第29回シニア健康スポーツフェスティバルTOKYO マラソン大会 (ねんりんピック岐阜2025 東京都予選)
11月24日(日)に駒沢オリンピック公園陸上競技で行われた令和6年度、第29回シニア健康スポーツフェスティバルTOKYOマラソン大会 (東京都と東京都スポーツ協会主催 )に夫婦して参加した。私は男子70歳台の部3000米、妻は60歳台の部5000米への出場である。マラソン大会と云っても、今年は駒沢陸上競技場の場内でレースが開かれるため、実質トラックでの周回競技となる。駒沢競技場と云えば今から60年ほど前、中学生時代に世田谷区の連合陸上競技大会で走ったことがある。当時はまだアンツーカーのトラックで、区内の公立中学30余校の代表選手と共に2000米を競ったレースだったが、他校は陸上部の選手が多い中、素人の私が6位に入賞でき、その自信が以後永年に亘って走るきっかけになった場所だ。70歳をとうに過ぎているのに、その記念すべき競技場の走路を周回することが出来ると云うのも、何かの縁であろう。
このシニア健康スポーツフェスティバルの上位入賞者は、来年度の「ねんりんピック岐阜2025」の東京都代表選手の選考対象となるのもこの大会に参加する大きなモチベーションになっている。日曜日は秋晴れの下、空も高く「岐阜に行くぞ」と夫婦二人で上位入賞を期して競技場入りした。とは云いつつ、実は私はこの春から右膝を痛めており、半年間ほとんど練習は出来ていない。この間、医者や整骨院を巡った上、痛みが弱くなると無理に走り始めてはまた痛くなって休み、暫く歩いたり水泳でごまかして少し良くなると、また無理して走って痛くなりの「ランナーあるある」症候群に陥っていた。昨日も完走はおろか、ウォームアップも危ぶまれる状況であったが、「まあレースとなればアドレナリンも出て痛みも和らぐだろうし何とかなるか」と楽観的に考えて、取り敢えずスタートラインには立つことにした。
私のレースの前に妻の5000米競走がある。この種目は20数名の参加者だったが、参加者は日頃からそれなりに鍛えているような人が多そうだ。号砲一発、スタートして妻は終始3番手のグループにつける。この種の大会の常で先頭を切る1~2番手は生活のほとんどを走ることに費やしているのでは、と思える程のマニアックな走りで、残りがその後を追いかける展開となる。3位の集団は1キロ5分のペースをぴったり守るうち、1人落ち2人落ちして、妻は単独3位になるが、残る一人のおばちゃんがコバンザメのようにすぐ後ろにピタリとついている。「そいつを引き離せ」との我が思いもむなしく、最後の直線で妻は力を貯めていたそのおばちゃんに抜かれ、3秒差の4位と表彰台を逃してしまった。途中でわざと大幅に減速してコバンザメを先行させ、逆に最後にまくるという手もあったとは思うが、「そうしたら目標タイムに届かない」とそうはせず最後まで自分のペースを守った妻には拍手を送りたい。このまま後ろの人が最後にスパートしたら、既に一杯いっぱいの自分は絶対に勝てないな、とわかっていたので道中精神的にも辛かったそうだ。ちなみに更衣室でかのコバンザメに 「引っ張ってくれてありがとう」とお礼を言われ、感謝されないよりは良いかと苦笑いだった。
いよいよ60歳台と、70歳台合同の3000米競走の番がくる。こちらも20数名の参加者で、スタートしてもまずは気になるのは膝の痛みとあって、ラップを考えるどころではない。ただホンの僅かなデコボコでちょっとした力が膝にかかると”ズキューン”と差し込む痛みも、起伏のないトラックでは問題なさそうだ。こわごわと膝をかばいつつ1000米を過ぎるあたりから、これは何とか完走できそうだと意識をレースに集中することとした。しかしこの半年間の練習不足はいかんともしがたく2000米過ぎるとしんどくてたまらない。足も上がらなければ息も絶え絶えで、もがきながらなんとか走る状態である。こんなに苦しいなら膝が痛くなってくれた方が、途中でリタイアする良いエクスキューズになるのに、などと不埒な考えも脳裏をかすめる。そうこうして少しづつラップタイムを落としながらも足を前に運ぶうちに、なんとかかんとかゴールできたのは幸いだった。順位は全体で6番だったが、70歳台の部では2番でゴールにたどり着いたようだ。ゴールしてまず頭に浮かんだのは、とにかく完走できて良かったとの思いだが、想定以上の順位も長い間の蓄積によるものか。
結果、昨年と同じく3000米で2位だったが、タイムは30秒も落ちてしまった。「70歳台では万年2位か。ねんりんピックの東京代表はふつう1番の人が選ばれるからまた無理だな」と思いつつ、1位の選手に「岐阜のねんりんピックは頑張って下さいね」と声を掛けると、彼は「私は今年のねんりんピックに出たので、次は出られないんですよ」(ねんりんピックマラソンの部は毎年連続では出られないルール)とのことである。これは、ひょっとして2番でも10年ぶりに代表の座がまわってくるかもしれないと密かに期待をもたせる言葉だ。とはいうものの、家に帰って妻が撮った私のレースの動画をみると、あまりのヨタヨタ走りぶりに「オレはこんなか?」と驚く。速球を誇った往年の投手が、始球式で山なりのボールを投げやっとのことでキャッチャーに届いた場面を想起させるようなカッコ悪さである。年齢は確実に走力を落とすという事実を再認識させる動画ではあったが、シニアになっても夫婦して自ら好んで苦しいことにチャレンジできるのも、走っているからでこそであろう。こんな体験も良き人生の一ページかと晩のビールで2人して完走を祝った。もっとも妻は頑張りすぎて喉や気管支を痛め、レース後も夜まで咳とくしゃみが止まらないという、陸上競技の中長距離走あるある症候群にかかって気の毒だった。走るのも楽ではない。
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