カテゴリー「グルメ・クッキング」の記事

2019年6月23日 (日)

町の中華料理屋3

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「町の中華料理屋2(2017年7月27日)」以来の中華料理ネタである。わが家からぶらぶら散歩して20分ほど、文京区の小日向に「日本人がやっている町の中華」をみつけた。どこかの駅前というわけではないが、このあたりは古くからの住宅街のほかに神田川沿いに印刷や製本などを手がける工場も多数あって、昼夜を問わず中華料理の人気が高そうな場所だ。最近めっきり減ってきた日本人による町の中華を味わいたくなって、先日ふらっと行ってみた。

「日本人による街の中華」のわが定義はこんなところだろうか。①オヤジが一人で中華鍋をふるって料理をこさえている②「ビール!」と頼むと生ではなく(あるいは生だけでなく)瓶ビール、それも大瓶や中瓶が出てくる③メニューはラーメン・餃子・シウマイ・野菜炒め・唐揚げ・マーボなどの「定番」のほか、カレーやとんかつ定食もある④店にはちょっと気がきいて客の注文や会計をさばき店を切り盛りしている中年(以上)のおばちゃんがいる⑤店の前には料理の写真でなく昔ながらのショーウインドウに料理サンプルがある、などである。この店はまさに条件どおりだ。

さらにチャーハンなどはその日によって塩加減が違うというのも町の中華の定義に加えてよいだろう。以前は商店街にふつうに在ったこういうお店も後継者不足なのか、中国人がやっていたりラーメン専門店になったりでめっきり見かけなくなってきた。大きな中華飯店でよくあるような作りおきのチャーハンと違って、調理場から繰り出されるほっかほかの料理を瓶ビールと共に頬張るにつけ、日本人の町の中華味がいつまでも健在であって欲しいと願うのである。
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2019年1月 9日 (水)

切腹最中

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新橋で大正初めから営業している新正堂の名物「切腹最中」を、さる新年会のみやげにもらった。以前にも新橋近辺のマンションに住む友人からいただいたことがあり、この界隈ではけっこう人気の和菓子のようだ。菓子の名前として「切腹」と云うのもちょっと変だが、そもそも新正堂のあるあたりは元禄時代、田村右京太夫の屋敷だった場所で、殿中で刃傷沙汰をおこした浅野内匠頭がここで切腹させられたので、それに因んで命名された菓子だそうだ。
「12月14日 赤穂浪士の討ち入り(2018年12月14日)」


「…皆様の口の端に上ればという思いを込めて、最中にたっぷりの餡を込めて切腹させてみました」と同封の「切腹最中のしおり」にある如く、包装箱をあけると小さめな皮から溢れんばかりの餡がみえる。最中のお腹を切り裂いたかのように餡子が詰め込まれているその形状と、浅野内匠頭が切腹した場所であることをかけたあたり、江戸っ子のしゃれっ気たっぷりの菓子で、なかなかのアイデア商品だと云えよう。一口食べると最中の皮はさっくりで求肥を包む餡子は新鮮、腹切りと云うネーミングとは思えぬ上品な味が良い。洒落の判る相手なら、何か失敗した折にお詫びの印で切腹最中を持参するのも面白い。


さて、しおりに「本品が話しの花を咲かせるよすがともなればとと心を込めておつくりしております」とある通り、もらった最中をつまみながらあらためて忠臣蔵の事を思い出す。そういえば今読んでいる百田尚樹氏による話題書「日本国紀」の「赤穂事件」の項目には、江戸時代に江戸城での刃傷事件は七回あり、内匠頭が切腹というのは当然の処置だったとある。内匠頭が刃傷沙汰をおこした理由は「いじめ説」「怨恨説」など様々あるが、単に「精神錯乱」だったのでは、というのが百田説で面白い。彼の云う「錯乱」がなければこの切腹最中もなかったのかと歴史の綾の面白さを感じつつ一挙に二つ食べてしまった。

2018年12月 3日 (月)

市ヶ谷のエル・チリンギート

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日曜日ふっと気が付くと、昼から福岡国際マラソン、2時からラグビー早明戦のテレビ中継である。もう12月第一週の日曜日になったのかと、毎年のことながら一年の月日が経つのが早い事に驚く。振り返ってみると、今年の前半は飛鳥Ⅱで世界一周クルーズをして感動して帰ってきたのに、夏場から入院・手術と人生初めての経験をする事になり、まさに激動の一年であった。体はいたって快調で健康だと信じていたものの、毎年恒例、念のための人間ドックだと思って受診したところ、ひっかかる箇所があるから来いとの病院の呼び出しにびっくり。検査や再検査の結果すぐに全身麻酔で手術とはまさに晴天の霹靂、一カ月前にはワイキキビーチだったのにベッドの上とは人生いろいろな事がおこるものだ、というのが今年一年の感想である。


そんなこんなで、わずか半年ほど前の飛鳥Ⅱのワールドクルーズも何か薄皮のベール一枚向こうで起こった出来事、遠い世界の記憶のような気がしないでもない。しかし最近届いたクルーズの写真集などを開くと、航海中や寄港地の思い出が脳裏にくっきりと蘇り、夢のような生活が懐かしくなってくる。またいつの日か、世界一周クルーズに行ってやろうと思うと、元気が湧いてくるのである。などと日々を過ごすなか、日課で走るいくつかのジョギングコースの一つ、靖国通りの市ヶ谷駅前に”エル・チリンギート”というスペイン料理屋を見つけた。スペイン料理店が最近は数多くある中、この店のドア前にある黒板にはパエリアの表示も大きく、信号待ちの間にそれを眺めていると、飛鳥Ⅱで行ったパエリア発祥の地であるバレンシアがやたら思いだされる。


今年のワールドクルーズはヨーロッパでもイベリア半島を周るのが目玉で、スペインのバレンシア、マラガ、英領ジブラルタル、ポルトガルのリスボン、再びスペインのビルバオと連続して5つの港町を訪れる事ができた。このあたりは食べもののうまい南欧である。マラガでは子イワシや海老のフリット、ビルバオではこの地発祥のピンチョスを楽しみ、リスボンでは2011年のワールドクルーズ以来の名物イワシの塩焼きを堪能できたのだった。バレンシアでは闘牛場を見学し歩き疲れて船に帰る途中、賑わっているレストラン街の一角でパエリアを出すレストランに飛び込むことにした。出港・帰船時間が気になる私たちは「あまり時間がないけど何分でパエリアができるの?」とマネージャーに尋ねると「25分ぐらい」という。パエリアと云っても我々には魚介類のものに馴染みがあるが、ウサギ肉や鶏肉とさやいんげんの載ったパエリアがバレンシアのオリジナルとの事なので、それを注文するこことにした。時間にルーズなスペインらしくなく、ぴったり25分で出来上がったきた熱々のパエリアは、本場の味なのだろうが塩味がけっこう効いていたようだ。


という事で今度は日本のパエリアはどうなのか、先日の市ケ谷のレストランへ夕食に行ってみた。店ではあちら流にイワシの炭火焼きに海老のアヒージョ、それにイベリコ豚のグリル ペドロ・ヒメネスソースを頼んだがいずれも本場のお店に近い味で、スペインワインのグラスを片手にクルーズの日々を懐かしみながら料理を楽しんだ。シェフははにかみ屋なのだろうか、ちょっとシャイな口調だがスペインで修行したのか土地・風土や料理に詳しく店の雰囲気もなかなか良い。締めに注文したパエリアは当然バレンシア風である。出てきた量はスペインのレストランよりかなり少ないものの、日本人向けにあまり塩辛くなくだしが効いていてより繊細な味でうまかった。スペイン料理を食べているうちに、病気の彼方に忘れていた現地の食堂やバルの雰囲気が記憶の底から蘇ってきて、今年はなんだか忘れらない一年になりそうな気分がした。

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2017年8月11日 (金)

コンビニの極上炒飯

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セブンイレブンの極上炒飯と市販のスープで家でも本格的中華が

これまで幾度もトライしたおいしいチャーハンの作り方。卵をあらかじめご飯に混ぜておく調理法もこれまで数回試して、それなりの味を自分でつくりエンジョイする事ができた。しかし最近はコンビニで売っている冷凍食品の炒飯で、プロの味を苦労せずに家庭で味わえると云われるので試しに買ってみた。


”直火で炒めた香ばしさとXO醤のうま味”とパッケージにあるセブンイレブンの”極上炒飯”は、一人前300グラムで638カロリーとの事で卵やチャーシュー、刻みネギとなかなかの具沢山である。これを家庭用500~600Wの電子レンジに入れれば4分から4分40秒で出来上がる。


”Seven Premium -always evolving, always affordable,suporting modern lifestyles, FROZEN FOOD"という判ったようなそうでないようなパッケージはご愛嬌として、さっそく電子レンジでチンするとこれがたしかに旨い。お店に行ってプロの調理人が目の前で鍋をふるってつくったチャーハンこそ、味が少々ばらついていたりしても迫力が違うが、これはこれで具材を刻み、調味料を工夫し苦労して自分でつくった”家庭のおいしいチャーハン”に優るとも劣らない味がする。


食塩相当量も3.4グラムと自分で炒める炒飯よりよほど健康的なのも憎いところである。これから一人暮らしの高齢者がますます増える社会で、コンビニの冷凍食品や各種惣菜は、ますますその存在感を増す事であろう。これで300円。セブンイレブンの”極上炒飯”を食べると食文化はたしかにevolveしているような気がしてきた。

2017年7月27日 (木)

町の中華料理屋2

以前にもアップしたとおり日本人のオヤジが大鍋を振って料理をこさえるような街の中華料理店が減ってきた。もっとも閉店したそのような店を中国人が継ぎ、玄関に大きなサンプル写真を飾っているような中華料理屋もあるが、そんなお店には何かしらのものたりなさを感じて(たとえば料理が熱々でないとか)入る気があまりおきない。そんな中、最近わが家からちょっと歩いた隣の駅に昔風な”日本の中華の店”を見つけて妻と時々顔を出すようになった。

先日も訪れたが、そのお店の中ではハエが一匹飛びまわり、出前に行く店の兄ちゃんが入り口から出入りしていて、その何とも言えぬ光景が昭和の中華メシヤ風である。こちらは入るなり「ビール!」と一声頼むと「生ですか?瓶ですか?」と即座に答えが返ってくるのも気持ちがよい。「お、瓶もあるの。中瓶?」と問えば「大瓶も中瓶も小瓶もありますよ。キリンとアサヒどちら?」と店員が言う。最近は生ばかり、それも特定のビールメーカーのひも付きのような飲み屋が多いのに、さすが昔風の中華は何でもありである。

ここは野球場に近くプロ野球の選手、それも長嶋や王の時代の名選手たちのサインが壁にさりげなくかかっているのが老舗っぽい。まずはビールの大瓶に餃子、酢豚、チンジャオロースとお約束のメニューを味わうが、大鍋から繰り出される料理は、ところどころ塩が他の場所よりほんのちょっと濃い場所があったりして、そのグラデーションがカジュアルで好ましい。〆には半チャーハンと焼きそば、それも固焼きとソース味を頼めるところが何とも贅沢である。ビールの後に紹興酒も飲んで、”日本の中華”を二人でたらふく食べ6000円もしないと、なんだかひどく得した気持ちになってくる。日本人が料理する町の中華料理店よ、ガンバレ!。


 


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2017年7月 5日 (水)

大阪伝統の味 串カツ田中

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最近、我が家の近所に大阪元祖の「串カツ田中」が開店したので、妻と時々食べに行く。串カツと云えばその昔、梅田駅の構内にあった立ち食いの店に酔っぱらって立ち寄った覚えがあるものの、東京のこのあたりで「二度づけ禁止の串カツ」店を見かけなかったから新鮮である。店に入るとまず”プレミアムモルツ・香るエール”の中ジョッキを皮切りに、玉ねぎ、レンコン、白ねぎ、なすびなど100円の串揚げ、それから120円のハムカツや串カツ牛、つくねなどを食べ、大阪名物のかすうどん(640円)を頼む。


一串の値段もそう大した事がないので、ついつい玉子やらアスパラ、あじフライの他、ポテトがそのまま出てきて自分ですりつぶすポテトサラダ(390円)を頼んだりするが、それでも一人2~3千円と懐にやさしい値段でお腹一杯になれる。「先代から引き継いだソースは、他では味わえない逸品」と店の宣伝のとおり、揚がった串カツを各自でディップする「二度づけ禁止」のソースはかなりあっさりとしている。このソースはそれほど塩分もきいていないようだから、血圧が心配な中高年でも安心して食べられそうだ。またコロモがカラッっと揚がっているのであまり腹にもたれないのもよい。


安い居酒屋風の簡素な店内だが、アルバイト中心の若い店員がキビキビしているのも気に入っている理由である。こうなると以前から行っていた近所の比較的高級な串揚げ店には足が遠のいてしまうとおり、飲食業とはつくづく競争の厳しい業界だと感じる。串カツなどはそうしょっちゅう食べるわけではないから、近くに同業の安い店が出来ると影響も大きいに違いない。それにしても”口をつけた串の二度づけ、口をつけたキャベツの二度づけ、ソースにお箸をつける行為は罰金千円”とあるものの、本当にその罰金を払うような客がそれほどいるのだろうか。逆にうまいキャッチフレーズだと感じるのである。

自分で作るユニークなポテトサラダ
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2017年6月13日 (火)

チャルメラ派かサッポロ一番派か?

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同窓会の打ち合わせメールを日中に友人の自宅に送ると、折り返しすぐに返事が来たりして 「ああ、みんな、サラリーマン生活が終わって家にいるのか」 と妙に安心したりする日々である。妻が働きに出ている昼間、つい昼食もありあわせのものにしたり抜いたりしてしまうが、先日妻に付き合ってスーパーに行った際に、明星チャルメラの昔と変わらぬ包装を食品棚にみて、無性に懐かしの味を食べたくなってしまった。


という事で昨日、一人チャルメラを作ってみた。明星チャルメラはサンヨー食品のサッポロ一番と同じ年1966年の発売で、その頃ちょうど中学生だったからよく食べた覚えがある。当時は学校から帰ってカバンを家に放り投げ毎日のように自転車で近所に遊びに行ったが、ちょうど食べ盛りの頃、その前のおやつに母親がよくチャルメラをこさえてくれたのだ。また友人の家にあがりこみ夕方になるとそこのお母さんがインスタントラーメンを出してくれることも多かったが、家によってチャルメラ派とサッポロ一番派が別れていて、今でも昔の友の家の前を通るとそこがどちら派だったかなどと思い出したりする。


それまでは日清チキンラーメンのように、どんぶりにラーメンを入れてお湯をかけるだけのインスタントラーメンが主流だったところ、チャルメラのころから粉末スープを別に作り小さい袋に入った香辛料を振るようになったのがちょっと高級で、それが一味違うおいしさになったように感じたものだ。当時のお母さん達はみな忙しかったのだろう、どの家でも包装袋にあるようなチャーシューやほうれん草などが入っていた覚えはほとんどなく、どこかの家でゆで卵が入ったのが出てくると「お~、オマエの家は豪華だなあ」などと囃したのである。


なので今回自宅でつくる久しぶりのチャルメラも、具は一切なしである。写真のように何となくシンプルで日常的、手間いらずの感じがよい。もっとも麺を食べ懐かしいスープをすすろうとすると、包装の袋には製品の「食塩相当量」がスープで4.1グラムと表示があって、「おっと血圧を考えるとスープはやっぱり少し残すか」などと考えるのがあの頃との大きな違いである。濃厚なスープをうらめしく半分残しつつ、よし今度はサッポロ一番を買ってみるかとドリフターズの「サッポロ一番、これがラーメン、本場の味だ♪」とコマーシャルソングを口ずさんでみた。

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2016年12月19日 (月)

九段下・寿司政

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寿司政のちらし

接待族を卒業してからもう何年になるだろうか。むろん銀座のバーへ行ってタクシーでご帰還などという事も今はなく、寿司屋なら価格明示の大手チェーン店にたまに行くぐらいである。それでも時々値段表などが店内になく、勘定は月末に請求書を送ってくるような高級なお寿司屋さんが無性に懐かしくなるものだ。などと思っていたら、元いた業界に近ごろ復帰しフルタイムで働き始めた妻が、私の誕生日に「なんでもおごってあげるよ」と豪気な事を言う。思わず「九段下の”寿司政”のちらしなどをたまには食いたいねえ」と口ばしると「じゃあ、お好みでサシミや寿司をつまんで、最後はチラシで〆る?」とこのあたり自腹になると急にセコくなる男性と違って、女性の方が太っ腹である。


という事で、先ごろ靖国通りの九段下交差点からちょっと入った「寿司政」を予約して妻と二人で行ってきた。六時きっかりにお店に入ると、すでに接待族らしい数名のサラリーマンがカウンターを囲み、例によって連れだった得意先のゴルフをヨイショするお約束の会話が聞こえてくる。立派な和服を着た中年女性のサービスに気おくれしまいと、「ここは三回目だったかなあ、昔ばらちらしをいただいたのがひどく記憶に残って、十年ぶりくらいに来ましたよ」といかにも場慣れしているふうに自分からベラベラ喋りだすあたりが私の気の弱いところである。店内はそんなに広くはないがカウンターの中の職人の他、厨房でも下ごしらえが忙しく、いかにも江戸前と云う雰囲気が漂っている。


絶妙に味付けされた牡蠣の先附けに始まり、サシミのうまいところをちょこちょこっとつまむと、おまかせのにぎりがくる。それを一口ほおばると「円やかな赤酢シャリ」と、どれも一手間施されているネタが絶妙にマッチングして、これぞ文久元年(1861年)から続く老舗の味だと頬がおちそうだ。日本酒をチビチビ楽しみつつ、あっという間ににぎりも食べてしまったが、せっかく来た久しぶりの高級すしやである。ここですぐに帰ってしまうのは何とももったいないと、予定どおり名物のちらしも注文することにしたが、こうしてみると私たちは年齢の割りに食い意地が張っているようだ。妻が払った勘定はほぼ予想通りで、美味しく食べ飲み、誕生日が来ても一歳若返ったような気分がした。さて間もなく来る妻の誕生日は彼女の好きな「黒毛和牛」かと、今度は自分の財布を心配するこのごろである。

2016年12月 7日 (水)

竹原のウヰスキーケーキ

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今年9月の飛鳥Ⅱ”秋の日本一周・韓国クルーズ”で寄港した広島だったが、広島市内や宮島にはもう何度も来ている。そこで今回は、”安芸の小京都 竹原散策(午後)”へ本船主催のオプショナルツアーに参加する事にした。竹原は広島から40キロほど東にある瀬戸内海に面したこぢんまりした町で、私などは往年のマラソン名選手で竹原高校の教員だった采谷(うねたに)選手の事を思い出す他には、ここに電原開発の火力発電所があるという程度の知識しか持っていなかった。ただ2年前のNHK朝の連続テレビドラマ「マッサン」で、竹原の古い町が舞台となりテレビに流れたのが印象に残り、今回は広島港からの半日のバスツアーに参加してその町並を見学しようと思ったのである。


訪ねた竹原は前に海、すぐ後ろには山が迫る古くからの港町で、かつては製塩業や酒造業がさかんだったと云う。市の中心部に数百メートルに亘って伸びる町並み保存地域は、明治のごく初期の郵便局や各種の商家、寺院、マッサンの生家である竹鶴酒造などがあって古きよき時代の賑わいをしのばせてくれる。そしてしっとりした街路を見学したあとは、お約束のみやげもの店でのお買い物!の時間である。名物にうまいものなしとはよく云われるものの、珍しく本船主催のツアーに参加して来た竹原だから、何かないかと思っていると、店頭に「ウヰスキーケーキ」という大きな垂れ幕があるのが目にとまった。


店内のウイスキーケーキの包装紙には「アルコールを含みますのでご注意下さい」と赤字の注意書きあって、なぜか妙にこの文句に心がひかれてしまう。まあ、ニッカウイスキーを造ったマッサンゆかりの地で「ウヰスキーケーキ」を買うというのもオツなものかと、試しにハーフポーションを買ってみる事にした。さてクルーズをおえてわが家で「ドライマンゴーを混ぜ込んだケーキに余市のウイスキーシロップをたっぷり染み込ませています」とある包装紙をあけると、上等な”余市”ウイスキーの香りがプーンと漂ってくる。一口食べるとケーキの甘味とウイスキーの味が絶妙にハーモナイズし、アルコール分も濃いのか大人っぽい味が嬉しい。アルコール風味にすっかり気持ちよくなって妻と二人であっという間に食べてしまったが、どうやらこのケーキは竹原でしか売られていないらしい。宅急便で取り寄せようかとも思うも、会社に竹原の電発に時々出張する社員がいるので、彼にみやげに買ってきてくれと頼もうと思っているところである。

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2016年11月21日 (月)

平戸銘菓・蔦屋のカスドース

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好き嫌いなしで何でも食べる。酒も好きだから(というより無くては生きていけないから)、当然塩辛いものが好きだが、さりとて和洋かぎらず甘いものも好きである。以前にもアップしたとおり伝統の日本各地名産の和菓子の中では、佐世保の九十九島せんぺいや博多の鶏卵(たまご)そうめんが永年の好物なのだが、今年ねんりんピックで長崎県を訪問した際に、東京都選手団の宿舎だった佐世保の町で買った平戸の蔦屋(つたや)のカスドースも印象に残る菓子であった。


カスドースは以前テレビの「百年てみやげ」で紹介され、平戸に行く機会があったら買おうと思っていたところ、佐世保のみやげ物店でも販売されておりさっそく購入した。その蔦屋は1502年創業というからまさに戦国時代から続くお菓子やさんである。カスドースは「ポルトガルとの交流によって伝えられた南蛮菓子のひとつ」(お菓子の栞)で、「カステラを卵黄にくぐらせ、糖蜜で揚げた」(ホームページ)ものである。砂糖がふんだんに使われているが、のちの江戸時代になっても卵や砂糖は貴重品だったから、明や南蛮との貿易ができた平戸ならではの、往時の”超高級菓子”であったであろう。


ちなみに戦国時代では日本の砂糖輸入量が150キログラム/年、江戸時代初期になって100トン/年(独立行政法人・農畜産業振興機構のホームページより)で、人口が何倍も違うといえ現在は日本国内で使用する砂糖が約200万トンだと云うから、当時の砂糖の貴重さが判ろうというものである。平戸藩門外不出の菓子として育まれたカスドースは、明治時代以降は皇室献上銘菓となったそうで、小分けにしたその封を切るとファっと黄身の匂いがただよってくる。それは「ほれ旨いぞ、食べてみい」とでも云っているかの様で、長崎の南蛮交流の伝統を今に伝えているのであった。

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