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2023年4月

2023年4月27日 (木)

半日鉄道プチ旅行 相鉄・東急 新横浜線

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新横浜線 相鉄線乗り入れ東急4000系(二俣川)

3月18日に開業した相鉄・東急新横浜線に乗車してみた。2021年秋のつくばエキスプレス乗車以来、久々の半日鉄道プチ旅行である。話題の新横浜線の開業で、相模鉄道(相鉄)と東京急行(東急)東横線・目黒線が新横浜駅を介して結ばれ、両社車両の相互乗り入れによって神奈川県県央と東京都心部が結ばれることになった。私にとってはもともと土地鑑のある都内城南部や神奈川県東部地区である。新たな路線で一体どういうオペレーションが展開されているのか興味津々で、平日の午後、仕事の合間に東京メトロ副都心線の東新宿駅から相鉄いずみ野線の湘南台駅まで電車を乗り通してみた。この日、東新宿駅に14時7分にやって来たのは、東武東上線の和光市始発・相鉄線湘南台行きの東急の5000系4000番台の車両であった。本来なら5000系は運転室バルクヘッド(仕切り壁)右側はガラス張りで、トンネル内でもここから前面展望が効くはずだが、4000番台の車両はこの部分がガラスでなく壁面になっておりトンネル内で中央のブラインドを降ろすと前が見えないのが少し残念。といっても次の直通列車は30分も後だし、新規開業線は大部分がトンネルの中ゆえ、今回はかぶりつき展望は諦めホームや車内の様子の観察をしようと乗車した。


この電車は副都心線を通ったあと、渋谷から東横線内は急行となり日吉駅に14時38分に到着、そのまま日吉からは各駅停車の相鉄いずみ野線湘南台行きとなって、新しい地下線である東急新横浜線に乗り入れた。日吉から新横浜までの東急線区間は途中の新綱島駅をはさみ5.8キロ、引き続き新横浜から羽沢横浜国大まで相鉄新横浜線で4.2キロ、計10キロほぼ全線がトンネルによる新規開業路線である。シールド工法で掘削されたであろうトンネルは壁面の照明がただ後ろへ流れていくだけの素っ気ない車窓で日吉から7分で2面ホーム4線の新横浜駅に到着した。新規開業路線とあって新横浜駅の利用者はまだそう多くないし、新幹線利用と思われる荷物を持った乗降客もほとんどいないようである。新横浜駅で東急から相鉄に運転士が代わり、残りのトンネルを4分で走り抜けると、JR線が乗り入れる羽沢横浜国大駅が見えてきた。地図を見れば東横線の日吉駅付近から新横浜駅経由で、ルートはほぼ東海道新幹線に沿って施工されていることが分かる。計画から20余年、工事開始から10年、総費用4000億円以上の難工事を乗り越えて完成した路線であるが、通り抜けてみればわずか12分であった。


乗車した電車はそのまま相鉄いずみ野線経由で終点の湘南台に15時21分に到着したが、ダイヤを見ると東急東横線(東京メトロ副都心線)からの直通列車はおもに相鉄いずみ野線に直通し、東急目黒線(東京メトロ南北線・都営三田線)からの直通列車は二俣川から相鉄本線の海老名に向かうのが基本のようだ。こう書いても相鉄線や東急線利用者以外は実際のところよく分からないだろうが、とにかく首都圏の大手私鉄や地下鉄は相互乗り入れの列車運用により、何でこの路線にこの会社の編成が入って来るのか?とびっくりすることがよくある。新横浜新線も都心側は東急東横線と東京メトロ副都心線経由で東武東上線や西武池袋線に繋がるルートと、東急目黒線を介して都営三田線ないしはメトロ南北線・埼玉高速鉄道へ繋がる2つのルートがあり、神奈川の相鉄サイドも本線といずみ野線へ直通する2つのルートに分かれる。それに2019年からは、JR線車両も品鶴線経由で相鉄線に乗り入れているのでこの辺りのダイヤはなんとも複雑。いまや新横浜線が繋がる東急東横線や目黒線、メトロの副都心線は他社の乗り入れ車両のオンパレードで回廊としての役目を強め、もはや鉄道施設一式を保有するとともに列車の運行も行うとされる第1種鉄道事業者の範疇を超えているのではないかと思ってしまう。


今回の開業路線に乗り入れる車両は5社の10形式(鉄道ジャーナル6月号)とのことで、それぞれの路線には特急、急行、快速や各停が走っているから、一旦事故やトラブルでダイヤが乱れた際には、一体どうやって運転を調整するのか心配になる。一匹の蝶の羽ばたきがどこか遠い所で竜巻を起こしているかも知れないと云われるのがバタフライエフェクトだが、例えば埼玉の内陸部の霧で東武線が遅れ、神奈川県民が新横浜駅で東海道新幹線に乗り遅れたなどという事態が頻繁におこるかもしれない。とは云え相互乗り入れ範囲の拡大で、地元を遠く離れた私立学校や自動車学校の募集要項、マンションの販売、寺社の参拝案内や病院・老人ホームなどの車内広告を目にするのは目先が変わって楽しいものだ。電車に乗ったらスマホばかり見ていないで、車内を眺めるだけで、新たな発見がいくつもあるのにと私はいつも思っている。そう云えば今回の新横浜線開業でもっとも恩恵を受けるのが慶應義塾だと云う説を聞いた。相鉄いずみ野線終点の湘南台にある湘南藤沢キャンパスと日吉キャンパス、三田キャンパス(三田線)が乗り替えなしの一直線で結ばれるほか、埼玉県南部の志木高校(東武東上線)や芝公園(三田線)にある薬学部などを移動するのが大変便利になるそうだ。首都圏の新路線開通に目が離せない。

複雑怪奇な新路線図
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2022年12月16日東京都交通局他各鉄道会社合同の報道発表資料より

2023年4月23日 (日)

神田神保町の老舗ビヤホール「ランチョン」

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こだわりの泡立ち マルエフ生ビール

一日が長くなり夏のような陽射しが差し込む季節がやって来た。気温が上がればますますビールがウマい、などと言われているが、特段の事情がない限り春夏秋冬、一年365日、夫婦二人で毎日ビールを飲んでいる。そもそも我々の結婚もビールが取り持つ縁だったと云える。高校時代の友人が銀行で妻の上司であり、昔からビールを飲んでいる私に「僕の部下にビール好きな女性がいるから今度一緒に呑まないか」と紹介してくれたのが出会いである。と云うわけで日課のジョギングで汗を流した後は、夕方二人して缶ビールをプシュと開けるのがルーティーンになっている。ビールをうまく飲むために、無理矢理ジョギングを続けているのではないかと錯覚する時もよくある。


そんな妻が神田神保町にあるビヤホール・洋食の老舗「ランチョン」に行きたいと言ってきた。たまたまネットで見つけて、ここは「美味しいに違いない」嗅覚が働いたそうだ。かつて外食店で飲むビールは瓶詰め大瓶が主流で、「生ビール」は夏のビアガーデン以外そうどこでも飲めるものではなかった。ビール好きとしては年中うまい「生」を提供してくれるレストランのことが一応頭に入っていて、銀座なら古くからサッポロ生ビールを出す七丁目「ライオンビアホール」、京橋ではキリンビール系の明治屋「モルチェ」などがそうである。当時から神保町に明治42年創業の「ビアホール ランチョン」という老舗ビアレストランがあることは知っていたものの、神保町といえば本屋やレコード屋、スポーツ用品店など趣味の街というイメージがかなり強い場所だ。ここに来ることはあってもビールのことまでは考えが及ばず店の前を素通りばかりだったが、今回、妻が思い立ったのを幸い、頭の片隅にあった「ランチョン」に行ってみることにした。「ランチョン」がアサヒビール系というのも目先が変わって良さそうだ。


平日の夕方、妻と二人で古本屋街をひやかし、5時半過ぎに入った「ランチョン」は、100余席あるというのにすでに7割くらいの人でテーブルが賑わっていた。まだ時間が早いためサラリーマン風より、街歩きをしてきた中高年の姿や、夫婦連れのようなカップルが店内で目立つ。まずは480ccのビアグラスで出される生ビールを各々二人して頼むと、ブランドはアサヒビールの「マルエフ」とのことで、これは最近家で常飲する缶ビールの銘柄であった。「マルエフ」は味がしっかりしている割にアルコール分が4.5%とやや薄目なので、量を飲んでも肝臓に少しやさしい(気がする)ビールである。当日の昼に走ってカラカラにした喉にお待ちかね、目の前に運ばれてきた「マルエフ」は、ビアグラスの下から8割弱ほどが琥珀色の液体、上から2割強がきめ細かい泡と芸術的にセパレートされていた。店のホームページによるとしっかり泡立てるのがうまいビールを提供するコツとのことで、ここではグラスに注ぐのは店主専属の仕事なのだそうだ。


あっという間に空になった後の2杯目は、私が黒ビールとのハーフ&ハーフ生、妻がピルスナーウルケルである。本当に500CC近く入っているかと思えるほどスムースな飲み口は、ビールの温度管理やグラスの取り扱いに関するこだわりの結果だそうだ。店内は女性の店員数名が客の様子をさり気なくうかがっており、注文の合図をするとすぐに来てくれるのが気持ちよい。ビールが旨いと食も進むとあって、アスパラガスにベークドポテトをつまみ、次は白ワインのボトルを1本注文することにした。美味い酒にキビキビした店員で、ついついこちらも気分良くなりワイングラスをあけるピッチも早くなるようだ。アルコールでますます食欲が亢進したのか、分厚いポークソテーに当店定番の大判のメンチカツを一つずつ、それに〆のオムライスまで楽しんでやっとお腹が満たされた。入口を見れば店外には順番を待つ人の列が出来ており、あらためて評判の店だと分かる。店の雰囲気にも酔っていつもより調子よく飲んでしまったようで、陽気も良いのでほろ酔い気分でふらふらと数キロを家まで歩いて帰ってしまった。ただビールの利尿効果はテキメン、途中の水道橋付近で我慢が出来ず、二人揃ってトイレにあやうく駆け込んだのはご愛敬である。

バターの効いた〆のオムライス
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2023年4月20日 (木)

ジジイ放談(マスク、区議選挙、ピッチクロック)

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このところ暖かくなって都内でもやっとマスクをはずす人が増えてきた。昨日は久しぶりに会社へ顔を出しにオフピーク時間の地下鉄に乗ったところ、往復とも一両に数人ノーマスク姿があった。3月13日に「マスク着用は個人の判断が基本」との厚労省アナウンスがあった後も、電車の中ではノーマスクは私一人ということが多かったから、やっと「意識低い系」の同志が増えてきたようだ。これまでも病院など「マスクを着用してください」と掲示されている場所以外、銀行でも商店でもコーヒーショップでもノーマスクで通してきたが、やっとマスク警察に遭わなくなったことは喜ばしい限りだ。それでも我がマンションのエレベーターでは、「別のを利用するのでお先にどうぞ」とマスク無しの私と同乗するのを露骨に忌避する者に時々出会う。心のなかでは「いつまでもやってろバカ」と、その情報弱者ぶりをあざ笑いつつ、「それではお先に」とうそぶいて、すいているエレベーターをエンジョイするのである。

 

統一地方選挙の後半戦となり、都内23区では区議会選挙で候補者が声を挙げて政策を訴えている。立憲民主党の候補者もよく見るので、その演説が一息ついたところで、あるいは演説が長そうなときにはなるべく年長のビラ配りに、「最近の立憲はなんだ、トンデモ発言の小西洋之参議員をなぜ離党させないのか。2009年には間違って旧民主党候補に入れてしまったが、このままでは二度と立憲に投票しないぞ」と文句を垂れることを数回やってみた。一緒にいる妻は、この人と無関係です、とばかりにすーっと私から離れていくが、自民党を攻撃する時は、あることないこと舌鋒鋭く辞職・辞任を迫るのに、受け身になると急に自分に甘くなるサヨク特有のメンタリティーがどうにも我慢ならない。選挙演説中とあって反論できない相手に一方的にまくしたてるのも我ながら気がひけるものの、こんな機会でないと文句もぶつけられない。相手からは、「そういう声を持ち帰り上のものに伝えます」と(多分やりもしない)お決まりの返事しか帰ってこないが、健全な野党の出現を期待して、敢えて「嫌~ぁな暴走老人」をやってみる。(敢えてと書いたら、傍らで妻が「好きでやってるくせに」と呟いた)


WBCも終わり、MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)の大谷選手の活躍をBS放送で楽しむ季節になってきた。それにしてもMLBに今年から導入されたピッチクロック制がとってつけたようなルールでつまらない。投手はボールを受け取ったら走者がいない時には15秒、走者ありの場面では20秒で投げなければボール一つが宣告され、反対に打者は8秒以内に投球に構えなければストライク一つとなるそうだ。今シーズンは大谷選手も投手と打者で一回ずつこのルールが適用されて不利なカウントになるシーンがあった。確かにだらだらと試合が続き、意味もないサインの交換や牽制が続くと白けるが、タイムキーパーを置き厳密に時間で試合を管理するのはいかがなものか。そもそもBASEBALLはNATIONAL PASTIME(国民的娯楽)と云われている。PASTIMEとは積極的に対象に関与するHOBBYと違い、ゆったり散歩や読書をするなど「時間をゆっくり使う」娯楽行為を意味している。アメリカのプロスポーツはバスケットボールやアメリカンフットボールのように、競技時間を厳密に管理するものが多いが、BASE BALLはもともと時間つぶし的な要素を持つ娯楽で、MLBは秒単位の競技団体ではないはずである。試合展開の促進化にはストップワオッチではなく、ラグビーのように審判の裁量に任せる方式のほうが良いと思いながらMLBの放送を眺めている。

 

2023年4月12日 (水)

東北鉄道旅 (補遺編)

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ラッセル車用の雪かき警表 

「海里」や「ツガルツナガル」など座席指定制の列車は別として、鉄道の旅ではなるべく運転台の後ろ「かぶりつき」に立って、列車の前面展望を楽しむことにしている。ローカル線のワンマン運転の列車で、都会ではあまりない運転士の運賃収受業務などを見るのは旅の楽しみの一つだ。また地方によっては線路際に立つ鉄道標識が独特で、この地区ではどういうことが列車運行上に注意すべき点なのか分かるのも面白い。今回は奥羽本線で、黄色の正方形が上下に並んだ写真のような標識が線路際に立っているのをしばしば目にしたが、これは今までの鉄道の旅で見なかったもので一体なんであろうか? 「ツガルツナガル」の折り返し駅である弘前駅でホームに立っていた駅長さんにこの標識が示す意味を尋ねると、「私も良く分からないので運転士に聞いてみましょう」と「弘前へようこそ」の歓迎横断幕を持ってホームに出ていた女性運転士のところへ連れて行ってくれた。


彼女曰く「自分は電車の運転士などで直接関係ないが、あれはラッセル車のための標識です」とのことである。ポールの上に掲げられた黄色の◇の標識は、線路際の雪をどけるためにラッセル車から左右に広げたウイングをここで畳め、下の□は軌道内の雪をかくためのフランジャーをここで上げろという意味で、トンネルの入り口や踏切、線路の分岐器などの手前に設置されているそうだ。雪かき中にウイングやフランジャーをそのままにして走ると、ウイングがトンネルの壁に当たったり、フランジャーが施設を破損させたりするので、それを防ぐために掲示されているとの事である。なるほどこれは雪国ならでは標識で、鉄道防雪林などと同様に首都圏ではまず見ることがない。70歳を越えても、旅に出ると初めて見聞きするものが沢山あるものだ。


弘前駅で「ツガルツナガル」の折り返し時間を利用して訪問した黒石市のB級グルメ、「黒石やきそば」も今回の旅の思い出である。もともとここ黒石ではうどん用の乾麺をゆでて醤油で炒めて食べていたが、戦後、中国人から支那そばが伝わり、乾麺用のカッターを使った太いそばにソースを絡めたところ、これがなかなかいけると評判になったそうだ。これに和風のそばつゆをかけたのが、黒石名物の「つゆやきそば」で、ソース焼きそばに日本そばのたれをかけて食べるのがなんともユニークである。「つゆやきそば」の起源としては昭和30年代、町の食堂で冷えた焼きそばにつゆをかけて温かくしたメニューが評判になったという説や、同じ食堂で麵だけでは腹持ちが悪いためにつゆをかけたら良かったなどの諸説あるそうだ。我々夫婦は、つゆ有りとつゆ無しを一つづつ注文したが、無い方はきわめてシンプルなふつうの焼きそば、つゆ有りの焼きそばは、まさにふつうのそばつゆ(関東風の醤油味)にソース麺を入れた味で、共にあっさりした味であった。


「海里」の終着駅である酒田は、これまで人口10万人のごく普通の東北の一都市、あるいは火力発電の基地くらいの認識しかなかった。今回、列車待ちの約2時間に駅前の観光案内所が無料で貸し出していた自転車で街をぐるっと回ってみると、江戸時代はここは「西の堺、東の酒田」と呼ばれた大変な商都、港町であったことを知り驚いた。酒田は地域の水運の要であった最上川と海上輸送の結節点にあり、東回りと西回り両方の北前船発航の港として発展したとのこと。「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれたことから、最上川は急流のイメージがあったのだが、実際に見る川は庄内平野を悠々と流れる大河である。内陸から川舟で運ばれてきた米や紅花を北前船に積み換え、各地の着物や工芸品、美術品を荷揚げしたのが酒田で、自転車で訪れた山居倉庫や、日和山公園にある北前船のレプリカなどから当時の繁栄ぶりがうかがえる。日本の港町をクルーズ船や列車で巡ると北前船の津(港)から発展した場所が多いことが分かり、北前船のことをもっと知りたいという気持ちも湧いてくる。「だったら次は酒田発新潟行きの上り『海里』をからめて旅を企画しちゃおうかな?イタリアン弁当も食べてみたいから」と妻が横で笑っている。


現存する洋式の木造六角灯台として日本最古の貴重な日和山公園灯台(旧酒田宮之浦灯台)
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酒田の山居倉庫 米を約1万トン収納できた。収納された米に対しては倉荷証券が出され、これは有価証券として流通可能であった。
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2023年4月 5日 (水)

弘南電鉄7000系に乗車

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黒石駅の弘南鉄道7000系 フルステンレス車体とパイオニアⅢ台車が特長的

「ツガル ツナガル」号に乗り往路の終着駅である弘前駅の手前、大鰐温泉駅にさしかかると進行右手の車窓に懐かしい銀色の電車の姿が見えてきた。弘前市を拠点とする弘南電鉄の大鰐線を走る7000系で、もと東急電鉄7000系を譲り受けた車両である。東急7000系は、昭和37年(1962年)アメリカのバッド社のライセンスの下、東急車両製造(現・総合車両製作所)で日本で初めてのフルステンレス車両として製作され、パイオニアⅢ型というユニークな台車を履いて一世を風靡した革新的な電車だった。私にとっては、学生時代は東急東横線の日吉にあるキャンパスやグラウンドへの通学時に乗車し、社会人になっても通勤に東急と相互乗り入れの地下鉄日比谷線で利用した思い出の電車である。7000系は1990年ごろから東急線での運用が終わったのち全国の私鉄に譲渡され、弘南電鉄に於いては20両以上が弘南線と大鰐線の2つの路線で第2の人生を歩んでいる。かつて「弁当箱」と呼ばれたステンレスの角ばったこのユニークな車体を、遠く離れたこの弘前の地で見るのがなんとも不思議な気がしてならない。


「ツガル ツナガル」号は11時26分に弘前駅に到着し、15時13分に折り返し秋田に向かって出発する。その間の4時間弱の自由時間は、弘南鉄道黒石線の7000系電車に乗り、藩政時代の町並みが残る黒石市へ行き ついでに名物の黒石やきそばを食べて帰ろうと云うことにした。弘南線はJR弘前駅に隣接したプラットホームから発車(大鰐線の中央弘前駅は市内の別の場所にある)する全長16.8キロの路線で、終点の黒石まで電車は途中11駅に停車して約35分で走る。この路線の運転頻度は1時間に1本~2本なので、帰りの「ツガル ツナガル」号発車までに帰って来られるかを慎重に計算してから、黒石市に向かうことにした。始発の弘前駅で乗ったのは1964年製の7012(東急時代は7025)+7022(同7026)の編成で、この車両もかつては東京で何回も乗車したに違いないから約30年ぶりの再会だ。こちらでの外観は雪国用のスノウプロウが運転台下につき、ドアが半自動開閉式になったものの、それ以外は東急時代とほとんど変わっていないし、ディスクブレーキが台車枠より外側にある独特な形状のパイオニアⅢ型台車がまだ健在なのを見て何だか嬉しくなる。


車内に足を踏み入れると、まずは運転台の懐かしい跳ね上げ式デッドマン装置のマスコンが目についた。運転士が病気などで不省状態になり動作をしなくなった際に、緊急ブレーキをかける装置で、当時の車両には跳ね上げ式がよく採用されていた。座席のモケットはたしかエンジ色だったが、今は違う色に張り替えられ、かつてなかったロングシートの仕切り板も一部に設置されていた。車端妻板にあった東急車両製造の銘板と、BUD社のライセンスで製造されたとする誇らしげなプラスチック板の表示は残念ながら取り払われている。車内蛍光灯が一部切れたままになっているのが何とも寂しい光景で、赤字に悩む地方民鉄の悲哀を映し出しているようだ。ただ一旦走り出すと、抵抗制御、平行カルダンの直流モーターの奏でる走行サウンドが耳に心地よい。最近のインバーター制御、交流モーター電車が垂れ流す金属の擦れたような電子的サウンドはどうにも不快で、昭和30年代の車両の機械音・電気音の方が人間の感性に沿っていると日頃私は思っているのだが、その思いがますます強くなった。東急時代に発揮していた加速の良さも相変わらずである。


軌道強化までに金が廻らないのがローカル私鉄のつねで、電車は右に左に大きくゆれながら最高速度も60キロ以下でごとごとと津軽平野を走って行く。終点の黒石で古い町並みを歩き、妻と二人で名物の焼きそばとつゆ焼きそば(なんとソース焼きそばに日本蕎麦のつゆがかかっている)を分けあって食べた帰路は、同じ1964年製造の7013(旧7029)+7014(旧7030)の編成に乗り、雄大な岩木山を車窓に臨みながら「ツガル ツナガル」号の待つ弘前駅に戻った。日曜の午後とは云え、行きも帰りも2両編成の電車には10人~20人ほどの乗客とあって、地方民鉄の経営の困難さを目のあたりにした感があるが、弘南鉄道も地元の足としていつまでも存続してほしいものだ。それにしても毎日のように利用した車両がまだ現役で活躍していると、世話になった老人に再会したようで、ついねぎらいの言葉もかけたくなってくるのである。

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黒石名物 焼きそば と つゆ焼きそば

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岩木山を臨みながら弘南鉄道・弘南線は走る

2023年4月 4日 (火)

「ツガル ツナガル」12系客車列車の旅

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牽引はJR東 秋田車両センターのDE10

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ほぼ原形の12系客車客室内

「海里」乗車の翌日は、秋田と弘前を往復する12系客車列車「ツガル ツナガル」号に乗車である。この列車はJR東日本系列の旅行会社「びゅう」が企画・募集した臨時団体専用列車で、地元とJRの観光キャンペーン「ツガル ツナガル」の開幕に合わせ、一日1往復で4月1日(土)・2日(日)の2日間だけ運転された。鉄道の楽しさの原点はといえば 私にとっては”ゴトゴトッ ゴトン ゴトゴトッ ゴトン”と飽くなく続くジョイントを切る車輪の音に身を委ねることだと云える。特に床下設備が少ない客車列車の台車から聞こえてくる、軽やかで規則的なジョイント音を聞いていると旅に出たという感動がひときわ強くなってくる。電車や気動車でなく客車列車の旅、それも奥羽本線のような幹線で「ツガル ツナガル」号が運転されることをメルマガで知り、秋田-弘前間の往復乗車ツアーに申し込んだのである。


東北地方での客車列車にはいろいろと思い出がある。若い頃、北海道へ行くには旧型客車による急行「八甲田」などに長時間乗るしかすべがなく、東京へ帰る上り夜行列車では床に新聞紙を敷いて眠ったものである。サラリーマンの現役時代は八戸出張の際に50系の客車列車によく乗った思い出もある。当時はまだ東北新幹線は盛岡が終点で、その先の八戸に行くには東北本線在来線の時代だった。何かの影響でダイヤが乱れ、新幹線に連絡する青森行き特急「はつかり」に乗れない時は、ED75に牽引された50系客車による普通列車で八戸に向かうほか手段がなかった。かつてD51三重連の貨物列車があえぎながら登った奥中山の峠の鉄路を、赤い電気機関車を先頭にする客車に乗って幾度か超えた記憶はいまも鮮明に残っている。東北の鉄道旅と云えば、私には「客車列車」なのである。


さて「ツガル ツナガル」の秋田-弘前間の行程はすべて電化されているため、ひそかに今回の列車はJR貨物の電気機関車が牽引するのではないかと期待していたが、秋田駅のホームに入ってきたのは、旅行パンフのイメージ写真通りDE10型ディーゼル機関車が前後についた列車であった。編成は弘前寄りからDE10 1759+スハフ12 162+オハ12 366+オハ12 367+オハ12 369+スハフ12 161+ DE10 1647で、機関車ほかすべてJR東日本の車両なのは、同社がこのキャンペーン主催者であることを考えればしょうがない。5両の客車を引っ張る程度なら力の強いDE10型機関車1台で十分だと思うのだが、前後に2台も機関車が組み込まれているのは、折り返しの弘前駅で機廻しの設備や要員に問題があるからなのか。列車はホイッスルを一笛、プッシュ・プル方式のディーゼル機関車のうなりと共に定刻に秋田駅を出発した。


「ツガル ツナガル」号は秋田駅を8時25分に出発、奥羽本線を北上して弘前までの148キロを3時間かけて走った。弘前で自由行動の後、復路は弘前15:13分発でやはり3時間で秋田に戻る行程である。連結された5両の客車には400名ほどが乗れるが、宣伝が不十分なのか、客車列車という対象が地味なのか、残念ながら乗車したのは100名もいなかったようである。ただその分、車内はゆったりで車窓からはようやく芽を吹かんとする東北の緑や、やっと蕾から咲き始めた桜を存分に眺めることが出来た。もっとも列車はこの週末だけの限定運転とあって、キャンペーン関係者の駅頭での送迎に加え、沿線はどこもカメラを手にした多くの撮り鉄であふれていたのが印象的だった。


乗車した12系客車はトイレや洗面所をリニューアルし、さすがに灰皿や栓抜きこそ撤去されていたものの、それ以外はほとんどかつてのままの状態が保たれていた。車内放送のオルゴールも寝台列車の定番「ハイケンスのセレナーデ」なのが懐かしい。この日の天気は快晴、奥羽本線は適度にロングレールと在来のレールが混ざり、期待通り客車独特の軽やかなジョイント音を存分に楽しんだ車中であった。途中、いくつかの駅で車外に出て手足を伸ばしつつ、八郎潟の干拓地や難所・矢立峠の景色を楽しんだ往復300キロ、6時間あまりの旅は、一言で言えば唱歌「汽車」の世界だったと云えよう。

♪  ♪                                  ♪ ♪
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思う間も無くトンネルの闇を通って広野原(ひろのはら)
遠くに見える村の屋根 近くに見える町の軒(のき)森や林や田や畑 後へ後へと飛んで行く
廻り灯籠の画(え)の様に変わる景色のおもしろさ 見とれてそれと知らぬ間に早くも過ぎる幾十里

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「ツガル ツナガル」キャンペーンで弘前駅では津軽三味線の見送り

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八郎潟の彼方に沈む夕陽をバックに列車は快走

2023年4月 3日 (月)

「海里」に乗車 東北地方・新旧乗り比べ鉄旅

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桑川駅で停車中のHBE300系「海里」

桜前線が北上し日本列島に春がやってきた。先の土曜日は東北地方の初春を楽しもうと新潟-酒田間の快速列車「海里」に乗車、翌日曜日は秋田-弘前間を往復する貸し切り列車「ツガル ツナガル」号に乗って鉄道の旅を満喫した。「海里」は2019年に製作されたJR東日本の新鋭観光用ハイブリッド型気動車で、各週末ごとに新潟-酒田間で運転されている。かたや「ツガル ツナガル」は、12系客車(1977年製)が使われるのが目玉となる団体専用臨時列車でこの週末だけの限定運転である。今回はさらに弘前で「ツガル ツナガル」が折り返す3時間弱の合間を使って、弘南鉄道で第2の人生を過ごす東急の旧7000系ステンレスカー(1964年製)にも乗ることができたので、まさに新旧車両の乗り比べ鉄道の旅となった。


まずはJR東日本のハイブリッド気動車HBE300系を使用した「新潟・庄内の食と景観を楽しむ列車」である、「海里」号の乗車だ。「海里」は新潟-酒田間168キロ間で運転され、1・2号車は全車指定席車両(指定料金840円)、3号車が売店・イベントスペース車、4号車が食事やドリンクがセットになった旅行商品用の車両からなる4両編成の豪華快速列車である。午前の運転は新潟発の酒田行きで、この区間を3時間16分で走り、4号車では新潟の料亭などの日本料理が出される。酒田から新潟へ戻る午後の列車は3時間35分の車中で、庄内の名物イタリアン料理店の味が楽しめる趣向になっている。4号車の料金は片道一人16,400円と値段は少々張るものの、我々は新潟までの新幹線は大人の休日倶楽部ジパングの3割引き、帰りの秋田発のフライトはマイレージ利用とあって、新潟から酒田まで4号車乗車を奮発することにした。


初めて乗車するハイブリッド気動車は、停車中はエンジンのアイドル音があまり聞こえぬ静かな車両だった。このHBE300系は床下に置かれた直列6気筒のディーゼルエンジンを直接駆動力には使用せず、発電機を回転させる電力用として使用し、発電機からの電力と搭載された蓄電池の電力でモーターを動かす駆動方式である。船舶などではすでにお馴染みのディーゼル・エレクトリック推進であるが、これまでトルクコンバーターを介した液体式気動車の発するエンジン音や振動に永年慣れた身としては、ハイブリッドと云え、どうも気動車に乗っているような気がせず、車内に入ってくる走行音がちょっと物足りないと感じるほどだ。「海里」の走る白新線と奥羽本線はローカル線と異なり軌道も十分に強化されているうえ、HBE300系は台車も空気ばねを使用しており、これまで乗った「べるもんた」や「SAKU美SAKU楽」などキハ40系をタネ車にした観光列車より乗り心地は快適である。


この日、4号車で出された日本食は、新潟の老舗料亭「鍋茶屋」の懐石料理弁当であった。料理にはアルコール類を含む新潟特産の1ドリンクがフリーでついてくるのだが、ただ午前10時過ぎに新潟駅を発車するとすぐ食事が始まるため、朝っぱらから酔っぱらうのもちょっと気がひける。このため前泊してのり込んだ新潟で、この日早朝からジョギングに出かけ、汗を流してビールに備えることにした。うまい酒を飲むのも、苦労がいるのである。やがて列車は日本海が迫る海岸べりを走り、奇岩、絶壁が連続する景勝地「笹川流れ」最寄り駅の桑川駅で30分以上停車。ここではホームから海岸まで下りることができ、朝のビールと追加(有料)で飲んだ日本酒の地酒で火照った頬を冷ますことができた。考えてみればと大阪始発の「トワイライトエクスプレス」でも上野発の「あけぼの」でも、かつての寝台特急列車はこの辺りを夜中に通過したので、日本海のこのような絶景をじっくり見るのは初めてのことになる。こうして新潟の食と酒、それに沿線の風景を堪能しつつ、桜の開花前線とともに「海里」は北上し、古くから商都である酒田に到着した。

4号車の車内
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料亭新潟・鍋茶屋の懐石の弁当
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