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2023年5月

2023年5月29日 (月)

黒部峡谷鉄道 トロッコ電車

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スリル満点の車窓

飛鳥Ⅱクルーズの翌週は「人気観光地が目白押し!黒部峡谷トロッコ電車・立山黒部アルペンルート・上高地を1日1か所ずつめぐる充実3日間」の旅に行って来た。このところ毎週毎週遊びで忙しい。今回の旅はJR東日本系の”びゅう”が主催する添乗員付き団体旅行(2泊)である。かねてより一度乗りたいと思っていた黒部のトロッコ電車に乗車し、私にとっては50年ぶりとなるアルペンルートと、40年ぶりの上高地を一挙に効率よく回ってくれる旅という事で参加したものである。旅の初日は、一同25名+添乗員の計26名で東京地区から北陸新幹線に乗り黒部宇奈月温泉駅で下車、観光バスで黒部峡谷鉄道の始発駅・宇奈月駅に行き、黒部峡谷トロッコ電車に乗車する日程である。やって来た宇奈月は富山から伸びる富山地方鉄道の終着駅で、地鉄の宇奈月温泉駅ターミナルに隣接してトロッコ列車の基地が拡がり、その山側に黒部峡谷鉄道の宇奈月駅があった。宇奈月から黒部川の渓谷に沿って上流の欅平までの20.1キロ、大正時代末期から昭和初期~戦前にかけて、電源開発のダム資材輸送のために762ミリのナローゲージで敷設されたのが黒部峡谷鉄道である。同鉄道は1953年に地方鉄道の免許を得て観光輸送にも乗り出し、冬季以外に運転されるトロッコ列車が有名になったが、鉄路はまだ資材の輸送にも使われており、会社は関西電力の完全子会社になっている。


1時間に1本ほどの間隔で運転されるトロッコ電車(本当は電気機関車牽引なのでトロッコ列車というべきだが、同鉄道のホームページには「トロッコ電車」とあるためここでも電車とする)は、直流600ボルトの動力源によって運転される。ここでは主に日立製作所製のEDR型と呼ばれる全長7米弱の直流電気機関車により、10両余り(乗客の波動で客車の編成両数は変化するようだ)の客車が牽引されて渓谷に沿った鉄路を登り下りしている。重連総括制御の電気機関車は抑速にエアの他に発電ブレーキを使用、常に列車の先頭に立つプル牽引運転で、標高223米の宇奈月駅から599米の欅平まで、アプト式などではなく粘着方式の運転である。主力のEDR型の他に、粘着性能に優れたインバータ制御・交流モーターのEDV型という新鋭機関車(川重製)もあり、こちらは回生ブレーキを装備しているとのこと。いずれの機関車も台車には空転防止対策のとても大きな砂まき装置が目立つ。客車はオープンタイプのトロッコ車両と、客席がエンクローズされるリラックス客車(こちらは追加料金が必要)の2種類があり、定員は1両20名~30名、いずれも全長は7米強のボギー車両でアルナ工機製であった。編成後尾はボハフ呼ばれる客車で、多分ボはボギー車、ハは普通車、フは手ブレーキ装着を指していると思われ、最後尾には車掌が乗務している。アルナ工機と云えば路面電車の製造が得意であり、かつ関西私鉄の雄である阪急電鉄の子会社であることを考えると、こちら関西電力の完全子会社でナローゲージ鉄道の車両にはアルナ工機製が打ってつけという感じもする。全線単線の運転だが、安全を担保する信号系統は、ATSのようなシステムが構築されているようで、軌道内には地上子が置かれていた。


この鉄道は、旧国鉄の東京起点による列車分類方法を踏襲しているらしく、終点の欅平に登るのが下り列車、起点の宇奈月に下るのが上り列車となっているのが面白い。トロッコ車両に乗車して宇奈月駅を出発すると、車内は地元富山県出身の女優室井滋さんの解説放送が流れ、沿線の様子や鉄道の沿革が分かるようになっていた。黒部峡谷のV字谷に沿って山あり谷ありダムありで、トンネルや橋梁の連続する線路の周囲は、インディジョーンズの映画に出てくるかのスリル溢れる光景が展開する。急カーブの度に車輪とレールの擦れる”キーキー”という摩擦音を派手に響かせつつ、「電車」は最高でも時速25キロ程度で急峻な崖沿いにゆったりと走った。乗車して約1時間、我々”びゅう”団体客は、なぜか終点の欅平まで行かず、2.6キロ手前の鐘釣駅で下車して、黒部川対岸の万年雪の雪渓を眺め、河原の露天風呂付近を散策したが、見るとクラツーなど他の団体も皆ここで降りている。多分終点の欅平まで行くと時間がかかるので、日程管理のために団体客は皆がここで折り返すことになっているようだ。どうせなら終点まで行ってみたいところだが、このあたりが自由の効かない団体旅行の辛いところである。鉄オタの為に、本鉄道に関するより詳しい技術的な資料や展示、説明パンフレットが欲しかったが、そんな客はごく少数だろうからこれまた仕方がない。釣鐘駅より「下りの上り列車」で宇奈月まで戻ってくると総時間は4時間余り、冒険心が刺激される峡谷鉄道の旅であった。天気も順調でこうして旅が始まった。

最新の電機EDV型と途中駅で列車交換
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2023年5月24日 (水)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(最終4) 吉野ヶ里公園

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吉野ヶ里駅近辺では、なんとも長閑な光景が広がっていた

3泊のクルーズなどあっという間だ。クルーズ旅行なら最低でも1週間くらいは乗って、そのうち2~3日は寄港地に上陸、残りの日はゆったりと船上生活を楽しみたいところである。船上生活と云えば、これまで飛鳥Ⅱには約400泊ほど乗船したので、我々にはルーティンができている。朝は8時台に起床、朝食は主にビュッフェ、午前中から昼頃にかけてデッキで8キロから10キロのジョギング、昼前に露天風呂に駆け込み、昼食は抜くか、ごく軽くつまむ程度。午後はダンス教室が開催される時は極力参加するが、それ以外はパブリックスペースでゆったりとコーヒーを飲んで過ごす。夕方になると海と夕陽の見える場所で図書室から借りた本を読み(大体うたた寝になる)、5時過ぎからは自室でプシュっと缶ビールを開ける。ショーは特別興味がある演目以外はパスし、8時前の2度目の食事(セカンドシーティング)で夕食を摂った後は、夜は船内各所の生バンド演奏などを聞きつつ、踊れれば数曲ダンスして寝るという生活である。これなら余り疲れることもなく日々が過ごせるが、短いクルーズだと乗船して2日目や3日目にビンゴ大会が開催されるなど、急に忙しくなるのに面食らう事しばし。このような船上暮らしに慣れた今は、クルーズ船にはもっと長く乗っていたいのが山々なるも、価格が高くなった最近の飛鳥Ⅱだと、そう沢山乗ることもできない。


こうしてやや慌ただしかった3泊のクルーズも終了、4日目の朝9時過ぎに博多港で下船した後は、福岡空港からマイレージ予約した便で帰京する事にした。ただせっかくの北九州なのでフライトは午後7時出発にし、下船日は観光してから帰る計画にしている。もっとも北九州と云っても広いエリアだし、大宰府も昨年行ったばかりだ。今回はどこに行こうか思案していると、この3年半、武漢ウイルス騒動で海外旅行ができなかった分、あちこち国内を旅行した結果、あと行ったことのない県が佐賀県だけになったと妻が言う。我が家の「行った場所」の定義は、通過や乗り換えするだけでなく、その土地で下車して宿泊や観光、ゴルフその他イベントに参加するなど、一定時間滞在して消費活動することが必須要件であり、そういえば佐賀県の観光地や都市は訪問したことがなかったことに気がついた。その佐賀と云えばまず思い浮かぶのが唐津や呼子方面だったが、この2か所を半日で急ぎ足で回ってしまうのもちょっと勿体ない。よって今回は3時間くらいあればぐるっと回れる特別史跡「吉野ヶ里遺跡」を訪問することにした。30年ほど前に、弥生時代の大規模な遺構・遺物が発見されたと話題になった吉野ヶ里は、いま「吉野ヶ里歴史公園」として整備されており、長崎本線の車窓からは、ほど近くに復元された物見やぐらなどが見えるので、ちょっと気になっていた場所である。


博多駅から南下すること40キロ、鹿児島本線を鳥栖で降り、長崎本線の電車に乗り換えて博多から1時間ちょっとで、我々は佐賀県にある吉野ヶ里公園駅に着いた。訪れた日は月曜日とあって、駅から公園に向かう地元の道はパラパラと数人が歩くのみである。あたりは収穫が近い麦畑ばかりで、ひばりのさえずりがウルさいほどの何とものどかな場所だった。10分ほど歩いて着いた「吉野ヶ里歴史公園」は、想像をはるかに超えた立派な施設で、眼前には南北の長さは1700米、東西には500米~最大1100米に亘る園地が広がっていた。ここは全国に16ある国営公園の一つで、国土交通省の管轄で整備されたとのこと( ただし吉野ヶ里公園の一部は県営 )。国営公園とは東京近辺なら東上線の森林公園、立川の昭和記念公園などがそれで、2001年に開園になった吉野ヶ里公園は大変な予算・運営費が投じられていることが窺える。東京や大阪近辺ならば平日と云えどもかなりの入場者がいるはずだが、駐車場はガラガラ、園内は韓国や台湾からの外国人客が目立つばかりで、日本人観光客の姿はまばらであった。65歳以上のシニア割引で入場は僅か200円、妻は大人料金460円とあって、なんだか申し訳ないくらいである。


来てみると吉野ヶ里の地はちょっとした高台にあって、背後の背振山地が北風を防ぎ、前面には有明海が開け、傍らに田手川が流れて、山の幸、海の幸が豊富でさぞ住み易かったであろうことが分かる。ここに紀元前5世紀から紀元3世紀の弥生時代にクニができて、後期には一帯で数千人が定住していたとされ、魏志倭人伝に記された卑弥呼の邪馬台国が吉野ヶ里だった可能性もあるそうだ。吉野ヶ里のクニは総延長2.5キロ、幅が4~5米の環濠と柵・土塁によって外部と隔てられ、入口は兵士によって固められていたとのことで、環濠内は、住居のほかに倉庫や物見やぐら、祭殿などがあったほか、墳丘墓や祭壇などが発見されている。ここでは農業が営まれ、周囲とは物々交換の交易をしていたことが分かっており、当時は国内最大規模の環濠集落だったと云われている。園内のトイレを使用した際に、ふと当時のトイレ事情はどうだったのか、糞尿対策はどうしたのか気になって係り員に聞いたところ、まだその辺りはよく分かってないと答えが返ってきた。公園内では今も発掘調査が行われており、トイレ問題も含めてこれからも新たな発見があることだろう。公園内が広いこともあって予定していた見学時間はすぐにオーバー。急いでこの日のもう一つの目的地、佐賀城を見学し福岡空港に駆け付けたところ、スマホの歩数計は一日で2万5千歩、16キロを歩いたことを示していた。

吉野ヶ里公園の環濠内に再現された弥生時代の祭殿
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2023年5月23日 (火)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(3) 宇佐神宮と豊後高田

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全国の八幡神社の総本宮 宇佐神宮

別府は幾度か行ったことがあるが、海から訪れるのは初めてだ。高崎山を左手に、前方に鶴見岳や由布岳を望みつつ、飛鳥Ⅱは別府観光港の石垣地区第4埠頭に9時に着岸した。目の前には大阪~別府航路に今年投入されたばかりのLNGを燃料とするフェリー ”さんふらわあ くれない”が着いており、さかんにトラックのシャシーを積み下ろしている。海に向かって傾斜した別府の街は、船から眺めると所々に湯けむりが立ち上り、ここがいで湯の里だという風情を漂わせている。この日の出帆は17時、乗客の最終帰船時刻は16時30分で、停泊の実質7時間ほどの間に、船から約50キロ離れた宇佐神宮と「昭和の町」豊後高田市をJR日豊線で訪れることにした。とは云え岸壁から3キロ以上離れた別府駅から、1時間に1~2本しかない列車に乗り移動、宇佐駅の西と東にそれぞれ4キロほど離れて位置する2つの目的地を、制限時間内で訪れるスケジュールを作成するのは、ちょっとしたパズルを解くようなもの。本当はレンタカー利用としたいが、最寄りのレンタカー会社は岸壁から遠くて歩いて行けないし、土地勘がないので渋滞にでも巻き込まれたら帰船時間に間に合わなくなる恐れもある。よって今回はJR線の電車や大分交通バスの時刻表、それにネットの情報などを駆使して、これしかないという予定を立てて飛鳥Ⅱの舷門から上陸した。


やって来た宇佐神宮は山や森を背に、寄藻川(よりもがわ)が境内を流れる、いかにも神のおわす場所らしい壮大な神社であった。この神社は歴史的な経緯から、我が国皇室においては伊勢神宮に次ぐ宗廟として位置づけられると参道の由緒書きにある。宇佐神宮は全国八幡社の総本宮とのことであり、八幡信仰とは応神天皇の正徳を称えつつ、日本固有の神道と外来の仏教が融合する宗教なのだそうだ。神仏混淆は日本人の優れた習俗だとかねがね思っていたが、その大もとが宇佐神宮だったとは今まで知らなかった。SEEING IS BELIEVING、何でも来てみるものである。お参りを終え神社そばのバス停から、次は一時間に一本の大分交通のローカルバスで豊後高田に向かう。豊後高田市はかつては国東半島の商業中心地だったが、1965年にこの町が起点だった宇佐参宮線が廃止されたあと、御多分に漏れずモータリゼーションや郊外大型店の進出で町の商店街はさびれる一方だったとのこと。そこで21世紀に入り、町おこしの一環として、昭和の町並みをそのまま活かし観光客を呼び込むことにしたそうだ。昭和30年代のまま残った商店街では、代々伝わるお宝の展示や懐かしい味の店売りが展開され、訪問した人たちはノスタルジックな世界へいざなわれる趣向になっている。ここはテーマパークではなく、今もそこで人々が生活しているままが昭和の世界になっているところがミソだと云えよう。


昼食はバスターミナルにほど近い、カフェ&バー・ブルバールの「懐かしい!!昭和の『学校給食』をとる」セット定食とした。クルーズ船の豪華料理から一転、私は揚げパンと牛乳のセット、妻はソフト麺とカレー汁(カレーではなく汁と書いてあることが重要だそうだ)と鯨の竜田揚げの単品を注文し、あの欠食の時代の昼食をとることにした。学校机のテーブル上に出された「給食」はお約束どおり、アルマイトの食器に先割れのスプーン(割り箸も付いていた)。当時と同じくらい大きなコッペパンを一口かじれば、昔と違ってウマいのが憎いところだ。当時の噛んでも噛んでも噛み切れなかった味のない固いコッペパンに、なんとも説明しがたい程ひどくマズかった脱脂粉乳と較べると、ここで出された「給食」は天国である。妻の方は久しぶりのソフト麺は懐かしかったが、出てきたカレーが今風のいわゆるカレールーだったので、薄い汁への期待が大きかった分「コレジャナイ」感が募ったようだ。私の時代なら「カレー」というだけで嬉しくて飛び上がったものだが、東京で給食が美味くなったのは1964年の東京オリンピックが境だそうで、オリンピック前に小学生だった私と、その後に小学生になった妻とは給食の思い出も異なることが分かった。こうして時計を気にしつつ、無事に戻った飛鳥Ⅱではその晩も贅が尽くされた和食が供された。給食の味から高級な晩餐まで、クルーズ船の旅は変化に富んで楽しいものだ。

昭和の町 豊後高田 おかえりなさい、思い出の町へ。
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「給食」コッペパンに鯨の竜田揚げ、あの脱脂粉乳でないのがにくい。
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2023年5月19日 (金)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」 (2)

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このクルーズの航跡図 熊野灘では海岸近くを航走

この航海、飛鳥Ⅱの指揮を執るのは小久江 尚船長だった。小久江キャプテンは船内アナウンスが丁寧で話題が豊富、また航路選定の面でも気象・海象・スケジュールの許す限り、乗客が興味を引きそうな対象に極力近寄ってくれるクルーズ船にうってつけの船長に思われる。我々は乗船受付の際に彼が船長だと分かると、思わず「ラッキー」とつぶやいてしまうほどだ。今回も東京湾を出て伊豆大島の南端を交わした後は、本来ならば紀伊半島の潮岬まで一直線に針路をとって足摺岬に向かうところを、航路をそれて紀伊半島東岸に接近して走ってくれた。そのためクルーズ2日目は紀伊半島の山々を遠望でき、右舷のキャビンにいた手元の携帯電話の4Gアンテナも常に3~4本が立っている状態であった。小久江さんとは2011年の世界一周クルーズで彼がスタッフキャプテン(副船長)として乗船した時以来の顔見知りである。その航海中に行われた船上ビアガーデンに参加してくれて、我々と同じテーブルで呑んだのがきっかけだが、船長になった後も船内で会うといつも気さくに声をかけてくれる。クイーンエリザベスのクリストファー・ウェルズ船長、日本船なら「ぱしび」の由良元船長など「この人なら!」という名物キャプテンと共に航海をするのもクルーズの楽しみの一つである。


クルーズ開始時、横浜港を出港する際に飛鳥Ⅱでは「セイルアウエイパーティ」が開催される。見送り人の送迎に答えつつ、7デッキでバンドの音楽と共にパーティを開き、皆で出港風景を楽しむ催しで、”ダイアナ””ダンシングクイーン”や”ロコモーション”などの60年代ロックンロールミュージックに合わせて、エンタメのクルーを中心に乗客が一緒にラインダンスを踊るのが恒例になっている。ただほとんどの乗客は日常生活からクルーズ船という異次元の空間に入ったばかりで、いきなり皆の前で踊ろうという雰囲気に馴染めないようだ。特に今回の様に団体客が多い時は、初めての飛鳥Ⅱ、初めてのクルーズ船という人も多いに違いない。こんな時には本船のエンタメクルーが率先して周囲を盛り上げる必要があるのだが、新人ばかりなのか、近頃の若者の特徴なのか、はたまたコロナの余波なのかどうも最近はクルーがシャイで元気が足りない。そこでここのところ、率先して踊ってやろうと、真っ先に妻と二人でバンドの前でツイストなどで身をくねらせることにしている。「70過ぎのジジイが狂ってるんだぞ、さあみなでLET'S DANCE!」という心意気だ。遠巻きにした乗客がもの珍しいものを見るかのように我々を動画撮影するのを横目にしつつ、「旅の恥はかき捨て」「高いカネ払ったのだから楽しんでナンボ!」と人の目などは一切気にしないのがポイント。飛鳥Ⅱのノリの悪さは外国船、とくにアメリカ海域のクルーズ船とは大違いだが、我々が踊っているとそのうち乗客の何人かがオズオズとツイストなどに加わり段々と盛り上がってくるのである。


今回のクルーズでは終日航海日の2日目、午前・午後1回ずつダンス教室が開かれた。飛鳥のダンス教室ならこのところこの人という山下先生が講師である(社交ダンスでは教える人を○○さんと呼ばず先生と呼ぶのが全国的な決まりらしい)。クラブ2100で行われたダンス教室は初心者向けだったので参加はしなかったが、傍らのソファで見ていると内容はお約束のマンボとスクエア・ルンバの講習。彼の説明はダンスを続けるヒントやポイントが散りばめれており、話を聞いているだけで参考になる気がする。初心者向けとはいえ、今回の教室で印象的だったのが「ダンスがうまくなるには人の目をいっさい気にしないこと、度胸が7割です」とのコメントであった。気が小さいのに、ええ格好しいの私にはけだし名言で、改めて「ダンスは度胸が7割」というフレーズを心に刻むことにした。それに励まされて、クルーズ中はパームコートでのバンドの演奏で、人の目を気にせずに毎晩ダンスを楽しむことができた(クラブ2100は前述のとおり夜間はまだダンスが踊れない)。生のバンドをバックに心置きなく踊れるホールは都内でも減り続けている。ラテンにスタンダード、人が少なければテンポまでバンドにリクエストでき、なおかつ人前で恥をかく経験までできるのが船上のダンスである。社交ダンスのリードは男性の役目。妻からは「最近は間違えても、なんら臆することなくニコニコと人前でダンスを続けられるようになったのが凄い」と、船上では夫としての株が大いに上がるのだ。こうしてダンスが徐々に解禁、またフォトショップも再開に向けてトライアルを続けているようで、ようやく長いコロナ禍からクルーズの日常が戻ってきたようだ。

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別府港で接岸の指揮を執る小久江船長(左端)、手前制服が田井副船長 右端はパイロット

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3日目の夜はパームコートでラグーナトリオの演奏で大いにダンスに興じる

2023年5月17日 (水)

飛鳥Ⅱ 「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(1)

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別府港 高崎山を前面に阪神・別府航路の新造フェリー”さんふらわあ くれない”の後ろに停泊

飛鳥Ⅱの「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」に乗船して来た。5月12日(金)からの週末をはさんだ3泊4日で、横浜港から出港して博多港で下船する片道クルーズである。これに乗船した理由は、片道クルーズの料金が周遊型に比べてやや割安に設定されていることと、今まで別府や博多にクルーズ船で寄港したことがなかった事などによる。季節も良くなりクルーズの季節が到来、バルコニー付きのキャビンに乗りたいのはやまやまだが、この頃、とみに高くなったのが飛鳥Ⅱの乗船料金である。以前はよく乗ったD:バルコニーだとこのクルーズの定価は一人26万円、一泊当たりでは8万7000円となってちょっと高すぎる。ちなみに5年前、2018年当時の飛鳥Ⅱのパンフレットを見ると、3泊クルーズではK:ステートルームは一人11万円台、D:バルコニーで17万円代などの設定もあって、我々にはK:ステートは一泊3万~4万円、D:バルコニーは6~7万円というのがこの船でクルーズする際の相場感であった。実際のところ、最近の同船の乗船料金を目の当たりにすると、その高さに予約する気持ちも萎えかけてしまうのである。よって今回はバルコニー付きキャビンは我慢して、定価18万1000円のK:ステートを株主優待券利用の1割引き、帰りの福岡空港からのフライトはマイレージ利用ということで乗船することにした。


感染症対策も政府の5類相当への移行を受けて、このクルーズからは乗船1週間前のPCR検査は不要となった。2時間近く要した港での当日検査も行なわれなくなったため、午後5時の出港時間の1時間半前までに横浜港大さん橋に行けば良いこととなり、乗船日が有効に使えるようになったのは喜ばしい限りだ。当日は午後3時頃に大さん橋に到着すると、すでに大勢の乗船客が受付開始を今や遅しと待機しており、コロナ前に戻ったかの盛況ぶりであった。聞けば今回の乗船者は500名超だと云うから、やっとクルーズに人が戻って来たことが実感できる。ただ、そのうち400名以上は別府下船の阪急旅行社による九州旅行の何種類かの団体ツアー客であり、博多まで乗船する個人客は100名強とのこと。たまたま飛鳥Ⅱの「2015~2016年飛鳥Ⅱ南極南米クルーズ」で知り合ったご夫妻が、ツアーに参加されていたので話を聞いたところ、船内に2泊して別府で下船後は北九州や最近ブームの宗像神社を1泊で廻り、空路帰京するそうだ。なるほど片道のクルーズでは、こうして旅行社にキャビンを売って船は商売するのかと、その実態に触れて興味深かった。普段は飛鳥Ⅱ常連客ばかりが目につく船内も、旅行社企画による週末利用の家族連れ、親子連れなどの姿が多く、肩の凝らない雰囲気だったのが印象的であった。


感染症対策が緩和されたため、船内でのマスク着用も完全に個人の判断となり、終日航海日の2日目は午前と午後にダンス教室も開催された。しかし普通はダンス会場となるクラブ2100は、夜になると距離をとるために相変わらずフロアーにソファーが置かれて、ワルツやタンゴなど動き回るスタンダード種目がまだ踊れないのが残念。高齢者の多い船内ゆえ、徐々に対策を緩和するという方針なのであろう。夜も更けゆき、クラブ2100のわずかに空いたスペースで「飛鳥ダンス」を踊ろうと、飛鳥オーケストラに"ACHY BREAKY HEART"をリクエストしたところ、驚いたことには「その曲を知らない、楽譜を探してくる」との答えが返ってきた。次のステージでやっと演奏してくれたので久しぶりに妻と2人だけで「飛鳥ダンス」を楽しんだが、ダンスに限らず3年余に亘る感染症対策で、本船の「お約束」や「定番」が忘れ去られるのかと寂しい気持ちになる。そういえばフィリピン人クルーは相変わらず顔見知りが多く話も弾むが、エンターテイメントの日本人の女性クルーなどは、この3年で多くが退職したか部門替えになったか、まったく見知らぬ顔ばかりになって皆妙によそよそしい。「やけに偉そうな馴れ馴れしいおっさんだ」などと思われるのは嫌なので、日本人の若いクルーには男女問わずこちらも距離を置いて大人しくしていたものの、以前いた仮装好きのホテルマネージャーや、やたらフランクな日本人エンタメクルー、それにボブさんなどがやはり懐かしい。

湯煙が立ち上る別府市街を見つつ出港
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2023年5月10日 (水)

呑み鉄日帰り旅 ゆざわShu*Kura

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途中の長岡駅に停車中のゆざわShu*Kura号

もう宮使いの身ではないので皆が休みのGWにわざわざ出かける必要もないのだが、この期間は僅かに残った仕事の取引先も休みのため都内にいてもしょうがない。ただ「大人の休日俱楽部ジパング」のJR線3割引きはGW期間中は利用できず、最終日である5月7日(日)からの適用である。なので5月7日(日)に新潟県で運転される「越乃Shu*Kura」に乗るために上越新幹線で越後湯沢駅に赴いた。「越乃Shu*Kura」とはJR東日本新潟支社が主に金・土・日曜日に県内で運転する観光列車で、パンフレットに「地酒王国・新潟で列車に乗って日本酒を楽しむ。おいしいお酒と地元の味覚、大きな車窓から流れる風景がごちそうです。列車の中で新潟のいいトコをとことん満喫する。」とある通り、呑み鉄のために企画された「『酒』をコンセプトとした」列車である。


たしかに2021年度時点で、新潟県の日本酒の酒蔵数は88で日本で一番多く、県別の製造量も第3位とのことで、ここは日本酒の王国になっている。もっとも私は普段はビールとウイスキー、妻はビールと酎ハイ派なので、特段日本酒にこだわりがあるわけではない。特にサラリーマン現役時代は日本酒を注ぎつつ注がれつの宴会が多かった私は、おちょこに入ったあの透明な液体を見ると当時の営業の苦労とともに、悪酔い、二日酔いに陥った苦い情景を思い出してならない。しかし最近NHK BSで放送される「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」で、彼が朝からうまそうに車内で酒を飲むシーンを見て、たまには日本酒を吞みながら列車に揺られる旅も悪くないかと、連休を前に「越乃Shu*Kura」の乗車を思い立ったのである。


「越乃Shu*Kura」は、えちごトキめき鉄道(旧信越本線)の上越妙高駅から上越線、信越線の交わる長岡駅までを基本ルートにし、日程によって信越線・新潟駅、飯山線・十日町駅、上越線・越後湯沢駅まで足を延ばして往復運転されている。今回は越後湯沢から上越妙高までの片道約150キロの乗車で、この経路を運転する列車は「ゆざわShu*Kura」と呼ばれる。ローカル線お馴染みの気動車、キハ40、キハ48を改造した3両編成の列車は、1号車が食事・酒つき旅行商品として販売される34席の専用車両、2号車がサービスカウンター「蔵守 Kuramori」のあるイベントスペース車両、3号車がリクライニングシート36席の普通車指定席である。この列車は営業上は臨時快速の扱いで、3号車は普通乗車券に指定席券540円を買えば、途中の停車駅から随時乗車することも可能である。もちろん3号車は酒を呑まない人でも乗車することができる。


5月7日は東京を昼過ぎに出る上越新幹線「とき321号」を越後湯沢駅で下車、14時45分に出る「ゆざわShu*Kura」に乗車した。我々の乗った1号車は日本海を眺望できるように海側を向いた展望ペアシートとくつろぎペアシート、それにやや広めのらくらくボックスシートが配置されている。この日の1号車の乗客は20名ほどで、因みに3号車も定員の半分くらいの乗車であった。発車して冬場はスキーで賑わう石打駅などを過ぎると、さっそくスパークリング日本酒のウエルカムドリンクが振舞われる。さっぱりしたその泡純米清酒柏露花火(柏露酒造・長岡市)を愉しみながら魚野川に沿って上越線を下るうち、ほどなく新潟産大吟醸の日本酒一合瓶と地元食材にこだわったおつまみのセットがみなに配られた。窓外はあいにくの雨にけぶっているが、米どころ新潟の田植え前の風景を眺めながら、1時間20分ほどで列車はスイッチバックとなる長岡駅に到着。


ここから「ゆざわShu*Kura」は信越線を柏崎、直江津方面に進むが、車内を見ればさすが「酒をコンセプトとした」列車である。この頃には周囲の席はセットの八海山とボトルの大吟醸1合をとっくに飲み干し、2号車で買った地酒呑み比べセットで追加酒を楽しむ人ばかり。呑み鉄列車だけのことはあってみな呑みっぷりが良い。負けじとこちらも日本海を眼前に、新潟名産の鮭の焼き漬け付吞み比べセットをちびりちびりやるうち、だんだん酔いも回って雨で視界もさえない車窓も気にならなくなってきた。酒を呑んでいると時間の経つのが早いものだ。直江津駅からは最終行程、えちごトキめき鉄道に乗り入れると、あっという間、列車は終点の上越妙高駅に18時38分に到着してしまった。ここから北陸新幹線で首都圏へ帰る人が多かったようだが、乗客全員が4時間ほど飲み続けと云う酒飲みには天国の呑み鉄本線の列車であった。上越妙高駅から都内に戻る北陸新幹線車中で、気持ち良く爆睡したのは云うまでもない。

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地元の旬の食材を生かしたおつまみ。お猪口には純米大吟醸八海山(八海醸造・南魚沼市)、青い瓶が越乃Shu*Kuraオリジナル大吟醸酒(君の井酒造・妙高市)、乗車券、指定券とのセットで9000円
・竹の子挟み揚げ
・新潟バーニャカウダ
・駅弁さけめし
・ふきのとう風味の和風ミートローフとオータムポエムのバターソテー
・桜の水まんじゅう

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飲み比べセットは左から越の誉吟醸(原酒造・柏崎市)、越の寒中梅 純米大吟醸 雪蔵貯蔵古酒(新潟銘醸・小千谷市)、鶴の友(樋木酒造・新潟市)

2023年5月 6日 (土)

ダイヤモンド・プリンセス号 長崎港でパイロット乗船時に事故

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左端 赤白の2色旗がパイロット乗船中を示すH旗(飛鳥Ⅱ)

5月5日早朝5時半、長崎港港外に於いて、クルーズ客船ダイヤモンド・プリンセスに乗り込もうとしたパイロット(水先人)が海中に転落し死亡する事故が発生した。亡くなったのは69歳になる水先人で、転落してから14分後に救助されたが死亡が確認されたと報道されている。ダイヤモンド・プリンセスは4月29日からの横浜発着の「北日本と韓国9日間」クルーズの際中で、この日釜山から最終寄港地である長崎に入港してきたところであった。パイロットがタグボートやパイロットボートと呼ばれる小艇から本船に乗り込む際、あるいは出港時に下りる際に移乗に失敗し、大怪我を負ったり亡くなったりする事故は世界中の港で起きている。私もこれまで仕事で港外に停泊する大型船に通船から飛び乗ったり、飛び降りたりしたことが何度かあり、その危険性について身を以て経験してきた。軍手をはめ袈裟懸けにしたカバンを背中に廻し、うねる小型船船上から大型船の舷側に垂らされた梯子に乗り移り3点支持でよじ登る、あるいは反対に下船するのは命がけの仕事だと感じたものだ。亡くなった水先人はライフジャケットを付けていたと云うから、移乗に失敗した際に本船とタグボート(ないしはパイロットボート)の間に挟まれて海中に転落したのであろうか。ご冥福をお祈りしたい。


貨物船と違ってクルーズ客船は、入港後ショアエクスカーションや各種行事の日程が細かく組まれている。桟橋には観光バスが待機し地元特産品のブースが出店し、場合によっては市長などVIPの歓迎セレモニーなども予定される。貨物船なら一日沖待ちとなる場合でも、何とか入港したいと関係者が願うのも無理からぬが、事故当時の長崎港の気象・海象はどうであったか? データを見ると、この日の長崎市の日出はちょうど5時30分で、ダイヤモンド・プリンセスがパイロットステーションと呼ばれる水先人乗船海域に到達した時間と一致する。天候は小雨とあるからまだ周囲は薄暗かったであろうが、乗り込もうとする現場ではダイヤモンド・プリンセスかタグボートなどからの照明もあったはずだ。事故の時刻には風は南東からゆるく吹き、長崎県では南からの波は2米ほどとのこと。もっとも長崎港のパイロットステーションは南側に長崎市の香焼地区や伊王島があるため南からの波はそれほど大きくならないと思われる。報道では事故時の波高は1米以下とされているので、移乗に際して特に危険な状況ではなかったであろう。


日本水先人連合会のホーム頁によると、長崎港の水先人は令和3年時点で3名とある。亡くなった方はもと東京湾のベテランパイロットだったようだが、長崎に移り70歳を目前に予期せぬ状況に陥ったとみられる。水先人は水先法による国家試験に合格し、免許を取得し各地の水先人会に所属する必要があるものの、地位はあくまで自営業者であり特に定年などの規定はない。これまでは主に外航船の船長を長く勤めた人が水先人となっていたが、平成19年に規制緩和で海洋大学(旧東京商船大学、旧東京水産大学)、神戸大学(旧神戸商船大学)、海技大学校などで水先人を養成する課程も設けられている。もっともこれまでクルーズ船で国内各地の港に入出港した際に乗り込んでくるパイロットをウイングの上から見ていた限り、みな中高年で、養成機関から実職として独り立ちしたようなパイロットがクルーズ船を嚮導する例はほとんどなかったと記憶する。多くの船客を乗せたクルーズ船には熟練のパイロットを各地の水先人会が派遣するのだろう。特にダイヤモンドプリンセス(11万6千総トン)のような大型船は外航船の船長経験のある1級水先人しか嚮導できないため、シニアクラスが担当するのが常であり、今回亡くなった水先人もやはり大手海運会社の船長OBである。


このようなパイロット乗下船の際の事故を防ぐために、SOLAS(海上における人命の安全のための国際条約)によって、移乗設備にさまざまな規定が定められている。貨物船の場合では乾舷(水面からデッキまでの高さ)が9米以上ある場合は、梯子のみ頼らず途中に本船に設置されているACCOMODATION LADDERを使用するなどと決められているのが一例(下に図示)だが、クルーズ船では海面近くに開口ハッチがある場合が多く、通常パイロットはあまり高さを意識せずに小艇と本船を乗り降りすることが可能である(下写真参照)。さらに海外の港ではヘリコプターでパイロットを運ぶ例もある。そのために貨物船には貨物艙ハッチの上、クルーズ船では船首などに大きく H とランディング目標を描いた船も多い。また水先人自身も安全に業務を遂行できるように、定期的な健康診断を行っていると日本水先人連合会のホーム頁にはある。ただ高齢になるに従い咄嗟の際の運動能力が十分なのか、今回の事故が若い水先人であったら防げたかなど、老化に伴う敏捷性の問題や健康状態が今後議論を呼ぶ可能性もあるだろう。世界中の港で現実に起っているこの種の事故である。ヘリコプター輸送がベストとしても、どの港でも、大小問わずあらゆる船種でのヘリ輸送はコスト面もあり難しい。この種の事故を少なくするための設備が考案されないものだろうか。例えば水先人にハーネスを装着し、本船デッキ上に小さな専用クレーンを設置して、うねりに同期させて吊り上げ(吊り下げ)するアイデアなどはどうだろうか?

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”セレブリティミレニアム”号から下船しタグボート上で手を振るパイロット(2017年4月新潟港)

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SOLAS規定の水先人用上下船設備要件


飛鳥II「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」高知港出港時のパイロット下船シーン(2021年10月21日)

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