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2023年5月24日 (水)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(最終4) 吉野ヶ里公園

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吉野ヶ里駅近辺では、なんとも長閑な光景が広がっていた

3泊のクルーズなどあっという間だ。クルーズ旅行なら最低でも1週間くらいは乗って、そのうち2~3日は寄港地に上陸、残りの日はゆったりと船上生活を楽しみたいところである。船上生活と云えば、これまで飛鳥Ⅱには約400泊ほど乗船したので、我々にはルーティンができている。朝は8時台に起床、朝食は主にビュッフェ、午前中から昼頃にかけてデッキで8キロから10キロのジョギング、昼前に露天風呂に駆け込み、昼食は抜くか、ごく軽くつまむ程度。午後はダンス教室が開催される時は極力参加するが、それ以外はパブリックスペースでゆったりとコーヒーを飲んで過ごす。夕方になると海と夕陽の見える場所で図書室から借りた本を読み(大体うたた寝になる)、5時過ぎからは自室でプシュっと缶ビールを開ける。ショーは特別興味がある演目以外はパスし、8時前の2度目の食事(セカンドシーティング)で夕食を摂った後は、夜は船内各所の生バンド演奏などを聞きつつ、踊れれば数曲ダンスして寝るという生活である。これなら余り疲れることもなく日々が過ごせるが、短いクルーズだと乗船して2日目や3日目にビンゴ大会が開催されるなど、急に忙しくなるのに面食らう事しばし。このような船上暮らしに慣れた今は、クルーズ船にはもっと長く乗っていたいのが山々なるも、価格が高くなった最近の飛鳥Ⅱだと、そう沢山乗ることもできない。


こうしてやや慌ただしかった3泊のクルーズも終了、4日目の朝9時過ぎに博多港で下船した後は、福岡空港からマイレージ予約した便で帰京する事にした。ただせっかくの北九州なのでフライトは午後7時出発にし、下船日は観光してから帰る計画にしている。もっとも北九州と云っても広いエリアだし、大宰府も昨年行ったばかりだ。今回はどこに行こうか思案していると、この3年半、武漢ウイルス騒動で海外旅行ができなかった分、あちこち国内を旅行した結果、あと行ったことのない県が佐賀県だけになったと妻が言う。我が家の「行った場所」の定義は、通過や乗り換えするだけでなく、その土地で下車して宿泊や観光、ゴルフその他イベントに参加するなど、一定時間滞在して消費活動することが必須要件であり、そういえば佐賀県の観光地や都市は訪問したことがなかったことに気がついた。その佐賀と云えばまず思い浮かぶのが唐津や呼子方面だったが、この2か所を半日で急ぎ足で回ってしまうのもちょっと勿体ない。よって今回は3時間くらいあればぐるっと回れる特別史跡「吉野ヶ里遺跡」を訪問することにした。30年ほど前に、弥生時代の大規模な遺構・遺物が発見されたと話題になった吉野ヶ里は、いま「吉野ヶ里歴史公園」として整備されており、長崎本線の車窓からは、ほど近くに復元された物見やぐらなどが見えるので、ちょっと気になっていた場所である。


博多駅から南下すること40キロ、鹿児島本線を鳥栖で降り、長崎本線の電車に乗り換えて博多から1時間ちょっとで、我々は佐賀県にある吉野ヶ里公園駅に着いた。訪れた日は月曜日とあって、駅から公園に向かう地元の道はパラパラと数人が歩くのみである。あたりは収穫が近い麦畑ばかりで、ひばりのさえずりがウルさいほどの何とものどかな場所だった。10分ほど歩いて着いた「吉野ヶ里歴史公園」は、想像をはるかに超えた立派な施設で、眼前には南北の長さは1700米、東西には500米~最大1100米に亘る園地が広がっていた。ここは全国に16ある国営公園の一つで、国土交通省の管轄で整備されたとのこと( ただし吉野ヶ里公園の一部は県営 )。国営公園とは東京近辺なら東上線の森林公園、立川の昭和記念公園などがそれで、2001年に開園になった吉野ヶ里公園は大変な予算・運営費が投じられていることが窺える。東京や大阪近辺ならば平日と云えどもかなりの入場者がいるはずだが、駐車場はガラガラ、園内は韓国や台湾からの外国人客が目立つばかりで、日本人観光客の姿はまばらであった。65歳以上のシニア割引で入場は僅か200円、妻は大人料金460円とあって、なんだか申し訳ないくらいである。


来てみると吉野ヶ里の地はちょっとした高台にあって、背後の背振山地が北風を防ぎ、前面には有明海が開け、傍らに田手川が流れて、山の幸、海の幸が豊富でさぞ住み易かったであろうことが分かる。ここに紀元前5世紀から紀元3世紀の弥生時代にクニができて、後期には一帯で数千人が定住していたとされ、魏志倭人伝に記された卑弥呼の邪馬台国が吉野ヶ里だった可能性もあるそうだ。吉野ヶ里のクニは総延長2.5キロ、幅が4~5米の環濠と柵・土塁によって外部と隔てられ、入口は兵士によって固められていたとのことで、環濠内は、住居のほかに倉庫や物見やぐら、祭殿などがあったほか、墳丘墓や祭壇などが発見されている。ここでは農業が営まれ、周囲とは物々交換の交易をしていたことが分かっており、当時は国内最大規模の環濠集落だったと云われている。園内のトイレを使用した際に、ふと当時のトイレ事情はどうだったのか、糞尿対策はどうしたのか気になって係り員に聞いたところ、まだその辺りはよく分かってないと答えが返ってきた。公園内では今も発掘調査が行われており、トイレ問題も含めてこれからも新たな発見があることだろう。公園内が広いこともあって予定していた見学時間はすぐにオーバー。急いでこの日のもう一つの目的地、佐賀城を見学し福岡空港に駆け付けたところ、スマホの歩数計は一日で2万5千歩、16キロを歩いたことを示していた。

吉野ヶ里公園の環濠内に再現された弥生時代の祭殿
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