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2022年10月 9日 (日)

東京六大学野球 2022年秋季リーグ戦 慶應義塾大学 対 法政大学 1回戦

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金曜日の氷雨も去り、昨日は秋のスポーツ日和とあって恒例の東京六大学野球、秋のリーグ戦、法政大学-慶應大学の1回戦観戦に神宮球場に赴いた。ここ2年半実施されてきたほとんど意味がない感染症対策が緩和され、ようやくこの秋のリーグ戦から外野席も一般開放、内野席は応援団、チアガールやブラスバンドとともに学生やファンが応援席で応援出来るようになった。しかし応援団やチア、バンドは同じ応援席と云っても中段通路から前(グランド側)、学生やファンは通路より上のスタンドとセパレートされている。そのうえ応援団以外は大声を出すなとの規制で、グランドと応援席が一体で盛り上げる六大学野球も、面白さとしてはかつての7割ほどという感じだ。入場するには相変わらず球場入口の検温に加え、感染者が出た場合の濃厚接触者追跡のためとかで、座る予定の場所(一塁側、三塁側、ネット裏などきわめて大雑把な場所)と名前・連絡先を用紙に記入することが求められるが、場内すべて自由席で試合中もみな勝手に移動しているから、用紙記入の実効性はほとんどないと云えよう。ここにいるのは東京を代表する最高学府の関係者たちなのだから、もう「感染症に注意してますゴッコ」の非科学的な措置を止め、場内のマスク着用も自由にしたらどうかと言いたい。


さて、これまで何十年もリーグ戦を見てきたことからすると、慶應大学 対 明治大学戦はもつれにもつれるが、反対に慶應 対 法政戦は勝つも負けるもすっきりした試合が多かったという印象がある。この試合も予想通り完全な投手戦となり、両軍ともしまった内容でゲームは坦々と進行した。慶應のドラフト候補、4年生ピッチャー増居君(彦根東)はこの4年間で最高かと思えるピッチングを展開すれば、法政の尾崎君(3年滋賀学園)も6回一死まで慶應打線を無安打に抑える力投を見せてくれる。むろん心の中では母校慶應を応援をするも、敵ながら尾崎君の素晴らしいピッチングも目を見張らせるものがあり、どちらも負けるなと言いたくなるような内容である。ようやく6回、尾崎君の微妙なコントロールミスにつけこんだ慶應打線が粘り、押し出しとスクイズバントで2点を挙げ、8回にはこれまたドラフト候補の慶應4番の萩尾君(文徳)が左翼席にダメ押し2点本塁打を放って、最後は5対0ですっきりと慶應の快勝に終わった。増居君はリーグ戦初完投、初完封で、タレント揃いの法政打線を2安打1四球に抑えた快投乱麻のピッチングであった。きっとネット裏に陣取るプロ野球のスカウト陣も増居君と萩尾君の評価を上げたことであろう。


慶法戦のもう一つの楽しみが法政大学の応援風景である。今や高校野球の応援スタンドでも有名になったチャンスパターン「チャンス法政」だが、元祖たる法政大学応援団のキレキレの演舞は高校生のそれとは一味も二味も違う。「チャンス法政」は法政大学の攻撃時に得点機が来ると歌われるもので、学ランと(かつてほど極端ではないが)ボンタンに身を包んだ応援部員による「チャンス法政」のパフォーマンスが始まると、相手側は「もういかん、打たれるのでは」という気になってしまう。昨日の試合では「チャンス法政」は聞きたし、このまま増居君の好投が続き、これをなるべく聞かないで済ませても欲しいとの背反した気持ちが沸き起こってきた。結果は「チャンス法政」の場面が6回に一回あっただけで、そのピンチも慶應がよく凌ぎ、まあメデタシというところだった。六大学各校の応援団(学校によっては応援部、応援指導部)は、最近はチア部門も華やか、女性の旗手やリーダーも時々おり、時代の変化をよく取り入れているようだ。しかし学ラン姿の応援団員のよく訓練された動作、指の先まで神経を張り巡らせたような演舞、そのアナクロニズム的所作を見るのも六大学野球観戦の醍醐味だと云える。応援席もマスク越しでなく、応援団と一緒に肩を組みながら、校歌や応援歌、チャンスパターンなどを大声で発することが出来るように早くなってほしいものだ。

「チャンス法政」演ずる法政大学応援団リーダーの芸術的ともいえる応援姿 中段より下は応援団だけ、学生や一般は通路より上とまだ分かれている
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2022年4月11日 (月)

東京六大学野球 2022年春の感染症対策

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先週末の土曜日は東京六大学野球の開幕試合観戦にチャリで神宮球場に出かけた。戦前予想によると昨年の春・秋リーグを連覇した母校・慶應が、今季も優勝候補と云われておりペダルを踏む足は軽快。武漢ウイルスの蔓延でこの2年間変則的だったリーグ運営も、久しぶりに先に2勝したチームが勝ち点1を得る従来の方式に戻ったのはまことに喜ばしい限りだ。しかし定員3万1千人収容の神宮球場で今季の入場者は上限15000人と限定されたうえ、応援団やブラスバンドは無人の外野席の一画に隔離され、内野席観客からも声を出しての応援は禁止と相変わらずの「対策してますポーズ」「感染防止ごっこ」である。六大学野球には応援団と学生やOB・ファン一体の伝統の応援風景を楽しみに来場する者も多いなか、この日の第2試合、早稲田対法政戦では早大応援団に感染者が出たため、早大側の外野は応援団もない何とも気の抜けたスタンドであった。早稲田の応援団全員が感染したわけでもあるまいし、意味のない自粛に思わず苦笑してしまう。

 

球場入口の検温、場内はマスク着用というのは昨年と変わらなかったが、今季実施されたのは「個人情報記入用紙」の提出であった。入場券を購入する際に窓口で渡された小さな用紙に、入場日・名前・連絡先電話・場内のどこに座るか(ネット裏、一塁側、三塁側などきわめて大ざっぱな区分け)を書いて入口で提出するのだが、これはもし感染者が出た場合、その近くにいた人に後ほど注意喚起するのに使うのだそうだ。しかしきわめて雑駁な場内の区分け、かつ座席は完全自由席のうえ、友人などを見つけ頻繁に移動もする観客も多いのにどうやって連絡をとるつもりだろうか。この日の入場者は8000人。仮に一塁側でも三塁側でもどちらかから感染者が出たとすれば、電話で連絡すべき対象者は数千人いることになる。全員が正しい連絡先を記入していたとしても、とても実効性のある施策とは思えない。他のイベントではもう多くの観客を入れているし、米メジャーリーグ中継を見ればマスクをしている観客など数えるほどしかいない。甲子園の選抜大会では応援団がアルプス席で他の一般生徒と共に活躍していた。最高学府のリーグ戦で、なおかつ東大や慶應には医学部もあるのに、何とも非科学的な「感染症対策やってますごっこ」には驚くばかりである。


ウイルス学、免疫学の専門家で京都大学准教授の宮澤孝之氏による最近の話題作「ウイルス学者の責任」(PHP新書)によれば、生物がウイルスに感染するには一定量以上のウイルス粒子が細胞に侵入する必要があり、十分な換気があれば感染者から出たウイルスは直ちに拡散してしまい、他人にはうつることはないと云う。生物の細胞にはウイルスが侵入しても抵抗する因子があり、相当量のウイルスに連続して曝露されなければ感染はおこらないのは、ウイルス学の「常識」だそうだ。メディアがウイルス専門学者ではなく、感染症の数理モデルによって「人と人との接触を8割減らさなければならない」「このままだと2週間後には感染爆発したニューヨークのようになる」などと言う学者や勉強不足の医者の意見を採り上げて大いに煽った結果、この2年間的外れとも言える政策が実施されたと宮澤氏は憤っている。氏の本を読まずとも薫風吹き抜ける屋外の野球場、それも3万人の収容人数のある場所に1万人程が入って校歌や応援歌を歌うくらいで感染が広まるとは到底思えない。そろそろ東京六大学野球も、かつての様に応援団・学生一体の応援席に戻し盛り上げてほしいものだ。早稲田大学は応援団がいないせいか、早々に連敗してしまったではないか。

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2022年3月 2日 (水)

二年ぶりのスキー(石内丸山スキー場)

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高校時代の友人に誘われて2年ぶりにスキーに行って来た。上越国境の石打丸山スキー場である。いまでは東京駅から上越新幹線で最寄の越後湯沢駅までは僅か1時間20分で到着するし、手ぶらでいってもスキー、ストック、ウェアなどはレンタル店で借りることが出来る。事前に連絡しておけばレンタルショップが駅からゲレンデまで送迎してくれるので、まるで近所に行くような軽装で出掛けられる。上越国境なら自宅の玄関からリフトに乗るまで3時間もかからない近さである。若い頃に靴をリュックに詰め込んで2米もある長いスキー板を担ぎ、上野から急行「さど」に乗り、半日かけてこの近辺のスキー場にたどり着いたことを思えば何と楽になったことか。この便利さがあるので私のようなジジイでもスキーに行こうかという気分になるのだ。


とは云うものの怖いのは怪我である。2年前に最後のスキーをする前は15年以上間隔があいており、若い頃に比べればスピード感や技術・筋力は大いに劣化している。スキーで骨を折りましたなどと言ったら、まさに「年寄りの冷や水スキー(2020年2月4日)」と周囲から笑われること必定で、今回もまずは暫くスキー場入口に近い緩斜面で足慣らしをしてから山の上方に向かった。友人は今年すでに4回目だとかで彼にとっては石打がホームコースのような場所なのだが、しかしスキーではこういうパートナーと同行するとよくおこることがある。ゲレンデに出るとだいたい慣れている方が「ここは大丈夫、大丈夫!」などと言ってリフトを乗り継ぎ、山頂近くまで行ってしまうのである。今回も何十年かぶりの石打でコースも良く知らない私は彼に付くて行くのに必死となる。といっても友人の手前「ここは怖いから俺は下へ行くよ」と別れるのはなんだか男の沽券にかかわる。永年の友人でお互いほとんどの事を知っていても、スポーツでは見栄を張らねばならないあたり男は大変なのである。


友人に連れられて山頂まで来て下ろうとすると、そこはコブも多い中上級者向け急斜面であった。アチャーといささか狼狽しつつ、とにかく怪我をしないように慎重にスピードを殺しつつ降りてきたが、歳をとると踏ん張りが効かないもので、上越の重い湿雪に足をとられ、バランスを崩してコース途中で派手に転倒してしまった。急斜面とあってそのまま背を下に為す術もなくずるずると滑り落ちるうちに、今度は左足のスキーも外れてしまう。ようやく雪中でもがいて何とか滑落を止め、まずは怪我がないか体のあちこちを回してチェックしたが幸い何ともないようだ。気を取り直してここでスキーを装着しようと試みるも、あまりに急斜面すぎて片足で立つのもままならない。レンタルで借りたスキーは左足のビンディングの調整が最初から合っていないと思っていたが、こんな急斜面でスキーが外れるとは何ともついていない感じだ。仕方なく外れた左のスキーを肩にかつぎ、右足はズボズボと膝まで雪に埋もれながらホウホウの体で友人が待つ緩斜面までたどり着いた。


初級者の妻とスキーに行くとだいたい私がさっさと降りてしまい、彼女が半べそ顔で遅れてきて「ここは大丈夫だと言ったのにかなりハードだった(怒)」とか「ずっと一緒に滑ってくれると言ったのに、毎回すぐにいなくなって肝心な時に助けてもらえない(怒)」などと不平不満の嵐なのだが、今回はその妻の気持ちの一端がわかった気がした。老人のスキーは自分の実力に合わせて安全なコースを選ぶのが第一と気を取り直し、その後は大汗をかきながら何とか下のゲレンデにたどり着いたのだった。そうこうして半日かけて久しぶりのスキーを楽しみ、その夜は越後湯沢の居酒屋からラーメン屋、ついでにカラオケスナックを2人で梯子して雪国の温泉街の夜を過ごす。相変わらず続く武漢ウイルス蔓延防止対策で、新幹線はガラガラ、スキー場も空いているうえ、普段はすぐ一杯になりそうな地元の小さい居酒屋もいまなら予約なしで楽しめる。アルコールが入れば先ほどのスキーを担いで斜面を下ったという屈辱も忘れ、これからも体が動く限り年に一度はスキーをしようと決めたのであった。それにしても翌日は体のあちこちが筋肉痛で階段を下るもままならない。

2022年1月 3日 (月)

第98回箱根駅伝 学生連合・田島君

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学生連合7区田島君(慶應義塾)から8区大野陽人君(大東文化大)へタスキリレー(テレビ中継より)

新年は箱根駅伝観戦からスタートである。今年も慶應競走部から関東学生連合チームの7区(小田原ー平塚間21.3キロ)に1年生の田島公太郎君(九州学院)が出るので、朝はしっかり起きてテレビの前に座る。最近は母校から学生連合チームに毎年選出されるのだが、武漢ウイルス禍で「沿道での応援観戦はお控えください」「OB・OG・同窓会組織など卒業生の方や、選手のご家族の沿道での応援や観戦もご遠慮ください。」との主催者の通達で仕方なく自宅での応援である。学生連合チームでも誰かが走れば、ポイント、ポイントにノボリを立ててOBが集合し、沿線の三田会(慶應OB会)の応援もあって、にぎにぎしく新年を迎えられるが、昨年に続いてのテレビでの応援とは何とも残念なところだ。年末の東京ドームでの年越しイベントは、満員の観客で盛り上がっている様子がテレビ中継されていたのに、屋外の応援が感染に何の影響があろうかと思うが、これも「皆で感染防止ゴッコ」の世相なので止む無しか。


母校の箱根駅伝プロジェクトが始まって4年経過した。最近は、田島君のように全国高校駅伝に出場した実績ある選手もボチボチ入学するし、受験高から国立を目指していたような有望な選手も慶應を受験してくれるようになった。5000米や10000米の記録は大幅に向上し、少し前なら予選会を突破できるレベルにあるのだが、学校ぐるみで資金を投入し有望選手をスポーツ推薦で勧誘したりケニア人助っ人を擁する学校にはまだまだ敵わないのが実情。母校にはA/O入試の制度もあるが、これはスポーツ推薦ではなく競技の実績が必ずしも反映されるわけでない。甲子園で活躍した超高校級の中京大中京・高橋投手が慶應のA/Oで不合格になり、中日ドラゴンズにドラフト1位指名で入団したのは記憶に新しいところだ。野球部や蹴球部(ラグビー)のように慶應高校から強化することも試みているそうだが、ルーツ校として箱根駅伝100周年に当たる2年後の出場にはなんとか間に合わせて欲しいものだ。


箱根山中の中継を見ているうちに、50年近く前の1月3日は箱根・芦の湯の宿舎で朝5時に起床したことを思い出した。通るクルマもない夜明け前の真っ暗な山の中、街路灯に照らされた箱根で付き添いのマネージャーと朝のジョッグをした場面が蘇る。高校時代はインターハイどころか関東大会にも出られなかったし、学内でもBチームだった自分が前日のエントリー変更で急遽、箱根駅伝の山下りを走ることになり、当日は心の準備もなく初めての全国規模の大会出場で、国道1号線を上気して駆け下りたものだった。今の選手達の記録とは雲泥の差だし、練習の質も生活態度も彼らの足元にも到底及ばない自分には偉そうなことは云えない。ただ毎年箱根駅伝のテレビ中継を見るたびに、これまで走った延べ1万数千人にのぼる選手の一隅を自分の名前が穢し、ますます隆盛を極めるレースに参加できたことの僥倖を噛みしめるのみである。今からみればまことに牧歌的な幸せな時代だったし、チャンスを貰った母校にはただ感謝しかない。この経験を後輩たちにも味わって欲しいと念じ、OB会費とともに僅かながら體育會強化資金や慶應義塾維持会の支払いを続けつつ、TwitterなどSNSによる競走部からの発信に一喜一憂するのである。

2021年11月22日 (月)

第52回明治神宮野球大会 慶應義塾大学 対 東農大オホーツク

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慶應義塾大学が東京六大学野球秋季リーグ戦で優勝し、2年ぶりに明治神宮野球大会に出場するので、昨日はチャリに跨り神宮球場に行って来た。一昨年11月に慶應が出場したのを応援して以来「第50回 明治神宮野球大会(2019年11月18日)」の明治神宮大会である。東京六大学野球秋季リーグ戦は今季もウイルス禍で各校10試合づつのポイント制となり、しかも延長戦なしの変則的な運営のなか、4勝1敗5引き分けという「負けない」野球を展開した慶應が優勝した。「延長なし」のルールとなると、本来の大学野球の戦い方に比べ同じ野球といっても「似て非なる」もののようにも思えるが、リーグ開幕直前の東京オリンピックは無観客開催を余儀なくされたくらいだから、これも仕方のないところだろう。結果として秋のリーグ戦は引き分け試合が多くなり、負けずに粘って引き分けた試合が多かった慶應に勝利の女神は微笑んだ。また今季は開幕前に法政大学野球部で武漢ウイルスのクラスターが発生したのだが、各校が法政戦を不戦勝・不戦敗とせずリーグ戦の全日程を変え最後まですべてのカードを実施したのは、入れ替え戦のない固定校による「対『校』戦」精神の発露だと賞賛できよう「東京六大学野球秋季リーグ戦開幕(2021年9月20日)」。


昨年の51回明治神宮野球大会は中止だったので、2年ぶりとは云え慶應はこの大会へは実質的に連続出場となる。明治神宮外苑名物の銀杏並木も色づき人出も多かったが、その一画を占める神宮球場も相当な観客が入っており、早慶戦でもないのに学生野球としては珍しく第2内野席まで解放する盛況ぶりである。皆、お上のいうことを真面目に聞いて、これまで外出を控えていたのが、やっと武漢ウイルスも下火になり、安心して野球観戦に繰り出したというところか。長い間、武漢ウイルス騒ぎで学生野球の熱気も盛り上がらなかったからだろうか、振り返れば2年前の50回大会が遥か遠い過去のような気もする。見上げれば上空は今にも雨が落ちて来そうな曇天で、昭和の初めNHKの松内アナウンサーが「神宮球場、どんよりとした空、黒雲低くたれた空。カラスが一羽、二羽、三羽、四羽。戦雲いよいよ急を告げております。」と早慶戦をラジオ放送したような場内の雰囲気である。


慶應義塾の初戦の相手は、東農大北海道オホーツクと奇しくも一昨年の初戦で当たった東海大札幌と同じ北海道の代表チームであった。といっても最近の地方リーグはレベルも上がっているから、関東や関西の大学もしばしば足をすくわれることがあって油断はできない。案の定、相手の打席に立つバッターは1番から沖縄水産、熊本工業、暁星国際(千葉)と出身高校については慶應よりも全国区である。それでもドラフトでソフトバンク2位指名の主砲・正木君(4年慶應)のホームランなどで得点を重ね、投げては増居君(3年彦根東)が6回被安打1の好投、オリックス4位の渡部君(4年桐光学園)の好守もあって7対0と7回コールドで慶應が初戦を飾った。堀井監督の采配も相変わらず冴えていたので、願わくば前回と同様にこのまま優勝まで突っ走って欲しいところだ。さて明日11月23日はお隣の秩父宮ラグビー場で、毎年この日に行われる恒例の早慶ラグビーである。スポーツ観戦の度に色を増す外苑の銀杏並木を眺め、秋の深まりを感じるこの頃である。

神宮外苑の銀杏並木にも大勢の人が繰り出していた
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2021年9月20日 (月)

2021 東京六大学野球秋季リーグ戦開幕

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台風一過、昨9月19日の日曜日は東京もさわやかな秋晴れとなった。例年に比べて一週間遅れの東京六大学野球秋季リーグ戦の開幕にチャリで神宮球場に観戦に訪れた。この日はナイトゲームで行われるヤクルト対阪神の併用日とあって、東京六大学野球は試合開始が午前10時と早い上に、日ごろ使う自転車置き場も混雑するので球場脇から信濃町駅に近い三角公園に移されて何かと不便である。プロ野球併用日の度に思うのだが、昔と違って資金はどこからでも調達できるのだから、プロ野球はアマチュアが使う球場ではなく、自分たち専用の球場を作ったらどうだろう。アメリカではMLBのボールパークが次々と改築され、球団によっては市街地に新たにホームスタジアムが作られたりしているが、古色蒼然たる神宮球場で先輩の六大学野球を押しのけてプロが興行を打つのも何とも情けないではないか。ヤクルトにはさっさとプロにふさわしい専用球場を作ってほしい。


さて秋季リーグ戦は通常9月第2週から始まるが、ことしは1週間遅れの開幕である。これは法政大学野球部で武漢ウイルス感染のクラスターが発生し、大学当局より9月25日まで同部が活動停止処分を受けたことによる。他のリーグなら日程が組まれた後、試合に出場できないチームがでた場合、その学校は不戦敗とか棄権という措置になるのが普通だが、そもそもが入れ替え戦なし、対『校』戦形式の東京六大学野球連盟は、あくまで6校の対戦にこだわった。リーグ戦の開幕を1週間遅らせた上、法政大学は第4週の10月9日から出場とするなど大幅な変則日程を他の5校が認めての今年の秋季リーグ戦である。遠い昔、早稲田大学が慶應義塾に挑戦状をたたきつけたことから始まったのが東京六大学野球の端緒である。あまりの過熱ぶりに早慶戦が断絶した時代には、明治大学が仲を取り持ったなどそれぞれの対戦は長い歴史の上に成り立つ。あくまで6校にこだわった連盟の心意気や良し、6校各チームの健闘をこの秋も期待したい。


昨日の第一試合は、立教の2年生エース池田君(智弁和歌山)が早稲田の強力打線を6回終了まで0点に封じ4対0で勝利した。野球の長嶋・杉浦は云うに及ばず、全日本のサッカー代表だった名GK横山(三菱重工)などきら星の如きスポーツ選手を輩出した立教だったが、近年しばらくスポーツには力を入れていなかった。しかし方針を返上し最近は野球や駅伝に高校の有望選手を積極的にとっており、殊に立教が優勝に絡むようになるとリーグ戦が混沌として面白くなる。池田君も昨年、1年生でいきなりリーグ戦に登板していたが、まだ大学の野球に慣れないようで途中で崩れることが多かった。昨日の堂々のピッチングはこの一年の努力の成果を見るようだが、こうして若い選手が成長するのを眺めるも大学野球の楽しみの一つである。第2試合は優勝候補の母校・慶應が東大に大勝して心も軽くチャリのペダルを踏んで家路についた。


残念ながら今季もリーグ戦は終わらぬウイルス禍で、2試合先勝の勝ち点制ではなく、各校10試合総当たりのポイント制である。応援団も内野の学生席に陣取るのではなくリーダーやチア、ブラバンが独立して外野の一画からの声援になっている。ただ本来は学生席あたりの内野に座る熱心なファンの一部は、外野のリーダーの掛け声に合わせて母校のカレッジソングを「小声」で呟いたり(場内では大声は禁止されている)、ルーティン通り曲に合わせて手を振ったりで「ああ、六大学野球のスタンドだな」とほほえましい情景もみられる。それを見ていると応援団と学生やOBで盛り上がるあの応援席の日常が戻ってほしいとつくづく感じるのである。一点、東大の選手紹介アナウンスで出身高校を最近「東京開成」とか「県立湘南」と言うのはどうも耳障りでしょうがない。最近甲子園を賑わす学校として「開星」やら「淞南」が出てきたのでその区別をする必要があるのかも知れぬが、東京ではあくまでカイセイは「開成高校」ショウナンは「湘南高校」だ。これまで多くの開成や湘南出の選手が神宮球場で活躍してきたのだから、わざわざ不必要な属性をつける要なしと永年試合を眺めてきた老生は思う。

2021年8月 9日 (月)

東京オリンピック2020 閉会式

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都内には日本全国から警察官が呼ばれて配置についていた。暑い中ご苦労様でした。(大井の長崎県警パトカー)

トヨタの社長が昨年の株主総会でこう言ったそうだ。「ロバを連れながら、夫婦二人が一緒に歩いているとこう言われる。『ロバがいるのに乗らないのか?』と。ご主人がロバに乗って夫人が歩いているとこう言われる。『威張った亭主だ』。では夫人がロバに乗ってご主人が歩くと、今度はこう言われる。『あの旦那は奥さんに頭が上がらない』。それではと夫婦で揃ってロバに乗ったら、『ロバがかわいそうだ』」。要は『言論・報道の自由』という名のもとに、何を言っても批判が許される今のメディアの姿勢を皮肉った話なのだが、今回のオリンピックに関する報道はまさにロバと夫婦の寓話そのものであった。大会前には武漢ウイルスの感染が拡大するというので中止を叫び、なかでも朝日新聞は社説まで出しながら競技が始まれば各社手の平返し、系列のテレビ局を含めて「感動をありがとう!」の大騒ぎとあって、いかにメディアが劣化しているのか、近年これほど卑近な例はなかったであろう。


開催の可否と選手を応援するのは別のことだ、などと彼らは都合の良い言い逃れをするが、そもそも競技が行われなかったら感動などはなく、その機会をメディアが奪おうとしたことは永く記憶にとどめておかねばならない。それはさておき、昨日の閉会式で2020東京五輪は閉幕したが、オリンピックが無事に開催できて本当に良かったと思う。世界に向かって「おもてなし」をキャッチフレーズに開催が決まったオリンピックである。東京の真ん中で暮らしていても、オリンピックが武漢ウイルスの感染拡大に関係あるとは感じないが、100歩譲って多少の心配があったとしても、国際社会に対して大会開催を引き受けた以上は最大限の努力でミッションを完遂するのが日本人として、江戸っ子としての心意気というものだ。この調子でパラリンピックも無事に開かれる事を祈りたい。五輪と同じ時期に開かれた朝日新聞主催の高校野球の東西東京都大会は観客も多かったそうだから、パラリンピックは競技場に観客を入れてもよいだろう。


この2週間はテレビでオリンピックの各種競技を楽しませてもらった。競走部の後輩である山縣・小池両選手の400米リレーは残念だったが、田中希実選手や三浦龍司選手の入賞は陸上・中長距離の新時代を拓くものとして価値が大きい。競泳の大橋悠衣選手の2つ金メダルは素晴らしかったし、闘病から復活してメドレーリレーに出場した池井選手の力泳には画面の前で思わず涙してしまった。妻がボランティアとしてホッケー競技に関わったので、初めてこの競技を興味をもって見ることもできた。高齢者としては1964年の東京オリンピックくらいの種目数や規模で十分だとは思っていたのだが、スポーツクライミングやスケートボード、サーフィンなどの競技種目も目新しく楽しめたし、アメリカとの野球決勝戦は六大学野球で母校の優勝を待つような気持ちで画面に釘付けになった。日本の選手だけでなく、世界から集まった一流のアスリートの活躍を短期間にこれだけ沢山見ることが出来るのも、オリンピックならではであった。その中で日本の獲得した金メダルは何と27個で、米国、中国に次いで三位に入ったことは素晴らしいの一言である。


そして昨日の閉会式。古関祐而作曲の東京オリンピックマーチで旗手や選手の入場が始まったので、これは盛り上げるかと期待したが、その後はよく分からない踊りや、左巻きの大竹しのぶと子供たちの寸劇などが入って、冗長で白けてしまった。入ってくる選手団に日本酒でもふるまい、せっかく東京音頭が演奏されたのだから、選手とボランティアを含めた会場全員で踊ったほうが良かっただろうと思う。式の間の音楽も妙に凝ったものでなく、世界から集まった選手世代がよく知る日本のゲーム音楽やアニメの主題歌をもっと流した方が受けただろうし、リオで安倍さんが仮装して登場したような感じでマリオのようなキャラクターを出しても面白かったのではないか。花火もより派手に日本の伝統・技術が誇る派手なものを披露できたであろう。どうも選手ファーストと謳いながら開会式も閉会式もブツ切れの上に変なメッセージ性が感じられて、却って場の雰囲気を壊しておりその点は残念だった。とは云え、これでまず成功裏に2020東京五輪の聖火が消えた。関係者の皆さん、本当にご苦労様でした。次はパラリンピックでまた盛り上がろうではないか。

関係者送迎用に観光バスも日本中から集められていた。慣れぬ都内の道をお疲れ様。(名古屋・鯱バスと奥飛騨バス)
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2021年8月 5日 (木)

妻の東京オリンピック2020

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オリンピックの日程は早くも終盤となったが、それに先んじて妻のボランティア活動が修了した。2018年にボランティアに応募して以来、翌2019年春に面接、秋の代々木での共通研修を経て役割と会場が決まったのは2020年の12月であった。顧みれば武漢ウィルスによる大会の一年延期や、立憲共産党などのサヨクやマスメディアの煽動による中止運動、森会長の発言を意図的に切りとった辞任騒動によるボランティア大量辞退ニュースなどこれまでさまざまなことが起こった。武漢ウイルス騒動に対する菅政権のポピュリズム的弱腰政策に嫌気がし、早々にボランティア辞退した私とは対照的に、好奇心のなせる技なのか妻はどうしてもこれを体験してみたかったようだ。


妻の役割はテクノロジー部門の中の「ベニューリザルトチームメンバー(VRTM)」で、担当を割り当てられたのは大井ホッケー場で行われるフィールドホッケー競技であった。試合結果の何かに関係しそうな名称ではあるが、「一体何をするのやら想像がつかない」状態で臨んだ7月上旬の現地研修で、説明を受けて役割がやっとわかったそうだ。ホッケーはキーパーを含め11人が先発するが、リザーブに入ったベンチの5人との交代に回数の制限がなく、一度下がってもまたフィールドに立つことが出来るルールで、その交代で出入りする選手の背番号をベンチ裏の席から読み取って然るべき人に伝える係だった。


ベニューリザルトチームメンバーには、五輪開会式前に役割に対する2日間の研修があり、そこからユニフォームでの彼女の本格的な活動が開始した。実はオリンピック開催に反対するノイジーマイノリティーからの風当たりを考慮し、私服で会場に来て現場でボランティアの制服に着替えることも可能、と直前に案内が来たが、「何か言われたら睨み返してやる」と気を張る妻に「おう、堂々と行って来い」ということで自宅から青のユニフォームで出立する妻を見送った。この日の為に死にものぐるいで精進してきた次世代を担う世界のアスリートを援助するためなら、例え東京が少々犠牲になろうともそんなことは大した問題ではない、これぞ日本のホスピタリティだ、という気合と心意気を妻には体現して欲しいものである。


ホッケーのボランティアは開会式の翌日から実戦が始まった。大井のコンテナターミナル傍らにできた新しいホッケー競技場で、次々と入れ替わる選手の番号を読み取ってはトランシーバーで本部に伝える係や、それを手元のメモに書きとるのが現場で割り当てられた仕事であった。炎天下、一日4試合のうち2試合を片方のチームを2名~3名で担当するのだが、ボランティアは高校・大学のホッケー経験者が多いなか、妻のようにこれまでなんらホッケーとは縁のないおばさんたちや、大会が無観客になってしまったために別役割から振り分けらた人たちが混ざって、そこそこバランスよくシフトが組まれていたそうだ。最初は慣れない上に緊張したらしいが、経験を積むにつれ余裕も出て何となく試合の展開も追えるようになったと喜んでいるうち、準決勝までで彼女の役割は完了した。こうしてホッケー競技に関わるうちに贔屓のチームもできたようで、その後のホッケー競技の展開に妻は画面の前で歓声をあげている。

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東京2020その他のリンク
東京オリンピックまで2ヶ月切る ボランティアユニフォーム受領(2021年6月2日)

2021年6月14日 (月)

第70回 大学野球選手権 慶應が34年ぶりに優勝

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6月9日、和歌山大戦を前に神宮球場で記念撮影

第70回全日本大学野球選手権記念大会は東京六大学野球連盟代表の慶應義塾大学が優勝した。1987年の第36回大会以来34年ぶりの日本一となり、野球部や関係者の喜びもひとしおであろう。決勝戦は神宮球場に応援には行かなかったが、大会3日目の6月9日水曜日、午後3時からの慶應 対 和歌山大学の2回戦はテレワークをさぼって試合を観戦に行ってきた。この日は初夏の日差しが照り付ける中、国立の和歌山大学の左腕・瀬古投手の緩急つけた投球術に慶應打撃陣が翻弄されたものの、終盤になって下位打線の踏ん張りでなんとか勝利をもぎ取った試合であった。あまり意味があるとも思えない感染対策とやらで学生野球にしては珍しく応援団やチア、ブラスバンドもないゲームだったが、その分選手同士やベンチの声がよく聞こえ、グラブやミットの捕球音、カーンというバットの音がグランドに響きわたり「あ、これも野球の原点のようでいいね」と一人内野席で観戦を楽しむことができた。


昨日の決勝戦は相手が福井工業大学となったが34年前の大学野球選手権でも、慶應は大会2日目の1回戦で鈴木(哲)投手(福島高校、のち熊谷組からライオンズなど)の頑張りで福井工大に4対0で勝っている。あの頃は鈴木の他に好投手の志村(桐蔭学園)、打者ではジャイアンツに行った大森(高松商業)がおり主将は猿田(秋田高校)だった、などとNHK BS放送の決勝戦TV中継を見つつしばし懐旧の念にひたっていた。画面を眺めていると、そういえば鈴木も猿田も2浪だったことなど当時の様々な記憶が自然に蘇ってくる。この時の決勝戦の相手は東北福祉大学で、日ハムへ進んだ上岡投手に随分苦しめられたが、志村の粘り強い投球と大森、猿田らの活躍で3対2で慶應が競り勝った試合だった。その日本一達成の瞬間を私は神宮球場の3塁側スタンドから見ていたのだが、あれからもう34年経ったかと思うと、時の流れの早さに愕然とするばかりである。


昨日の慶應のオーダーを見ると慶應高校や大阪桐蔭高校、桐光学園などいわゆる野球の強い学校の他に文武両道の県立学校出身者が多いことが目についた。先発投手の増居君やショートの朝日君は彦根東高校、DH北村君が福岡の東筑高校、ライト橋本(展)君が島根・出雲高校、クローザーのピッチャー橋本(達)君が兵庫・長田高校である。その他に慶應の顔ぶれを見れば、この選手権の2回戦・準々決勝でDHだった中澤君はなぜか法政二高から浪人しての入学、かと思えば幼稚舎から慶應というリードオフマンのセカンド広瀬君のような選手もいて正にその顔ぶれは多士済々といえよう。一貫教育で下から上がって来る者、甲子園に出るなどスポーツが優れておりAO入学してくる者、学力試験を突破してくる者、初志貫徹で浪人して入ってくる者、それぞれ出身は違うが大学に入れば皆が同じ塾生である。私の経験から言えば慶應では下から来た選手と、大学からの入学組にはスポーツをする上では何の垣根もなかった。野球部も強いだけでなくこのまま良いチームであり続け、秋季リーグ戦に勝って、秋の日本一である明治神宮大会を目指して欲しい。日本一おめでとう、野球部!!

優勝旗授与の場面のNHK(BS)放送
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2021年6月 7日 (月)

山縣君 日本新おめでとう 

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6月6日NHKニュース7の映像より

陸上競技、男子100米で競走部の後輩、山縣亮太君が9秒95の日本新記録を出した。2019年には気胸を患いその後も度重なる故障で、一時は彼ももうこのまま終わるのかと心配していたがそこから見事な復活である。心からおめでとうと祝福したい。試合見学などでたまに日吉の慶應義塾の陸上競技場に行くと彼の姿を見かけることがある。ただ先輩といってもこちらはその他大勢のOBの一人であり競技の実績からすればまさに天と地ほどの差がある。競技人としては神様と奴隷のようなもので「よ、調子はどうだい」などと彼に声をかけるわけにもいかない。それでも「山縣は最近良くなって頑張っているよ」との話をいろいろな人から聞いていたから、東京オリンピックに向けてトレーニングを積んでいるのだろうと密かに期待はしていた。それが今回の記録は我が予想を上回る大記録である。追い風2.0Mの公認ギリギリだが「運も実力のうち」で、そもそも実力がない選手には運も味方しない。


新記録達成のNHKニュースでは陰に高野大樹氏と云う新しいコーチの貢献が語られ「重心の位置を前にしてバランスの良い走りをしたことが今回の記録に繋がった」とされていた。慶應の競走部には各パートのコーチの他に、アドバイサーと呼ばれる人たちがおり、たしかに高野氏も短距離部門のアドバイサーの一人としてその名を連ねている。ただ他のパートのアドバイサーは棒高跳びの丹羽清氏(法政大出身)や幅跳びの川越孝悦氏(日大出身)、臼井淳一氏(順大出身)などかつてそれぞれの種目の第一人者だった人たちで、高野氏の競技者として実績を知る者はほとんどいない。調べると彼は「フリーランス」の陸上コーチで埼玉大学出身、大学院では義足スプリントの研究をしており、その関係もあって山縣君と競走部の同期でロンドン、リオのパラリンピック2大会に出場した高桑早生選手のコーチを務めていたようだ。高桑選手の縁で知り合った高野氏のコーチングもあって山縣君が日本新記録を出したのだろう。インタビューで山縣君は周囲への感謝を口にしていたとおり、人の縁もこの記録達成に味方したと思われる。


今回の「布施スプリント」競技会の100米決勝には、棄権した桐生選手と在米のサニブラウン選手以外の日本のトップスプリンターが集結した。この中には2015年度の競走部主将だった山縣君のほか、2018年度の主将・小池祐貴君(住友電工)、2019年主将の永田駿斗君(住友電工)と3名の慶應の元キャプテンが名を連らねており、ニュース画面で彼らの雄姿を一挙に見ることができて感無量であった。5位となった永田君の10秒22は自己新であろうし、小池君は10秒13で3位と健闘。小池君は200米も得意な選手でまだまだ100・200とも伸びる余地がありそうだ。さて広島・修道高校時代から注目されていた山縣君がスポーツ推薦のない慶應を選んだ理由は「自由にのびのびと勝利を目指せる大学でないとダメ」であり、彼は「自由であることは自分ですべての責任を引き受けること」(慶應義塾ホームページ『KEIO TIMES』2019年5月17日)とその覚悟を述べている。この言葉のように彼は環境を上手に利用しケガや病気にもめげず自己責任でここまで伸びてきたが、新しいコーチを得て今後走りがどう変わっていくのだろうか。

山縣亮太君、高桑早生さん 慶應競走部リオ壮行会(2016年7月22日)

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