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2023年12月 4日 (月)

そうだ、京都へ行こう ! 琵琶湖疎水とインクライン。

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京都東山・蹴上(けあげ)付近の琵琶湖疎水

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インクライン: 蹴上から鉄製台車に乗って小舟は京都市内の水路に運ばれた


日本で鉄道が開業したのはよく知られるように、明治5年(1972年)で、場所は新橋・横浜間である。それでは初めて電車が走ったのはどこで、いつであったか。こちらは明治28年(1895年)のことで、京都の伏見と京都駅前を結ぶ路線(路面電車)が日本初の営業用電車として京都電気鉄道(のち京都市電に買収される)によって開業している。京都はわが国の電車発祥の地である。なぜ電車が走り始めたのが、首都・東京でも商都・大阪でもなく京都だったのだろうか。その疑問を解く鍵が琵琶湖疎水にあった。今回、京都の旅にあたり、せっかく京阪京津線と京都地下鉄に乗車するなら、この路線の途中駅、蹴上(けあげ)駅近くにある、明治時代の産業遺構、琵琶湖疎水やインクラインを見ようと思い立った。


琵琶湖疎水とは、第三代の京都府知事であった北垣国道によって進められた、琵琶湖と京都市内を結ぶ運河である。明治維新の後、東京遷都によって、京都は産業が衰退し人口も大きく減ってしまったが、北垣は町の再生を期して琵琶湖から京都市内へ運河を掘ることとし、工部大学校(のち東大工学部)の若き才能 田邊朔郎を迎え、莫大な工事費をかけて、明治18年(1895年)に疎水を造る工事に着手した。途中、京都市東部の蹴上付近では、急坂のために水路が開設できないので水の流れの傍らに長さ600米ほど、急傾斜に線路を敷き、運河を行き来する舟艇は線路上の台車に乗せ、巻き上げ機(当初は水力で計画、のち電力を使用)を動力にここを上下する設備を作った(京都市内は別の水路を利用)。米語ではケーブル鉄道のことをインクラインと云うが、運河開削の責任者であった田邊朔郎はアメリカの土木技術から多くを学んだそうで、この耳慣れぬ用語を小舟運搬の仕掛けにあてはめたのだろう。


東京にいるとピンとこないが、琵琶港の標準水位は国交省などの資料を見ると標高約84米ほどに対し、京都市内の標高と云えば京都駅近辺で27米ほどである。琵琶湖湖畔の大津から京都市内まで直線距離にして10キロにも満たない2地点の標高差が50米以上もあるため、まっすぐ直接水を流せばその流れはかなりの急流になることだろう。ちなみに江戸時代前期に開通した多摩川上水(多摩川羽村~四谷)は長さ43キロで高低差が92米であるから、距離が10キロなら20米ほどの高低差であり、これを見ても琵琶湖・京都間にそのまま水路を作れば、かなりの急勾配にならざるを得ないことが分かる。琵琶湖疎水は灌漑用や上水道、工場用水、水力発電に利用されたほか、貨物や旅客を運ぶための小舟を通行させるのが主な用途であったから、それなりの流水量が必要であり、また手漕ぎの小舟が上下するためには穏やかな流れである必要があったはずだ。このような用途のために大津・京都間の逢坂山は長いトンネルを掘削して水を通し、勾配は一定以下にする必要から舟運用の水路は琵琶湖から標高差があまりない京都の東山までとし、そこに堰を設け、以西はインクラインに舟を乗せて京都市内の水路に連絡することにしたと思われる。これはまた灌漑用になるべく高い土地に水を流す目的もあったそうだ。


こうして琵琶湖の大津にある取水口からインクラインまで8キロ余り、水位差が4米、勾配は2000分の1の穏やかな流れが完成したが、正確な測量を行ったうえ、重機械もない明治初期に長いトンネルを掘って、運河を開削したのは大変な工事であったろうと設計者や現場の労苦が偲ばれる。東海道本線や北陸本線が開通するまでは、琵琶湖の舟運といえば日本海側や関ケ原以東の各地と京都や大阪など関西圏を結ぶ物流や人流のハイウエイであった。琵琶湖の対岸から集まった全国からの貨物や旅人を京都に運ぶために、幾多の困難を乗り越えて北垣国道が運河を開くことを決意したことは明治人の心意気を見るようだ。こうして疎水は明治23年(1890年)に完成(その後明治45年(1912年)に第2疎水完成)、翌明治24年(1891年)に日本最初の一般供給用水力発電所がここ蹴上の地で稼働し、京都の町に電気が送られることになった。京都の町は全国でもいち早く電力の恩恵に預かることになり、発電所稼働後4年にして日本で初めての電車がこの地で動くことになったのである。琵琶湖疎水の構築が、京都に於いて我が国初の電車の運転に繋がったわけで、北垣国道もさぞや喜んだことであろう。蹴上駅で地下鉄を降りた時は最寄の南禅寺を参拝しようと考えていたが、入場無料の疎水記念館をゆっくり見学しているうち時間がなくなり、南禅寺は次にまた来ようということになってしまった。どうも寺社仏閣より、産業遺構の方に我々は興味があるようだ。

インクラインの線路は急勾配を京都市内へ向かい下の水路まで下る
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南禅寺奥の院前の水道橋(水路閣):琵琶湖疎水を来た舟はインクラインへ、水の流れは発電所や浄水場へ導管で導かれるほか、この水道橋などを伝って下に流れる。
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コメント

バルクキャリアー様
京都が電車発祥の地だったとは初耳で勉強になります。南禅寺から哲学の道への散策コースはお気に入りで先月も妻と蹴上駅で降りました。線路跡でいつも観光客がレンタル和装を着飾りインスタ映えスポットなのかと思っていましたが、まさかそれが明治人の「気概と知力」を振り絞った産業遺構だっとは、、、、。
今回の琵琶湖疎水からのブログ内容は、鉄道知識を遙かに超えた「総合的学問学術」領域ですね。改めてバルクキャリアー様の考察力、造詣の深さに感服した次第であります。次回蹴上駅で降りた際は「わが国が誇れる」産業遺構を堪能したいと思います。

さて、昨日は早明戦100周年ということで国立競技場現地観戦しました。後半20分まで41対3と明治の一方的展開にやや興ざめでしたが、そこらから早稲田が根性の5トライ8点差まで詰め寄りこれぞ「伝統の早明戦」やと十二分に堪能出来ました。試合後のユーミン「ノーサイド」が流れるまで国立競技場で佇みましたが、バルクキャリアー様が仰る通り「生涯に亘って応援する対象が身近にあるというのは幸せなことだ」と感慨にふけ神宮外苑を後にしたのでした。これでまた飲む口実が増えました(笑)

M・Yさま

インクラインの線路は着物姿のインスタ映えスポットのようですね。京都は着物姿が多い上に、最近はレンタル着物を着た外国人が多いことに驚きました。すっかり感染騒動前の京都に戻ったようで、平日というのにどこも凄い人出でした。

京都往復に利用した「大人の休日倶楽部」では「のぞみ」に乗れませんが、乗車した「ひかり」の座席周囲は同類の爺さん、婆さんと、外国人用パスの旅行者ばかりでした。最近、都内のビアホールに行くと、昼間は我々のようなサラリーマンOBらしきテーブルが目立ちます。せいぜい老人は消費して世の中に貢献したいものです。

明治の勝利おめでとうございます。前半からゴリゴリ得点を重ねても、時間の経過とともにすばしこく動き回る早稲田に一発で抜かれて悔しい思いをするのは早慶戦でも毎度見るシーンです。今回の早明戦も後半一時ひやっとしましたが、よく明治は勝ち切りました。これからの大学選手権が楽しみです。

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