カテゴリー「スポーツ」の記事

2018年11月20日 (火)

神楽坂・法政大学優勝パレード

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東京六大学野球・秋のリーグ戦で優勝した法政大学の優勝パレードが昨夕、法政の地元・神楽坂で行われ見物に行ってきた。この秋は母校・慶應が勝ち点4で最終週の早慶戦を迎えたとあって、まあこのまま慶應が順当に勝って46年ぶりの三連覇を達成するかとリンク「慶応野球部 三連覇に挑戦(2018年9月11日)」大いに期待したのだが、勝負はそうなま易しいものではなかった。早慶戦は慶應が先勝こそしたものの第2・3戦目は早稲田の気迫を前に惜敗、同じ勝ち点4の法政が最終的に勝率で優って秋のリーグ戦を制したのである。という事で昨年に続きリンク「2017年秋 慶應野球部優勝おめでとう(2017年10月31日)」三田での優勝パレードで旨い酒を飲もうという我がもくろみは見事に外れたのだった。


それにしても高校時代の実績を誇る選手で溢れているのに、昨秋は東大に連敗で勝ち点を落として話題になった法政野球部が、まる一年でよくここまで立て直したものである。敵ながら素直にその成果をほめたたえたいものだと、神楽坂の優勝パレードに私もくっついて行ってしまったのだ。残念ながら昨夕は月曜日の上に小雨まじりの空模様だったが、それにもかかわらず沿道は学校関係者のほか、地元の市ヶ谷や飯田橋の人たちもかなり集まっている。チアガールやブラスバンドに続くオープンカーには、普段マスコミによく出てきては訳のわからないコメントを吐く例の着物姿の女性総長も見え、これだけはちょっと白けたが、その後に続くユニフォームの選手たちには沿道から多くの「おめでとう」の声がかかって華やかなパレード風景だ。


神楽坂通りはごく狭いので選手たちは目と鼻の先を通過することになり、こちらも「優勝おめでとう」と彼らに声をかけハイファイブを交わす。グランドで見ると立派な選手たちも真近でみるとほんの子供で、その悦びに満ちた笑顔が何ともほほえましかった。信号を待つために目の前で止まった選手の中でもひときわ大きく目立つのは、中軸を打ちこの秋もベストナインに輝いた中山選手(4年・履正社)である。慶應も彼には随分痛い目にあったが敵ながらあっぱれ、ドラフト2位でヤクルトに進むから「ずいぶん打ったね、プロに行ってもがんばれよ」と目の前の中山君に声をかけると、嬉しそうに「ハイ!がんばります」と答えてくれたその表情はまさにワルガキ、野球少年がそのまま成長したような顔だった。


来春はまた三田でパレードが行われる事を願いつつ、ブラスバンドの「チャンス法政」のメロディーが遠ざかるのを見送った。

2018年9月11日 (火)

慶応野球部・三連覇に挑戦

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本屋で立ち読みをしていたらベースボールマガジン社「大学野球」2018秋季リーグ戦展望号が目にとまった。そういえば東京六大学野球も秋のリーグ戦が始まり、季節の変わり目を感じる今日この頃である。最近はこの種の本も買わなくなっているのだが、”46年ぶりV3に挑戦する『陸の王者』・KEIOの謎”という大きなタイトルが目立つうえ、表紙はグレーのKEIOユニフォームを着た選手の集合写真ということで、つい購入してしまった。


この「大学野球」秋季展望号では、東大以外では甲子園を経験した部員がもっとも少ないのにも関わらず、慶應がなぜ昨年秋・今年春のリーグ戦で優勝できたのかなど、チーム好調の秘密や陰で支える裏方の話が盛りだくさんの内容である。また今年の秋、もし慶應が優勝すれば部としては46年ぶりに三連覇の快挙になるとあって、前回三連覇した昭和47年秋の優勝投手である萩野友康氏の話がまとめられており、当時を知る者として懐しかった。


のちに都市対抗野球で久慈賞にも輝いたこともある剛腕、萩野投手(土佐)によれば、当時は「試合の途中でキャッチャーのミットだけが見えて、そこに投げたら打たれる気がしない」こともあったという。三連覇した昭和47年の秋は、初戦の明治戦で勝ち点を落として後がなくなり、法政・明治戦で明治が勝つと三連覇の夢もついえる状況だったそうだ。そこで慶應の投手陣は法・明戦のまえに横浜・日吉のグランドから、当時川崎の木月にあった法政グランドまで走って行き、法政の選手に声援を送った、などという牧歌的な話も披露されている。


そういえば三連覇の試合も私は神宮球場で観戦していたのだが、その瞬間が懐かしくなって当時の試合記録をあらためて引っ張りだしてみると、やはりメンバー9人のうち5人が甲子園組であることがわかった。内野はセンバツの優勝投手である吉沢選手(大宮工業)がサードに入り、大洋ホエールズにすすんだ山下大輔選手(清水東)がショート、外野もプロにも誘われた池田選手(習志野)など実力者ぞろいのチームである。投手では他に阪急のドラフト3位指名を蹴って入った長谷部投手(岸和田)などもいた。もっとも4番を打った福田選手は工学部で県立栃木高校出身、捕手の木原選手は慶應志木高出と「大学野球」でもフューチャーされるような「慶應らしい」チームでもあった。そんな場面、あんな場面を思い出すうち、またこの秋も神宮球場に足を運びたくなってきたのである。


2018年1月 3日 (水)

箱根駅伝・12年振りの慶應選手

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平塚中継所から約15キロ 白地ランニングの胸にK 藤沢の根岸選手

新年は本四連絡のしまなみ街道で迎えた。幸か不幸か、義妹が2018年の東京マラソン抽選に合格したものの、日ごろ多忙な彼女はほとんど練習ができていないらしい。年末・年始はどこか風光明媚な場所でゆっくりと走りたいという本人の希望で、一族でしまなみ街道に合宿に来たのだがこの模様はまた次回にする。正月3日は今治からトンボ帰りで、箱根駅伝の関東学生連合チームに選ばれた後輩の応援に8区の藤沢に行ってきた。関東学生連合チームは、箱根駅伝の予選会で力及ばず出場できなかった大学のうち、日本人で個人の成績が上位10名、各校1名かつ今まで一度も箱根を経験していない選手によって構成されるチームである。チームとしてはオープン参加ながら、競走部の後輩の根岸君が選抜され、12年振りに箱根路に母校のユニフォームが帰ってくると云うので、こいつぁ春から縁起も良いと応援に向かったのである。


母校も遅ればせながら、昨年から本気で駅伝に取り組むと活動(慶應箱根駅伝プロジェクト)を開始した矢先である。まずは根岸君の走りを皆で応援しようと、彼の出場が確定した頃から、OB会は近年になく盛り上がった。昔と違うのは連絡のほとんどすべてが、メールやウエブサイトを経由して来るという事であった。20数キロの沿道に展開する当日の応援箇所から、集合する時間、現役やOBの役割分担、確認事項などのメールが大会に近づくにつれ頻繁に入る。1区間だけでもこれほどの連絡が必要なら、将来チームとして参加できる様になったら、2百数十キロに亘る人員配置や連絡体制はよほどしっかり練らねばならないに違いない。「むかし箱根に出たときはなあ、自動車部のマイクロバスで選手の後を応援したんだが、そのバスが途中でエンコしちゃってねえ、選手に追いつけねえんだヨ」などというシニアOBの話も遠い現代の駅伝である。


それにしてもかつて箱根路を走った老OBのうち、ネットに無縁の人たちも多く、彼らに充分な連絡がとれないのが今後の課題であろうか。残念ながら学生連合チームは1区にエントリー、文武両道の東大選手として話題の近藤君がインフルエンザ、5区エントリーの筑波大の新鋭・相馬君が故障で共に欠場とエースの思わぬアクシデントで波に乗れず沈んでしまった。しかし新春の陽光の下、順位は別にして久方ぶりに新春の東海道で応援を楽しむ事ができて、やはり正月はここに居たいものだとの思いが強まった。沿道には茅ヶ崎・藤沢・鎌倉・逗葉(逗子・葉山)の三田会(校友会)のOB・OGが沢山応援に駆けつけたほか、一般の塾員(卒業生)や塾と関係ない人からも「応援してますよ」と声をかけられ、期待の大きさを感じたのだった。

2017年11月30日 (木)

近代日本と慶應スポーツ・特別展

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慶応義塾体育会創立125周年を記念した特別展「近代日本と慶應スポーツ」が、三田キャンパス東館ホールで開催されていると読売新聞にあったので、会社の昼休みを利用して行ってきた。入場するとまず最初に目にとまるのが、本展のサブタイトルである「体育の目的を忘るゝ勿れ」という福沢諭吉の論説文の掲示だ。このコーナーでは慶應のスポーツが「創立者福沢諭吉の身体感・体育感」(解説パンフ)を原点としており、それが「近代日本のスポーツの発祥の一源流」(同)となった事を示している。私も今回初めてじっくりと福沢先生の論説を読んでみて、まさにこの教えが義塾体育会のバックボーンだと思い知ったのだが、この点はあらためて別の機会にアップする事にしたい。


展示物は明治時代、まだ体育や運動という言葉が社会に根づいていない頃の資料に始まり、早稲田大学野球部が慶應義塾野球部に送った挑戦状のほか、戦前のオリンピックに出た選手たちの活躍、戦時のスポーツと選手、戦後の復活のさま、国際交流の成果など170点余りにのぼっている。ほのかな灯りに映える落ち着いたホールには、ところどころに体育会本部の学生らしき学ラン姿の塾生が詰めていてここち良いが、平日の昼休みなので訪れる者も少なく静謐な雰囲気である。なぜか我々の年代以上の女性がちらほら見受けられるが、今と違って当時は女子選手の少ない時代だったから、わざわざここに足を運ぶ彼女たちは往年の名選手だったのだろうか。


ぜひ見たかったものがベルリンオリンピック陸上・棒高跳びで、早稲田の西田修平選手と2位・3位となり、メダルを半分づつ分け合った大江季雄選手の「友情のメダル」であった。残念ながら銀と銅色に分かれた丸いメダルは写真撮影禁止だったものの、教科書にも載った競走部の大先輩が係わったメダルを実際にこの目で見ることができたのは何よりである。傍らに展示されている大江選手の「明治維新ニ於イテノ地租、農政問題ノ社会学的考察」という卒業論文の分厚い綴りを見ていると、フィリピンで戦死した大江選手が決して伝説の人ではなく、本当にこの三田の地で学んだ塾生だったことが伝わり、なにやら急に親近感が湧いてくる。


そのほか、戦前に活躍した選手たちの戦地からの手紙や遺品、戦死広報などの展示物のなかで、特攻死した水泳部主将の片山選手が恋人に残した写真立てと、エンジ色の旧制中学時代の水泳ふんどしが生々しく印象的だった。これらを見ると、ありきたりな感想だが平和な時代にスポーツができるありがたさを感じるのである。そうこうするうち「ボーズ頭は決して高校生らしくない」「グランドへのお辞儀は虚礼である」「何故大声をだすのか」とENJOY BASEBALLを徹底した野球部の元名監督・前田祐吉氏のノートを前に足が止まってしまう。なるほど前田さんらしいと感心しつつじっくりと読んでいると昼休みの時間はとっくに過ぎて、あわてて会社にとって返したのだった。

六大学野球最多本塁打記録を持つ高橋由伸選手(現・巨人軍監督)のストッキング
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2017年10月31日 (火)

2017秋 慶應野球部優勝おめでとう

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三田山上での優勝祝賀会に行くのは昭和47年以来45年ぶり。早稲田に勝った時だけ歌える「丘の上」が爽快だった。

慶応野球部が東京六大学野球で7季ぶりに優勝して、昨夜は晩酌の酒がひときわうまかった。今季は初カードの東大初戦でまず敗戦、私が神宮球場に足を運んだ翌週の法政戦は初回に法政・4番の中山(3年履正社)に大きな3ランをくらうなど投手陣が崩壊、打線も繋がらずという有様だった。正直言って昨年までの大黒柱・加藤(現・広島カープ)が抜けたあと、春に続いて一体だれが投の軸になるのかと心配していたが、当初はまさにその危惧どおりの展開である。リーグ序盤でスタンド観戦しながら「ああ、これは秋はあかんな」というのが正直な思いであった。


ところが法政に勝ち点を奪われた後は、その日に一番調子よいのが投げると云う日替わり投手陣の踏ん張りと見事な打線の粘りで明治、立教、早稲田に競り勝ち、ついに6連勝して35回目の優勝をとげる事ができた。その中で特に目立ったのは都立・公立高校や慶応志木高・湘南藤沢高校といった特に野球に力をいれているわけではない学校からきた投手陣であろう。早慶戦の1年生投手の関根君(都・城東)の踏ん張り、同じ1年生の佐藤君(県・大館鳳鳴)の快投、最後に志木高出の2年生石井君による見事な投球は、まさに今季の慶応投手陣の底上げを象徴しているかのようだった。


打線も楽天にドラフトされた岩見君(4年比叡山)のホームランがよいところで出た一方、明治戦以後は僅差のゲーム展開が多いなかで、逆転や延長戦をしぶとく制して勝利をものにしたものである。主将の照屋君(4年沖縄尚学)や岩見君は一浪、2塁手の倉田君(4年浜松西)は二浪、3塁手の瀬尾君(4年早稲田佐賀)は理工学部の学生である。野球の強豪校から注目されて来た部員と普通の高校から頑張って入学した部員、一貫教育の塾内各高校から上がってきた部員たちそれぞれが切磋琢磨して戦うという慶応らしい布陣だが、彼らをここまで育てあげた大久保監督や各コーチの手腕には敬意を表したい。


さて天皇杯は一つの競技に一つだけ下賜されるものだ。相撲で言えば大相撲本場所の優勝力士が授与されるが、野球ではプロ野球の日本一チームでも甲子園優勝校でもなく、東京六大学野球の春・秋の優勝校に送られる。その重みを感じつつ、11月10日からの明治神宮大会で全国の代表と戦ってほしいと野球部には期待する。今日は私も昭和47年秋の優勝パレード以来45年ぶりに、三田山上での優勝祝賀会に参加して青春の喜びが蘇った気がした。一方で我が競走部も5年後の箱根駅伝本選出場を目指して、強化策やスカウト活動を開始したばかりである。野球部の優勝をみると、彼らから選手育成やスカウトについて学ぶ事が多いという気がしてならない。

2017年10月15日 (日)

第94回箱根駅伝予選会・観戦記

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最近は各校のぼりを押し立てての応援

数十年ぶりに立川まで箱根駅伝予選会に応援に行った。母校が箱根駅伝プロジェクト(リンク)を先ごろ立ち上げ、我々OBに対して熱心に応援を呼びかけるメールが届くので、久しぶりに応援に行こうかという気になったのである。箱根の予選会といえば我々の時代は30校くらいが参加する関東学連のごくローカルな大会で、予選会の中位以下の各校は20キロ走れる10人の走者を集めるのに四苦八苦であった。中には短距離や体つきがまるで違う投擲の選手まで借り出して走った学校もあったものだが、今ではエントリーが50校を超える大きな大会となっている。さらに最近の予選会は参加標準記録まで設定されて、この大会で走るランナー全員が、長距離の一定の公認記録を突破しないと出られないルールになっているのには驚くばかりだ。


早起きして駆けつけた立川の昭和記念公園周辺は、各校の幟(のぼり)や数千人になろうという応援の人々、制服応援団やチアガールにテレビ関係者やメディアなどで一杯である。こうなると箱根の”予選会”がいまやスポーツの一大イベントになっている事がわかるが、これも正月の日テレによる箱根駅伝の全国放送が始まってからで、メディアの影響力はすごいものだとあらためて実感する。昨日は気温も低く時々霧雨の舞うという走るには絶好のコンディションのなか、我々応援する側は選手集団の走りに応じて公園の内外数箇所を幟をもって移動する。ポイント・ポイントで母校の選手の力走に声援を送るが、トップ集団は20キロを1時間を切ってゴールするから、移動しつつ応援する方も結構大変な労力である。


もっともこうしてゴールするトップ集団は、ケニアなどの黒人選手ばかりでいささか興をそがれるのが事実。結果を見ると明治・筑波・日大・専修・亜細亜・東京農大と云ったかつての箱根の常連校が予選落ちするなか、これら黒人選手を核に、おもに”駅伝”ばかりに力を入れているかのような学校が次々と上位~中位に入るのは違和感を感じるところだ。こうなると以前に採用された関東インカレの”陸上競技”の結果(インカレポイント)を、予選会の成績に加味する方式を再びとっても良いような気もする。我が母校と同じように箱根復活を7年前に期して再建を始めた陸上の強豪、筑波大でさえ、ようやく順位を上げるだけで本選出場にはまだ相当の差があるようだ。結果をみると我が母校も全校的プロジェクトといえどもかなり前途多難が予想されよう。それでも昨日は母校で最初にゴールした根岸君(3年・慶應志木)が、学連選抜チームに選抜される可能性大の走りとあって、このあと正月を期待させる観戦であった。

根岸君 (左から4人目 白のランニングにKマーク)の力走
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2017年10月 9日 (月)

「ただ一つ旗かげ高し」 東大15年ぶり勝ち点 

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東京六大学野球も第5週といよいよ佳境である。この週末は天気も良いし神宮球場にでも行こうかと思ったが、母校はすでに法政に勝ち点を落として調子は今一歩。最近はネットによる無料動画配信という便利なものもあり、家に居ながらにして試合が見られるとあって、東大-法政、明治-慶應のカードはパソコン観戦と無精を決め込む事にした。慶應のスラッガー・岩見君(4年比叡山)のホームラン記録もさる事ながら、やっと力を発揮してきた東大のエース・宮台君(4年湘南)と好調な東大打線が、法政の野球エリートたちにどう戦うのかがの今週の見どころだ。


7日(土)はその宮台君の好投で9対2と法政に快勝した東大だが、1勝はできても2つ先に勝って勝ち点を得るのはそう簡単な事ではない。宮台君は土曜日に完投しており日曜日に最初から投げるのは無理とあって、東大が勝ち点を挙げるには2番手以下の投手や打撃陣のふんばりなどが試される場面である。まあ、いくらなんでも今日は法政が勝つのだろうと内心で思いながらネットの動画を眺めていると、東大は初回から適時打が出て4点をとり、なんと4回には2本の本塁打で8対3とリードを広げるではないか。こうなるとひょっとすると今日は東大の勝ち点、それも法政相手の歴史的な瞬間が見られるのではないか、とパソコンの前から離れられなくなってしまう。


しかし高校時代に甲子園などで活躍した実力ある選手を集める法政もそう簡単には引き下がるわけがない。6回からマウンドに上がった宮台君を法政はじわじわと攻め、9回には8対7と一点差まで追い詰める。なお逆転のランナーが塁上に出た状況とあって画面を見ていてもハラハラ、ドキドキの連続である。宮台君が最後の打者をどうにか外野フライに打ち取った瞬間には、他校ながら思わずパソコンに向かって拍手をし、画面から流れる応援歌「ただ一つ」を一緒に口ずさんでいたのだった。リーグのホームページによると、東大が勝ち点を挙げるのは2002年秋以来15年ぶり、連勝での勝ち点は1997年春以来20年ぶり、法政からの勝ち点は24年ぶり、法政から連勝での勝ち点はなんと1928年秋以来89年ぶりだそうだ。


そういえば最後の勝ち点を挙げた2002年には松家君、最後の連勝勝ち点の97年には遠藤君といずれも好投手がいたが、今回は宮台君の他に打撃陣の活躍が見逃せない。一方の法政は最近いったいどうしてしまったのだろうか。あの山中-田淵の時代や江川と黄金軍団の憎たらしいほど強かった法政を知る身としては、拍子抜けする東大戦の連敗だった。もっとも実績ある選手が多数いるからといって、必ずしも勝てないのが大学野球の面白さとも言えるのだろう。さて今までもこのブログでもアップしたとおり、入れ替え戦を行わず東大も含め固定した六校で行うのが東京六大学野球の六大学たるゆえんである。メンバーの一角がこうして奮起する事はリーグの発展にとても喜ばしいとファンの一人として思うのだ。

2017年9月18日 (月)

祝・慶應競走部創部100周年

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長谷山塾長による祝辞・

昨日は日吉で競走部創立100周年の記念式典と祝賀会が開かれた。藤原洋記念ホールで行われた式典に先立って陸上競技場で行われた93回目の早慶対抗陸上では2年ぶりに早稲田に勝利し、その勢いを持ち込んだかのように盛り上がった記念の会であった。式辞を述べた川添競走部部長によると、1917年に部が出来る前にも、徒歩部と云う部が体育会に存在しており、その起源からカウントすると競走部は塾体育会と同じ(125年周年の)歴史になるが、徒歩部は途中で競『争』部と名前が変わったりして、いつの間にかわからなくなったらしい。まだ陸上競技という概念が充分に確立する前の、近代スポーツ揺籃期の混乱から生じた出来事なのであろうか。川添部長の話では、今の競走部は20世紀初めのオリンピック運動の興隆を背景にして誕生したのだそうだ。


場所を移して学生食堂で開かれた祝賀会には現役部員はじめ、関係者含めて800名もの懐かしい顔が揃った。卒業以来40数年ぶりに会う者や地方から上京した者も多数おり、100周年という節目に居合わせる喜びを一同で大いにかみ締める事ができた。見れば中にはかつてインターハイや国体で優勝したり上位に入って「陸上競技マガジン」や「月間陸上競技」の表紙を飾ったOBたちもそこここに散見される。こんな選手たちと一緒に何の実績もない私のような部員が、日々の練習や生活を共にできたのはなんと幸せな事だったかとあらためて往時を思いだす。また、ここに集まった卒業生(塾員)の多くが主に実業界で活躍し、日本の経済を担っている事が交換する名刺からもうかがえて、これこそが慶應の良さであると思うのであった。


さて我々の頃と違い今は160名もの現役部員が在籍し、体育会の多くの部と同様に女子部員も多数活躍している。そして何より驚いたのは祝賀会で鈴木監督から紹介された現在の部の専門的な活動であった。今は短距離・長距離・跳躍などの各パート毎に、かつて日本を代表する選手だった他大学の出身者がアドバイサーやコーチとして現役を見ているほか、専門のトレーナーがついてチームドクター制もできているそうだ。これら部を支える陣容が監督から紹介されるにつけ、我々の時代は一人の監督の下で皆が一緒に練習し、長距離も投擲も飲み食いを共にする牧歌的な体制だった事が懐かしい。もっとも監督によるこれらの紹介で、最後に合宿所のまかないのおばちゃんが呼ばれると、OBの若手連中や現役の学生から一段と大きな拍手が沸き起こって、何かホノボノとした気分になって祝賀会場を去ったのであった。

2017年7月 9日 (日)

オフサイドはなぜ反則か

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都営地下鉄の駅におかれているスポーツゴジラという無料冊子がなかなか面白い事は以前アップした通りだ(2016年5月26日 スポーツゴジラ 31号 たかがスポーツ紙 されどスポーツ紙)。その最新版35号の巻頭にスポーツライターの玉木正之氏による「2020年東京オリンピック『体育』から『スポーツ』へ」というテーマの話が載っていて興味深かった。玉木氏は日本の「体育」の由来や「スポーツ」と「体育」の違いなどを踏まえて、次回の東京オリンピックを機に「体育の日」を「スポーツ」の日にしようと提案しており、テレビでよく見る氏のスポーツを愛する話しっぷりが誌面から伝わって来そうな企画であった。


玉木氏は文中で、スポーツと関わるうちに中村敏雄著の「オフサイドはなぜ反則か」という本に出会い、お祭りを終わらせないためにオフサイドルールなどができた事を知って驚いたとしている。じつは私もこの本を20数年前に近所の図書館からたまたま借り出して読み、著者である中村氏の話の展開にひどく感心したものだった。その時の印象がよほど強かったのだろうか、読後数年たった1999年2月に業界紙のリレーエッセイ欄に「オフサイドと3ボール」と題する小文まで載せたほどである。という事で今回スポーツゴジラの玉木氏の話から昔の拙文を思い出し、スクラップブックにとってあった当時のコピーを取り出して読んでみた。


それによると「サッカーやラグビーなどヨーロッパ系の球技で厳格に適用されるオフサイド、球より前でプレーしてはいけないというルールの起源は、敵のゴール前で待ち伏せするのは汚いということだけではないようだ」「その昔、欧州で行われたサッカーの原型は、ある村とある村の城門をそれぞれゴールにしたお祭りの球技」で「大勢の村人が参加して球技を楽しむために、球を前に投げたり蹴ったり運んだりするのを禁じ、ゲームをすぐに終わらせないようにしたそうだ」と書いている。「球の場所をゲームの最前線にし、お互いが球をおしいただき一進一退でエキサイトし、お祭りをゆっくり楽しむルールがオフサイドであった」とわがリレーエッセイは結んでいる。さて玉木氏が今回スポーツの意味をみんなで考えようとスポーツゴジラで言っているとおり、スポーツも見たり参加するだけでなくその由来や歴史を考察するのも楽しいものだ。


2017年5月18日 (木)

2017年春 東京六大学野球 見よや十字の旗かざす がんばれ立教健児

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前回 立教が優勝した1999年秋季リーグのメンバー表

8週間に亘る東京六大学野球2017年春季リーグ戦も、第5週まで東大を除く5校が勝ち点2で並ぶまれに見る大混戦であった。先週末の第6週では慶應が明治に連勝するとともに、立教が早稲田に2勝1敗で競り勝ち、これにより立教は今週末の明治戦で連勝すれば1999年秋以来17年ぶりに優勝する事になった。ここで立教が明治戦に1敗または勝ち点を落とせば母校慶應のほか他の大学にも優勝の望みが出てくるので、本当は明治の応援をしたいところだが、21世紀になって初めての自力優勝にあと一歩と迫った立教を応援したい気持ちも湧いてくる。


そもそも東京六大学野球は、お互い尊敬できる相手として認めた固定の学校同志のリーグで、対校戦でもあるから、入れ替え戦を行っている他のリーグとやや性質が異なる。ゲームの運営はもとより応援のマナーに至るまで、固定メンバーで培った永年の伝統の上にリーグが成り立っているのだから、自分の母校だけが強ければ良いというものでもない。こうしたリーグ全体の繁栄を望む観点からすると、東大の奮起を期待するとともに、次週の明ー立戦では立教の連勝があっても良いかと云う気持ちにもなるのである。


という事で、立教が前回優勝した1999年秋は、いったいどういう選手たちが活躍していただろうかという興味がにわかに湧いてくる。さっそく何十年も神宮球場に足を運んでは、春と秋のリーグ戦に一部づつ買っていた50円のメンバー表の1999年秋版をスクラップブックから取り出してみた。すると立教は投手にこの秋のベストナインだった3年生の上野裕平(金沢辰己ヶ丘)、ちょっと変わった投げ方でその後プロに行っても何かと話題だった多田野(八千代松蔭)、今ではアナウンサーとしてテレビで活躍している上重(PL学園)などが1年生投手としてメンバーに名を連ねている。その他2塁手ではやはりPL出の石田選手なども立大では記憶に残る選手であった。他の学校はと頁をくると早稲田の藤井(今治西)や鎌田(秋田経法大附属)、慶應の山本省吾(星陵)、明治は木塚(浦和学院)や的場(上宮)、阪神で活躍する安藤(大分雄城台)などが法政にいたシーズンである。


こうしたメンバーを眺めていると当時の雰囲気や各選手のプレーぶりが鮮やかに脳裏に蘇るが、同時にわが身を振り返ると、会社の合併やら出張など極めて忙しかったその頃の出来事が頭に浮かんでくる。学生野球の思い出と、我が記憶の糸はかなりシンクロしているようだ。さて、もし今春このまま立教が優勝すれば、いま現役で学校に通う立大生には神宮球場の優勝場面や祝賀パレードの事が、大学時代の他の思い出とともに永く記憶に残る事になるだろう。17年間もそういうチャンスがなかったのだから、素敵な思い出を彼らにプレゼントしたい気持ちになるとともに、「いや待てよ、立教が負ければ慶應にもチャンスが出てくるし」という思いもまだあって、なにやら複雑な心境で週末の戦況を見つめる事になるだろう。

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