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2022年7月

2022年7月29日 (金)

成田発:成田行き エアバスA380によるANA FLYING HONU チャーターフライト

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成田空港エプロンのA380ホヌ2機、奥が搭乗したカイ号

コロナは第7波に突入だとメディアはまた大喜びしているが、2年半経っても相も変わらぬ風潮にめげず夏を楽しみたいところだ。そんな折、メールマガジンで成田空港発着のチャーターフライトの案内が入った。かねがね妻がハワイに行く際には是非乗りたいと言っていた空飛ぶウミガメ機を使用したANAのチャーターフライトで、機内では飲み物や軽食のサービスもあるとの事だ。最近は海外と云うとクルーズ客船ばかりで成田空港は久しく利用しておらず、それどころか2010年に開通した京成の成田空港線や、それに合わせて導入された在来線では最速160キロの3代目スカイライナーAE車もこれまで利用したことがなかった。この企画に申し込めば新スカイライナーとA380の両方に乗れると、7月27日に「エアバスA380によるANA FLYING HONUチャーターフライト」というツアーに夫婦で参加した。


使用されるエアバスの総2階建て超大型機A380は、ANAが2019年5月にホノルル線用として導入したものの、武漢ウイルス騒動によって長らく休航を余儀なくされていた機材である。愛称のフライングホヌはハワイ語でウミガメを意味するホヌ、が空を飛ぶという造語だ。ホヌたちはやっとこの7月から再開したホノルル行きの運用に再就航したものの、これもまだ週2便と極めて限定的な使われ方となっている。いま存分に飛べないA380は寂しく成田空港の駐機場に留め置かれているが、ANAには1機500億円と云われる機体が全部で3機もある。少しでも金を稼ごうと2020年暮れから無寄港や国内各地へのチャーターフライトのほか、成田空港で機内食を楽しむレストランとして使われるなど、ホノルル便で期待の星だったホヌたちも地を這う努力で営業を展開中である。この日、我々が搭乗したのはA380第2号機で、ハワイの海をイメージした緑色に塗られ、愛称が「カイ(ハワイ語で海)」という機体であった。


今回のANA FLYING HONU チャーターフライト便(ANA2030便)は13時に成田を飛び立ち、岩手県の久慈上空でUターンして成田に戻る2時間のフライトで、途中で食事が出るという設定であった。料金はファーストクラスが11万8000円、ビジネスクラスが窓際6万9800円でともに国内線プレミアムクラス昼食付、プレミアムエコノミー席は窓際5万4800円、エコノミーが窓際3万9800円、通路側2万4800円でこちらはホノルル線の軽食付きとなり、我々はエコノミー窓際に搭乗することにした。このチャーターフライトが飛行する成田‐岩手‐成田の直線距離は約1000キロで、これは東京から福岡や札幌への直線距離よりやや遠いことになる。いま羽田空港から福岡空港や千歳空港まで飛べばANAの正規エコノミー運賃では約4万円ほどであり、今回のフライト料金を高いとするか安いととるかは正に”価値観次第”という事になる。


新スカイライナーでやって来た当日のチェックインは、エコノミークラスが朝10時からで、以後順次プレミアムエコノミー、ビジネス、ファーストと上級クラスになるほど遅くゆったりしているのがクルーズ船とは逆である。チェックインから搭乗まで時間があるため閑散とした国際線のカウンターなどを見学し、第一ターミナルの片隅にある国内線待合室で待つことしばし、時間になり今度は上級クラスからバスに揺られて空港エプロンのはるか彼方に駐機するA380に向かった。定員500名ほどに対してこのフライトの乗客は100名余くらいだろうか。待機する真新しい機内に一歩足を踏み入れれば、ボーイング747ジャンボより広々とした空間が広がり、航空機特有の閉塞感もあまり感じない。プレミアムエコノミー以上は2階席なので見学は出来なかったが、エコノミー席でもシートピッチが86センチと従来の国際線エコノミーより広く、ハワイならこれで十分という気にさせてくれる。前席の背面に備え付けられた大型モニターには、オンデマンドの音楽・映画のほか、垂直尾翼上のカメラ映像など機体の状況や飛行位置を知らせる情報が満載で、タッチパネルをあれこれいじっているだけでハワイまで退屈せずに過ごせそうだ。


上空の軽食サービスは、エコノミーでもなんとビールも無料というのが嬉しかったが、印象的なのが成田に帰ってから飛行機を降りる時だった。ふつうのフライトでは到着地に着くとせっかちな乗客で扉の前に列ができるところが、この日は誰も積極的に降機しようとしない。2階のファーストクラスから順に搭乗口に呼ばれる乗客は、ドア付近で総出で挨拶をするスッチーに次々と言葉をかけたり記念撮影をしたりと動かないのである。特にビジネスクラスの乗客は男性一人のオタクっぽい感じが多くてプロトコルが長く、ドアが開いて10分ほどしてもエコノミー客が下りる順番にならないのは微笑ましかった。その後、皆が機外に出ても待機するバスを前に、そのまま炎天下に悠々と写真撮影に時間を費やすという情景がエプロンでは繰り広げられていた。乗ってきたカイ号のコクピット窓が開けられ機長が手を振る中、余韻を楽しむかのようにフライトを体験した乗客たちはバスに乗り込んだのであった。

FLYING HONU チャーターフライト飛行経路
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コックピットのキャプテンと別れを惜しむ
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2022年7月25日 (月)

土用丑の日 桑名のうなぎ

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7月23日(土)は土用丑の日ということで夕食はうな丼であった。サラリーマン現役時代、昼の会議のごはんといえば「今半」の仕出し弁当、「まい泉」のとんかつ弁当、近所の寿司屋のちらしとともに「大江戸」など都内の有名うなぎ店の鰻重が定番だった。会議の多い季節になると毎週のような鰻重攻めで贅沢にもうなぎはやや食傷気味となったのだが(特に前夜飲み過ぎの日は鰻重一択は重かった)、最近は鰻重にもうな丼にもご無沙汰だったから妻の配慮が嬉しい。と彼女に言ったら「夏の土用丑の日は鰻と決めているから、献立を考えなくて済んで楽なのよ」だそうだ。


調べてみると「土用」とは四季の変わり目の直前18日間のことを云い、今年の立秋は8月7日ゆえ7月20日から8月6日が夏の土用期間となるそうだ。一方で子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支が毎日に割り当てられており、この中の丑の日が土用の期間中に到来すると「土用の丑」の日となるとされる。ちなみに土用の間に丑の日が来るのが1回の年と2回の年があり、2022年は7月23日のほか8月4日も「土用の丑」の日である。夏で体力が落ちたこの頃に栄養価の高いうなぎを食べると体に良いという事で鰻を食する習慣ができたとか、平賀源内が近所の鰻屋に夏場に売れないと相談され「本日丑の日」と書いた張り紙を張り出したところこれがブームになったなど土用の丑の日とうなぎを結ぶ由来は幾つかあるらしい。


妻は冷凍してあった三重県桑名市の「ふるさと納税」返礼品である「木曽三川うなぎ」のパックを解凍し、今年の「土用丑の日」のうな丼を用意した。2019年秋、飛鳥Ⅱのウイーンスタイルクルーズで四日市に寄港した際に桑名名物の蛤を食べに行って知ったことだが、木曽川、長良川、揖斐川の三大河口が集まる桑名あたりは古くから鰻の名産地として知られていたそうだ。ふるさと納税をするなら何か地縁のあるところ、どうせなら返礼品が旨いものであるところ、という基準で選んだ桑名市からの贈り物である。23日の土曜日は猛暑の中皇居ジョギングでたっぷりと汗を流し、ビールとともに国産うなぎを堪能した。

2022年7月19日 (火)

久しぶりのNゲージ鉄道模型

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EF81に牽引された夜行列車「トワイライトエクスプレス」

この週末は三連休であった。最近は仕事もテレワークが主で数時間あれば終わる程度の量になり、労働日と休日の区別があまりつかなくなった。とはいえ休日は業務用の携帯電話を持ち歩く必要もないし、会社のメールを開く必要もないのは気が楽でよい。ゆっくりとピアノを弾いたり皇居にジョギングに行ったり、日曜日は特にクルマの少ない都心の道で愛車のドライブを楽しむこともある。今やどのメーカーからもあまり売られなくなったストレート6(直列6気筒)エンジンだが、我がBMWのツインターボ付き”シルキーサウンド”はこのところすこぶる快調である。最近はこれら休日の楽しみに、むかし買い集めたNゲージ鉄道模型が加わった。小学生の甥が遊びに来ることになり、「どれ、ひとつ見せてやるか」と長い間段ボールに保管され、クローゼットの肥やしになっていたのをウン十年ぶりに取り出したのがきっかけだった。


とは言え長い間全く動かしていなかった装置一式である。コントローラーが大丈夫か、列車の集電装置やモーターは生きているのか、ポイントマシンの電磁石はまだ機能してくれるのだろうかと当初は心配であった。再開にあたりまずは直線レールだけを取り合えず敷き、EF60型機関車を載せておそるおそるコントローラーのツマミをひねってみたところ、果たしてヘッドライトを点灯させ青い機関車はじわじわと動き始めてくれた。部屋の装飾品として鉄道模型を陳列していたことはあったが、車両たちが久々に走る姿を見ると感慨もひとしおである。「よしこれならいける」とかつて集めた車両を次々と箱から取り出して線路に載せると、どれも一瞬 「え?久々にお呼び?」とばかり始めはやや躊躇するような挙動を見せるが、構わず電圧をあげるとモーター音も軽やかに線路上を走行し始める。どの車両もまるでレールの上を疾走するのが嬉しいかのようだ。


こうなると病膏肓、直線のみならず曲線を織り交ぜて次々とレールを繋ぎ、一周6メートルほどのループ線のほか何本かの引き込み線を展開することにした。久々の通電とあって繋いだレールも最初はうまく電気が流れない箇所があったが、ジョイント部分の角度を微調整したり、線路に細かい紙ヤスリをかけたりするうちに列車の走行が次第にスムーズになってくる。最初はややぎこちなかったポイントマシンも何度か動かしているうちにすっかり調子を取り戻し、本線と側線を走る列車をうまく捌いてくれるようになってくるのが嬉しい。試行錯誤しつつ線路を繋いでは調整したり、別の編成を走らせたりしていると童心に帰りあっと言う間に時間が過ぎていく。


甥に模型を見せたあと一旦レイアウトを片付けたが、こうして線路を敷いて都度片づけるだけでは「子供の遊び」で終わってしまう。ということで、かつて幾度も構想を練りながら実現には至らなかった「ジオラマ」作りに挑戦してみようかという気持ちが湧いてきた。ただスペースに限りのあるマンション住まいゆえ、本格的な情景を作成するのはとても無理である。取り合えず折り畳み収容可能な1メートル四方の板の上に「鉄道のある風景」を実現してみるか、作業場はベランダにするかなどと具体的なイメージを脳内夢想することにした。イメージは昭和30年代、麦わら帽子の少年が虫取り網を持って川のほとりの田舎道を歩く先には踏切があるという設定などがよい。沿線の看板は「菅公の学生服」とか「金鳥の蚊取り線香」にするかなどと細かい情景が膨んでくる。幸いなことに凝り性の妻は、車内灯のない車両の点灯化や、メーカーによって違うカプラー(連結器)の互換化に執念を燃やし始め、なんと先日は一人で鉄道模型ショップに出掛けて行った。どうやら彼女の反対もなさそうだ。

昭和30年代末の山陽本線夜行急行列車はEF60と10系の軽量客車
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2022年7月12日 (火)

安倍元首相に別れを告げる

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頭を垂れつつなんとか撮影した霊柩用リムジン車

安倍元首相の葬儀が本日昼から芝の増上寺で執り行われ、そのあと棺を乗せた車が自民党本部にも立ち寄るとの情報があったので、せめて最後の見送りにと自民党本部のある永田町に行ってきた。全国には気持ちを同じくして棺に手を合わせたい人も多いだろうから、都心に住む民としては安倍さんの乗った車に手を合わせねば皆に申し訳ないような気持ちであった。


自民党本部に近い平河町の交差点付近は車列の到着する30分以上も前から、多くの報道カメラとともに通りの両側に立錐の余地がないほどの人が並んでいた。やって来た人たちは総じて黒や紺の地味な服装で、お花を手にした人も多い。自民党本部内の献花台に花を手向ける人の列は、交差点を挟んで広い青山通りの反対側まで伸びており、このような光景を目にするのは初めてだ。私もこの春から屋外ではマスクを外していたが、安倍さんの死を悼む多くの見送りの人に囲まれ、今日だけは屋外でもマスクをしようと殊勝な心掛けになった。


上空には10機以上のメディアのヘリコプターが空中衝突を起こすのではないかと心配になるほど乱舞している。その一群がやがて頭上にやって来ると、ほどなく黒いセダンに先導されて霊柩用の大きなリムジンが見えてきた。柩が載ったそのリムジンに頭を垂れつつ、上目づかいに車内を見れば、昭恵夫人が沿道に向かって何度も頭を下げているのが分かる。安倍さんの最後のお別れにそこかしこで涙ぐむ人も見られるなか、大勢の目の前を通った車列は自民党本部の前を通り国会議事堂に向かって行った。


安倍晋三さん、永い間本当にありがとう。残された我々は何もできぬが、あなたが標榜した「美しい国」を作るべく、僅かばかりでも力を尽くせればとここ永田町で思いを新たにした。

半旗が掲げられた自民党本部
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2022年7月11日 (月)

安倍晋三元総理を悼む・2022年参院選

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安倍元首相の暗殺という悲劇的事件の直後の参院選、予想通りに自民党の大勝、立憲民主党や共産党の敗北でまずはほっとした。まず安倍さんの件である。彼が首相を退いてからすでに2年が経過するも、この間もサヨクメディアや反日の学者・評論家が「アベガー」と罵りながら、安倍政治やらアベノミクスをことさら非難するのをまことに奇異に感じていた。彼らがいまだにあれほど安倍政治を声高に敵視するということは、よほど安倍さんが怖いのか、あるいは彼の言動が正しく、日本を貶めたい勢力にとっては都合が悪いのだろうと考え、ますます彼を応援する気持ちを私は強くしていた。また在日朝鮮人問題などに些かでも声を挙げればすぐヘイトスピーチだと非難するのに、安倍さんを攻撃する聞くに堪えない言動には何もお咎めなしという、メディアのダブルスタンダードにも驚くばかりであった。


安倍さんに対して「おまえは人間ではない、たたっ切ってやる」と言った法政大学の山口二郎や、自説はまったく当たらないくせに「アホノミクス」と経済政策を口汚く罵った同志社の浜矩子らに代表されるような常軌を逸した攻撃がこれまで彼に為されてきた。安倍さんには何を言っても良い、すべて都合の悪い事は彼の責任とする「アベノセイダーズ」やら、どんなに彼を貶めても許されると勘違いした一部世論の展開が、今回の暗殺の引き金になったものと私は考えている。犯人は宗教問題で彼を恨んでいたと言っているらしいが、保守与党の幹部であらば例え怪しげな新興宗教であっても反共を掲げた集団には、日ごろの挨拶やら折に触れた祝辞くらいは送ることもあるだろう。しかし直ちに安倍さんが深くこの団体に関わり主導的役割を務めていたとは到底考えられない。安倍さんに対してなら何を言ってもやっても良い、悪いのはすべてアベなのだとする風潮が一部にあり、それをサヨクメディアや反日学者・評論家などが繰り返し増幅させた事が、勘違い逆恨み犯人の背中を押して暗殺事件が引き起こされたのに違いない。国士である安倍さんにはまだまだ活躍して貰いたかったのに残念でならない。


昨日の参院選挙では、個人的には選挙区で自民党の生稲晃子氏に、比例区には参政党に投票した。東京は自民党の朝日健太郎氏はトップ当選が固かったのでパス、自民党から2人目が出てほしかったので生稲さんに投票したものである。タレント時代から画面を通して知る彼女は、出過ぎず引っ込み過ぎずの好感の持てる態度であったし、政治にはド素人だろうが当選すれば今後それなりの行動をしてくれるだろうとの思いである。比例区も自民党をと考えたが選挙前から自民党は大勝が予想されていたし、昨年12月24日「参政党新しい政党に期待」とこのブログにアップしたように、私の嫌いな「ポリコレ」を打ち負かしてくれるこの党のユニークかつ新しいパワーに期待して票を投じた。参政党はメディアからはまだ好奇の目、キワモノ扱いで取り上げられているが、感染症対策、地球温暖化、脱炭素など、いわゆる「ポリコレ」に対抗する独自の主張を、Youtubeやニコニコ動画でじっくり聞くと頷くことが多い(但し次は男系男子でなく愛子天皇でも良いという彼らの主張は理解できぬが)。結果をみれば生稲氏は東京で5位当選、参政党も誕生間もないのに比例区で1名選出と、我が票が死なずに機能してくれその点では満足する朝である。

その他関連ブログ:
2022年2月20日 立憲民主党はどこへ行く?

2022年7月 8日 (金)

瑞泉寺・五箇山合掌造り・”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール(べるもんた)”

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山門より見る瑞泉寺本堂

旅の2日目、再び連絡船で庄川を下り小牧の船着き場から貸し切りバスに乗り換えた。砺波平野の田園地帯をバスに揺られてほどなく着いたのは、「木彫りの里」と案内のある井波の町であった。ここには瑞泉寺という大きな寺があり、井波はその門前に発展した町である。瑞泉寺は京都の東本願寺を本山とする一向宗(真宗大谷派)の別院で、寺の建物を装飾する木彫りの職人たちが井波には代々多数住んできたとの現地ガイドの説明である。寺の参道には彫り物の小売り店も何軒かあり、なるほどここが「木彫りの里」であることを実感できる。街の中心にある瑞泉寺は中世には越中一向一揆の拠点となった大伽藍とはいえ、週末にも拘わらずお参りする人もごくまばらな境内であった。人の気配もあまりしない広い寺院に佇むと、かつて一向宗がなぜこの地で人口に膾炙し、寺院勢力がどう封建体制や庶民の生活に関わったのかもう一度歴史を勉強したくなってくる。空港や駅からレンタカーで観光に向かうと、途中にこのような名所があってもつい先を急ぎパスしがちだが、あまり知られていない場所に効率的に連れていってくれるのが団体ツアーのメリットだと思う。


次に向かったのが2日目のハイライト、ユネスコ世界遺産として1995年に日本で6番目に登録された合掌造りの里、五箇山の相倉(あいのくら)集落であった。五箇山にはもう一か所菅沼という集落があり、岐阜県側の白川郷とともに三か所で世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を構成している。バスは長い五箇山トンネルを抜け砺波平野から簡単に我々を相倉へ連れて行ってくれたが、その昔ここは加賀藩の流刑地ともなっていたそうで、さぞや不便な集落であったことだろう。小さな山間に10数軒の合掌造りの民家がひっそりと固まった相倉集落では、合掌造りの内部を改造した茶店でまず昼食である。ふんだんに盛られた山の幸を楽しんだ後は、民俗館で合掌造りの内部見学。雪が積もらぬように鋭角に作った天井裏ではかつて養蚕を、土間では火薬の原料である焔硝(硝石)が作られていたそうだ。茅葺の屋根は断熱性が高い上に通気がよく、この地方の気候に適していたとの事。ただ20年に一度、茅葺屋根の吹き替えをする必要があり、今ではそれに2千万円の費用がかかると云う。民俗資料館の案内所のおばちゃんに「葺き替えのお金はどうするの?」と尋ねると「そんな難しいことはようわからん、あはは!」と上手にはぐらかされた。 


合掌造りの里を後にして再びバスに揺られ1時間弱、観光列車、”ベル・モンターニュ・エ・メ―ル”乗車のために砺波平野の南部にあるJR城端(じょうはな)線の始発駅・城端駅にやってきた。なんとも覚え難い列車名は、仏語で「美しい山と海」を現わすそうだ。愛称”べるもんた”はキハ40型一両編成の列車で、内部は寿司カウンターなどが設置され、沿線の景色を楽しむために高岡を中心にJR城端線(山側)とJR氷見線(海側)で週末に運転されている。ここ富山では北陸新幹線開業に伴い従来の北陸本線が第3セクターの「あいの風とやま鉄道」となり、特に高岡地区ではJR線としては城端線と氷見線が盲腸のように取り残されてしまった。その為に短距離ながら路線存続をかけて、このおもてなし列車が設定されているのだろう。旅もフイナーレだし喉も渇いたのでビールでも飲むかと”べるもんた”に乗り込むと、なんと夏日のこの日は城端までやってきた下り便で、ビールは売り切れたとのことでがっかりである。それなら折り返し時間を利用してすぐに城端の町でビールを仕入れて来いよ、と掛かり員に毒づきたくなったが、新幹線接続の新高岡まで28キロ、僅か40分の旅なので、車内に添乗する沿線案内のガイドの富山弁の名調子だけを楽しむことにした。白山連峰に連なる山々やチューリップで有名な砺波平野を車窓から眺めつつ、2日間にしてはぎっしりと内容の詰まった「庄川峡遊覧船で行く秘湯の一軒宿『大牧温泉』と観光列車『ベル・モンターニュ・エ・メール』」の旅を終えた。

五箇山 相倉集落
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高岡銅器をイメージした吊輪、井波木彫の間仕切りなどで飾られた”べるもんた”号と地元観光協会のガイドのおばちゃん
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2022年7月 5日 (火)

大牧温泉

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週末はJR東日本びゅうの添乗員付き団体旅行 「庄川峡遊覧船で行く秘湯の一軒宿『大牧温泉』と観光列車『ベル・モンターニュ・エ・メール』」に行ってきた。クルーズ船の寄港地でのエクスカーション以外、普段はあまり団体旅行には参加しないのだが、土地鑑のない場所だし、一泊で金沢の兼六園、アクセスの悪い大牧温泉、人気の観光列車に乗車と効率よくさまざまな趣向を楽しめる旅程が魅力である。一行は添乗員ほか全部で20人、うち我々のような夫婦が四組で、その男性以外の16名がおばちゃんという予想通りの団体構成であった。


東京から最速の北陸新幹線「かがやき」で2時間半で到着した金沢では、まず近江町市場で各自好きな場所で昼食をとり、日本三大庭園の一つ兼六園をぐるっと回った。次に金沢から貸し切りバスに乗って来たのは、庄川の小牧ダム(1930年完成)の脇に作られた小牧の船着き場。ここから約4キロ上流のダム湖湖畔にある大牧温泉は、源平時代、倶利伽羅峠(大牧温泉から北に約30キロほど)の戦いで敗走した平家の武将、南兵衛藤原賀房が、この地にたどり着いたところ湧き上がる煙で温泉を発見し、逗留するうちに戦で負った深傷も癒えたとされる名湯だそうだ。


大牧温泉には一応道路が通じているものの、これは関西電力の作業用の私道で一般の通行は不可であり、小牧から午前中2便、午後2便の連絡船に30分揺られて行くしかない。後ろは山地に森、前に(ダム)湖というロケーションに位置する「大牧温泉」は、宿が一軒あるのみで”秘境の湯”らしく周囲には民家やら商店がまったくない。この日は真夏を思わせる青空の下、川面を吹く微風を心地よく感じながら大牧温泉のポンツーン桟橋に降りて皆で階段を上って宿に着いた。秘境の湯とは云え「大牧温泉」は3階建ての立派な建物で、サスペンスドラマ類のロケに訪れた出演者の色紙や写真が並ぶ廊下を通りトイレ付のごく普通の客室に通された。


大牧温泉の泉質はナトリウムやカルシウムを含む弱アルカリ性、なめてみるとごく弱い塩分を含む透明な湯で、微かに硫黄の匂いもする。男女別の大浴場のほか、館内スリッパからサンダルに履き替えて行った先にはクマ・タヌキ・キツネに注意と書かれた看板が架かった露天風呂もある。この日は我々団体の他には2組の客しかおらず、熱すぎずぬるすぎずの湯に一人、夏の太陽に映える水面を眺めつつ両方の湯にゆったりと浸かることができた。料理も山の幸を中心にけっこうなボリュームで、我々団体のおばちゃんたちは「食べきれない」とこぼす。「温泉に来たら3回湯に入るのがノルマ」の妻は、兼六園など一日歩いて出来た靴擦れが治ってしまったそうで、藤原賀房の戦傷を治した温泉の効果はてきめんのようだ。

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