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2024年4月 7日 (日)

第57回東京六大学陸上競技大会

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応援団の声援をバックに代表5000米レースの熱戦


改修工事の終わった慶應義塾日吉競技場のこけら落としとして、昨日は第57回東京六大学陸上競技大会が行われた。後輩たちの今年の戦力を占う緒戦とあって日吉に赴けば、やや肌寒い曇り空だったが風もなく陸上競技日和である。当日は男子18種目、女子10種目に亘り、それぞれ代表レースと他の学校やOBも参加できるオープン競技が新しいグラウンドで繰り広げられた。我々が学生だった50年前は、この競技会の黎明期とあって、代々木の織田フィールドや世田谷競技場などで観衆もなく担々と試合をやっていたものだが、今や各校100名を超える部員に加え、競技関係者や多くのOBが観戦に訪れるちょっとした大会に成長した。もともと東京六大学と云えば野球の連盟であり別に陸上競技で集まることもないのだが、そこは東京に昔からある大学のよしみで早慶戦や明法戦など対抗陸上競技会を開いてきた間柄であり、友好的な関係にある仲間でもある。6大学は集まるにはちょうど良い規模、環境で、50回大会からは女子種目も加わって一層盛り上がるようになった。


六大学は競技の成績に於いても昨年の関東インカレで、男子1部16校のうち早稲田が2位、法政9位、慶応12位、明治14位であり、2部42校中のうち立教は5位、東大は18位と各校がそれなりに健闘している状況にある。早稲田は今年の関東インカレで優勝を狙っているし、2部とはいえ立教も最近は箱根駅伝に復活し意気が上がっているので見る方も熱が入る。体育専門の大学に較べれば、各校ともトラックやフィールドの全種目にあまねく人材が揃っているわけではないが、却ってそれが得点争いの穴になるのが対校陸上の面白いところ(※インカレも六大学も決勝の1位が8点、2位が7点、以下8位が1点を獲得し、各校が合計得点で順位を競う)。箱根駅伝のテレビ中継で見た顔や、400米ハードルでパリオリンピックを狙う母校の主将・豊田兼君(4年桐朋)のような注目の顔が眼前で全力の争いを繰り広げるのを見ると、こちらもエネルギーを貰った気分になる。昨日は6校の応援団やチア、ブラバンの応援合戦もあって、対校競技会としての雰囲気も一段と盛り上がるなか、100米で三輪爽太君(4年西武文理)、3000米障害の安田陸人君(4年開成)ら後輩の優勝や、トリの1600米リレーの早慶デッドヒートで久々に陸上競技を楽しんだ一日であった。


競技が終了した後は、懐かしの日吉の街でOBの懇親会となる。会場の居酒屋には老若男女40名ほどのOB・OGが参加したが、見回せば我々の代が最長老であることを発見して愕然とした。若い頃にこの種の催しに参加すると、上席は白髪や禿げあがった爺さん達ばかりで、その長い説教や訓示に辟易としたものだが、気が付けばこちらがあの世代さえ超えている。まさか自分がそういう年齢になろうとは、想像だにしなかった。月日の経つのはなんと早いことか。と、隣の部屋で懇親会を開いていた早稲田OB会会長の瀬古利彦氏が我々の座に押しかけて、「本当はボク慶応大好きなんですよ、息子も慶応だし」「今の早稲田にはフィールド選手がいないんですよ、だから早慶対抗戦はフィールド種目をやめてトラック種目を増やしましょう、円盤なんか20m飛ばしてもしょうがないでしょう」など投擲陣が怒り出しそうな冗談を飛ばしていた。あの有名な瀬古もサービス精神を発揮して敵チームの宴会に乱入し、日本の瀬古ではなく早稲田の瀬古になるのだな、と彼のテレビで見るのと変わらない軽妙なトークに我々は大いに盛り上がった。

世界の瀬古から早稲田の瀬古へ、慶応OB会に乱入して盛り上げてくれた瀬古利彦氏
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2023年12月31日 (日)

あれから50年 第100回箱根駅伝

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第50回箱根駅伝のパンフレットと当日繋いだ母校のタスキ(小さい赤いリボンが選手章)


東京箱根間大学駅伝競走が第100回を迎えるとあって、主催の読売新聞社や完全中継を担う日本テレビ網の、大会に関連した事前報道が例年に増して賑やかだ。読売新聞は連日のように紙面の多くを駅伝に割いているが、昨日は日本テレビ局系列によって夕方のゴールデンタイムに「箱根駅伝伝説のシーン 表と裏3時間SP」なる特集番組が放送されていたので、過去の大会の懐かしい場面を居間でゆっくりと眺めることができた。そういえば私が第50回の記念大会に出場してからちょうど50年経ったことになる。50年前のあの時は母校が3年ぶりの出場とあって、多くの関係者とともに箱根駅伝黎明期の大先輩たちも多数応援や激励に駆けつけてくれたが、今の私はその大先輩たちの年齢をとっくに過ぎてしまったことにただただ驚くばかりである。時の流れはなんと早いことだろう。


報道ラッシュを見るにつけ、かつて関東学連の一レースに過ぎなかった箱根駅伝が、いまや正月の風物詩になるほど隆盛を極めているさまに隔世の感を禁じ得ない。私が走った当時は、箱根駅伝の中継と云えばNHKのラジオ放送だけとあって、後日学校に行くと同級生のうちただ一人が「(映画の前に流れる)読売新聞ニュースにオマエの姿が出てたぞ」と教えてくれた程度であり、ほとんどはクラスメートの箱根駅伝出場など気にも留めない時代であった。両親も大手町のゴールにこそ顔を見せたが、私が走った区間には応援に来なかった。それが当時の普通であった。ところがどうだろう、最近会社のOB会に久しぶりに顔を出すと、「君は箱根走ったんだよな、そんな人と机を並べてたのか」などと、これまで聞いたことのない挨拶をされ、却ってこちらが面映ゆくなるほどだ。


「そんなんじゃないんですよ。あの頃の下位を走った学校は20キロ以上走る選手を10人そろえるのがやっとで、そのチームの中で私は8番目か9番目の記録だったから今の高校生の記録にも劣ります」と答えるのだが、サラリーマン現役時代にはついぞ聞いたことのない挨拶をされると、最近のテレビが報じる大会の盛り上がりによって、元同僚らの記憶が、私が凄いことを成したかのように置き換えられたのかと苦笑する。たしかに全国的に人気あるアマチュア競技といえば、いまや高校生の春夏の甲子園大会と大学生の箱根駅伝となるが、甲子園は春夏合計で80校余校が出場しグラウンドに立てる選手が延べ1,000人ほどに対し、箱根駅伝は(年によってやや異なるが)参加校が約20校×10区なので一年で200人ほどしか出場できない。それを考えると、自分のようなランナーが歴史の1頁を穢すことができたのはなんとラッキーだったかと、ただただ学校の伝統や周囲のサポートに感謝するのみである。


思い起こせば50年前の今日12月31日は大会前最後の全体練習、元旦は日吉のグランドで各自調整ジョッグ。1月2日は監督や往路の選手、付き添いがレースに参加している中、一人軽いジョッグをして昼からマネジャーのクルマで箱根山中の旅館に向かったが、あの数日間がつい昨日のことのようだ。だが50年の歳月が経過する中で監督・コーチはすでに亡くなり、一緒に走った10人のうち2人は鬼籍入り、1人は途中退部して行方知れずとなり、いま後輩の試合やOB会に顔を出すのは僅かになってしまった。一方で現役大学生の後輩達は私たちの何倍もの努力をして、少し前なら予選会を十分突破できる実力を培っているが、なにしろ箱根駅伝は今や全国的一大イベントとなり、学校法人のプロモーションの場と化している。助っ人で日本語を話せないアフリカ人選手が走るのが当たり前の現状からすると、後輩たちの走る姿を見ることはしばらく叶いそうにないと寂しい。かつて大先輩たちから箱根の宿で「やあやあ、明日は頑張れよ」などと声を掛けられたことを思い出す度に、生きている間にそういう風に後輩に声をかける新春が来ないかと心待ちにするこの頃である。

2023年11月21日 (火)

第54回明治神宮野球大会大学の部 慶應義塾大学が5回目の優勝

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優勝旗を受け取る廣瀬主将

昨日行われた第54回明治神宮野球大会 大学の部の決勝戦、慶應義塾大学と青山学院大学の試合を観に神宮球場に行ってきた。秋の大学野球日本一を決める明治神宮大会は、神宮球場を本拠地とする東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟の秋季リーグ戦の各優勝校、それ以外の全国各地区からはそれぞれのリーグ戦やその後の予選を勝ち抜いて来た大学によって争われるトーナメント戦である。この大会は、1970(昭和45)年に明治神宮鎮座50年を記念して行われた奉納野球大会から始まりこれまで53回を重ねたが、その間、東京六大学代表が15回、東都大学代表が16回優勝と両連盟が優勝回数の多さを誇っている。今年も大方の予想通り、決勝まで勝ち上がってきたのは両リーグの代表チームであった。快晴の東京ではあったが木枯らしも吹き始めるこの時期は、一旦陽も傾いてくると観客席でじっと見ている身には寒さがこたえるものだ。この日は登山用の防寒下着を着こみ手袋やブランケットを持参しての野球観戦である。


午前中に行われた高校の部決勝の関係者も残り、いつもの東京六大学野球リーグ戦とは場内の雰囲気がやや異なる神宮球場のスタンドに座って、両校選手のノック練習風景などを見ていると、この大会における慶応野球部の過去の試合の模様が脳裏に蘇る。1985年、エース志村(桐蔭学園)の好投、相場(桐生)、仲沢(桐蔭学園)らの本塁打で愛知工大を下しての初優勝、1991年、若松(丸亀)の広島経済大学戦でのノーヒットノーラン達成の試合など、眼前で繰り広げれられたさまざまなシーンを思い出していると、働き盛りだった当時の我が仕事ぶりや生活の記憶が目前の情景とシンクロして不思議な気持ちが胸に去来する。そのうち神宮球場も取り壊されて新しく生まれ変わるそうだが、この古色蒼然たる場所は「我がフィールド・オブ・ドリームス」なのかも知れない、などと感慨に耽っているうちにプレー・ボールである。過去のブログ「第50回明治神宮野球大会(2019年11月18日)


入れ替え戦がなく対校戦の形式を採る東京六大学野球リーグに対して、2部、3部に降格もあり、熾烈な順位争いが繰り広げられる東都大学野球リーグは「人気の六大学」に対し「実力の東都」と呼ばれることもある。その中にあって青山学院大学は今年の春・秋のリーグ戦を連覇し、6月に行なわれた大学野球選手権大会の決勝戦では、六大学代表の明治大学を下して日本一になっている強豪。特に先のプロ野球ドラフト会議において、阪神に1位に指名された下村投手、広島1位指名の常廣投手と2人の強力な投手陣を青学は擁している。対する慶応は「昨年の主力がほぼ抜け『日本一になれるとは思ってなかった(廣瀬主将)』」(読売新聞11月21日)と云うチーム。慶応の2年生エース外丸(前橋育英)のクレバーな投球がどこまで相手打線に通じるかだが、青学投手陣から大量点をとるのは至難とあって、よほどのことが無ければ慶応は青学に負けてしまうのだろうと内心ひやひやしながら試合を見つめていた。


ところが試合は外丸君の投球術が光り、予想に反し序盤は慶応が押し気味に試合をすすめる。コースが決まり緩急を操って投げていた外丸君は、中盤からはライナー性の良い当たりをしばしば打たれるものの、守備陣のファインプレーもあり7回を終えて両校 0-0と決勝戦に相応しい緊迫した試合展開。しかし野球とは不思議なスポーツである。8回表の青学の守備は二つのエラーの後、好投の下村君が突如ストライクを取れなくなり、一死満塁から押し出しの四球。急遽代わった投手の常廣君から広瀬君(ソフトバンク3位)の大きな外野犠打で慶応が2点目を挙げ、そのまま慶応は終盤守り切ってゲームセットとなった。なぜ下村君はこんなに急に崩れたのだろうか。DH制を採る東都大学(六大学はDH制なし)で、直前の回に一塁まで全力疾走してリズムを崩したのか、東都のリーグ戦では経験したことのない相手側の大応援団に圧迫されたのか、それまでの素晴らしいピッチングとは別人になったような急変ぶりだった。一方の外丸君は打たせて取るピッチングから、9回裏はそれまで見せなかった最速145キロの速球も交えて3三振と、豪速球だけが投手の強さではないことを見せて青学打線を完封したのは見事だった。2023年は夏の慶応義塾高校の甲子園優勝に加え、秋の大学日本一と、慶応野球ファンには生涯忘れられない年になった。

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2023年11月 1日 (水)

東京六大学野球2023年秋季リーグ戦 慶応義塾が優勝

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東京六大学野球2023年秋季リーグ戦は、最終週の早慶戦に勝って慶應義塾大学が制覇した。通算40回目の優勝となる。今秋も何試合か神宮球場に足を運び、リーグ戦の試合を観戦したが、ドラフト会議でプロから3人指名されたように個々の力では明治大学が一歩抜けていると思っていた。またエース篠木君やそれに続く力のある投手陣を持つ法政大学も侮れない存在だとみていたので、塾員として慶応の優勝は望外の喜びである。NHKテレビの早慶戦中継では前監督の大久保秀昭氏が「今年は優勝するような戦力ではない」という趣旨のコメントを発したそうだが、昨年のチームから投では増居君(トヨタ)や橋本君(横浜DeNA)、打では萩尾君(巨人)など主力がごっそり抜け、苦戦必至というのがリーグ戦前の大方の予想だった。オープン戦の成績を見ても、今一つパッとしないという印象をもっていたが、春季リーグ戦の3位に続き秋は4季ぶりの優勝、それも相手校すべてから勝ち点を挙げて勝ち点5の完全優勝はあっぱれというしかない。スポーツ推薦のない慶応義塾にあって、選手の発掘、育成・活用のノウハウは他の體育會各部の参考に大いになることだろう。


今秋の早慶戦は勝ち点4の慶応と勝ち点3の早稲田の対戦となり、両校ともここで勝ち点を挙げれば優勝決定とあって、神宮球場は3万人近い観客で溢れた。双方とも優勝のかかった早慶戦といえば、言い伝えられるのは1960年秋のかの早慶6連戦である。この時、慶応は2勝1敗でも早稲田に対して勝ち点を挙げれば優勝、対する早稲田は連勝すれば優勝、2勝1敗なら早慶の優勝決定戦再試合を行うという状況であった。1回戦は早稲田先勝、2回戦が慶応、3回戦は早稲田が勝って優勝決定戦に持ち込まれるなか、優勝決定戦の4戦目と5戦目は双方譲らず延長の末に引き分け。神宮球場は当時は夜間照明設備がなく日没で引き分け再試合を行うというのが取り決めであった。迎えた第6戦目には慶応が天敵ともいえる早稲田の安藤元博投手(のち東映フライヤーズ)の軍門に下ったが、六大学野球がプロ野球より人気のあった時代にあって、後にも先にもない早慶6連戦は世情を大いに賑わせたそうである。6試合のうち5試合を投げた安藤に、慶応の前田監督は「今日も安藤、明日も安藤、嫌いな物を5日間続けて食べさせられてごらんなさい、どんなものか」と嘆いたそうだ。


早慶戦となると異様な闘争心を見せるのが早稲田大学で、古くは水原リンゴ事件が有名だが、2020年秋も双方勝った方が優勝という早慶戦で、9回2アウトからの蛭間選手(現・西武)の逆転ホームランで慶応が苦杯をなめたのは記憶に新しい。先の週末も10月27日(土)1回戦の9回裏に早稲田が演じた執念ともいえる逆転劇を目のあたりにして、早慶戦恐るべし、早稲田恐るべしとテレビの前で思わず唸っていた。日曜日の2回戦は、1年生の竹内君(桐蔭学園)と怪我からようやく復帰して4年春から出てきた谷村君(桐光学園)など思わぬヒーローの出現で慶応が快勝、月曜日はエース外丸君(前橋育英)とドラフト3位でソフトバンクに進む広瀬主将(慶応)などの活躍で追いすがる早稲田をなんとか振り切り、勝ち点を挙げて勝利することができた。秋季リーグ戦で3冠王に輝いた栗林君(4年)は、桐蔭学園から一浪して入学した苦労人で、他校のスポーツ推薦入学組に対して、彼のような選手が活躍するのを見るのも嬉しいところだ。優勝して塾野球部が受けた天皇杯は、各スポーツ競技に一つしか下賜されないが、野球ではプロ野球でも社会人でも高校でもなく、東京六大学野球連盟だけがその栄誉にあずかれる。塾野球部は天皇杯の誇りをもって、来たる明治神宮野球大会では高校野球部に続き大学日本一になって欲しいと願っている。

2023年9月25日 (月)

東京六大学野球秋季リーグ戦 慶応義塾大学 vs 法政大学

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昨日は東京六大学野球・秋のリーグ戦、法政大学 対 慶応義塾大学、早稲田大学 対 明治大学の各第2回戦を明治神宮野球場にて観戦。暑かった夏も終わり神宮外苑を吹き抜ける秋風も心地よく、観客席の上をトンボが飛んでいることに気づく候になった。3年半に及んだあの馬鹿げたコロナ感染騒動も収まり、今春からようやく応援団と観客、学生が一体で大きな声で校歌、応援歌を歌えるようになったのは喜ばしい限りだ。昨日は第一試合の慶法戦に続いて、『勝っても負けても応援が多い』と伝統的に云われる早明戦が第二試合に控えているとあって、神宮球場は1万人の観客でにぎわっていた。と言っても私が学生の頃なら、この2カードなら2万人は入っていたから、大学野球の注目度も随分と落ちたものである。まあ、あの時代には見るスポーツと云えば野球ぐらいしかなかったから、今のこの人気凋落もやむを得ないところだろう。


なぜだか、この日はいつもの内野席ではなく外野席に入りたくなり、右中間の椅子席に陣取ることにした。東京六大学野球も内野席券を買ってネット裏に座ると、周囲に野球部OBなどの関係者が多くなり、時には各校の内輪話や有力選手の去就のほか、プロ野球の裏話などが耳に入ってくることがある。プロで活躍したかつての名選手のほか、現役選手の父兄、友人なども観戦に訪れているためかネット裏には独特の雰囲気が漂っていると感じることも多いが、外野席の方はビール片手に日がな一日、のんびりと母校を応援する普通のおっさんファンが多い。もう一つ、外野席の特徴は、各校応援団の声援を正面から受けるため、なつかしい各校の校歌や応援歌の声援が内野席より良く聞こえる点にある。60年以上、春と秋のシーズンには東京六大学野球のリーグ戦を観戦してきたから、母校の勝敗はさておき、私にとって季節のうつろいを最も実感する場所の一つが神宮球場である。


伝統に裏打ちされた、東京六大学野球の各種儀式ではあるが、昔はやらなかったが新しい「お作法」に気づくことも多い。試合前に選手・監督や野球部長が整列して観客席や応援団に向けて挨拶をするようになったのはいつの頃からだろうか。昨日はエール交換の後に行われる第一応援歌(慶応なら『若き血』、早稲田の『紺碧の空』、法政の『若き日の誇り』、明治『紫紺の歌』など)の交換の際、対戦校の応援歌に合わせて相手の応援席からも手拍子を送ることになったのを初めて見て驚いた。コロナ感染で応援禁止になった後から始められた新しい応援ルーティンだろうが、これはいつものように内野席で見ていたら分からなかったものだ。東京六大学野球はリーグ戦の形式を採った入れ替え無しの「対校戦」である。各校の勢力や選手の力は時に応じて変われども、お互い尊敬しあう固定された相手による「お約束の伝統美」を見ていると、何か清々しい気持ちになる。

2023年8月24日 (木)

祝・慶応義塾高校優勝 社中協力とエンジョイベースボール

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エンジョイベースとは 故・前田祐吉 慶應義塾大学野球部元監督の著書「野球と私」

慶応義塾高校が、第105回全国高校野球選手権記念大会で、107年ぶりに2度目の優勝を果たした。まさか私が生きている間に夏の甲子園大会で優勝するとは夢想だにしなかったので感慨もひとしおである。この大会では慶応高校の生徒・父兄だけでなく慶応女子高のチア始め、多くの大学生や卒業生(塾員と云う)が甲子園に駆けつけて、応援で仙台育英高校を圧倒したことも107年ぶりの勝因の一だつと云われている。慶応義塾には明治12年に福沢諭吉が唱えた「社中協力」という精神が息づいている。社中とは「慶應義塾を構成している教職員、学生、卒業生をすべて包含した結社と考えてよく、在学生の父母も広い意味での社中の一員」(慶応義塾豆百科)であり、「社中恰(あたか)も骨肉の兄弟の如くにして、互に義塾の名を保護し、或は労力を以て助るあり、或は金を以て助るあり、或は時間を以て助け、或は注意を以て助け、命令する者なくして全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別の気風あればこそ今日までを維持したることなれ」(『福澤文集二編』)である。慶応高校の生徒・卒業生だけでなく、大学から慶応に入ったOBも含め勝利を後押しした今回の大応援は、まさに塾生、塾員、父兄、教職員など『全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別の気風』を発揮した社中一致の賜物だと云えよう。


今回もメディアには塾野球部のモットーである「エンジョイ・ベースボール」がさかんに取りあげられていた。いまや慶応野球部の伝統ともなったこのエンジョイベースを広く唱え、自ら体現して部内にバックボーンとして敷衍させたのが、昭和35(1960)年から40(1965年)年と昭和58(1983)年から平成5(1993)年の2度に亘って大学野球部の監督を務めた故・前田祐吉氏であった。前田祐吉氏が書いた「野球と私」(平成22年出版、青蛙房)には次の様にある。「私は昭和24年の入部早々に、明治36年の第一回早慶戦に出場した大先輩に『エンジョイ・ベースボール』を説かれて感動し、以来、この言葉を大切にしてきた。この言葉は単にワイワイと楽しむのでなく、①チームの全員がベストを尽くす。②仲間への気配りを忘れない。これはチームワークと言い換えてもよい。③自ら工夫し、自発的に努力する。という三つの条件を満たして、はじめて本当に野球を楽しむことができるし、楽しんでこそ上達するのだという考え方である」。また1992年4月の朝日新聞「スポーツマインド」には「本来、スポーツは体を使って楽しむこと。それが虚礼や連帯責任、先輩後輩の上下関係などが強調され、いまだにアナクロニズムが色濃く残る野球界。少なくとも慶応の野球部には、そうした風潮を作りたくなかった」との前田氏の言葉を載せた記事がある。それまであった軍隊式上意下達や坊主頭などの古い因習を捨てて、自ら最大の創意工夫をしてスポーツを楽しむのがエンジョイ・ベースで、慶応野球部のこの信条が日本一を決める場で存分に活かされたことはご同慶の至りと云えよう。(報道ではエンジョイベースボールを塾高野球部に導入したのはもっぱら上田誠前監督によるとされているが、上田監督もそもそも慶応大学野球部のエンジョイベースボールを体得されている人である)


かつて西暦2000年以前、私がまだ働き盛りの会社員時代には”甲子園トトカルチョ”がどこの会社でも行われ、春・夏の甲子園大会の季節は、仕事そっちのけで職場の連中みなで高校野球の中継放送にかじりついたものだ。しかし最近はコンプライアンス重視、賭け事も禁止の世の中となって、あまり熱心に甲子園の野球中継を見なくなっていたが、この夏は慶応高校の快進撃にテレビ前に座る時間がきわめて多くなった。こうして画面を見ていると、はるかに若いと思っていたNHK解説者の早稲田大学OBの広岡資生氏や、土浦日大高校から慶応大学に進んだ印出順彦氏が、いいオッサン顔になっているのに驚き、わが年齢を顧みることしばしであった。最後の決勝戦では仙台育英高校のユニフォームと慶応高校のユニホームがうり二つであることが話題になったが、これは仙台育英の理事長が慶応OBで慶応側の許可を得てこのスタイルを採用したとのこと(8月23日読売新聞夕刊)。似たような恰好だが両校ユニホームの違いは、学校名を表す胸のマークのほかに、ストッキングの白線は慶応が2本あるのに対し仙台育英は1本だということである。慶応大学野球部は無敗で東京六大学野球を制するとストッキングに白線を入れることにしており、1985年の秋季リーグ戦で10勝無敗の完全優勝を達成した記念に従来1本だった白線に2本目を追加している。仙台育英高校が慶応スタイルを取り入れた時点ではまだ白線1本の時代だったと推測されるが、同校も捲土重来、来年以降はストッキングの白線を2本に出来るような大活躍をされる事を期待したい。

左:エンジョイベースボールを語る前田氏のコメントが載った当時の朝日新聞
右:似通った両チームのユニホームの由来を解説する8月23日読売新聞夕刊
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2023年8月15日 (火)

第99回 早慶対抗陸上競技会

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8月13日(日)は早稲田大学競走部と慶応義塾體育會競走部による早慶対抗陸上競技大会の応援をするために日吉の陸上競技場に足を運んだ。これまでこの大会はほとんど9月に開かれてきたが、今年は珍しく夏の真っ盛り、多くの人が休む旧盆での開催となった。なぜこんな時期に大会を開くことになったのだろうかと聞くと、例年より早く9月14日から始まる日本学生陸上競技対校選手権大会(全日本インカレ)に参加するには、1ヶ月前までに標準記録を突破する必要があるため、なるべく多くの選手がギリギリで標準記録を突破できるように配慮したとのこと。しかし8月13日と云えば7月末の学校の試験から程ないうえ、長距離陣は秋のシーズンや駅伝を目指して涼しい高原や北海道などで合宿を行う季節である。こちらはセミリタイヤの身と合って応援に行くのはいつでも良いのだが、長距離部門以外の多くの選手や審判・補助員、それに応援に来てくれた応援指導部(早稲田大学は応援部)の面々もゆっくり休みたいだろうにちょっと変わった大会時期ではある。

 

この対抗競技会は大正時代から始まって今年で99回目となる。競技方法はトラック5種目、フィールド5種目で各校それぞれ3人づつ選手を出し、各種目の1位を3点、2位2点、3位1点(4X200米の800米継走は1位3点、2位ゼロと)とし、得点の多寡で勝敗を争うルールで変わらずやってきた。過去の記録を見れば圧倒的に早稲田大学が強かったのだが、ここ10年ばかりは5勝5敗と早慶互いに譲らずの展開になっている。昨年は慶応義塾の勝ちなるも、今年の早稲田は春に行われた関東インカレで第1部16校のうち、順天堂大学についで2位の得点を獲得した強豪チームである。対する我が慶応は1部12位だったが、早稲田はトラック種目に有望選手が多い一方でフィールド陣が手薄なのに対し、慶応はフィールドではかなりの得点を期待できるため、そのあたりに勝機大いにありうべしと予想していた。インカレでの順位(得点)が必ずしも勝敗に直結するわけではないのが対校戦の面白さだと云えよう。なお日本では珍しい800米リレー(200m×4)という種目で昨秋に早稲田大学が早慶陸上で記録した1分21秒44は日本記録である。

 

8月13日の当日は遠くの台風の影響で日吉の空は雲が多く、かつ夕方開始のゲームとあって心配されたほど気温も高くなく、学生たちの熱戦をゆっくりと楽しむことができた。お盆シーズンとあって、競技会に来る観客も例年より多い感じもする。残念ながら慶応は最も期待された主力選手の故障欠場などで、110米ハードル走や400米の得点が伸びず、1500米は完敗で最後は32点対25点で早稲田に敗れてしまった(我々の時代には女子部員はいなかったが、昨年から始まった女子の部は14対25で負け)。しかし勝敗はともかく早慶どちらも孫のような年齢の選手達が全力で競技する姿を見ていると、こちらまで若返り元気をもらったような気分になってくる。スポーツというものは、テレビやネットのスクリーンで見るのと違い、若者たちが発するエネルギーを肌で間近に感じることで、応援している自分も活性したような気持ちになるから不思議なものだ。

 

今回も早稲田OB・OG会「早稲田アスレチック倶楽部」の会長を務める瀬古利彦氏が、慶応OBらとにこやかに談笑をしていたが、かつては織田幹雄氏(三段飛び、1928年アムルテルダム五輪で日本人選手初の金メダル)や西田修平氏(棒高跳び、1936年ベルリン五輪で銀メダル)といった早稲田出身の伝説のアスリートも早慶陸上の応援席によく顔を見せていた。こうした大選手たちもこの競技会で汗して世界に飛躍したかと思うと感無量である。競技会後は懐かしの日吉の飲み屋で多くのOB仲間と久闊を叙し、中には関東学連や陸連の仕事をしている後輩もいて現役の活躍や陸上競技の話題に盛り上がる。顧みれば学生時代は練習がきつくて何度も競走部をやめたいと思ったが、あの4年間があったからこそ今でもこうして母校に帰る場所があるのだと陸上競技に感謝した夕べであった。さて来年は100回大会となる。どんな趣向が凝らされるか今から楽しみである。

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2022年10月 9日 (日)

東京六大学野球 2022年秋季リーグ戦 慶應義塾大学 対 法政大学 1回戦

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金曜日の氷雨も去り、昨日は秋のスポーツ日和とあって恒例の東京六大学野球、秋のリーグ戦、法政大学-慶應大学の1回戦観戦に神宮球場に赴いた。ここ2年半実施されてきたほとんど意味がない感染症対策が緩和され、ようやくこの秋のリーグ戦から外野席も一般開放、内野席は応援団、チアガールやブラスバンドとともに学生やファンが応援席で応援出来るようになった。しかし応援団やチア、バンドは同じ応援席と云っても中段通路から前(グランド側)、学生やファンは通路より上のスタンドとセパレートされている。そのうえ応援団以外は大声を出すなとの規制で、グランドと応援席が一体で盛り上げる六大学野球も、面白さとしてはかつての7割ほどという感じだ。入場するには相変わらず球場入口の検温に加え、感染者が出た場合の濃厚接触者追跡のためとかで、座る予定の場所(一塁側、三塁側、ネット裏などきわめて大雑把な場所)と名前・連絡先を用紙に記入することが求められるが、場内すべて自由席で試合中もみな勝手に移動しているから、用紙記入の実効性はほとんどないと云えよう。ここにいるのは東京を代表する最高学府の関係者たちなのだから、もう「感染症に注意してますゴッコ」の非科学的な措置を止め、場内のマスク着用も自由にしたらどうかと言いたい。


さて、これまで何十年もリーグ戦を見てきたことからすると、慶應大学 対 明治大学戦はもつれにもつれるが、反対に慶應 対 法政戦は勝つも負けるもすっきりした試合が多かったという印象がある。この試合も予想通り完全な投手戦となり、両軍ともしまった内容でゲームは坦々と進行した。慶應のドラフト候補、4年生ピッチャー増居君(彦根東)はこの4年間で最高かと思えるピッチングを展開すれば、法政の尾崎君(3年滋賀学園)も6回一死まで慶應打線を無安打に抑える力投を見せてくれる。むろん心の中では母校慶應を応援をするも、敵ながら尾崎君の素晴らしいピッチングも目を見張らせるものがあり、どちらも負けるなと言いたくなるような内容である。ようやく6回、尾崎君の微妙なコントロールミスにつけこんだ慶應打線が粘り、押し出しとスクイズバントで2点を挙げ、8回にはこれまたドラフト候補の慶應4番の萩尾君(文徳)が左翼席にダメ押し2点本塁打を放って、最後は5対0ですっきりと慶應の快勝に終わった。増居君はリーグ戦初完投、初完封で、タレント揃いの法政打線を2安打1四球に抑えた快投乱麻のピッチングであった。きっとネット裏に陣取るプロ野球のスカウト陣も増居君と萩尾君の評価を上げたことであろう。


慶法戦のもう一つの楽しみが法政大学の応援風景である。今や高校野球の応援スタンドでも有名になったチャンスパターン「チャンス法政」だが、元祖たる法政大学応援団のキレキレの演舞は高校生のそれとは一味も二味も違う。「チャンス法政」は法政大学の攻撃時に得点機が来ると歌われるもので、学ランと(かつてほど極端ではないが)ボンタンに身を包んだ応援部員による「チャンス法政」のパフォーマンスが始まると、相手側は「もういかん、打たれるのでは」という気になってしまう。昨日の試合では「チャンス法政」は聞きたし、このまま増居君の好投が続き、これをなるべく聞かないで済ませても欲しいとの背反した気持ちが沸き起こってきた。結果は「チャンス法政」の場面が6回に一回あっただけで、そのピンチも慶應がよく凌ぎ、まあメデタシというところだった。六大学各校の応援団(学校によっては応援部、応援指導部)は、最近はチア部門も華やか、女性の旗手やリーダーも時々おり、時代の変化をよく取り入れているようだ。しかし学ラン姿の応援団員のよく訓練された動作、指の先まで神経を張り巡らせたような演舞、そのアナクロニズム的所作を見るのも六大学野球観戦の醍醐味だと云える。応援席もマスク越しでなく、応援団と一緒に肩を組みながら、校歌や応援歌、チャンスパターンなどを大声で発することが出来るように早くなってほしいものだ。

「チャンス法政」演ずる法政大学応援団リーダーの芸術的ともいえる応援姿 中段より下は応援団だけ、学生や一般は通路より上とまだ分かれている
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2022年4月11日 (月)

東京六大学野球 2022年春の感染症対策

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先週末の土曜日は東京六大学野球の開幕試合観戦にチャリで神宮球場に出かけた。戦前予想によると昨年の春・秋リーグを連覇した母校・慶應が、今季も優勝候補と云われておりペダルを踏む足は軽快。武漢ウイルスの蔓延でこの2年間変則的だったリーグ運営も、久しぶりに先に2勝したチームが勝ち点1を得る従来の方式に戻ったのはまことに喜ばしい限りだ。しかし定員3万1千人収容の神宮球場で今季の入場者は上限15000人と限定されたうえ、応援団やブラスバンドは無人の外野席の一画に隔離され、内野席観客からも声を出しての応援は禁止と相変わらずの「対策してますポーズ」「感染防止ごっこ」である。六大学野球には応援団と学生やOB・ファン一体の伝統の応援風景を楽しみに来場する者も多いなか、この日の第2試合、早稲田対法政戦では早大応援団に感染者が出たため、早大側の外野は応援団もない何とも気の抜けたスタンドであった。早稲田の応援団全員が感染したわけでもあるまいし、意味のない自粛に思わず苦笑してしまう。

 

球場入口の検温、場内はマスク着用というのは昨年と変わらなかったが、今季実施されたのは「個人情報記入用紙」の提出であった。入場券を購入する際に窓口で渡された小さな用紙に、入場日・名前・連絡先電話・場内のどこに座るか(ネット裏、一塁側、三塁側などきわめて大ざっぱな区分け)を書いて入口で提出するのだが、これはもし感染者が出た場合、その近くにいた人に後ほど注意喚起するのに使うのだそうだ。しかしきわめて雑駁な場内の区分け、かつ座席は完全自由席のうえ、友人などを見つけ頻繁に移動もする観客も多いのにどうやって連絡をとるつもりだろうか。この日の入場者は8000人。仮に一塁側でも三塁側でもどちらかから感染者が出たとすれば、電話で連絡すべき対象者は数千人いることになる。全員が正しい連絡先を記入していたとしても、とても実効性のある施策とは思えない。他のイベントではもう多くの観客を入れているし、米メジャーリーグ中継を見ればマスクをしている観客など数えるほどしかいない。甲子園の選抜大会では応援団がアルプス席で他の一般生徒と共に活躍していた。最高学府のリーグ戦で、なおかつ東大や慶應には医学部もあるのに、何とも非科学的な「感染症対策やってますごっこ」には驚くばかりである。


ウイルス学、免疫学の専門家で京都大学准教授の宮澤孝之氏による最近の話題作「ウイルス学者の責任」(PHP新書)によれば、生物がウイルスに感染するには一定量以上のウイルス粒子が細胞に侵入する必要があり、十分な換気があれば感染者から出たウイルスは直ちに拡散してしまい、他人にはうつることはないと云う。生物の細胞にはウイルスが侵入しても抵抗する因子があり、相当量のウイルスに連続して曝露されなければ感染はおこらないのは、ウイルス学の「常識」だそうだ。メディアがウイルス専門学者ではなく、感染症の数理モデルによって「人と人との接触を8割減らさなければならない」「このままだと2週間後には感染爆発したニューヨークのようになる」などと言う学者や勉強不足の医者の意見を採り上げて大いに煽った結果、この2年間的外れとも言える政策が実施されたと宮澤氏は憤っている。氏の本を読まずとも薫風吹き抜ける屋外の野球場、それも3万人の収容人数のある場所に1万人程が入って校歌や応援歌を歌うくらいで感染が広まるとは到底思えない。そろそろ東京六大学野球も、かつての様に応援団・学生一体の応援席に戻し盛り上げてほしいものだ。早稲田大学は応援団がいないせいか、早々に連敗してしまったではないか。

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2022年3月 2日 (水)

二年ぶりのスキー(石内丸山スキー場)

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高校時代の友人に誘われて2年ぶりにスキーに行って来た。上越国境の石打丸山スキー場である。いまでは東京駅から上越新幹線で最寄の越後湯沢駅までは僅か1時間20分で到着するし、手ぶらでいってもスキー、ストック、ウェアなどはレンタル店で借りることが出来る。事前に連絡しておけばレンタルショップが駅からゲレンデまで送迎してくれるので、まるで近所に行くような軽装で出掛けられる。上越国境なら自宅の玄関からリフトに乗るまで3時間もかからない近さである。若い頃に靴をリュックに詰め込んで2米もある長いスキー板を担ぎ、上野から急行「さど」に乗り、半日かけてこの近辺のスキー場にたどり着いたことを思えば何と楽になったことか。この便利さがあるので私のようなジジイでもスキーに行こうかという気分になるのだ。


とは云うものの怖いのは怪我である。2年前に最後のスキーをする前は15年以上間隔があいており、若い頃に比べればスピード感や技術・筋力は大いに劣化している。スキーで骨を折りましたなどと言ったら、まさに「年寄りの冷や水スキー(2020年2月4日)」と周囲から笑われること必定で、今回もまずは暫くスキー場入口に近い緩斜面で足慣らしをしてから山の上方に向かった。友人は今年すでに4回目だとかで彼にとっては石打がホームコースのような場所なのだが、しかしスキーではこういうパートナーと同行するとよくおこることがある。ゲレンデに出るとだいたい慣れている方が「ここは大丈夫、大丈夫!」などと言ってリフトを乗り継ぎ、山頂近くまで行ってしまうのである。今回も何十年かぶりの石打でコースも良く知らない私は彼に付くて行くのに必死となる。といっても友人の手前「ここは怖いから俺は下へ行くよ」と別れるのはなんだか男の沽券にかかわる。永年の友人でお互いほとんどの事を知っていても、スポーツでは見栄を張らねばならないあたり男は大変なのである。


友人に連れられて山頂まで来て下ろうとすると、そこはコブも多い中上級者向け急斜面であった。アチャーといささか狼狽しつつ、とにかく怪我をしないように慎重にスピードを殺しつつ降りてきたが、歳をとると踏ん張りが効かないもので、上越の重い湿雪に足をとられ、バランスを崩してコース途中で派手に転倒してしまった。急斜面とあってそのまま背を下に為す術もなくずるずると滑り落ちるうちに、今度は左足のスキーも外れてしまう。ようやく雪中でもがいて何とか滑落を止め、まずは怪我がないか体のあちこちを回してチェックしたが幸い何ともないようだ。気を取り直してここでスキーを装着しようと試みるも、あまりに急斜面すぎて片足で立つのもままならない。レンタルで借りたスキーは左足のビンディングの調整が最初から合っていないと思っていたが、こんな急斜面でスキーが外れるとは何ともついていない感じだ。仕方なく外れた左のスキーを肩にかつぎ、右足はズボズボと膝まで雪に埋もれながらホウホウの体で友人が待つ緩斜面までたどり着いた。


初級者の妻とスキーに行くとだいたい私がさっさと降りてしまい、彼女が半べそ顔で遅れてきて「ここは大丈夫だと言ったのにかなりハードだった(怒)」とか「ずっと一緒に滑ってくれると言ったのに、毎回すぐにいなくなって肝心な時に助けてもらえない(怒)」などと不平不満の嵐なのだが、今回はその妻の気持ちの一端がわかった気がした。老人のスキーは自分の実力に合わせて安全なコースを選ぶのが第一と気を取り直し、その後は大汗をかきながら何とか下のゲレンデにたどり着いたのだった。そうこうして半日かけて久しぶりのスキーを楽しみ、その夜は越後湯沢の居酒屋からラーメン屋、ついでにカラオケスナックを2人で梯子して雪国の温泉街の夜を過ごす。相変わらず続く武漢ウイルス蔓延防止対策で、新幹線はガラガラ、スキー場も空いているうえ、普段はすぐ一杯になりそうな地元の小さい居酒屋もいまなら予約なしで楽しめる。アルコールが入れば先ほどのスキーを担いで斜面を下ったという屈辱も忘れ、これからも体が動く限り年に一度はスキーをしようと決めたのであった。それにしても翌日は体のあちこちが筋肉痛で階段を下るもままならない。

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