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2023年2月

2023年2月20日 (月)

氷見ブリと「べるもんた」(2)

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新高岡駅の「べるもんた」

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世界広しと云えども隋一の景色との富山湾 海越しに3千米級の急峻(立山連峰)が立ち上げるのかここだけとか

旅の2日目のハイライトは、JR西日本の”ベル・モンターニュ・エ・メール”乗車だ。”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール”は原語フランス語では"Belles montagnes et mer"で、Bellesは美しい、montagnesは山々、etは英語のand、merは海の意味である。富山県の美しい山々や海を楽しむ観光列車ということで名前がつけられたが、列車の愛称にしては少々凝りすぎと思われ、通称「べるもんた」号と呼ばれている。2015年4月に東京から金沢まで北陸新幹線が延伸したことをうけ、同年10月から高岡駅または新幹線の新高岡駅を起点に、砺波平野を南下する城端線(じょうはな線)と、富山湾に向かい北上する氷見線で「べるもんた」の週末限定の運転が開始され、以来人気の観光列車になっている。


新幹線開業により、富山県内の在来の北陸本線は第三セクターの「あいの風とやま鉄道」となったため、北陸本線高岡駅を起点としていたJRの氷見線と城端線は、在来のJR線との接続点がない離れ小島の孤立路線となり、従来より一層厳しい経営状態に直面することになった。もっとも沿線は砺波平野のチューリップ、瑞泉寺や五箇山、雄大な立山連峰遠望や富山湾の絶景などの観光資源が盛りだくさん。そこで新幹線の延伸と相まってこれを増収に活かさない手はないと、「 べるもんた」の運転が始められたそうだ。キハ40を改造しダークグリーンに塗られた観光列車(単行一両編成)は土曜日が高岡駅から新高岡駅経由で城端線(高岡駅~城端駅29.9キロ)を、日曜日は氷見線(高岡駅~氷見駅16.5キロ)+高岡駅/新高岡駅(城端線1.8キロ)(合計18.3キロ)間で各々1日に2往復運転されている。尚、この列車に乗るには、通常の乗車券以外に城端線運行でも氷見線運行でも指定料金530円が必要である。

我々は昨年7月に同列車の城端線部分に乗ったが(瑞泉寺・五箇山合掌造り・”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール”)、今回は寒ブリ喰いたさに富山に来たところ、幸運にも日曜日の午前中に氷見駅から新高岡駅間を運転する「べるもんた2号」のチケットをとることができた。昨年城端駅から乗車した際は、暑さのため車内で出されるご当地クラフトビールがまさかの売り切れという、我々によっては大きな災難に見舞われたので、今回はリベンジの意味もあり、乗車前は氷見市内をゆっくりとジョギングで観光し、十分汗も出してビールを楽しみに乗車に備えることにした。


再度乗車することになった「べるもんた」号だが、車両はこの地方の景色を楽しむために、大きな窓は額縁調にデザインされており、吊り革は高岡の銅器をイメージ、座席の仕切り版は井波彫刻の作品と、沿線の伝統工芸品が前面に押し出された意匠である。列車は一両編成なので車内に厨房スペースこそないが、氷見寄りの車端には寿司やつまみを準備する寿司カウンターが設けられており、「白エビと紅ズワイ蟹のお造り」を肴に、前に飲みそこなった「はかまビール」「麦やビール」と銘打たれた城端の特産ペールエールを楽しむ。「海越しに3000米級の山々を見られるのは世界でもここだけ」とガイドの説明を聞き立山連峰の車窓風景を楽しむうち、列車はあっという間に高岡へ到着。高岡駅では、氷見線の7番ホームから新高岡駅に向かう城端線の2番ホームまで14か所のポイントを通過して進行方向を変える小さなアトラクションも楽しめるが、それにしても乗車時間が短いのがちょっと残念である(氷見駅~高岡駅なら31分、氷見駅~新高岡駅は1時間5分)。せっかくの観光列車なのだから、氷見から城端線の城端駅までを乗り通す便があっても良さそうなものだというのが2回乗車した感想である。

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富山湾をバックに地元ビールに白エビと紅ズワイ蟹のお造り

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高岡駅では合計14のポイントを通過し氷見線から城端線へ移動

2023年2月16日 (木)

氷見ブリと「べるもんた」(1)

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寒ブリなら氷見、氷見駅前のモニュメント

かつて鰤(ブリ)にはあまり興味はなかったが、数年前に富山県高岡市に出張に行った際、接待がてら車で訪れた氷見市の寿司屋で食べた冬場の鰤のナント美味しかったことか。ふだん東京で食べる鰤と違って脂の載った切り身は、マグロの中トロより美味いと思う味と食感であった。帰って妻にそのことを話すと、「あなたがあまり鰤は好きじゃないと言うから段々買わなくなったけど鰤はかなり好きな部類」と彼女のブリ愛が復活し、以来どこかに旅行しようかと言うと「寒ブリを食べに行きたい」というのが妻の口癖となっていた。ということで、飛鳥Ⅱのオセアニアクルーズが中止になり、代わりに国内の旅をバンバン行こうと決めた第一弾は、まず「寒ブリを食べに行く」ことに決定である。


寒ブリといえば富山、富山のブリといえばやはり氷見漁港だと、今回の旅の目的地は氷見にすることにした。幸運なことに、泊まった翌日に氷見駅から新高岡駅まで運転される、観光列車”ベル・モンターニュ・エ・メール”(通称べるもんた)のカウンター席の予約もできたので、宿泊は氷見駅にほど近いビジネスホテル風の宿を予約した。かつては町の旅館だった家族経営のこのホテルは、併設の居酒屋で、お造りと幻の氷見牛、腰の強い氷見うどんがついた「氷見の食材が満載の氷見尽くし膳が味わえる」とする料理長お薦めのプランを楽しめる。ただ予約した際に尋ねると、氷見の寒ブリは今年は1月半ばで終了宣言が出てしまったため手に入りづらく、追加を払ってもお造りで出せるかは運次第ということで、その運に賭けることにして出発。


氷見は能登半島の東側、富山湾の付け根に位置する。日本海に大きく突き出た能登半島があることによって、南から来た暖流が廻り込んで湾内に入るとともに、北からの寒流もここで転流したうえ、海底の地形も影響して富山湾は天然の生け簀と云われるほどの好漁場になっている。氷見では一旦網に入った魚が容易に逃げないよう、網に工夫をこらした「越中式ぶり落とし網」と呼ばれる定置網漁が盛んで、一定の重さ以上の脂の乗ったブリが安定して水揚げされるようになると、漁協や生産者などで構成される「氷見魚ブランド対策協議会」が「ひみ寒ぶり宣言」を発令するのだそうだ。「ひみ寒ぶり」に認定されたブリは1本につき1枚「販売証明書」が発行され、市場に出回るのだが、それが今年は1月半ばで終わってしまったというから残念である。


東京から北陸新幹線で2時間半、新高岡駅で氷見線に乗り換えて30分で到着した氷見は、人口4万4千人の静かな町であった。訪れた日は祝日の土曜日ということもあり、表通りのほとんどの店はシャッターが下りて町は閑散としていたが、大きな寺や神社が多く、古くから開けた場所という風情が街に漂っていた。市の中心部を散歩しお腹をすかせて食べた「氷見尽くし膳」は、思ったより大きな氷見牛スライスのしゃぶしゃぶに、氷見うどんを堪能できたのだが、やはり肝心の寒ブリがなかったことは返す返す返すも残念なところ。ただ翌日、”べるもんた”車内で地元ガイドの、「今年は氷見ブリが早く終わったようだが、食べられた方はいますか?」の質問に、乗り合わせた全員が「いいえー」と声を揃えたので、自分たちだけだけでなくこの時期は誰もがダメだったことが分かってちょっと納得できた。妻は「来年は東京に来た氷見の寒ブリを値段にかかわらずどうしてでも食べる、新幹線代や宿泊費もかからないし」と帰ってからも息巻いている。(続く)

氷見づくし膳
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氷見の商店街
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2023年2月10日 (金)

飛鳥Ⅱ オセアニアグランドクルーズ 出港の日

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2月10日、今日は中止となった「飛鳥Ⅱオセアニアグランドクルーズ」の東京港出港の日である。朝から雪の舞う寒空を見つめながら、「今頃は新しい東京港クルーズターミナルに向かってタクシーに乗っているはずだったのに」との思いが頭に浮かぶ。一方で先ごろ「2023年世界一周クルーズご予約のお客各位」宛に「飛鳥Ⅱ 2024年世界一周クルーズ 先行予約のご案内」とする書簡が郵船クルーズから送られてきた。2020年に予定していた世界一周クルーズは、コロナ感染騒動によって2021、22、23年と3回延期されたが2024年には実現させる予定で、一般販売の前に2023年の世界一周に乗船予約をした乗客だけに送付されてきた手紙である。ただ2024年世界一周クルーズで新たに発表された旅程はそもそも寄港地の数が少ない上に、これまでと変わり映えのしない港も多い。何より今までに支払ったものに加え相当額の追加料金が必要なだけでなく、なんと新たにバンカーサーチャージも負担せよとのことで何かバカにされているようだ。世界的な感染状況と云うやむを得ぬ事情があったのはわかるが、4年間も待たされた挙句、一方的な、それもかなりの値上げとあまり魅力的でない行程とあって、もう飛鳥Ⅱは卒業して他の楽しみを見出そうかとも思っている。


ぽっかり空いたスケジュールに今日の雪模様である。なんとなく気分も乗らないので最近思っていることをぶちまけたくなった。まずは私の大嫌いなLGBTQである。荒井首相秘書官が2月初め、同性婚について、「マイナスだ。秘書官もみんな嫌だと思っている」、「隣に住んでいたら見るのも嫌だ」、「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくると思う」などとオフレコで新聞記者にしゃべったことが報道されて大きな問題になった。私はまったく荒井氏に同感である。もし会社にゲイを広言する社員がいて、彼と2人で何日間も出張せよと命じられたら私は断るだろう。また隣家が同性婚のカップルだったら距離を置くに違いない。性的な趣味は個人の自由だが、それを社会的に直ちに認めろという風潮はいかがなものか。マイノリティである自分たちの権利を認めよ、それが正義だとする主張も生理的に受けいれられない。また多くのそうでない人たちが享受する法律上の保護を彼らも得たいと願うなら、人の揚げ足をとるこのようなオフレコ発言の曝露ではないはずだ。「静かにやれ」「そういうのは嫌い」と考えるマジョリティーに対し、ためにするかのラジカルな動きや報道が不愉快だからやめて欲しいと常々思っているところである。LGBTQへの嫌悪感を示すことも多様な考え方の一つであるはずで、常々「多様性を認めろ」と叫ぶこの種の運動に係わる人たちは、嫌悪感をもつ人にも寛容の精神をもつべきではないか。


この問題でもう一つ気になるのが、オフレコで喋ったことが広く報道された問題である。オフレコを曝露したのは毎日新聞の記者だそうだが、そうだとすればさすが落ち目のサヨク新聞だけのことはある。普段はオフレコ談話やオフレコ会見によって、正式な場で喋ることが出来ない様々な情報を政治家から得るという多大なメリットを享受しておきながら、国益にまったく結び付かないLGBTQに対する個人的な感想を鬼の首をとったように報道するとは、報道の自由云々の前にただ記者の人間性が下劣だと呆れる。この記者は荒井秘書官の失言を引きだすべく、わざわざ引っ掛けの質問をしたともされている。今日付けのNEWS SOCRAで舛添要一氏はこの問題に触れ、「海外でオフレコを守れない記者は記者会見などから追放される」としている。政府は毎日新聞の記者たちを記者会見やぶら下がり報道から今後排除し、部数減が顕著で経営も大変だと云われる同紙の凋落を一層早めたらどうだろう。サヨク新聞が一紙消えれば国民のためにもなる。それと些末な問題にも拘わらず直ちに荒井秘書官を更迭した岸田首相は、ますますポピュリストであることが露呈してしまった。自民党の保守派からの反感が強い岸田氏は、この先どこまでやれるのだろうか?。 クルーズもなくなった冴えない日とあって、荒井秘書官問題やLGBTQ報道への不満が爆発である。

2023年2月 6日 (月)

順中逆西 来島海峡の”せいりゅう”事故

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事故を告げる読売新聞2月5日朝刊

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2021年5月白虎事故の際の航路推定図(再掲)

2月2日夜7時半ごろ、海の難所、来島海峡航路の西出口付近でガット船”せいりゅう”と499型の貨物船”幸栄丸”が衝突する海難事故が起こった。この事故で”せいりゅう”は沈没、同船船長が亡くなり若い一等航海士がいまだ行方不明だと報じられている。新聞やテレビの報道によると、現場は2021年5月に起きた『来島海峡 プリンス海運 ”白虎”号の沈没事故』の衝突地点にごく近く、事故に至った状況も”白虎”と似ているようだ。今回の事故の当事者である”せいりゅう”は津久見で石灰石を積み込み、岡山県の笠岡に向かい航海していたそうで、本船は、いつき灘(来島海峡西方海域)に於ける船舶の一般航法である右側通行から、海上交通安全法による来島海峡の通峡ルール『順中逆西』(潮流が連れ潮ならば中航路、逆潮ならば西航路を通行)に従い、左側通行となる来島海峡中航路に向けてコースを進んでいたとされている。(但し下記※以下に注目下さい)


一方で対向する”幸栄丸”は空船状態で、左側通行だった来島海峡西航路を抜け、目的地の岩国に向け航路出口で右側通行への転舵を終えた時点だったようで、”白虎”の事故と同じく、今回も2船のコースが交差する海面で事故が起きたことになる。また事故が起きたとされる時間は一等航海士の当直時間(通常0400~0800、1600~2000)であり、ガット船”せいりゅう”の操船は未だに行方がわかっていない一等航海士だと推定される。4名から5名の乗組員で運航される内航船はブリッジの当直もふつう一人なので、事故の起きた海の難所である来島海峡でも両船とも船橋での見張りは一人であったことだろう。


事故の当事船であるガット船という船種は、内航海運業界でも一種独特な地位を占めている。ガット船はデッキ上にガットと呼ばれる大きなクレーンとグラブを装備して、海砂利などを海中から直接積み込み、港湾作業現場などで直接海面におろすことが出来る船のことを指す。ふつうの貨物船の荷役作業は、陸上の専門業者が行うが、ガット船は例外的扱いで自船で荷役作業を行うことができる。この船を運航する業者も砂利業界に関連した会社が多く、未組織の船員も多数乗船していると云われているが、このことが事故の原因なのかは、現在のところ不明である。一方の当事者である”幸栄丸”は499型と呼ばれている内航貨物船であり、500総トン未満の船舶は乗組員の免状や船舶の諸要件が緩和されるため、内航輸送に広く使われている船型である。”幸栄丸”の船主(あるいは運航会社)の住所は大三島(今治市)とあって現場とは目と鼻の先ゆえ、この辺りの海域は熟知していたであろうに事故とは残念だ。


今回の事故は、難所と云われる海域で両船の進路が交錯し、”せいりゅう”の横腹に、幸栄丸が衝突して起こっている。衝突後、ガット船の大きな船倉(ホールド)に499型貨物船の鋭利なバルバスバウ(球状船首)が喰いこんで海水が一挙に流れ込み、ガット船船長と一航士が逃げる間もなく船は転覆沈没したようだ。この事故では第一義的には相手船の左舷灯(赤灯)を視認していたであろう”せいりゅう”側に避航義務があったと考えられるが、衝突直前になって両船がどのような行動をとったのかは今後の事故調査によって明らかになるであろう。本海域では重大事故が多発することに鑑み、以前にも述べたように、来島海峡交通安全センター(来島マーチス)は来島海峡航路の西端である大角鼻沖よりもさらに西方を航行する船舶の看視を強め、注意・警告の発信をされるように望みたい。


※なおこれまでのところ、報道では”せいりゅう”は来島海峡を通峡するコースをとっていたかのように断定されているが、揚げ地は笠岡なので本船は来島海峡航路西端の大角鼻から、来島海峡に向かわず直進し、北方に位置する伯方島と大島間にある「船折の瀬戸」経由、備後灘から笠岡に向かうルートを選択していた可能性もある。この場合”せいりゅう”は、「船折瀬戸」に向かうために来島海峡航路の最西端を横切って事故に遭ったとも考えられる。いずれにしても”せいりゅう”の不明の一航士の一刻も早い発見を祈る。

瀬戸内海を走るガット船
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2019年 フェリー”さんふらわあきりしま”昼の瀬戸内感動クルーズ(西航)で臨む来島海峡 真正面が西航路、中央の馬島より右が中央航路
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九州と備後灘を最短で結ぶ船折瀬戸
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2023年2月 4日 (土)

高齢者向け飲み会プラン

2月10日に出発し3月21日に帰着予定だった、「飛鳥Ⅱ2023年 オセアニアグランドクルーズ」が船の都合で中止となり、40日ほどぽっかりとスケジュールの空白ができてしまった。しかたなく妻は傍らで国内旅行のプランを練っている。私はこのクルーズ乗船中に予定されていた各種会合には欠席と連絡していたが、急遽、出席の返事を出しなおしたりしている。それにつけても今年は武漢ウイルス騒動も一段落で、同窓会やOB会を数年ぶりに開こうという動きが加速しているようだ。先日も男性だけ、中学の同級生6人で平日、横浜馬車道のとんかつ屋で昼食をとり、そのまま昼呑みの居酒屋で夕方まで歓談する機会があった。例によって旧友の消息話しから始まり、今や婆さんになったであろう昔のマドンナの回顧談、病気自慢に長生きの90歳台の母親または義母の介護などの話で一同大いに盛り上がった。


アルコールの勢いで次第に声も大きくなってくるが、周囲を見渡せば昼の勤め人向けピーク時を過ぎたとんかつ屋にしても、その後の居酒屋にしても、我々のような70歳台とおぼしき高齢者の団体が何組か、同じように元気よく談笑している光景が拡がっている。その雰囲気に浸るうち、ちょっとしたレストランや蕎麦屋で、中高年男性向けに平日の昼呑みプランをもっと充実させたらどうかと思うようになった。街には閑な老人たちが溢れているし、これから益々その数は増えるだろう。爺さんたちは時間は幾らでもある。ランチのピークタイムを過ぎた1時過ぎから夕方の5時半くらいの間、料理の味などにはさしてこだわらないから限定メニューのみで十分、ビール、ウイスキ、ワインや日本酒をセルフサービスにすれば、店側もさして手間はかからないのではないか。ファミレスではどうも「飲み会」という気分にならないから、それなりの飲食店でこういうサービスを展開すれば、元気な爺さんたちも経済に貢献できるのではとワアワアと喋りながら考えていた。

 

中学の友人たちと話をしていると、昔の中学生は毎日毎日とにかく良く遊んだという思い出ばかりが蘇る。当時世田谷区内にあちこちにあった広場は、球技禁止という事もなくどこでも軟式野球ボールで草野球が楽しめた。日がな一日ワーワーキャキャー遊んでいても「うるさい」などと苦情を訴える住人などいなかったし、ボールが当たって近所の住宅の窓ガラスを割ってしまい、弁償しに行くと「しょうがないね~」ということで笑って済ませてくれる家がほとんどだった。草野球をしていると、まったく見知らぬどこかのオヤジがいつの間にか審判になっていたり、技術指導してくれたりということもあった。それとは別に色気づいた頃とあって皆で夜の公園に行き、暗がりに佇む良い雰囲気のカップルを狙って突如サーチライトで照らす悪戯もしたと友人たちは述懐する。家から懐中電灯を持ちだしてきたのはなんと私だったそうだが、そんなことは今の今まで忘れていた。これに限らず記憶の底に沈んだ数々の悪事が語られるうち、大らかな良き時代に育ち、良き仲間に出会ったものだとの思いが強くなる。毎日どろんこ、自転車でどこにでも出没、体中擦り傷が絶えなかったあの時代を語っていると、すべてに管理された今の子供たちが可哀そうに思えてならない。

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