新型コロナ感染記
抗原検査キット:白いテストプレートのSの部分に検体を入れTの線が浮かびあがれば陽性となる。
正月明け、久しぶりに会った知人たちと会食し痛飲した夜に、まず異変を感じた。夜中に痰が出て目が覚めるのである。普段は痰などそう出ないが、寝てから明け方までの間に3回も目が覚めて洗面所で「カー!ぺッ!」と痰を吐き、何かおかしいな、とは思っていた。翌日は特に何もなかったが、翌々日はほぼ毎日続けているジョギングにどうしても行く気がしない。午前中からなんとなく体がだるくて家で一日1~2時間もあれば済むテレワーク以外は、居間でゴロゴロとしていた。念の為と夕方に熱を測ると体温計の表示は7度9分である。平熱は6度3分くらいだし、最近は風邪で熱も出したことがないから、四半世紀ぶりの発熱とあって身体もシンドイわけだ。といってもだるさ以外に特段の症状もないので、その夜は家にあったロキソニンと漢方の風邪薬である改源を飲んで早々に寝ることにした。
そもそもコロナ禍もオミクロン株になって以来、屋外ではマスクなど着用していないし、会食のお誘いもコロナ感染など一切気にせずに出席して大いに歓談を続けるポリシーでここまで来た。私自身は立派な高齢者であり基礎疾患もあるが、世の中に怖いものはコロナだけでなく、もっと重篤な病気のほか、多くの経済的、社会的なリスクに向き合いながら人間は生きている。よってコロナだけを恐怖の対象として煽る風潮は常々おかしいと思っていた。とは言うものの、流行の第7派から8派にかけては友人や親戚など身近にも感染者が出ており、武漢に端を発したこのウイルス感染症ももはや他人事とは言えないと思っていた矢先である。
翌朝起きてみると朝から熱も8度1分あり、喉にも強い痛みを感じる。普段ほとんど風邪をひかないのに、症状が重くなっていくのを見た妻が「まさかとは思うけど、念のため抗原検査しておく?」と言うことで、いつか使うかも、と東京都から取り寄せて家に備蓄してあった抗原検査セットの出番がやって来た。鼻の奥を綿棒でぬぐい抽出液に入れて作成した検体をテストプレートに滴下すると、指定された15分も待たずして陽性を示す「T」の所に出て来た線がみるみる濃くなった。オミクロンに感染、発症決定である。これまで感染爆発等の報道などほとんど気にせず自由に旅行や外出をしてきたから、これも仕方なしかと思ったがコロナも8派まで来て遂につかまってしまったわけだ。
陽性反応が出たのは土曜日の夜とあって、痛み止め兼熱さましのロキソニンを飲んで家で寝ているしかない。とは云うものの、喉の痛みはますます激しくなり唾をのみ込むも辛いし、ひっきりなしに大量の痰が出るので喉だけは何とか処方をして欲しいところだ。日曜日の朝になり、発熱外来リストに掲載されていた近所の総合病院に電話をしてみると、30分後に診てくれるというので駆け込むことにした。ただし病院側が一番怖いのは院内感染とあって、休日夜間受付で来院を告げると入口の外で待てとの指示である。完全防護服に身を包んだ医師の抗原検査も、その結果判明までの20分ほどの待機時間も、処方されたカロナールと喉の薬(メジコンとトラネキサム散)の手渡しも、すべて寒空の下の病院の建物外であった。病院内には一切のウイルスを入れないかの如く、まるで私が病原菌であるかのような扱いであったが、これも感染力の強さや現在の2類相当の分類を考えると仕方がないのであろう。
翌日には、病院からの連絡を受けた保健所からさっそく電話があり、長々と症状や身近に接触した人の事を聞かれ、7日~10日の外出自粛を求められた。その次の日には保健所手配による自宅療養支援の大量の配送食料品も届いた。そうこうして処方された薬を飲むうち、2日~3日ほどで発熱も喉の症状も緩和、巷で云われている通り発症から7日でほぼ体は普通に戻った。数日遅れで私から感染した妻は、喉の痛みはあまりない代わりに味覚障害を経験したが、2人とも熱は8度ほどで大したことはなく、同じウイルスでも症状の出方は人それぞれに異なるようだ。やはりオミクロンはインフルエンザよりは軽いものの、普通の風邪よりはちょっとシンドかったと云うのが我が感染記である。この感染症に関しては、投薬・治療や療養に大変な予算措置が講じられ、支援スキームが出来ていることを体験したが、これらはすべて私達の税金から賄われているのも事実である。5月8日に2類相当から5類に分類変更になることが決まったが、その後はどうなるのだろうか?ワクチンを一度も打っていない妻は、「思ったよりきつくない上に、これで当面は最強の免疫を獲得できた」と喜んでいる。
1月末日追記:全快して思うことは、少なくともオミクロンになってからは国を挙げて大騒ぎするほどの感染症だったのか?ということである。
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