カテゴリー「文化・芸術」の記事

2020年7月18日 (土)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

長引く梅雨と武漢ウイルスでどこにも出かけられない。そんな時には美術館である。主催者の一員である読売新聞から招待券を貰い、上野・国立西洋美術館で開かれている「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」展に行ってきた。と言っても今はウイルス対策で、国立西洋美術館は入場者の人数制限をしており、あらかじめ一人200円の予約料を払い、30分刻みで指定される時間に入場する方式になっている。この展覧会はもともと今年の3月から6月に開催予定だったが、ウイルス禍でこの時期にずれたもので、入口では予約の確認に手の消毒、体温測定と絵を見るのも大変な時代である。行ったのは金曜日の夕方とあって、名画の前は2メートルと云われるソーシャル・ディスタンスを取ることは出来ない程度のそこそこの人出だ。それでもいつもの予約を取らないシステムより、よほどゆっくりと名画を鑑賞できたのは、武漢ウイルスの思わぬ副次効果と素直に喜ぶことにした。


ロンドン・ナショナル・ギャラリーはロンドンの中心、トラファルガー広場に市民によって市民の為に形成され、13世紀から20世紀までの質の高い西洋絵画のコレクションを誇っていると解説にある。もっとも妻と15年ほど前にロンドンに旅行した際には、よく覚えていないのだが、ナショナルギャラリー入場を希望する彼女に「絵画は興味ないよ」と冷たく言い放ってパスしたそうだ。最近は、せっかく都内に住んで手軽に世界有数の美術品が見ることができるのなら、まあ見ておくかと考えるようになったわけなのだが、体育会派だった人間も年を経るとともに興味の関心が徐々に”高尚”になっていくようで、その変化が自分でもちょっと嬉しい。今年1月にここで開かれたハプスブルグ展を見た際に「少しでも教養のあるジジイになりたいものだ」とこのブログに書いた通り、一歩ずつ新しい自己発見へのチャレンジである。


ロンドン・ナショナル・ギャラリーが英国外で所蔵作品展を開くのは初めてで、今回は東京の後に大阪でも展覧会を開くとのこと。館内に足を踏み入れるとほぼ時代別に作品が並べられているが、どうも中世からルネサンス頃までの宗教画というのは私は苦手で、一目見ただけでそそくさと通り過ぎる。妻は勿体ないと云うが、そもそもキリスト教に関する知識がまったくない上に、この時代の宗教画は妙に暗く写実的、かつ題材が重いので見てもあまり愉快ではない。という事でじっくりと立ち止まるのは、やはりモネの「睡蓮の池」やらゴッホの「ひまわり」など近世・近代のコーナーで、「美術」の素養のない私には、有名なこの辺りが心に響く。最後は「昔と違って最近は少しでも教養のある」ジジイなところを友人にみせたくなり、暑中見舞い用にでもと、絵葉書数枚を買って展覧会見学を終えた。武漢ウイルスで東京が全国から嫌われているようだが、やはり東京に住んでいると何をするにも見るにも便利なのだ。

この絵葉書で違いの判るオトコに?

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2020年1月12日 (日)

上野国立西洋美術館・ハプスブルグ展

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正月が済むと、すぐにまた成人の日の三連休となる。この連休は昨年 飛鳥Ⅱの「秋の休日ウイーンスタイルクルーズ」乗船で貰った入場券で、上野の国立西洋美術館に「ハプスブルグ展」を見に行った。ハプスブルグ家による絵画、版画、工芸品、タペストリー、武具など100点、600年にわたる帝国コレクションの歴史である。などと云っても西洋史などはまったくの門外漢で、そもそもハプスブルグ家とは何ぞや?というレベルだ。その上、西洋の美術品はギリシャ神話かキリスト教に関連しているものが多く、そのどちらにも関心のない私には遠い世界の展示に思える。ということで妻に一緒に行こうと誘われた時にはやや躊躇したが、老境を迎えるにあたり少しは西洋美術に触れてみるのも良いか、と考え直しての美術鑑賞となった。少しは教養のあるジジイになりたい一心だ。


展示品は同家の肖像画が多く 「 まあそんなものか 」 という感じだったが、なにせ基礎知識のない私には各作品の傍らに置かれた説明板と家系の関係がピンとこない。仕方ないので帰宅して調べてみると、ハプスブルグ家はもともとスイス北東部から発した貴族で、のち神聖ローマ帝国の皇帝に選出されて以来、巧みな外交と各地の貴族との政略結婚や一族の血を守る近親結婚で勢力をのばした王家だとある。最盛期はオーストリアを中心にハンガリー、スペインなどに勢力を伸ばしたそうで、マリーアントワネットもハプスブルグ家の王女なのだと初めて知った。連休という事で多くの人が鑑賞に訪れていたが、私のようにアタマが筋肉でできている入場者も多いことであろう。美術の説明の前にハプスブルグ家とは何か、近世のヨーロッパの地政や時世、宗教や経済との関わりの中で如何に勢力を得たのか説明がもっと欲しいように思った。


それにしてもこの国立西洋美術館にゴッホ展でにぎわう「上野の森美術館」、横にはクラシック音楽の殿堂である東京文化会館もあって久しぶりに上野公園に来ると芸術の薫りが漂っているのを感じる。帰り道にすっかりきれいなった上野駅近くでイタリアンレストランに入り妻とワインを楽しむと、周囲も展覧会や音楽会帰りの人で賑わっていて、他の盛り場とはちょっと雰囲気も違っているようだ。もっとも帰宅のために上野駅に入って見回せば、名物の行き止まりホームとコンコースの風情は「就職列車」の時代そのままだ。ワインのほろ酔い機嫌でおもわず井沢八郎の「♪どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心のエ~キだああ・・・🎵」と口ずさんでいると、先ほどのハプスブルグ展の鑑賞が遠い世界の出来事のように思えてきた。

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2018年2月 7日 (水)

すみだ北斎美術館

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北斎とお栄

先日はドライブがてら両国のすみだ北斎美術館に行ってみた。靖国通りも都心を抜け両国橋を渡ると京葉道路と名前が変わり、周辺の道路はマス目のように直角に交差し合って雰囲気も変わってくる。この辺りは昔から何度も大火やら震災やら空襲などの被害を受け、その度に町が再建された結果このような広々とした街並みになったのだろう。そんななか、両国駅からほど近い総武線の線路近くに真新しい「すみだ北斎美術館」がある。駐車場はないようなので、とりあえずクルマは駅前にある江戸東京博物館近くの駐車場に駐める事にする。


1760年生まれの北斎は90歳という当時としては異例の長寿で、その生涯のほとんどをこの近辺で過ごしたとされる。地域の誇りのその北斎を顕彰するとともに、近辺の活性化のために一年ほど前に、ここに美術館が作られたそうだ。まだ打ったコンクリートも新しい美術館を訪れた日は、常設展のほかに「しりあがり寿」という漫画家による北斎の富嶽三十六景をパロディにした企画展が開催されており、西欧人の入場者も多数訪れているのが判る。このようなパロディものをオリジナル(写し)と同時に並べたり、場内の写真撮影が自由だったりと、美術館の建物自体もユニークだが運営方針もかなりフレキシブルなようである。


常設展には名所浮世絵のほかに絵本挿絵や漫画など年齢別に北斎の作品が並んでおり、「錦絵ができるまでの」コーナーでは多色刷りの版画がいかに精緻な工作によってできるのかが判るようになっている。西欧の美術にも多大な影響を与えた北斎は身長180センチの大男で、生活や社交に一切頓着しない芸術家肌の変わり者だったらしい。会場の一角には大女で面妖な顔つきの実娘・お栄の傍らで、北斎が布団をかぶりながら鬼気迫る形相で絵をかいている実物大の模型があって、これがなんともリアルであった。それにしても最近はあちこちに、様々なテーマの博物館ができて、休みの午後などにぶらっと展示を見て普段知らない世界に浸るのも楽しいものだ。

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「凱風快晴(赤富士)」ならぬパロディーの「髭剃り富士」

2016年8月20日 (土)

2度目のルノワール展

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60歳を過ぎた頃から「頭が筋肉で出来ている」などと言われない様に、毎日走る事ばかりでなく少しは文化的な活動にも力を入れようかと思いはじめた。最近習っている社交ダンスしかり、50年ぶりに再開したピアノの練習しかりだが、もう一つ絵が描けたらどんなに素敵だろうかと日頃から夢をみる。まもなく来る退職の後、あり余る時間はスケッチブックを持って公園や郊外に出かけ、ひがな一日風景を写生をしている自分を想像するが、その前に絵を描く事は中学の美術の授業以来だから、どこから手をつけて良いのか皆目わからないのが実際である。


という事で、フランスのオルセー美術館とオランジュリー美術館所蔵のルノワールの絵画など100点あまりが集まったルノワール展が東京の国立近代美術館で開催されているので、先日妻と再び行く事にした。かつて欧米へ旅行しても、美術館という場所が私はどうにも苦手で、入ってもすぐに退屈したものだった。そのため有名な美術館に行ける機会をパスしてしまう事の連続で、妻の顰蹙を大いにかっていたが少しづつ人は変るのだ。文化的な人間への変身、「頭が筋肉で出来て」いない事を証明する為には、美術館に気軽に行く姿も妻に見せねばなるまい。以前にも一度見た印象派のルノワールなら、まあとっつき易いということもある。


金曜日の夕方、仕事を終え六本木の喧騒を脇目に、盛り場からほど近い国立新美術館に久しぶりに赴くと、予想どおりルノワールの絵は筆致が素晴らしく、芸術音痴の私でもそれなりに楽しめる。前回は (前回のブログ) 裸婦像ばかりが眼に残ったが、今回は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(上のパネル)や「草原の坂道」など、印象派が得意とする屋外を描いた絵や光の変化に心を奪われた。こうして名作の「実物」を眼前にすると、作者の息吹が伝わって来るような気もしてくる。


それにしても今回、美術館の雰囲気というものは、なかなか快適なものである事にあらためて気がついた。来館する多くの人たちは、概して身なりもそれなりにきちんとしている上、館内では人と人が微妙に”大人”の距離で近過ぎず離れずの感覚だ。盛り場にいる奇抜な格好をした若者もほとんどいないし、親と一緒に来た子供達もよくしつけられている。こういう場所に来て、気持ちよい人たちに混ざって芸術作品を見ていると、何だかこちらも心が洗われたような気分になり、帰り道に六本木でとったビールや餃子も事のほか美味しく感じた。芸術と食欲の秋を一足前に堪能して帰宅したが、こういう週末の過ごし方もなかなか良いと、かつての美術食わず嫌いをちょっと反省したのだった。


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