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2020年8月18日 (火)

真夏の早慶戦

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猛暑が続いている先週末は、退院直後でまだ無理もできず、冷房の効いた部屋でNHK BSで実況放送された東京六大学野球リーグの早慶戦を見ていた。東京六大学野球の春季リーグは、例年なら4月初旬から5月末までの8週間、風薫る季節に戦われるが、今年は武漢ウイルス騒動で8月10日からと真夏の開催である。それも同一カードで先に2勝した方が勝ち点を得る勝ち点制ではなく、今季に限り一回戦総当たりで、延長になればタイ・ブレークで決めるという変則的な方式である。また従来は成績に拘わらず早慶戦はリーグの最終週に行われるものも、途中の第六週目に対戦する日程となっている。


東京六大学野球で早慶戦を最後に行うのは、リーグの発祥が早稲田大学 対 慶応義塾の対校戦に他の4校が加わったという歴史的経緯によるのだが、今年の事態では伝統を変更するのもやむを得ないところだろう。このようなごたごたは大東亜戦争中の昭和18年の連盟解散、あるいは戦後昭和21年の一回戦総当たり時代以来との事だが、全国の他の大学野球リーグ戦がウイルス禍で開催できない中にあって、東京六大学野球連盟だけが天皇杯をかけて戦えるのは何とも名誉なことである。またこの早慶戦がNHKによって全国に放送されるのは、早慶両校選手には大変な喜びだと云えよう。


試合は今年のプロ・ドラフトで上位指名が予想される早稲田の早川投手(4年・木更津総合)対 慶応打線の勝負とみられていたなか、慶応の一発攻勢と堀井新監督の冴えわたった選手起用で慶応がリード。早稲田も粘って9回2死から追いつき3対3の同点でタイ・ブレークによる延長戦に入る見ごたえある熱戦となった。まさか東京六大学野球でタイブレーク方式の延長戦を見るとは予想だにしたこともなかったが、無死1塁2塁からの攻撃方法、先攻・後攻による戦術の違いなど、画面を通じて初めて見る攻防も興味深かった。結果、5対3で塾が早稲田にせり勝ち、ビールがまだ飲めない体なのでコーラで祝杯。

 

それにしても今季は学生応援席のない真夏の神宮球場スタンドである。応援団・ブラバンによる声援や演奏、エールの交換など、六大学野球をそうあらしめる伝統のお約束プロトコルが画面から聞こえないのが何か気の抜けたビールを飲んでいるようだった。選手の息づかいが伝わってきそうな静かなテレビ音声を聞いていると、チャンスパターンの応援や耳になじんだ各校の多くの応援歌、ラッパや太鼓の響きが東京六大学野球リーグ戦の重要な構成要素だとあらためて認識できたのだった。どうか秋には元の伝統の形式に戻って、ふつうのリーグ戦が開催できる状況になってほしいものだ。

2020年2月 4日 (火)

年寄りの冷や水スキー

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週末は磐梯山にあるスキー場に行ってきた。なんと15年ぶりのスキーで、”老いてますます盛ん”の意地をみせようかと親戚たち若者ツアーに同行である。といっても以前アップしたように、久々にスケートでいい恰好を見せようとリンクに飛び出したら、いきなり派手にお尻から転んだ苦い思い出がある。スキーで怪我などすれば”年寄りの冷や水”と笑われそうだから、まずは安全第一の心持ちでツアー参加だ。まあ今のスキーは手ぶらで行っても立派な板にストック・ブーツ、ウエアやゴーグルまで一式レンタルが利用できるので気楽なものだ。かつて2メートルあまりの重いスキー板をかついで列車に並ぶか、さもなくばレンタルだとカンダハの留め具によれよれの板で苦労したが、今は便利なスキー旅行で隔世の感がする。


さてゲレンデに到着し一式借りた用具を装着すると、若者たちはさっさと山の上目がけリフトに乗って行ってしまったが、こちらはさすがに15年ぶりとあってまずは足慣らし。筋肉は若い頃に較べればかなり細くなっているしスピード感も鈍っているから、怪我をしないように、しばらく平地で一人歩きの練習、そのあと初級者用リフトの緩斜面で感を取り戻すことにした。ところが暖冬の今年、山は雪が少なく一番下の初心者向けゲレンデがクローズされ、最も短いリフトに乗ってもいきなり長さ1キロあまりある初~中級者向きのコースに行ってしまう。やってきた初中級者コースも湿雪の凸凹の上に初心者やスノーボーダーたちで大混雑とあって、スタートに一瞬躊躇したが、まあ何とかなるだろうとこわごわ一本目を滑り出す。


さすがにその程度のゲレンデでは転ぶこともなく「スケートよりスキーの方が忘れないものだ」などとちょっと自信を取り戻しつつ、徐々に山頂へ向かう長いリフトにも乗ることにした。幸い天気も良く、一人、リフトの揺れと「ゴトン、ゴトン、ゴトン」という響きに身をまかせると、若いころ一緒に滑ったあの女の子たちも今はみな婆さんになったんだろうなあ、等とあれこれスキーの思い出が脳裏によみがえってくる。コースも上に行くにつれ立ち並ぶ樹木には雪が白く積り、目の前に猪苗代湖が朝の日の光を反射して美しく広がり、自然に「♬や~まは白銀」と歌が口をついて出てくる。ということで午前中は一度も転ぶことなく、気持ちよく15年ぶりのスキーを満喫し仲間との集合場所である昼食会場に降りていった。


さて、まあ何とか滑れるとすっかり気の大きくなった私である。午後は若者たちと中上級コースにチャレンジすることにした。山の上からいくつかの急コースを滑って降りるのだが好事魔多し、やはり過信はいけなかった。中上級の狭く急な斜面に途中から筋肉ががくがくし膝が笑いだして力が入らない。この日初めて転ぶと体はひっくり返ったまま斜面をいつまでも転げ落ちて止まれず、これは急なコースに来てしまった、とちょっと弱気になるが、とにかくスキーは泣いても一人で滑って下まで降りねばならない。雪質はカチカチだし昼までの余裕のよっちゃんも、午後は体が動かない介護老人である。あっちでスッテン、コッチでスっテンのありさまで、見ていた高校生の姪には「おじちゃま、なんでもない所でころんでるよ、ぎゃはは!」と大笑いされる始末。幸い怪我もせず帰ってこれたが、今日はあちこち体中が筋肉痛でたまらない。それでも急斜面を無心で滑り降りる心地良さを思い出しては、次はもう少し慣れるだろうからまた時々スキーに行こうかと性懲りもなく考える今日である。

 

2020年1月 4日 (土)

箱根駅伝・記録の変遷から思う

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正月は特に予定もなくのんびりであった。2日と3日は朝だらだらと起き、テレビのスイッチをオンして箱根駅伝を眺めていた。天気も穏やか、新しい高反発シューズの効果もあるのか、今年は区間新記録の連発で青学大が10時間45分台の新記録で優勝した。半世紀ちかく前、たまたま好運に恵まれて私が箱根駅伝を走った頃と較べると、トップの記録が約一時間も早くなっており、かつて参加したスポーツとなにやら別の競技かとさえ思えてくる。それもその筈、アナウンサーの解説では近年10000米の記録が28分台の選手が箱根には多数出場しており、中には27分台で走るランナーもいるそうで、それを聞くと時代が変わったと思わざるを得ない。

ちなみに我が家にあった1974年11月の陸上競技マガジンを取り出して見ると、トラックシーズン終盤の同年10月12日現在でその年の10000米学生記録トップは、大東大・大久保初男選手の29分19秒で当時28分台の学生選手はいなかった。記録の進歩に驚きつつテレビを眺めているうちに、この50年でどれだけ箱根駅伝の記録が変遷したのかを比べてみようとにわかに思い立った。と云っても箱根駅伝の記録は当日の天候もさることながら、年によってコースが変わっており厳密な意味での比較は無理である。私たちが走った頃は2区・9区は横浜駅の山側を走っていたし、10区も大手町の読売新聞本社には日比谷通りの馬場先門を直進してゴールしていた。選手、役員を悩ませた京急線の蒲田踏み切りももう無くなった。

正月で呆けた頭の体操、今昔のタイムを比較するために、自己流で以下の方法を考えてみた。1982年(58回大会)までは2区・9区で横浜駅は第二京浜国道を走っていたが、今は第一京浜を使用しており距離は昔の方が片道約1500米x2=往復3000米長い。また75回大会(1999年)以降、10区は日比谷通り馬場先門を右折して中央通り京橋・日本橋経由大手町読売新聞までゴールしており、その走路は以前に較べて1700米現在の方が長い。一方、箱根の函嶺洞門のバイパスや元箱根市街を走る走路の変更は誤差として考えなくてよいだろう。選手の速さを時速20キロとすると、1982年以前の記録は横浜駅付近で走路が短くなったのとゴール前で長くなった分を差し引き1300米分、4分マイナスをすればよいし、また1990年の記録は10区のゴールが短い分5分プラスすれば帳尻があいそうだ。

以上、1970年と1980年は1.3キロ分(=4分)差し引き、1990年は1.7キロ分(=5分)プラス補正してこの50年間の優勝校、10位と最下位記録をみると次のようになる。

  1位 10位 最下位
1970年 46回大会 日体大 11時間31分21秒
(補正後11時間27分21秒)
駒沢大 12時間11分15秒
(補正後12時間07分15秒)
拓殖大 13時間11分31秒(15位)
(補正後13時間07分31秒)
1980年 56回大会  日体大 11時間23分51秒
(補正後11時間19分51秒)
東海大 11時間54分56秒
(補正後11時間50分56秒)
法政大 12時間13分20秒(14位)
(補正後12時間09分20秒)
1990年 66回大会 大東大 11時間14分39秒
(補正後11時間19分39秒)
法政大 11時間40分12秒
(補正後11時間45分12秒)
亜細亜大11時間54分47秒(15位)
(補正後11時間59分47秒)
2000年 76回大会 駒沢大 11時間03分17秒 法政大 11時間23分27秒 東洋大 11時間40分45秒(15位)
2010年 86回大会 東洋大 11時間10分13秒 明治大 11時間21分57秒 亜細亜大11時間41分09秒(20位)
2020年 96回大会 青学大 10時間45分23秒 東洋大 10時間59分11秒 筑波大 11時間16分13秒(20位)

これで気が付くのは箱根駅伝の高速化だ。特に注目されるのは中位~下位校の底上げで、今年の最下位だった筑波大も10年前なら上位に入っていた記録だと云える。1980年代後半にテレビの完全中継が始まってから箱根駅伝が関東の大学の宣伝の場となり、多くの新興校や、これまで運動に力を入れてこなかった学校が箱根駅伝予選会に出るようになった。それにより中~下位の学校の底上げも顕著になったが、陸上競技の一部としてではなく駅伝だけに力を入れる学校や、長距離の選手ばかり特待生が多い学校もあると聞く。またアフリカ人選手を取るためにブローカーが暗躍するという話もしばしば耳にする。選手の努力には大いに敬意を表するものの、いまや「良きアマチュア」とか「文武両道」から離れ、専門化しているかの箱根駅伝である。私には箱根駅伝は青春の良き思い出だが、テレビ中継するアナウンサーの絶叫を聞いていると、商業主義に陥った大会がこのままでよいのか、という気持ちも一方でわいてくる。

2019年12月15日 (日)

ピーター・スネル選手の訃報

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早慶競走部後輩達の1500米レース

1960年のローマ五輪陸上競技800米で金、1964年の東京五輪で800米と1500米で二冠を達成したニュージーランドのピーター・スネル氏が亡くなったと報じられた。80歳だったそうだ。スネル氏は30歳そこそこでアメリカに移住し最後はテキサスの自宅で亡くなったとのことだが、記憶に残るのはやはり東京オリンピックでの黒のランニングシャツ、胸にシルバー・ファーンの国章をつけたニュージーランドのユニフォーム姿である。同じ中距離といってもスプリントが重視される800米と持久力も必要な1500米ではかなり競技の様相が異なる。その両方に勝ったのは、彼が類まれなるランナーだったあかしといえよう。懐かしいアスリートの訃報に接して思い出したのは、当時スネルのコーチだったアーサー・リディアード氏によるリディアード式トレーニングの事だった。

ローマ五輪以前は、中・長距離の練習法として広く採用されていたのはインターバルトレーニング方式だった。これは1952年のヘルシンキ五輪で長距離種目3冠王になったチェコのザトペックが実践して知られるようになったものだ。インターバルトレーニングは400米走を中心にダッシュとジョッグを繰り返すもので、心肺機能を高めるのに最適と云われたものの、トラックとストップウォッチで管理される無機質かつ機械的で苦しい練習と云う印象が強かった。それに対してリディアード方式は、クロスカントリーなどを取り入れた幅広い練習方法で、当時私のように陸上競技を始めたばかりの高校生にとっては惹かれる練習方法であった。速く走るためのトレーニングをするならば、少しでも気分良く練習する方が良いといった心境だった。

時を同じくして隣国のオーストラリアは、ローマ五輪1500米の覇者ハーブ・エリオットや、東京の10000米の銅メダリストだったロン・クラークなど傑出した中長距離選手を輩出していた。その豪州のコーチはパーシー・セルッティ氏で、氏によるトレーニング方式もそういえば注目されていた。当時高校の図書館からセルッティ著の「陸上競技チャンピオンの道」を借りて、砂丘での練習が良いなどと知り、顧問の先生にどこか起伏のある場所で練習できないか相談したことが記憶の底から蘇った。久しぶりにスネル氏の名前に接し、聞きかじった練習方法をいろいろ模索した高校時代のことを思い出したが、あれから50年経っている今もまだジョギングだけは続けている。我が走る原点には、スネルやクラークなど名選手の軌跡と彼らが辿った練習への憧れがあったことを訃報を聞いて感じている。

2019年11月18日 (月)

第50回 明治神宮野球大会

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慶應義塾大学野球部が東京六大学野球リーグ戦で3季ぶりに優勝し明治神宮野球大会に臨んでいる。日曜日は神宮球場で行われているこの大会に応援に行ってきた。明治神宮大会は短い日程の間に高校の部と大学の部のトーナメントがあるため、これまで神宮球場と隣の神宮第二球場両方を使って開催されてきたが、オリンピック準備で第二球場が取り壊され、今年から神宮球場だけで一日四試合消化するという忙しいスケジュールである。そのため日曜日の第4試合にあたる慶應義塾 対 北海道地区代表・東海大学札幌戦は、午後5時近くなってからのプレイボールとなってしまった。この時期、晩秋のスポーツ観戦は寒さ対策が必要で、この日はズボン下にセーターとジャケットを着込んでの観戦である。

明治神宮大会は昭和45年に明治神宮鎮座50周年を記念した奉納試合として始まったとの事で、大学の部は各地区のリーグ戦を勝ち抜いた優勝校、もしくはリーグ戦優勝校の中から選ばれた学校によって戦われる秋の大学日本一決勝戦である。今季は11校が参加しており、東京からは慶應の他に東都大学野球優勝の中央大学や首都大学優勝の東海大学などが出場している。これまで50回の大会のうち東都大学代表の優勝が16回、東京六大学代表の優勝が13回と両リーグの優勝回数が飛び抜けているが、年によって東北福祉大や東亜大学(山口)などの活躍もあり、ふだん馴染みのない地方の選手を見るも楽しいものだ。

観戦した慶應 対 東海大学札幌の試合は、慶應の一方的な猛打で9対0で7回コールドゲームとなったが、点差ほど実力の相違はないように見られた。地方の大学野球では観客もまばらだが、この日は神宮球場で慶應を応援する多くのファンやブラスバンド、チアリーダーの前で東海大札幌もやや緊張したのだろうか。東海大にしては与えた四球やボテボテの内野安打、慣れぬ神宮球場のカクテル光線で幻惑されたかのテキサスヒットで慶應の打者が塁を埋め、そこで長打を喫して一方的な試合になったのが残念だった。逆に云えば四球をうまく選び、敵のミスにつけ込むあたりが東京六大学や東都大学など厳しいリーグ戦でもまれたチームの強さなのだろう。

それにしても暗くなり足元から寒気も伝わるスタンドでじっと試合を見ていると、明治神宮大会の大学の部を観戦に来たのは19年ぶりであることに気が付いた(高校の部は39回大会決勝の慶応高校の試合に来たが)。最後に大学の部を見たのが2000年秋の決勝・慶應 対 東海大戦だが、奇しくもこの日の対戦相手は同じ縦じまの東海大ユニフォーム。当時の慶応は投手はオリックスに行った山本省吾、阪神の中村泰広、西武でプレーした長田秀一郎、バッターはロッテに行った喜多隆志など多士済々の選手がいた。考えてみるとそのころ私はまだ40歳代後半の働きざかり、週末も接待のゴルフなど忙しい中での観戦だった。顧みればその翌年には関連会社に一方通行の出向に出され、ほどなく嫌気がして退社、その後は同業他社で働くなど激動が始まった時期であった。神宮球場で大学野球を見ているとかつての印象的な場面がフラッシュバックし、目の前で繰り広げられるプレーと自分の思い出がシンクロして不思議な感慨に浸れるのである。

2019年10月22日 (火)

慶応野球部・優勝に王手

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明治のエース、広島ドラフト一位 森下君の奮闘

明治神宮外苑に「夕闇迫る神宮球場、ねぐらへ急ぐカラスが一羽、二羽、三羽……」とかつてNHKの松内アナウンサーが放送した季節がやってきた。ラグビーのWC日本対南アフリカ戦を前に、日曜日は東京六大学野球の慶応義塾大学・明治大学の2回戦を観戦に神宮球場へ向かった。慶応はここまで7連勝で3季ぶりの優勝へまっしぐら。投手陣が安定しており、先日のドラフト会議で野球部史上最多の4名がプロ野球に指名された層の厚さでここという場面を制してきた。対する明治は法政と早稲田に勝ち点を落として優勝争いから脱落するも、広島ドラフト1位・エース森下君(大分商業)の最終シーズン登板が楽しみである。スタンドには観客も一万人以上入り、「天日の下にぞたたかわん」という日和である。

明治戦になると登場する慶応応援席の銅鑼の音をバックにプレイボールだが、ふと見まわすと球場周囲の景色も大きく変化した事に気がつく。レフト側にそびえる国立競技場はその外部工事がほぼ完成したようだし、秋のシーズンになると外野手の真正面になる夕陽も日本青年館ビルの高層化で影の伸び方が変わってきた。東京オリンピックを機に神宮第2球場などこの辺りも一変するそうで、懐かしい光景もいつまであるのかと懐旧の念がわきおこる。明治の紫紺のユニフォームに身を包み主将のあかし背番号10の森下君がマウンドに上がると、かつて同じ明治の主将・背番号10で打者と真っ向勝負をした星野仙一や井上明(松山商業・のち朝日新聞)、高橋三千丈(静岡商業・のち中日)ら名投手の雄姿が心に浮かんできた。などと昔の事を思いおこすうち、ベンチから短躯の島岡監督が真っ赤な顔をして薄暮のグランドに飛び出してくるかの幻想にしばし捕らわれてしまう。伝統の一戦とは良いものだ。

病み上がりの森下君は球が上ずり微妙なコントロールに苦しんだが、最速153キロの速球で連打を許さない投球はさすが大学球界ナンバー1の実力と云えよう。対する慶応の森田投手(2年・慶応)もこの秋大きく成長して、まったく危なげない投球である。1対1のまま9回になった試合は、まず慶応の大久保監督が仕掛けた。ここまで好投の森田を一死ランナー無しの場面で交代、明治の左打者に対し左腕の増居(1年・彦根東)がワンポイント・リリーフ、その後を石井(4年・慶応志木)がきっちり抑える。すると9回裏の攻撃で2死から小原(4年・盛岡三)の2塁打でサヨナラのチャンスが到来だ。次打者の申告敬遠のあと投手の打順で代打の橋本(2年・出雲)が粘った挙句、森下の投球を強振すると打球は前進守備のセンターの頭上を越えて行って慶応がサヨナラ勝ちした。スパっと投手を代えるとその裏に投手の打順がきて、そこで起用した代打が成功するとは監督の采配が冴えすぎだ。これで慶応は優勝に王手をかけたが、選手の力もある上に監督が選手をよく理解し信頼しているのがわかり、今年のチームならあと一勝して優勝できるのではと嬉しく帰路についた。家に帰ると旧友から優勝したら祝勝会をしようと早速お誘いのメールが届いた。

薄暮の神宮球場
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2019年10月15日 (火)

ラグビーワールドカップ・日本代表8強に(10年前の夢)

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このグループで予選リーグを勝ち上がるのはまず無理だろうと思っていたラグビー日本代表がスコットランドも破ってよもやのベスト8である。日曜日はテレビの前でビールを飲みながら、そして妻は日の丸を降りながらの応援であった。画面を見つつスコットランドが日本代表をまくり上げるプレーに、「ああヤンボ、ヤンボ(敵ボール)」「マイボール、マイボール」と幾度も絶叫してしまった。日本代表の突進に対し、かの大男たちが相手を倒さず力づくでモールにし、そのままアンプレーアブルの反則を誘うなど国内の大学ラグビーでは滅多に見られない場面である。こんな相手によくぞ勝ったものだ。さあ、ここまで来たからには次の南ア戦にも期待したいが、ラグビーのこんな盛り上がりを誰が予想したであろうか。

テレビの前で興奮した後に、3連休とあって何となく自分の過去のブログを眺めていたら、ちょうど10年前の2009年にこんな事をアップしていた。以下それを引用してみる。

ラグビーワールドカップ(2009年7月29日)
----- 引用開始 -----
『10年後、2019年ラグビーワールドカップの日本開催が決定したそうだ。最近はサッカーに押されて人気も低迷しているラグビーだが、10年という丁度良い強化期間と目標が出来たわけである。母校のラグビーの応援を中心に、永年秩父宮ラグビー場に通ってきた私も、ラグビーの人気がこれを契機に復活する事を願っている。

人気回復の為には、日本の力が国際レベルになる事が必須条件なのだが、ラグビーという競技は、まず8割方「強い」と云われるチームが勝つのであって、サッカーや野球の様に弱いほうが1点を取って守り切って逃げてしまう様な番狂わせの試合はあまりない。どうしても体が大きくかつ体力に優れたチームが勝つ様だが、最近のラグビールール改正の本旨、すなわち中断せず素早く展開するプレーを、今後の「ジャパン」がより徹底し実践する事で一矢報い、国際レベルに少しでも近づけられないだろうか。それにつけてもアジアでのワールドカップを機に、必ずしも体力勝負だけでは決まらないラグビーになる様に、ルールが抜本的に変わればよいのに、などと素人は思うのだが、それでは格闘技の要素もあるこの競技に根幹に響くだろうか?

もう一点、ラグビーの重要なポイント、オフサイドや密集の中での反則行為がもう少し観客に判りやすく、見るものとグラウンドがゲームの流れを共有できないと、なかなか大衆化しづらいのではないだそうか。審判の絶対的権限や陣取りゲームというラグビーの根っこに触れる点であろうが、反則が観客に広く理解できる様な「見るスポーツ・わかりやすいスポーツ」への改革も必要と思う。こういう点を変えてしまってはもはやラグビーではないと云う点まで抜本的に見直して、ワールドカップを日本でやるに際し人気回復の策をあらゆる点から検討してほしいものである。

それにしても、最近は人気の関東大学ラグビーの対抗戦グループの試合も、便利な秩父宮開催が減って熊谷など遠隔地で行われる事が多い。手短かな人気回復策の為に、なるべく都内の便利な場所で試合をして欲しいものである。競ったラグビーの試合を80分間見ると、日頃のストレスが癒される気がする。それほどラグビーの試合は面白いものだから、以前の様に東京のまん中でもっと多くの人が楽しめたら、と思うのである。』
----- 引用終わり -----

さて10年前に願った思い、「国際レベルの日本代表」は見事に今年のチームが成し遂げてくれている。ルールもスピーディな展開になるように逐次変わってきているし、テレビの解説も今回は判りやすい。スコットランド戦は「オフサイド」など密集での反則も少なく、見ていてもスリリングで多くの人が楽しんだであろう。こうしてみると10年前に描いた思いはほぼ実現したわけだが、あとは秩父宮ラグビー場の改修計画が早く実現し、都心に芝生の美しい本格的なラグビー専用競技場が出来て欲しいと願うばかりである。

2019年10月 1日 (火)

スポーツの秋(RWC2019 日本対アイルランド)

秋の週末は忙しい。特に今年は4年に一度のラグビーワールドカップがあってなおさらだ。先週土曜日は日本対アイルランド戦があった。テレビで見る関係者や評論家は、前半は点差が離れないようについていき、後半半ばからフィットネスで日本が勝利したいなどと言っていたが、横浜でアイルランド対スコットランド戦をこの目で見たあとは、アイルランドの強さに正直到底かなわないと思っていた。何より彼らの緑の壁と呼ばれる組織だった守備が素晴らしく、まあ日本は30対10くらいで負けるのだろうな、というのが戦前の我が予想であった。さてテレビの前での観戦も、前半9対12で折り返した時には、たぶん後半の10分から20分ほどで2トライは取られ、せいぜい最後に1トライ返して終わるのだろうか、という気持ちだった。

ただ試合は日本のフォワードが思ったほど押されず、ラインアウトもきっちり球を確保している。とくにリーチ主将が途中出場してからは、二人がかりのタックルも良くなり守りが機能しているのが判った。前半相手が取ったトライも攻め込まれた挙句ではなく、キックからのものだったから、日本のプレッシャーはかなり効いていると感じられ、一抹の希望を持ちながら展開を見守った。一進一退で日本の善戦のなか、後半18分ついに日本が逆転トライ、30分のペナルティキックの加点でなんと19対12でリードするではないか。我が予想は大外れで嬉しい「まさか!まさか!」だが、ラグビーは大体強いといわれた方が勝つものだ。数年前の早慶ラグビー対抗戦で慶應リ―ドのなか、終了間際に早稲田に徹底的につながれて逆転された悪夢が蘇る。などと手に汗を握っているうち、そのまま19対12で日本が勝ち切ってしまった。そして、こんな歴史的な日に節酒はやめようと、同じく悲観論から一転大喜びしている妻と共に、日本の勝利を祝いながらいつもの倍のビールを飲んでしまった。

昂奮さめやらぬ翌朝、テレビをつけるとドーハで行われている世界陸上競技選手権50キロ競歩が生中継されていた。残り5kmの時点で、日本の鈴木選手が後続に2分近くの差を付けてトップを歩いている。こちらも固唾をのんで見守るうち、日の丸を手に鈴木選手が見事金メダルを獲得した。日本の競歩界に強い選手がいる事はニュースで知っていたが、世界陸上での優勝とは立派なものだ。競歩といえばかつて我が学生時代は、長距離選手として大成しない選手がインカレの点数稼ぎに転向したように、日本では地味な種目だったが、彼の活躍をきっかけにこの種目がもっと注目を浴びるようになって欲しいものである。さて競歩を見終わった後は、この秋初めての東京六大学野球の秋季リーグ戦観戦に神宮球場に向かう。第一試合は慶應の2年生投手・森田君が立教を1安打に抑える好投、第2試合は主砲・加藤君の活躍で早稲田が明治を下しシーズン初勝利を挙げるなどこの日も見所が沢山。家に帰るとまだ暑さの残る中、ノルマのジョギングが10キロとあって、とにかく秋は見るのもするのもスポーツで忙しい季節である。

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2019年9月23日 (月)

ラグビーワールドカップ2019 アイルランド対スコットランド戦観戦

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新横浜駅前はアイルランド人解放区状態

ワールドカップの券などもうとっくに売り切れているのかと思いながらもネット検索をしていたら、ひょっとキャンセルが出たのか、横浜総合競技場で行われる世界1位・アイルランド 対 同7位・スコットランド戦の切符が手に入った。それもスタジアム中央ど真ん中、前から数列目の絶好の席である。一人3万円、二人して6万円と聞くとウッとうなるも、世紀の大会、こんなチャンスは二度とないと新横浜にある会場に昨夕は駆け付けた。ラグビーといえば、かつては秩父宮ラグビー場で関東社会人リーグなどを時々見ていたが、近頃は母校慶応の応援に年に1~2度、関東大学対抗戦の試合を見る程度である。せっかく大枚はたいて世界屈指のゲームを観戦できるならと、あわててラグビーの本を数冊購入し最近の動向を把握、YOUTUBEでオフサイドやラック・モールの反則などを一通りおさらいし会場に出かけた。妻も試合前に流れるNATIONAL ANTHEMを一緒に歌うべく"IRELAND CALL"や"FL0WER OF SCOTLAND"の練習に余念がない。

試合の始まる2時間以上も前、最寄の新横浜駅を降りるとそこはすでにアイルランド人の街になっていて、駅前のパブやコンビニの前はビールを手にした緑色シャツの大集団が気炎を上げている。キルトをつけたスコットランド人もそこここに見えるが、人数的には圧倒的にアイリッシュが多いようだ。見ているとみな飲んでいるビールは500㏄の大きな缶ばかりで、さすがビールの国から来た人たちだが、もうすっかりできあがって歩道で寝ている若者もいて、なんだかダブリンにいるような気持ちになってくる。ぞろぞろと競技場に入ると満員の観客席は6万4千人の有料入場者で、いくら世界のトップの試合といっても、ラグビー観戦にこんなに人が入るとは驚きの光景だ。ラグビーのスタンドと云えば、かつては「通」らしいファンの空気が横溢する空間というイメージがあったが、ワールドカップの場内は雰囲気を盛り上げるアナウンスや各種音響が鳴り響き、アメリカ大リーグ野球観戦のような賑やかな雰囲気である。

さてゲームはスコットランドがペナルティーゴールで先制するが、フォワードでやや優位のアイルランドは、守備も出足早く隙が見られずなかなか相手のゲインを許さない。せっかくスコットランドが個人技で相手陣にボールを持ち込んでも、アイルランドの組織的な守備で分断されゲインを切れずに後退、やむなくキックで敵ボールになる場面がしばしば。その上に雨とプレッシャーでスコットランド選手のハンドリングミスが多く、アイルランドの強さばかりが目立つ試合になった。気が付けばスコットランドがノー・トライに抑えられ27対3でアイルランドの快勝という試合で、場内の大半を占める緑シャツのアイルランド人たちは大いに盛り上がっていた。それにしてもどこからこんなにアイルランド人が来るのだろうか。帰りの電車で隣になったダブリンから来たと云う家族と話をすると「自分たちは本国からも応援にきたが、豪州やシンガポール・香港などのアイルランド人が大挙しておしかけた」そうだ。「次はビッグ・ゲーム、日本とだ」とそのお父さんがいうから、" GOOD LUCK! BUT JAPAN WILL BEAT YOU, HOPEFULLY "とエールを交換して電車を降りた。それにしてもアイルランドは強い。

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2019年8月12日 (月)

ノーサイド・ゲーム

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日曜の夜NHK大河ドラマ「いだてん」が終わると、今度は9時からTBSのドラマ「ノーサイド・ゲーム」である。ワールドカップの日本開催を控えラグビー熱を盛りあげようという企画だろうが、実業団ラグビーチームの涙ぐましい努力に、定番の悪役がおり会社の権謀術数が絡む池井戸潤らしい痛快ドラマである。実は初回放送で妻に「このドラマ見ない?」と言われた際には、さして乗り気でなかったものの、画面を眺めているうちにその配役に驚き、以後日曜夜はかかさず見るようになった。というのもドラマに出てくる選手たちの、練習の時はもとよりグランドに集合する際などの何気ない所作がとても「本物」っぽかったからだ。ふつうこの手のスポーツものでは、配された俳優たちが大体ヘナチョコに見えてひどくしらけるのだが、「ノーサイド・ゲーム」では一目で本チャンらしき人たちのプレーンシーンが次々と画面に展開する。

まず初回、ラグビーチーム”アストロズ”の中心選手として活躍する特徴的な選手の顔を見て「あれ?まさかこの人は廣瀬じゃない?」と目を疑った。「それにしてはセリフがうまいから俳優だろうな。でもよく似ているな」と話していると、エンドタイトルの出演者に”廣瀬俊郎”と出てきたではないか。廣瀬といえば大阪の北野高校から慶応大学の主将として活躍、東芝にすすんでからも日本代表に何度もなった選手だ。他にもどこかで見た顔だと思っていた出演者は、明治大学のNO.8だった齋藤裕也である。あらためてネットで検索すると、”アストロズ”のキャプテンを演ずる高橋光臣はラグビーの強豪・啓光学園から東洋大でプレー、その他わき役たちの多くも高校や大学でラグビーをやっていたそうで、道理ですべての場面が「本物」っぽくてサマになっているわけである。これら元プレーヤーが皆なかなかの熱演とあって、安心して見ることができる本格派ドラマとしてすっかりハマっている。

さてラグビー・ワールドカップジャパン2019日本大会も目前に迫ってきた。以前にもアップしたように高校時代にラグビーのタックルを試した時の怖さから、常々この競技の選手には尊敬の念を抱いてきた。ということで長い間、母校のゲームを中心に競技場に足を運んだりテレビで応援をしてきたが、最近は母校だけでなくジャパンや海外のマッチも興味をもってテレビ観戦をしている。というのも昔にくらべ最近のラグビーはタックルされた後やラックからの球出しが圧倒的に早くなり、スリリングな連続攻撃を見ることができるからだ。かつてラックの中から球がなかなか出ないうちに反則の笛が吹かれ、見ている方はラックの中で何があったのかといぶかる場面が多かったが、今のラグビーはスピーディな球出しと連続攻撃で競技の魅力を大いにアップさせている。選手の体力や筋力のアップのほかに、ルールや指導法の変更があり、見ているものをより楽しませる方向へこの競技が進化しているのだろう。ゴールデンタイムに「ノーサイド・ゲーム」が放送され、ラグビー自身もより面白いゲームに変身しているのを見ると、これまでの「通」が楽しむものから、ラグビーはユニバーサルなスポーツへ脱皮しようとしていることがわかる。

20190812 
( ルールの本を取り出したら早稲田の日比野さんが書いた昭和60年版だった
最近のラグビーは随分変わったからワールドカップを前に買い替えねば )

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