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2023年1月 5日 (木)

「津軽鉄道・ストーブ列車」と津軽海峡を望む天然温泉「ホテル竜飛」その2

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鶴の舞橋と上半分が雲に覆われた岩木山

明けて2023年元旦の朝である。竜飛岬は相変わらず風が強いものの、天気予報に反して海峡には薄日も漏れ対岸の北海道も良く見える。当初の予報より天気が崩れるのが遅くなって夜半から吹雪になると云うから、この日に予定する観光は雪に見舞わることもなさそうだ。天気は覚悟して来たものの、これは春から縁起が良いや、皆の日ごろの心がけの賜物だと空を見上げて一同で喜んだ。9時前に宿を出発し、観光バスに2時間ほど揺られて着いたのが、津軽平野に鎮座する高山稲荷神社であった。高山稲荷は鎌倉~室町時代に創建された当地きっての神社で、五穀豊穣、海上安全、商売繁盛の神様とされるそうだ。それでも東京近辺の寺社仏閣に比べると人出も少なく、まずは落ち着いた元日の初詣となった。次に立ち寄ったのが、大きな溜池である津軽富士見湖にかかる鶴の舞橋という太鼓橋であった。この橋は長さ300米の日本一長い木造三連橋で、地元青森特産のヒバの木でできており、名山である岩木山をバックに湖面には丹頂鶴が見られる景勝の地である。残念ながらこの日は鶴は見られなかったし岩木山も半分雲に隠れ、せっかく来たので向う岸まで渡ったものの、寒さもつのり皆は早々にバスに戻っていった。


五所川原駅近くのホテルで郷土料理「ホタテ貝焼き味噌」の昼食をとったあとは、いよいよ津軽鉄道のストーブ列車に乗車となる。津軽鉄道は津軽平野の中央に位置する五所川原から北に向かって中里駅までの20.7キロを結ぶ非電化単線のローカル私鉄で、津軽平野北部の開発と津軽半島環状鉄道の敷設促進のために地元有志が資金を出し合い昭和の初期に開通したとのこと。途中の金木駅で駅員が丸い輪のタブレットキャリアーを駅務室に運んでいるのを見てタイムスリップした気分になったが、ここはいまだに非自動閉塞でタブレットやスタフで鉄路の安全を確保している。ウイルス騒ぎが始まって以来、海外旅行に行けない分、国内ローカル線の旅が増えたが、鉄道の旅を通じて明治の末から大正、昭和にかけて日本中どこでも鉄道誘致、鉄道建設運動が盛んだったことを改めて思い知らされた。その後、国鉄に買いあげられた鉄道、はたまた私鉄のまま残った鉄道が、それぞれそのインフラを現在にどう活用しているのか、安全輸送と経済性にどう折り合いをつけるのか、ローカル列車に乗る度に、もしこの線路を自分で経営(運営)したら何をするだろうかと考えるのが楽しみになった。


JR津軽線も昨年の大雨で線路が決壊し、復旧に多額の費用かかるため廃止する方向に入ったと報じられている。ここ津軽鉄道も赤字に悩んでいるが、車両の更新ができないことを逆手にとって、昔ながらの石炭炊きのダルマストーブを旧型客車に載せたストーブ列車を観光の目玉にしている。ストーブ列車は12月1日から3月31日の間に一日3往復運転され運賃の他に500円の列車券が必要だが、この日は満席で海外からの観光客もちらほら見うけられた。津軽鉄道は夏は風鈴列車、秋は鈴虫列車を運転して観光収入を得ており、地方私鉄の必死の生き残り策を肌で感じるかの乗車体験である。車内では日本酒(350円)にスルメ(700円)が販売され、観光ガイドのおばちゃんが買ったスルメをダルマストーブで焼いてくれる。おばちゃんは2枚重ねにした軍手でストーブの上に置いた金網に、スルメをぐいぐい押し当てて素早く焼き上げ、みるみる車内はスルメ香が充満してくる。金木駅近辺にある太宰治の生家を遠望しつつ、津軽平野の雪景色を眺めながら日本酒片手に食べるこのスルメのなんと美味いこと。ついお酒も進んでしまったが、ほぼすべての乗客がスルメと日本酒を買い求めているようで、ストーブ列車の企画も大受けのようだ。


この日は地元乗客のための気動車2両が動力源となり、牽引される「オハ46 2」と「オハフ33 1」の2両がストーブ付き客車で、我々団体一同は「オハ46」に座席が指定されていた。Wikipediaによると乗車した「オハ46 2」のタネ車は、1954(昭和29)年製造の旧国鉄「オハ46 2612」だそうで、1983年に津軽鉄道に譲渡されたとのこと。さらにネットでいろいろ調べていくと、この「オハ46 2612」は元々は「スハ43 612」として戦後復興期に急行型客車の体質改善のために作られた車両であり、のちに軽量化改造と電気暖房設備を設置してオハ46の2000番台を名乗るようになったとされる。とすると元来この車両には暖房設備があるはずなのだが、津軽鉄道では牽引する側のディーゼル機関車や気動車に暖房用の電源供給設備がないため、やむなくダルマストーブを積んでストーブ列車にしたようだ。苦肉の策が却って大当たりとなって、今では観光の目玉になっているのだから世の中わからないものだ。その「オハ46 2」の車内はさすがにくたびれており、アルミサッシの窓(アルミサッシ化は国鉄時代なのか津軽鉄道でなされたのか不明)からは隙間風がビュービューと吹き込んで来る上、どこからかわからないが細かい雪まで入り込んで舞っていた。スルメを焼いていたおばちゃんは「吹雪の時はもっと吹き込んで来るよ~」と津軽弁で説明してくれた。


期待して乗車したストーブ列車だったが、旧型客車のノスタルジーを望んで乗車した私のような鉄オタにはやや不満も感じた。旧型客車の座席モケットと云えば濃青色のはずがピンク系の生地に張り替えられ、それもあちこちにツギが当たっている。客車特有の高いアーチ天井は良いが、照明は電球用の台座に丸い蛍光灯が裸で収まっているし、かつて扇風機が据え付けれていた台座も、意味不明の照明が設置されているのが何とも興ざめだ。客車列車というとバネ下重量が軽く軽快な走行音を聞くのが楽しみだが、かつては評判の良かったTR47系の台車も、ローカル鉄道の路盤状況では乗り心地を楽しむ術もなくガタンガタンと揺れが激しい。せっかく現役で走る貴重な旧型客車である。500円の乗車料金を1000円にしても良いし、寄付やらクラウドファンディングで資金を集めても良いから、動態保存の意味でもオリジナル状態への復元やメインテナンスに力を入れて欲しいところだ。団体旅行の悲しさ、もう一両の「オハフ33 1」をゆっくり見る時間がなかったのが残念だが、津軽鉄道は我々のようなオタクの為に車両の来歴を披露する説明や掲示も欲しいと思った。終点の中里駅で津軽鉄道を降りる頃から雪が強くなり、竜飛岬に戻るころは外は吹雪であった。津軽海峡冬景色、地元神社への初詣、岩木山に太鼓橋、ストーブ列車と印象的な2023年の正月休みであった。(了)

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天井の蛍光灯と扇風機跡が無粋なオハ46 2

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 地元案内のおばちゃんは軍手2枚履きで焼き網にスルメを押し付け素早く焼き上げる

2023年1月 4日 (水)

「津軽鉄道・ストーブ列車」と津軽海峡を望む天然温泉「ホテル竜飛」その1

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北海道を対岸にする竜飛岬

元旦を挟んで大晦日から1月2日までの2泊3日で、JR東日本の団体旅行びゅうによる「冬の風物詩『津軽鉄道・ストーブ列車』と津軽海峡を望む天然温泉『ホテル竜飛』」に参加して来た。妻とその母、妻の妹と大学生の娘(姪)の老若女性4人と爺さん1人の5人組である。男兄弟で育ち高校は男子校、大学はクラスも部活も男だけ、就職先も男性主体の産業と若い頃は男性中心の社会で生きてきたが、歳をとればとる程どうやら女性の渦の中に巻き込まれて生きることになりそうだ。人生わからないものだ。さて人に話せばこの寒いのに何を好き好んで正月休みをそんな本州の北端で過ごすのかと笑われそうだが、このツアーは同じ宿に連泊し雪を見ながらゆっくりと温泉に浸かり、元日は初詣も出来る上に変わった鉄道に乗れるという旅程になっている。こんな企画旅行にのらなければ竜飛崎などは2度と行けない場所なので、この際思い切って訪問するのも良かろうと皆で参加することにした。


とは云え強風で名高い竜飛岬である。石川さゆりも「津軽海峡冬景色」で「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと見知らぬ人が指をさす (中略)さよならあなた私は帰ります、風の音が胸をゆする泣けとばかりに」と歌っている。ましてや青森県津軽地方の正月の天気予報は、強い寒気の襲来で吹雪になると告げる。厚手のコートにスキー用の帽子と手袋を着用し、凍った道でも滑らないように靴に装着するスパイク付滑り止めを持ち、妻は2016年に飛鳥Ⅱで行った南極クルーズで支給された防寒パルカを着こんだ完全防備で出発することにした。東京から東北新幹線”はやぶさ”に乗って3時間半、到着した最寄の奥津軽いまべつ駅は、あたり一面真っ白な雪に覆われたローカルな景色の中にポツンと佇んでいた。ここから貸し切りバスに1時間ほど揺られて着いた竜飛岬は、にび色にうねる津軽海峡をはさんで北海道の渡島半島の山々を望む半島の突端に位置していた。因みに正式にはこの地の名前は「竜飛」でも「龍飛」でもどちらでも良いそうで、観光用には画数の多い「龍飛」を使うそうだ。


やや高台に位置する岬には我々が宿泊するホテルの他には灯台と「津軽海峡冬景色」の歌碑があるだけで、この時期は我々のような団体客以外の観光客はまれにしか訪れない寂しい場所であった。歌にあるように竜飛といえば風の名所だと観光バスの地元ガイドさんも言っていたが、この日は立っているのも困難なほどの突風が時々吹き抜け、まさに地の果てという情景がひろがる。ただ歌碑の前にある赤いボタンを押すと「♯ごらんあれが竜飛岬♭」と石川さゆりの歌が大音量で聞こえる仕組みになっていて、夏場にはここが観光名所であることを示していた。その岬近くにただ一軒建っている宿が2晩泊まる「ホテル竜飛」であった。津軽半島の先端部には他に適当な宿泊施設がないのか、大晦日から元旦にかけては我々JR東日本びゅうのほかに、JTBとクラブツーリズムの大手御三家のツアーが揃い踏みになってホテルの中だけは大賑わい。宿は人出が足りない様子で、働いている外国人男性はネパールから来たとのこと。突風をついて歌碑や灯台を散策し冷え切った体には、竜飛温泉の塩泉がとても気持ち良かった。こうして吹き荒れる風の音を窓外に聞き、津軽海峡の荒海を眼下にしながら大晦日は暮れていった。


津軽海峡冬景色の歌碑
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2022年11月16日 (水)

飛鳥Ⅱ のんびり秋旅クルーズ(続2/2)姫路城

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「飛鳥Ⅱ のんびり秋旅クルーズ」を高松で下船し、金毘羅参りをした後は、姫路城を見物し新幹線で帰京する予定で、JR線の乗車券だけは旅の前に購入していた。姫路までは、まず琴平から多度津まで土讃線、多度津から坂出まで予讃線、坂出より岡山まで瀬戸大橋線(宇野線)、岡山から姫路まで山陽本線(途中相生乗り換え)といずれも各駅停車(瀬戸大橋は快速)の列車5本を乗り継いでの旅であった。妻は讃岐うどんでも食べてもっとゆっくり琴平で過ごし、特急と新幹線で姫路に行きたい様子だったが、少々時間がかかってもローカル列車も良いものだ。実は琴平駅には「みどりの窓口」がなく「大人の休日倶楽部ジパング」で割引切符を購入する場合は、窓口にある新型の自販機でセンターの係り員とモニターを通じて会話をして3割引きの特急券を発行して貰うシステムであった。最近は全国で「みどりの窓口」が次々と閉鎖され、こうした駅でジパングの切符を買う際には、駅の自販機を色々と操作して切符を入手する必要がある。列車の時間が迫っている際に、前の人が自販機の前でモタモタしていると大いに焦るのだが、各駅停車に乗車なら追加の切符も不要で琴平ではやってきたローカルの気動車列車に飛び乗ることが出来た。


各駅停車の列車で地元の高校生やら通勤客と乗り合わせながら夕方に姫路駅に着いた頃には、朝まで飛鳥Ⅱに乗船していたのが遠い世界の出来事のように思えてきた。駅前のホテルに泊まり翌日ぶらぶら歩いて行った世界遺産の「姫路城」は、子供の頃に訪れて以来なんと60年ぶり、妻は初めての見学である。最近ジパングで利用する「ひかり」(ジパングではのぞみの乗車は不可)のうち姫路駅に4分ほど停車する列車が多数あり、新幹線の上りホームからほど近い姫路城の大天守を窓超しに眺めているうち、またいつか来てみたいと思っていたのである。姫路城の五重七階の連立式天守は池田輝政により1609年に完成、以後何代かの大名が入封した後、明治維新や大東亜戦争の空襲にも生き残り、その美しい姿を今に保っている。高さ14.8米の天守台に31.5米の高さを誇る大天守は、白壁と屋根瓦を固める多量の漆喰により遠くから見た姿が白く見えることから別名を白鷺城とも呼ばれている。屋根や壁の漆喰は昭和31年から39年までの(昭和の)解体修理、平成21年から27年までの(平成の)大修理時に塗り替えられており、最後の塗り替えより7年半経過した現在は白さ加減も落ち着いて、白鷺城はいま見ごろの時期だと云えよう。


それにしても久方ぶりに訪れた姫路城は、約700米四方ほどの広い敷地に、大天守のほか3つの小天守、幾重にも重なる屋根や曲輪、廊下が連続する壮大な城構えであった。小天守などは他の城郭なら立派な天守閣になるほどの規模と云えよう。新興国に行くと「世界遺産」の登録もだいぶインフレ気味だと感じるが、ここは正に「国宝」「世界遺産」の名に恥じない文化遺産である。天守閣に入ったらエレベーターがありました、という新たに建て替えられた最近の城と違い、暗く急な階段を手すりに掴まりつつエッチラ上って辿り着いた最上7階から一望する市内や近郊の眺めは格別。この日は秋晴れの行楽日和とあって、これまで入国禁止となっていた欧米からの白人やアジア系では台湾からの観光客が姫路の町に目立っていた。集団でたむろしては大声でしゃべるシナ人の団体客がいないため場内も清々しく、当分の間、シナにはゼロコロナの愚策を貫徹し厳し~~い感染予防策を継続して欲しいところである。姫路からは山陽電鉄~阪神電鉄直通の特急に乗り、大阪から新幹線で帰ろうかとも思ったが、金毘羅さんの奥宮参りや姫路城の急階段でさすがに足が重くなり、早く新幹線で缶ビールを飲もうと姫路駅から「ひかり」に乗車して帰京した。

2022年11月13日 (日)

飛鳥Ⅱ のんびり秋旅クルーズ(続1/2)金毘羅参り

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「走る電車の博物館」琴電の仏生山駅に集う旧京浜急行の電車群

「飛鳥Ⅱ のんびり秋旅クルーズ」も新宮や四日市には何度か行ったことがあるため、船で3泊した後に最初の寄港地・高松で途中下船することとした。前日の夕方に飛鳥Ⅱは高松港に到着しているので、下船日の朝は早起きして港周辺をジョギング、一旦船に戻りシャワーを浴び朝食を摂って10時過ぎに船を離れた。これまでワールドクルーズなどで区間乗船の人たちを見送ったことは何回もあったが、見送られる側になるのは初めての経験で、いざ下りるとなるとひどく船が名残惜しくなってきた。乗り合わせた船友たちは今晩もフォーシーズンダイニングでディナーを楽しむのかと思うと、「やっぱり最後の横浜まで乗る事にします。差額はカードで支払います」と申告するかとの考えが一瞬頭をよぎる。ただすでに「大人の休日倶楽部ジパング」で帰りの割引乗車券を購入し、途中の姫路駅前のホテルも予約済みとあって気をとりなおし当初の予定を遂行することに。


この日は高松から初乗車の琴電に乗って金毘羅さんにお参りし、その後は瀬戸大橋経由で姫路まで行く予定である。琴平までの高松琴平電気鉄道は、乗車する琴平線(33キロ)と志度線や長岡線の3線からなる、軌間1435ミリ、全線1500ボルトの地方民鉄だが、ここを走る電車は元京急や京王帝都、名古屋地下鉄の車両が多く、「走る電車の博物館」と全国にその名前を知られている。さっそく下船した足で始発の高松築港駅で琴平行きを待つことしばし、コトコトと入線して来た2両編成の電車は1200形の1207編成で、塗装こそ黄色に塗り替えられているが、その面構えは昭和45年から製造された元京急の700形であった。さっそくかぶりつきに陣取り終点の琴平までの前面展望と運転システムを楽しむことにすると、先ほどまでの船旅の余韻がすっかり頭から消え去り、テツの血が湧いてくるから我ながら現金なものである。


東京都心の鉄道ではめっきり聞かなくなった抵抗制御の機械音、ブレーキシューの制動音、派手なレール継ぎ目のジョイント音や揺れ具合は、いかにも地方の電車といった風情である。瓦駅での分岐や高松市内の立体連続高架区間を過ぎ、電車は都市郊外の住宅地区や近郊農業地帯、ほどなく森や林を抜けたと思えば鉄橋を超え、ため池が点在する讃岐平野を走り抜ける。運転席のスピードメーターには、60キロ付近にマーカーがあり、どうやらその辺りが最高速度の一応の目安らしいが、かつて100キロ以上で京浜地区を疾駆していた真っ赤な京急の700形が、のんびりと田園風景を走る風景もなかなか味があってよいものだ。この日は日曜日の朝にも拘わらず下りの乗客が多いことに驚くも、これは高松から20キロほどの綾川駅に隣接する大規模ショッピングモールの買い物客であった。地方民鉄の例に漏れず琴電も赤字経営らしいが、沿線に大規模な商業施設を誘致すれば、自動車から鉄道を利用する乗客を取り込めるのだろう。地方の鉄道に乗る度に感じる土地に応じた営業努力には頭が下がる。


高松から一時間あまりで、終点の琴電琴平駅に到着。荷物を近くのJR琴平駅に預けてここから金毘羅参りである。「♬ 廻れば四国は讃州那賀の群 象頭山金毘羅大権現 ♪」と謳われたとおり、琴電の電車から見ると、進行正面に象の頭のような山が横たわって見える。金毘羅さんと云えば航海安全の神社で名高いが、讃岐富士(飯野山)や屋島と同様に、特徴的なその山の姿は、かつて沿岸航法の時代に船乗りの良い目標になっていたに違いない。大昔は海岸がもっと象頭山に迫っていたとも云われ、ここに航海安全の神様が鎮座するのもうべなるかなである。海運会社に勤めていた頃には、四国の造船所で進水式が行われた折などに金毘羅さんに度々詣でたことがあるが、あれからはや20年が過ぎているし、妻は初めての参拝である。天気も秋晴れ、本宮までの約2キロ、785段の階段はさして苦にならず一気に上ってしまい、そのまま調子に乗って、1.3キロ先、階段をさらに600段上がって標高420米の奥宮にも参拝した。奥宮では高松で後にした飛鳥Ⅱの残りのクルーズの航海安全とともに、私がまだ細々と続けている海運関係の仕事の商売繁盛を祈願し、次の目的地である姫路に向かった。

金毘羅宮の奥宮 標高400余メートル、階段1368段
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2022年9月 4日 (日)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その4)

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稚内港 北の防波堤ドーム 樺太航路の連絡船乗客を風雪風波から守るために作られた

利尻島最終日は1周800米の姫沼に沿った森の中の木道トレイルを巡り、朝9時過ぎのフェリーで稚内に戻った。このツアーは歩く箇所が多く、スマホの歩数計アプリは3日間とも1万4千歩を記録していた。稚内ではお約束の「北の防波堤ドーム」に立ち寄り、副港市場で昼食を摂った後、旅の最後に本邦最北端の宗谷岬を訪れるスケジュールであった。アシカやトドの集う海岸線に沿って国道238号線を宗谷岬に向かうと、バスの車窓からは40数キロ離れた樺太が遠望できる。宗谷海峡を挟んではっきり目視できる南樺太だったが、もし戦争に負けなかったらここも日本領で、フェリーで簡単に渡れるはずだと思うと残念でならない。ウクライナとの戦争でロシアが大いに疲弊し、北方領土や南樺太を日本に譲りたいという事にならないか、急に夢のような考えが頭をよぎった。


宗谷岬を後に、稚内空港からANAの羽田行きで帰路についたが、「利尻島・礼文島さいはての夏スペシャル 3日間」の旅を思いつくまま纏めてみた。

①初の利尻島と礼文島だったが、両島は双子のように位置するもその地勢はまったく違うことが印象的だった。礼文島はなだらかな地形で笹や草花などに覆われている。夏場は霧が多く冷涼なため、高山植物が海岸近くから茂り、その間を縫うトレイルは穏やかなコースである。礼文島は女性的な地勢の島だと云える。対して利尻島は海岸から一気に利尻富士がそびえたち、植生は高度に応じて変化している。標高1721米の利尻富士まで海岸から一挙に登るので、登山するにはそれなりの体力が必要であり、こちらな男性的な性格の島だと云えよう。

②2泊3日のクラブツーリズム主催の旅は、一人当たりの参加費用が79000円であった。もしこの日程を個人で行けばどうなるか。稚内往復のANA便は早割で往復5万円、3回利用したフェリーは運賃が6870円である。今回利用したのと同レベルの宿をネット検索すると、一人一泊でどうやら最安値が一泊1万5千円~2万円/一人ほど。レンタカーは3か所(稚内・礼文・利尻)で借りる必要があるためガソリン代込みで2万円(一人1万円)程度になろう。ほか昼食代などどんなに安く見積もっても個人手配なら一人10万円は軽くかかる計算になる。土地勘がないと2泊3日ではこれほど効率的に回れないこと、その上バスガイドや添乗員の詳しい説明を考えれば、大変「お得なツアー」だったと評価できる。

③一方で、我々の様にトレッキングをもっと楽しみたくとも、団体行動のために自由は制限される。また宿での夕食も感染対策のアクリル板越し、かつ指定席の為に他の参加者と交流ができない。皆周囲にバリアーを張っているわけではなかろうが、バスの車内も3日間指定された同じ席で、会話を控えめにせよということで、他の参加者との交流がしづらい雰囲気であった。旅行社主催の団体旅行に参加するといつも思うが「袖すり合うも他生の縁」なのだから、(今はコロナ対策で難しいだろうが)シャイな中高年向けに、この点で工夫はできないものか。


かねてより訪ねたかった2島と半世紀ぶりの稚内である。いささかハードスケジュールではあったが天候に恵まれて効率よく巡ることができた「良い旅」であった。(了)


宗谷岬から南樺太がはっきりと遠望できた
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我が国最北の自販機
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2022年9月 2日 (金)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その3)

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残照の利尻島・仙法志岬公園から望む利尻富士

礼文島における最後のイベント、桃岩トレッキングも終わり、高山植物を見ながら歩いた皆がバスに戻ってきたが、利尻島へ亘るフェリーの出発までにはまだ十分な時間があった。ハートランドフェリーは、本来この季節は3隻の船舶によって稚内‐礼文‐利尻の航路をサービスしているところが、コロナ禍で従業員の都合がつかなくなり、急に8月19日からは2隻体制の冬ダイヤになってしまった。そのために礼文から利尻に渡る出発便が当初クラツーが予定したものより大幅に後ろにずれたため、礼文島における滞在時間が増え、その分は逆に利尻島のスケジュールが忙しくなったのである。なにしろこの旅は、前後を一日片道2便しかない東京-稚内直行のフライト時間に制約されている中で、現地に滞在する実質2日間のうちに3回フェリーに乗り、2つの島と稚内近辺を観光するというテンコ盛りスケジュールだから時間の管理が大変である。


といっても島内には交通渋滞がないし、礼文島には交通信号機が2か所だけとのことで、バスは列車の時刻表の如く予定通りに走る。添乗員の集合時間案内や点呼も極めて丁寧だし、ツアー参加者も真面目に決められた時間通りにバスに戻って来るのはさすが日本の中高年ツアーである。こうして礼文島では時間が余ったのだが、その時間を利用して、2012年に「北のカナリアたち」という映画のロケに使われ、利尻島が前面に展開する公園に連れて行ってもらった。この公園では廃校の床材などを使って造られたロケ用の 「麗端小学校岬分校」の校舎を見て、これから渡る利尻島の景色を楽しんだ。海峡越しに利尻島全山がくっきり見えるのはこの季節にしては珍しいそうだ。桃岩トレッキングではもっと沢山歩きたいと思ったが、逆に自分で回れば立ち寄らないこうしたちょっとした名所に、ガイド付で訪れることが出来るのが団体旅行の窮屈な点でもあり良い点でもある。


礼文の香深港からフェリーで40分、利尻の北部に位置する鴛泊港に着いた時間はもう午後5時10分であった。利尻島は人口が4200名で、丸い火山のこの島を一周すると63キロだが、この日の残された時間で島の南部のある利尻山眺望のオタトマリ沼と、夕陽の景色が素晴らしい仙法志公園を廻らなければ、翌日のスケジュールに響くから大変だ。当日の日没は6時18分なので暗くなる前に2か所の名所を探訪するため、フェリー下船とバス乗車は手早くと案内され、飛び乗ったバスも心なしか速度を上げて目的地に向かった。利尻山は島内をぐるりと一周する間に16回姿を変えるという。北海道の銘菓「白い恋人」のパッケージ通りに山が見えるのはここだ!という名所オタトマリ沼を経て、仙法志公園では雲間から残照を眺め、島を一周し鴛泊の「ホテルあや瀬」に入ったのは辺りも暗くなった夕方7時であった。風呂に入る間もなく食事が出されて濃密な一日が終わった。(その3終わり)

オタトマリ沼より見る利尻山
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「白い恋人」のパッケージにあるオタトマリ沼からの利尻山
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2022年9月 1日 (木)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その2)

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桃岩トレッキングコース

礼文島は北海道から60キロ離れた日本海北部に浮かぶ本邦最北端の島である。東西が8キロ、南北26キロ、周囲72キロの南北に長い島で、人口は2300人とのこと。北海道からの直線距離は約45キロほどだが、フェリーが着く島中心地の香深と稚内の航路距離は約60キロある。60キロは海里に換算すれば約30マイルとなるので、時速20ノット弱で航走するフェリーを利用して稚内より1時間40分で到着する。隣の利尻島が火山の島で海上から急峻な山容が立ち上がるに対して、こちらは地殻変動で隆起した島とあって最も高い地点の礼文岳の標高は490米にすぎない。礼文島の地勢は緑に覆われたたおやかな緑の丘陵である。両島とも大陸や北海道と繋がったことがないのでヒグマや蛇がおらず、特に礼文島は風が強い上に夏は霧が多発し、森や林より笹や高山植物など背が低い草花が優勢なのだそうだ。


などとツアー添乗員や宗谷バスのガイドさんの説明で、島の様子がすぐわかるのが団体旅行の良いところだ。香深港のフェリー降り場からほど近い三井観光ホテル(あの三井財閥グループとは関係ないらしい)で温泉に浸かり、満天の星を見て旅の疲れを落とした翌日は、まず島の最北端にあるスカイ岬やスコトン岬に向かう。これら土地の名前が珍しいのはいうまでもなくアイヌが呼んでいた名称だからである。ここは柱状節理の崖に海岸が迫り、たまたま同じ名前のスコットランドのスカイ島、はたまた北アイルランドにある世界遺産のジャイアンツ・コーズウエイのような風景が目の前に広がっている。岩壁に砕け散る北国の海と湿気の少ない晩夏の気候が、なにやら本当に彼の地にいるような錯覚に陥らせてくれる場所であった。島の最北部にある金田ノ岬の漁協直営食堂で海鮮船盛り定食を楽しんだ後、我々のツアーはバスで南部にある桃岩展望台のトレッキングコースに向かった。


トレッキングコース入口にある駐車場でバスを降り立ち、整備された山道を登り始めると、周囲には盛りは過ぎたものの高山植物が咲き、いかにも草花が好きそうなツアー添乗員の説明に熱がこもってきた。彼は沖縄出身・在住で夏場だけ稚内でガイドをしているそうだ。このコースの高低差は約100米、天気も良く緑につつまれたなだらか斜面をゆったり歩いた距離は約2.5キロほど、一時間半の登り下りであった。海を挟んだ向こうには利尻富士が聳え立ち、足元には高山植物が咲くという気持ち良い散策だったが、高齢者や体が悪い人には、傾斜の緩いコースもあり至れり尽くせりの観光地だと云える。途中にある休憩所のトイレもきれいだったが、この旅を通じて、どこへ行っても「ウッ」と鼻をつまむような汚い公衆トイレはなかった。最近、旅に出ると感じるのは、総じて日本中どんな場所でも公衆施設や道路が整備され、民家はきれいになって社会資本が行き届いていることである。これでも日本はGDPが本当に伸びていないのか、そうだとすれば統計の取り方が間違っているのではないかと旅行に来る度に思う。(その2終わり)

スカイ島を彷彿とさせる礼文島スカイ(澄海)岬
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スコットランド・スカイ島(2010年夏 クルーズ船ウエステルダム号より)
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2022年8月31日 (水)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その1)

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JR線最北端の稚内駅

クラブツーリズム主催 「往復 稚内直行便限定 利尻島・礼文島 3日間」の団体旅行に参加してきた。総勢34名のシニア世代のツアーである。学生時代に宗谷本線で稚内にやって来た際に車中から眺めた利尻富士が印象的で、いつか行ってみたいと思っていたが、50ウン年ぶりに夢が叶ったことになる。東京から遠い稚内の宗谷岬や利尻島、礼文島を効率よく見て回るには、貸し切りバスを利用した団体旅行が一番と思い、今回はクラブツーリズムに申し込んだのである。実を言うと同じ時期に利尻島に寄港する客船にっぽん丸では「飛んでクルーズ北海道」が催行され、当初はこのクルーズ乗船に予約を入れていた。しかし加入していたはずのにっぽん丸ドルフィンズクラブ(乗船経験者のクラブで僅かながらクルーズ時の特典あり)の権利が失効していたことに気付かず、この点を事務局に問い合わせたところ、返ってきた返事はきわめて通り一遍で、一気に乗船意欲をなくして陸の旅にしたのだった。ルールだから仕方ないが、にっぽん丸の対応は飛鳥Ⅱに比べると様々な面で「乗せてやる」風に感じられてしょうがない。


それはさておき、今回の2泊3日のツアーは見どころテンコ盛り。実は両島の航路を独占するハートランドフェリーが、乗り組み員のコロナ感染で減便をしたため、当初のスケジュールには大幅なシワ寄せがきていた。そのような中でも、いささか駆け足だったものの、旅程管理の万全の体制に「さすがクラツーの団体旅行」と唸らせてくれた今回の内容であった。第一日目は羽田空港10時45分発のANA571便とあって空港集合も9時55分とゆったりで、朝の通勤時間よりやや遅かったのがまずは良かった。ツアー添乗員は現地の稚内空港でジョインするので、羽田のANAカウンター脇にあるクラツーの窓口で切符を貰い、各自で搭乗手続きを済ませる方式である。早めに搭乗手続きを済ませ、空旅の”水戸黄門の印籠”、スーパーフライヤーズカードを提示すれば団体旅行でも利用できる羽田空港のANAラウンジでまずは一休み。時間になり普段あまり乗ったことのないエアバスA321に足を踏み入れると、機内は観光客でほぼ満席状態で、皆マスク姿とはいえオミクロンなどどこへやらという雰囲気であった。


天売・焼尻島の島影を下に、草原や灌木が拡がる北の台地が眼前に迫ってくると、いよいよ国内最北の空港に降り立つ気分も盛り上がってくる。半世紀前に来た時にはカニ族と云われたリュックサックを背に、上野発の夜行列車と青函連絡船で北海道に上陸し、旭川から国鉄・宗谷本線でまる一日かけてはるばる稚内にたどり着いたが、いまや新鋭ジェット機で羽田から2時間弱とは正に隔世の感である。稚内空港到着後にジョインした添乗員の挨拶もそこそこに、宗谷バスの観光バスに揺られてJR線最北の駅、稚内駅でまずは一休み。続いて駅至近にある稚内港フェリー桟橋から、2020年に内海瀬戸田造船で建造されたハートランドフェリー”アマポーラ宗谷”(4250総トン)で礼文島への2時間の船旅が始まった。この船は新造船とあって、船内どこも新しくきれいだったが、翌日礼文から利尻に亘る僚船"サイプリア宗谷”(3555総トン)も2008年にも拘わらず同じように清潔であった。離島航路の侘しさなどを微塵も感じさせない船内にいると、国内旅行もこの10~20年で随分と快適になったものだとの思いが湧いてきた。(その1終わり)

礼文島 鴛泊港に到着
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利尻島を背にハートランドフェリーの2隻
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2022年7月29日 (金)

成田発:成田行き エアバスA380によるANA FLYING HONU チャーターフライト

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成田空港エプロンのA380ホヌ2機、奥が搭乗したカイ号

コロナは第7波に突入だとメディアはまた大喜びしているが、2年半経っても相も変わらぬ風潮にめげず夏を楽しみたいところだ。そんな折、メールマガジンで成田空港発着のチャーターフライトの案内が入った。かねがね妻がハワイに行く際には是非乗りたいと言っていた空飛ぶウミガメ機を使用したANAのチャーターフライトで、機内では飲み物や軽食のサービスもあるとの事だ。最近は海外と云うとクルーズ客船ばかりで成田空港は久しく利用しておらず、それどころか2010年に開通した京成の成田空港線や、それに合わせて導入された在来線では最速160キロの3代目スカイライナーAE車もこれまで利用したことがなかった。この企画に申し込めば新スカイライナーとA380の両方に乗れると、7月27日に「エアバスA380によるANA FLYING HONUチャーターフライト」というツアーに夫婦で参加した。


使用されるエアバスの総2階建て超大型機A380は、ANAが2019年5月にホノルル線用として導入したものの、武漢ウイルス騒動によって長らく休航を余儀なくされていた機材である。愛称のフライングホヌはハワイ語でウミガメを意味するホヌ、が空を飛ぶという造語だ。ホヌたちはやっとこの7月から再開したホノルル行きの運用に再就航したものの、これもまだ週2便と極めて限定的な使われ方となっている。いま存分に飛べないA380は寂しく成田空港の駐機場に留め置かれているが、ANAには1機500億円と云われる機体が全部で3機もある。少しでも金を稼ごうと2020年暮れから無寄港や国内各地へのチャーターフライトのほか、成田空港で機内食を楽しむレストランとして使われるなど、ホノルル便で期待の星だったホヌたちも地を這う努力で営業を展開中である。この日、我々が搭乗したのはA380第2号機で、ハワイの海をイメージした緑色に塗られ、愛称が「カイ(ハワイ語で海)」という機体であった。


今回のANA FLYING HONU チャーターフライト便(ANA2030便)は13時に成田を飛び立ち、岩手県の久慈上空でUターンして成田に戻る2時間のフライトで、途中で食事が出るという設定であった。料金はファーストクラスが11万8000円、ビジネスクラスが窓際6万9800円でともに国内線プレミアムクラス昼食付、プレミアムエコノミー席は窓際5万4800円、エコノミーが窓際3万9800円、通路側2万4800円でこちらはホノルル線の軽食付きとなり、我々はエコノミー窓際に搭乗することにした。このチャーターフライトが飛行する成田‐岩手‐成田の直線距離は約1000キロで、これは東京から福岡や札幌への直線距離よりやや遠いことになる。いま羽田空港から福岡空港や千歳空港まで飛べばANAの正規エコノミー運賃では約4万円ほどであり、今回のフライト料金を高いとするか安いととるかは正に”価値観次第”という事になる。


新スカイライナーでやって来た当日のチェックインは、エコノミークラスが朝10時からで、以後順次プレミアムエコノミー、ビジネス、ファーストと上級クラスになるほど遅くゆったりしているのがクルーズ船とは逆である。チェックインから搭乗まで時間があるため閑散とした国際線のカウンターなどを見学し、第一ターミナルの片隅にある国内線待合室で待つことしばし、時間になり今度は上級クラスからバスに揺られて空港エプロンのはるか彼方に駐機するA380に向かった。定員500名ほどに対してこのフライトの乗客は100名余くらいだろうか。待機する真新しい機内に一歩足を踏み入れれば、ボーイング747ジャンボより広々とした空間が広がり、航空機特有の閉塞感もあまり感じない。プレミアムエコノミー以上は2階席なので見学は出来なかったが、エコノミー席でもシートピッチが86センチと従来の国際線エコノミーより広く、ハワイならこれで十分という気にさせてくれる。前席の背面に備え付けられた大型モニターには、オンデマンドの音楽・映画のほか、垂直尾翼上のカメラ映像など機体の状況や飛行位置を知らせる情報が満載で、タッチパネルをあれこれいじっているだけでハワイまで退屈せずに過ごせそうだ。


上空の軽食サービスは、エコノミーでもなんとビールも無料というのが嬉しかったが、印象的なのが成田に帰ってから飛行機を降りる時だった。ふつうのフライトでは到着地に着くとせっかちな乗客で扉の前に列ができるところが、この日は誰も積極的に降機しようとしない。2階のファーストクラスから順に搭乗口に呼ばれる乗客は、ドア付近で総出で挨拶をするスッチーに次々と言葉をかけたり記念撮影をしたりと動かないのである。特にビジネスクラスの乗客は男性一人のオタクっぽい感じが多くてプロトコルが長く、ドアが開いて10分ほどしてもエコノミー客が下りる順番にならないのは微笑ましかった。その後、皆が機外に出ても待機するバスを前に、そのまま炎天下に悠々と写真撮影に時間を費やすという情景がエプロンでは繰り広げられていた。乗ってきたカイ号のコクピット窓が開けられ機長が手を振る中、余韻を楽しむかのようにフライトを体験した乗客たちはバスに乗り込んだのであった。

FLYING HONU チャーターフライト飛行経路
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コックピットのキャプテンと別れを惜しむ
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2022年7月 8日 (金)

瑞泉寺・五箇山合掌造り・”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール”

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山門より見る瑞泉寺本堂

旅の2日目、再び連絡船で庄川を下り小牧の船着き場から貸し切りバスに乗り換えた。砺波平野の田園地帯をバスに揺られてほどなく着いたのは、「木彫りの里」と案内のある井波の町であった。ここには瑞泉寺という大きな寺があり、井波はその門前に発展した町である。瑞泉寺は京都の東本願寺を本山とする一向宗(真宗大谷派)の別院で、寺の建物を装飾する木彫りの職人たちが井波には代々多数住んできたとの現地ガイドの説明である。寺の参道には彫り物の小売り店も何軒かあり、なるほどここが「木彫りの里」であることを実感できる。街の中心にある瑞泉寺は中世には越中一向一揆の拠点となった大伽藍とはいえ、週末にも拘わらずお参りする人もごくまばらな境内であった。人の気配もあまりしない広い寺院に佇むと、かつて一向宗がなぜこの地で人口に膾炙し、寺院勢力がどう封建体制や庶民の生活に関わったのかもう一度歴史を勉強したくなってくる。空港や駅からレンタカーで観光に向かうと、途中にこのような名所があってもつい先を急ぎパスしがちだが、あまり知られていない場所に効率的に連れていってくれるのが団体ツアーのメリットだと思う。


次に向かったのが2日目のハイライト、ユネスコ世界遺産として1995年に日本で6番目に登録された合掌造りの里、五箇山の相倉(あいのくら)集落であった。五箇山にはもう一か所菅沼という集落があり、岐阜県側の白川郷とともに三か所で世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を構成している。バスは長い五箇山トンネルを抜け砺波平野から簡単に我々を相倉へ連れて行ってくれたが、その昔ここは加賀藩の流刑地ともなっていたそうで、さぞや不便な集落であったことだろう。小さな山間に10数軒の合掌造りの民家がひっそりと固まった相倉集落では、合掌造りの内部を改造した茶店でまず昼食である。ふんだんに盛られた山の幸を楽しんだ後は、民俗館で合掌造りの内部見学。雪が積もらぬように鋭角に作った天井裏ではかつて養蚕を、土間では火薬の原料である焔硝(硝石)が作られていたそうだ。茅葺の屋根は断熱性が高い上に通気がよく、この地方の気候に適していたとの事。ただ20年に一度、茅葺屋根の吹き替えをする必要があり、今ではそれに2千万円の費用がかかると云う。民俗資料館の案内所のおばちゃんに「葺き替えのお金はどうするの?」と尋ねると「そんな難しいことはようわからん、あはは!」と上手にはぐらかされた。 


合掌造りの里を後にして再びバスに揺られ1時間弱、観光列車、”ベル・モンターニュ・エ・メ―ル”乗車のために砺波平野の南部にあるJR城端(じょうはな)線の始発駅・城端駅にやってきた。なんとも覚え難い列車名は、仏語で「美しい山と海」を現わすそうだ。愛称”べるもんた”はキハ40型一両編成の列車で、内部は寿司カウンターなどが設置され、沿線の景色を楽しむために高岡を中心にJR城端線(山側)とJR氷見線(海側)で週末に運転されている。ここ富山では北陸新幹線開業に伴い従来の北陸本線が第3セクターの「あいの風とやま鉄道」となり、特に高岡地区ではJR線としては城端線と氷見線が盲腸のように取り残されてしまった。その為に短距離ながら路線存続をかけて、このおもてなし列車が設定されているのだろう。旅もフイナーレだし喉も渇いたのでビールでも飲むかと”べるもんた”に乗り込むと、なんと夏日のこの日は城端までやってきた下り便で、ビールは売り切れたとのことでがっかりである。それなら折り返し時間を利用してすぐに城端の町でビールを仕入れて来いよ、と掛かり員に毒づきたくなったが、新幹線接続の新高岡まで28キロ、僅か40分の旅なので、車内に添乗する沿線案内のガイドの富山弁の名調子だけを楽しむことにした。白山連峰に連なる山々やチューリップで有名な砺波平野を車窓から眺めつつ、2日間にしてはぎっしりと内容の詰まった「庄川峡遊覧船で行く秘湯の一軒宿『大牧温泉』と観光列車『ベル・モンターニュ・エ・メール』」の旅を終えた。

五箇山 相倉集落
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高岡銅器をイメージした吊輪、井波木彫の間仕切りなどで飾られた”べるもんた”号と地元観光協会のガイドのおばちゃん
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