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2022年9月

2022年9月29日 (木)

西日本鉄道旅(3)トロッコ列車 奥出雲おろち号

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山また山の木次線

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スハフ13 801トロッコ車両

国鉄色の特急「やくも9号」を終点出雲市駅で下車すると、駅前には貸し切りバスが待っていた。この日はお約束どおり出雲大社にお参りし、島根ワインのワイナリーで夕食、出雲市駅前のビジネスホテルで宿泊した。明けて最終日の3日目(実は旅は最終日にならなっかたことは後にアップする予定)は東海地方から関東地方に台風の接近が告げられていたが、山陰・山陽地方はうす曇りでこの日の目玉、トロッコ列車の乗車には暑くも寒くもないほど良い天気。トロッコ列車「奥出雲おろち号」は出雲市駅を8時45分に出発、山陰本線を15キロほど松江方面に向かって走り、宍道駅からスイッチバックでハイライト区間の木次(きすき)線に乗り入れて、終点の備後落合駅に向かった。この列車は週末や連休に合わせ、一日一往復木次線をする観光列車で、編成は宍道方にDE10型機関車が付き、備後落合方に連結する12系改造の2両の客車をプッシュ(途中のスイッチバックや山陰線内ではプル)する方式である。


備後落合に向かう先端の客車は窓のないオープン構造のトロッコ車両となっておりすべてが指定席、2両目の客車(スハフ12 801)はタネ車に近いアコモデーションで、こちらは予備車(控車)として使われる。予備車は天候が悪い時などに乗客がトロッコ車両からこちらで過ごすためについており、乗客の乗る車両が2両あるにも拘わらず指定席は1両分しか販売されない。乗客は気分にあわせてオープン車にいるか室内に留まるか、どちらの車両に乗車しても良いことになっている。また備後落合寄りの先頭客車(トロッコ車両 スハフ13 801)には動力源であるDE10をコントロールし、総括運転を行うための運転席(片運転台)が設けられている。聞けば機関車はこの日のDE10 1161から他の同型カマに換えられる事もあるとの機関士の説明だった。


木次線は山陰・山陽を結ぶ陰陽連絡を目的として1916年に開業した非電化全長81.9キロの路線である。当初は私鉄の簸上鉄道(ひかみてつどう)として営業を開始したが、母方の祖父がこの鉄道建設発起人の一人であったことは既にアップした通り (2022年8月11日 木次線と中井精也氏の鉄道写真)。私にとっては縁の浅からぬ路線なのだが、過去に乗車したのは宍道から出雲大東までの13.9キロだけであった。今回は祖父の願いを追体験するかのような初の全線乗車である。宍道から備後落合に向けて先頭に立つトロッコ車両は進行左側だけが運転席とあって、右半分のガラス越しに展開する前面眺望はすばらしいの一言。見ていると最急勾配30‰(1000m進むうちに高さ30m上下する)最小半径160R(カーブの半径が160米の急カーブ)の連続で、列車はゆっくりと中国山地に向けて歩みを進める。東京都内で有名な西武新宿線の高田馬場~下落合間のカーブが158Rで30‰だから、これが右に左に延々と続いてわけであり、まるで登山列車に乗っているかのような気分だ。大正から昭和の初めによくこんな鉄道を敷設したものだと地元の利便性と興隆を願った祖父の苦労を偲びつつ変わりゆく車窓を楽しんだ。


行程の後半になると出雲坂根駅からのスイッチバックや絶景の「奥出雲おろちループ」が連続し、やがて列車は標高727米のサミットにある三井野原駅に到達する。ここから広島県の備後落合駅に向けてブレーキの連続で勾配を下って4時間のトロッコ列車の旅が終わった。初めて全線乗り通した木次線は予想した以上に急峻な山あいを横断する山岳ローカル路線であったが、これは逆に見れば大変な観光資源に恵まれているとも云える。1998年から運転をしているトロッコ列車は車両老朽化によって来年で終了するそうだが、その後は、本格的な観光車両を造り、出雲そばや地元の名産である仁多牛の特別弁当を車内で提供するなどのサービスを展開させたらいかがであろうか。今回の列車も満員であったし、新しい観光用車両で運転すれば特別な料金を払っても乗車する需要は大きいのではなかろうか。終点の備後落合駅ではかつて国鉄時代のSL機関士がボランティアとして沿線の説明をしており、このようなOBを列車に載せて、山を登り下りしたSL時代の苦労を車内で語って貰えばより人気が高まるに違いない。

沿線は素晴らしい景色の連続 国道314号線の出雲おろちループ
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予備車(控車)スハフ12 801

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2022年9月27日 (火)

【緊急投稿】安倍首相国葬の一般献花

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今日昼過ぎ 会場より数キロ離れた四ツ谷駅での献花行列

今朝から安倍首相の国葬に一般献花をしようと考えていたが、九段坂公園に設けられた会場では、午前10時の献花開始時間を30分早めてもすでに大行列が出来ているとの情報で様子見することに。我が家は妻がデジタル献花をしているので、いささかの思いは遂げたことになるものの、今日現場で手を合わせたいと云う気持ちはどうにもならない。思えば今やバイデン大統領も口にする「自由で開かれたインド太平洋」は安倍さんが作ったフレーズだし、彼が成し遂げた2015年の安保法制がもしなければ、迫りくるシナの台湾進攻予想に我々はもっと危機感を感じていたはずだ。民主党時代の円高から円安に誘導した経済政策、何と言っても有効求人倍率、それも正社員の雇用比率を上げたのもすべて安倍政治の賜物である。返す返すも彼の死が惜しまれる。


そんなに長い行列なら仕方ない、夕方に花を買って供えに行こうかと考えていたのだが、その後のSNS情報では行列は長くなる一方で、我が家の上空にも取材のヘリが乱舞している。それでは恒例のジョギングを先に済ませてしまおうと昼過ぎに会場方面に走り始めた妻からはすぐに電話があり、「すごい事になっている。九段坂から始まった献花の列は、三宅坂で折り返して半蔵門から新宿通りに連なり四ツ谷駅まで続いている」と言う。この時点で献花待ちの列は6キロ以上の長さになるのだが、不思議なことにテレビのスイッチをひねってもニュースは大変な数の人々が献花に訪れていることより、ごく少数の国葬反対派やらサヨクの抗議活動ばかりを大写しにしている。テレビは2万人の行列と報じているが、どう見てもその数倍はいるだろう。安倍首相の国葬に反対する空気を盛り上げたメディアは、多くの国民の行動に混乱に陥っているに違いない。


夕方になっても列は伸びるばかりだ。ついに待ち時間は4時間以上との情報で、やむなく我々はデジタル献花をもって本日は弔意を示したという事にした。我ながらなんとも情けない。午後4時頃、今度は私がジョギングした際は、献花の列は四ツ谷駅をはるか過ぎて四谷三丁目付近まで延々伸びており、警戒の警官に「これはどこまで続いているのですか?」と尋ねても、地方からの応援組なのか「ちょっと私にはわかりません」との答えしか返ってこない。60年安保の国会周辺デモ隊こそ知らないが、私の知る限りでは都内でこれまで最も多い人たちによる長い行列である。やむなく靖国通りに面する九段坂公園献花会場の反対側の歩道を通り、警備に当たる機動隊の駐車車両の間から安倍さんの遺影に手を合わせ頭を下げてジョギングを終えることにした。帰り道、九段下交差点付近でビラ配りをしている薄汚い中高年たちが「安倍政治を許さない」などいうビラを配っているので、「今日は葬式だ。お前らは本当に日本人か?さっさと帰れ、二度と東京に来るな」と何度も大声で怒鳴ったら、こういう反撃になれてないのかサヨクの爺さん婆さんは目を白黒していた。例え反対でも葬儀の日は黙って迎えるのが大人の礼儀。彼らは本当に日本人か? SHAME ON YOU !

警備車両の隙間より安倍さんの遺影に頭を下げる
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19時08分追記:午後7時のNHKニュースでは「献花の列が3キロ以上」とあったがこれは実際の列を矮小化している。地元の我々が見て来たことからすると献花の行列は少なくとも7キロ以上あった。一方で各地で反対派の集会があったなどと少数派ばかり取り上げるメディアは、「国葬は賛否別れる」などと言ってとにかく国葬をおとしめたいとする意図がありありのようだ。

午前0時追記:左巻きの共同通信ニュースは献花参列者は2万3千人だったと報道しているが、これまたまったくあり得ない過少な数字である。そもそも警戒に動員された警官が2万人とのことで、その数倍の人たちが列をなしているのだから警官とほぼ同じ人数が参列したなどとは100%考えられない。自宅にほど近い東京ドームは約4万収容で、満員のプロ野球が終わった時にも、このような長い列ができない事からもこの嘘は明らかだ。今日は長さ6キロ以上、横に3~4人、前後の間隔が1米くらいの列が、時速2~3キロ以下で前進し、それが半日続いていた。その場面を考えたら2万3千人などというデタラメな数字は出ないはずだ。6000M÷1米X3人で瞬間的にも18000人が列におり、それが何時間も続いているのに全部で2万3千人とは嘘も休み休み言えというところだ。マスコミが如何に情報操作をしているのかの良い例である。

西日本鉄道旅(2)国鉄色 特急やくも

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旧国鉄特急色に塗られた381系「やくも」

旅の2日目は倉敷駅から出雲市駅に特急「やくも」で移動し、出雲大社に詣でる旅程である。ただし毎日何往復もある特急「やくも」でも、わずか1編成(一日2往復)しかない旧国鉄特急色で塗分けられた列車に乗車するのが、この旅がオタクによる”テツ旅”たる所以である。特急色の「やくも9号」倉敷駅発車は11時16分と遅いため、この日は朝のうちに阿知神社や倉敷市内をジョギングして体調を整え乗車を待つことにした。皆で集合し倉敷駅の伯備線ホームで待つことしばし、隣の山陽本線を頻繁に通過するEF210(桃太郎)牽引の貨物列車や、水島臨海鉄道に乗り入れる新鋭DD200型電気式ディーゼル機関車の雄姿が我々の目を楽しませてくれる。ダイヤ通り定刻になると車体をクリーム4号と赤2号の懐かしい旧国鉄特急カラーに塗分けられた381系「やくも9号」が、始発の岡山駅から倉敷駅に滑り込んで来た。


伯備線は山陽本線の倉敷から山陰本線の伯耆大山まで138キロの陰陽連絡線で、備中と伯耆を結ぶことからこの名前が付けられている。かつては一ローカル線に過ぎなかったが、新幹線岡山開業から米子・松江・出雲方面への最短ルートとして幹線扱いになり、現在は「やくも」や東京始発の寝台夜行特急「サンライズ出雲」が運転されている。もっとも伯備線は中国山地を横断するため線路の最小半径は200米、最大勾配は25‰ときつく、スピードアップが困難な路線であったため、「やくも」に投入されたのが381系振り子車体の特急電車であった。「振り子」とはカーブになると遠心力に応じて車体の下部が振り子のように外側に傾くことで通過速度を上げる方式なのだが、後年に開発された制御装置付きの振り子車両と異なり、381系は重力のままに最大3度まで車体が傾くため、振れ幅が大きく「酔い易い」電車だと云われている。


連休を利用してか、沿線には旧国鉄カラーの車体を撮影する鉄道ファンも多いのだが、乗車してみればボディが何色かは関係ない。それでも撮り鉄が注目する列車に乗っていると云うのは、僅かばかりの優越感を掻き立てられて嬉しい気持ちもする。2007年に出雲大社に行った際に一度381系「やくも」を利用したので、この電車がよく揺れる事は知っていたが、それにしても中国山脈の山中を、最高110~120キロの速度で右に左にのカーブの連続とあってトイレに行くにもよろけて難儀するほどである。ただ山陰線区間に入って運転停車中にふと窓外を見ればPC枕木の他にかなり年季の入った木の枕木が多く、それも所々で犬釘が外れたものもあって、揺れはこの車両特有のものに保線の不味さも影響しているのではと考えられる。などと山岳路線の揺れと眼前に広がってきた宍道湖の車窓風景を楽しむうちに「やくも9号」は定刻の1412分に出雲市駅に到着した。

山陰線・直江駅の線路 犬釘も外れた古い木の枕木
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2022年9月26日 (月)

西日本鉄道旅(1)水島臨海鉄道

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水島港を背に 水島駅のキハ37

三連休を利用して、クラブツーリズム主催  ”西日本鉄道旅3日間、ありがとう!23年度運行終了「奥出雲おろち号」 22年7月デビューの観光列車「SAKU美SAKU楽」” の旅に参加した。これは山陰本線の出雲大社駅(島根県)から備後落合駅(広島県)までJR木次線のトロッコ列車「奥出雲おろち号」に乗り、津山駅(岡山県)から岡山駅まで津山線を走る観光列車「SAKU美SAKU楽」乗車のほか鉄道を楽しもうと云う企画である。今回の目的地である中国地方には山陽、山陰を結ぶ路線(陰陽連絡線)を中心に古くから多くのローカル線が敷設されている。子供の頃から山陽本線の列車に乗る度に「播但線、姫新線はお乗り換え」「芸備線の次の発車は」などという車内放送を聞き、さてこれらの路線に乗り替えるとどんな旅があるのかといつも興味を持ってきた。しかし海岸地方から分け入った山間の町を結ぶ諸路線は運行頻度が低く、いくつかの路線を効率よく乗り継ぐのはダイヤ的にかなり難しいのが実情である。そんな地方のローカル線を走る2つの観光列車を限られた時間内に乗車するには、途中貸し切りバスを使って利用駅を結ぶ団体旅行しかないと、このツアーに参加したのである。


東京駅の集合場所に集まったのは総勢19名の中高年で、鉄道マニア風の他、鉄道よりは途中で立ち寄る倉敷の町や出雲大社の方に興味がありそうなオバちゃんたちなど顔ぶれも多彩だった。添乗員の案内でまずは岡山駅まで新幹線「のぞみ」に乗車し、岡山駅から山陽本線の在来線に乗り宿泊地の倉敷に午後早くに到着するのが初日の日程である。この日は天気も良く、乗車する「のぞみ」85号は、新型N700系S(Supreme)とまずは幸先が良かった。倉敷駅前のビジネスホテルのチェックインした後は自由行動となり、ツアー参加者の多くは美観地区や大原美術館などに出かけたようだが、我々は昨秋当地に旅行した際に美観地区をゆっくり観光したので、今回は倉敷から発車する水島臨海鉄道に初乗車する事にした。この旅は”西日本鉄道旅”であるから、なるべく鉄分(テツブン)の濃い内容にしたいという気持ちである。また海運会社の新入社員時代に最初に担当になったのが、川崎製鉄(現JFEスチール)の原料輸送船で、同社の千葉製鉄所とともに水島製鉄所で多くの豪州・インドの鉄鉱石や原料炭を荷揚げした思い出もある。海運人生最初のステップが「水島」の地ゆえ、ノスタルジックな気持ちが湧いたこともある。


JR倉敷駅に隣接した水島臨海鉄道・倉敷市駅で水島行きの1両編成の気動車に乗車したのは15時26分だった。この時間帯は上り下りとも1時間に1本の運転である。ここから約11キロ南に位置する水島駅までは24分ほどの運転時間だが、朝夕のラッシュ時にはさらに1.2キロ先の三菱自工前駅まで列車は走る。水島臨海鉄道はJR貨物と倉敷市などが出資する第3セクターの臨海鉄道で開業は1970年で、この路線は水島工業地帯の発展とともに存続してきたことになる。ウィキペディアによると2021年度の営業利益はマイナス6300万円、経常利益がマイナス3500万円であり、多くの地方の鉄道と同じように営業は厳しいようだ。そのため倉敷市駅ではわずかながらオリジナルグッズの販売を、水島駅は午後4時で有人の駅業務は終了と売上高促進、経費切り詰めに尽力している様子が垣間見えた。閑散とした乗降客の水島駅で降り立った後、駅からほど近い水島港や工業地帯を一時間ほどかけて散策していると、かつて大学を出て右も左もまったくわからない中、当地の船舶代理店と航路や岸壁などの話を頻繁にした記憶が蘇った。船が遅れると製鉄所の需給がひっ迫し、なんとか到着を早めてくれと懇願され冷や汗をかいたこともあった。水島駅のホームで製鉄所の高炉を見ているうちに、なぜか脳裏には井沢八郎歌う「あゝ上野駅」の「あの日~、ここから始まあああった」という歌詞が脳裏に浮かんできた。

売り上げに協力 水島臨海鉄道の区名札 2000円!
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2022年9月18日 (日)

CSを賭けた巨人-阪神戦

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満員の東京ドーム場内

取引先から切符を貰い巨人-阪神戦を見に昨日は東京ドームに行ってきた。久々のプロ野球観戦である。クライマックスシリーズ(CS)進出に向けて大事な一戦と云うことで、場内はほぼ満員40747人の大賑わい。しかしドーム球場に入場するには例によってマスク着用の要請をされ、試合前の君が代斉唱も声を出す人がほとんどいない。プロ野球と云えば日本でもアメリカでも大きな声で国歌や応援歌を歌い、ヤジをとばしつつビールを飲むもので、声も出さない大人しい応援風景にはどうにも馴染めない。大谷選手の活躍を伝えるテレビ中継では、MLB観客席は誰もマスクなどしていないが、いつまでも感染防止のふりゴッコをしたい日本にいる限りはこれも仕方ないところ。見れば入場者の過半が巨人軍の応援で、左翼側を中心に3割くらいが阪神ファンという色分けのようだ。座った席はジャイアンツベンチすぐ後ろ、前から3列目とあって選手の姿は目の前だが、孫の代に近い選手達に見覚えのある顔はなく、知った顔と云えばコーチの桑田や元木くらいである。時代は変わったと感じつつ、ビールお替りのピッチは進む。


そういえば子供の頃、両親に連れられて後楽園球場で野球を見る時は、最寄の国鉄・水道橋駅に浮きたつ気分で降り立ったものだ。一番古い記憶をたどれば、ジャイアンツはピッチャーは藤田、ショート広岡、キャッチャー藤尾などという布陣であった。大学生の頃は、昼は神宮球場で東京六大学野球を2試合見て、夜は王や長嶋の応援に地下鉄を乗り継いで後楽園の巨人戦のナイトゲームと一日3試合、プロとアマ両方の観戦という日もあった。見るスポーツと云えばプロレスか野球しかない時代である。新入社員になって仕事帰りにふと思いつき、同僚と後楽園球場の巨人戦に来たが満員札止め。やむなくダフ屋から切符を買ったところ取り締まりの係員(富坂暑の警官だったか?)に見つかり、会議室のような場所でたっぷりお説教をくらったこともあった。もっともこの時は定価の2倍くらいで買った切符は没収されたが、「球場の好意」という形で代わりに内野指定席の券を貰って観戦できたのだが…。高度成長時代には都市対抗野球に出場する取引先チームの応援にもよく行ったし、旧後楽園球場や東京ドームは思い出一杯の場所である。


昨日の先発は巨人は戸郷、阪神が西と両チームとも若きエース級のピッチャーでテンポよくゲームが進んだ。ベンチ脇から見ていても緩急リズムよく投げるプロの投手はさすがで、見慣れた大学野球とはレベルが一味違う。無駄な四死球が少ないためか守備もエラーなしで、しまった内容の投手戦が続いた。それにしても最近の野球選手、特にジャイアンツの選手は三塁の岡本や一塁の中田をはじめ体が大きすぎて、まるでプロレスラーのようだ。外国人選手ウオーカーに至っては髪は編み込みが帽子から数本垂れ下がっている。「巨人軍は紳士たれ」という正力オーナーの遺訓はなくなってしまったのだろうか。試合は西の失投を捕らえた4番中田の決勝ホームランにより3対2で巨人が勝利とあって場内の巨人ファンは大いに喜んでいた。この試合はアマチュア野球並みの早さの2時間50分で終了とあって、やや飲みたりないと思いつつ楽しく試合を堪能して帰路についた。

決勝打を打った中田選手
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プロ野球といえば日本でもアメリカでもビール!!
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2022年9月14日 (水)

国葬反対のバカ騒ぎ

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9月27日安倍元首相の国葬が執り行われる武道館

暗殺された安倍元首相の国葬に疑問をもつ人たちによって、まことに下らない議論が展開されている。安倍さんが我が国の置かれた困難な立ち位置に立脚し、国家観を意識した政治を長期に亘って行ったことが、よほど反日の人たちに気にいらなかったのだろう。亡くなっても彼をとことん貶めたい人たちがおり、こんな問題が政局になるのだから世の中あきれ返ったものだ。例によって例のごとく蓮舫やら辻元やらの売国の徒が、わざわざ自らのツイッターに招待状をアップして欠席することを誇示しているそうだが、行きたくなければ行かなければ良いだけの話で、こういう政治屋さんたちの品性をただただ疑うばかりである。この件に関してなんと国会で閉会中審査までが8日に開かれたそうだが、そもそもなぜ行政の問題に立法府である国会が関与しなければならないのかはなはだ疑問である。


16億6千万円と試算された国葬に関わる費用は、国の予算の一般予備費で支出されるが、これは自然災害や急激な景気悪化といった不測の事態に、政府が柔軟に対応できるよう使い道をあらかじめ定めずに毎年度の予算に計上する費用を指す。その枠は5000億円もあるそうで、使用目的は閣議で決定されることが法律で定められている。まさに今回のような不測の葬儀に使われるのがこの予備費の本旨であり、その使い道は行政の判断で決定される。この件は決して立法府たる国会のマターではなく、行政の長である岸田さんの一存によることが明らかなのである。費用についても、いまウイルス対策で極めて無駄な予算が多額にのぼっているのに対して、世界から弔問の要人が来日し、各国のVIPと葬式外交も展開できることを考えれば、16.6億円など極めて有効かつリーズナブルなものだと云えよう。国葬を執り行う岸田政権の決定に何らの瑕疵は見いだせない。


国葬に関し「法的根拠がない」と大騒ぎしている左巻きの連中に対しては、昨日の「虎ノ門ニュース」で保守の論客である北村晴男弁護士の解説が的を射た分かり易いものであった。北村氏によれば「国の儀式並びに内閣の行う儀式および行事」は内閣設置法で定められており、国会に諮る必要なく国民の代表たる内閣の判断で葬儀は行うことが出来るとの説明である。そもそも2006年3月1日の最高裁大法廷では行政行為について「国民に対して義務を課し又は権利を制限するには法律の根拠を要する」との判断が下されており、今回の国葬のような国民の義務や権利に何ら拘わらない行政に関しては、法的な根拠を求めたり国会に諮る必要はまったくないとのこと。すでに東京、大阪はじめ4地裁で起こされた国葬差し止めの訴えはすべて却下され、東京地裁では「安倍さんの国葬が気に入らないからといって、一々そんな事を裁判所に訴えるな」と云う趣旨を込めて判決が出されているそうだ。司法の場でも「国葬反対」は議論にならないことが明白である。


国会がやるべきは国葬の議論などではなく、統一教会のごときカルト集団や人の弱味に付け込む新興宗教の反社会的行為に関し、議論を尽くし規制立法に力を注ぐことであろう。だが残念ながらいまは安倍さんの国葬ばかりが騒がれ、立法化に向けてそのような具体的動きは見えない。もう一点心配なことがある。安倍さんと親しかった台湾代表の国葬招待に中国が早くもイチャモンをつけているが、余計な指図だと岸田首相と親中派である林外相がきっぱりと中国に言えるであろうか。もし「内政干渉」するなら、日中国交回復50周年の記念式典などキャンセルすると宣言してやれとの声も巷からもれ聞こえる。一部メディアは武道館で行われる国葬の会場がガラガラになるのでは、などと面白可笑しく書いているが、そうならば我々一般国民にも九段坂公園での献花でなく武道館への入場を許可して欲しいものだ。武道館はごく近所だし、例え延々長蛇の列であっても我々も国葬に参列したいと願う。

一般献花を受け付ける九段坂公園
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2022年9月 4日 (日)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その4)

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稚内港 北の防波堤ドーム 樺太航路の連絡船乗客を風雪風波から守るために作られた

利尻島最終日は1周800米の姫沼に沿った森の中の木道トレイルを巡り、朝9時過ぎのフェリーで稚内に戻った。このツアーは歩く箇所が多く、スマホの歩数計アプリは3日間とも1万4千歩を記録していた。稚内ではお約束の「北の防波堤ドーム」に立ち寄り、副港市場で昼食を摂った後、旅の最後に本邦最北端の宗谷岬を訪れるスケジュールであった。アシカやトドの集う海岸線に沿って国道238号線を宗谷岬に向かうと、バスの車窓からは40数キロ離れた樺太が遠望できる。宗谷海峡を挟んではっきり目視できる南樺太だったが、もし戦争に負けなかったらここも日本領で、フェリーで簡単に渡れるはずだと思うと残念でならない。ウクライナとの戦争でロシアが大いに疲弊し、北方領土や南樺太を日本に譲りたいという事にならないか、急に夢のような考えが頭をよぎった。


宗谷岬を後に、稚内空港からANAの羽田行きで帰路についたが、「利尻島・礼文島さいはての夏スペシャル 3日間」の旅を思いつくまま纏めてみた。

①初の利尻島と礼文島だったが、両島は双子のように位置するもその地勢はまったく違うことが印象的だった。礼文島はなだらかな地形で笹や草花などに覆われている。夏場は霧が多く冷涼なため、高山植物が海岸近くから茂り、その間を縫うトレイルは穏やかなコースである。礼文島は女性的な地勢の島だと云える。対して利尻島は海岸から一気に利尻富士がそびえたち、植生は高度に応じて変化している。標高1721米の利尻富士まで海岸から一挙に登るので、登山するにはそれなりの体力が必要であり、こちらな男性的な性格の島だと云えよう。

②2泊3日のクラブツーリズム主催の旅は、一人当たりの参加費用が79000円であった。もしこの日程を個人で行けばどうなるか。稚内往復のANA便は早割で往復5万円、3回利用したフェリーは運賃が6870円である。今回利用したのと同レベルの宿をネット検索すると、一人一泊でどうやら最安値が一泊1万5千円~2万円/一人ほど。レンタカーは3か所(稚内・礼文・利尻)で借りる必要があるためガソリン代込みで2万円(一人1万円)程度になろう。ほか昼食代などどんなに安く見積もっても個人手配なら一人10万円は軽くかかる計算になる。土地勘がないと2泊3日ではこれほど効率的に回れないこと、その上バスガイドや添乗員の詳しい説明を考えれば、大変「お得なツアー」だったと評価できる。

③一方で、我々の様にトレッキングをもっと楽しみたくとも、団体行動のために自由は制限される。また宿での夕食も感染対策のアクリル板越し、かつ指定席の為に他の参加者と交流ができない。皆周囲にバリアーを張っているわけではなかろうが、バスの車内も3日間指定された同じ席で、会話を控えめにせよということで、他の参加者との交流がしづらい雰囲気であった。旅行社主催の団体旅行に参加するといつも思うが「袖すり合うも他生の縁」なのだから、(今はコロナ対策で難しいだろうが)シャイな中高年向けに、この点で工夫はできないものか。


かねてより訪ねたかった2島と半世紀ぶりの稚内である。いささかハードスケジュールではあったが天候に恵まれて効率よく巡ることができた「良い旅」であった。(了)


宗谷岬から南樺太がはっきりと遠望できた
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我が国最北の自販機
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2022年9月 2日 (金)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その3)

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残照の利尻島・仙法志岬公園から望む利尻富士

礼文島における最後のイベント、桃岩トレッキングも終わり、高山植物を見ながら歩いた皆がバスに戻ってきたが、利尻島へ亘るフェリーの出発までにはまだ十分な時間があった。ハートランドフェリーは、本来この季節は3隻の船舶によって稚内‐礼文‐利尻の航路をサービスしているところが、コロナ禍で従業員の都合がつかなくなり、急に8月19日からは2隻体制の冬ダイヤになってしまった。そのために礼文から利尻に渡る出発便が当初クラツーが予定したものより大幅に後ろにずれたため、礼文島における滞在時間が増え、その分は逆に利尻島のスケジュールが忙しくなったのである。なにしろこの旅は、前後を一日片道2便しかない東京-稚内直行のフライト時間に制約されている中で、現地に滞在する実質2日間のうちに3回フェリーに乗り、2つの島と稚内近辺を観光するというテンコ盛りスケジュールだから時間の管理が大変である。


といっても島内には交通渋滞がないし、礼文島には交通信号機が2か所だけとのことで、バスは列車の時刻表の如く予定通りに走る。添乗員の集合時間案内や点呼も極めて丁寧だし、ツアー参加者も真面目に決められた時間通りにバスに戻って来るのはさすが日本の中高年ツアーである。こうして礼文島では時間が余ったのだが、その時間を利用して、2012年に「北のカナリアたち」という映画のロケに使われ、利尻島が前面に展開する公園に連れて行ってもらった。この公園では廃校の床材などを使って造られたロケ用の 「麗端小学校岬分校」の校舎を見て、これから渡る利尻島の景色を楽しんだ。海峡越しに利尻島全山がくっきり見えるのはこの季節にしては珍しいそうだ。桃岩トレッキングではもっと沢山歩きたいと思ったが、逆に自分で回れば立ち寄らないこうしたちょっとした名所に、ガイド付で訪れることが出来るのが団体旅行の窮屈な点でもあり良い点でもある。


礼文の香深港からフェリーで40分、利尻の北部に位置する鴛泊港に着いた時間はもう午後5時10分であった。利尻島は人口が4200名で、丸い火山のこの島を一周すると63キロだが、この日の残された時間で島の南部のある利尻山眺望のオタトマリ沼と、夕陽の景色が素晴らしい仙法志公園を廻らなければ、翌日のスケジュールに響くから大変だ。当日の日没は6時18分なので暗くなる前に2か所の名所を探訪するため、フェリー下船とバス乗車は手早くと案内され、飛び乗ったバスも心なしか速度を上げて目的地に向かった。利尻山は島内をぐるりと一周する間に16回姿を変えるという。北海道の銘菓「白い恋人」のパッケージ通りに山が見えるのはここだ!という名所オタトマリ沼を経て、仙法志公園では雲間から残照を眺め、島を一周し鴛泊の「ホテルあや瀬」に入ったのは辺りも暗くなった夕方7時であった。風呂に入る間もなく食事が出されて濃密な一日が終わった。(その3終わり)

オタトマリ沼より見る利尻山
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「白い恋人」のパッケージにあるオタトマリ沼からの利尻山
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2022年9月 1日 (木)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その2)

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桃岩トレッキングコース

礼文島は北海道から60キロ離れた日本海北部に浮かぶ本邦最北端の島である。東西が8キロ、南北26キロ、周囲72キロの南北に長い島で、人口は2300人とのこと。北海道からの直線距離は約45キロほどだが、フェリーが着く島中心地の香深と稚内の航路距離は約60キロある。60キロは海里に換算すれば約30マイルとなるので、時速20ノット弱で航走するフェリーを利用して稚内より1時間40分で到着する。隣の利尻島が火山の島で海上から急峻な山容が立ち上がるに対して、こちらは地殻変動で隆起した島とあって最も高い地点の礼文岳の標高は490米にすぎない。礼文島の地勢は緑に覆われたたおやかな緑の丘陵である。両島とも大陸や北海道と繋がったことがないのでヒグマや蛇がおらず、特に礼文島は風が強い上に夏は霧が多発し、森や林より笹や高山植物など背が低い草花が優勢なのだそうだ。


などとツアー添乗員や宗谷バスのガイドさんの説明で、島の様子がすぐわかるのが団体旅行の良いところだ。香深港のフェリー降り場からほど近い三井観光ホテル(あの三井財閥グループとは関係ないらしい)で温泉に浸かり、満天の星を見て旅の疲れを落とした翌日は、まず島の最北端にあるスカイ岬やスコトン岬に向かう。これら土地の名前が珍しいのはいうまでもなくアイヌが呼んでいた名称だからである。ここは柱状節理の崖に海岸が迫り、たまたま同じ名前のスコットランドのスカイ島、はたまた北アイルランドにある世界遺産のジャイアンツ・コーズウエイのような風景が目の前に広がっている。岩壁に砕け散る北国の海と湿気の少ない晩夏の気候が、なにやら本当に彼の地にいるような錯覚に陥らせてくれる場所であった。島の最北部にある金田ノ岬の漁協直営食堂で海鮮船盛り定食を楽しんだ後、我々のツアーはバスで南部にある桃岩展望台のトレッキングコースに向かった。


トレッキングコース入口にある駐車場でバスを降り立ち、整備された山道を登り始めると、周囲には盛りは過ぎたものの高山植物が咲き、いかにも草花が好きそうなツアー添乗員の説明に熱がこもってきた。彼は沖縄出身・在住で夏場だけ稚内でガイドをしているそうだ。このコースの高低差は約100米、天気も良く緑につつまれたなだらか斜面をゆったり歩いた距離は約2.5キロほど、一時間半の登り下りであった。海を挟んだ向こうには利尻富士が聳え立ち、足元には高山植物が咲くという気持ち良い散策だったが、高齢者や体が悪い人には、傾斜の緩いコースもあり至れり尽くせりの観光地だと云える。途中にある休憩所のトイレもきれいだったが、この旅を通じて、どこへ行っても「ウッ」と鼻をつまむような汚い公衆トイレはなかった。最近、旅に出ると感じるのは、総じて日本中どんな場所でも公衆施設や道路が整備され、民家はきれいになって社会資本が行き届いていることである。これでも日本はGDPが本当に伸びていないのか、そうだとすれば統計の取り方が間違っているのではないかと旅行に来る度に思う。(その2終わり)

スカイ島を彷彿とさせる礼文島スカイ(澄海)岬
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スコットランド・スカイ島(2010年夏 クルーズ船ウエステルダム号より)
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