西日本鉄道旅(3)トロッコ列車 奥出雲おろち号
国鉄色の特急「やくも9号」を終点出雲市駅で下車すると、駅前には貸し切りバスが待っていた。この日はお約束どおり出雲大社にお参りし、島根ワインのワイナリーで夕食、出雲市駅前のビジネスホテルで宿泊した。明けて最終日の3日目(実は旅は最終日にならなっかたことは後にアップする予定)は東海地方から関東地方に台風の接近が告げられていたが、山陰・山陽地方はうす曇りでこの日の目玉、トロッコ列車の乗車には暑くも寒くもないほど良い天気。トロッコ列車「奥出雲おろち号」は出雲市駅を8時45分に出発、山陰本線を15キロほど松江方面に向かって走り、宍道駅からスイッチバックでハイライト区間の木次(きすき)線に乗り入れて、終点の備後落合駅に向かった。この列車は週末や連休に合わせ、一日一往復木次線をする観光列車で、編成は宍道方にDE10型機関車が付き、備後落合方に連結する12系改造の2両の客車をプッシュ(途中のスイッチバックや山陰線内ではプル)する方式である。
備後落合に向かう先端の客車は窓のないオープン構造のトロッコ車両となっておりすべてが指定席、2両目の客車(スハフ12 801)はタネ車に近いアコモデーションで、こちらは予備車(控車)として使われる。予備車は天候が悪い時などに乗客がトロッコ車両からこちらで過ごすためについており、乗客の乗る車両が2両あるにも拘わらず指定席は1両分しか販売されない。乗客は気分にあわせてオープン車にいるか室内に留まるか、どちらの車両に乗車しても良いことになっている。また備後落合寄りの先頭客車(トロッコ車両 スハフ13 801)には動力源であるDE10をコントロールし、総括運転を行うための運転席(片運転台)が設けられている。聞けば機関車はこの日のDE10 1161から他の同型カマに換えられる事もあるとの機関士の説明だった。
木次線は山陰・山陽を結ぶ陰陽連絡を目的として1916年に開業した非電化全長81.9キロの路線である。当初は私鉄の簸上鉄道(ひかみてつどう)として営業を開始したが、母方の祖父がこの鉄道建設発起人の一人であったことは既にアップした通り (2022年8月11日 木次線と中井精也氏の鉄道写真)。私にとっては縁の浅からぬ路線なのだが、過去に乗車したのは宍道から出雲大東までの13.9キロだけであった。今回は祖父の願いを追体験するかのような初の全線乗車である。宍道から備後落合に向けて先頭に立つトロッコ車両は進行左側だけが運転席とあって、右半分のガラス越しに展開する前面眺望はすばらしいの一言。見ていると最急勾配30‰(1000m進むうちに高さ30m上下する)最小半径160R(カーブの半径が160米の急カーブ)の連続で、列車はゆっくりと中国山地に向けて歩みを進める。東京都内で有名な西武新宿線の高田馬場~下落合間のカーブが158Rで30‰だから、これが右に左に延々と続いてわけであり、まるで登山列車に乗っているかのような気分だ。大正から昭和の初めによくこんな鉄道を敷設したものだと地元の利便性と興隆を願った祖父の苦労を偲びつつ変わりゆく車窓を楽しんだ。
行程の後半になると出雲坂根駅からのスイッチバックや絶景の「奥出雲おろちループ」が連続し、やがて列車は標高727米のサミットにある三井野原駅に到達する。ここから広島県の備後落合駅に向けてブレーキの連続で勾配を下って4時間のトロッコ列車の旅が終わった。初めて全線乗り通した木次線は予想した以上に急峻な山あいを横断する山岳ローカル路線であったが、これは逆に見れば大変な観光資源に恵まれているとも云える。1998年から運転をしているトロッコ列車は車両老朽化によって来年で終了するそうだが、その後は、本格的な観光車両を造り、出雲そばや地元の名産である仁多牛の特別弁当を車内で提供するなどのサービスを展開させたらいかがであろうか。今回の列車も満員であったし、新しい観光用車両で運転すれば特別な料金を払っても乗車する需要は大きいのではなかろうか。終点の備後落合駅ではかつて国鉄時代のSL機関士がボランティアとして沿線の説明をしており、このようなOBを列車に載せて、山を登り下りしたSL時代の苦労を車内で語って貰えばより人気が高まるに違いない。
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