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2023年4月12日 (水)

東北鉄道旅 (補遺編)

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ラッセル車用の雪かき警表 

「海里」や「ツガルツナガル」など座席指定制の列車は別として、鉄道の旅ではなるべく運転台の後ろ「かぶりつき」に立って、列車の前面展望を楽しむことにしている。ローカル線のワンマン運転の列車で、都会ではあまりない運転士の運賃収受業務などを見るのは旅の楽しみの一つだ。また地方によっては線路際に立つ鉄道標識が独特で、この地区ではどういうことが列車運行上に注意すべき点なのか分かるのも面白い。今回は奥羽本線で、黄色の正方形が上下に並んだ写真のような標識が線路際に立っているのをしばしば目にしたが、これは今までの鉄道の旅で見なかったもので一体なんであろうか? 「ツガルツナガル」の折り返し駅である弘前駅でホームに立っていた駅長さんにこの標識が示す意味を尋ねると、「私も良く分からないので運転士に聞いてみましょう」と「弘前へようこそ」の歓迎横断幕を持ってホームに出ていた女性運転士のところへ連れて行ってくれた。


彼女曰く「自分は電車の運転士などで直接関係ないが、あれはラッセル車のための標識です」とのことである。ポールの上に掲げられた黄色の◇の標識は、線路際の雪をどけるためにラッセル車から左右に広げたウイングをここで畳め、下の□は軌道内の雪をかくためのフランジャーをここで上げろという意味で、トンネルの入り口や踏切、線路の分岐器などの手前に設置されているそうだ。雪かき中にウイングやフランジャーをそのままにして走ると、ウイングがトンネルの壁に当たったり、フランジャーが施設を破損させたりするので、それを防ぐために掲示されているとの事である。なるほどこれは雪国ならでは標識で、鉄道防雪林などと同様に首都圏ではまず見ることがない。70歳を越えても、旅に出ると初めて見聞きするものが沢山あるものだ。


弘前駅で「ツガルツナガル」の折り返し時間を利用して訪問した黒石市のB級グルメ、「黒石やきそば」も今回の旅の思い出である。もともとここ黒石ではうどん用の乾麺をゆでて醤油で炒めて食べていたが、戦後、中国人から支那そばが伝わり、乾麺用のカッターを使った太いそばにソースを絡めたところ、これがなかなかいけると評判になったそうだ。これに和風のそばつゆをかけたのが、黒石名物の「つゆやきそば」で、ソース焼きそばに日本そばのたれをかけて食べるのがなんともユニークである。「つゆやきそば」の起源としては昭和30年代、町の食堂で冷えた焼きそばにつゆをかけて温かくしたメニューが評判になったという説や、同じ食堂で麵だけでは腹持ちが悪いためにつゆをかけたら良かったなどの諸説あるそうだ。我々夫婦は、つゆ有りとつゆ無しを一つづつ注文したが、無い方はきわめてシンプルなふつうの焼きそば、つゆ有りの焼きそばは、まさにふつうのそばつゆ(関東風の醤油味)にソース麺を入れた味で、共にあっさりした味であった。


「海里」の終着駅である酒田は、これまで人口10万人のごく普通の東北の一都市、あるいは火力発電の基地くらいの認識しかなかった。今回、列車待ちの約2時間に駅前の観光案内所が無料で貸し出していた自転車で街をぐるっと回ってみると、江戸時代はここは「西の堺、東の酒田」と呼ばれた大変な商都、港町であったことを知り驚いた。酒田は地域の水運の要であった最上川と海上輸送の結節点にあり、東回りと西回り両方の北前船発航の港として発展したとのこと。「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれたことから、最上川は急流のイメージがあったのだが、実際に見る川は庄内平野を悠々と流れる大河である。内陸から川舟で運ばれてきた米や紅花を北前船に積み換え、各地の着物や工芸品、美術品を荷揚げしたのが酒田で、自転車で訪れた山居倉庫や、日和山公園にある北前船のレプリカなどから当時の繁栄ぶりがうかがえる。日本の港町をクルーズ船や列車で巡ると北前船の津(港)から発展した場所が多いことが分かり、北前船のことをもっと知りたいという気持ちも湧いてくる。「だったら次は酒田発新潟行きの上り『海里』をからめて旅を企画しちゃおうかな?イタリアン弁当も食べてみたいから」と妻が横で笑っている。


現存する洋式の木造六角灯台として日本最古の貴重な日和山公園灯台(旧酒田宮之浦灯台)
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酒田の山居倉庫 米を約1万トン収納できた。収納された米に対しては倉荷証券が出され、これは有価証券として流通可能であった。
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コメント

バルクキャリアー様
このところの鉄分たっぷりの記事に触発されていたところ、息子が赤字路線を応援しようと提案してきたので「何処を?」と尋ねると「木次線・芸備線」と言うではありませんか。
確かこのブログ記事で木次線の前進である簸上鉄道はバルクキャリアー様の母方のご祖父が発起人となって開設されたとの覚えがあったので、これはブログ愛読者としてご縁があると思い敢行した次第です。

トロッコ列車奥出雲おろち号など十二分に鉄分を補給して楽しめ備後落合駅では元運転士の方との出会いがあり路線の歴史を学べました。かっては備前落合駅だけでも100人超が働き24時眠らない駅として栄え日本経済の一翼を担う山陰と広島を結ぶ重要路線だったとの説明でしたが、それが今や日本有数の赤字路線で廃線の危機とは寂しい限りであります。ご祖父様が高い志にて心血を注いだこの路線の活性化策はないものかと思いながら帰路便に搭乗したのでありますJAL240便にて。

M・Y様

木次線のトロッコ列車「奥出雲おろち号」(2022年9月29日投稿:http://sonics.air-nifty.com/blog/2022/09/post-e291c7.html)を楽しまれたとのこと。最小161R、連続25‰、スイッチバックのトロッコ列車はさながら登山列車の趣だったことと思います。しかし国道314号線の「奥出雲おろちループ」の完成で、山陽・山陰連絡の役目も終え、木次線の全線運転は困難になっているようで残念です。終点の備後落合駅の現在の佇まいは正に「強者どもの夢の跡」。しかしこれも時代の流れかと感じます。現状を見れば祖父も草葉の陰で、廃線の危機も止む無しと納得しているのではないでしょうか。

最近国内を旅する機会が増え、JRのローカル線や地方私鉄に良く乗りますが、鉄道敷設に対する先人たちの情熱は大変なものがあったことをあちこちで感じます。M・Y様は鉄印帳乗りつぶしを完了されたとのことで、地方鉄道に関する思い入れの強さに感服します。どうかご子息ともども、ローカル鉄道応援の旅を続けられることを期待しております。

私は、そろそろ相鉄と東急の新横浜線相互乗り入れを体験乗車してみようと考えているところです。

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