カテゴリー「グルメ・クッキング」の記事

2024年1月30日 (火)

浅草の鮨松波

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「氷見の仇は江戸で討つ」シミ(氷見)ブリの刺身

先日、知人に連れられて、予約がとても取りづらいと云われる浅草の名店「鮨松波」で夫婦して江戸前すしを堪能することができた。「鮨松波」は地下鉄 銀座線の田原町または浅草線・大江戸線の蔵前から徒歩5分ほど、いかにも下町という風情の一画に店を構える老舗であった。腹を空かせて暖簾をくぐると、1階には玉砂利を敷いた空間だけが広がり、2階にある店に続く螺旋階段が伸びている。ふつうの寿司屋さんにはない余裕の店構えに、「高級店」に来てしまったという緊張感が身を包む。2階に上がるとひのき柾目一枚板のゆったりしたカウンターに10席ほどのみで、すべての鮨は大将一人が目の前で握ってくれる。なんでもこの檜のカウンターは樹齢200年以上のもので、これまで一度も削ったことがないそうだ。


都内名店で修行したのちこの地で店を開いて60年近く、小柄な大将は最初は寡黙で取っつきにくいかとこちらが心配したが、「浅草の鮨は初めてですよ」と云うと、「この辺りは町内会がまだ残っていて助かるんですよ」と程よい距離感を漂わせている。聞けばその日の予約者の顔を思い浮かべながら大将が豊洲市場でサカナを仕入れるとのことで、客に出される新鮮な材料は皆きれいに江戸前の仕事がされ、大ざるに乗ってまな板の脇に置かれている。ここでは一日に来店する客の数も決まっており、大将がすべての食材をコントロールしているので、冷蔵庫に出し入れするよりこの方が旨くて良いらしい。料理はお任せが中心で、シャコのカクテルに始まり、刺身、握り、吸い物、酒はビールと広島のゴールド加茂鶴だけというラインナップであった。


いかにも江戸っ子の職人と云ういで立ちの大将は「今日のサバとブリはシミ(氷見)、コハダは房総、アジは相模湾、アナゴは羽田沖、シラメ(平目)は青森」とちゃきちゃきの下町ことばでサカナの説明をしてくれる。それは見事な下町言葉につられて「このサカナなら淡泊な加茂鶴ひきゃないね」と思わずこちらも怪しげな江戸弁になってしまうほどである。他店と一味違う大将の握りは「本手返し」と云う正統の技だそうで、感心して見ていると丁寧な手さばきの説明も加わった。昨冬は寒ブリを喰いたさに富山県まで遠征したものの、シーズンを僅かに過ぎて遂にありつけなかった氷見の寒ブリだが、それを今年は浅草で味わえることになり、「氷見の仇を江戸で討つ」とばかり妻と二人して酒飲むピッチも進んでしまった。


予想にたがわずしっかりと脂の乗ったマグロのようなシミのブリ、大間のマグロの大トロに、宮城のウニ、江戸前の魚介類の旬ネタを刺身と握りで愉しみ、〆はかんぴょう巻に自家製の玉子。時間をかけて焼きあげた卵焼きは、丁寧に裏ごしされた芝エビのすり身がたっぷりと入り、「これが江戸前の玉です」と大将自慢の逸品のようだ。鴨肉と野菜のお澄ましは甘味さえ感じる優しい味で、一同皆でお代わりし、腹一杯となってお開きとなった。この日は知人にすっかりごちそうになってしまったが、隅田を渡る夜の川風に吹かれつつ適度な酔いも手伝って、妻に「旨いもの喰うと元気がでるね。70歳過ぎてあと何年美味しく食べられるか分からないから、一年に一度くらいはこんな寿司を自分たちの力で食いに来よう」と話しながら帰路についた。

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豊洲で大将が予約客の顔ぶれを思い浮かべながら仕入れた魚介類

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房総のコハダに大間のマグロ

2023年4月23日 (日)

神田神保町の老舗ビヤホール「ランチョン」

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こだわりの泡立ち マルエフ生ビール

一日が長くなり夏のような陽射しが差し込む季節がやって来た。気温が上がればますますビールがウマい、などと言われているが、特段の事情がない限り春夏秋冬、一年365日、夫婦二人で毎日ビールを飲んでいる。そもそも我々の結婚もビールが取り持つ縁だったと云える。高校時代の友人が銀行で妻の上司であり、昔からビールを飲んでいる私に「僕の部下にビール好きな女性がいるから今度一緒に呑まないか」と紹介してくれたのが出会いである。と云うわけで日課のジョギングで汗を流した後は、夕方二人して缶ビールをプシュと開けるのがルーティーンになっている。ビールをうまく飲むために、無理矢理ジョギングを続けているのではないかと錯覚する時もよくある。


そんな妻が神田神保町にあるビヤホール・洋食の老舗「ランチョン」に行きたいと言ってきた。たまたまネットで見つけて、ここは「美味しいに違いない」嗅覚が働いたそうだ。かつて外食店で飲むビールは瓶詰め大瓶が主流で、「生ビール」は夏のビアガーデン以外そうどこでも飲めるものではなかった。ビール好きとしては年中うまい「生」を提供してくれるレストランのことが一応頭に入っていて、銀座なら古くからサッポロ生ビールを出す七丁目「ライオンビアホール」、京橋ではキリンビール系の明治屋「モルチェ」などがそうである。当時から神保町に明治42年創業の「ビアホール ランチョン」という老舗ビアレストランがあることは知っていたものの、神保町といえば本屋やレコード屋、スポーツ用品店など趣味の街というイメージがかなり強い場所だ。ここに来ることはあってもビールのことまでは考えが及ばず店の前を素通りばかりだったが、今回、妻が思い立ったのを幸い、頭の片隅にあった「ランチョン」に行ってみることにした。「ランチョン」がアサヒビール系というのも目先が変わって良さそうだ。


平日の夕方、妻と二人で古本屋街をひやかし、5時半過ぎに入った「ランチョン」は、100余席あるというのにすでに7割くらいの人でテーブルが賑わっていた。まだ時間が早いためサラリーマン風より、街歩きをしてきた中高年の姿や、夫婦連れのようなカップルが店内で目立つ。まずは480ccのビアグラスで出される生ビールを各々二人して頼むと、ブランドはアサヒビールの「マルエフ」とのことで、これは最近家で常飲する缶ビールの銘柄であった。「マルエフ」は味がしっかりしている割にアルコール分が4.5%とやや薄目なので、量を飲んでも肝臓に少しやさしい(気がする)ビールである。当日の昼に走ってカラカラにした喉にお待ちかね、目の前に運ばれてきた「マルエフ」は、ビアグラスの下から8割弱ほどが琥珀色の液体、上から2割強がきめ細かい泡と芸術的にセパレートされていた。店のホームページによるとしっかり泡立てるのがうまいビールを提供するコツとのことで、ここではグラスに注ぐのは店主専属の仕事なのだそうだ。


あっという間に空になった後の2杯目は、私が黒ビールとのハーフ&ハーフ生、妻がピルスナーウルケルである。本当に500CC近く入っているかと思えるほどスムースな飲み口は、ビールの温度管理やグラスの取り扱いに関するこだわりの結果だそうだ。店内は女性の店員数名が客の様子をさり気なくうかがっており、注文の合図をするとすぐに来てくれるのが気持ちよい。ビールが旨いと食も進むとあって、アスパラガスにベークドポテトをつまみ、次は白ワインのボトルを1本注文することにした。美味い酒にキビキビした店員で、ついついこちらも気分良くなりワイングラスをあけるピッチも早くなるようだ。アルコールでますます食欲が亢進したのか、分厚いポークソテーに当店定番の大判のメンチカツを一つずつ、それに〆のオムライスまで楽しんでやっとお腹が満たされた。入口を見れば店外には順番を待つ人の列が出来ており、あらためて評判の店だと分かる。店の雰囲気にも酔っていつもより調子よく飲んでしまったようで、陽気も良いのでほろ酔い気分でふらふらと数キロを家まで歩いて帰ってしまった。ただビールの利尿効果はテキメン、途中の水道橋付近で我慢が出来ず、二人揃ってトイレにあやうく駆け込んだのはご愛敬である。

バターの効いた〆のオムライス
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2021年2月11日 (木)

烏森の焼鳥「ほさか」とニイハオ・トイレ

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緊急事態宣言で困り切っている飲食店を少しでも助けられるかと思い、最近よく外食に出かける。先日は、久しぶりに出社した後に妻と新橋で待ち合わせて焼き鳥に行くことにした。場所は烏森神社にごく近い「ほさか」という昔からの店で、彼女が内幸町で銀行員だったウン十年前にはよくここで飲み会をしたという。場所は新橋・烏森神社の目の前、かつては花街であったごちゃごちゃとした小さな路地にお店はある。新橋から京橋にかけては伝統的に焼き鳥の老舗が多く、現役時代にはよく「鳥繁」や「伊勢廣」という接待族ご用達の店に通ったが、妻は「ここは美味しい上に値段がリーズナブルだから家計費で来るなら」とこちらを主張するので11年ぶりの再訪だ。


午後5時きっかりに「ほさか」の入口を開けると、店内では赤い顔の酔客がすでにカウンターやテーブル席を占めており、急な階段を上って二階の畳敷きの小さな部屋に通された。今はアルコール提供が7時まで、営業は8時で終了とされているために呑んべえ達の出足も早いようだ。灰皿の置かれた昭和の雰囲気が漂うテーブルでビールの中瓶を飲みつつ、出てくる焼き鳥コースの串を見るとみな小ぶりである。ただし最初のコース(5種または7種)で供される串は、すべて2本で1セットのため量的な物足りなさはないし、炭火での焼き加減や塩加減もほど良く、さすがコストパーフォーマンスに厳しい銀行員が良く利用するというだけの事はある。


ただ3年前に膀胱、昨年は前立腺と泌尿器系の手術を連続して終えた身としては、アルコールが入って困るのがトイレが近くなることだ。「トイレは店の中にはありません、横の共同トイレを使って下さい」という店員の指示で、下まで転げ落ちそうな急階段をなんとか下りて店外のトイレに行けば「エ、これがトイレ!?」と一瞬躊躇するほど路地に面してオープンな一角がそれであった。男子小用は道路から丸見え、便器もなくタイル張りの壁面に向かって放尿するスタイルだ。男子2人が並んで用を足すようになっているが、その間には仕切り板もない「ニイハオ・トイレ」が東京のど真ん中にあった。幸いまだ早い時間で他に利用者もいなかったから問題なかったが、もし連れションならどっちの方が壁に高く飛ぶかと競った子供時代みたいだ、等と妙なことを考えながら用を終えた。


びっくりトイレ以外は中国人店員もキビキビ動いて機転が利き、妻も「ね、味もサービスもなかなか良いでしょ」と鼻が膨らんでいる。ここではご飯ものがないので、ゆずの風味が効いた鳥スープや残りの串を堪能し、会計を終えて外へ出る。まだちょっと腹に余裕があるので、〆は近所のコンビニでおにぎりを買うこととし、「ウエスト」の喫茶室は間もなく閉まってしまうので家でお茶でも飲もうとモンブランを買った。こんなに早い時間で飲み終わると身体は楽だし、アルコール摂取量もそう多くはならないようだ。肝臓の数値もこのところ基準内とあって、緊急事態宣言も悪い事ばかりではないなと夜風に吹かれつつ相変わらず人通りが少ない銀座の街を後にした。

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新橋・烏森神社前「ほさか」

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タイルに向かって放尿・仕切りなしのトイレ(左ドアは女子用)手前はすぐ道路

2020年9月 7日 (月)

銀座 LA BETTOLA(ラ・ベットラ)の夜

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油の乗った穴子とサラダ、雲丹のクリームスパゲッティ

「日本で一番予約のとりにくいイタリアン」と呼ばれる落合務シェフの銀座一丁目"LA BETTOLA da Ochiai"に9月4日(金)の夜に行ってきた。飛鳥Ⅱの2015-2016南極南米ワールドクルーズで知り合い、以後しばしば都内で夕食を共にする仲良しのご夫妻が私の快気祝いを催して下さったものだ。もう一つ、この秋に催行予定の飛鳥Ⅱ就航30周年記念「アニバーサリー・オープニングクルーズ」を申し込んでいたら、これがウィルス騒動で中止なったので弔い合戦の意味もある。このクルーズは5泊の船内で「BETTOLA」の落合シェフの他、フレンチ「ラ・ロシェル」の坂井宏行シェフ、「赤坂四川飯店」の陳健一シェフ、「つきじ田村」の田村隆シェフによる「和仏伊中」のスぺシャルディナーが供されるのが売り物で、以前より乗船を楽しみにしていたのだが、この状況下ではクルーズが行われないのもやむなしか。「飛鳥の仇は銀座で討つ」である。

 

"LA BETTOLA"の住所は銀座一丁目とあるものの、実は昭和通りよりも海側で地下鉄・宝町駅にも近く、以前は木挽町と呼ばれた場所に店を構えている。このあたりは江戸時代初期に、江戸城を作る木挽きが多数住んだと云われる職人の町で、銀座といっても昔からの小さな店が残っている庶民的な街だ。その一角にごくひっそりとあるLA BETTOLA前の路上は昼の部も夜の部も、時間になるといつも開店を待つ人の群れができており、ここがいかに人気のあるレストランなのかがわかる。素晴らしい素材に、本場仕込みながら日本人の口にもあう味付けのイタリアンが、夜のコースでも4500円というごくリーズナブルな料金で食べられることが人気の秘密なのだろう。

 

その夜、私がチョイスしたのは脂の乗った穴子サラダ、スペシャリティの雲丹のクリームスパゲティ、ほどよい食感の豚のカツレツと、どれも期待を裏切らない味で、夜の更けるのも忘れクルーズ再開の期待や友人たちも苦戦しているダンスレッスンの話などで盛り上がった。料理の途中で落合シェフが挨拶に顔を見せたが、ここの顔である友人夫妻によると、ウイルス騒動で落合氏のゲストシェフ出張や講演などがなくなり、店に毎日顔を出すので従業員は気が抜けなく大変らしいとのことである。すっかり話し込んで長居をした帰り道、妻と二人ぶらぶらと地下鉄の駅まで歩くと、金曜日の夜だというのに銀座界隈はまだ人通りが戻ってこないのに気付く。柳の並木道が早く人出で賑わうようにと、酔いにまかせて「待ち合わせてあ~るく銀座♪」「みゆき通り、すずらん通り、二人の銀座♯」と山内賢と和泉雅子の「二人の銀座」を歌いながら家路についた。

金曜の夜というのに人出もまばらな銀座並木通り

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2019年11月23日 (土)

米国産マツタケ

20191123 近所のスーパーでアメリカ産マツタケを売っていた。かつて現役ご本社勤めの頃は広島県の取引先からこの季節にマツタケをもらっていたが、関連会社に出向の身となると当然そんな進物とは無縁になる。その代わり北米西岸の代理店から暫くの間、秋になるとアメリカ産のマツタケが送られてきていた。パシフィック・ノースウエストと言われるアメリカ北西岸、オレゴン州からワシントン州あたりは米松と呼ばれる良質な松の産地である。ここでは山に入るとマツタケも比較的簡単に手に入るという事で、シアトルやポートランドの日本人向けスーパーに行けば秋にはマツタケが売られていた。もっともこんな物をありがたがって食べるのは日本人だけで、値段はマッシュルームやシイタケなどより高かったが、それでも日本よりかなり安いので現地勤務の駐在員には人気があった。

アメリカ産のマツタケは日本のものより色が白く味も大味、独特の香りも希薄なのだが、それでもマツタケの食感は楽しめる。最後の関連会社勤めを辞めてから10数年、アメリカの代理店からもマツタケが届かなくなって久しいので、近所のスーパーで見かけた時にはどうしても「秋の味覚」が味わいたくなった。もっとも一本千円もするので渋る妻を「今年はサンマも不漁であまり楽しめないから、せめて秋にはマツタケを味わおうよ、スダチもセットについているし」と強引に説き伏せてスーパーの籠に放り込んでしまった。という事でその晩はこれをそのまま焼いて、小片を口に入れるたびに「これで百円分」などとブツブツ唸りながら、味はあまりしないがアメリカ産マツタケの食感を久々に楽しんだ。秋も深くなってきた。

2019年6月23日 (日)

町の中華料理屋3

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「町の中華料理屋2(2017年7月27日)」以来の中華料理ネタである。わが家からぶらぶら散歩して20分ほど、文京区の小日向に「日本人がやっている町の中華」をみつけた。どこかの駅前というわけではないが、このあたりは古くからの住宅街のほかに神田川沿いに印刷や製本などを手がける工場も多数あって、昼夜を問わず中華料理の人気が高そうな場所だ。最近めっきり減ってきた日本人による町の中華を味わいたくなって、先日ふらっと行ってみた。

「日本人による街の中華」のわが定義はこんなところだろうか。①オヤジが一人で中華鍋をふるって料理をこさえている②「ビール!」と頼むと生ではなく(あるいは生だけでなく)瓶ビール、それも大瓶や中瓶が出てくる③メニューはラーメン・餃子・シウマイ・野菜炒め・唐揚げ・マーボなどの「定番」のほか、カレーやとんかつ定食もある④店にはちょっと気がきいて客の注文や会計をさばき店を切り盛りしている中年(以上)のおばちゃんがいる⑤店の前には料理の写真でなく昔ながらのショーウインドウに料理サンプルがある、などである。この店はまさに条件どおりだ。

さらにチャーハンなどはその日によって塩加減が違うというのも町の中華の定義に加えてよいだろう。以前は商店街にふつうに在ったこういうお店も後継者不足なのか、中国人がやっていたりラーメン専門店になったりでめっきり見かけなくなってきた。大きな中華飯店でよくあるような作りおきのチャーハンと違って、調理場から繰り出されるほっかほかの料理を瓶ビールと共に頬張るにつけ、日本人の町の中華味がいつまでも健在であって欲しいと願うのである。
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2019年1月 9日 (水)

切腹最中

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新橋で大正初めから営業している新正堂の名物「切腹最中」を、さる新年会のみやげにもらった。以前にも新橋近辺のマンションに住む友人からいただいたことがあり、この界隈ではけっこう人気の和菓子のようだ。菓子の名前として「切腹」と云うのもちょっと変だが、そもそも新正堂のあるあたりは元禄時代、田村右京太夫の屋敷だった場所で、殿中で刃傷沙汰をおこした浅野内匠頭がここで切腹させられたので、それに因んで命名された菓子だそうだ。
「12月14日 赤穂浪士の討ち入り(2018年12月14日)」


「…皆様の口の端に上ればという思いを込めて、最中にたっぷりの餡を込めて切腹させてみました」と同封の「切腹最中のしおり」にある如く、包装箱をあけると小さめな皮から溢れんばかりの餡がみえる。最中のお腹を切り裂いたかのように餡子が詰め込まれているその形状と、浅野内匠頭が切腹した場所であることをかけたあたり、江戸っ子のしゃれっ気たっぷりの菓子で、なかなかのアイデア商品だと云えよう。一口食べると最中の皮はさっくりで求肥を包む餡子は新鮮、腹切りと云うネーミングとは思えぬ上品な味が良い。洒落の判る相手なら、何か失敗した折にお詫びの印で切腹最中を持参するのも面白い。


さて、しおりに「本品が話しの花を咲かせるよすがともなればとと心を込めておつくりしております」とある通り、もらった最中をつまみながらあらためて忠臣蔵の事を思い出す。そういえば今読んでいる百田尚樹氏による話題書「日本国紀」の「赤穂事件」の項目には、江戸時代に江戸城での刃傷事件は七回あり、内匠頭が切腹というのは当然の処置だったとある。内匠頭が刃傷沙汰をおこした理由は「いじめ説」「怨恨説」など様々あるが、単に「精神錯乱」だったのでは、というのが百田説で面白い。彼の云う「錯乱」がなければこの切腹最中もなかったのかと歴史の綾の面白さを感じつつ一挙に二つ食べてしまった。

2018年12月 3日 (月)

市ヶ谷のエル・チリンギート

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日曜日ふっと気が付くと、昼から福岡国際マラソン、2時からラグビー早明戦のテレビ中継である。もう12月第一週の日曜日になったのかと、毎年のことながら一年の月日が経つのが早い事に驚く。振り返ってみると、今年の前半は飛鳥Ⅱで世界一周クルーズをして感動して帰ってきたのに、夏場から入院・手術と人生初めての経験をする事になり、まさに激動の一年であった。体はいたって快調で健康だと信じていたものの、毎年恒例、念のための人間ドックだと思って受診したところ、ひっかかる箇所があるから来いとの病院の呼び出しにびっくり。検査や再検査の結果すぐに全身麻酔で手術とはまさに晴天の霹靂、一カ月前にはワイキキビーチだったのにベッドの上とは人生いろいろな事がおこるものだ、というのが今年一年の感想である。


そんなこんなで、わずか半年ほど前の飛鳥Ⅱのワールドクルーズも何か薄皮のベール一枚向こうで起こった出来事、遠い世界の記憶のような気がしないでもない。しかし最近届いたクルーズの写真集などを開くと、航海中や寄港地の思い出が脳裏にくっきりと蘇り、夢のような生活が懐かしくなってくる。またいつの日か、世界一周クルーズに行ってやろうと思うと、元気が湧いてくるのである。などと日々を過ごすなか、日課で走るいくつかのジョギングコースの一つ、靖国通りの市ヶ谷駅前に”エル・チリンギート”というスペイン料理屋を見つけた。スペイン料理店が最近は数多くある中、この店のドア前にある黒板にはパエリアの表示も大きく、信号待ちの間にそれを眺めていると、飛鳥Ⅱで行ったパエリア発祥の地であるバレンシアがやたら思いだされる。


今年のワールドクルーズはヨーロッパでもイベリア半島を周るのが目玉で、スペインのバレンシア、マラガ、英領ジブラルタル、ポルトガルのリスボン、再びスペインのビルバオと連続して5つの港町を訪れる事ができた。このあたりは食べもののうまい南欧である。マラガでは子イワシや海老のフリット、ビルバオではこの地発祥のピンチョスを楽しみ、リスボンでは2011年のワールドクルーズ以来の名物イワシの塩焼きを堪能できたのだった。バレンシアでは闘牛場を見学し歩き疲れて船に帰る途中、賑わっているレストラン街の一角でパエリアを出すレストランに飛び込むことにした。出港・帰船時間が気になる私たちは「あまり時間がないけど何分でパエリアができるの?」とマネージャーに尋ねると「25分ぐらい」という。パエリアと云っても我々には魚介類のものに馴染みがあるが、ウサギ肉や鶏肉とさやいんげんの載ったパエリアがバレンシアのオリジナルとの事なので、それを注文するこことにした。時間にルーズなスペインらしくなく、ぴったり25分で出来上がったきた熱々のパエリアは、本場の味なのだろうが塩味がけっこう効いていたようだ。


という事で今度は日本のパエリアはどうなのか、先日の市ケ谷のレストランへ夕食に行ってみた。店ではあちら流にイワシの炭火焼きに海老のアヒージョ、それにイベリコ豚のグリル ペドロ・ヒメネスソースを頼んだがいずれも本場のお店に近い味で、スペインワインのグラスを片手にクルーズの日々を懐かしみながら料理を楽しんだ。シェフははにかみ屋なのだろうか、ちょっとシャイな口調だがスペインで修行したのか土地・風土や料理に詳しく店の雰囲気もなかなか良い。締めに注文したパエリアは当然バレンシア風である。出てきた量はスペインのレストランよりかなり少ないものの、日本人向けにあまり塩辛くなくだしが効いていてより繊細な味でうまかった。スペイン料理を食べているうちに、病気の彼方に忘れていた現地の食堂やバルの雰囲気が記憶の底から蘇ってきて、今年はなんだか忘れらない一年になりそうな気分がした。

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2017年8月11日 (金)

コンビニの極上炒飯

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セブンイレブンの極上炒飯と市販のスープで家でも本格的中華が

これまで幾度もトライしたおいしいチャーハンの作り方。卵をあらかじめご飯に混ぜておく調理法もこれまで数回試して、それなりの味を自分でつくりエンジョイする事ができた。しかし最近はコンビニで売っている冷凍食品の炒飯で、プロの味を苦労せずに家庭で味わえると云われるので試しに買ってみた。


”直火で炒めた香ばしさとXO醤のうま味”とパッケージにあるセブンイレブンの”極上炒飯”は、一人前300グラムで638カロリーとの事で卵やチャーシュー、刻みネギとなかなかの具沢山である。これを家庭用500~600Wの電子レンジに入れれば4分から4分40秒で出来上がる。


”Seven Premium -always evolving, always affordable,suporting modern lifestyles, FROZEN FOOD"という判ったようなそうでないようなパッケージはご愛嬌として、さっそく電子レンジでチンするとこれがたしかに旨い。お店に行ってプロの調理人が目の前で鍋をふるってつくったチャーハンこそ、味が少々ばらついていたりしても迫力が違うが、これはこれで具材を刻み、調味料を工夫し苦労して自分でつくった”家庭のおいしいチャーハン”に優るとも劣らない味がする。


食塩相当量も3.4グラムと自分で炒める炒飯よりよほど健康的なのも憎いところである。これから一人暮らしの高齢者がますます増える社会で、コンビニの冷凍食品や各種惣菜は、ますますその存在感を増す事であろう。これで300円。セブンイレブンの”極上炒飯”を食べると食文化はたしかにevolveしているような気がしてきた。

2017年7月27日 (木)

町の中華料理屋2

以前にもアップしたとおり日本人のオヤジが大鍋を振って料理をこさえるような街の中華料理店が減ってきた。もっとも閉店したそのような店を中国人が継ぎ、玄関に大きなサンプル写真を飾っているような中華料理屋もあるが、そんなお店には何かしらのものたりなさを感じて(たとえば料理が熱々でないとか)入る気があまりおきない。そんな中、最近わが家からちょっと歩いた隣の駅に昔風な”日本の中華の店”を見つけて妻と時々顔を出すようになった。

先日も訪れたが、そのお店の中ではハエが一匹飛びまわり、出前に行く店の兄ちゃんが入り口から出入りしていて、その何とも言えぬ光景が昭和の中華メシヤ風である。こちらは入るなり「ビール!」と一声頼むと「生ですか?瓶ですか?」と即座に答えが返ってくるのも気持ちがよい。「お、瓶もあるの。中瓶?」と問えば「大瓶も中瓶も小瓶もありますよ。キリンとアサヒどちら?」と店員が言う。最近は生ばかり、それも特定のビールメーカーのひも付きのような飲み屋が多いのに、さすが昔風の中華は何でもありである。

ここは野球場に近くプロ野球の選手、それも長嶋や王の時代の名選手たちのサインが壁にさりげなくかかっているのが老舗っぽい。まずはビールの大瓶に餃子、酢豚、チンジャオロースとお約束のメニューを味わうが、大鍋から繰り出される料理は、ところどころ塩が他の場所よりほんのちょっと濃い場所があったりして、そのグラデーションがカジュアルで好ましい。〆には半チャーハンと焼きそば、それも固焼きとソース味を頼めるところが何とも贅沢である。ビールの後に紹興酒も飲んで、”日本の中華”を二人でたらふく食べ6000円もしないと、なんだかひどく得した気持ちになってくる。日本人が料理する町の中華料理店よ、ガンバレ!。


 


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