カテゴリー「旅行・地域」の記事

2020年3月27日 (金)

連休 奈良・飛鳥訪問 (3)

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西の京駅

今回は楽しみにしていた2020年飛鳥の世界一周クルーズが中止となり、代わりのクルーズ旅行もすべて催行されず、それではと奈良にやって来たわけだ。せっかく奈良まで来たからには飛鳥にも足を延ばそう、という事で唐招提寺・薬師寺の後は近鉄橿原線で西ノ京駅から橿原神宮前駅に向かった。「飛鳥が駄目なら飛鳥に行こう」である。それにしても「西の京」駅を通る近鉄樫原線の路線図を眺めていると「尼ケ辻」「畝傍御陵前」などいかにも古都らしい駅名がならび、この沿線の歴史を感じさせてくれる。奈良から飛鳥に向かって並走するJR桜井線にも「京終(きょうばて)」「帯解(おびとけ)」「巻向(まきむく)」など味がある駅名があって旅心がくすぐられる。やたらに○○平やらXX台、△△丘などとってつけたような駅名が多い関東に住んでいると、案内標識の駅名を見ただけで由緒ある地にいるのだと実感させられる。


やってきた樫原神宮前行きの近鉄電車は通勤車輛の主力8000系で、例によってかぶりつきに陣取って大和路を南下する運転台の様子を楽しむ。みるとこの車両は東京近郊では少なくなってきたブレーキハンドルとマスコンの旧来の2丁ハンドルで、アナログな計器やスイッチが運転台に並んでいる。駅進入の際は比較的早くから減速してゆっくりと停止位置に向かうが「プシュー、プシュー」とブレーキハンドルを細かく操作する制動は、ワンハンドルが主流になった関東の幹線ではあまり見かけなくなった光景である。日本全国、地方や鉄道会社によって少しづつ運転方法や標識が異なるのだが、それを体験・見学するのも旅の楽しみだといえよう。関西のJR西日本の電車に乗ると感じるのが、女性の英語車内放送の"STATION NUMBER"のNUMBERの部分に疑問符が続くような、シンガポール英語のようなアクセントが少しあることだ。乗り換え案内の車内放送で喋る"TRANSFER"のERにもややシングリッシュなまりがあって、新幹線から関西のJR電車に乗り換え英語の車内放送を聞くたびにいつも妻と二人「関西に来たね」と思わず視線を交わしてしまう。


こうして訪れた飛鳥である。樫原神宮前駅で自転車を借りて甘樫の丘、石舞台、高松塚古墳など計15キロほどを半日かけてめぐり、最終日は日本最古の神社の一つと云われる大神(おおみわ)神社にお参りしたのち、山の辺の道の一部を桜井市まで歩いてきた。晴天に恵まれたうえ「大人の休日倶楽部・ジパング」で東京・奈良の往復が二人で4万円ちょっと、奈良駅前のネット予約でとったホテルは2人で2泊14,000円、貸自転車やら拝観料、駅弁など入れても2人で6万円そこそこの旅であった。あちこちの土産物店やレストランで「商売はどうですか?」と尋ねると、いちように「一時は死んだようになっていましたが、この三連休で少し人が出てきてくれて、ちょっとホっとしているところです」との答え。武漢ウイルスのため今回はどこに行ってもゆっくり楽しめたが、またいつの日か、平城宮の再建工事が進んだら来てみたい場所である。「大和はくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」

甘樫丘から見る耳成山(左)と香久山(右)
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2020年3月25日 (水)

連休 奈良・飛鳥訪問(2)

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復元された平城宮朱雀門

妻の希望で当地名産の大和牛を食べ満足した翌朝も、起きると奈良の上空には青空が広がっていた。朝食前に日課のジョギングを済ませようと、ホテルから距離的に適当と思われる平城宮跡まで走って行くことにした。平城宮は奈良時代の国の都であった平城京の最北部に位置する東西・南北およそ1キロほどの一画で、大垣で仕切られて庶民が行き交う町とは区別されていたとされる。その中には政治や儀式を司る役所や天皇の住まいがあったと云うから、今でいえば霞が関と皇居が一体になったような場所である。平城宮は都が京に移った後は埋もれてしまい長い間田畑になっていたが、そこを国営公園としてかつてのように復元するプロジェクトが進行中である。


ここではすでに平城宮の入り口にあたる朱雀門や政治・儀式の場である大極殿の壮大な建物が復元され、整備中の広大な公園を突き切って近鉄奈良線の電車が走っている。かつて修学旅行に来た際にはまだ始まっていなかった工事で、東京にいるとこのようなロマンあふれる大プロジェクトが奈良で進んでいることなど知る由もなかった。発掘調査が一部で行われている公園の整備予定地を、名阪間で運転を始めたばかりの近鉄の新型特急「ひのとり」が奈良線の試運転列車として通過して行ったが、奈良の古都と朝日に映える最新鋭の車両のコントラストが印象的であった。


朝食をとった後はバスを使って西の京、唐招提寺や薬師寺にお参りする。このあたり周囲はたおやかな山に囲まれ流れる川はせせらぎ、穏やかな春の日差しに寺の照葉樹林も活き活きとして見える。東大寺や興福寺など奈良市中の大伽藍に比べると、どこもお参りする人たちの数が適度に減り、薫風の下、「あおによし奈良の都は咲く花の」という歌が自然に脳裏に浮かんでくる。唐招提寺の鑑真大和上のお墓に詣でると、なぜこんなに立派な高僧を生んだ当時の先進国が、王朝や君主が変わり没落していったのか、中国や朝鮮半島国家の覇権争いや政権交代の過酷な歴史と、それらと一歩も二歩も距離をおけた我が国の歴史的行幸に思いを馳せるのである。旅は良いものだ。

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奈良線試運転で平城宮跡を快走する近鉄の新型特急ひのとり

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唐招提寺

2020年3月24日 (火)

連休 奈良・飛鳥訪問(1)

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鹿と興福寺

飛鳥Ⅱの2020世界一周も中止、ほかのクルーズも皆催行中止となって寂しい春となってしまった。しかたなく春分の日3連休は、「大人の休日倶楽部ジパング」を利用し、3割引きの新幹線「ひかり」で、かねてから行きたかった奈良や飛鳥を楽しむことにした。「大人の休日倶楽部ジパング」では「のぞみ」に乗車できないが、時間的には「のぞみ」に対し「ひかり」に乗っても東京―京都間でわずか30分しか到達時間が違わない。また外国人旅行者用のジャパン・レイル・パスも「のぞみ」に乗れないため、ふだんは外国人で混み合う「ひかり」も今ならゆったりと利用できる。連休中の奈良の天気が晴天であることを見極められるぎりぎりである出発前日まで待っても、ホテルの予約が簡単にとれたのも正に武漢ウィルス騒動でどこも空いているおかげであった。


奈良訪問といえば中学の修学旅行以来、50数年ぶりだが、新幹線で京都駅についた後、奈良までの列車について時刻表検索をすると、すべてJR奈良線を利用する表示が出るのに困惑した。私が神戸に住んでいた前回の東京オリンピックの頃は、京阪神間の移動は不便な旧国鉄ではなく阪神・阪急や京阪電車を使うのが普通で、奈良も大阪や京都から近鉄電車で行くものだった。奈良線などと云うとディーゼル車が単線をトコトコ走るローカル線のイメージで、運転本数も少ないし時間もかかって不便だろうと思い込んでいたのだが、JRになってからの関西アーバンネットワークはまさに隔世の感ありだ。今では221系電車を使った「みやこ路快速」なる列車が京都‐奈良間を45分で結び、西大寺で乗り換えが必要な近鉄電車よりも便利。しかもネットで予約できる新しいホテルは、近鉄奈良駅の近辺よりJR奈良駅の周囲に多く、なおさらJR奈良線利用が便利になった。おそるべしJR!。


という事で初めて乗った奈良線「みやこ路快速」で連休初日の快晴の下、ごく快適に奈良の町に到着した。まず訪れた東大寺や興福寺などは「ひので」号で来た中学の修学旅行で確かに見物しているのだが、当時の思い出といったら好きな女の子と観光バスで横に座るれるかとか、今晩は雑魚寝の大部屋でどうやって騒ごうかなどといった事ばかり。改めて大人の視点で奈良の大伽藍や春日大社を巡ると、仏教が伝来した意味、律令体制下の仏教と国家の庇護、大陸や朝鮮半島との関わり、日本独自の仏教の発展、神道との距離感や混淆など、いまのわが国の在り方を考えるきっかけが多々得られそうだ。もっとも出発前に関西出身の知人から「いま外人観光客が来ず鹿せんべいやりが少なくなり、腹をすかした鹿たちが怖いから気をつけて」と言われた通り、妻が鹿せんべいを手にしたら、はやる鹿の群れに尻や足を噛まれ半べそになっていた。これはこれで今ならではの良き思い出となろう。

2019年6月14日 (金)

「千年松」・瀬戸内海国立公園は日本一

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宿から望む今治の町

今治市から来島海峡を挟んだ対岸、大島にある「千年松」という旅館に今年も行った。「千年松」はなんでも樹齢千年もあろうという大松が、昭和30年ころまでこの海岸べりにあったことからその名がついたという。残念ながらその老松はすでに立ち枯れてしまったが、ここでは来島海峡を行き来する大小さまざまな船舶やうず潮の流れ、さらに対岸の今治市街の灯火を眺めながら地場の魚料理を食べ露天風呂に浸ることができる。ここ「千年松」で毎年初夏、今治のある船主さん主催によって、東京の船会社数社の若手有志や、造船所、海運ブローカーなどが集まり「千年松」の会という親睦会が行われている。私は若手ではないものの、なぜか長老として毎年この会に出席させてもらっている。

梅雨入り宣言が出されたにもかかわらず、「千年松の会」が開かれた先週末は瀬戸内地方は良い天気に恵まれた。広島空港や新幹線、松山空港などから三々五々、参加者はレンタカーを利用し「しまなみ海道」を経て集合、最近の海運・造船業界の「本当」の話やらゴシップ話で深夜まで大いに盛り上がった。翌日は大島の下田水港(しただみ)で、海鮮バーベキューを堪能してお開きになったが、その前にせっかくの梅雨の晴れ間の好天とあって、瀬戸内海を一望できる大島の「亀老山」展望台まで皆でドライブした。青空の下、「亀老山」より眺める瀬戸内海はまさに絶景で、いつまでもその景色を眺めていたくなるほどだった。

こうして年に数回、瀬戸内を訪れるのだが、私にとってはここは日本で一番景色の良い場所だと思っている。瀬戸内海は、昭和9年に霧島や雲仙と共に日本で初の国立公園として指定された場所である。国立公園としては「陸地だけ」だと6千ha余で、日本の国立公園としては中くらいの規模らしいが、東は淡路島から西は関門海峡や豊予海峡まで、はるかに続く多島美のスケールは素晴らしいの一言である。もっともこの間の海域を含めると瀬戸内海の総面積は約2万haとなるから、実質的な規模では日本一の国立公園であろう。その美しい海に加え、太古の昔から交通の要衝として栄えた歴史ある港町や城下町が散在、最近では日本の産業を支える諸工業地帯、それらを結ぶ連絡船や架橋などを見ることができる。日本に多くの国立公園や名所・旧跡はあれど、自然の美しさと人々の営みが調和している地域となると瀬戸内が日本一だと確信している。
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隈研吾が設計した亀老山展望台から眺める来島海峡の絶景

2019年1月 2日 (水)

沖縄旅行・にぎわう沖縄の本質

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暮れから正月にかけて沖縄に行ってきた。毎年親族一族の誰かが2月末~3月に行われる東京マラソンの抽選に当たるので、その走りこみ練習を兼ねて正月は南の地方に合宿兼観光旅行を恒例にしているのである。これまでにも宮崎や石垣島、長崎、伊豆大島などで正月を過ごし、昨年はしまなみ街道の今治で元旦を迎えたが、今年は東京マラソンに出る義弟の走力強化の一環として皆での沖縄合宿である。


目的の走る事は”それなり”にこなしつつ、合宿ではご当地を観光して廻ったり、旨いものを食べるのが大きな楽しみだ。という事でレンタカーで島内を廻ってみると、沖縄の道は広く、街道沿いには大きなショッピングモールがあちこちにあって、なんだかハワイやグアムにいるような気がしてくる。驚いたのは大晦日でも街道は車の流れが絶えず、飲食店はどこも賑わっており、今まで毎年、暮れ・正月を過ごした本土の各地とはちょっと年末・年始の風情が違う。


そういえば昨年の今治合宿では、大晦日は夜の町がひっそりと暗く、ご飯をどこで食べられるのかひどく心細かったものだった。反対に沖縄のこの元気さはどこから来るのだろうか。沖縄には幾度か来た事があったが、これまで訪れたのは那覇市内が主だったから、初めてそれ以外の地に触れて、島内総じて活気が充ちているのを実感した。なので「沖縄の県民所得は全国でもかなり低い」「全国の米軍基地の70%以上が沖縄に集まっている」など、ふだんインプットされる当地の悲観的なニュースに、今回の旅で違和感を感じたのである。


それもそのはず、いまや沖縄は「観光・基地・公共事業」の従来型の経済に加えてIT産業も伸び、経済が好調、失業者が減って地価上昇、成長率も高いそうである。目を見張るのは道路事情で、ここでは高速道路に加え都市部の国道は何車線もある立派なものが伸びているし、新しいバイパスも完成しているようだ。また各地のきれいな海辺は大規模な護岸工事で造成されているし、さらに今後は空港の拡張などの公共事業計画も多いと聞く。島内あちこちに米軍関連の地元業者も多く、ショッピングモールでは多くの米軍人や家族が買い物をしている姿も見られて、彼らも経済に貢献していることだろう。


これを見ると、どうやらここでは貧しさや米軍基地問題をサヨクがことさら大きく取り上げ、それを沖縄の2大新聞が煽り、自民党が反対運動の盛り上がりを背景に国から多くの補助金や助成金、税の優遇措置を引っ張ってくるという利権の構図ができているのではなかろうか。「辺野古の自然は貴重で基地反対」とサヨクは騒いでいるが、沖縄ではすでに各地で護岸工事が行われ、多くのきれいなさんご礁の海が埋め立てられているのである。ただ辺野古だけ大反対するのも、騒げば騒ぐほどカネの種になる、という仕組みがあるのだろう。ローラとか云うタレントの「美しい辺野古埋め立て反対」のツイッター騒ぎも、何だか事の本質から外れた頓珍漢な出来事に思われる。


パスポートなしで気軽に国内から行ける南国のリゾート、米軍が展開するのでその経済的貢献の上に国から多くの支援があることなどなど、普段のネガティブなメディアの情報操作とは違う将来性ある地である事が今回の旅で感じられた。このような地理的・地政学的なメリットがあるのだから、これからは税制その他で恩典などをもっと得られる土地にしたらどうなのだろうか。例えば沖縄では現在、観光客だけが得られる関税免税があるが、その他すべて島内で消費される商品も消費税なしにするとか、船舶の船籍地とすれば各種免除を得られる地とするなどが考えられよう。またカボタージュ対象外地区として、国内を周遊する外国籍のクルーズ船が沖縄に寄れば一旦日本国外に出た事と同等にし、韓国など外国に寄港する必要がないようにするなどというアイデアもある。その他、簡単なところではオープンカーのレンタカーを多数用意、カジノ解禁など素人でもいくつかアイデアが出てくる。百聞は一見にしかず、基地反対ばかり報道するメディアからは正しい姿が見えてこないようだ。

2018年12月24日 (月)

JTBの時刻表

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時刻表といえば鉄道弘済会(JR)より交通公社(JTB)版が昔から馴染み

60才台も後半、「大人の休日倶楽部・ジパング」の会員となって、JRの全線で運賃や特急料金などが30%引きで乗れるようになった。一生懸命はたらく現役の人たちに対して、高齢者割引を利用して遊んでばかりいるのもナンだか申し訳ない気もするが、せめてジジ・ババたちは消費活動に協力し景気に貢献する義務があろうと云うものである。という事で、この連休前半は妻と二人で東北地方の温泉に「ジパング」を利用して行ってみようと計画した。寒くなった東北地方の温泉で雪でも見ながら、日本酒で一杯などというのもオツなものだ。


さて、こういうフラッとした旅を考えるには、アナログの時刻表が必要なので久しぶりにJTBの時刻表を買ってみた。ふだん使うネットの「路線情報」はA点からB点への移動には便利なのだが、鉄道やバスの路線図を見つつ、あっちに寄ってみるか、途中下車したら次の列車まで何分あるかなどという気ままな旅のプランニングにはあまり役にたたない。ネットの乗り換え案内で見る旅程が早さを優先した一次元的な情報だとすると、時刻表から得られる情報は二次元的な広がりで、それを眺めているうちに旅のアイデアが膨らんでくる気がする。ゆっくりと時間をかけてフェリーで行こうかなどという時も、まず時刻表を見た方が旅のイメージが早くつかめる。


旅の楽しみの一つである列車の選択も、紙の時刻表で見た方がはるかに便利である。東北新幹線などでは乗りたい列車がE2系なのかE5系なのかが一目瞭然になったし、山陽新幹線でまだ活躍する500系に乗りたいと思ったら、500系「こだま」がやって来る時間もすぐにわかる。なにより時刻表をじっくりと読んでいるとJR線の様々な割引や運賃の特例を発見して、ちょっと得をした気持ちになる。かつて神戸に出張する際には「601キロ以上を同一経路で往復すると運賃が1割引になる」という制度を利用して、会社には新神戸までの正規運賃を請求しながら、東京から西明石までの往復切符を買って車中ビール代を稼いだものだったが、こんな割引も時刻表ならではの発見である。


その他、時刻表には全国の路線図、主な駅の構内案内、私鉄やバス、飛行機・フェリーの時刻からレンタカー、それに駅弁の案内まであるから、これ一冊あれば旅の計画はほぼ完成する。分厚い時刻表をつらつら眺めつつ旅のプランや料金をシュミレーションするのも、学生時代にかえった様でなかなか楽しいものである。「ジパング」の会員なら往復割引などに加え、運賃や特急料金が3割引なのだから遠くに行けば行くほど得した気分になる。これからはせいぜい老人の特典を利用させてもらい国内旅行を楽しもうと思っているので、ネットが普及する前にそうだったようにJTB時刻表を季節ごとに買い換えることになりそうだ。

2018年8月22日 (水)

湘南の風

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クルーズを通じて知り合った友人の湘南のご自宅に夫婦して初めてうかがった。遠足気分でロマンスカーに乗り新宿から約一時間、待ち合わせ場所は小田急の片瀬江の島駅である。こうして江の島に電車で来るなどは何十年ぶりだろうか。行き止まり式のターミナル、竜宮城を模して作ったというレトロな小田急の駅舎に降り立つと、海を目の前になんとなくリゾート気分が盛り上がる。


改札口を一歩出ると、ほほをなでる風が海風でまるでクルーズ船のデッキにいるように心地よい。同じ気温でも都会の真ん中の空気と海辺の空気はこうも違うのだろうか。かつて、このあたりから片道1時間以上かけて東京都心まで通勤していた同僚が何人かおり、毎日ご苦労さまと思っていたが、この空気とこの景色に慣れると、暮らすならこの辺り、という気持ちも判らないでもない。


そういえば江の島のある藤沢市には、「善行」駅そばにある県立スポーツセンターに、若いころは陸上競技の試合でよく来たものだ。また今年の正月には箱根駅伝の学連選抜に選ばれた後輩の根岸君を応援しに藤沢橋まで訪れたばかりである。という事で藤沢というとどうしても陸上競技のイメージが浮かんでしまうのだが、ちょっと海岸の方に来てみると古くからのお屋敷とリゾート地帯とあって同じ市内でも場所によってずいぶんと景色が違うものだ。


海の見える新しいマンションの友人宅で暮れ行く相模湾の景色を堪能し、帰りはこれまた何十年ぶりかで江ノ電に乗ってJR藤沢駅に戻ってみた。夏祭りでもあったのか、車内はゆかた姿の若い子たちでごったかえしていたが、こうしてがったんごっとんとのんびりと電車に揺られるのも良いものだ。最近はどこへ行くのもクルマで行く事が多くなったが、缶ビール片手に電車に揺られる小旅行をもっと頻繁にしてみようと思ったのだった。

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外国人も多かった江ノ電

2018年3月21日 (水)

環状四号線

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環状四号線の建設工事(豊島区・高田付近で神田川を渡る架橋建設工事)

都内の環状道路といえば外側の環状八号線(環八)や、かつて公害や喘息でその名を馳せた環状七号線(環七)が知られているが、その内側にも環状六号線(山手通り)や明治通りと呼ばれる環状五号線がある。明治通りの内側には都内を輪のように横に結ぶ道がないのかと云うと、お堀の周囲をぐるっと廻る内堀通りや日比谷通りが環状一号線であり、その外側の外堀通りや最近やっと開通した虎ノ門から汐留に向かう通称マッカーサー道路などが二号線なのだと云う。


これら都心を巡回する環状道路は、関東大震災の復興計画として当時の内務大臣だった後藤新平が帝都復興院総裁を兼任した際に計画されたそうだ。環状道路を利用するとその便利さが良くわかるが、モータリーぜーションの到来など予想もつかなかった時代に、都市の近代化を図り道路整備計画に熱意を燃やした後藤の慧眼には目を見開かされる。しかし後藤が練った環状道路計画も様々な事情でなかなか完成せず、環七が全通したのは昭和60年、環八にいたって平成18年に全通しているとおりである。


当時考えられた環状三号線は現在の外苑東通り・言問通り・三つ目通りを結ぶ道路であったが、この計画路線は本郷弥生から早稲田鶴巻町までの区間が播磨坂地区を除いて今だに手付かずの状態で、いったいいつ完成するのか不明である。一方、環状四号線の方は外苑西通りや不忍通りなどを結ぶ道路で、こちらの方は現在あちこちで道路の建設・拡幅や用地買収などが行われ、徐々に環状線らしき道路ができる事を周囲に示している。先のオリンピックで環七が出来るなど見違えるほど道路事情が良くなった東京だが、今も環状四号線の建設など、余り人々の目に付かぬ場所で着々と道路の拡幅や新規整備は行われているのである。

環状四号線(新宿区・余丁町付近、これで外苑西通りと不忍通りが将来繋がる予定)
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2018年3月 7日 (水)

山手線 E235系に乗る

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山手線に乗ったらラッキーなことに新型のE235系電車がきた。車内の妻面にある製造者銘板をみると2018年製とあるから走り始めてまだ2カ月未満の車両である。先頭車の顔こそどこか別の場所からとってつけたようで不細工だが、この電車にはいろいろな新機軸が盛り込まれているのが乗車するとすぐわかった。網棚の後ろはデジタル・サイネージとか呼ばれる液晶ディスプレーが並んでいて、走りながらも盛んにCMを車内に流している。もっともこの新アイデアも、大きな荷物を網棚に乗せたら、画面が見えなくなってしまうのではないのかと思われる。


このE235系にはパナソニックの空気清浄機が備え付けてあったり、座席の一人当たりの幅が少し広がったりと工夫がこられされているほか、車体強度の見直しや車内の騒音軽減も図られているそうである。車内の音といえば今回たまたま飛び乗った車両が「サハ」だった事もあって、なおさらジョイントを刻む走行音も軽やかな気がしてきた。そういえば通勤電車のモーターはVVVF制御になって、人間の感性に反してずいぶんうるさくなった。リニアーに音が変化せず変調するかの電車のモーター音を聴くと、技術の進歩によってかえって快適性が損なわれたと思っていた。最近の車両はこのあたりについてはかなり改良されたが、まだまだ通勤電車のモーター音はうるさいものだ。なのでE235系に至って本格的に音対策を実施するというのもうなづける。


ただこの編成は、製造者が新潟にあるJR系の総合車両制作所というのがちょっと白けてしまうところだ。電車に乗るとなにげなく見るのは車端に掲げられた製造者の銘板である。かつて一世を風靡した汽車会社、帝国車両、ナニワ工機、新潟鐵工などもなくなり、今やなんと東急車輛も存在しないところを見ると、車輛製造というのは非常に厳しいビジネスなのだろうと想像できる。最近はどこへ行っても東急車輛から事業を譲渡されたJR系の総合車両製作所の電車ばかりが目につく。かつてのようにメーカーと鉄道会社が特色を出そうと競いあうより、限られたメーカーによる標準化設計でコストダウンが優先されるとは車両製造の世界も世知辛くなったようだ。

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2018年1月19日 (金)

(地形を感じる)駅名の秘密 東京周辺

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首都圏を走る最近の通勤電車は、JRも私鉄も同じような車両ばかりでまことにつまらない。鉄道会社が違ってもやって来るのはJRの標準形式E231系や233系に準拠した電車や、日立のアルミ製A trainをベースにした車両ばかりで、どの路線でもあまり乗り心地が変わらない。かつての東急青ガエル5000系はいうに及ばず、両端制御車が旧型台車だった西武701系、独特のミンデン台車音にレジンブレーキ臭の漂った東武の8000系など、目をつぶっていてもすぐにそれと分かるような電車がなくなってしまった。さらに地下鉄を介した乗り入れによって、「川越で霧が発生したから東横線の電車が遅れます」などと云うアナウンスを聞いていると、鉄道のありようも以前とはずいぶん違ってきたと寂しく感じるのである。


そうはいっても鉄道に関する趣味はさまざまで、数ある楽しみの一つに各線の歴史やその発展史を調べるという分野もある。そんな沿線史の視点から書かれた内田宗治著「(地形を感じる)駅名の秘密東京周辺」 (じっぴコンパクト新書)を読んでみると、駅の名前の付け方一つにしても関東・関西ではかなり違う上、鉄道会社によって命名のしかたに独自性がある事がわかり、駅名に関する文化史的側面に「なるほど!」と興味をそそられる。内田氏といえば「東京の街の秘密50」でアップしたとおりだが、この本も地勢や歴史に関する綿密な調べを基調に、現存する駅名について著者独自の見解が披露される。JR線の「西日暮里」駅は「道灌山」駅にすべしと云う提案には「その通り」と唸りたくなるし、「京急品川」の南にある駅がなぜ「北品川」なのかと云う積年の疑問が本書で氷解したりする。


そのほかJR線は、渋谷・鶯谷・四谷・市ヶ谷など「谷」を駅名にするのが好きな一方、山や丘がつく駅名がひどく少ない事などを本書は教えてくれる。これに対して私鉄では○○山、△△ケ丘や××台などと名づけられた駅が数多いのだが、これは不動産開発に関連するほか、山や丘に対する親和性が旧国鉄と私鉄では違うという著者の論旨展開も面白い。この本を読むと駅名一つにしても様々な地誌や文化が背景にある事がわかり、これから電車に乗る際には、沿線の駅名についてあれこれ考察をいれたくなってきた。さて本書で思い出したのが、昭和40年~50年代に開業した東急田園都市線である。ここでは僅かな距離の間に、宮崎台・宮前平・たまプラーザ・藤が丘・青葉台・つくし野・すずかけ台・つきみ野と著者がいみじくも分類したような”首都圏の私鉄らしい”平凡な駅名が並ぶ。電車が通る前は山林か田園地帯だっただろうが、もう少し歴史を感じさせるひねった駅名にして欲しかったと、今でもこの線に乗る度に思うのである。

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