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2023年6月 4日 (日)

立山黒部アルペンルート(2)と上高地

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ダムの堰堤から下をのぞくと何とも足元がざわざわする黒部ダム

乗り物を乗り継いでやってきた黒部ダム。かつては黒四ダムと呼ばれており、黒部川に造られた4番目のダムだと思っていたが、そうではなく黒部川第4発電所に送る水を貯めるダムで「黒部ダム」というのが正式な名称だそうだ。黒部ダムは1963年に完成し、今でも日本で最も高い堤高(186米)を誇る発電用アーチ型ダムである。ダムの堰堤から下流を覗けば、コンクリートアーチのへこみの為に眼下は完全な空洞、はるか下に黒部川の流れが見えるだけで、足下がゾクゾクするような眺めである。黒四と云えば、1960年代には三船敏郎、石原裕次郎の映画「黒部の太陽」の舞台となるなど、様々なメディアで建設の労苦が報じられたことを思いだす。当時読んだ本では、ダム建設資材運搬用の「日電歩道」の危険なことや、トンネル掘削時に「破砕帯」から大量に出水した模様などが詳しく描かれていたが、その苦闘も今はむかし、こうして簡単に観光ルートの一部として来られることに隔世の感がある。


そういえばあの頃は黒四ダムの他に、戦後初の国産旅客機YS11が1962年に初飛行、同じ年に出光興産の当時世界最大の13万トンタンカー日章丸が竣工するなど、戦後の科学技術の復興を遂げる出来事が相次いだ。極めつけは1964年の「夢の超特急」東海道新幹線の開通で、日本はこれから益々発展するのだという高揚感が子供心にも伝わってきた時代であった。こうした高度成長を背景に、旺盛になる一方の電力需要を満たすため、戦前からの念願だった黒部川にこの大規模なダムが建設されたのだが、かつては「水主火従」と云われた水力発電も、現在の我が国の電力事情では供給の8%を占めるのみだという。発電と云えば、地球温暖化の原因は本当は何も分かっていないのにも関わらず、CO2削減が急務だとする利権ビジネスが世界を席捲して、日本全国の海岸べりや丘陵に何とも異様な風力発電の風車が立ち並ぶようになった。さらにシナ利権にどっぷりつかった太陽光パネルが日本の野山を覆っているのだが、これら環境破壊の設備を見るたびに不愉快な気持ちにさせられるのが常である。豊富で安価な電力は産業の基盤。怪しげな利権に乗じた世界の動向に惑わされず、原子力発電やわが国が誇る省エネの石炭火力発電、水力発電など従来型の発電施設のさらなる開発や活用がならないものか、総貯水量2億トンの雪解け水を貯えたダム湖面を見ながら、電源開発に思いを巡らす。


こうして50年ぶりの立山黒部アルペンルートを過ぎ、扇沢からは再び「びゅう」の観光バスに乗車。JR信濃大町駅で立山駅で預けた手荷物をピックアップして、一行は一路安曇野をその夜の宿舎の穂高ビューホテルへやってきた。名前の通りここからは穂高岳連峰の景色が楽しめるのかと思いきや、フロントで尋ねると「ここからは穂高は見えないんです。近くの明神岳の上の方がちょっと・・・・」と残念な答えが返って来る。しかし今の天皇陛下が皇太子時代にも宿泊されたホテルは、芝生の庭も美しい高原リゾートで、洋食フルコースの後は河鹿の声に包まれた露天風呂の温泉に浸かり、2晩目もゆっくり休息をとることが出来た。翌日は貸し切りバスで、釜トンネルを抜けて40年ぶりの上高地へ。上高地は自家用車の乗り入れは禁止である。若い頃、連休中に東京から自家用車で来て、上高地から登山したことがあった。乗り入れ禁止のため釜トンネル手前の駐車場を利用しようと思ったが、どこも満杯で止む無く多くのクルマが縦列駐車している国道に自分の車を停めて穂高に登ったのであった。3日後に下山して来ると観光地散策だけの他の車はみなとっくに出発しており、トンネル前の山道にポツンと我がクルマ一台だけが故障車のように駐まっていた。よく狭い国道に3日間も違法駐車して違反のステッカーを貼られなかったものだと冷や汗をかいたことがあったが、ここには貸し切りバスで来るのが一番ラクだ。


この日は午後から雨予報の天気も何とか曇り空で、久しぶりの上高地では大正池から明神まで徒歩10キロ、約2万歩の散策を楽しむことができた。上高地の中心地、河童橋からは岳沢を前面にして標高3190米の奥穂高岳が聳え立ち、右に目を転じれば吊り尾根から前穂高岳(3090米)、左にジャンダルムから西穂高岳(2909米)と、かつて憧れて登った懐かしい峰々が連なるのを見る事ができる。穂高山行は小屋泊まりだったが、そういえばあの当時使ったコンロやコッヘルはもう捨ててしまったのか、どこかの押し入れにまだ眠っているのかなどと急に気になってくる。時々参加した会社のハイキング部には大学時代に山岳部に属しヒマラヤ遠征に参加した猛者もいたが、彼らはいったい今どうしているのだろうか、懐かしい場所に来ると懐かしい山の友人の顔を思いだすものだ。戸田豊鉄作詞・作曲「山の友よ」の「友をしのんで仰ぐ雲」と歌詞を口ずさみながら、こうしてステップも軽く妻と二人で久々の梓川沿いの遊歩道を歩くことができた。本格的な登山はもうやりたくないが、次は若い頃に何度か訪れた尾瀬に行ってみようと思いつつ、上高地バスターミナルで待つ観光バスに戻った。

焼岳と大正池
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