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2022年8月

2022年8月31日 (水)

クラツー利尻島・礼文島の旅(その1)

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JR線最北端の稚内駅

クラブツーリズム主催 「往復 稚内直行便限定 利尻島・礼文島 3日間」の団体旅行に参加してきた。総勢34名のシニア世代のツアーである。学生時代に宗谷本線で稚内にやって来た際に車中から眺めた利尻富士が印象的で、いつか行ってみたいと思っていたが、50ウン年ぶりに夢が叶ったことになる。東京から遠い稚内の宗谷岬や利尻島、礼文島を効率よく見て回るには、貸し切りバスを利用した団体旅行が一番と思い、今回はクラブツーリズムに申し込んだのである。実を言うと同じ時期に利尻島に寄港する客船にっぽん丸では「飛んでクルーズ北海道」が催行され、当初はこのクルーズ乗船に予約を入れていた。しかし加入していたはずのにっぽん丸ドルフィンズクラブ(乗船経験者のクラブで僅かながらクルーズ時の特典あり)の権利が失効していたことに気付かず、この点を事務局に問い合わせたところ、返ってきた返事はきわめて通り一遍で、一気に乗船意欲をなくして陸の旅にしたのだった。ルールだから仕方ないが、にっぽん丸の対応は飛鳥Ⅱに比べると様々な面で「乗せてやる」風に感じられてしょうがない。


それはさておき、今回の2泊3日のツアーは見どころテンコ盛り。実は両島の航路を独占するハートランドフェリーが、乗り組み員のコロナ感染で減便をしたため、当初のスケジュールには大幅なシワ寄せがきていた。そのような中でも、いささか駆け足だったものの、旅程管理の万全の体制に「さすがクラツーの団体旅行」と唸らせてくれた今回の内容であった。第一日目は羽田空港10時45分発のANA571便とあって空港集合も9時55分とゆったりで、朝の通勤時間よりやや遅かったのがまずは良かった。ツアー添乗員は現地の稚内空港でジョインするので、羽田のANAカウンター脇にあるクラツーの窓口で切符を貰い、各自で搭乗手続きを済ませる方式である。早めに搭乗手続きを済ませ、空旅の”水戸黄門の印籠”、スーパーフライヤーズカードを提示すれば団体旅行でも利用できる羽田空港のANAラウンジでまずは一休み。時間になり普段あまり乗ったことのないエアバスA321に足を踏み入れると、機内は観光客でほぼ満席状態で、皆マスク姿とはいえオミクロンなどどこへやらという雰囲気であった。


天売・焼尻島の島影を下に、草原や灌木が拡がる北の台地が眼前に迫ってくると、いよいよ国内最北の空港に降り立つ気分も盛り上がってくる。半世紀前に来た時にはカニ族と云われたリュックサックを背に、上野発の夜行列車と青函連絡船で北海道に上陸し、旭川から国鉄・宗谷本線でまる一日かけてはるばる稚内にたどり着いたが、いまや新鋭ジェット機で羽田から2時間弱とは正に隔世の感である。稚内空港到着後にジョインした添乗員の挨拶もそこそこに、宗谷バスの観光バスに揺られてJR線最北の駅、稚内駅でまずは一休み。続いて駅至近にある稚内港フェリー桟橋から、2020年に内海瀬戸田造船で建造されたハートランドフェリー”アマポーラ宗谷”(4250総トン)で礼文島への2時間の船旅が始まった。この船は新造船とあって、船内どこも新しくきれいだったが、翌日礼文から利尻に亘る僚船"サイプリア宗谷”(3555総トン)も2008年にも拘わらず同じように清潔であった。離島航路の侘しさなどを微塵も感じさせない船内にいると、国内旅行もこの10~20年で随分と快適になったものだとの思いが湧いてきた。(その1終わり)

礼文島 鴛泊港に到着
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利尻島を背にハートランドフェリーの2隻
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2022年8月23日 (火)

明治神宮外苑の再開発

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明治神宮外苑の名物・銀杏並木

東京ではいま2036年の完工を目指して明治神宮外苑の再開発計画が進行中である。この中で注視されているのが外苑の樹木の伐採計画で、当初示されていた多くの樹木を切る計画が反対の声によって見直されるとの記事が8月17日の読売新聞に掲載されていた。明治神宮外苑と云えば明治神宮野球場や秩父宮ラグビー場がすぐ頭に思い浮かぶ。私は子供の頃から60年以上に亘り東京六大学野球のリーグ戦応援に、春・秋のシーズンは神宮球場に足を運んできた。その回数は優に300回を超えるはずだ。また秩父宮ラグビー場は毎冬に関東大学対抗戦などの観戦に訪れる場所である。隣接する国立競技場のトラックも学生時代から随分と利用させてもらったし、絵画館を周る歩道も時々ジョギングに訪れる。明治神宮外苑とその一帯は私にとっては我が家の庭のような場所であり、老朽化したスポーツ施設の建て替え工事を含む再開発計画には大きな関心を抱いている。


ちょうど三田評論の2022年6月号に元慶應義塾大学教授で都市景観や造園緑化が専門の石川幹子氏が「近代日本の名作・神宮外苑の危機」とする稿を寄せていた。それによると明治神宮外苑は日比谷公園の約8倍の広さを誇り、綿密な計画で一世紀の歳月をかけ創り出された近代日本を代表する(緑地の)「名作」だという。明治神宮は内苑(原宿のいわゆる明治神宮)とスポーツ施設の集まる外苑に分かれており、内苑は「森厳荘重」を旨とすべく国費で、外苑は「公衆の優遊」を目的として献費で造成されたとのこと。外苑は、全国各地から54種3190本の樹木が献木されて大正15年に完成、ただちに日本最初の風致地区に指定され、現在は宗教法人の明治神宮が保有する一大苑地になっている。石川氏は、造成に当たっては明治神宮翼賛会がその永続的運営を明治神宮を信頼し奉献したものゆえ、単なる私有地と異なり再開発は社会的共通資本として扱うべしとの主張を展開する。


緑の中に絵画館や各種スポーツ施設が点在する神宮外苑で、特に見事に色づく銀杏並木はスポーツに関心がない都民も多数訪れる初冬の名所となっている。しかるに当初の再開発案は、神宮球場やラグビー場の建て替えのほか、2棟の高層ビルなどを新たに建築し、樹齢100年超え含む971本の樹木を伐採するという「社会的共通資産」の観点からすると首を傾げるものであった。当然のように反対計画が盛り上がったが、読売新聞の記事では、事業者の三井不動産などによって計画が見直され、高層ビルは建てられるものの樹木の伐採本数を556と大幅に減らし、多くの大木が残る案になったそうだ。名物の銀杏並木も、新しい神宮球場の壁面から離して影響がなるべく及ばないように配慮されるとの報道である。球場と共に建て替えられる秩父宮ラグビー場は、1万5千人を収容する屋根付きの全天候型になり、2027年末に供用が開始されるとの新たな発表もあった。しばらくは工事で不便になるだろうが、樹木の緑も保存されるそうで新しく生まれ変わる神宮外苑地区に期待したい。

2022年8月18日 (木)

膀胱がん+前立腺がん治療記 (続編)

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男性用尿漏れパッド10cc微量用

今年2月11日に手術のその後をアップしてから半年、昨日は定期的な経過観察で病院へ行った。膀胱がん手術からちょうど4年、前立腺摘出手術から2年になる。最近は日中の小用の間隔もだんだん長くなって若い頃に近くなってきたし、夜中に尿意で目が覚めてトイレに行くこともほとんどなくなった。前立腺手術後にほとんどの人で起きると云われる尿漏れも徐々に改善しており、一番少量用の10CCか20CC吸収の尿漏れパッドを一日に一度替えれば日常生活に問題はない。この尿漏れパッドはブリーフかボクサータイプの下着に装着して下さい、と注意書きにあるのだが、夏はこれらの下着は体にピッタリしすぎて股間が蒸れてたまらない。という事で永年馴染んだトランクスにパッドを付けるのだが、体と下着の間に少々の空間ができても、尿漏れで困るようなこともなくなった。


このような状況なので、手術した箇所にまず問題はなかろうと内心で思うも、病院の予約日が近づくと「もしや、なにか?」という僅かな心配なしとは言えない。そんな時は「自分の手の及ばない事を心配するな、心配することのほとんどは起こらない」というフレーズを唱え、その場その時に出来ることに集中しようと試みる。とは云うものの検査前のこの2~3日、もしまた何か悪い所見が見つかったら今月末の旅行の予定も変更しなければ、などと無駄な想像力がはたらいてしまう。膀胱がんについては、自覚症状が一切ないのに人間ドックでいきなり見つかって「ウソだろ?」と驚愕した経緯があるので、いささか重い足を引きずりつつ昨日は病院に向かった。


今回の定期観察は、採血・採尿・CT・膀胱内視鏡検査と医師の診察がその内容である。採血は前立腺を摘出した後もガンが残っていないかPSA値を見るほか、腎臓その他身体全体のチェック、尿は潜血反応や異常値がないかのチェックである。CTは尿道・尿管に膀胱がんが転移していないか確認のためにするそうだ。膀胱内視鏡は、先日これを初めて経験した親戚に「大したことなかっただろ」と言ったら、「とんでもない!気が遠くなるくらい痛かった、あんなものは二度と御免です」と答えが返ってきた。麻酔をかけず尿道に内視鏡を挿入するのは「痛い」というより「怖い」ため、彼は緊張して痛さを感じたのであろう。これも慣れてくると痛みはそれほどでもないし、同じ主治医で何度も経験するとすっかり慣れてどうということはなくなった。


子供の頃、血を見たり体の病変や痛みの事になるとあれほど臆病だった自分も、(あまり経験したくはなかったが)随分と変わるものである。半日がかりの検査が終わり判明した各検査数値やCT画像はすべて問題なし、内視鏡で見た膀胱内部も「きれいです」との主治医の言葉で一安心。次の経過観察は半年後となり、家路をたどる足も往路とは打って変わって軽やかである。以前にも書いたがこの検査が終わると、なんだか学校で期末試験が無事終了したような気持ちになるのだ。ただ老境に入るということは、こういう体の不具合と折り合いをつけながら生きるということでもあるのだろう。やはり「一寸先は闇」と思うより「何かあったらその時」と考えて楽しく生きた方が良いと思いつつ、不安も消え去り元気を取り戻して家のドアを開けたのだった。とは云えまた来年の検査日が近くなると余計な想像力が働くんじゃない?と傍らで妻は笑っている。

2022年8月11日 (木)

木次線と中井精也氏の鉄道写真

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鉄道模型を再開してから、最近はデパートで開催される鉄道関連のイベントなどにも興味が湧くようになってきた。ということで先週末は新宿の京王デパートで開かれている鉄道フェスティバルに行ってみた。卒業生が鉄道各社に多数就職する岩倉高校の生徒が作成したHOゲージやNゲージ鉄道レイアウトを眺め、鉄道グッズを販売する各社コーナーなどを見ているうち、会場の一画に鉄道写真家 中井精也氏のギャラリー&ショップ「ゆる鉄画廊 NOMAD」があるのを発見。中井精也氏と云えばJR時刻表の表紙や鉄道各社のカレンダーを担当するなど知る人ぞ知る鉄道写真家である。我が家のリフォーム工事が昨年完了し、きれいになったリビングルームの白い壁を飾る風景画か写真、できれば鉄道に絡んだものが欲しいと思っていたので、有名な鉄道写真家の販売する作品に手頃なものがないか、冷やかしで覗いてみることにした。


その「ゆる鉄画廊」の一画に 青空を背景にみどりに包まれた線路を走る気動車のちょっと変わった色調と構図の写真が展示されていた。全体はとても明るい作品なのだが、画面の空や森、その中を走る朱色の気動車が漫画のような不思議なタッチで表現されている。写真の説明にはJR西日本の木次(きすき)線の風景とあるのに一層心惹かれて見入っているうち、この写真が何となく「買ってちょうだいよ」と呼びかけているような気がしてきた。詰めていた係りの人に聞くと、これは鉄道の風景を直接撮影したものでなく、線路脇を流れる川の水面に映った景色と列車を撮ったのだそうだ。確かにこの写真をよく見ると鉄橋を亘る気動車の輪郭はやや曖昧だし、写真の全面に亘ってうっすらと川底の石ころなどが写っており、川面に反射する光線の具合いがこの作品を劇画チックに仕立てていることが分かった。天地を逆にした様なユニークな作品である。

 

作品が呼んでいるかに思ったのは、JR木次線が題材になっているからであろう。私の母方の祖父は島根県の素封家の家に生まれ、木次線の前身である簸上(ひかみ)鉄道創設の主要発起人の一人として、若き日は鉄道敷設に力を注いだと聞いている。簸上鉄道は山陽・山陰連絡の便を図るために1916年(大正5年)に開通し祖父は取締役も務めていたそうだが、戦争を前に1934年(昭和9年)に国有化されて木次線となっている。木次線は現在は宍道(島根県)と備後落合(広島県)を結ぶ全長82キロの非電化・単線のJR西日本のローカル線である。祖父は後に政界に出て国会議員に選出されるのだが、当時の政治家によく見られた井戸塀政治家の典型で、様々な事業や政治活動、選挙に私財をつぎ込み、亡くなった時には文字通り井戸と塀しか残らなかった。きっと簸上鉄道建設にも資金を注いだに違いないが、祖父の若き日の情熱がJRの路線として今も残り、その線を題材にした作品に図らずもここで出会ったのである。ちょっと気になった写真が木次線だと聞き、これも何かの縁に違いないと思い早速購入し、白い額に縁どられた作品を手にいそいそと帰宅した。


所用から戻ってきた作者の中井精也氏にサインを貰った
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2022年8月 4日 (木)

京成AE形電車(2代目)スカイライナー

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2代目AE形の落ち着いた車内意匠

武漢ウイルスの感染騒ぎ以来、テレワークの日が増え自宅で過ごす時間が多くなった。テレワークという働き方になると誰の目も意識しなくて済むから、仕事の暇な週日の午後のひと時、首都圏の鉄道で「乗りテツ」を楽しんでいるのは何度もアップしたとおりである。この1年半に相鉄新横浜線、東武伊勢崎線の久喜方面、西武新宿線の川越方面、つくばエクスプレスなどこれまで馴染みなかった駅に行ったり新規開業路線に一人乗ったりでプチ遠出を楽しんできた。この次は2010年に開業した京成の成田スカイアクセス線(成田空港線)でも乗りに行こうかと考えていたら、エアバスA380によるANAのチャーターフライトの機会が来たので、妻と二人で成田空港まで2代目AE車(3代目のスカイライナー車両)で行くことにした。


成田空港アクセスという点で振り返ってみれば、1978年に成田空港が開港した当初から、京成のスカイライナーは運転されていたが当時は多くの人々が都内・箱崎のシティエアターミナルからリムジンバスを利用していた。1991年になり成田駅から空港ターミナルビルに連絡する線路が出来て、JRの成田エクスプレスが運転を始めたものの、スカイライナー共々どちらも都心から空港まで一時間ほどかかり「成田は遠い」という印象を皆が持っていたと思う。このような状況を打ち破るべく2010年に成田空港へ向かう京成の新線が開通し、これを利用して新幹線以外で最速の160キロの速度で日暮里から成田空港第2ターミナルを36分で結ぶ2代目AE形(スカイライナー3代目)が運転を開始した。


地図を見ると、千葉方面に向かう京成電鉄は東京からまず西南方向に向かって東京湾岸近くを走り、途中の津田沼から分岐した線路が千葉県内部の成田に向かっている。1912年(大正元年)に都内・押上と千葉県・市川間で開業した京成は、県都であり人口が稠密な千葉に向かってまず建設を進めたため、東京と社名の由来でもある成田は最短距離で結ばれなかった。津田沼から成田に向かう現在の本線が開通したのは、ようやく1930年(昭和5年)になってからである。このカーブの多い線路に加え緩行列車の退避待ちなど、かつてのスカイライナーは様々な苦労を克服して走っていたものだ。これに対して空港新線は、都内から空港方面に真っすぐ西方に線路が敷かれ、上野ー成田空港間の距離が約5キロ以上短くなった上、1435ミリの標準軌軌道も強化され、新型AE形2代目の投入で到達時間の大幅アップが可能になったのである。


京成上野駅または日暮里駅から、ほぼ20分おきに発車するスカイライナーの料金は、2470円で成田エクスプレスよりり500円以上安い。ウイルスの第7派の蔓延とかでこの日は乗客もまばらだったが、青と白を基調にした清潔感あふれるアコモデーションは適度な暗さの間接照明にマッチして落ち着いた雰囲気である。スーツケース置き場が乗降口近くに設置されているのが空港アクセス列車らしいが、そのほか車内あちこちに防犯カメラが設置されているのがいかにも最近の列車らしい感じである。高砂駅で京成本線と別れ、北総台地を160キロで突っ走る空港新線の高速運転を堪能する間もなく、列車は印旛沼の畔に出てあっけなく成田空港に到着した。かつて皆が持っていた「成田は遠い」という既成概念をぶち壊してくれそうな成田空港線の3代目スカイライナーであった。国際線搭乗の際は、我が家からだと距離的には羽田空港の方が圧倒的に近いが、モノレールの乗り換えや京急線の混雑ぶりを考えると、この列車で成田へ行く方がむしろ楽かと思わせる便利な新空港アクセスであった。

印旛沼近く北総台地を160キロで疾駆するスカイライナー
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