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2023年12月

2023年12月31日 (日)

あれから50年 第100回箱根駅伝

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第50回箱根駅伝のパンフレットと当日繋いだ母校のタスキ(小さい赤いリボンが選手章)


東京箱根間大学駅伝競走が第100回を迎えるとあって、主催の読売新聞社や完全中継を担う日本テレビ網の、大会に関連した事前報道が例年に増して賑やかだ。読売新聞は連日のように紙面の多くを駅伝に割いているが、昨日は日本テレビ局系列によって夕方のゴールデンタイムに「箱根駅伝伝説のシーン 表と裏3時間SP」なる特集番組が放送されていたので、過去の大会の懐かしい場面を居間でゆっくりと眺めることができた。そういえば私が第50回の記念大会に出場してからちょうど50年経ったことになる。50年前のあの時は母校が3年ぶりの出場とあって、多くの関係者とともに箱根駅伝黎明期の大先輩たちも多数応援や激励に駆けつけてくれたが、今の私はその大先輩たちの年齢をとっくに過ぎてしまったことにただただ驚くばかりである。時の流れはなんと早いことだろう。


報道ラッシュを見るにつけ、かつて関東学連の一レースに過ぎなかった箱根駅伝が、いまや正月の風物詩になるほど隆盛を極めているさまに隔世の感を禁じ得ない。私が走った当時は、箱根駅伝の中継と云えばNHKのラジオ放送だけとあって、後日学校に行くと同級生のうちただ一人が「(映画の前に流れる)読売新聞ニュースにオマエの姿が出てたぞ」と教えてくれた程度であり、ほとんどはクラスメートの箱根駅伝出場など気にも留めない時代であった。両親も大手町のゴールにこそ顔を見せたが、私が走った区間には応援に来なかった。それが当時の普通であった。ところがどうだろう、最近会社のOB会に久しぶりに顔を出すと、「君は箱根走ったんだよな、そんな人と机を並べてたのか」などと、これまで聞いたことのない挨拶をされ、却ってこちらが面映ゆくなるほどだ。


「そんなんじゃないんですよ。あの頃の下位を走った学校は20キロ以上走る選手を10人そろえるのがやっとで、そのチームの中で私は8番目か9番目の記録だったから今の高校生の記録にも劣ります」と答えるのだが、サラリーマン現役時代にはついぞ聞いたことのない挨拶をされると、最近のテレビが報じる大会の盛り上がりによって、元同僚らの記憶が、私が凄いことを成したかのように置き換えられたのかと苦笑する。たしかに全国的に人気あるアマチュア競技といえば、いまや高校生の春夏の甲子園大会と大学生の箱根駅伝となるが、甲子園は春夏合計で80校余校が出場しグラウンドに立てる選手が延べ1,000人ほどに対し、箱根駅伝は(年によってやや異なるが)参加校が約20校×10区なので一年で200人ほどしか出場できない。それを考えると、自分のようなランナーが歴史の1頁を穢すことができたのはなんとラッキーだったかと、ただただ学校の伝統や周囲のサポートに感謝するのみである。


思い起こせば50年前の今日12月31日は大会前最後の全体練習、元旦は日吉のグランドで各自調整ジョッグ。1月2日は監督や往路の選手、付き添いがレースに参加している中、一人軽いジョッグをして昼からマネジャーのクルマで箱根山中の旅館に向かったが、あの数日間がつい昨日のことのようだ。だが50年の歳月が経過する中で監督・コーチはすでに亡くなり、一緒に走った10人のうち2人は鬼籍入り、1人は途中退部して行方知れずとなり、いま後輩の試合やOB会に顔を出すのは僅かになってしまった。一方で現役大学生の後輩達は私たちの何倍もの努力をして、少し前なら予選会を十分突破できる実力を培っているが、なにしろ箱根駅伝は今や全国的一大イベントとなり、学校法人のプロモーションの場と化している。助っ人で日本語を話せないアフリカ人選手が走るのが当たり前の現状からすると、後輩たちの走る姿を見ることはしばらく叶いそうにないと寂しい。かつて大先輩たちから箱根の宿で「やあやあ、明日は頑張れよ」などと声を掛けられたことを思い出す度に、生きている間にそういう風に後輩に声をかける新春が来ないかと心待ちにするこの頃である。

2023年12月30日 (土)

行く年 来る年

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2023年、令和5年も間もなく終了する。振り返ると今年は総じて良い一年であったと云える。体調の面では奥歯の一本が欠けたくらいで(歯医者は老化とのこと)、ほかに予期せぬ不具合はなかったし、車齢15才になる我がBMWの直列6気筒ツインターボエンジンも益々快調である。70歳代になっても細々ではあるが自営業者として、古巣の海運業界との繋がりをキープできるのは望外の喜びだと感謝する。毎月のように出かけた国内旅行は14回、その旅行日は45日を数え、改めて様々な知見を得られた一年でもあった。定年で暇になった旧友たちとも盃を交わす機会、それも昼酒がとみに増えたのが最近の特徴。スポーツでは60年に亘って応援してきた慶応の野球が、高校は夏の甲子園大会優勝、大学は秋季東京六大学野球リーグの制覇に続き、その後の明治神宮大会で日本一に輝いたとあって、これ以上ないほど楽しませてもらった。妻と習う社交ダンスも、「うまくなっています」と毎回先生がおだててくれるのがちょっと嬉しい。ジョギングに関しては、さすがに毎月200キロ以上の距離を走ると膝や脛などに痛みや疲れを感じる日は増えて来た。それでも走った後、ビールを口にするたびに「至福」という言葉が浮かんでくる日々である。


信条的には齢をとるにつけ、保守頑迷になっていることを自覚している。昨今の風潮である、言葉尻を捕まえては「差別!」「問題発言!」などと糾弾する「言葉狩り」や、「巧言令色少なし仁」を地で行くかのやたらと「させていただきます」的なへり下る言葉遣い、何かと云えば「ハラスメント」と声高に叫んで事の本質を糊塗する人権ビジネス、はたまたCO2削減やSDGSやらと新たな利権が跋扈する世の動きにはうんざりし、新聞やテレビなどでこれらの報道に接するたびに 「ポリコレなんか糞くらえ」と罵る言葉がつい口に出てしまう。「ちびくろサンボ」の絵本が絶版騒動になったり、ディズニーの多くの名作映画が「差別」だと批難される現象はやはり異常である。もっともポリコレ疲れは世界的な傾向と見え、「人道的」見地から移民を受け入れ、脱二酸化炭素を進めるEU諸国では次々といわゆる極右政党( と呼ばれているが本当のところはただの右派とも考えられ、日本で云う極右に該当するかどうかは不明 )が大きく勢力を伸ばしているし、来年11月のアメリカの大統領選挙もトランプ氏の復権が取り沙汰されている。来たる年は「多様化」やら「多文化共生」「人道」、はたまた「差別反対」「人権重視」やら「地球温暖化対策」と称する、共産主義者から転じた ”グローバリスト"たちが好んで唱えるプロパガンダとはサヨナラする動き、すなわち世界的な右傾化がより隆盛になることを願っている。
 

私は、今年自民党がLGBT理解促進法を強引に法制化したことに大いに憤り、永年応援してきた同党の支持を止め、日本保守党の党員登録をしたのはすでに何度も記した通りである (リンク10月3日 日本保守党(百田新党)に入党(新規会員登録))。ここに来て天罰が下ったかの如くパーティ券裏金問題でガタガタの自民党は、やはりいま一度解党的な敗北を喫したらよいと思っている。なんとこの裏金は、地方では選挙の度に票取り纏めのために飛び交っているとのことで、我々のような都会の普通の選挙民には想像もできない構図がローカルの日常であることを改めて思い知らされた。また国会議員の公設秘書が3人でも足りず政治には金がかかるので裏金が必要とされているが、もしそうなら、そのような体制は根本から変えねばならぬ時期に来ているはずだ。ただ来るべき衆院選で自民党が大敗するのはよしとして、その後がサヨクリベラルに侵食されない為に、続く真に保守陣営の政党として適当なのはどこなのか? 参政党が内紛でゴタゴタする中、ここは「保守党」に期待するところ大だと私は考えている。シナ、朝鮮、ロシアという、世界でも有数の「ならず者国家群」に囲まれているのが日本列島である。「話し合いで解決を」などというお花畑思考は、ロシアのウクライナ侵攻やハマスのイスラエル攻撃で、まったくの「寝言」であることが改めて良くわかったこの1~2年だ。いまこそごく少数のノイジーマイノリティーや、それに寄生する公金チューチュー団体への支援をやめ、速やかに憲法を改正し防衛力を高めると共に、納税者たるサイレントマジョリティを大事にする政治、ナショナリズムや伝統に即した現実的な政治が為されることを来年は期待したい。

2023年12月26日 (火)

関西鉄道の旅 第2弾(2)近鉄特急「ひのとり」

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近鉄難波駅の「ひのとり」

大阪の味、串カツを堪能した翌日は近鉄特急「ひのとり」で帰京である。と云ってもせっかく運賃をかけて来阪し、すぐに戻るにはあまりにも勿体ない。毎時00分に発車する「ひのとり」の乗車は午後とし、午前中は大阪市の南部にある住吉神社にお参りに行くことにする。これならついでに南海電車と阪堺電車に乗車もできる。ここ住吉神社は全国に2300社ある住吉神社の総本山であり、古代より航海の守護神として崇敬を集めた神社である。古くは難波の津から遣唐使が出発し、江戸時代には北前船の起点・終点となった地ならではの社で、きっと昔は眼前に瀬戸内海が広がっていただろうと想像を廻らしながらの参拝であった。帰路に鳥居の目の前にある電停から乗車した阪堺電車の終点は天王寺駅前。先月麻布台ヒルズが開業するまで日本一高いビルだった「あべのハルカス」で大枚1,800円を払い、地上300mにある展望台からの景色を楽しむことにした。この日は寒く空気が澄んでおり、大阪城はもちろん、その先の「太陽の塔」や京都まで確認することが出来たのは思わぬ余禄となった。地下鉄御堂筋線でなんばに戻ると、この界隈は鉄路が複雑に交差しており地下街も迷宮状態だったが、何とか無事に近鉄難波駅に到着。


大阪難波と近鉄名古屋189.7キロを2時間強で結ぶ近鉄の新しい特急「ひのとり」は、赤い塗装の80000系新型電車によって2020年から運転が開始された。この路線を走る「アーバンライナー」には何度か乗ったことがあったが、「ひのとり」は運行当初から注目していたので初乗車が楽しみだ。妻の大阪出張について行くと言った際には、「京都や奈良はこの季節は寒いし週末でホテルも高いからわざわざ来なくていいのに」と素気なかった妻も、「帰りは『ひのとり』のプレミアムシートにして名古屋から新幹線で帰ろう」と提案したところ、「大阪から帰るのにそんなルートがあったとは!!!」と感心することしきり。こちらは永年鉄道ファンをやっており、出張や旅行の際にはどうルートを設定して楽しむかをいつも考えてきたのだから、こんな初歩的な代替案は" A PIECE OF CAKE ! "である。ついでに名古屋から豊橋まで名鉄で行き、豊橋から新幹線で帰京することも考えたが、寒いなか帰宅時間が遅くなるのでこれはまた次回にとっておくことにした。


ということで、近鉄難波駅でビールや昼食を買い込んで、「ひのとり」のプレミアム車両6号車に乗車する。1号車と6号車のプレミアム車両はハイデッカーで観光気分を十分満喫できるようになっているのが良い。周囲を見れば土曜日の午後とあって14時に発車する乗車車両の座席はすべて埋まっている。シートは通路を挟んで2列+1列の配置で、JALの近距離国際線ビジネスクラスのリクライニングシートと同じようなシェル型座席が並び、シートピッチも十分ある。これなら最近エチケットになったかの座席を倒す際に後ろに「倒して良いですか」との声掛けも不要で、思い切り足が伸ばせて後ろを気にすることもない。一人席には女性客が目立つのは、一人用シートなら彼女たちも隣席を気にする必要がないからだろう。車内販売はない代わりにプレミアムシート車両の1、6号車には自動販売機が設置されており、挽き立てのコーヒーや焼き菓子などを車内で買って楽しめるようになっている。


妻面のサイネージには運転情報のほか、前面展望が時々映し出されるのが目を引くが、この映像は切れ切れで僅かな時間しか流されないのが残念だ。常々このブログでも言ってきたが、今はクルーズ船でも飛行機でも前面展望が流される時代なのに対し、鉄道はこの点で遅れている。「ひのとり」はせっかくカメラを設置しているのだから、スクリーンの一画に運転席からの展望や、列車が走行している位置、できれば標高や線路勾配なども常時表示して欲しいところだ。技術的にはそんなに難しい事ではなかろうが、線路勾配などのニーズはニッチ過ぎるだろうか。乗車した「ひのとり」は大阪の鶴橋駅を出た後は、途中に津駅に停車するのみで、名古屋まで所要時間は2時間8分。運賃2,860円、特急料金1,930円、「ひのとり」特別料金はプレミアム車で900円(レギュラー車200円)で計5,690円(レギュラー車4,990円)である。対する新幹線なら新大阪・名古屋間が所要時間は「のぞみ」なら50分、運賃料金が6,680円、(ひかり・こだまなら1時間前後で6,470円)となる。どちらが良いと思うのかはその人次第ではあるが、私なら飛ぶように流れていく東海道新幹線の車窓よりも、生駒・信貴山系、室生山系、鈴鹿山系の3つのサミットを越え、耳成山や長谷寺近辺の風情ある景色を人間的な速度感覚で楽しめる近鉄に軍配を上げたいと思う。

プレミアム車内
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レトロな風情の住吉鳥居前を走る阪堺電車
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2023年12月24日 (日)

関西鉄道の旅 第2弾(1)山陽電鉄

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山陽電鉄最新の6000系 阪神梅田行 直通特急(高砂駅)

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5000系梅田行 直通特急の車内、金曜日午後とは云え閑散としているのが気懸り

妻が年内最後の大阪出張となり、ここのところ「ワシ」族(妻が行くところにワシもワシもとついて行く定年退職ジジイ)気味の私は、彼女の仕事が終わる頃を見越して関西に向かった。先月出張の際は京都で合流したが、今回はまず一人姫路まで新幹線で行って、山陽電鉄で妻の待つ大阪難波に戻ることに決めた。合流した翌日の帰京コースについては、名古屋まで近鉄の新型特急「ひのとり」に乗車するという趣向で、先月に続き「関西鉄道の旅」第2弾である。まずは予てより乗りたいと思っていた山陽電鉄だが、これはJR線や新幹線が並走する大阪~神戸~姫路間において、わざわざ乗ろうとしない限り乗車の機会がない路線である。時間がかなり自由になる身になった今だからこそ、ちょっと気になっていた交通機関をあえて利用する旅が出来るというものだ。


昭和30年代後半、父の転勤で神戸市東部の灘区に住んだことがあったが、当時の鉄道少年の関心と云えば、やはり阪神電鉄 VS 阪急電鉄であった。大阪・神戸間の山側に路線を持ち、駅間も長く高速運転をする阪急電車に対し、海側の商工業地帯を走り抜け、駅数も多いが、高加速・高減速でこまねずみのような運転で走るのが阪神電車で、この両社の競争は当時大いに気になったものだ。一方で神戸の西部から明石や姫路へ向かう山陽電車は、その頃は路面を走る区間もあり、17米の旧型車両や国鉄の払い下げ車両も多く、コトコトと田舎へ向かう中くらいの規模の鉄道という印象であった。その山陽電車が1968年(昭和43年)第三種事業者である神戸高速鉄道の開業によって、阪急や阪神とレールが繋がった。かつては2~4両でのんびり走っていた郊外電車が、阪急・阪神と云う大手私鉄に乗り入れることによってどう変わったのか、その後の発展が気になっての山陽電鉄である。


とは云うものの山陽と阪急電鉄との相互乗り入れは、1984年(昭和59年)に阪急六甲駅で起きた事故によりその後は中止になっている。当時、阪急・阪神に乗り入れる山陽鉄道の車両は乗務員もそのまま乗り入れ先まで乗務しており、ダイヤを勘違いした山陽の運転士が、阪急六甲駅で出発赤信号を無視、側線から本線に乗り入れたところに、本線を走ってきた後続の阪急梅田行き特急列車が突っ込んだ事故であった。以来、山陽は阪神電鉄のみと直通運転を実施しており、現在は阪神梅田駅から高速神戸駅までの33.6キロと高速神戸から山陽姫路駅まで58.2キロ、計91.8キロを阪神・山陽の相互乗り入れ6両編成の直通特急が十数分おきに運転されている(いまは阪神車、山陽車に関わらず高速神戸で乗務員はすべて交代)。今回はその山陽姫路から阪神梅田まで、気の趣くままに乗り降りをして山陽電鉄のあれこれを味わってみることにした。


ということで、例によって「大人の休日倶楽部」の3割引切符を使い、新幹線「ひかり」で姫路城の威容が見渡せる姫路駅にやってきた。山陽電鉄の姫路駅はJR姫路駅の真向かいにあって乗り換えもごく便利である。もっとも大阪方面から新幹線でやって来たのに、ここで何もせず直ちに折り返し、山陽電車で大阪に戻るなどという酔狂な客はまずいないだろう。始発の姫路駅からは阪神乗り入れ梅田行き直通特急の5000系クロスシート車に乗車。金曜日の午後とあって乗車する人は少なく車内は空席も目立つ。例によってかぶりつきで10分ほど前面展望を楽しむうち、大塩駅で待ち合わせた各停の神戸新開地行きが、懐かしの3000系車両であるのを見てこちらに乗り換えることにした。そう云えば、3000系は1964年から配備された山陽の顔とも云うべき車両で、その頃に全国で配置された国鉄の東海型や165系電車などと前面形状が瓜二つだった。国鉄と私鉄なのに車両のデザインがそっくりなのが気になって、手慰みに下の絵を描いたことからすると当時は相当3000系が気になっていたことが分かるが、50年以上経ってその車両に乗車しているのに気が付いて嬉しくなった。


各駅停車の旅をしばし楽しみ、この日は再び高砂駅で後続の6000系直通特急に乗車して終点の大阪梅田に向かう。最高110キロで疾駆する山陽電車の路線条件は播州平野では良好で、標準軌1435ミリにロングレールの路盤もしっかり整備されており、乗り心地はすこぶる快適。6両編成の直通特急に乗っていると、「私鉄に乗るならやはり関西だ」と思うと共に、通勤対策や過密運転に追われる関東の私鉄に同情したくなる。もっとも神戸近くになっても、車内に立つ客もない山陽電鉄は、ゆったりと乗る分には良いが経営は楽ではないそうだ。原因は日本製鉄広畑製鉄所の高炉廃止など地域産業の伸び悩み、沿線のモータリーゼーションに加え、なにより速達性重視のJR新快速の攻勢で山陽は守勢にまわっているらしい。昔から気になっていた山陽電車である。スピードはJRに敵わぬとも、阪神電鉄とこれだけ相互乗り入れをしているのだから、その先に線路が繋がる近鉄奈良線に乗り入れ、姫路城と奈良という2大世界遺産を直接結ぶ新型観光電車でも走らせ売り上げ促進を図ったらどうだろうか。この列車、山陽電鉄の須磨浦公園で一休みを置くのも一興。山陽/阪神/近鉄を結ぶ特別列車が出来たら絶対に乗ってみたいと一鉄道ファンとして勝手な夢を描いている。(続く)

高校生の頃に暇まかせに書いたイラスト
左画)当時、阪神車両と阪急車両が神戸高速鉄道を介して山陽鉄道内で同じ線路を走っていた。左線(上り)の阪急列車/右線(下り)の阪神列車のライバル同士が(旧)山陽西代駅で顔合わせする様子
右画)方向幕と前照灯の位置こそ違うがデザインがそっくりな国鉄165系と山陽3000系
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2023年12月15日 (金)

MITSUI OCEAN FUJI 南米ワールドクルーズ説明会

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旅行会社JTBが、商船三井クルーズのラグジュアリー船 "MITSUI OCEAN FUJI”号(32000トン)をフルチャーターして、2025年1月から91日間で太平洋の島々や中南米を巡る「 MITSUI OCEAN FUJI 南米ワールドクルーズ 」を行うのは発表の通りである。来年1月16日の発売開始に先だち、JTBによる説明会が東京駅にほど近い 丸の内のフォーシーズンズホテルで昨日開かれたので参加してきた。これは日本全国各地で行われる10回の説明会のうちの一つである。昨日の説明会は例の「世界の7割は海です!」のJTBクルーズ齋藤氏の名調子によって進められたが、参加者は、約50名ほどであったろうか。飛鳥Ⅱのロングクルーズ説明会とはやや会場の雰囲気が異なっており、私の勝手な感想ながら、フツーの勤め人OB・OGという感じの人たちが多いように見受けられた。商船三井クルーズは”SEABOURN ODYSSEY"号として欧米で富裕層向けに活躍するこの船を今春すでに中古買船、2024年末に改名した後は自らのフリートに組み入れることを決めている。その商船三井クルーズの親会社である商船三井が、移民船時代から南米航路を運営してきた経緯が説明会冒頭に触れられ、同社の代理店網などが寄港地で卓越していることなどがまず紹介された。また世界的な物価高にもかかわらず、2025年1月時点では、本船がまだ日本船仕様に本格的に改装される前、かつ外国船籍だからこそ、(比較的安い)価格で本クルーズが実現できたとの説明がなされ、続いて恒例の寄港地の詳細が続いた。


このクルーズは定員450名ほどのところ、380名から400名の募集とし、ゆったりした船内生活が楽しめるはずと齋藤氏は述べる。船内では食事は常時どこかで採れるし、メインダイニング(ザ・レストラン)には好きな時に行って良いそうで食事の2回制などもない。また最近のラグジュアリー船に見られるように、キャビンは主に船体前部に集中させる一方、パブリックスペースは各デッキの後部に配置され、乗客は縦にエレベーターで移動するバーティカル配置が特徴のクルーズ船とのこと。キャビンは全室スイート仕様だけあって従来の日本船よりかなり広く、カーテンの仕切りにより2部屋的なしつらえにできるので、一人がベッドで寝ていても同室者が室内で活動できるデザインになっているそうだ。我が家では妻は灯りがあると眠れないたちなので、クルーズ船に乗ると彼女が寝るときは私も同じ時間に寝てしまうか、起きていたとしても灯りを落として配慮しなければならないが、そのような気遣いもこの船なら不要になる。元来が外国船だけにWi-Fiはとても使い勝手がよく便利 (ただし料金がどうなるか未定)、チップはなく、船内蔵書も日本の本になるなど聞いているうち、快適なクルーズ生活が送れそうな期待が高まってきた。


とはいうものの本船は、このクルーズ催行時点では外国船籍のままで、デッキやエンジンクルーはこれまでの陣容継続とのこと。肝心のサービスクルーについては、食堂のメートルディやレセプションなど主要スタッフは日本語対応になり、日本人のコックも乗船するが、どの程度の割合で日本人をよく知るクルーになるのかはまだ決まっていないとの説明である。もちろん大浴場設置の改装工事はこのクルーズまでには間に合わないだけでなく、各キャビンにはウォシュレットは付かないというのはかなり切実な問題である。すべての部屋に深いバスタブがあるので風呂はまだ良しとしても、日頃ウォシュレットに甘やかされた我々は、短期間ならいざ知らず、どこまでこれを許容できるだろうか。また日本船お得意のいわゆる「社交ダンス」用の広いスペースがDECK PLANには見当たらないのもちょっと気にかかる。デッキ5のプロムナードはチーク張りで広いらしいが、飛鳥Ⅱのように1周全通していないかもしれず、しかも僅か200m強(飛鳥Ⅱは440m)だとすると、日課のジョギングが出来たとしても何十回も行ったり来たりしなければならなくなりそうだ。自分で使えるセルフ洗濯機は8台だけとあって、有料のランドリーサービルを利用するのが嫌いな日本人向けには数が足りなくなることが必至、などと心配な点がいくつかある(ちなみにランドリーサービスに抵抗があるのは、自分のことは自分でしなさいという日本的な倫理に背くからではないかと妻は考察している)。

 

JTBのスタッフも船内各部にこのクルーズの要所で乗船するらしいし、2019年に" SUN PRINCESS号"をフルチャーターして世界一周クルーズを成功させた同社だからこそ、これまでの経験と創意工夫でうまく問題点を差配して行くつもりなのだろう。しかしながら商船三井クルーズが所有しているとはいえ、2025年初頭のこのクルーズ開始までの間、現在もまだ"SEABOURN ODYSSEY"として欧米マーケットでクルーズ事業を展開しているので、総じて貸し出し元の商船三井クルーズ自体が、本船に於ける日本人船客扱いのあれこれをまだ詰めていない様子がうかがえた。それゆえJTBも船内生活やクルーの詳細を知らされていないようで、まだしばらくはこのクルーズ時の船内生活の実際を思い描くのは難しいことだろう。商船三井クルーズ所有でJTBがフルチャーターラーでありながら、外国船のままクルーズが催行されるので、カジノは本物の金を掛けて遊べるなどと聞くと、どうやら” MITSUI OCEAN FUJI 南米ワールドクルーズ” は日本船と外国船の中間くらいのイメージになりそうな気がする。こうして説明会も終わったが、これも何かの縁、中年米は船以外では今後行くこともないだろうから、とりあえず安めのキャビンを予約することにした。キャンセル料がかかる期限まで時間があるし2025年は再来年のこと、このクルーズを軸として新春はゆっくりと色々な長旅を検討することにしよう。

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2023年12月13日 (水)

LGBT法に女性たちの反論

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最寄のJR駅前をジョギングしていたら、みどり色の恐竜の着ぐるみをマスコットにした数名の女性たちがなにやらビラを配っている。どうせまた「差別」やら「人権問題」がどうたらと訴える鬱陶しい団体かと眉をひそめて通り過ぎようとしたら何やら様子が違う。どうやら「女性の権利を守ろう」と声を大にして訴える女性たちのようで、近頃のLGBT法制定などの動きに反対しているらしい。それならばビラを受け取ろうかと足を止め「大いにがんばれよ」と声をかけると、「え、私たちの運動にご理解いただけるのですか」「ああ、本当にありがとうございます」「今日初めての声援でとても嬉しいです」などと口々に丁寧な礼が返ってくるので却ってこちらが恐縮してしまった。ジョギングを終えて家でビラをよく読むと「女性の定義を守る会」とあり、この団体は「性別の定義は生物学的な分類のみ」との本来なら当たり前かつ極めてシンプルな主張を展開しているようだ。彼女らのバックグランウドは一切不明だが、昨今のポリコレに対する真っ当な反論のようで、もし私の声援が少しでも力になれば嬉しいと思っていた。


もらったビラには "STOP ! 性別記載変更(特例法)"とあり、性別変更の手術要件をめぐり特例法の規定は憲法違反だと最高裁が先ごろ下した判決に異を唱えている。要は「心は女」の男性が「自分は女性だ」と言い張るには、従来は男性器を除去することが必須要件だったのが、必ずしもそれを必要ではないとする最高裁の判断に彼女たちは反対しているらしい。ビラの文面には「女性が生きるためには、男女の区分が必要です」とあまりにも当然のことが訴えられているのだが、今年のLGBT法制定や最高裁のおかしな判断によって狂い始めた風潮に歯止めをかけようと女性たちが声を挙げ始めたことが分かる。彼女らはアメリカで今話題の『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』(アビゲイル・シュライアー著)がリベラル(と呼ばれるサヨク)の反対で我が国では刊行中止になったことにも抗議しており、左巻きの連中によって出版の自由や表現の自由が侵害されることに憤慨している私はこの点も賛同するところだ。


この11月に三重県桑名市の温泉施設で、女性の脱衣所に7時間も隠れている男が見つかり警察に捕まる事件があったそうだ。この男は「心は女なのになぜ女風呂に入ってはいけないのか」と居直ったとされるが、心がオンナならさっさと風呂に入って出るだろうに、7時間も脱衣所で粘るのは、どう考えてもただの変態男であろう。しかしこの男性を起訴するかどうかは、警察も大いに逡巡したらしい。チンチンが付いていても、心がオンナならば女性でよいとする最高裁判決や、「自認する性を優先」することを促がすかのLGBT法の影響が捜査現場の困惑の背景にあることは間違いない。同法案を推進した自民党の稲田朋美議員は「女性風呂に男性が入ることはないと厚労省が言っています」と強弁し、厚労省から今年7月に身体的特徴で男女を判断し混浴をさせない旨の「通知」が浴場に向けて出されているものの、法制化以降、実際は変態男たちの居直りに現場で警察が混乱しているのである。このまま進めば、次は通勤時間帯の女性専用車両に「心が女」の男が乗車して騒動になる事態が多発することだろう。


「LGBT理解増進法」第二条には「ジェンダーアイデンティティとは自己の属する性別についての認識に関するその同一性の有無または程度に関わる認識を云う」と意味不明の文言が並んだうえ、最高裁の判断などを合わせると「自認する性を優先」するポリコレがリベラル・サヨク界隈がすすめる流れであることは明白である。一方で昭和二十三年に制定された公衆浴場法では第三条で「営業者は、公衆浴場について、換気、採光、照明、保温及び清潔その他入浴者の衛生及び風紀に必要な措置を講じなければならない」とされ、さらに公衆浴場における衛生等管理要領 II 施設設備 3脱衣室(1)は「男女を区別し、その境界には隔壁を設けて、相互に、かつ、屋外から見通しのできない構造であること」が定められている。変態男を排除し女性の安全を守るために「女性の定義を守る会」をはじめ幾つかの女性団体が活動をし始めたわけだが、LGBT(特にT)の主張を後押しする左巻き勢力は、自分たちの「自認する性が優先」思想と、既存の法律や世間の常識・規範との間でどう折り合いをつけていくつもりだろうか。ごく一部の特殊な性癖の人たちを専らおもんばかるばかりに、圧倒的多数のフツーの女性や子供の安全をないがしろにするかの社会はやはり異常である。蛇足ながら、LGBT法を党議拘束までかけて制定させた自民党が、いまパーティ券のキックバック問題で窮地に立っているを見るにつけ、同法の法制化で自民党を見限った多くの岩盤保守層が「天罰が下った」と密かに笑っていることを明記したい。

 

2023年12月 8日 (金)

プリンス グロリア スーパー 6

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宵の銀座をブラブラと歩いて、4丁目の銀座日産ギャラリーの前を通りかかる。ふとガラス張りショールームの2階を見上げると懐かしいクルマが目についた。あれは1963年(昭和38年)に販売が開始されたプリンス グロリア スーパー 6ではないか。真っ黒なグロリアが眼に入った瞬間、父がかつて運輸省(現・国交省)の役人時代、真っ黒なショファードリブン(運転手付き)のこの車が、朝晩の送り迎えに来ていたことを思い出した。アメリカナイズされたフラットで優雅なボンネットのグロリアが家の前に横づけされると、子供心に毎朝ウキウキしたもので、当時の父の出勤する姿を思い出して、ショールームに鎮座するクルマの傍に行ってみることにした。


グロリアを産み出したプリンス自動車工業は、第2次大戦後、立川飛行機の出身者が創業した自動車メーカーであり、当時の先端的技術を取り入れた極めて技術優位の会社として名を馳せていた。残念ながらプリンス自動車は1966年に日産自動車の傘下に入ってしまったが、この会社が世に送り出したグロリアやスカイラインは後の日産の経営を支えてきた名車たちだ。トヨタと云えば当時はダサいデザイン、販売優先で技術は二の次という印象が強かったので、少年時代から長らく私はプリンス(日産)ファンであり、10数年前まではスカイラインGTを4代に亘って乗り継いできたのである。


ショールームに入り、しげしげとグロリア スーパー6を見ていたら、『SOHC 2リッター直列6気筒エンジン』とか『ド・ディオンアクスル採用』などという発売当時のこのクルマのキャッチコピーが自然に頭に浮かんできた。エンジンバルブを駆動するカムシャフトがエンジンの上部についているのがOVER HEAD CAMSHAFT ( OHC ) であるとか、後輪を駆動する機構がリジッドではなく斬新なド・ディオン式だとか、何となく判ったようなおぼろげな知識でクルマの雑誌や新聞広告を眺めては、「プリンスのクルマはすごいなあ」と子供心に憧れていたものだ。直列6気筒エンジンへのこだわりは今もなお続いてBMWになるのだが、それはさておき、父の送迎のクルマがグロリアの新車になったので、最新のマイカーが我が家にやって来たように感激したのである。


今だから云えるが、当時の役所のクルマは昼間は家族用に随分と融通が利いたものだった。運転手さん達も日がな一日役所に詰めているのも退屈だとみえ、「今日はどこかへドライブに行く?」と子供たちを誘ってくれることもよくあった。たまたま無二の親友の父君が農林省(現・農水省)の役人で、そちらは日産セドリックが送迎車であり、「今日は運輸省のプリンスグロリアで多摩テック(ホンダが多摩丘陵に作ったゴーカートの遊園地)に行こうか」とか「今日は農林省の日産セドリックで村山貯水池へ」などと、公用車を子供たちが自家用車の様に使い回していたからいい気なものだ。前席3人掛けのベンチシートに白いカバー、その頃はシートベルトの着用義務もなく、コラムシフトを操作する運転手さんの横に友達と2人並び、武蔵野のガタゴト道をドライブしてはクルマ談義に耽ったのがなんとも懐かしい思い出。今なら即刻公私混同、コンプライアンス違反でSNS大炎上間違いなし。銀座で出会ったグロリアの雄姿とともに、古き良き昭和30年代の思い出が蘇ってきた。

2023年12月 4日 (月)

そうだ、京都へ行こう ! 琵琶湖疎水とインクライン。

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京都東山・蹴上(けあげ)付近の琵琶湖疎水

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インクライン: 蹴上から鉄製台車に乗って小舟は京都市内の水路に運ばれた


日本で鉄道が開業したのはよく知られるように、明治5年(1972年)で、場所は新橋・横浜間である。それでは初めて電車が走ったのはどこで、いつであったか。こちらは明治28年(1895年)のことで、京都の伏見と京都駅前を結ぶ路線(路面電車)が日本初の営業用電車として京都電気鉄道(のち京都市電に買収される)によって開業している。京都はわが国の電車発祥の地である。なぜ電車が走り始めたのが、首都・東京でも商都・大阪でもなく京都だったのだろうか。その疑問を解く鍵が琵琶湖疎水にあった。今回、京都の旅にあたり、せっかく京阪京津線と京都地下鉄に乗車するなら、この路線の途中駅、蹴上(けあげ)駅近くにある、明治時代の産業遺構、琵琶湖疎水やインクラインを見ようと思い立った。


琵琶湖疎水とは、第三代の京都府知事であった北垣国道によって進められた、琵琶湖と京都市内を結ぶ運河である。明治維新の後、東京遷都によって、京都は産業が衰退し人口も大きく減ってしまったが、北垣は町の再生を期して琵琶湖から京都市内へ運河を掘ることとし、工部大学校(のち東大工学部)の若き才能 田邊朔郎を迎え、莫大な工事費をかけて、明治18年(1895年)に疎水を造る工事に着手した。途中、京都市東部の蹴上付近では、急坂のために水路が開設できないので水の流れの傍らに長さ600米ほど、急傾斜に線路を敷き、運河を行き来する舟艇は線路上の台車に乗せ、巻き上げ機(当初は水力で計画、のち電力を使用)を動力にここを上下する設備を作った(京都市内は別の水路を利用)。米語ではケーブル鉄道のことをインクラインと云うが、運河開削の責任者であった田邊朔郎はアメリカの土木技術から多くを学んだそうで、この耳慣れぬ用語を小舟運搬の仕掛けにあてはめたのだろう。


東京にいるとピンとこないが、琵琶港の標準水位は国交省などの資料を見ると標高約84米ほどに対し、京都市内の標高と云えば京都駅近辺で27米ほどである。琵琶湖湖畔の大津から京都市内まで直線距離にして10キロにも満たない2地点の標高差が50米以上もあるため、まっすぐ直接水を流せばその流れはかなりの急流になることだろう。ちなみに江戸時代前期に開通した多摩川上水(多摩川羽村~四谷)は長さ43キロで高低差が92米であるから、距離が10キロなら20米ほどの高低差であり、これを見ても琵琶湖・京都間にそのまま水路を作れば、かなりの急勾配にならざるを得ないことが分かる。琵琶湖疎水は灌漑用や上水道、工場用水、水力発電に利用されたほか、貨物や旅客を運ぶための小舟を通行させるのが主な用途であったから、それなりの流水量が必要であり、また手漕ぎの小舟が上下するためには穏やかな流れである必要があったはずだ。このような用途のために大津・京都間の逢坂山は長いトンネルを掘削して水を通し、勾配は一定以下にする必要から舟運用の水路は琵琶湖から標高差があまりない京都の東山までとし、そこに堰を設け、以西はインクラインに舟を乗せて京都市内の水路に連絡することにしたと思われる。これはまた灌漑用になるべく高い土地に水を流す目的もあったそうだ。


こうして琵琶湖の大津にある取水口からインクラインまで8キロ余り、水位差が4米、勾配は2000分の1の穏やかな流れが完成したが、正確な測量を行ったうえ、重機械もない明治初期に長いトンネルを掘って、運河を開削したのは大変な工事であったろうと設計者や現場の労苦が偲ばれる。東海道本線や北陸本線が開通するまでは、琵琶湖の舟運といえば日本海側や関ケ原以東の各地と京都や大阪など関西圏を結ぶ物流や人流のハイウエイであった。琵琶湖の対岸から集まった全国からの貨物や旅人を京都に運ぶために、幾多の困難を乗り越えて北垣国道が運河を開くことを決意したことは明治人の心意気を見るようだ。こうして疎水は明治23年(1890年)に完成(その後明治45年(1912年)に第2疎水完成)、翌明治24年(1891年)に日本最初の一般供給用水力発電所がここ蹴上の地で稼働し、京都の町に電気が送られることになった。京都の町は全国でもいち早く電力の恩恵に預かることになり、発電所稼働後4年にして日本で初めての電車がこの地で動くことになったのである。琵琶湖疎水の構築が、京都に於いて我が国初の電車の運転に繋がったわけで、北垣国道もさぞや喜んだことであろう。蹴上駅で地下鉄を降りた時は最寄の南禅寺を参拝しようと考えていたが、入場無料の疎水記念館をゆっくり見学しているうち時間がなくなり、南禅寺は次にまた来ようということになってしまった。どうも寺社仏閣より、産業遺構の方に我々は興味があるようだ。

インクラインの線路は急勾配を京都市内へ向かい下の水路まで下る
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南禅寺奥の院前の水道橋(水路閣):琵琶湖疎水を来た舟はインクラインへ、水の流れは発電所や浄水場へ導管で導かれるほか、この水道橋などを伝って下に流れる。
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2023年12月 2日 (土)

そうだ、京都へ行こう !  京阪京津線など私鉄の旅。

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紅葉をバックに阪急嵐山駅

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嵐電のレトロ車両 27号

最近また働き始めた妻が、先週は大阪に出張というので、一緒に関西に行き、仕事後についでに2人で京都見物をすることにした。私自身、年齢とともに「ワシも一緒、ワシも一緒に」と妻の尻にくっついて外出する「ワシ族」にだんだん近づいているような危惧は感じているのだが、京都は2人とも久しく訪れていないのでちょうど良い機会である。京都観光といえば寺社仏閣めぐり!と相場は決まっているが、それはまたいつでもできる。今回は鉄道乗車体験をメインに京都近辺をぐるっと回ってみることにした。何しろ京都と云えば、日本で初めて営業用の電車が走った都市であり、今も市の中心部から四方へJR線や民鉄の路線が伸びる鉄道の町でもある。先年、梅小路にある「京都鉄道博物館」を楽しんだのはここでアップした(2021年7月25日)通りで、京都は鉄道ファンにとっても魅力あふれる土地なのだ。


仕事が終わって梅田から阪急京都線で駆け付けた妻と合流した翌日は天気も良く、一日かけて京都鉄道の旅である。前夜宿泊した市の中心部、四条烏丸のビジネスホテルを出てまずは紅葉の嵐山へ、最寄駅から乗った阪急京都線を桂駅で乗り換えて阪急嵐山線に。マルーン色の車体、木目調化粧板の車内、緑色シート、銀色の窓枠に一段降下窓とこだわりの阪急電車に乗ると、いつも「ああ、関西に来たな」という実感が湧いてくる。阪急嵐山駅を降りて渡月橋を渡り、今がまさに見ごろの紅葉を堪能し、ついでに天龍寺の国の特別名勝「曹源池庭園」を見た後は、京福電鉄嵐山線(嵐電)で市内へとってかえすことにした。それにしても平日と云うのに、京都はどこへ行っても凄い人出で、歩道をまっすぐ歩くのも難しいほどだ。見れば日本人は3割~4割ほどで、海外からは中国人と韓国人が半分、残りは英語、スペイン語、ドイツ語、仏語などが聞こえ世界中から観光客が押し寄せていることを実感する。


嵐電の嵐山駅からは懐かしい釣り駆け駆動、コンプレッサーの音も勇ましい2両編成の四条大宮行 電車に乗った。乗車した26号車は台車や制御装置は旧車から流用され、外観・内装はレトロ調で纏められていて、いかにも古都観光地の電車と云う風情たっぷり。軌道鉄道(路面電車)である嵐山線は、本来はワンマンカー単行での運転を基本としているらしく、2両目(621号)では降車口である前部運転台に車掌が乗車し運賃収受をしている光景が珍しい。どうやら平日の昼間も観光客で一杯なので、いまは2両で運転されている電車が多いようだ。古くからの軌道線と云えば東急世田谷線で見られるように無閉塞が原則でありながら、ここでは自動閉塞方式を採用しており、線路際に立派な信号柱が並んでいるのがさすが関西私鉄と改めて感心する。直通空気ブレーキの制動ハンドルをこまめに動かしながら停車位置にぴったりと止まる懐かしい運転を見ているうちに、ほどなく京都市営地下鉄 東西線の乗換駅である嵐電天神川に到着した。


さて、ここからが今回の旅の目的である京阪電鉄 京津線800系電車に乗車となる。かつて三条京阪駅とびわ湖浜大津駅を結んでいた京阪電鉄 京津線(軌道線)は、1998年の東西線開業とともに京都市街地は地下鉄線に乗り入れるようになり、両線を直通する電車は地下鉄・登山電車・軌道線(市電)の3つの顔を持つ路線を走ることになった。地下鉄内はキャブ内信号によるATC運転、京阪電車に接続する御陵(みささぎ)駅以東は京阪のATS制御、終点浜大津の手前800米は、県道の上を一般の交通信号に従って目視確認も必要な路線である。京都・大津間にある逢坂山は最急勾配61パーミル(1000米進む間に61米上がる)、かつ最小曲線半径40Rのカーブで超えるが、これはアプト式などに頼らない通常の粘着運転では箱根登山鉄道(最大80パーミル)に次いでわが国2番目の急勾配である。ここを先ほどまで京都の下を走っていた長さ16.5米 X 4両編成の地下鉄が駆け上る。ちなみにJR線の運転規則では最急勾配は35パーミル、また陸上競技場の400米トラックの曲走路における最も内側のレーンは半径40米弱のカーブだから、この線ががいかに急坂・急カーブなのかがわかる。


地下鉄東西線の御陵駅で地下鉄から京阪の運転士に乗務員が交代し、キャブ後ろのブラインドが全開になるや、我々も例によって「かぶりつき」に陣取ることにする。ほどなく地上に出た電車は、東海道本線をアンダーパスし、山科付近からの上り勾配を全動力車(4M)のパワーでグングン突き進んだ。ところどころ線路際の勾配票の腕木には急坂を表す数字が、曲線票には線路曲線半径を示す数字が表示され、速度制限や制限解除の表示も次々と眼前に飛び込んでくるので、前面展望からいっときも目を離すことができない。急カーブには騒音防止と設備摩耗を防ぐ水まきスプリンクラーが設置されているし、急勾配の途中には坂道のような駅もあって、あれこれと観察するのにとても忙しい。そうこうするうち、電車はサミットの逢坂山トンネルを超えて、琵琶湖へ向かって下り始めた。思う間もなく最後は県道に出て路面電車となり、交通事故に巻き込まれないよう慎重な運転で終点のびわ湖浜大津駅に到着。この間、御陵駅から浜大津駅まで7.5キロ、約25分の興奮の「かぶりつき」の旅だった。最後に浜大津駅の案内所駅員に「雨や雪の日、落ち葉などで急勾配では空転や滑走もあるのですか?」と聞くと「ええ、まあ」と苦笑いの返事が返ってきた。同じ車両に乗りながら地下鉄から路面電車まで一挙に楽しめるとあって「これまででで一番楽しいかぶりつき体験」だったが、このような難所を越えて定時運転を維持するのは大変な苦労があることだろう。(続く)

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京阪 京津線800系前面展望 線路左下・腕木の勾配票は下り41.3‰(だったと思う)表示

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京阪・京津線 ところどころに水まきの設備

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