カテゴリー「旅行・地域」の記事

2022年7月29日 (金)

成田発:成田行き エアバスA380によるANA FLYING HONU チャーターフライト

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成田空港エプロンのA380ホヌ2機、奥が搭乗したカイ号

コロナは第7波に突入だとメディアはまた大喜びしているが、2年半経っても相も変わらぬ風潮にめげず夏を楽しみたいところだ。そんな折、メールマガジンで成田空港発着のチャーターフライトの案内が入った。かねがね妻がハワイに行く際には是非乗りたいと言っていた空飛ぶウミガメ機を使用したANAのチャーターフライトで、機内では飲み物や軽食のサービスもあるとの事だ。最近は海外と云うとクルーズ客船ばかりで成田空港は久しく利用しておらず、それどころか2010年に開通した京成の成田空港線や、それに合わせて導入された在来線では最速160キロの3代目スカイライナーAE車もこれまで利用したことがなかった。この企画に申し込めば新スカイライナーとA380の両方に乗れると、7月27日に「エアバスA380によるANA FLYING HONUチャーターフライト」というツアーに夫婦で参加した。


使用されるエアバスの総2階建て超大型機A380は、ANAが2019年5月にホノルル線用として導入したものの、武漢ウイルス騒動によって長らく休航を余儀なくされていた機材である。愛称のフライングホヌはハワイ語でウミガメを意味するホヌ、が空を飛ぶという造語だ。ホヌたちはやっとこの7月から再開したホノルル行きの運用に再就航したものの、これもまだ週2便と極めて限定的な使われ方となっている。いま存分に飛べないA380は寂しく成田空港の駐機場に留め置かれているが、ANAには1機500億円と云われる機体が全部で3機もある。少しでも金を稼ごうと2020年暮れから無寄港や国内各地へのチャーターフライトのほか、成田空港で機内食を楽しむレストランとして使われるなど、ホノルル便で期待の星だったホヌたちも地を這う努力で営業を展開中である。この日、我々が搭乗したのはA380第2号機で、ハワイの海をイメージした緑色に塗られ、愛称が「カイ(ハワイ語で海)」という機体であった。


今回のANA FLYING HONU チャーターフライト便(ANA2030便)は13時に成田を飛び立ち、岩手県の久慈上空でUターンして成田に戻る2時間のフライトで、途中で食事が出るという設定であった。料金はファーストクラスが11万8000円、ビジネスクラスが窓際6万9800円でともに国内線プレミアムクラス昼食付、プレミアムエコノミー席は窓際5万4800円、エコノミーが窓際3万9800円、通路側2万4800円でこちらはホノルル線の軽食付きとなり、我々はエコノミー窓際に搭乗することにした。このチャーターフライトが飛行する成田‐岩手‐成田の直線距離は約1000キロで、これは東京から福岡や札幌への直線距離よりやや遠いことになる。いま羽田空港から福岡空港や千歳空港まで飛べばANAの正規エコノミー運賃では約4万円ほどであり、今回のフライト料金を高いとするか安いととるかは正に”価値観次第”という事になる。


新スカイライナーでやって来た当日のチェックインは、エコノミークラスが朝10時からで、以後順次プレミアムエコノミー、ビジネス、ファーストと上級クラスになるほど遅くゆったりしているのがクルーズ船とは逆である。チェックインから搭乗まで時間があるため閑散とした国際線のカウンターなどを見学し、第一ターミナルの片隅にある国内線待合室で待つことしばし、時間になり今度は上級クラスからバスに揺られて空港エプロンのはるか彼方に駐機するA380に向かった。定員500名ほどに対してこのフライトの乗客は100名余くらいだろうか。待機する真新しい機内に一歩足を踏み入れれば、ボーイング747ジャンボより広々とした空間が広がり、航空機特有の閉塞感もあまり感じない。プレミアムエコノミー以上は2階席なので見学は出来なかったが、エコノミー席でもシートピッチが86センチと従来の国際線エコノミーより広く、ハワイならこれで十分という気にさせてくれる。前席の背面に備え付けられた大型モニターには、オンデマンドの音楽・映画のほか、垂直尾翼上のカメラ映像など機体の状況や飛行位置を知らせる情報が満載で、タッチパネルをあれこれいじっているだけでハワイまで退屈せずに過ごせそうだ。


上空の軽食サービスは、エコノミーでもなんとビールも無料というのが嬉しかったが、印象的なのが成田に帰ってから飛行機を降りる時だった。ふつうのフライトでは到着地に着くとせっかちな乗客で扉の前に列ができるところが、この日は誰も積極的に降機しようとしない。2階のファーストクラスから順に搭乗口に呼ばれる乗客は、ドア付近で総出で挨拶をするスッチーに次々と言葉をかけたり記念撮影をしたりと動かないのである。特にビジネスクラスの乗客は男性一人のオタクっぽい感じが多くてプロトコルが長く、ドアが開いて10分ほどしてもエコノミー客が下りる順番にならないのは微笑ましかった。その後、皆が機外に出ても待機するバスを前に、そのまま炎天下に悠々と写真撮影に時間を費やすという情景がエプロンでは繰り広げられていた。乗ってきたカイ号のコクピット窓が開けられ機長が手を振る中、余韻を楽しむかのようにフライトを体験した乗客たちはバスに乗り込んだのであった。

FLYING HONU チャーターフライト飛行経路
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コックピットのキャプテンと別れを惜しむ
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2022年7月 8日 (金)

瑞泉寺・五箇山合掌造り・”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール”

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山門より見る瑞泉寺本堂

旅の2日目、再び連絡船で庄川を下り小牧の船着き場から貸し切りバスに乗り換えた。砺波平野の田園地帯をバスに揺られてほどなく着いたのは、「木彫りの里」と案内のある井波の町であった。ここには瑞泉寺という大きな寺があり、井波はその門前に発展した町である。瑞泉寺は京都の東本願寺を本山とする一向宗(真宗大谷派)の別院で、寺の建物を装飾する木彫りの職人たちが井波には代々多数住んできたとの現地ガイドの説明である。寺の参道には彫り物の小売り店も何軒かあり、なるほどここが「木彫りの里」であることを実感できる。街の中心にある瑞泉寺は中世には越中一向一揆の拠点となった大伽藍とはいえ、週末にも拘わらずお参りする人もごくまばらな境内であった。人の気配もあまりしない広い寺院に佇むと、かつて一向宗がなぜこの地で人口に膾炙し、寺院勢力がどう封建体制や庶民の生活に関わったのかもう一度歴史を勉強したくなってくる。空港や駅からレンタカーで観光に向かうと、途中にこのような名所があってもつい先を急ぎパスしがちだが、あまり知られていない場所に効率的に連れていってくれるのが団体ツアーのメリットだと思う。


次に向かったのが2日目のハイライト、ユネスコ世界遺産として1995年に日本で6番目に登録された合掌造りの里、五箇山の相倉(あいのくら)集落であった。五箇山にはもう一か所菅沼という集落があり、岐阜県側の白川郷とともに三か所で世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を構成している。バスは長い五箇山トンネルを抜け砺波平野から簡単に我々を相倉へ連れて行ってくれたが、その昔ここは加賀藩の流刑地ともなっていたそうで、さぞや不便な集落であったことだろう。小さな山間に10数軒の合掌造りの民家がひっそりと固まった相倉集落では、合掌造りの内部を改造した茶店でまず昼食である。ふんだんに盛られた山の幸を楽しんだ後は、民俗館で合掌造りの内部見学。雪が積もらぬように鋭角に作った天井裏ではかつて養蚕を、土間では火薬の原料である焔硝(硝石)が作られていたそうだ。茅葺の屋根は断熱性が高い上に通気がよく、この地方の気候に適していたとの事。ただ20年に一度、茅葺屋根の吹き替えをする必要があり、今ではそれに2千万円の費用がかかると云う。民俗資料館の案内所のおばちゃんに「葺き替えのお金はどうするの?」と尋ねると「そんな難しいことはようわからん、あはは!」と上手にはぐらかされた。 


合掌造りの里を後にして再びバスに揺られ1時間弱、観光列車、”ベル・モンターニュ・エ・メ―ル”乗車のために砺波平野の南部にあるJR城端(じょうはな)線の始発駅・城端駅にやってきた。なんとも覚え難い列車名は、仏語で「美しい山と海」を現わすそうだ。愛称”べるもんた”はキハ40型一両編成の列車で、内部は寿司カウンターなどが設置され、沿線の景色を楽しむために高岡を中心にJR城端線(山側)とJR氷見線(海側)で週末に運転されている。ここ富山では北陸新幹線開業に伴い従来の北陸本線が第3セクターの「あいの風とやま鉄道」となり、特に高岡地区ではJR線としては城端線と氷見線が盲腸のように取り残されてしまった。その為に短距離ながら路線存続をかけて、このおもてなし列車が設定されているのだろう。旅もフイナーレだし喉も渇いたのでビールでも飲むかと”べるもんた”に乗り込むと、なんと夏日のこの日は城端までやってきた下り便で、ビールは売り切れたとのことでがっかりである。それなら折り返し時間を利用してすぐに城端の町でビールを仕入れて来いよ、と掛かり員に毒づきたくなったが、新幹線接続の新高岡まで28キロ、僅か40分の旅なので、車内に添乗する沿線案内のガイドの富山弁の名調子だけを楽しむことにした。白山連峰に連なる山々やチューリップで有名な砺波平野を車窓から眺めつつ、2日間にしてはぎっしりと内容の詰まった「庄川峡遊覧船で行く秘湯の一軒宿『大牧温泉』と観光列車『ベル・モンターニュ・エ・メール』」の旅を終えた。

五箇山 相倉集落
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高岡銅器をイメージした吊輪、井波木彫の間仕切りなどで飾られた”べるもんた”号と地元観光協会のガイドのおばちゃん
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2022年7月 5日 (火)

大牧温泉

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週末はJR東日本びゅうの添乗員付き団体旅行 「庄川峡遊覧船で行く秘湯の一軒宿『大牧温泉』と観光列車『ベル・モンターニュ・エ・メール』」に行ってきた。クルーズ船の寄港地でのエクスカーション以外、普段はあまり団体旅行には参加しないのだが、土地鑑のない場所だし、一泊で金沢の兼六園、アクセスの悪い大牧温泉、人気の観光列車に乗車と効率よくさまざまな趣向を楽しめる旅程が魅力である。一行は添乗員ほか全部で20人、うち我々のような夫婦が四組で、その男性以外の16名がおばちゃんという予想通りの団体構成であった。


東京から最速の北陸新幹線「かがやき」で2時間半で到着した金沢では、まず近江町市場で各自好きな場所で昼食をとり、日本三大庭園の一つ兼六園をぐるっと回った。次に金沢から貸し切りバスに乗って来たのは、庄川の小牧ダム(1930年完成)の脇に作られた小牧の船着き場。ここから約4キロ上流のダム湖湖畔にある大牧温泉は、源平時代、倶利伽羅峠(大牧温泉から北に約30キロほど)の戦いで敗走した平家の武将、南兵衛藤原賀房が、この地にたどり着いたところ湧き上がる煙で温泉を発見し、逗留するうちに戦で負った深傷も癒えたとされる名湯だそうだ。


大牧温泉には一応道路が通じているものの、これは関西電力の作業用の私道で一般の通行は不可であり、小牧から午前中2便、午後2便の連絡船に30分揺られて行くしかない。後ろは山地に森、前に(ダム)湖というロケーションに位置する「大牧温泉」は、宿が一軒あるのみで”秘境の湯”らしく周囲には民家やら商店がまったくない。この日は真夏を思わせる青空の下、川面を吹く微風を心地よく感じながら大牧温泉のポンツーン桟橋に降りて皆で階段を上って宿に着いた。秘境の湯とは云え「大牧温泉」は3階建ての立派な建物で、サスペンスドラマ類のロケに訪れた出演者の色紙や写真が並ぶ廊下を通りトイレ付のごく普通の客室に通された。


大牧温泉の泉質はナトリウムやカルシウムを含む弱アルカリ性、なめてみるとごく弱い塩分を含む透明な湯で、微かに硫黄の匂いもする。男女別の大浴場のほか、館内スリッパからサンダルに履き替えて行った先にはクマ・タヌキ・キツネに注意と書かれた看板が架かった露天風呂もある。この日は我々団体の他には2組の客しかおらず、熱すぎずぬるすぎずの湯に一人、夏の太陽に映える水面を眺めつつ両方の湯にゆったりと浸かることができた。料理も山の幸を中心にけっこうなボリュームで、我々団体のおばちゃんたちは「食べきれない」とこぼす。「温泉に来たら3回湯に入るのがノルマ」の妻は、兼六園など一日歩いて出来た靴擦れが治ってしまったそうで、藤原賀房の戦傷を治した温泉の効果はてきめんのようだ。

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2022年4月 4日 (月)

路面電車と新宿風景

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昨日は四谷の新宿区立歴史博物館で「路面電車と新宿風景」展を見学した。都電は最盛期には約200キロ、41系統、都内の各地を結び一日200万人近くが利用した都民の足であったが、現存するのはそのほとんどが専用軌道を走る荒川線12キロ余だけである。かつて新宿区内には新宿駅を起点とする都電11~13系統、荻窪へ向かう14系統、高田馬場起点の15系統、四谷からの33系統、飯田橋からの3系統など多くの路線が敷かれていたが、モータリゼーションの発達で昭和44年に荒川線を除く都電の路線は区内からすべて撤去されている。ありし日の都電の走る情景を資料と共に追憶しようというのがこの企画展である。雨にも拘わらず最終日とあって、昨日はけっこう参観者も入っていた。


私も東京の西郊から新宿区内に引っ越してから早くも20年近く経過した。新宿区というと当初は何か猥雑な環境かと云う気もしたが、高層ビルの林立する新宿駅西口や、歓楽街であるゴールデン街や歌舞伎町地区、今やどこの国だかわからないような大久保・新大久保などは新宿の一部の姿に過ぎない。区内には早稲田大学や東京理科大など多くの教育機関のほか古くからの大病院が多く、住宅地や商工業地が拡がるのがもう一つの顔である。そういえば父が亡くなった際に見た結婚前の本籍地は新宿区の百人町であった。今では朝鮮人街になった観のある百人町だが、祖父は今の国立国際医療センターの前身である陸軍病院に勤務していた軍医だったので、病院通勤に至便だったこの地に居構え、そこで父が生まれたらしい。また叔父は矢来下で育ち神楽坂の毘沙門天境内でよく遊んだと言っていたが、こういう話を聞くにつれ新宿区と我が人生は縁が浅からんことを感じる。


と云うことで、むかしの新宿と都電の様子を少しでも多く知りたいとの念にかられ、昨日は時間をかけて展示されていた資料や多くの写真を見て回った。都電の走る写真には現在でも往時の面影が残る場所も多いが、いまやすっかり変わってしまった場所もあって、展示を前にこれは現在のどの地点にあたるのか、「うーむ」と一人唸ることしきり。ただ戦前・戦後を通じて狭かった道路に人や車が溢れていた光景は、写っている人々の様子から今よりずっと街に活気に満ちていたようだ。新宿区内の街はどこもすっかりきれいになったが、一方で庶民の生活の気配が漂う個人商店は表通りから消え、都電の走った通りはビルやマンションに囲まれて味気がなくなった。会場を見て回るうちに老人が増える都内の再活性の為に、路面電車(あるいはライトレール・トランジット)が再登場できないものか、例えば荒川線は早稲田から再延長し、神田川や日本橋川沿いに飯田橋から都心へ乗り入れるようなルートができないだろうかなどと空想していた。

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常設展示会場にある5000系のレプリカ

2022年2月16日 (水)

新橋第一ホテル ANNEX最終日

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ディナー最終営業日のイタリアンレストラン・ラパランツァ

武漢ウイルス禍で(個人的には嬉しいが)シナ人の爆買い観光客などが来日しなくなり、東京都心のホテルは軒並み窮状に陥っているようだ。昨年6月末には九段下のホテルグランドパレスが49年の歴史に終止符を打ち閉館となり、1989年開業の新橋第一ホテルANNEXもこの2月12日を以て営業を終了した。ともに都内ではそれなりに有名なホテルだったから、過剰な武漢ウイルス対策の犠牲になって早々に営業を終えるのは寂しいものがある。しかし外国人観光客の来日などはいつのことになるのかまだ先が見通せないなかで、設備の古いホテルがやめるのも止む無しなのだろう。


その第一ホテルANNEXでは「ご愛顧感謝セール」と銘打って、1月下旬から最終日まで食事つきの宿泊プランを展開することを「阪急・阪神第一ホテルグループ」のDMで知り、夫婦で2月12日の営業最終日に宿泊を申し込むことにした。「ご愛顧感謝セール」は同ホテルグループ会員に限り、部屋代込みに6000円程度のイタリアンの夕食、3600円の洋風朝食セットまでついて、なんと一泊一人税込みで8550円ぽっきりだというからビックリだ。第一ホテルANNEXは都心の一等地に位置するホテルとあって、バブルの時代や訪日観光客で賑わっていた頃は、素泊まりで一人一泊2万円近くはしたであろうから、2食付きでこの料金なら超破格の設定と云える。我々は「外出自粛要請」もほとんど考慮せずによく夫婦で外食に出かけているが、この料金でホテルクオリティのディナーと朝食が味わえるなら、宿泊代タダ、或いはメシ代がタダみたいなものだ。ホテルのメンバーズクラブなどは申し込むのも面倒なのだが、たまにはお得な特典もついてくるものである。


といっても新橋は我々にとって昼夜問わずあまりにも「日常」の世界である。ふだんの会社の行き帰りや飲食のほか、すぐ近くの皇居も週に何度もジョギングで来るので、いくらホテルと云ってもどこかへ来たという気がしない。ならば、という事で、宿泊は電車の線路に一番近い部屋をリクエストし、眼の前を通る新幹線や、東海道線・山手線・京浜東北線の電車を眺めて過ごすことにした。蔓延防止等重点措置の3連休中で、館内の宿泊客はガラガラとあって、チェックインすると希望通り4階の線路間際の部屋がアサインされ、目の前を色とりどりの各種電車が通り過ぎていく光景を一日楽しむことができた。ホテルの窓ガラス超しに新橋駅脇の見事なS字カーブを身をくねらせて通過するN700系新幹線や235系通勤電車を眺めていると、まるで鉄道模型の大きなジオラマに入り込んだような錯覚に陥いる。ここでコンビニで買った持ち込みのビールでも飲んでいれば、新橋でも「非日常の世界に没入」と云う気分になってきた。


セットの夕食はホテルの地下一階の”イタリアンレストラン・ラパランツァ”で摂る。ここは半地下の構造で地上の景色も大きなガラス窓越しに垣間見えるのだが、座りながら外を見るうち、目の前の新幸橋の交差点に、かつて個人及び大日本帝国4社(大和・日本交通・帝都・国際)タクシーの専用乗り場があった事を思い出した。そういえばバブルの頃には、毎晩のように銀座の接待帰りにタクシー券を握りしめここで並んでタクシーに乗車したものだった。多くの酔客で賑わったあの頃と、現在のラパランツァの閑散とした店内やウイルス禍でひとけのない新橋界隈の光景はまるで別の国のようだ。妻もかつてすぐそばの都銀本店におり、深夜残業の帰りにここを通ると、優雅にカクテルを傾けるカップルが目に入り羨ましいと思ったらしいが、今回はこうしてこちら側に座り、最終営業日に立ち会うのは不思議な感じがすると述懐している。

ジオラマの世界・新橋駅付近の線路
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2021年11月16日 (火)

観光拠点再生計画 宇野港発 瀬戸内海遊覧クルーズ船 実証運航

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宇野港 旧国鉄岸壁傍ポンツーンが実証クルーズ船”マリンストーク”号乗り場


この週末は、妻と岡山県に旅行に行った。目的は「玉野市宇野港から瀬戸内海を遊覧するクルーズ船無料実証運航」を体験し、その後に岡山市の天満屋デパートで11月3日から14日まで開催されているスぺシャルイベント”飛鳥Ⅱダイニング”のコース料理を味わうことである。天気も良さそうだったので、ついでに日曜日は倉敷の美観地区を散策し、秋の山陽路をゆっくりと楽しむことにした。例によって金曜日は夕方までに仕事の目途をつけ、「大人の休日倶楽部・ジパング倶楽部」の3割引切符を利用して新幹線「ひかり」号の飛び乗り岡山に。岡山駅直結のビジネスホテルに宿泊し、土曜日は朝から宇野線で終点・宇野まで行き、港から2時間弱のプチ瀬戸内海クルーズを経験した。


この催しは、国土交通省が全国的に展開する『観光拠点再生計画』に基づき催行される実証実験のクルーズという位置付けだ。「観光拠点再生計画」とは全国の観光拠点を再生し地域全体の魅力と収益力を高める事業とのことで、要は国交省の予算によって全国各地域で観光の目玉を掘り起こそうという計画である。宇野港のある岡山県玉野市では、既存の渋川海岸と王子が岳という名勝地に加え、海上からの遊覧を追加して観光事業の活性化を目指すことを国交省に登録し、その実現のために今秋は実験クルーズを毎週数航海づつ運航することにしたらしい。当該「渋川海岸・王子が岳 魅力拡大プロジェクト」のホームぺージには、「玉野市宇野港から瀬戸内海を遊覧するクルーズ船無料実証計画を実施」し「乗降者数のデータを蓄積し今後のクルーズ船利用促進に活かす」と記載されている。


乗船したクルーズは、ふだん海上タクシーに使われる小型の旅客船を利用し、宇野港から瀬戸大橋方面まで往復2時間の瀬戸内海を航行するもので、国の予算がついているために乗船料はかからない。その代わりにこの船旅が将来の観光事業に寄与するのかを調べるために、乗客は簡単なアンケート調査に応じる必要があった。クルーズの予約はネットでの応募のみで、広く全国には知られていないようだったが、我々が乗船した土曜日の朝の航海は船の定員30人が一杯となる満船状態となっていた。乗客は自家用車で港へ来たカップルやファミリーなど地元の参加者がほとんどで、遠隔地から鉄道を利用し宇野駅から徒歩で乗船した我々のような物好きは他にはいなかったようである。


宇野港と云えば瀬戸大橋開通に伴い廃止になった国鉄の宇高連絡船に乗船して以来50年ぶりである。連絡船と鉄道を結んだ可動橋はどこだったかなどとノスタルジーに浸る間もなく、17ノットの快速で小さな旅客船は瀬戸内海へ滑り出した。進行方向左手に直島の旧三菱金属直島精錬所、右手には旧三井造船玉野工場や三井金属日比精錬所などふだん通る瀬戸内海本航路からは遠い工場群がこのクルーズでは身近に見えて興味深い。船は地元の渋川海岸や王子が岳沖を通り、県境が島の真中にあると云う大槌島や貸し切り無人島になっている竪場島(たてばじま=通称くじら島)などを次々と交わしていく。やがて鷲羽山が迫って来たかと思う間もなく、このクルーズのハイライトである瀬戸大橋のうち、斜張橋の岩黒島橋と吊り橋の下津井大橋をくぐることが出来た。飛鳥Ⅱや大型フェリーで幾度か通った瀬戸大橋も、海面近い小型船の視点で眺めると違った迫力を感じるものだ。


この間に適宜船長の案内放送があるものの、彼はふだんは海上タクシーの業務専任とあってバスガイドのように次々と流ちょうな解説があるわけではない。また肝心の近辺の地図が配布されないのも残念だった。しかし瀬戸内海といえば上代から大陸と畿内、あるいは九州と畿内を結ぶ重要な回廊であった。瀬戸内の各地には水軍と呼ばれる勢力が存在したし、下って江戸時代になると北前船の風待ちや潮待ちのための津が賑わい、明治以降は今でも見える高い工場の煙突から近代日本を作る煙がたなびいていた。日本で最も早く国立公園に指定されたように世界に誇れる多島美と歴史、産業の槌音が共生してきた地が瀬戸内海である。最近は超高級クルーズ船”ガンツウ”だけでなく、瀬戸内しまたびラインの”SEA SPICA"など、移動の手段としてではなくこの海を楽しむ新たなサービスも始まった。玉野市の前には最近芸術面でも有名になった直島もある。歴史の旅、産業の遷移を見る旅、地質学的な旅、芸術の旅、無人島の旅など様々な切り口で小回りの効く小型船によるサービスを提供し、適切なガイドを配置すれば、新たな「観光拠点再生の拠点」になるはずだと玉野への帰路、波に揺れる船内で考えた。

 

日比精錬所 普段みることのない視点で工場を眺めることができる
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2021年11月 9日 (火)

カーナビとドライバーの感覚差

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カーナビに素直に従ったら林道のような狭い道を走ることに(函南付近)

先週末は湯河原温泉に一泊で遊びに行った。宿はまだそれほど混んではいなかったが、往復の東名高速道路はけっこう交通量が多く、やっと皆が外に出掛け始めたことを示していた。せっかくここまで来たのだからと、帰りに御殿場近くにある妻の父が眠る富士霊園に寄ることにした。湯河原から富士霊園までは北西に向かい箱根連山をこえて直線距離では30キロほどで、このあたりは良くドライブに来たことがあり何ということもない快適な山道である。しかし会計を済ませフロントで「この前の道を上っていけば箱根峠に出ますよね」と念のため尋ねると「湯河原パークウェイがこの夏の崩落で通行できないので、御殿場へ行くなら熱海から回ることをお薦めします」と云う。ということで仕方なく遠回りになるが熱海経由で箱根を目指すこととした。


熱海の市街地は狭い海岸沿いと急傾斜に曲がりくねった細い道が多く、助手席の妻はこの辺りでスマホの最新ナビゲーションガイド(google)をオンにし富士霊園へのルート検索を開始した。我が愛車BMWのナビは画面が小さくて見づらいうえ、何と言っても2008年製の古いソフトのまま更新もしていないので、どうせ見るならと妻はスマホの最新版を頼りにしたいらしい。とはいうものの私はナビが嫌いでほとんど使ったことがない。これが発する「この先、右方向です」などと云う音声ガイドを聴いても、道なりにじんわり右方向へ進むのか、ごく小さい横丁を意識的にシャープに右に入っていくのか判然としないことがあり却って混乱することが多い。以前あるゴルフ場へナビのルート案内に従って運転していたらいつまでも田舎道が続き、「目的地付近に着きました」の声で周囲を見るとゴルフコースから遠いゴルフ場の従業員宿舎の前で、集合時間に遅れてしまったこともあった。


運転にはアナログの地図帳を見るのが一番だと思っているものの、この日は久しぶりに熱海のごみごみした街を抜け箱根ルートを辿るので、スマホの画面と音声に素直に従うことにした。熱海の街を抜けて箱根外輪山にとりつき3キロ弱、道路はぐんぐん高度を上げて笹尻という三叉路に差し掛かった。分岐箇所の道案内には右方向は箱根峠、左は熱函道路、三島方面とあるので当然の如く右へ進もうとすると、ここでナビは左へ行けと指示してきた。「ムッ!こっちのはずなのに」と一人唸るも、相手は最新のナビである。右へ行けば新しい崩落個所でもあるのかとまずは素直に左に行くことにする。ところが曲がってみると長いトンネルを抜け、道は箱根外輪山から函南、三島方面に向かって下るだけで、このあたりで「ン!?これは一部不通箇所の迂回などではなく、ナビの意図と私の想定が完全に噛み合っていないのでは?」と思い始める。助手席の妻はと見ると「いずれ富士霊園に着くわよ。箱根の峠道は気持ち悪くなるからこっちの方がいいわ」と涼しい顔である。


下り続けて山麓の集落まで来たら、今度は「函南駅方面へ右折してください」とかなりローカルな道を示してきた。ナビは箱根を突き切るのでなく、最寄の第2東名高速道路のICに誘導し、今春開通したばかりの新御殿場ICを目指しているのがはっきりしてきた。「オイオイ、俺はただ箱根へ北上したいだけだよ」とハンドルを握りながら焦り出すも、分岐点をとっくに過ぎて引き返すには時すでに遅しである。箱根を通ることを信じて疑わなかったから、経由地設定もしなかったのが痛い。地元のクルマがたまに通るだけのローカルの道を辿り、次にナビが「ここを左方向です」と指定したのは農家の庭先をかすめて、すれ違いも難しいような山林の中の道路であった。このナビは何としても最短距離で我々を強引に第2東名に導きたいらしいが、もしここで何かあったら他のクルマは来ないし、助けを呼ぼうにも電波が届くのか?とさえ思える寂しい急坂の山道である。


右左折を繰り返してやっとのった国道では左に海が見え、大阪方面に向かっているではないかと一瞬不安になりつつ辿り着いたのは第2東名の長泉沼津ICであった。終点の第2東名・御殿場ICから富士霊園へも、これまでの経験や勘とはまったく違うルートを示され、運転していても面食らうことばかりで、目的地に着いたらドッと疲れを感じた。もっとも到着した時間はナビの示す予定時刻通りだったし、帰宅して計測すると私の当初の予定とナビ通りに走った実際の走行距離差は、10余キロほど遠回りした程度である。予期せぬ高速料金はあったものの人出が増え出した箱根山中の渋滞を考えると、最新のスマホナビのルートはむしろ合理的な選択だったのかと改めて見直している。それにしても走り出す前に「これからルートを案内します。その中には高速やトンデモない里道もありますので驚かないで下さいね」くらいの親切な事前案内があったら良かったのにとアナログ派の私は苦笑している。

熱海~富士霊園間 カーナビが示し実際に走った経路(左)/私がイメージしていた経路(右)
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2021年10月 4日 (月)

高峰高原・黒斑山

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都内に住んでいると、時々自然の中へ行ってみたい気持ちになる。山道を歩きながら”ブ~ん”とブヨの羽音がまとわりつくような場面が恋しいのだ。ということで台風一過の秋晴れの下、この週末は長野県と群馬県の県境、高峰高原から黒斑山(標高2404米)に登山に行ってきた。高峰高原の車坂峠にはかつて高峰高原ロッジ(との名前だったと記憶)というユースホステルがあり、中学時代に毎夏林間学校に訪れていた。数日間の林間学校のうち一日はロッジから黒斑山までを往復する4~5時間の定例山行で、その時に心に刻んだのが雄大な浅間山の山容やそれに連なる外輪山のすばらしい眺望だった。中学校を卒業以来55年間、高峰高原を訪れたことはなかったが、足腰が丈夫なうちに思い出の登山道をもう一度踏み、あの景色をまた見たいと思ってのノスタルジックツアーである。

 

車坂峠でクルマを下り、登山道の取り付き口に立つと、コースの案内図の脇には入山の注意書きや登山届の投入箱があってまずはびっくりである。半世紀以上前に林間学校の生徒たち数百人で登ったような道だから、まあハイキングにちょっと毛の生えた程度のコースとの認識で来てみたが、登山届が必要な「山」だったろうかとまずは我が記憶を疑う。見ると周囲の登山客はほとんどが登山靴、山用のザックに最近流行のステッキ(杖)を携えているが、こちらはジーンズにジョギングシューズ、手にはペットボトルの水を抱えてという超軽装だ。富士山で見かける観光気分の外国人ツアー客かのごとく、これは場違いかと一瞬うろたえてしまうほどだ。「山を軽く見るな」とか「年寄りの冷や水」などという文句が頭に浮かんだのだが、足にはまだ自信はあり、台風が去ったあとの晴天で天気の急変もなかろうと山に分け入った。(本当はこういうシニアが一番危ないのかもしれないが・・・)

 

歩き出すとコースはやはりそれなりの登山道で、あちこちにガレ場や急坂もある。手を使って体を引っ張り上げたりバランスをとらねばならぬ場所もあるが、軍手さえ携行してないから困ったものだ。黒斑山頂まで登りは2時間、踏み外せば滑落のおそれがある危険な箇所も幾つかあって「気楽なハイキング」よりはちょっと難儀な山道であった。かつて林間学校では山好きの先生が引率してくれたのだろうが、男女混ざっての都会の子供たち、それも大勢で毎年事故もなくよくこの道を行き来できたものだ。思い出をたどりつつ一歩づつ歩を進めるうち、落伍者も出さずに引率してくれた当時の教員たちの指導にあらためて感謝の念が湧いてきた。こうしてたどり着いた黒斑山山頂から目前に望む浅間山や深く切れ込んだ雄大なカルデラは、記憶のとおりわが国でも有数の息をのむ絶景であった。この景色は2時間の登り路に耐えた者だけが味わえるものかと思うと、頬をなでる山の秋風も一層心地よい。麓のコンビニで買ったおにぎりで昼食をとり、あの頃に一緒に登った同級生たちは今頃どうしているか、などと回想に耽りながら帰路についた

2021年6月13日 (日)

鬼怒川温泉と東武ワールドスクエア 

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バチカン サンピエトロ寺院 (後ろにエッフェル塔があるのがご愛嬌)

飲食店でアルコールが出ない都内にいてもしょうがない。新緑の候とあってどこか郊外に行こうかと妻と話すと、鬼怒川にある「東武ワールドスクエア」に行きたいと云う。世界各国の遺跡や有名な建築物を25分の1のモデルで再現したミニチュアワールドである。1993年に開園した当初は人気で大混雑したらしいが、さすが30年近く経て今では園内でゆったりと過ごすことができるだろうという目論見だ。都心から150キロちょっと離れた「ワールドスクエア」にクルマで行くなら温泉に浸かってゆっくりしようと、前夜は鬼怒川温泉に宿をとることにした。ネットで予約した旅館は週末というのにガラガラで、こんな値段で申し訳ないとこちらが思う程の至れりつくせりのサービスである。外出自粛の同調圧力など気にせず一歩足を延ばせば、鉄道も道路も旅館も安く快適に過ごせるというものである。


鬼怒川渓谷を望む露天風呂で朝湯を浴びた後、到着した「ワールドスクエア」は、予想通り土曜日と云うのに駐車場もガラガラだった。山裾にいだかれた敷地は周囲が約800米ほどで、ここに47の世界遺産を含む102のミニチュアモデルが展示されており、園内は植栽の整備も掃除も行き届いて快適にすごせるようになっている。順路に従って歩を進めると、まずは東京駅や国会議事堂、成田空港など現代日本ゾーンとなる。ひときわ目立つスカイツリーや東武鉄道の特急スペーシアの走行に目を奪われているうちに、アメリカゾーンに足を踏み入れるが、ここでは9.11で倒壊した在りし日のワールドトレードセンターの巨大な2棟のモデルが心を痛める。過去と現在が一体になり、時空を超えた疑似体験ができるのもミニチュアならではである。


大きなピラミッドのエジプトゾーンを通りヨーロッパゾーンに入ると、さすがに多くの建築物、城や教会、宮殿などのモデルが展示されている。ミニチュアと云っても25分の1の大きさとなるとそれなりに迫力があり、ベンチに座り薄目でぼんやり眺めていると、ヨーロッパに来て本物の建物の前にいるような錯覚に陥る。ガウディのサグラダ・ファミリアでは、写真やガイドブックで見るより建築中の内部の詳細が一目でわかりミニチュアの特性に興味を引かれることしばし。人物のフィギア一体一体にも工夫がありすべてが手の込んでいる展示なのだが、やはりヨーロッパゾーンを見ている時間が一番長くなる。万里の長城などが展示されたアジアゾーンを抜け、最後の日本ゾーンには馴染みの国内の多くの社寺仏閣のモデルがこじんまりと並び、これで世界一周が完了したことになる。


この間にかかった時間は2時間強で、歩いた距離を後から計測すると1300メートル、それぞれのゾ―ンで何度も同じように見かけるグループがいたので、我々の見学スピードは標準的だろうがけっこう歩きでがある。展示されているモデルは今年4月に完成した沖縄・首里城など新しく整備されたものもある一方、今はなきクルーズ船「ふじ丸」の展示は開園当初から在ったのか船体はかなり疲れている。採算的には厳しいのだろうが、現代日本を現すならば、最新の船舶に入れ替えることが必要だろう。現実にはなかったJR東日本塗色の新幹線100系や、旧JAS塗装のボーイング747(ジャンボジェット)がここでは堂々と活躍しているのもミニチュアならではのご愛嬌か。来る前はさして興味もなく妻の希望で来てみたものの、ぐるっと回ると童心に戻り旅心が大いに刺激された「東武ワールドスクエア」であった。来年、飛鳥Ⅱのワールド・クルーズが実施されたら、寄港予定地のバルセロナでサクラダ・ファミリアの実物を見学したいものだとあらためて心に刻んだひと時だった。

今はなきNY ワールドトレードセンター
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ふじ丸は船体がかなり疲れている展示
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2021年5月17日 (月)

アドベンチャーワールド、赤ちゃんパンダ・颯浜

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生後半年の赤ちゃんパンダ「颯浜」

週末は南紀、和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールドにパンダを見に行って来た。アドベンチャーワールドは動物園や水族館と遊園地を兼ねたテーマパークで、白浜町の町おこしやJR紀勢本線の宣伝にも使われるほど知る人ぞ知る有名観光地なのだそうだ。現在ここでは国内最多7頭のジャイアントパンダが飼育されており、特に昨年11月に生れた赤ちゃんパンダが大人気になっている。颯浜(ふうひん)と名付けられたこの赤ちゃんパンダを見るのに長蛇の列を作らねばならないと云われていたが、武漢ウイルス騒動以来、三密を避けるために抽選で入場者を絞りこみ、指定された時間しか見学できないシステムとなっている。


何回も抽選に落ちる人がいるなか、以前からパンダ好きな妻はこの週末の抽選に当たったと大騒ぎをしており、一人ででも行って来るという。中国共産党のプロパガンダに使われるパンダなどを見るのは真っ平だと思いつつも、週末に一人で家にいるのも面白くないし、飲食店では一切酒が出ない都内にいてもしょうがないので、妻にくっついて行くことにした(パンダに罪があるわけではないし)。どこに行くにも「わしも、わしも…」と妻のお尻にくっついて歩く定年退職ワシ族の老人になったような気も近頃するが、白浜町の隣にある田辺市スポーツセンターで大学時代に合宿した思い出もあり、半世紀ぶりにこの地を訪れるのも悪くない。


往時、大阪・天王寺から4時間ほどディーゼル列車に揺られて行った南紀も、いまは羽田からジェット機で一時間と隔世の感がする。ただJALのラウンジは緊急事態宣言(蔓延防止等重点措置)以来アルコールを提供していないため、いつもここで楽しみにしていた生ビールサーバーが使えなくなっており愕然とした。まったく意味のない酒類提供禁止のアホさ加減にあきれかえるばかりだが、これはまた別項で取り上げることとしよう。さて白浜と云う地名の由来となった白砂の白良浜(しららはま)に建つ温泉ホテルに宿をとり、早速風呂に浸かれば湧き出る湯は塩泉で、このあたり一帯はどこも出で湯の里のようだ。湯上りに、やっと手にした冷たいビールを飲みつつ白砂青松の海岸を眺めているうち、「松原遠く、消ゆる処」と自然に唱歌が口をついて出てくる。やはりついてきてよかったと思う一瞬である。


翌日は午後2時からお目当てのパンダの赤ちゃん見学の前に、アドベンチャーワールドで動物を見たりサファリツアーに参加したりと童心に返って楽しんだ。やはり例年よりかなり入場者も少ないようで、列に並ぶのが大嫌いな私には園内どこも混雑していないのがすこぶる気持ち良い。屋外に出ている数頭のパンダが食事をする様子を見ていると、実はこれは着ぐるみでないかと思うほどその姿や所作があどけなく感じる。最近聞いた上方落語「動物園」の影響か、着ぐるみの中には中国共産党党員が日本人の気を引くために必死で演技をしているのではとの妄想が浮かんでやまない。また水族館のペンギンたちの本格的な展示にはびっくりし、世の中には私の知らない場所に知らない大がかりな施設があるものだと感心することしきり。やっと巡って来た指定の時間に見た赤ちゃんパンダは残念ながらお昼寝中だったが、それでも寝ぼけながら時折見せるゼンマイ仕掛けのような仕草が何とも愛くるしく、妻は自粛なぞ無視して遥々来た甲斐があったと喜んでいた。

中共の廻しもの?2018年生まれの「彩浜」
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♪ 松原遠く♯ 白良浜
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紀勢本線の特急も”パンダくろしお” JR西日本 287系特急車両
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