旧友と行く慶早戦
同期の仲間が、最近はみな閑になって、様々なお誘いがあちこちからかかる。先の土曜日は高校時代の友人に誘われて、神宮球場に野球の早慶戦の応援に行ってきた。50数年ぶりに 「 昔の仲間と肩を組んで『塾歌』や『若き血』を球場で歌いたくなった」と云うのが、言い出しっぺで、今は大病院の院長を辞し悠々自適の身になった医者の友人。彼と海外勤務の長かった銀行員のもう一名と三人での野球観戦である。東京六大学野球の秋期リーグ戦も、慶応はここまで東大から挙げた勝ち点1のみで第5位と、久しぶりにBクラスに落ちたのに対し、早稲田はすでに勝ち点4を挙げて首位を走り、この早慶戦で1勝でもすれば優勝とあって、神宮球場には3万人近い観衆が詰めかけた。
慶応が今季振るわなかったのは、主戦投手・外丸君(3年前橋育英)の不調もあるが、何と言っても打撃不振のためで、チャンスを作ってもあと一本がどうしても出ない。なにせ最終週の早慶戦前までチーム打率が2割を切り、主将の本間君(4年慶応)にいたっては、4分3厘という低打率にあえいでいたくらいだ。話題の清原ジュニア(4年慶応)も、速い球で内角を攻められた後に縦の変化球などを投げられればクルっとバットが空を切り三振という場面が多く、とてもプロにすすむレベルではないとみていた。対する早稲田は甲子園でも活躍したエースの伊藤君(3年仙台育英)を擁し、吉納(4年東邦)、山縣(4年早大学院)の両君がプロ野球ドラフト会議で指名を受けるなど戦力はかなり充実している。
ただ「 早慶戦は弱い方が勝つ」というのが、昔から云われるジンクスである。ここ10年ばかりのゲームを思い出しても、慶応が『あと1勝』で優勝という場面で、早稲田に連敗して涙をのんだ場面が幾度あったことか。最近では2020年秋、9回2死から蛭間君(現・西武ライオンズ)の逆転サヨナラホームランで、優勝がポロリと慶應の手中から落ちたことが記憶に新しい。我々の頃は、早慶1回戦の土曜日には「こんな所で講義を受けてないで、今日は出欠とらないから神宮球場に行ってこい」という先生もけっこうおり、学校を挙げて応援するなかで、独特の雰囲気で行われるのが早慶戦である。そんな異様な応援を背に1勝を挙げるのは周囲が考えるほど易しい事ではないようで、今季は優勝にあと一歩の早稲田に慶応が一矢をむくいるチャンスも大とひそかに期待しつつ入場した。
試合は2年生になってようやく覚醒した左腕、渡邊君(高松商業)の好投に加え、主将・本間君の最後の奮起や4番清原君の4打数4安打、うち1本は大本塁打の大活躍でなんと9対1で慶応の快勝である。この神宮球場で学生野球を応援する良いところは、周囲に連帯感が芽生えることである。土曜日も隣に座った見ず知らずのオヤジ達グループと一緒に応援歌を歌ううち、試合が終わるころには彼らとすっかり仲良くなってしまった。隣のオヤジは「僕は86年卒なんですよ」と言うので「そうか、あの志村君の時代だね」「そうなんす」と慶應が得点を着々と揚げるに連れて会話もはずむ。「先輩の時代は?」「我々の頃は慶応三連覇で強かったよ、山下大輔知っている?」などと話しているうちに、知らない者とも百年の知己のようになっているから同窓とは不思議なものだ。
この日は久々に憎き早稲田に快勝とあって、早稲田の優勝はお預けとなり、みなで歌う「塾歌」の声もひときわ大きかったが、満員の早稲田の応援席から流れる「都の西北」も惨敗にも関わらずスタンドに声高らかに響く。塾歌も良いが、4拍子で悠揚と場内に流れる「都の西北」も素晴らしい。特に感動的なのは3番の「 あれ見よ彼処(かしこ)の常磐の森は、心のふるさと我らが母校、集り散じて人は変れど仰ぐは同じき 理想の光、いざ声揃えて 空も轟(とどろ)に我らが母校の 名をば讃えん」の歌詞で、これを暮れなずむスタンドで聞いていると、いつもジーンと目頭が熱くなる。「勝っても負けても六大学野球は素晴らしいね。特に秋の慶早戦は良い。今日は早稲田をコテンパンにやっつけてもっと気持ちいいや。いつまでもこの伝統が続いて欲しいね。」などと、表参道駅近くで3人で杯を傾けながら秋の夜長を楽しんだ。
追記:日曜日も慶応の執念に負け2連敗となった早稲田は、明日12日に同勝ち点・同勝率の明治と優勝決定戦に回ることになってしまった。
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