« 2024年9月 | トップページ | 2024年11月 »

2024年10月

2024年10月27日 (日)

衆議院議員選挙 自民党惨敗

20241027

いま日曜日の夜である。衆院選挙の開票速報をテレビで見つつ、自民党の大幅議席減は当然、と留飲が下がる思いで過ごしている。いわゆる「裏金」は国民を馬鹿にした問題であるが、それは表層の出来事で大したことではない。安倍政権を支持してきた岩盤保守層をことごとく裏切る政治を、岸田、石破の2人の愚相で続けた結果、2012年の第2次安倍政権スタート以来続いた国政選挙6連勝という記録がここで途絶えてしまったのである。思いおこせば党議拘束までかけて立法化したLGBT法の制定、財務省の言うままの増税・社会負担増の路線、外国人労働者の受け入れ、媚シナ・親韓(石破はさらに親北朝鮮)の諸施策、実態を国民に説明しないままバイデンのポチとしてウクライナなどへ行う巨額支援、「やるやる詐欺」に終わった憲法改正、総裁選での高市早苗つぶしなどなど、ことごとく反安倍的な政治、すなわち保守の気持ちを逆なでする政治を行った結果が今回の自民党体たらくの原因である。元来自民党支持の私も今回は選挙区は非自民候補に、比例では日本保守党に票を投じた。自民支持の30%を占めると云われる岩盤保守層を甘く見たツケは大きいと見なければならない。


さて目を米国に転じれば、大統領選挙に関して、左に急旋回中の日本のメディアは、相変わらずカマラ・ハリスとトランプの勝敗が「接戦」などと報道している。しかし選挙キャンペーンを通じてカマラ・ハリスの脳みそがまるで空っぽだという事があらためてアメリカの国民に知れ渡り、予想通りトランプが優勢になっているのが現状とのこと。日本のメディアまでが、なぜハリスを応援するのか実に不思議なのだが、常に国民の3%~5%はいるという「隠れトランプ」の存在を見れば、次の大統領はトランプでほぼ確定ということだろう。すでに米金融界では”トランプ・ラリー”と称し、トランプ氏当選を前提に、来るべきドル高や金利上昇を予想して新たな金融・投資ポジションをとる動きが始まっているそうだ。このまま彼が大統領になれば、シナからの輸入製品には60%の関税をかけると言明しており、米中の離反がますます顕著になることは間違いない。世界はシナ・ロシア・イラン・北朝鮮の枢軸国と、G7を中心とする西側先進国陣営に完全に分断されることが明らかで、インドやグローバルサウスが都度、両者の間でポジションを取り合う新「冷戦時代」になることが予想される。


今回の自民党大敗戦の結果を受けて、総理総裁は今後どうなるのだろうか。アジア版NATOの創設だとか日米地位協定の見直しなど総裁選での主張、メディア受けする言動は、跡形もなく消えてしまったことからしても、石破首相という人物は口先だけで、自らの政策を本気で推し進めようという強い意志は持っていないことが露呈した。言行不一致の石破氏に対し、私は「やはり野に置け、評論家」だと思っている。今後トランプ氏が大統領に復帰した暁には、世界の分断や貿易摩擦の問題だけでなく、我が国は安全保障の面で第一次トランプ政権時代よりはるかに難しい状況に追い込まれることは必至である。まずは米軍駐留費用(思いやり予算)の大幅な増額を要求されようが、問題はそれだけでは終わらない。台湾有事の際には日本の基地から米軍が出撃することになろうが、その際にシナは我が国を恫喝するだけでなく攻撃してくるかもしれない。そんな事態になったらどうするか?。石破首相の様に口先だけで覚悟がない首相で来るべき難局が到底乗り切れるとは思えない。万が一、カマラ・ハリスが大統領になったとしたら、台湾有事に際して覚悟なき日米トップ同士のアタマが空っぽということになり、それはそれで目も当てられない悲劇的な事態となる。(自民党政権が続くなら)惨敗した自民党は高市早苗氏を総裁に指名し直し、来るべき国難に対処すべしと、選挙速報を眺めながらひそかに彼女に期待する。

2024年10月18日 (金)

健康診断・右脚ブロック(続き)

20241018

9月12日にこのブログ(健康診断・右脚ブロック)で記したように、この7月に受けた健康診断で「要精密検査」と云われた心電図は、9月の循環器科での診断では「正常範囲」という結果となった。ただし9月の受診時には血圧が高いので1ヶ月ほど自宅で朝・晩に測り、それを記録した「血圧手帳」を持参のうえ、心臓エコー検査を念のため受けて下さいと云われていた。こうして1ヶ月強、先日はこのエコー検査の為に記録済の血圧手帳を持って再び病院を訪問した。なにせ生来の気の弱さと医者嫌いのため、病院に行くだけで脈拍は80以上に上がり、上の血圧が180から190にもなる所謂「白衣恐怖症」の身である。9月に診察を受けた際にも、女性医師がパフパフと手動で空気を入れる従来の血圧計で測ると1回目は上が160、2回目150、下も100前後とあって、「家で朝・晩毎日血圧を測れ」との彼女の指示を無視するわけにもいかなくなった。


と云うわけでこの一か月強、朝・晩、自宅の血圧計を持ち出してはカフを腕に巻くのが日課であった。この間は10日間ほどクルーズ船の旅にも出たので、船には小型の簡易血圧計を持ち込んで毎日の船上での測定。一日のうちで最も血圧が高いと云われる朝は、起き抜けでまだ目が完全には覚めきらない状態で2回、夕方はアルコールが入ると血圧が下がるので、その直前の6時半頃に2回、毎日毎日血圧を測っては平均値を記入してきた。夕方の忙しい時には都合の良い数値を適当に書いてしまおうかとも思わないではなかったが、医師の指導に逆らうほどの勇気を持ちえないわが気の小ささに苦笑しつつ、冷えた缶ビールを目の前にして血圧計のスイッチを押し続けたのであった。


その結果は、朝が上140~150・下が90~100、夕方は上は120~130・下が80であったが、とにかく血圧は年がら年中変化して捉えどころがない所がくせ者である。前夜に酒を飲みアルコールがまだ体内に残っている朝や、その日仕事が忙しい事が見込まれる朝には確実に最高血圧は150を超える。逆に昼に水泳をした日は数時間たった夕方でも上が100くらいであり、いったい何の数字を手帳に記入したらよいのか混乱するほど変化が激しい日もある。私のように自宅にいる者ならまだしも、会社員ならオフィスの手許には血圧計がないし、会議や宴会もあるから、一体どうやって毎日測定して相当程度に正しい数値を出せるのか不思議なところではある。


などと1ヶ月以上それなりに苦労して記録した手帳を持参して、30分にも亘る心臓のエコー検査を済ませ循環器科の医師の2回目の診察となった。診察台にあるエコー検査の動画画像を見ながら先生は、「この心臓右側の動きがやや遅れ気味なのが右脚ブロックですが、これはまあ大丈夫でしょう。心臓の各弁もとてもよく動いていますし、隔壁も正常です」とのコメントである。血圧手帳を一瞥した彼女は、「この数値は薬を飲むかどうかのボーダーラインです。ただ運動を良くしているようなので、当面は塩分を控え気味するなど注意して生活して下さい」「ご存じかと思いますが、血圧が130台で降圧剤を処方する医師もいますが、私はなるべく薬を使わない考えです」とのことで、次のアポイントもなしの無罪放免ということになった。健康診断から3カ月以上に亘った「心電図要精密検査」騒動も、予想通り何事もなく終わりを告げ、これからは定時に血圧を測る作業から解放された。人騒がせな健康診断ではあったが、結果オーライでほっと一息の秋の空の下である。

2024年10月13日 (日)

カブリオレの屋根を開ける候

20241013bmw

昨日の都内の気温は最高で約25℃、湿度が50~60%とあって、やっと過ごしやすい気候になってきた。今日も25℃ほどの予想とのこと。7月初めから3ヶ月に亘る猛暑も去り、ほっと一息である。この気温や湿度は東京で云えばちょうど5月終わりから6月初め頃のそれとほぼ同温・同湿になるが、同じ気候なら、私は初夏の頃よりこの季節の方が好きである。なにより毎日の日課であるジョギング(最近はウォーキングの日もある)に出る時、「これからますます気温が高くなっていく」と先を見て憂鬱になるより、「毎日寒さに向かう」と考える方が遥かに心理的負担が軽い。秋の気配が濃くなるに連れ、夏と同じ力で走っていてもスピードは自然と速くなるし、汗をかく量が減って呼吸が楽になるからである。妻はだんだん明るくなる春~初夏にかけての気候が好きらしいが、私は町の木々が徐々に色づいて落ち葉が散る風情の方により趣きを感じるのだ。


という季節になり、我がカブリオレのルーフも3カ月ぶりにオープンで走れるようになってきた。いまや車齢16年のおばあちゃんグルマとなったが、このところBMW自慢のシルキー6(直列6気筒)エンジンの吹け上りがとても気持ちよい。決してとばしたりはしないのだが、都内の道路でも時速20キロから60キロくらいまでの加速は、ツインターボの効果もあってアクセルコントロールが楽しい。ところで、これに乗っていると新たな出会いがあるものだ。今朝はマンションのガレージでルーフを開け出発しようとスイッチをオンしたところ、すぐ脇のクルマに乗り込もうとしていた小学校低学年の男の子が、「あ、屋根があく」と興味深くこちらを見ているではないか。じっと凝視される手前、ニコニコと彼に笑顔を向ければ、若いお父さん、お母さんがクルマから降りて手を振って挨拶してくれる。こうなると彼らとは今後エレベーターで会っても話を交わすことになるだろう。住人同士、普段あまりコミュケーションをとる機会がないマンションでも、このようにクルマを媒介として顔見知りができることもある。


その後、ルーフを開けて一人皇居近くを流していると、すぐ後ろから新しいBMWセダン(320)がピタリとついてくるのに気が付いた。なにか文句でもあるのかと注意していると、赤信号で停止した私の真横の車線にそのBMWがピタリと停まり、同じような年齢のドライバーが窓を開けて話しかけてきた。どうやら「クルマの調子はどうですか?」と彼はしゃべっているらしい。「以前、同じクルマに乗っていたんだけど、ルーフの故障などしませんでした?」と語りかけてくるので、「一回調子が悪くなって部品を代えたらエラク高くて参りましたよ」と答えると、「私も同じで、それは保険で直しました」などと交差点での会話が弾む。彼は「今乗っているこのクルマはディーラーの代車で、BMWアルピナの納車待ちなんですよ」と、どうやらきわめて高価な新車を待つワクワク感をカブリオレ仲間に話したくてたまらないようだ。「それは素敵ですね。早く納車されると良いですね」と共感しつつ、「最近のBMWのキドニーグリルは大きくなりすぎですよね」などと短い信号待ちの時間でも話は弾む。そうこうするうちに信号が変わって発進したが、その後はお茶の水付近まで2キロほど並走し、最後はお互いに手を振りつつ道を右と左に分かれた。都心の道路で見ず知らず同士でも、こんな出会いがあるのもカブリオレならではである。別れ際、彼が放った「オープンエアドライブ、楽しんで下さいね!」の挨拶が心地良かった。

2024年10月 9日 (水)

飛鳥Ⅱ 秋の3航海乗船記 (番外編)

20241009

因島大橋をくぐって航海は続く

「飛鳥Ⅱ」の少し長めのクルーズに乗ると、いつも乗船している本船お馴染みの乗客の方々を見かける。彼らのなかには「旅行社には1週間以上のクルーズは全部押さえておいてと頼んでいるよ。キャンセルならいつでもできるから」という猛者もいれば、常時スイートを利用して「飛鳥Ⅱ」にとっては上得意のシニアもいる。しかしふと気が付くと、これら常連さんの中には最近見なくなった顔もある。「そう云えば、あの方は最近どうしているか知ってる?」と物知りの船友に尋ねると、「Aさんは病気で船に乗るどころではないようだ」、「ダンスの上手だったBさんも身体が不自由になって大変らしい」とか「Cさんはガンの手術をしたばかり」などとの話である。いつもキレイに化粧し一人で乗船していた女性が、この1年の間に亡くなったと聞くと、元気だったその笑顔を思い出し、もう彼女と船上では会えぬのかと不思議な気持ちになる。


こういう話を聞くにつけ、長期のクルーズに乗船するということは、まず健康に問題ないことが必須条件であることを改めて実感する。さらに身近に介護が必要な人がいないとか、自分の会社が倒産しそうなどという社会的問題がないことも必要だ。2011年に初めて世界一周クルーズに出た際には、ソマリア沖の海賊問題で航路が変わった上に、出発3週間前に東日本大震災があった。この時は「飛鳥Ⅱ」は通常の約款を変えて、出発直前でも乗客のキャンセルに対して無条件で全額料金を返却したが、天変地異や大きな事件がおきないことも長期クルーズ実現には欠かせない要件である。また新たな感染症の蔓延がない事やウクライナ、中東の戦乱が世界的規模に拡大しないことが、言うまでもなくクルーズの安全な催行のために求められる。シナの台湾進攻が近いと最近よく云われるが、目先でそのような事態が起これば日本近海でのクルーズ事業は多大な影響を受けることになるだろう。


などと考えると仮に金銭的に余裕があったとしても、退職したシニア世代が、長期に亘るクルーズ船の旅に出るというのはなかなかハードルが高いことになる。あらためてわが身を振り返れば、きわめて幸いにも今は大きな障害はなさそうだ。今回の10泊中には偶然にもグリーンフラッシュを見ることが出来たし、上げ膳、据え膳、露天風呂の毎日という波枕で、下船してみると又すぐに海の上が恋しくなってきた。我々には第二の我が家のように感じる飛鳥Ⅱも老齢船となっていつまで現役でいるのか分からないし、来年就航する飛鳥Ⅲは乗客一人一泊当たりの単価が1.5倍以上になるとのこと。飛鳥Ⅲは主に富裕層とインバウンド客を対象にしているそうなので、そうなると飛鳥Ⅲで長期クルーズに出ることは難しくなりそうだ。あれこれ考えると、思い切って2025年の「飛鳥Ⅱ」世界一周クルーズに行ってしまうかとの気持ちが益々強くなった。人生は楽しめるうちに楽しんでおかないと、これから先も何が起こるかわからないと理由づけを自分にして。


露天風呂から眼前を流れゆく夕陽の多島美を眺める至福
20241009_20241009134201

2024年10月 7日 (月)

飛鳥Ⅱ 秋の3航海乗船記 (4) 「爽秋の神戸着発、瀬戸内 九州・松山クルーズ」 瀬戸内海 と「秋の神戸・横浜クルーズ」(完)

20241007_20241007211402
今回持参した「クルージングマップ瀬戸内海」をビスタラウンジで広げ、日がな瀬戸内海の航海を楽しむ

「飛鳥Ⅱ」は松山港の岸壁で一泊し、翌朝は瀬戸内海の昼の終日航海に出港した。松山港を出た直後には、エンタメクルーによる「瀬戸内ホッピング」なる航路紹介の催しがハリウッドシアターで開かれ、これからの一日、どのような風景が眼前に広がるか期待を高めてくれた。以前、2021年秋の飛鳥Ⅱ 「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」乗船の際には、船長の航路解説が少ないのが不満だとここで述べたとおりだが、乗船アンケートにも記したその声が届いたのか 「瀬戸内ホッピング」は航行する瀬戸内海の見どころ、特に通過する橋梁を中心に、やや稚拙ながらもコンパクトにポイントを纏めた好企画だった。


と云っても我々には瀬戸内海は、これまで幾度となく訪れた馴染みの地域である。多くの乗客の興味は因島大橋、本四架橋、明石海峡大橋の通過にあったようだが、それだけでなく、我が国有数の工業地帯であるこの地域の重要性や海上交通の実際などは人々の重大な関心事に違いない。その証拠に船の最前部であるビスタラウンジ前デッキでは、終日かなりの数の乗客が、次々と周囲に展開する造船所や工場の風景を語りあっていた。いつもこの種クルーズ乗船の際には、通過する橋だけでなく瀬戸内各地に点在する寺社仏閣、村上水軍などの存在、北前船の寄港地、いかなご漁の実際や工業コンビナートの活動など、この海にまつわる多彩な歴史・地誌をもっと詳しく案内するサービスがあったら良いのにと思っている。この点で印象深いのは2022年5月「にっぽん丸の『門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ』」で経験した、クルーズディレクターによる詳細な沿岸の説明であった。クルーズは大人の校外学習の場でもある。今後「飛鳥Ⅱ」も「にっぽん丸」のような解説サービスを是非検討してもらいたい。


さてクルーズと云えばダンスとなる。西洋かぶれとのそしりは受けようとも、ふだん陸上では味わえない非日常を船上で楽しむのもクルーズの愉しみである。今回のような短いクルーズでも、人気の「社交ダンス教室」は午前と午後2回、毎日のように開かれたが、いつも女性の参加者が多く男性が少ないのが悩みの種。ということで「社交ダンス教室」には、妻を差し置き、先生のお手伝いも兼ね、私一人で参加する日が多かった。自分としては初心に返り、ステップ再確認の気持ちもある。そしてクルーズ中の晩は食後の運動も兼ね、妻と二人でほぼ毎日ダンス会場に繰り出した。


船上ではCDと違い生演奏、それもバンドによって演奏の時間や音楽の種類、テンポなどが異なっており、それがダンス上達のためには役立つ気がする。他のカップルたちの間を縫って踊るのも、レッスンだけでは味わえない試練である。かつてはよそのご婦人と組んだり、女性の先生と踊ったりするのが気恥ずかしくてなかなか出来なかったのだが、苦節ウン年、最近はようやく他人と踊る度胸もついてきた。妻と組むと、本当はルール違反の「ここでキック」「あの回るヤツ」など「言葉のリード」でごまかすこともあるのだが、知らない女性とはそうはいかず、分かり易くリードするコツも学ばねばならない。それにしてもサンバなど人があまり参加しない種目で、他人の視線を浴びるのが誇らしげに感じるとは、いったい何という我が心境の変化だろうか。かつては 「あんなもの誰がやるものか!」と嘘ぶいていた社交ダンスだが、人は変われば変わるもので、これもクルーズの成果の一つである。


3航海連続乗船の最後は、神戸発横浜着2泊の片道クルーズであった。予想どおりクラブツーリズムなど旅行社主催による”豪華客船と箱根宿泊プラン”のような片道グループ客が多数乗船した他、60名と30名の大口団体客も乗り合わせることになった。この航海も800名ほどの船客のうち、80%以上が初乗船との事である。セイルアウエイでデッキ上にてバンド(ナマナ)の前で定番のお約束のダンスを好き者有志で踊っていると、今回も例によって動物園で珍しいものでも見るかのように遠巻きにスマホを多数向けられた。初乗船客が多い時は 「一緒にやりましょうよ」と彼らに呼びかけてもなかなか輪に加わってくれず、スマホの被写体になるばかりなのだが、旅の恥はかき捨てとあって、楽しんでナンボ、金を払った分は自ら大いに踊ってエンジョイしなければ損である。


その60名の団体は、美容師の組合だそうで若い人たちが多く、2回目の夕食ではフォーシーズンダイニングの中央部を陣取り、夜おそくまでアルコールの注文がひっきりなしと云う盛りあがりであった。「飛鳥Ⅱ」というよりは「伊東のハトヤ」か「熱海の後楽園」の宴会場か、というノリで 「うるさくて閉口した」という友人もいたが、私はこういう盛り上がりもたまには良いものだと賑わいを楽しんでいた。飛鳥クルーズも来年には飛鳥Ⅲが就航し、飛鳥Ⅱと2隻体制になる。2隻でどのような違いを打ち出し集客を展開するのか、佐伯の体験型ツアーやこの美容師団体の乗船など、船側の様々な試みを垣間見た3航海連続乗船の旅であった。

橋の下をくぐるだけでなく点在する造船所などを見るのも瀬戸内航行の楽しみ・今治造船広島工場(旧幸陽ドック)
20241007

「秋の横浜・神戸クルーズ」で飛鳥Ⅱの神戸港出港をアシストしたのは2014年「働くタグボートの世界:神戸”布引丸”」で乗船した布引丸だったのは奇遇
20241007_20241007211401

2024年10月 6日 (日)

飛鳥Ⅱ 3航海乗船記 (3) 大洲観光と貸切観光列車 『伊予灘ものがたり』

20241006_20241006123001
大洲の名所 臥竜山荘より肱川を臨む

3連続乗船の2航海目、その第4日目に飛鳥Ⅱは四国・愛媛の松山港に入港である。松山では 「 『伊予の小京都』大洲観光と貸切観光列車『伊予灘ものがたり』(軽食付)」の寄港地観光ツアーに参加した。かねてよりJR四国の観光列車 「伊予灘ものがたり」に乗り、海の彼方に沈む夕陽を見る駅、下灘駅を訪れたいと思っていたから、飛鳥Ⅱからこのツアーが出るとはもっけの幸いだ。その上、かつての城下町のおもむきを色濃く残し、最近は旅行会社のパンフレットなどでも紹介される大洲の町の見学まであるので、迷わずこのツアー参加を決めたものである。以前「"さんふらわあ きりしま”昼の瀬戸内感動クルーズ」で宮崎県の飫肥城を訪ねたように、個人ではなかなか訪れる機会のない隠れた名所に連れて行ってくれるのが、船による寄港地発のツアーの楽しみである。下船して貨切バスで一時間、その大洲の町を案内してくれた地元ガイドさんは、なんと本職が現役の市会議員であった。彼の口から語られる地元愛に溢れる解説で、町の名所や歴史だけでなく、財政や防災の話なども触れることができ、地方行政の一端を垣間見るような印象深い見学であった。


大洲観光を済ませ、いよいよ予讃線の八幡浜駅から松山駅行 16時14分発の観光列車「伊予灘物語」に乗車である。この列車はふつうは週末のみの限定運転なのだが、この日は日曜日にも関わらず、飛鳥Ⅱ貸し切り専用列車となって一般への切符販売は行われていなかった。ツアーの参加者は約50名で、JR四国の営業社員が飛鳥Ⅱを降りる時から貸し切りバスに同乗し、クルーズと列車のコラボに力を入れている現況を説明してくれた。「(JR九州のようには金のかけられないJR四国としては)水戸岡鋭治さんの内装という訳にはいかないが、社員が知恵を出し合って作った列車です」とはバス車内でのJR営業マン氏の話である。八幡浜駅に入線した「伊予灘ものがたり」専用列車は、キハ185形を改造した3両編成車両で、外観は夕陽に映えるような黄色に赤色系塗装が施されている。内装も観光列車として十分に改装・整備されており、個人的にはこれでもかとの木目調で凝った水戸岡デザインより好感が持てるものだった。


もともと「伊予灘ものがたり」は、この種の観光列車に多いキハ47形の改造車が充てられていたが、2022年より特急用の車両だったキハ185形に置き換えられている。枕バネがコイルだったキハ47に代わり空気バネになって乗り心地が改善された上、電源が大幅に強化されて使いやすくなったことをJR営業マン氏は説明する。八幡浜を出発して間もなく車内で出されたサンドイッチやスイーツなどのアフターヌーンティーを楽しむうち、ほどなく列車は予讃線の海岸廻りの線路に踏み入れる。予讃線の大洲駅-向原駅間は短絡ルートである内陸の内子線を優等列車はじめ多くの列車が利用するため、私としても海辺を走る本線列車へ乗るのは初めての経験だ。例によって各駅では地元の熱心なお出迎えが続くなか、ハイライトの下灘駅ではホームに出てゆっくりと夕陽を眺める時間がとられる。下灘駅では雲が多かったが、伊予灘に差し込む夕陽を楽しんで2時間余り、「伊予灘ものがたり」は、正にこの日に高架化されて賑う新しい松山駅のホームに滑り込んだ。クルーズ船に乗船すると、普段はなかなか実行できない旅が実に容易に味わえて良いものである。(続く)

20241006
伊予灘ものがたり キロ185

20241006_20241006123002
下灘駅から夕陽を見る

2024年10月 4日 (金)

飛鳥Ⅱ 秋の3航海乗船記 (2) 爽秋の神戸着発、瀬戸内 九州・松山クルーズ

20241004_20241004124801
摩耶山から飛鳥Ⅱを望む

20241004
ご飯が見えない豪華なローストビーフ丼

3航海連続乗船の今回のクルーズ旅行は晴天続きで、秋というのに台風も来ず、海も凪いで絶好の航海日和に恵まれた。最初の2泊、「秋の横浜・神戸クルーズ」の旅行会社による企画旅行に参加する大勢の乗客は、神戸に到着した日の朝に下船した。その日の夕方の出港までは何をしても良いのだが、船内に残る40名ほどの乗り継ぎ客には、昼食としてダイニングでローストビーフ丼が用意された。このどんぶりは、これまでの人生の中で経験したうち最も量の多いローストビーフがテンコ盛に載せられたもので、テーブルを前に妻と共にしばしその豪華さに感激していた。思い返せば2023年6月に「にっぽん丸」に連続乗船した際に那覇港に於いて、乗り継ぎ客には朝9時から午後3時まで、食事はおろかコーヒー一杯のサービスもしないと云われてひどく閉口したことがあったが、「飛鳥Ⅱ」ではこれとはまったく対照的なサービスである。「にっぽん丸」には組合との協約やら就業規則の縛りなどいろいろ問題はあるのだろうが、同じ日本船でも「飛鳥Ⅱ」のサービスはやはり秀逸だと評価したい。食いものの恨みは怖ろしいのである。リンク:にっぽん丸「横浜/奄美/那覇クルーズ」3泊+「飛んでクルーズ沖縄Aコース~与那国島・西表島~」3泊 連続乗船 (2023年6月25日)

 

昼食を摂り、神戸では市バスと阪急電車を利用しケーブルカーとロープウエイで60年ぶりに摩耶山に。この日も神戸の町は30度を超える暑さだったが、秋の気配漂う山上から遥か眼下の「飛鳥Ⅱ」を展望し、イベントもなくゆったりと時間が過ごせる乗り継ぎの良さを味わうことができた。神戸港からは主に西日本からの客を乗せて、飛鳥Ⅱは6泊の「爽秋の神戸着発、瀬戸内 九州・松山クルーズ」に向かう。2航海目も700名以上乗船の満船状態で、コロナ後の旅行需要の盛り上がりを感じさせる賑やかな船内の雰囲気となった。乗り継ぎと云えば、夕食のメニューは原則として前の航海と同じパターンのものが繰り替えされるため、乗り継ぎ客には「トランジットメニュー」と称しアペタイザーなどの一部が変更になった特別メニューが供される。食事はこれで良いのだが、定番ビンゴゲームも、航海ごとに10日間で3回開催されることになる。妻は2人で行かなければビンゴのボードも2枚もらえないと、毎回「もう飽きた」といやがる私を急き立てるのでこれもとうとう3回皆勤となってしまった。自分用のボードは妻に渡して読書しながら一応黙って座っているうち、末等の方のチョコレートが一回当たり、彼女は「ね、参加しなければ何もない、参加すれば少なくともチャンスがあるものよ」と嬉しそうである。


2航海目の「爽秋の神戸着発、瀬戸内 九州・松山クルーズ」は鹿児島、佐伯、松山と3港に寄港し、最終日は「飛鳥Ⅱ」お得意、三原瀬戸経由で瀬戸内海の多島美をゆっくりと味わって神戸に帰る6泊の旅程である。まず神戸から四国沖をまる一日走る航海日をはさんで、最初の寄港地・鹿児島では、自分たちで、桜島フエリーに乗って桜島港を訪れることにした。ここ桜島はまだまだ青年期の活火山とあって、元気に噴煙を上げ爆発を繰り返す山の様子をビジターセンターで勉強することができる。博物館などこういう施設にツアーで来ると、集合時間が早すぎてゆっくりと解説や映写を見ることができない場合が多いが、桜島は鹿児島の中心からフェリーで10分とあって気軽に自分たちで訪れることができるのが便利だ。その後はフェリーで鹿児島へ戻り、薩摩藩藩主・島津氏の別邸だった仙巌園を見物した。ここは庭園も立派だが、何と言っても目を見張るのは幕末から明治にかけてこの地に、鉄をつくる反射炉や紡績工場、水力発電などの設備を島津氏が興したことだ。折しも東京では自民党党首選とあって、幕末の志士や当時の指導者にくらべ、今の政治家や実業家の志の低さにしばし暗澹とさせられる気分になってきた。


翌日の佐伯港はクルーズ船の初入港とのことで、町を挙げての大歓迎が印象的であった。佐伯にはかつて仕事で何回か来たことがあったので、今回は 「 フェリーで渡って大入島サイクリング」 というちょっと変わった趣向の寄港地ツアーに参加することに。事前の案内によるとこのエクスカーションは「 健脚向け 」とはあるが、飛鳥Ⅱの 「健脚 」は普通なら「一般」か 「らくらく」の部類なので、そのつもりで参加するとこれがどうしてどうしてハード。佐伯湾内にある大入島という島内の道路10キロ余りを電動自転車で回るツアーで、元気なガイドを先頭に時速15キロ~20キロで突っ走る本物の「健脚」コースであった。私や妻はエクササイズも兼ねて電動アシストは使わなかったため、結構な運動になったのである。途中、地元食堂でのアジフライや「 漬け」(この辺りでは「りゅうきゅう」と呼ぶらしい)の昼定食、島のおばちゃん指導の草木染の体験もあり、6時間にも亘るローカル色満点、かつ極めてリーズナブルな料金設定の楽しいツアーであった。名所・旧跡を巡るいわゆる観光とは大違いだが、地元の勧めもあって飛鳥Ⅱとしては初めてこの種の体力型体験イベントを催行したとのことで 時代に合わせて少しづつクルーズの中身も変わっていることを実感するエクスカーションであった。(続く)

仙巌園から桜島を臨む
20241004_20241004124802

飛鳥Ⅱ初の体験型健脚イベント大入島サイクリング
20241004_20241004124803

 

« 2024年9月 | トップページ | 2024年11月 »

フォト
2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ