カテゴリー「旅行・地域」の記事

2020年8月 3日 (月)

箱根へ久しぶりの旅

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区民保養所・箱根つつじ荘

この週末は新宿区の区民保養所である箱根つつじ荘(中強羅)を訪れた。武漢ウイルス禍で3月に奈良を訪問して以来の旅行である。「ステイホーム」「外出自粛」などと強制されると反発したくなるのがへそ曲がりの私の性分だ。他県とは云え箱根くらいなら構わないだろうと、4月、5月と連続してつつじ荘を予約したものの、緊急事態宣言による施設閉鎖で予約確認後に向こうから断られること二度。この間クルーズ船はまったく運航されないし、海外旅行はおろか国内の旅も憚られる雰囲気で退屈極まりなかったのだが、やっと先月中旬に「8月1日からつつじ荘再開」の報せが来た。まあ区営の保養所なら、大手を振って多摩川を超え都内から脱出できると云うもので、東名高速を下るハンドルを持つ手も軽くなる。


他の区では7月中に各地の保養所を再開しているところもあったようだが、ウイルス感染者が第2位の世田谷区をダントツに引き離しているのが我が新宿区である。ようやく再開したばかりのつつじ荘を訪れると、悪名高き新宿区の汚名挽回とばかり厳重な警戒態勢で館内が運営されていることがわかった。もっとも新宿区と云っても毎日ニュースで話題になる「接待を伴う飲食店」などは歌舞伎町や新大久保など区内のごく一画に集中しており、それ以外は当たり前の商店街、オフィス街、住宅街が広がる町である。これらの場所はフツ~の区民にはまず縁のない盛り場であり、新宿区が「悪の巣窟」のように報道されるのは、区民としてはなんとも腹立たしいかぎりだ。


今回つつじ荘は宿泊者を半分くらいに抑え、部屋も一つおきに利用させている。宿泊客が帰ると使った部屋は消毒し、利用していなかった部屋を次に提供する体制だと思われる。もちろん入館する際には手の消毒に体温測定、窓は換気で開いており、館内どこもマスク着用で健康調査書も配られる。食堂のテープルは一つ置きで充分に距離を開けており、これまでセルフサービスだったコーヒーサーバーの扱いやお茶の給湯も、係の人が一々行って宿泊者同士が近づかないようにしていた。このように全館で万全のウイルス対策が施されており、通常にまして安全対策を実行する従業員の苦労が偲ばれた。また普段なら空きがあれば区民以外の他の利用者も受け入れており、駐車場には他県ナンバー車も見られるのだが、今回はさすがに新宿区民地元の「練馬ナンバー」だけの駐車である。それでも久方ぶりに源泉かけ流し硫黄の匂う湯にどっぷりとつかると、旅心が蘇ってきて、早く移動の制限が解除させることを願わずにはいられなかった。

 

2020年6月22日 (月)

高田馬場の決闘

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水稲荷にある堀部武庸 加功遺跡の碑

ジョギングの目的地は先週日曜日は古河庭園だったが、今週は時代を少し遡って高田馬場の跡地に行ってみる事にした。

そもそも山手線の駅の名前がなぜ「高田馬場」というのか子供の頃から不思議だった。たしかに現在の高田馬場駅周辺から東には新宿区や豊島区に「高田」という地名が残っており、これは越後高田氏に関係する土地がかつてこのあたりにあったからとか、神田川を見晴らす高い土地だったらそう名づけられたなどと云われている。この高田の地には江戸時代の初めに徳川将軍家によって馬場が造られ、旗本たちの流鏑馬や馬術の訓練に使用されていたため、山手線開業時(明治43年)に駅名を「高田馬場」にしたとされている。それにしても駅が開業したのは明治も終わりの時代で、馬場はすでに農地や住宅地になって久しかった上、駅の場所は馬場の跡地から1キロ以上も西に位置している。当時、新駅名の候補だった「戸塚」や「諏訪」は他県にあるので見送られたというが、他にも幾らも候補名はあったはずで、最近物議を醸した「高輪ゲートウェイ」のように、JRは旧国鉄時代から奇抜な新駅名を好むのが伝統らしい。
  

スマホのアプリ「大江戸今昔物語」を頼りにジョギングでたどり着いた旧高田馬場跡は、今の早稲田通りの「西早稲田交差点」のあたりにあった。この交差点から早稲田通りに沿ってJR「高田馬場」駅の方向へ約300米、通りの北側幅50米ほどに亘ってかつては馬場が開けていた事がアプリに表示されている。江戸時代はここで行われる馬術や流鏑馬を見に江戸市中から多くの人が集まったので、馬場の北側には八軒のお茶屋が並んでいたと付近の道路票の説明にある。距離的にも市中から程よい行楽の地であったのだろう。しかし今や周囲は鉄筋コンクリートのマンションや住宅、商店などが立ち並び馬場があった往時の面影はまったく見いだせない。かすかに「茶屋町通り」とある道路票と、そこから真っ直ぐに伸びる横丁がここが馬場の北の端であったことを示すのみである。


さて馬場跡より神田川に向かって歩くとすぐにある水稲荷神社の境内には、堀部武庸(堀部安兵衛)加功遺跡碑が立っており、この地での堀部安兵衛の決闘を思い出させてくれる。「高田馬場の決闘」は、1694年(元禄7年)共に四国の伊予西条藩の家臣であった菅野六左衛門と村上庄衛門との間でおこった仲間うちの果し合いである。両名はそれぞれ数名の助っ人を頼んだが、菅野方の中には中山安兵衛(のち堀部安兵衛)が混じっていた。決闘は昼の4ッ半(午前11時)に多くの目が集まる馬場内で行われたとあって、平和な元禄の世では大変なニュースであったはずだ。ちょうどわが家にあった南春夫の歌謡浪曲CD「決闘高田の馬場」にも「これを眺めた大工に左官屋も八百屋も、米屋のおやじも魚屋もそれ行け、やれ行け 安さんが大きな喧嘩をみつけたぞ、今夜はたらふく呑めそうだ、あとからあとからついて行く」と市井の人々の興奮が歌われている。


中山安兵衛は、もともと浪人だったが、その頃は小石川にあった堀内道場の四天王と云われ、各大名屋敷に出張稽古をつけていた云わばプロの剣士であった。高齢のため劣勢とみられた菅野が安兵衛の剣で勝ったと云う結末が江戸市中の評判となり、安兵衛は後に播州赤穂藩の堀部金丸(弥兵衛)に是非にと迎えられて養子に入り赤穂藩士になっている。赤穂藩主・浅野内匠頭による刃傷事件で赤穂浪士の討ち入りが行われるのは、決闘から7年後の元禄14年(1701年)なのだが、吉良上野介を討つことにあまり積極的でなかった総大将の大石内蔵助を最も動かしたのは急進派の堀部安兵衛だったと云われる。もし菅野・村上の決闘が行われなかったら、あるいは高田馬場のような多くの前でなく決闘が他所でなされたら、安兵衛の名声もこれほど広まらず彼も赤穂藩とは無縁だったはずだ。そして彼が赤穂浪士にいなければ討ち入りも行われなかったもしれないとあって、いま「忠臣蔵」と云う劇が存在するのは高田馬場の決闘があった事が大きく影響しているように思う。歴史の織り成すあやをさまざま感じながら、ジョギングして家路についた。

高田馬場跡の案内板、左の道路が茶屋町通り、その左手が馬場跡
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2020年6月15日 (月)

旧古河庭園

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旧・古河庭園 洋館と洋風庭園

先週の日曜日は、梅雨前の青空の下、北区・滝野川  の旧古河庭園までジョギングしてきた。自宅から約30分、ジョギングも毎日同じコースばかり走るのは嫌だし、評判の庭と今を盛りのバラの花壇の見物をしようと足を伸ばしたのだが、武漢ウイルス騒動も取り敢えず一段落で、園内はそこそこの人たちで賑わっていた。ここはかつて古河財閥が所有していた邸宅で、現在は東京都が管理する文化財庭園である。入場料150円(65歳以上は70円)を払えば、鹿鳴館などを設計したジョサイア・コンドル設計による洋館(別料金)と洋風庭園、京都の庭師・小川治兵衛が造った日本庭園からなる和洋折衷の庭の美を誰でも見物する事ができる。庭園内はそぞろ歩くに適度な広さで、見物者のなかには見合いの席から直行したかのような善男善女ふうのカップルも散見される。


庭園には諸所に傾斜地を利用したバラ園や滝、池(心字池)が配置され、その風情は変化に富んでおり、もとは旧石神井川(藍染川)が上野台地を侵食してできた高低の差を利用して造園したものであろうことがわかる。現在の石神井川はここより1キロほどの北の王子駅付近から隅田川に注いでいるが、江戸時代の初め頃までの石神井川はこの辺りを通って駒込方面に流れており、上野の不忍の池を経由して江戸市中にあったとされるお玉が池に流れ込んでいたと云う。江戸前と呼ばれた東京湾にそそぐ多くの河川が、台地を切り開いてできた谷と坂の織り成す風景が江戸の街の特徴と云えるが、神田川の崖線沿いに造られた椿山荘などと同じように、古河庭園も台地と谷戸の地形差を利用して設計された名園である。


入口にある説明板には「日本の十代財閥の古河家により整備された」と記載されているとおり、古河と云えば足尾銅山の開発に始まり古河鉱業や富士電機などの企業群が有名な財閥だった。もっとも今や旧財閥の三井と住友が一緒になる時代とあって、古河グループと言っても頭に浮かぶのは富士通や朝日生命くらいであろうか。時代は変わり名門企業や財閥と云われた集団が、文化財や広大な庭園を保有し、限られた人たちだけがその鑑賞や入場の恩恵にあずかるような場面も激減した。都内にまだまだ多く残る旧三菱・三井財閥や日立グループなど名門企業の広大な接待施設も、そのうち新興企業に買われたり公営の庭園になって行くのだろうと考えつつ庭園の門を出た。


旧石神井川跡に連なる谷筋と上野台地の段差を利用して造園された園内の滝
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2020年3月27日 (金)

連休 奈良・飛鳥訪問 (3)

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西の京駅

今回は楽しみにしていた2020年飛鳥の世界一周クルーズが中止となり、代わりのクルーズ旅行もすべて催行されず、それではと奈良にやって来たわけだ。せっかく奈良まで来たからには飛鳥にも足を延ばそう、という事で唐招提寺・薬師寺の後は近鉄橿原線で西ノ京駅から橿原神宮前駅に向かった。「飛鳥が駄目なら飛鳥に行こう」である。それにしても「西の京」駅を通る近鉄樫原線の路線図を眺めていると「尼ケ辻」「畝傍御陵前」などいかにも古都らしい駅名がならび、この沿線の歴史を感じさせてくれる。奈良から飛鳥に向かって並走するJR桜井線にも「京終(きょうばて)」「帯解(おびとけ)」「巻向(まきむく)」など味がある駅名があって旅心がくすぐられる。やたらに○○平やらXX台、△△丘などとってつけたような駅名が多い関東に住んでいると、案内標識の駅名を見ただけで由緒ある地にいるのだと実感させられる。


やってきた樫原神宮前行きの近鉄電車は通勤車輛の主力8000系で、例によってかぶりつきに陣取って大和路を南下する運転台の様子を楽しむ。みるとこの車両は東京近郊では少なくなってきたブレーキハンドルとマスコンの旧来の2丁ハンドルで、アナログな計器やスイッチが運転台に並んでいる。駅進入の際は比較的早くから減速してゆっくりと停止位置に向かうが「プシュー、プシュー」とブレーキハンドルを細かく操作する制動は、ワンハンドルが主流になった関東の幹線ではあまり見かけなくなった光景である。日本全国、地方や鉄道会社によって少しづつ運転方法や標識が異なるのだが、それを体験・見学するのも旅の楽しみだといえよう。関西のJR西日本の電車に乗ると感じるのが、女性の英語車内放送の"STATION NUMBER"のNUMBERの部分に疑問符が続くような、シンガポール英語のようなアクセントが少しあることだ。乗り換え案内の車内放送で喋る"TRANSFER"のERにもややシングリッシュなまりがあって、新幹線から関西のJR電車に乗り換え英語の車内放送を聞くたびにいつも妻と二人「関西に来たね」と思わず視線を交わしてしまう。


こうして訪れた飛鳥である。樫原神宮前駅で自転車を借りて甘樫の丘、石舞台、高松塚古墳など計15キロほどを半日かけてめぐり、最終日は日本最古の神社の一つと云われる大神(おおみわ)神社にお参りしたのち、山の辺の道の一部を桜井市まで歩いてきた。晴天に恵まれたうえ「大人の休日倶楽部・ジパング」で東京・奈良の往復が二人で4万円ちょっと、奈良駅前のネット予約でとったホテルは2人で2泊14,000円、貸自転車やら拝観料、駅弁など入れても2人で6万円そこそこの旅であった。あちこちの土産物店やレストランで「商売はどうですか?」と尋ねると、いちように「一時は死んだようになっていましたが、この三連休で少し人が出てきてくれて、ちょっとホっとしているところです」との答え。武漢ウイルスのため今回はどこに行ってもゆっくり楽しめたが、またいつの日か、平城宮の再建工事が進んだら来てみたい場所である。「大和はくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」

甘樫丘から見る耳成山(左)と香久山(右)
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2020年3月25日 (水)

連休 奈良・飛鳥訪問(2)

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復元された平城宮朱雀門

妻の希望で当地名産の大和牛を食べ満足した翌朝も、起きると奈良の上空には青空が広がっていた。朝食前に日課のジョギングを済ませようと、ホテルから距離的に適当と思われる平城宮跡まで走って行くことにした。平城宮は奈良時代の国の都であった平城京の最北部に位置する東西・南北およそ1キロほどの一画で、大垣で仕切られて庶民が行き交う町とは区別されていたとされる。その中には政治や儀式を司る役所や天皇の住まいがあったと云うから、今でいえば霞が関と皇居が一体になったような場所である。平城宮は都が京に移った後は埋もれてしまい長い間田畑になっていたが、そこを国営公園としてかつてのように復元するプロジェクトが進行中である。


ここではすでに平城宮の入り口にあたる朱雀門や政治・儀式の場である大極殿の壮大な建物が復元され、整備中の広大な公園を突き切って近鉄奈良線の電車が走っている。かつて修学旅行に来た際にはまだ始まっていなかった工事で、東京にいるとこのようなロマンあふれる大プロジェクトが奈良で進んでいることなど知る由もなかった。発掘調査が一部で行われている公園の整備予定地を、名阪間で運転を始めたばかりの近鉄の新型特急「ひのとり」が奈良線の試運転列車として通過して行ったが、奈良の古都と朝日に映える最新鋭の車両のコントラストが印象的であった。


朝食をとった後はバスを使って西の京、唐招提寺や薬師寺にお参りする。このあたり周囲はたおやかな山に囲まれ流れる川はせせらぎ、穏やかな春の日差しに寺の照葉樹林も活き活きとして見える。東大寺や興福寺など奈良市中の大伽藍に比べると、どこもお参りする人たちの数が適度に減り、薫風の下、「あおによし奈良の都は咲く花の」という歌が自然に脳裏に浮かんでくる。唐招提寺の鑑真大和上のお墓に詣でると、なぜこんなに立派な高僧を生んだ当時の先進国が、王朝や君主が変わり没落していったのか、中国や朝鮮半島国家の覇権争いや政権交代の過酷な歴史と、それらと一歩も二歩も距離をおけた我が国の歴史的行幸に思いを馳せるのである。旅は良いものだ。

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奈良線試運転で平城宮跡を快走する近鉄の新型特急ひのとり

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唐招提寺

2020年3月24日 (火)

連休 奈良・飛鳥訪問(1)

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鹿と興福寺

飛鳥Ⅱの2020世界一周も中止、ほかのクルーズも皆催行中止となって寂しい春となってしまった。しかたなく春分の日3連休は、「大人の休日倶楽部ジパング」を利用し、3割引きの新幹線「ひかり」で、かねてから行きたかった奈良や飛鳥を楽しむことにした。「大人の休日倶楽部ジパング」では「のぞみ」に乗車できないが、時間的には「のぞみ」に対し「ひかり」に乗っても東京―京都間でわずか30分しか到達時間が違わない。また外国人旅行者用のジャパン・レイル・パスも「のぞみ」に乗れないため、ふだんは外国人で混み合う「ひかり」も今ならゆったりと利用できる。連休中の奈良の天気が晴天であることを見極められるぎりぎりである出発前日まで待っても、ホテルの予約が簡単にとれたのも正に武漢ウィルス騒動でどこも空いているおかげであった。


奈良訪問といえば中学の修学旅行以来、50数年ぶりだが、新幹線で京都駅についた後、奈良までの列車について時刻表検索をすると、すべてJR奈良線を利用する表示が出るのに困惑した。私が神戸に住んでいた前回の東京オリンピックの頃は、京阪神間の移動は不便な旧国鉄ではなく阪神・阪急や京阪電車を使うのが普通で、奈良も大阪や京都から近鉄電車で行くものだった。奈良線などと云うとディーゼル車が単線をトコトコ走るローカル線のイメージで、運転本数も少ないし時間もかかって不便だろうと思い込んでいたのだが、JRになってからの関西アーバンネットワークはまさに隔世の感ありだ。今では221系電車を使った「みやこ路快速」なる列車が京都‐奈良間を45分で結び、西大寺で乗り換えが必要な近鉄電車よりも便利。しかもネットで予約できる新しいホテルは、近鉄奈良駅の近辺よりJR奈良駅の周囲に多く、なおさらJR奈良線利用が便利になった。おそるべしJR!。


という事で初めて乗った奈良線「みやこ路快速」で連休初日の快晴の下、ごく快適に奈良の町に到着した。まず訪れた東大寺や興福寺などは「ひので」号で来た中学の修学旅行で確かに見物しているのだが、当時の思い出といったら好きな女の子と観光バスで横に座るれるかとか、今晩は雑魚寝の大部屋でどうやって騒ごうかなどといった事ばかり。改めて大人の視点で奈良の大伽藍や春日大社を巡ると、仏教が伝来した意味、律令体制下の仏教と国家の庇護、大陸や朝鮮半島との関わり、日本独自の仏教の発展、神道との距離感や混淆など、いまのわが国の在り方を考えるきっかけが多々得られそうだ。もっとも出発前に関西出身の知人から「いま外人観光客が来ず鹿せんべいやりが少なくなり、腹をすかした鹿たちが怖いから気をつけて」と言われた通り、妻が鹿せんべいを手にしたら、はやる鹿の群れに尻や足を噛まれ半べそになっていた。これはこれで今ならではの良き思い出となろう。

2019年6月14日 (金)

「千年松」・瀬戸内海国立公園は日本一

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宿から望む今治の町

今治市から来島海峡を挟んだ対岸、大島にある「千年松」という旅館に今年も行った。「千年松」はなんでも樹齢千年もあろうという大松が、昭和30年ころまでこの海岸べりにあったことからその名がついたという。残念ながらその老松はすでに立ち枯れてしまったが、ここでは来島海峡を行き来する大小さまざまな船舶やうず潮の流れ、さらに対岸の今治市街の灯火を眺めながら地場の魚料理を食べ露天風呂に浸ることができる。ここ「千年松」で毎年初夏、今治のある船主さん主催によって、東京の船会社数社の若手有志や、造船所、海運ブローカーなどが集まり「千年松」の会という親睦会が行われている。私は若手ではないものの、なぜか長老として毎年この会に出席させてもらっている。

梅雨入り宣言が出されたにもかかわらず、「千年松の会」が開かれた先週末は瀬戸内地方は良い天気に恵まれた。広島空港や新幹線、松山空港などから三々五々、参加者はレンタカーを利用し「しまなみ海道」を経て集合、最近の海運・造船業界の「本当」の話やらゴシップ話で深夜まで大いに盛り上がった。翌日は大島の下田水港(しただみ)で、海鮮バーベキューを堪能してお開きになったが、その前にせっかくの梅雨の晴れ間の好天とあって、瀬戸内海を一望できる大島の「亀老山」展望台まで皆でドライブした。青空の下、「亀老山」より眺める瀬戸内海はまさに絶景で、いつまでもその景色を眺めていたくなるほどだった。

こうして年に数回、瀬戸内を訪れるのだが、私にとってはここは日本で一番景色の良い場所だと思っている。瀬戸内海は、昭和9年に霧島や雲仙と共に日本で初の国立公園として指定された場所である。国立公園としては「陸地だけ」だと6千ha余で、日本の国立公園としては中くらいの規模らしいが、東は淡路島から西は関門海峡や豊予海峡まで、はるかに続く多島美のスケールは素晴らしいの一言である。もっともこの間の海域を含めると瀬戸内海の総面積は約2万haとなるから、実質的な規模では日本一の国立公園であろう。その美しい海に加え、太古の昔から交通の要衝として栄えた歴史ある港町や城下町が散在、最近では日本の産業を支える諸工業地帯、それらを結ぶ連絡船や架橋などを見ることができる。日本に多くの国立公園や名所・旧跡はあれど、自然の美しさと人々の営みが調和している地域となると瀬戸内が日本一だと確信している。
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隈研吾が設計した亀老山展望台から眺める来島海峡の絶景

2019年1月 2日 (水)

沖縄旅行・にぎわう沖縄の本質

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暮れから正月にかけて沖縄に行ってきた。毎年親族一族の誰かが2月末~3月に行われる東京マラソンの抽選に当たるので、その走りこみ練習を兼ねて正月は南の地方に合宿兼観光旅行を恒例にしているのである。これまでにも宮崎や石垣島、長崎、伊豆大島などで正月を過ごし、昨年はしまなみ街道の今治で元旦を迎えたが、今年は東京マラソンに出る義弟の走力強化の一環として皆での沖縄合宿である。


目的の走る事は”それなり”にこなしつつ、合宿ではご当地を観光して廻ったり、旨いものを食べるのが大きな楽しみだ。という事でレンタカーで島内を廻ってみると、沖縄の道は広く、街道沿いには大きなショッピングモールがあちこちにあって、なんだかハワイやグアムにいるような気がしてくる。驚いたのは大晦日でも街道は車の流れが絶えず、飲食店はどこも賑わっており、今まで毎年、暮れ・正月を過ごした本土の各地とはちょっと年末・年始の風情が違う。


そういえば昨年の今治合宿では、大晦日は夜の町がひっそりと暗く、ご飯をどこで食べられるのかひどく心細かったものだった。反対に沖縄のこの元気さはどこから来るのだろうか。沖縄には幾度か来た事があったが、これまで訪れたのは那覇市内が主だったから、初めてそれ以外の地に触れて、島内総じて活気が充ちているのを実感した。なので「沖縄の県民所得は全国でもかなり低い」「全国の米軍基地の70%以上が沖縄に集まっている」など、ふだんインプットされる当地の悲観的なニュースに、今回の旅で違和感を感じたのである。


それもそのはず、いまや沖縄は「観光・基地・公共事業」の従来型の経済に加えてIT産業も伸び、経済が好調、失業者が減って地価上昇、成長率も高いそうである。目を見張るのは道路事情で、ここでは高速道路に加え都市部の国道は何車線もある立派なものが伸びているし、新しいバイパスも完成しているようだ。また各地のきれいな海辺は大規模な護岸工事で造成されているし、さらに今後は空港の拡張などの公共事業計画も多いと聞く。島内あちこちに米軍関連の地元業者も多く、ショッピングモールでは多くの米軍人や家族が買い物をしている姿も見られて、彼らも経済に貢献していることだろう。


これを見ると、どうやらここでは貧しさや米軍基地問題をサヨクがことさら大きく取り上げ、それを沖縄の2大新聞が煽り、自民党が反対運動の盛り上がりを背景に国から多くの補助金や助成金、税の優遇措置を引っ張ってくるという利権の構図ができているのではなかろうか。「辺野古の自然は貴重で基地反対」とサヨクは騒いでいるが、沖縄ではすでに各地で護岸工事が行われ、多くのきれいなさんご礁の海が埋め立てられているのである。ただ辺野古だけ大反対するのも、騒げば騒ぐほどカネの種になる、という仕組みがあるのだろう。ローラとか云うタレントの「美しい辺野古埋め立て反対」のツイッター騒ぎも、何だか事の本質から外れた頓珍漢な出来事に思われる。


パスポートなしで気軽に国内から行ける南国のリゾート、米軍が展開するのでその経済的貢献の上に国から多くの支援があることなどなど、普段のネガティブなメディアの情報操作とは違う将来性ある地である事が今回の旅で感じられた。このような地理的・地政学的なメリットがあるのだから、これからは税制その他で恩典などをもっと得られる土地にしたらどうなのだろうか。例えば沖縄では現在、観光客だけが得られる関税免税があるが、その他すべて島内で消費される商品も消費税なしにするとか、船舶の船籍地とすれば各種免除を得られる地とするなどが考えられよう。またカボタージュ対象外地区として、国内を周遊する外国籍のクルーズ船が沖縄に寄れば一旦日本国外に出た事と同等にし、韓国など外国に寄港する必要がないようにするなどというアイデアもある。その他、簡単なところではオープンカーのレンタカーを多数用意、カジノ解禁など素人でもいくつかアイデアが出てくる。百聞は一見にしかず、基地反対ばかり報道するメディアからは正しい姿が見えてこないようだ。

2018年12月24日 (月)

JTBの時刻表

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時刻表といえば鉄道弘済会(JR)より交通公社(JTB)版が昔から馴染み

60才台も後半、「大人の休日倶楽部・ジパング」の会員となって、JRの全線で運賃や特急料金などが30%引きで乗れるようになった。一生懸命はたらく現役の人たちに対して、高齢者割引を利用して遊んでばかりいるのもナンだか申し訳ない気もするが、せめてジジ・ババたちは消費活動に協力し景気に貢献する義務があろうと云うものである。という事で、この連休前半は妻と二人で東北地方の温泉に「ジパング」を利用して行ってみようと計画した。寒くなった東北地方の温泉で雪でも見ながら、日本酒で一杯などというのもオツなものだ。


さて、こういうフラッとした旅を考えるには、アナログの時刻表が必要なので久しぶりにJTBの時刻表を買ってみた。ふだん使うネットの「路線情報」はA点からB点への移動には便利なのだが、鉄道やバスの路線図を見つつ、あっちに寄ってみるか、途中下車したら次の列車まで何分あるかなどという気ままな旅のプランニングにはあまり役にたたない。ネットの乗り換え案内で見る旅程が早さを優先した一次元的な情報だとすると、時刻表から得られる情報は二次元的な広がりで、それを眺めているうちに旅のアイデアが膨らんでくる気がする。ゆっくりと時間をかけてフェリーで行こうかなどという時も、まず時刻表を見た方が旅のイメージが早くつかめる。


旅の楽しみの一つである列車の選択も、紙の時刻表で見た方がはるかに便利である。東北新幹線などでは乗りたい列車がE2系なのかE5系なのかが一目瞭然になったし、山陽新幹線でまだ活躍する500系に乗りたいと思ったら、500系「こだま」がやって来る時間もすぐにわかる。なにより時刻表をじっくりと読んでいるとJR線の様々な割引や運賃の特例を発見して、ちょっと得をした気持ちになる。かつて神戸に出張する際には「601キロ以上を同一経路で往復すると運賃が1割引になる」という制度を利用して、会社には新神戸までの正規運賃を請求しながら、東京から西明石までの往復切符を買って車中ビール代を稼いだものだったが、こんな割引も時刻表ならではの発見である。


その他、時刻表には全国の路線図、主な駅の構内案内、私鉄やバス、飛行機・フェリーの時刻からレンタカー、それに駅弁の案内まであるから、これ一冊あれば旅の計画はほぼ完成する。分厚い時刻表をつらつら眺めつつ旅のプランや料金をシュミレーションするのも、学生時代にかえった様でなかなか楽しいものである。「ジパング」の会員なら往復割引などに加え、運賃や特急料金が3割引なのだから遠くに行けば行くほど得した気分になる。これからはせいぜい老人の特典を利用させてもらい国内旅行を楽しもうと思っているので、ネットが普及する前にそうだったようにJTB時刻表を季節ごとに買い換えることになりそうだ。

2018年8月22日 (水)

湘南の風

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クルーズを通じて知り合った友人の湘南のご自宅に夫婦して初めてうかがった。遠足気分でロマンスカーに乗り新宿から約一時間、待ち合わせ場所は小田急の片瀬江の島駅である。こうして江の島に電車で来るなどは何十年ぶりだろうか。行き止まり式のターミナル、竜宮城を模して作ったというレトロな小田急の駅舎に降り立つと、海を目の前になんとなくリゾート気分が盛り上がる。


改札口を一歩出ると、ほほをなでる風が海風でまるでクルーズ船のデッキにいるように心地よい。同じ気温でも都会の真ん中の空気と海辺の空気はこうも違うのだろうか。かつて、このあたりから片道1時間以上かけて東京都心まで通勤していた同僚が何人かおり、毎日ご苦労さまと思っていたが、この空気とこの景色に慣れると、暮らすならこの辺り、という気持ちも判らないでもない。


そういえば江の島のある藤沢市には、「善行」駅そばにある県立スポーツセンターに、若いころは陸上競技の試合でよく来たものだ。また今年の正月には箱根駅伝の学連選抜に選ばれた後輩の根岸君を応援しに藤沢橋まで訪れたばかりである。という事で藤沢というとどうしても陸上競技のイメージが浮かんでしまうのだが、ちょっと海岸の方に来てみると古くからのお屋敷とリゾート地帯とあって同じ市内でも場所によってずいぶんと景色が違うものだ。


海の見える新しいマンションの友人宅で暮れ行く相模湾の景色を堪能し、帰りはこれまた何十年ぶりかで江ノ電に乗ってJR藤沢駅に戻ってみた。夏祭りでもあったのか、車内はゆかた姿の若い子たちでごったかえしていたが、こうしてがったんごっとんとのんびりと電車に揺られるのも良いものだ。最近はどこへ行くのもクルマで行く事が多くなったが、缶ビール片手に電車に揺られる小旅行をもっと頻繁にしてみようと思ったのだった。

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外国人も多かった江ノ電

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