飛鳥Ⅱ のんびり秋旅クルーズ(続2/2)姫路城
「飛鳥Ⅱ のんびり秋旅クルーズ」を高松で下船し、金毘羅参りをした後は、姫路城を見物し新幹線で帰京する予定で、JR線の乗車券だけは旅の前に購入していた。姫路までは、まず琴平から多度津まで土讃線、多度津から坂出まで予讃線、坂出より岡山まで瀬戸大橋線(宇野線)、岡山から姫路まで山陽本線(途中相生乗り換え)といずれも各駅停車(瀬戸大橋は快速)の列車5本を乗り継いでの旅であった。妻は讃岐うどんでも食べてもっとゆっくり琴平で過ごし、特急と新幹線で姫路に行きたい様子だったが、少々時間がかかってもローカル列車も良いものだ。実は琴平駅には「みどりの窓口」がなく「大人の休日倶楽部ジパング」で割引切符を購入する場合は、窓口にある新型の自販機でセンターの係り員とモニターを通じて会話をして3割引きの特急券を発行して貰うシステムであった。最近は全国で「みどりの窓口」が次々と閉鎖され、こうした駅でジパングの切符を買う際には、駅の自販機を色々と操作して切符を入手する必要がある。列車の時間が迫っている際に、前の人が自販機の前でモタモタしていると大いに焦るのだが、各駅停車に乗車なら追加の切符も不要で琴平ではやってきたローカルの気動車列車に飛び乗ることが出来た。
各駅停車の列車で地元の高校生やら通勤客と乗り合わせながら夕方に姫路駅に着いた頃には、朝まで飛鳥Ⅱに乗船していたのが遠い世界の出来事のように思えてきた。駅前のホテルに泊まり翌日ぶらぶら歩いて行った世界遺産の「姫路城」は、子供の頃に訪れて以来なんと60年ぶり、妻は初めての見学である。最近ジパングで利用する「ひかり」(ジパングではのぞみの乗車は不可)のうち姫路駅に4分ほど停車する列車が多数あり、新幹線の上りホームからほど近い姫路城の大天守を窓超しに眺めているうち、またいつか来てみたいと思っていたのである。姫路城の五重七階の連立式天守は池田輝政により1609年に完成、以後何代かの大名が入封した後、明治維新や大東亜戦争の空襲にも生き残り、その美しい姿を今に保っている。高さ14.8米の天守台に31.5米の高さを誇る大天守は、白壁と屋根瓦を固める多量の漆喰により遠くから見た姿が白く見えることから別名を白鷺城とも呼ばれている。屋根や壁の漆喰は昭和31年から39年までの(昭和の)解体修理、平成21年から27年までの(平成の)大修理時に塗り替えられており、最後の塗り替えより7年半経過した現在は白さ加減も落ち着いて、白鷺城はいま見ごろの時期だと云えよう。
それにしても久方ぶりに訪れた姫路城は、約700米四方ほどの広い敷地に、大天守のほか3つの小天守、幾重にも重なる屋根や曲輪、廊下が連続する壮大な城構えであった。小天守などは他の城郭なら立派な天守閣になるほどの規模と云えよう。新興国に行くと「世界遺産」の登録もだいぶインフレ気味だと感じるが、ここは正に「国宝」「世界遺産」の名に恥じない文化遺産である。天守閣に入ったらエレベーターがありました、という新たに建て替えられた最近の城と違い、暗く急な階段を手すりに掴まりつつエッチラ上って辿り着いた最上7階から一望する市内や近郊の眺めは格別。この日は秋晴れの行楽日和とあって、これまで入国禁止となっていた欧米からの白人やアジア系では台湾からの観光客が姫路の町に目立っていた。集団でたむろしては大声でしゃべるシナ人の団体客がいないため場内も清々しく、当分の間、シナにはゼロコロナの愚策を貫徹し厳し~~い感染予防策を継続して欲しいところである。姫路からは山陽電鉄~阪神電鉄直通の特急に乗り、大阪から新幹線で帰ろうかとも思ったが、金毘羅さんの奥宮参りや姫路城の急階段でさすがに足が重くなり、早く新幹線で缶ビールを飲もうと姫路駅から「ひかり」に乗車して帰京した。
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