カテゴリー「文化・芸術」の記事

2023年11月16日 (木)

特別展「和食」於国立博物館

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特別展「和食」ガイドブック


上野の国立科学博物館で10月28日~来年2月25日まで開催されている特別展「和食」に行ってきた。「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されてから10年、改めて日本の食文化をさまざまな角度から紹介する企画特別展である。いま和食は世界的ブームとあって、海外のクルーズ船の船内にも「すしバー」だけでなく「和食レストラン」がオープンするほどである。かつて海外では怪しげな「日本食」レストランが多かったが、最近は本格的な高級日本料理店も随分と増えたようだ。とはいえ、海外からの観光客が来日して驚くのは、天ぷら屋、寿司屋、蕎麦屋、とんかつ屋など、一つのジャンルの料理だけを出して飲食店としての商売が成り立つ食文化である。出汁(だし)を使うことを始め、なぜ日本食が他の料理と異なる発展をしたのかは不思議なところだ。私はふだん食に関してはあまり興味があるとは言えないが、こだわりのある妻が内覧会の招待券を当てたので、この機会に和食のことをもっと知っても良いかと散歩がてら上野の杜を訪問してみた。


「和食」の展というと、料理法の発達や栄養面での分析、また出汁や米・麹、みそ、醤油、日本酒などの歴史解説が主かと想像して入館したが、地理や地学的アプローチを交え、文化人類学的なワイドな切り口による特別展は想像以上で、時間の経過を忘れて見入ることになった。展示はまず人類の祖先がアフリカ南部から移動を開始した時から、世界の各地で何を食べて生きてきたかという説明から始まる。活字よりも豊富なサンプルや模型、分かり易い図表などが理解を深めるのに役立つ。次に日本列島の自然と食材のコーナーになるが、ここでは日本の置かれた地理的特性により、我々が大変豊かな食材に囲まれてきたことがわかる。また日本の水はなぜ欧州と違い、マグネシムやカルシウム分が少ない軟水なのかの詳しい説明もなるほどと納得。かと思うと魚貝のどの部分がすしネタになるのかなど、ちょっとした知識、小ネタが得られて、博物館を出たら上野近辺の寿司屋に入りたくなった。また江戸時代にすし、てんぷら、そばの外食文化が普及したことを館内に再現された屋台が示し、その伝統と日本人の繊細な感性が、今の一つの料理に特化する飲食店に繋がったことが伺えてわが疑問も氷解した。


展示をぐるっと回って、どのような経緯を辿って日本人が食べてきた食物が「和食」としてかたち造られ確立してきたかが分かったが、それにしても日本列島とはなんと食材の豊富な場所に位置しているかと、我々が於かれた環境に感謝したくなった。同じ島国と云っても、日本近海では4,500種の魚類が生息するのに対して、イギリスは300種、ニュージーランドでも1,300種しかいないそうだし、植物は日本が7,500種、イギリスが1,600、ニュージーランドが2,000とわが国に於ける生物の多様性は諸外国と比べて突出している。キノコも日本列島には3,000種と世界では有数の種を誇っているそうで、食材の豊富なことが和食の発達に大いに繋がっていることが分かった。話は変わるが最近の考古学の研究では、稲作文化は朝鮮半島を経て渡来したものではないということや、日本の縄文時代は従来考えられていたものより東アジア地域の中でも早くから開明していたことが明らかになっているそうだ。一方で地震、津波、台風など壊滅的な天災にしばしば遭遇してきたのも日本列島である。こうした環境で世界最古の歴史を誇るわが国の文化が育まれてきたわけで、下手な西欧グローバリズムに呑まれずに和魂洋才を是とし、日本列島で育まれた伝統や習俗を大事にすることが大切だと改めて思いつつ国立科学博物館を後にした。

江戸時代すし屋台の展示
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2022年3月20日 (日)

フェルメールと17世紀オランダ絵画展

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キューピッドが浮かぶ「窓辺で手紙を読む女」の入口看板

上野にある東京都美術館で開かれている「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に行って来た。ドイツ・ドレスデン国立古典絵画館のコレクションが来日しており、有名(らしい)なフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が今回の目玉である。これまでも何度か記してきたとおり、美術にはさっぱりの私も、最近は「少しは教養のある風に見えるジジイ」になりたい一心で、なるべく妻の絵画展鑑賞に付き合うことにしている。このような展覧会はクラシック音楽の演奏会と同じように、眉をひそめたくなるようなおかしな輩がまずいないし、最近は日時予約指定制の予約入場につき押すな押すなの大混雑がなく、落ち着いた空間でゆったりと時を過ごせるので気持ちが良い。


と言ってもキリスト教の素養がまったくない私には、西洋の暗い色調の宗教画などはどうも馴染めないのだが、この展覧会ではイエスキリストの磔刑画などはあまりなさそう、と妻が言ったのも今回は上野に足を運んだ理由である。館内の展示作品は光線を印象的に使った肖像画や、市井の人々を描いた精密画が多かったが、これは当時オランダで商業が発展し市民社会が形成されていたことと深い関係があるに違いない。17世紀にはまだ写真はおろか印象派の絵や抽象画も生まれていないので、パトロンであった貴族や豪商が絵画に期待するものは現在とはまったく違ったはずだ等と、美術史は門外漢の私でも色々想像してしまう。


さて肝心の「窓辺で手紙を読む女」は、窓から差し込む光で手紙を読む女性像で、フェルメールが自身のスタイルを確立した初期の傑作なのだそうだ。この絵には1979年のX線調査で女性の背後の壁面にキューピッドが描かれた画中画が塗りつぶされていることがわかったのだが、その後の調査でこれはフェルメールの死後に彼の意思とは関係なく何者かによって為されたことが確実になったとのこと。今回見ることができたものは、大規模な修復プロジェクトが2021年9月に完了して往時の鮮やかな色調や、キューピッド画が現れたオリジナル版であり、その展示はドレスデンでのお披露目に次いで世界初公開なのだそうだ。画中画が何故塗りつぶされたのか、なにやらこれだけで一冊の推理小説かドキュメンタリー映画が出来そうである。

2020年7月18日 (土)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

長引く梅雨と武漢ウイルスでどこにも出かけられない。そんな時には美術館である。主催者の一員である読売新聞から招待券を貰い、上野・国立西洋美術館で開かれている「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」展に行ってきた。と言っても今はウイルス対策で、国立西洋美術館は入場者の人数制限をしており、あらかじめ一人200円の予約料を払い、30分刻みで指定される時間に入場する方式になっている。この展覧会はもともと今年の3月から6月に開催予定だったが、ウイルス禍でこの時期にずれたもので、入口では予約の確認に手の消毒、体温測定と絵を見るのも大変な時代である。行ったのは金曜日の夕方とあって、名画の前は2メートルと云われるソーシャル・ディスタンスを取ることは出来ない程度のそこそこの人出だ。それでもいつもの予約を取らないシステムより、よほどゆっくりと名画を鑑賞できたのは、武漢ウイルスの思わぬ副次効果と素直に喜ぶことにした。


ロンドン・ナショナル・ギャラリーはロンドンの中心、トラファルガー広場に市民によって市民の為に形成され、13世紀から20世紀までの質の高い西洋絵画のコレクションを誇っていると解説にある。もっとも妻と15年ほど前にロンドンに旅行した際には、よく覚えていないのだが、ナショナルギャラリー入場を希望する彼女に「絵画は興味ないよ」と冷たく言い放ってパスしたそうだ。最近は、せっかく都内に住んで手軽に世界有数の美術品が見ることができるのなら、まあ見ておくかと考えるようになったわけなのだが、体育会派だった人間も年を経るとともに興味の関心が徐々に”高尚”になっていくようで、その変化が自分でもちょっと嬉しい。今年1月にここで開かれたハプスブルグ展を見た際に「少しでも教養のあるジジイになりたいものだ」とこのブログに書いた通り、一歩ずつ新しい自己発見へのチャレンジである。


ロンドン・ナショナル・ギャラリーが英国外で所蔵作品展を開くのは初めてで、今回は東京の後に大阪でも展覧会を開くとのこと。館内に足を踏み入れるとほぼ時代別に作品が並べられているが、どうも中世からルネサンス頃までの宗教画というのは私は苦手で、一目見ただけでそそくさと通り過ぎる。妻は勿体ないと云うが、そもそもキリスト教に関する知識がまったくない上に、この時代の宗教画は妙に暗く写実的、かつ題材が重いので見てもあまり愉快ではない。という事でじっくりと立ち止まるのは、やはりモネの「睡蓮の池」やらゴッホの「ひまわり」など近世・近代のコーナーで、「美術」の素養のない私には、有名なこの辺りが心に響く。最後は「昔と違って最近は少しでも教養のある」ジジイなところを友人にみせたくなり、暑中見舞い用にでもと、絵葉書数枚を買って展覧会見学を終えた。武漢ウイルスで東京が全国から嫌われているようだが、やはり東京に住んでいると何をするにも見るにも便利なのだ。

この絵葉書で違いの判るオトコに?

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2020年1月12日 (日)

上野国立西洋美術館・ハプスブルグ展

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正月が済むと、すぐにまた成人の日の三連休となる。この連休は昨年 飛鳥Ⅱの「秋の休日ウイーンスタイルクルーズ」乗船で貰った入場券で、上野の国立西洋美術館に「ハプスブルグ展」を見に行った。ハプスブルグ家による絵画、版画、工芸品、タペストリー、武具など100点、600年にわたる帝国コレクションの歴史である。などと云っても西洋史などはまったくの門外漢で、そもそもハプスブルグ家とは何ぞや?というレベルだ。その上、西洋の美術品はギリシャ神話かキリスト教に関連しているものが多く、そのどちらにも関心のない私には遠い世界の展示に思える。ということで妻に一緒に行こうと誘われた時にはやや躊躇したが、老境を迎えるにあたり少しは西洋美術に触れてみるのも良いか、と考え直しての美術鑑賞となった。少しは教養のあるジジイになりたい一心だ。


展示品は同家の肖像画が多く 「 まあそんなものか 」 という感じだったが、なにせ基礎知識のない私には各作品の傍らに置かれた説明板と家系の関係がピンとこない。仕方ないので帰宅して調べてみると、ハプスブルグ家はもともとスイス北東部から発した貴族で、のち神聖ローマ帝国の皇帝に選出されて以来、巧みな外交と各地の貴族との政略結婚や一族の血を守る近親結婚で勢力をのばした王家だとある。最盛期はオーストリアを中心にハンガリー、スペインなどに勢力を伸ばしたそうで、マリーアントワネットもハプスブルグ家の王女なのだと初めて知った。連休という事で多くの人が鑑賞に訪れていたが、私のようにアタマが筋肉でできている入場者も多いことであろう。美術の説明の前にハプスブルグ家とは何か、近世のヨーロッパの地政や時世、宗教や経済との関わりの中で如何に勢力を得たのか説明がもっと欲しいように思った。


それにしてもこの国立西洋美術館にゴッホ展でにぎわう「上野の森美術館」、横にはクラシック音楽の殿堂である東京文化会館もあって久しぶりに上野公園に来ると芸術の薫りが漂っているのを感じる。帰り道にすっかりきれいなった上野駅近くでイタリアンレストランに入り妻とワインを楽しむと、周囲も展覧会や音楽会帰りの人で賑わっていて、他の盛り場とはちょっと雰囲気も違っているようだ。もっとも帰宅のために上野駅に入って見回せば、名物の行き止まりホームとコンコースの風情は「就職列車」の時代そのままだ。ワインのほろ酔い機嫌でおもわず井沢八郎の「♪どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心のエ~キだああ・・・🎵」と口ずさんでいると、先ほどのハプスブルグ展の鑑賞が遠い世界の出来事のように思えてきた。

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2018年2月 7日 (水)

すみだ北斎美術館

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北斎とお栄

先日はドライブがてら両国のすみだ北斎美術館に行ってみた。靖国通りも都心を抜け両国橋を渡ると京葉道路と名前が変わり、周辺の道路はマス目のように直角に交差し合って雰囲気も変わってくる。この辺りは昔から何度も大火やら震災やら空襲などの被害を受け、その度に町が再建された結果このような広々とした街並みになったのだろう。そんななか、両国駅からほど近い総武線の線路近くに真新しい「すみだ北斎美術館」がある。駐車場はないようなので、とりあえずクルマは駅前にある江戸東京博物館近くの駐車場に駐める事にする。


1760年生まれの北斎は90歳という当時としては異例の長寿で、その生涯のほとんどをこの近辺で過ごしたとされる。地域の誇りのその北斎を顕彰するとともに、近辺の活性化のために一年ほど前に、ここに美術館が作られたそうだ。まだ打ったコンクリートも新しい美術館を訪れた日は、常設展のほかに「しりあがり寿」という漫画家による北斎の富嶽三十六景をパロディにした企画展が開催されており、西欧人の入場者も多数訪れているのが判る。このようなパロディものをオリジナル(写し)と同時に並べたり、場内の写真撮影が自由だったりと、美術館の建物自体もユニークだが運営方針もかなりフレキシブルなようである。


常設展には名所浮世絵のほかに絵本挿絵や漫画など年齢別に北斎の作品が並んでおり、「錦絵ができるまでの」コーナーでは多色刷りの版画がいかに精緻な工作によってできるのかが判るようになっている。西欧の美術にも多大な影響を与えた北斎は身長180センチの大男で、生活や社交に一切頓着しない芸術家肌の変わり者だったらしい。会場の一角には大女で面妖な顔つきの実娘・お栄の傍らで、北斎が布団をかぶりながら鬼気迫る形相で絵をかいている実物大の模型があって、これがなんともリアルであった。それにしても最近はあちこちに、様々なテーマの博物館ができて、休みの午後などにぶらっと展示を見て普段知らない世界に浸るのも楽しいものだ。

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「凱風快晴(赤富士)」ならぬパロディーの「髭剃り富士」

2016年8月20日 (土)

2度目のルノワール展

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60歳を過ぎた頃から「頭が筋肉で出来ている」などと言われない様に、毎日走る事ばかりでなく少しは文化的な活動にも力を入れようかと思いはじめた。最近習っている社交ダンスしかり、50年ぶりに再開したピアノの練習しかりだが、もう一つ絵が描けたらどんなに素敵だろうかと日頃から夢をみる。まもなく来る退職の後、あり余る時間はスケッチブックを持って公園や郊外に出かけ、ひがな一日風景を写生をしている自分を想像するが、その前に絵を描く事は中学の美術の授業以来だから、どこから手をつけて良いのか皆目わからないのが実際である。

という事で、フランスのオルセー美術館とオランジュリー美術館所蔵のルノワールの絵画など100点あまりが集まったルノワール展が東京の国立新美術館で開催されているので、先日妻と再び行く事にした。かつて欧米へ旅行しても、美術館という場所が私はどうにも苦手で、入ってもすぐに退屈したものだった。そのため有名な美術館に行ける機会をパスしてしまう事の連続で、妻の顰蹙を大いにかっていたが少しづつ人は変るのだ。文化的な人間への変身、「頭が筋肉で出来て」いない事を証明する為には、美術館に気軽に行く姿も妻に見せねばなるまい。以前にも一度見た印象派のルノワールなら、まあとっつき易いということもある。

金曜日の夕方、仕事を終え六本木の喧騒を脇目に、盛り場からほど近い国立新美術館に久しぶりに赴くと、予想どおりルノワールの絵は筆致が素晴らしく、芸術音痴の私でもそれなりに楽しめる。前回は (前回のブログ) 裸婦像ばかりが眼に残ったが、今回は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(上のパネル)や「草原の坂道」など、印象派が得意とする屋外を描いた絵や光の変化に心を奪われた。こうして名作の「実物」を眼前にすると、作者の息吹が伝わって来るような気もしてくる。

それにしても今回、美術館の雰囲気というものは、なかなか快適なものである事にあらためて気がついた。来館する多くの人たちは、概して身なりもそれなりにきちんとしている上、館内では人と人が微妙に”大人”の距離で近過ぎず離れずの感覚だ。盛り場にいる奇抜な格好をした若者もほとんどいないし、親と一緒に来た子供達もよくしつけられている。こういう場所に来て、気持ちよい人たちに混ざって芸術作品を見ていると、何だかこちらも心が洗われたような気分になり、帰り道に六本木でとったビールや餃子も事のほか美味しく感じた。芸術と食欲の秋を一足前に堪能して帰宅したが、こういう週末の過ごし方もなかなか良いと、かつての美術食わず嫌いをちょっと反省したのだった。

 

 

 

2010年2月 1日 (月)

ルノワール展

ルノワール展をやっているので、仕事が終わって見に行かない?と妻に誘われ、先週の金曜日は六本木に出来た国立新美術館に行ってみた。地下鉄・六本木駅を降りて歩いていくと、たしか以前は東大の研究機関か何かがあった場所に、ガラス張りの巨大ヨットの様な新しい美術館が出現したのにびっくり。有楽町の旧都庁跡にできた東京フォーラムの様な建物だが、いくら文化予算が大事といっても、巨大展示場など都内に幾らでもあるのに、これじゃ国の財政も悪化するものだと嘆きたくもなる。

 

普段、あまり美術というものには興味がないのだが、たまには頭の栄養にもなろうかと思うし、読売新聞から入場券ももらったので、いそいそとそのコンクリートとガラスの塊の様な展示場に入場してみる事にした。すると内部はもっと奇抜な作りで、館内のレストランなどは映画「ET」に出てきたUFOを想像させ、今にもそのまま夜空に飛び出して行かんばかりのデザインである。黒川紀章の設計だそうだが、大設計家すぎるのか自動車ショウでもやったらよいような広大な空間が広がっていて、凡人の私にはいささか落ち着かない。

 

さてその巨大展示場の一角が、ルノワール展の会場なのだが、さすがスペーシアスな空間、金曜日の夕方で勤め帰りの人が結構つめかけても渋滞もせずに、落ち着いて見られたのは却って良かったかもしれない。で、初めてかの有名なルノワールの絵をゆっくり見る事ができた訳だが、彼は風景画より人物画を多く描き、特に晩年は裸婦画を好んだそうで、会場にはそういう絵が多い。19世紀末のフランスの若い女性はあんなであったろうか、ほとんどが若いのにふくよか(というよりデブ...)で、下腹がやや出ている裸婦の画を妻と一緒に見て廻ると、妻は「 やっぱり下腹はみんなああなっちゃうんだ、しょうがないんだ、これでいいんだ、今日は沢山食べちゃおう 。」と妙に嬉しそうにしている。という事で金曜日の夜は、印象派の絵を見に来たのであったが、妻の喜びの方がより印象的に心に残ったのであった、と云うオハナシ。
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