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2023年8月

2023年8月28日 (月)

VIVANT第7話 乃木の裏切り

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バルカへの機中、乃木は野崎に謎の言葉をかける

なんと云う話の進み方であろうか。昨日の"VIVANT"第7話では、バルカ国のテロ組織テントとの接触に成功した自衛隊別班(VIVANT)の乃木(堺正人)が、仲間全員に銃口を向けるという展開となった。実の父であるテントのボス、ノゴーンベキ(役所広司)になんとしても近づきたい乃木が、組織や仲間を裏切る大どんでん返しとあって、テレビを見ていて椅子から転げ落ちそうになった。サイボーグのような人生を歩んできた乃木が、急に距離が縮まった女医の柚木かおる(二階堂ふみ)と生まれて初めてのキスをし夜を明かしたことにより、にわかに人間としての愛情に目覚めたことをあらかじめ示し、愛の苦悩や肉親の情に絡めたストーリーに進展させるあたりは、「やはり!」と唸る脚本である。前のブログで「ここへ来てドラマは親子の愛情相克の模様も見せる」と記したとおりである。


しかし、このまま話は進んでいくのだろうか。そもそも話す事ができない謎の少女ジャミーンは人の心が読めるとされているが、彼女がバルカに旅立つ乃木に親愛の情を示し固く抱きつくのは、2重人格者の乃木が本当は善人であることを見抜いているからに他ならないはず。今回、乃木はバルカに向かう機内で、乗り合わせた警視庁公安課の野崎(阿部寛)の手をとって、ごく小さな声で何事かボソボソと囁く場面があるが、なぜいきなりそんな奇異な行動を彼がとったのかが今後のキーポイントになりそうだ。実はドラマのこの場面、乃木が小声で話す内容が、わざと聞こえ難くなるような謎めいた演出になっていた。最初は画面を見ても、注意散漫の私には彼が何を喋っているのか聞き取れなかったので、音声ボリュームを揚げビデオに撮った機内の場面を三度ほど見返してみた。


乃木が野崎に一言呟いた言葉は、「あなたは鶏群の一鶴、眼光紙背に徹す」であった。「鶏群の一鶴」とは広辞苑によると晋書(晋朝に書かれた歴史書)の言葉で、「多くの凡人の中にいる一人のすぐれた人のたとえ」とのこと。「眼光紙背に徹す」は「書物を読んで、ただ字句の解釈にとどまらず、その真意をくみとる」とある。「優れた人は目で見た物だけでなくその裏にある真実を理解する」という事をこのことわざは指している。すなわち乃木はこれから自分がとる裏切りの行動の真の狙いは、野崎には分かるはずだ、と云いたいのでないか。乃木ほどの訓練を受けた凄腕エージェントなら仲間を撃つ際に急所を外すことは難しくないであろうし、あるいは彼が裏切るのは最初から仕組まれた別班側のシナリオで、仲間が撃たれたフリをする出来レースであることが、野崎には理解してもらえるはずという筋立てだと想像する。


日本からモニターで監視している別班の女性ボスが、乃木の裏切りを見て「この事は口外しないよう」と周囲に指示するのも、全体の企みを口外しないようにすべしという意味だとすれば辻褄があう。乃木が仲間を撃つ銃撃現場近くに、回収部隊と思われる別班手配の輸送機が準備されていたのも、出来レースであることを示唆するのではないか。次回の予告編ショットでは、乃木に殺された仲間たちの棺を日本に輸送するらしいシーンが流れていたが、この種のドラマでわざわざ遺体を運ぶシーンを挿入するのも余りにわざとらしい。テントの中枢に迫るために、乃木が仲間を売ったふりをしているというのが、現在の私の見立てである。この後、野崎と乃木のハリーポッターに関する会話がどう回収されていくのだろうか。VIVANTは全10回シリーズと云われているから、まだ3回分ものストーリーがある。ベキはなぜテントのボスになり日本をテロの最終標的地とするのか、果たしてかおるは敵か味方か、話がどう話が進んでいくのか、ますます日曜日が楽しみになった。

2023年8月24日 (木)

祝・慶応義塾高校優勝 社中協力とエンジョイベースボール

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エンジョイベースとは 故・前田祐吉 慶應義塾大学野球部元監督の著書「野球と私」

慶応義塾高校が、第105回全国高校野球選手権記念大会で、107年ぶりに2度目の優勝を果たした。まさか私が生きている間に夏の甲子園大会で優勝するとは夢想だにしなかったので感慨もひとしおである。この大会では慶応高校の生徒・父兄だけでなく慶応女子高のチア始め、多くの大学生や卒業生(塾員と云う)が甲子園に駆けつけて、応援で仙台育英高校を圧倒したことも107年ぶりの勝因の一だつと云われている。慶応義塾には明治12年に福沢諭吉が唱えた「社中協力」という精神が息づいている。社中とは「慶應義塾を構成している教職員、学生、卒業生をすべて包含した結社と考えてよく、在学生の父母も広い意味での社中の一員」(慶応義塾豆百科)であり、「社中恰(あたか)も骨肉の兄弟の如くにして、互に義塾の名を保護し、或は労力を以て助るあり、或は金を以て助るあり、或は時間を以て助け、或は注意を以て助け、命令する者なくして全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別の気風あればこそ今日までを維持したることなれ」(『福澤文集二編』)である。慶応高校の生徒・卒業生だけでなく、大学から慶応に入ったOBも含め勝利を後押しした今回の大応援は、まさに塾生、塾員、父兄、教職員など『全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別の気風』を発揮した社中一致の賜物だと云えよう。


今回もメディアには塾野球部のモットーである「エンジョイ・ベースボール」がさかんに取りあげられていた。いまや慶応野球部の伝統ともなったこのエンジョイベースを広く唱え、自ら体現して部内にバックボーンとして敷衍させたのが、昭和35(1960)年から40(1965年)年と昭和58(1983)年から平成5(1993)年の2度に亘って大学野球部の監督を務めた故・前田祐吉氏であった。前田祐吉氏が書いた「野球と私」(平成22年出版、青蛙房)には次の様にある。「私は昭和24年の入部早々に、明治36年の第一回早慶戦に出場した大先輩に『エンジョイ・ベースボール』を説かれて感動し、以来、この言葉を大切にしてきた。この言葉は単にワイワイと楽しむのでなく、①チームの全員がベストを尽くす。②仲間への気配りを忘れない。これはチームワークと言い換えてもよい。③自ら工夫し、自発的に努力する。という三つの条件を満たして、はじめて本当に野球を楽しむことができるし、楽しんでこそ上達するのだという考え方である」。また1992年4月の朝日新聞「スポーツマインド」には「本来、スポーツは体を使って楽しむこと。それが虚礼や連帯責任、先輩後輩の上下関係などが強調され、いまだにアナクロニズムが色濃く残る野球界。少なくとも慶応の野球部には、そうした風潮を作りたくなかった」との前田氏の言葉を載せた記事がある。それまであった軍隊式上意下達や坊主頭などの古い因習を捨てて、自ら最大の創意工夫をしてスポーツを楽しむのがエンジョイ・ベースで、慶応野球部のこの信条が日本一を決める場で存分に活かされたことはご同慶の至りと云えよう。(報道ではエンジョイベースボールを塾高野球部に導入したのはもっぱら上田誠前監督によるとされているが、上田監督もそもそも慶応大学野球部のエンジョイベースボールを体得されている人である)


かつて西暦2000年以前、私がまだ働き盛りの会社員時代には”甲子園トトカルチョ”がどこの会社でも行われ、春・夏の甲子園大会の季節は、仕事そっちのけで職場の連中みなで高校野球の中継放送にかじりついたものだ。しかし最近はコンプライアンス重視、賭け事も禁止の世の中となって、あまり熱心に甲子園の野球中継を見なくなっていたが、この夏は慶応高校の快進撃にテレビ前に座る時間がきわめて多くなった。こうして画面を見ていると、はるかに若いと思っていたNHK解説者の早稲田大学OBの広岡資生氏や、土浦日大高校から慶応大学に進んだ印出順彦氏が、いいオッサン顔になっているのに驚き、わが年齢を顧みることしばしであった。最後の決勝戦では仙台育英高校のユニフォームと慶応高校のユニホームがうり二つであることが話題になったが、これは仙台育英の理事長が慶応OBで慶応側の許可を得てこのスタイルを採用したとのこと(8月23日読売新聞夕刊)。似たような恰好だが両校ユニホームの違いは、学校名を表す胸のマークのほかに、ストッキングの白線は慶応が2本あるのに対し仙台育英は1本だということである。慶応大学野球部は無敗で東京六大学野球を制するとストッキングに白線を入れることにしており、1985年の秋季リーグ戦で10勝無敗の完全優勝を達成した記念に従来1本だった白線に2本目を追加している。仙台育英高校が慶応スタイルを取り入れた時点ではまだ白線1本の時代だったと推測されるが、同校も捲土重来、来年以降はストッキングの白線を2本に出来るような大活躍をされる事を期待したい。

左:エンジョイベースボールを語る前田氏のコメントが載った当時の朝日新聞
右:似通った両チームのユニホームの由来を解説する8月23日読売新聞夕刊
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2023年8月21日 (月)

福沢克雄(山越)とVIVANT

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TBSホームページより

福沢克雄原作・演出の日曜劇場VIVANT(ヴイヴァン)が面白い。報道面ではサヨク寄り偏向姿勢が際立つTBSだが、さすが「ドラマのTBS」が誇る伝統の旧「東芝日曜劇場」枠とあって力の入った超大作である。VIVANTはモンゴルで2カ月半ロケを行い、1回の放送に通常の倍の1億円の予算をかけたと云われるだけあって、毎週日曜の夜は映画を見るような気分でテレビの前に座っている。このドラマ、最初は思ったほど視聴率が取れなかったそうだが、息もつかさぬ展開と豪華なキャストで、茶の間でも徐々に評判になっているとのこと。VIVANTとは「別班」(べっぱん)が物語の舞台であるバルカ共和国の言葉風になまったもので、自衛隊内に編成された対テロ用の非合法秘密機関である。主人公の乃木(堺正人)は、総合商社・丸菱商事のしがないサラリーマンを装っているが、本当の姿は別班の工作員であることがドラマ進行とともに明かされる。別班が立ち向かうのが砂漠の国、バルカを拠点とする国際的テロ組織「テント」で、警視庁公安部の野崎(阿部寛)も時同じくして「テント」を壊滅すべく行動を繰り広げている。バルカに派遣され現地で医療を施していた女医の柚木(二階堂ふみ)や、少女ジャミーン(ナンディーン・エルデネ)が絡みつつ、往年の「スパイ大作戦」のように話は展開する。


VIVANTは全10話(らしい)のところ昨日8月20日で第6話が終了したが、ドラマ序盤でまぶされた伏線が回収され始め、話の輪郭が見えるようになってますます目が離せなくなってきた。私はこの手の展開が多くスピードの早いドラマに限らず、画面の人の顔が覚えられないばかりか、セリフの内容もすぐには頭に入らないので、一緒にTVを見ている妻に「これどういうこと?」と尋ね、「え、わからないの」とあきれられる事しばしである。そのため番組を録画しつつ、追っかけ再生でCMの時間に少し戻しては妻の解説に頷きながらの視聴である。丸菱商事ではぼんくらの乃木が、なぜ国際テロ組織があるバルカ国のプロジェクトに向き合う部署に配属され、ドラマの発端となる誤送金事件に巻き込まれたのか、たまたまにしては偶然過ぎる筋立てと思っていたが、昨日は私のような者にもその理由がわかるラストの場面。ストーリーは伏線を丁寧に回収し、因果関係も見る者を納得させる展開だといえよう。(因みに乃木の勤務する丸菱商事のロビーは、新しくなった大手町の丸紅本社ビルをロケ地にしている)


乃木や野崎が追うテントのボス、ノゴーンベキ(役所広司)の正体は、乃木が幼い頃に行方不明となった実の父親であることが分かり、ここへ来てドラマは親子の愛情相克の模様も見せるなか、乃木との距離を急に縮める女医の柚木は何者かが興味をひく。私は彼女やジャミーンが絡んだ大ドンデン返しがあると予想しているが、今後この2人がどう物語に関わってくるのか楽しみだ。また一癖ありそうな丸菱商事の上司たちもこのままで終わるのか、ドラム(富栄ドラム)は本当に言葉が話せないのかなども注目である。原作者であり演出の福沢克雄は半沢直樹シリーズでも名を馳せたが、旧姓は山越で福沢諭吉の玄孫であるばかりでなく、慶応蹴球部(ラグビー部)時代はロックの名選手であった。慶應は1985年のラグビー関東大学対抗戦グループでは4位ながら、続く大学選手権決勝で明治大学と引き分けて両校同点優勝。山越は抽選で進んだ日本選手権で社会人優勝のトヨタ自動車を破り10年ぶりに学生が王座を奪った折の選手で、私は当時のNHKテレビ中継のビデオテープを今でも大事に保管している。あの時ラグビーで我々をテレビの前に釘付にさせた彼が、今度はドラマで多くの人を興奮させていることがなんとも印象的である。

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1986年2月ラグビー誌ゼロワン 中央で日本選手権優勝トロフィーを掲げるのが福沢克雄(旧姓山越)

2023年8月15日 (火)

第99回 早慶対抗陸上競技会

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8月13日(日)は早稲田大学競走部と慶応義塾體育會競走部による早慶対抗陸上競技大会の応援をするために日吉の陸上競技場に足を運んだ。これまでこの大会はほとんど9月に開かれてきたが、今年は珍しく夏の真っ盛り、多くの人が休む旧盆での開催となった。なぜこんな時期に大会を開くことになったのだろうかと聞くと、例年より早く9月14日から始まる日本学生陸上競技対校選手権大会(全日本インカレ)に参加するには、1ヶ月前までに標準記録を突破する必要があるため、なるべく多くの選手がギリギリで標準記録を突破できるように配慮したとのこと。しかし8月13日と云えば7月末の学校の試験から程ないうえ、長距離陣は秋のシーズンや駅伝を目指して涼しい高原や北海道などで合宿を行う季節である。こちらはセミリタイヤの身と合って応援に行くのはいつでも良いのだが、長距離部門以外の多くの選手や審判・補助員、それに応援に来てくれた応援指導部(早稲田大学は応援部)の面々もゆっくり休みたいだろうにちょっと変わった大会時期ではある。

 

この対抗競技会は大正時代から始まって今年で99回目となる。競技方法はトラック5種目、フィールド5種目で各校それぞれ3人づつ選手を出し、各種目の1位を3点、2位2点、3位1点(4X200米の800米継走は1位3点、2位ゼロと)とし、得点の多寡で勝敗を争うルールで変わらずやってきた。過去の記録を見れば圧倒的に早稲田大学が強かったのだが、ここ10年ばかりは5勝5敗と早慶互いに譲らずの展開になっている。昨年は慶応義塾の勝ちなるも、今年の早稲田は春に行われた関東インカレで第1部16校のうち、順天堂大学についで2位の得点を獲得した強豪チームである。対する我が慶応は1部12位だったが、早稲田はトラック種目に有望選手が多い一方でフィールド陣が手薄なのに対し、慶応はフィールドではかなりの得点を期待できるため、そのあたりに勝機大いにありうべしと予想していた。インカレでの順位(得点)が必ずしも勝敗に直結するわけではないのが対校戦の面白さだと云えよう。なお日本では珍しい800米リレー(200m×4)という種目で昨秋に早稲田大学が早慶陸上で記録した1分21秒44は日本記録である。

 

8月13日の当日は遠くの台風の影響で日吉の空は雲が多く、かつ夕方開始のゲームとあって心配されたほど気温も高くなく、学生たちの熱戦をゆっくりと楽しむことができた。お盆シーズンとあって、競技会に来る観客も例年より多い感じもする。残念ながら慶応は最も期待された主力選手の故障欠場などで、110米ハードル走や400米の得点が伸びず、1500米は完敗で最後は32点対25点で早稲田に敗れてしまった(我々の時代には女子部員はいなかったが、昨年から始まった女子の部は14対25で負け)。しかし勝敗はともかく早慶どちらも孫のような年齢の選手達が全力で競技する姿を見ていると、こちらまで若返り元気をもらったような気分になってくる。スポーツというものは、テレビやネットのスクリーンで見るのと違い、若者たちが発するエネルギーを肌で間近に感じることで、応援している自分も活性したような気持ちになるから不思議なものだ。

 

今回も早稲田OB・OG会「早稲田アスレチック倶楽部」の会長を務める瀬古利彦氏が、慶応OBらとにこやかに談笑をしていたが、かつては織田幹雄氏(三段飛び、1928年アムルテルダム五輪で日本人選手初の金メダル)や西田修平氏(棒高跳び、1936年ベルリン五輪で銀メダル)といった早稲田出身の伝説のアスリートも早慶陸上の応援席によく顔を見せていた。こうした大選手たちもこの競技会で汗して世界に飛躍したかと思うと感無量である。競技会後は懐かしの日吉の飲み屋で多くのOB仲間と久闊を叙し、中には関東学連や陸連の仕事をしている後輩もいて現役の活躍や陸上競技の話題に盛り上がる。顧みれば学生時代は練習がきつくて何度も競走部をやめたいと思ったが、あの4年間があったからこそ今でもこうして母校に帰る場所があるのだと陸上競技に感謝した夕べであった。さて来年は100回大会となる。どんな趣向が凝らされるか今から楽しみである。

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2023年8月10日 (木)

膀胱がん+前立腺がん治療記 (続・続)

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昨日、半年ごとの泌尿器科での膀胱がんと前立腺がんの術後検査を終えた。膀胱がんの手術よりちょうど5年、前立腺がん摘出手術よりまる3年である。その結果、CT検査ではがん転移は見られず、内視鏡検査で見た膀胱内部はきれい、尿検査の結果も問題なし、血液検査によるPSA値は0.004と無視出来る数値だった。これにより膀胱の方は以後の検査が不要となり、今後は半年ごとの前立腺の血液検査のみとなった。思い起こせば5年半前、飛鳥Ⅱの世界一周クルーズを前に、念のために受けた人間ドックの尿検査で見つかった膀胱内のトラブル(異形細胞擬陽性)である。前立腺腫瘍マーカーであるPSA値の方は60歳代以降徐々に高くなってきてたためそれなりに気にはしていたが、膀胱は何の自覚症状もなかったので人間ドックの結果はまさに青天の霹靂であった。


ドックから紹介された泌尿器科で再度尿検査と血液検査、前立腺触診などを受けた所、「気になるところではあるがたぶん緊急性はないだろう。ただ前立腺は早めに検査した方が良い」との医師の判断により、帰って来たらもう一度尿検査と血液検査やMRI、その後数日間入院し麻酔を受けた上で前立腺生検(とついでに膀胱内視鏡)を受けるという一連の予約を入れて、世界一周クルーズに旅立ったのであった。こうして100日間にわたるクルーズから下船して1週間も経たずに予定した血液・尿検査、MRIなどを受けたところ、検査翌日に主治医から我がスマホに電話があり「至急病院に来て下さい」との要請があった。病院からの電話は良からぬ前兆、思わぬ連絡に、青い顔で病院に駆け付けたのが昨日のことのようだ。


あわてて駆けこんだ病院では、前日の尿検査の結果が思いのほか悪いためその場で膀胱の内視鏡を受けたところ、これはマズイということになり、当初は主に前立腺検査のために予約していた入院日程を延長して急遽膀胱がんの手術を受けることになった。手術後は2か月間にわたり自宅からの通いで毎週BCG薬剤を膀胱内に注入する療法を続け、まずは膀胱の治療に集中する必要があるとの主治医の説明であった。それが落ち着いたらやはり前立腺のことも考えなければいけないと云われ、「僕の経験でも膀胱と前立腺の両方に別のガンがあるのはこれまで数例だけです」との言葉だった。長旅の余韻に浸る間もなくの宣告で、まさに天国から地獄に落ちたような気分になり、付き添いに一緒に来てくれた妻は「先生の説明を聞いているとき、あなたは涙目になってたわよ」と当時のことを語っている。


こうして5年前の夏に全身麻酔の膀胱がんの内視鏡手術を受け、その秋から冬にかけてはBCG注入治療を継続、その後に2泊入院を要する前立腺生検や他の諸検査を繰り返したのち、膀胱がん治療が落ち着いた3年前の夏に再び全身麻酔でこの病院に導入されたばかりのダヴィンチ(手術支援ロボット)を使っての前立腺摘出手術を経験することになった。一連の経緯は膀胱がん+前立腺がん治療記(1~6)(その後)(続編)に詳細を記した通りである。それまで泌尿器科などはもっと歳をとった老人が受診する科目で、わが人生とは無縁だろうと何となく思っていたが人間何がおこるか分からないものだ。


主治医はさっぱりした好感の持てる先生で、様々な説明も都度納得いくものとあって、「この先生のいうことなら仕方ない、任せよう」という気分で来たのがこの5年間である。両方のガンの術後経過観察はこれまで順調で、今では半年に一度の検査間隔になったが、それでも検査の前にはちょっと胸がざわつき、「もしや何か予期せぬトラブルが起きてはいないだろうか?」などとあらぬ心配が沸き起こるものだ。幸いなことに今回の検査の結果、5年間何も起こらなかったことから膀胱ガンは以後の検査不要となり、先生からは「長い間よく頑張りましたね」とねぎらいの言葉もありまずは一安心である。慣れたとは思うものの、下半身裸になって膀胱内視鏡検査の診察台に座り、大股開きになって局所麻酔もなしに股間に管を入れる苦行も今回で終了となった。「ああ、これももうやらなくて済む」と妻に話すと、「聞けば聞くほど婦人科検診の診察台と同じ感じなのよね」と彼女は傍らで笑っている。いろいろあったが、膀胱や前立腺のトラブルは、術後を除けば(適量ならば)酒のことを注意されないのはラッキーである。

膀胱がん+前立腺がん治療記(1/6)(2021年3月10日)
膀胱がん+前立腺がん治療記(2/6)(2021年3月11日)
膀胱がん+前立腺がん治療記(3/6)(2021年3月12日)
膀胱がん+前立腺がん治療記(4/6)(2021年3月13日)
膀胱がん+前立腺がん治療記(5/6)(2021年3月14日)
膀胱がん+前立腺がん治療記(6/6・最終)(2021年3月15日)
膀胱がん+前立腺がん治療記 (その後)(2022年2月11日)
膀胱がん+前立腺がん治療記 (続編)(2022年8月18日)

2023年8月 5日 (土)

夏空を見上げながら

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夏真っ盛り、ジョギングで通る最近の皇居前・行幸通り

慶応高校の応援に甲子園球場に行き、ついでに妻と約束の500系新幹線に乗ろうかと考えてみたが、8月10日から19日までは、「大人の休日倶楽部ジパング」の割引適用外期間だし、航空会社のマイレージも最近の度重なる旅行でほぼ使いきってしまった。台風も来ているので、天候もどうなるかわからない。甲子園の応援はテレビでと決めて、暫くは東京で夏の日々を過ごすことにした。この間、暑い盛りの日課のジョギングは夕方の5時ころから始めるが、それでも東京は、この時間になっても気温32度~33度しか下がらず湿度も60%ほどで、冷房の効いた部屋から外に出るのはなんとも億劫だ。そんな時は走った後のビールの旨さを思い浮かべつつ、予定の時間になったらまず着替え、シューズを履いて表に飛び出すことにしている。最近のニュースは盛んに熱中症に警戒などと云うが、暑さに立ち向かう気持ちでひとたび前に踏み出せば、いつしか自然に歩を刻む自分を発見し、時には三昧の境地に入ることもできる。老境に入ろうとも、何事においてもまず身なりを整えて手をつけること、一歩を踏み出すことが肝要だと心したい。


という訳で、最近はブログのネタも尽きて窓の外に流れる夏雲をながめるばかりだ。よって今回もブツブツと政治の話である。LGBT法案が成立してしまったので、以前にアップしたとおり、第2次安倍政権以来続けてきた自民党支持をやめることにした。党内の慎重論にもかかわらず党議拘束をかけてまでLGBT法案を成立させた上、安倍政権以来の「対韓国への戦略的無視」もやめてしまった岸田政権に愛想が尽きたのだ。私のように考える者が予想以上に多いことがいま保守界隈では話題になっており、案の定、先週末に行われた仙台市議選では、自民党が3議席減、代わりに維新の候補がこれまでのゼロからなんと5議席を取り、参政党も1議席を初めて確保するという大方が予想もしない結果となった。この選挙の結果については、自民党離れした有権者の中でも思想的に中庸の人は維新へ、コアな右の保守層は参政党に流れたとの分析がなされているが、いずれにしても自党への支持者の期待を裏切った岸田政権へ鉄槌が下ったものと自民党内は狼狽しているという。参政党の主張には皇位継承などでいまだ不明な点が幾つかあるものの、先年から大いに注目されてきた彼らが、自民党を見限った保守層の受け皿になり始めたことは間違いない。
2021年12月24日「参政党 新しい保守に期待」
2022年7月11日「安倍晋三元総理を悼む・2022年参院選」


そういう思いで冷ややかに自民党を眺めていたら、次々と彼らがやらかしてくれる。文春砲でやり玉に挙がった岸田首相の懐刀、木原官房副長官周囲にまつわるスキャンダルはどうやら進展なしで終了しそうだが、まずは松川るい参院議員率いる自民党女性局のパリ『研修』旅行問題。そもそも7月の終わりバカンスシーズン真っ盛りのパリに子連れ38人の団体で行き、愚かにもSNSではしゃいでいる姿が炎上したうえ、「税金など公費を使っていない」と苦し紛れの釈明が余計に叩かれている。と思っていたら次は秋本真利衆員議員事務所が、収賄容疑で東京地検の捜索の受けたというニュースだ。風力発電を手掛ける会社社長と、それを後押しする政策を推進する議員が、共同で競走馬を購入・管理する組合を立ち上げ、そこにこの会社から3000万円が投入されたという。真相はこれから解明されるのだろうが、自らの政策と利益が合致するような会社からは、すべからく距離を置くのがまともな政治家というものだろう。この件は、検察に目をつけられてもしょうがない。私はかねてから「SDGS」やら「再生可能エネルギー」ビジネスは、限りなくうさん臭い新手の利権の窓口に違いないと考えてきたので、さもありなんだと思っている。安倍さん亡き後の自民党は、国家観なき議員たちによる糸の切れたタコのような政党になってしまった。といって維新は親中国だし、国民民主はどうも人気がない。参政党以外に受け皿がないことを憂いながら夏空を見上げる日々である。

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