」と興味をそそられる。内田氏といえば「東京の街の秘密50」でアップしたとおりだが、この本も地勢や歴史に関する綿密な調べを基調に、現存する駅名について著者独自の見解が披露される。JR線の「西日暮里」駅は「道灌山」駅にすべしと云う提案には「その通り」と唸りたくなるし、「京急品川」の南にある駅がなぜ「北品川」なのかと云う積年の疑問が本書で氷解したりする。


そのほかJR線は、渋谷・鶯谷・四谷・市ヶ谷など「谷」を駅名にするのが好きな一方、山や丘がつく駅名がひどく少ない事などを本書は教えてくれる。これに対して私鉄では○○山、△△ケ丘や××台などと名づけられた駅が数多いのだが、これは不動産開発に関連するほか、山や丘に対する親和性が旧国鉄と私鉄では違うという著者の論旨展開も面白い。この本を読むと駅名一つにしても様々な地誌や文化が背景にある事がわかり、これから電車に乗る際には、沿線の駅名についてあれこれ考察をいれたくなってきた。さて本書で思い出したのが、昭和40年~50年代に開業した東急田園都市線である。ここでは僅かな距離の間に、宮崎台・宮前平・たまプラーザ・藤が丘・青葉台・つくし野・すずかけ台・つきみ野と著者がいみじくも分類したような”首都圏の私鉄らしい”平凡な駅名が並ぶ。電車が通る前は山林か田園地帯だっただろうが、もう少し歴史を感じさせるひねった駅名にして欲しかったと、今でもこの線に乗る度に思うのである。

2018年1月10日 (水)

2018年正月・しまなみ街道合宿

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毎年、東京マラソンや大阪マラソンなどに誰かが出るため、正月となると義理の妹の一家と走り込みの合宿に行く。走るのなら都内でもよいのだが、働き盛りの彼らはふだん国内旅行に出かける様なまとまった休みも少なく、どこか知らない土地へ行って観光かたがたジョギングを楽しみたいという。という事でここ数年、石垣島や伊豆大島、また長崎の五島列島などで正月を過ごしてきたのだが、さて今年はどうするのかと思っていたら、”しまなみ海道”に行きたいと言う。こちらは仕事で何十回もしまなみ海道を通っており、ちょっと新鮮味に欠けるものの、いつもと違って一族で行くのも気分が変わるし、観光案内もできて身内の間でちょっと鼻も高くなる。という事で、今年もまた義妹一家と暮れ~正月は、四国・愛媛の今治に行くことにした。


大晦日は今治市での年越しとなったが、町の中心にあるホテルといえども、その周囲は暗く人通りも少ない。クルマで乗り付けるような街道沿いのお店やレストランは繁盛しても、かつてデパートなどがあった旧市街の真ん中は人通りが絶えているのは、日本全国どこへ行っても見られる光景である。2017年の最後はどこか近所の割烹にでも行って、お魚を食べようかなどと話していたら、やはり町なかではほとんどのお店が暮れは営業していなかった。もっともホテルの日本料理店は大勢入った団体客たちの食事が8時になると一斉に終了するというので、彼らの後にホテルで遅めの夕食をとって除夜の鐘を聞くことにした。東京都内と違って、暗く人通りの絶えた今治の町に鐘の音が響き渡るのは、それはそれで風情があって良いものだった。


一月一日はこの合宿のメイン・イベント、来島海峡大橋の走り初めである。自転車でしまなみ街道を駆け抜ける人は多いらしいが、自分の足で走って渡るためにわざわざ他所から来る人はそういないそうで、ホテルの従業員もごくろうさんという目で我々一行を見送ってくれる。ホテルから四国側の橋の取り付け部までが約7キロ強、そこから第三・第二・第一と連なる3つの長大な来島海峡大橋部分が4キロ、渡り終えた大島側の橋の取り付け道路やゴールの下田水(しただみ)までの道を含めて約15キロの距離である。マラソンの走り込みにしてはやや短いものの、元旦は天気も良く心配だった風も吹かずに観光気分ルンルンの走りであった。ただ海面上65米のつり橋の上から来島海峡を見ると、眼下の潮は激しく渦を巻き、橋マニアの妻は海面をのぞき込み写真を撮るのに余念ないかたわら、高所恐怖症気味の私は足の裏がなにやらムズムズしてくる。そのおかげで、一挙に橋を駆け抜けて、短くとも練習の成果は却ってあがったようであった。

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海面上65m超のうず潮

2017年12月 5日 (火)

皇居 乾通り 一般公開

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12月2日(土)から10 日(日)にかけて、普段は入れない皇居の乾通りが、朝の10時~午後2時半の間一般に公開されている。宮内庁ホームページによると平成26年の天皇陛下傘寿を記念して乾通りを公開したところ好評だったため、以後、春の桜と秋の紅葉の時期に公開されていると云う。途中、開催されないシーズンがあったものの今回で5回目の公開となるそうで、この時期は我ら皇居ランナーたちは、押し寄せる人波によって周辺の通行規制が行われるために走るのが難しくなる。それなら今度はこちらが見学せねばと、小春日和の今日は、会社の昼休みを利用して乾通りに行ってみた。


皇居前広場に向かう道は、平日とあってそれほどすごい人出はないものの、ふと見れば周囲は元気な老人でいっぱいで、さながら日本の社会を象徴しているかのようだ。といってもこちらも国の基準ではその高齢者になるから、近辺の丸の内や大手町あたりで働いている若者から見れば同じ部類なのかもしれないが。隊列に従って入口になる坂下門に向けぞろぞろと歩いて行くと、周囲には警察犬も配置されてものものしい警戒体制である。アメリカの空港並みに警備厳重な荷物検査やボディチェックを受けてやっと坂下門をくぐると、そこからは普段は入れない聖地に来た様な気がして何やらわくわくしてきた。


坂下門を入ってすぐに見えてくるのが先の皇室会議でニュースに盛んに登場した宮内庁であった。そのすぐ左が正月の一般参賀でおなじみの長和殿で、この辺りからふと後ろを振り返ると東京駅周辺の高層ビル群がにょっきりと木々の上から姿をのぞかせている。ついこの前までは皇居を見おろす建物は不敬という事で、丸の内のビル街が9階建てになっていたものだが、たしかにまだ建て替えられていない帝劇ビルなどはこちらからよく見えない。なるほどあの高さ規制は往時として意味あるものだったのかと、ここに来てみて初めて判った気がしてきた。


左に吹上御苑、右手に蓮池堀や皇居東御苑の石垣を見つつ、皇居を貫く乾通りをそぞろ歩くと、紅葉した多くの木々のほかに冬に咲く桜なども見る事ができる。東京のど真ん中とは思えぬ景色を堪能しつつ、太田道灌が江戸に城を築く際に堀ったといわれる道灌堀などを見て歩くうち、あっという間に出口である乾門についてしまった。距離にして僅か1キロたらずの見学だから、正直言えば大きな期待に反してちょっと短すぎてあっけなっかたというのが感想である。それでも皇居の周囲をいつもグルグル走っていながら垣間見る事もできなかった「近くて異次元なワールド」に初めて踏み入れることができて、皇居への親近感もより強まった気がしたのだった。

道灌堀
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2017年11月22日 (水)

川と掘割・江戸東京歴史散歩

父親の転勤で西日本に住んだ時と自分の海外勤務を除いて、まる60年間東京で暮らしてきた。この間に東京も随分と変わったが、やはり”ふるさと東京”だと思うと、町の歴史や成り立ちを知りたくなってくる。という事で、先に「東京の街の秘密50」などでアップしたとおり、最近は東京の歴史や地誌について書かれた本を読む事が多くなった。今回はPHP新書から出たばかりの「川と掘割”20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩」という本をとても楽しく読んだ。筆者の岡本哲志氏は、NHK「ブラタモリ」に町の案内人として7回も登場した東京のエキスパートである。


ちょっと振り返れば、先の東京オリンピックを契機として作られた首都高が日本橋川や築地川、古川などを覆ってしまうまでは、東京の都心はもっと水辺が広がっていたものだった。さかのぼれば徳川時代は、いくつもの台地が入り江や低湿地に切れ込む場所であった江戸の町造りのために、水のコントロールとその有効利用が幕府の大きな課題だったのである。玉川上水の開設や神田駿河台の堀削、そして本書で展開される江戸市中を縦横に網羅した堀や運河、河川の建設をみるにつけ当時の土木具術水準の高さにあらためて驚くとともに、都市計画にかける幕府の思いが伝わってくる気がする。


さて、この本を読んでさっそく気になっていた日本橋堀留町あたりを昼休みに散策してみた。堀や運河もないのになぜこのあたりが堀留町というのか、実は以前からちょっと気になっていたのである。本を読んで目からウロコ、ここにはかつて東西二本の堀があり、日本橋川の舟運を利用した荷物の揚げ場として賑わっていた事がわかった。こうした水辺が大火や震災、空襲のたびに埋めたてられ、最後は物流の変化によって消えていったのが東京の水辺の歴史でもある。この種の本を読むと、これまで何気なく通行していた場所が以前はまったく違う情景であった事を知り驚く事が多い。そこを通りかかるほとんどの人が知らない地誌や歴史を、自分だけが知っているという密かな悦びが沸き起こるのである。

日本橋の堀留公園。 何気ない公園だが、かつてここに運河があった事を知る人は少ない。
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2017年7月30日 (日)

ANA SFCマイル修行(9) 解脱編

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JGCカード(左)とANA SFCカード(右)

約45万円の費用と3ヶ月の月日を費やして行ったANA SUPER FLYERS CARD修行も6月末に終わり、7月に入ってからいよいよカードの申し込みなど諸手続きを行った。といっても今回の修行にあたり普通のANAのクレジットカードはすでに取得しているため、SFCカードへの切り替えも何ら問題がなかったようだ。2週間ほどで待望のANA SFCカードが家族会員である妻のカードと2枚、手元に郵送されてきた。


これによって、このさき国内外のANAやスターアライアンスメンバーの空港ラウンジが利用でき、搭乗前にゆったりとただで酒が飲める事になった。その他、優先チェックインカウンター、専用保安検査場の利用や優先搭乗、手荷物の優先受け取りなどの特典を受けられるそうで、要はJAL GLOBAL CLUB(JGC)でこれまで利用してきたのと同じ様なサービスをANAでも享受できるらしい。


と偉そうに書いたが、実は私はこういう類の特典やら資格に疎い人間である。今回SFCを取得する為の企画と費用負担はすべて妻によるもので、私はただ物理的に空港に体を運び、予約されたフライトに乗っただけの話である。かつて出張族だった頃、ひたすら溜まる余ったマイルを前に、JGC会員にならないと損だとの情報をどこからか仕入れ、手続きを進めたのも妻だった。案の定60歳を過ぎ契約社員になってから出張はほとんど無く、プライベート旅行でJALに乗るたびに、JGC入会手続きをして良かったと思っていたところだ。


さて会社員生活も卒業となり、今後より自由旅行をする時間が増える事だろう。私は観光地に行っても教会や寺院にはほとんど興味がないから、その分早くラウンジに行って酒でも飲んでた方が良い、と考える怠惰な旅行者である。空港でのフライト乗り継ぎも、少々長くなってもこれでより快適に過ごせるに違いない。これからは国内はもとより海外でも、行き先や乗り継ぎをそれほど気にせず、より安い便を自由に選べる事ができるような気がしてきた。JAL(またONE WORLD便)でもANA(STAR ALLIANCE便)でも、どんと来い、だ。

さて、次はシニア(65歳以上)専用のJRカード、「大人の休日倶楽部ジパング」でも申し込むか。

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