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2022年6月

2022年6月29日 (水)

VAN JACKET

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最近、街でVAN JACKETのロゴを付けた服を着た人をちょくちょく見かける。着ている人はだいたい私のようなシニア世代である。昨年12月に”オールディーズミュージック ON ASUKA Ⅱ”クルーズに乗船した時にも、背中に大きくVAN JACKETとロゴが入ったジャンパーを着た人が乗船しており、「キマっていてカッコいいな」と思っていた。若き日の憧れであったアイビー・ルックを扱うブランドは、往時VAN とその大人版Kentしかなかったからブランドに対する思いもひとしおだ(ブルックスブラザーズの日本上陸は1979年)。VAN JACKETのホームページには『1948年に産声をあげたVANはあらゆるカルチャーが咲き乱れた60、70s'を駈け抜けました。いつも VAN は、新しかった』『ライフスタイルを提案していく中、「TPO」という言葉も「VAN」から生まれた』『1964年の銀座みゆき通りに出現したみゆき族は、世の中にセンセーショナルを巻き起こした。また、雑誌「男の服飾」(後のMEN'S CLUB)を出版社と立ち上げ「Life Style」に革命を起こした』とある。


思い返せば70年代初頭には年に数回出るその男性用服飾誌 「MEN'S CLUB」の特集号を購入し、アメリカ東部のエスタブリッシュメント達が着る正統派アメリカントラディショナルを一生懸命勉強したものだった。当時人気の米テレビドラマ"FBI アメリカ連邦警察"の主演だったF.M. ジンバリストJr.は実際にIVYスクールであるイェール大学の出身で、画面を通して彼の典型的トラッドスタイルにいつも注目していた。学ランで通した大学時代も終わり、社会人になるとようやくこだわりの背広を自分で買うことが出来る。入社式には3つボタン段返り、センターフックベントのトラッドスーツにボタンダウンシャツ、レジメンタルタイで臨んだところ、同期30数名の中にもう一人同じようなトラッド小僧がおり、お互い妙に意識したことを昨日の事のように思い出す。銀行員など堅い職場はまだボタンダウンはおろか、カラーシャツも許されなかった時代である。以来50年近く、基本的に服装はトラッドで通してきたのだが、最近はこだわりも薄れどうでもよい恰好で外出する日々も多い。


仕事量も少なくなりセミリタイアのこの頃である。ただ、年齢が上がってもシニア御用達カラーであるグレーやブラウン系のジジ臭い服装は極力避けようと心掛けている。観光地でアメリカ人のシニアが短パンにスニーカーだったり、おばあさんが派手な色のポロシャツに白のカプリパンツで決めているのを見ると、日本の年寄りは色合いが地味過ぎると思う。こう感じる自分ができる「こだわり」はやはりアメリカントラッドやアイビールックなので、飛鳥Ⅱでジャンパーを見かけて以来VAN JACKETロゴ付の何かを着たくなってきたのだ。ということで日比谷で「トップガン マーヴェリック」を観たあと、JR線高架下の再開発通路「日比谷OKUROJI」に開店したVAN SHOPに立ち寄ってみた。懐かしい尾錠つきノータックのストレートパンツや各種トラッドアイテムを目の肥やしとしながら店内を物色し、悩んだ末にVAN JAC.のロゴ付きTシャツを購入した。5,700円とTシャツにしては高い気もするが、シニアの「こだわり」には財布の紐も緩くなるのである。"for the young and the young -at-heart"で行こう。

2022年6月25日 (土)

トップガン マーヴェリック(TOP GUN MAVERICK)

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トム・クルーズ主演の評判の映画”トップガン マーヴェリック"を日比谷東宝シネマIMAXシアターに見に行った。彼主演、1986年の"トップガン”以来36年ぶりに作られた続編である。もっとも第一作から随分と時間が過ぎたため、以前の映画の中身はかなり忘れてしまった。なのであらかじめ自宅テレビのamazon Prime Videoで前作を視聴し、前話の展開や様々なシーン、登場人物のあれこれを復習して久々の映画館行きに備えることにした。CGを使わないため俳優たちが厳しい訓練を経てようやく撮影が可能になったと云うジェット戦闘機の操縦シーンが、最新の映像・音響でどう表現されるか、amazonで第1作目を見ているうちに期待に胸がふくらんでくる。一方で現在の風潮に影響され、ポリコレやら(いわゆる)反戦・人権、はたまた(いわゆる)男女平等などに影響された面倒くさい作品になっていやしないだろうかと若干の危惧も持ちながら映画館に入った。


始まってみればそんな心配はまったく無用、2時間以上の上演時間はあっという間に過ぎ去る娯楽超大作で大いに楽しめた。映画では戦闘機に設置した6台のカメラで撮られた強烈なG(重力)でゆがむ俳優の顔や、立体音響のジェットの轟音がIMAX シアターで臨場感たっぷりに迫って来る。最近の軍隊をテーマにした作品は妙に戦争や軍隊の不条理を滲ませるものが多いが、ここではあっけらかんとただただ痛快無比、「ハラハラさせつつも最後は恰好よく勝つ」という戦争映画の基本を見せてくれるのが実に気持ちよい。そう云えば、60年半ばにテレビでアメリカ製の「コンバット」という連続戦争ドラマが流行り、我々世代の少年たちは戦闘ものに熱中したものだ。毎週サンダース軍曹率いる米軍の歩兵小隊がドイツ軍を撃破するストーリーだったが、”トップガン マーヴェリック”を見ると、”コンバット”に傾倒してテレビにかじりつき、最後は自らが戦場で敵を破ったかのような爽快感に浸っていた当時のことを思い出した。


本作を見ながらすぐに気が付くのは、これがトニー・スコット監督なる前作へのオマージュ(尊敬・敬意・賛辞)作品であるということ。冒頭トップガン同期のアイスマンが大将(ADMIRAL)になっているのに、トム・クルーズ扮するマーヴェリックがまだ大佐(CAPTAIN)に留まっているというのが、前作の後の彼の生きざまを暗に示している。そして前作で死んだグースの息子ルースターとの邂逅から、第2作目の人間ドラマが展開するストーリーが新旧作品を実にうまく繋いでいる。良い感じに渋くなったトム・クルーズはさておき、亡くなったグースの再来かと見まごうルースター役のマイルズ・テラーも正に適役である。第一作目の主力機だったF14トムキャットは今は米海軍で全機退役しているが、実は海外でこの機種を購入したのがただ一国イラン空軍であった。今回の作品でイランを示唆するかの「ならずもの国家」の基地にあったF14の思わぬ活躍は、前作の経緯を踏まえつつも事実を織り交ぜた極めて巧みな脚本だと云えよう。


その他、次々とスクリーンに展開するシーンは、ほとんどが前作と何等かの繋がりを示している。登場する機材はF14からF18スーパホーネットとなったが、カワサキのバイクで滑走路を疾駆するマーヴェリック。ガールフレンドの愛車はポルシェ356からポルシェ911に。ピアノを弾きつつ「GREAT BALLS OF FIRE」を酒場で歌うグースとルースター。トップガンたちのビーチでの球技。帰投するマーヴェリックのフライバイと管制塔の指揮官。空母上のオペレーションシーンなど前作を見た者には都度ニヤっとさせられるオマージュ場面のテンコ盛り。お馴染みテーマ曲"DANGER ZONE"や"TOP GUN ANTHEM"も作品に合って耳に心地よい。来る前にしっかりと予習してきたので、「あ、これ!これ!」と妻と2人して暗い館内で頷きあう事しきりである。この作品は「かつて前作を見たシニアは昔の映像で涙腺が緩み、初めて見る若者は純粋に感動する」のがネット上の評判らしい。前作”トップガン(無印)”を観て予習をしてから本作品を見ることを是非お勧めしたい。”イャー、映画ってほんとうにおもしろいですね、サヨナラ、サヨナラ、さよなら”(混ぜてみた)。

2022年6月24日 (金)

椿山荘のホタル

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目白にあるホテル椿山荘のディナー招待券が当たり、過日館内のイタリアンレストランで豪華な食事を楽しんだ。ディナーが終わると夜10時近かったが、広大なホテルの庭園は11時までオープンしており、この時期はホタルが見られるというので夜の散歩に出てみた。椿山荘の庭園は、昔の目白台はかくあったであろうと思われる古木に覆われており、園内を縫う散歩道は神田川(この辺りはかつて江戸川と呼ばれていた)方面に向かってかなり急な下り坂となっている。ふと見ると坂道の傍らの灯火を抑えた茂みに、蛍光灯の様な色のごく小さな灯りをともしたホタルが一匹、二匹!。目をじっくり凝らせば何匹ものホタルがあたりで発光、点滅しているではないか。子供の頃にどこか東京の郊外でホタルを見たことがあったかもしれないが、あれは夢なのか動画で見たものなのかどうも定かでない。実際に本物のホタルが目の前で発光するの見るのは初めてだと思うと感動する。


思わず「橘の薫るのきばの 窓近くホタル飛び交い おこたり諫むる夏はきぬ」と歌を口にしたくなるも、声も密やかに観察しなければホタルは発光をやめてしまうらしくここはぐっと我慢。椿山荘は目白台と神田川の崖線上にあり、久留里藩黒田家の下屋敷だったものを山縣有朋が買い取り、その後藤田財閥が譲り受けた起伏に富む2万坪の敷地である。ホテル棟の下の崖地には江戸川公園があり、庭園の西側は松尾芭蕉が神田上水の改修工事に携わった際に住んでいた住居跡である芭蕉庵、その先に肥後細川藩の江戸下屋敷だった細川庭園へと森が連続している。この台地はさらに田中角栄の邸宅の一部だった目白運動公園や日本女子大へと続いているから、この辺りは都内では珍しいグリーンベルトが残った地域だと云える。その緑豊かな椿山荘の庭園の一画にある小さな池で、毎年天然のホタルが羽化しているわけである。


椿山荘のホームページには「桜の花が散る頃の(土が軟らかくなる)雨の夜、幼虫は水から上陸し、土に潜ってさなぎになります。その初上陸の翌日から1日の平均気温(1時から24時までの毎正時24回の観測値の平均)を毎日足していき、積算温度(合計)が500度になった頃に蛍は羽化すると言われています。今年は5月15日に500度を超え、2日後に飛翔が確認できました。毎年、500度説を楽しみにしてくださっている皆さま、ありがとうございます。」とある。調べてみるとホタルの尾部の発光は酵素の科学反応であり、外敵を脅すため、或いは敵のエサにならぬために光るのだと云う。ここでは毎年5月半ばからホタルは飛翔を始めるそうだが、たまたま貰ったディナー券の使用期限が6月末だったため、急遽椿山荘に来てみたところホタルが飛び交う光景を目にすることができたことになる。高級イタリアンディナーを楽しみ、自然のホタルの飛翔まで観察でき、心身ともに満腹しリッチな気分になって帰路についた。

2022年6月19日 (日)

渋谷 エクセルホテル東急 トレインシミュレータールーム

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先日は渋谷エクセルホテル東急「トレインシミュレータールーム」に一泊した。妻と二人で一泊朝食付きで合計26,800円である。いまウイルス禍で内外の観光客が激減しているなか、鉄道シミュレーターを設置しオタクを呼び込もうとしている鉄道系ホテルが幾つかある。JR東日本系のホテルメトロポリタンは池袋、丸の内、川崎、さいたま新都心で「JR東日本の運転士が訓練で使用する映像・機器」を再現し、京浜東北線と八高線の運転席を楽しめる部屋を展開している。同じメトロポリタンホテルのエドモント(飯田橋)にはロビーに東北新幹線のE5系の「実機器を採用!」したシミュレーターを置き、宿泊やランチブッフェと組み合わせたパッケージプランを販売している。各地の鉄道の博物館などに行くと鉄道シミュレーターの前は子供たちで一杯で、順番待ちや時間制限があるため並ぶのが大嫌いな私はいつもパスなのだが、これらホテルでは思う存分に”大人のシミュレーター体験”ができるというものだ。宿泊するだけなら今なら都内で一泊数千円の安い部屋がいくらでも見つかるので、それなりの値段を払う価値があるかないかは正にシミュレーターを独り占めできるか否かの価値観次第だと云える。


とは云えJR系ホテルの新幹線の運転はあまりに自動化されていて面白そうでないし、京浜東北線や八高線も馴染みがなくて今一つ気分が盛り上がらない。どうせなら子供の頃から毎日利用した東急線のシミュレータールームがある、エクセル東急ホテルを選ぶことにした。こうして我が家から渋谷まで地下鉄で30分、午後3時のチェックイン開始時刻にシミュレーターがあるエクセル東急ホテル17階の1723号室に入ると、大きな画面を前にして電車の運転台が窓際近くに置かれ、壁面には東急の電車の写真や駅の案内版が張られていた。部屋に一足踏み入れれば、一瞬にしてここが「鉄オタ専用」の空間であることが実感できる演出である。そう言えばこのホテルは子供の頃よく利用した玉電の渋谷駅があった場所に建てられている。サラリーマンになってからも若い時分に渋谷駅から毎日のようにバスや新玉線(田園都市線)に乗ったので、私にとってはここは100%日常生活だった場所である。すっかり様相が変わってしまった渋谷の高層のホテルの一室で、限りなく非日常のトレインシミュレーターに座ると得も云われぬ感慨が湧き起こってきた。


大型のテレビスクリーンの前にある運転台は、東急8090形の実車にあるものとほぼ同じ機械のようだ。逆転ハンドルは作動せずEBボタンこそないが、力行4ノッチ、ブレーキは7段のワンハンドルの制御装置は本物と同じような作動音を奏で、ノッチ投入は多分実車と同じ力加減だと思われる(機械的な作動音がうるさいため夜間11時から朝7時までは運転をしないで下さいとの表示あり)。画面右上には”電車でGO”でお馴染みの速度や次の駅の停止位置までの距離、到達時間が表示されるほか、このシミュレーターでは電流計や圧力計もそれなりに反応し、回生ブレーキの表示も出て本当の運転席にいるような臨場感が体験できる。電源を入れスピーカーから流れるモーター音と共に東横線の運転を始めると、この10年以上家で"電車でGO"でさえ遊んでいないのでブレーキ動作がなんとも不慣れで下手くそなことを実感する。二人とも各駅で「船漕ぎブレーキ」の連続で、停止位置のはるか手前に停車してしまったり停止位置大オーバーばかりである。シミュレーターでは加速・減速や勾配が体感できず視覚のみで運転するので操作はなかなか難しいが、1時間も熱中して遊んでいると具合もわかってきて、運転後に示されるスコアも最初の50点未満から70数点まで上がってくるのが大いに励みになった。こうなるとゲームに嵌ってしまい、夫婦2人して夜は制限の11時まで、翌日はチェックアウトぎりぎりの午後1時まで、東横線、田園都市線、大井町線で8090形の運転を交代で堪能した。鉄オタスイッチがすっかり点灯した妻は「碓井峠鉄道文化むらの本物の電気機関車EF63(15年前に運転免許取得済)運転か、近場のE5系のシミュレーターか、はたまた大宮の鉄道博物館とセットの京浜東北線シミュレーターも捨てがたい」と悩むことしきりである。

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2022年6月14日 (火)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その6(下船後)・了

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西鉄5000形(二日市にて)

4泊のクルーズを門司港でおりた後、まっすぐ帰京するのもつまらない。北九州で何か楽しみはないかと考えたら、妻が大宰府に行ってみたいと言う。なんでも令和という元号は、万葉集の梅花の歌編序文「初春の令月にして気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」が出展元であり、これら梅花の歌は大宰府で詠まれたものだそうだ。妻はもともと一度は大宰府天満宮を訪れたいと思っていたが、ゆかりの元号になったということで機会を伺っていたようだ。一方で私は大手民鉄16社の中で、ただ一社乗車したことのないのが西日本鉄道(西鉄)であり、彼女の希望が大宰府なら西鉄天神大牟田線と大宰府線に乗れる絶好のチャンスだとただちにこれに賛同する事にした。という事で門司港で下船後はまず鹿児島本線の快速電車で博多駅近くのホテルにチェックインし、翌日の大宰府訪問に備えた。夕刻大濠公園までジョギングをした後(意外と遠かった)、夕食は博多駅筑紫口の居酒屋で名物の焼き鳥に博多ラーメンだったが、にっぽん丸の上品な味に慣れた舌には濃い味付けが刺激的でつい酒を注ぐ杯も進んでしまった。


「大宰府へはそこのバスで行った方が便利ですよ」とのホテルフロントのアドバイスもものかは、地下鉄に乗ってやってきたのは西鉄福岡(天神)駅である。ほとんどの大手私鉄がJRの駅にターミナルや準ターミナルを置いているのに、西鉄はJR博多駅より2キロほど離れた天神という繁華街に立派な始発駅を設けているのが九州男児の心意気を示しているようだ。4面3線の福岡(天神)駅で二日市方面の電車を待っていると、やってきたのは折り返し5000形の花畑行き急行であった。運転席側がパノラミックウインドウなのに反対側の前面はそうではないというアンバランスな顔ながら写真などでお馴染みの西鉄を代表する電車である。福岡(天神)駅を発車するとこの5000形はモーター音や加速感が思いの外スムースで快適なことに気が付いた。5000形は最近のJRや大手私鉄で全盛のVVVF制御ではなく一昔前の抵抗制御なのだが、抵抗制御のリニアな加速音の方が人間の感性に合っているからであろう。二日市まで15キロ、わずか20分の初西鉄だったがさすが九州一、大手民鉄の一画と思わせる5000形の走りっぷりと沿線風景であった。


二日市で西鉄大宰府線の3000形観光列車「旅人」に乗り換え終点の大宰府駅へ。行き止まりホームの駅を出れば目の前は天満宮の参道である。名物の梅ヶ枝餅をぱくつきながらそぞろ歩いて到着した天満宮は、政敵の陰謀によって京から左遷され失意のうちにここ大宰府で亡くなった菅原道真が祀られている。道真の死後に京では疫病や天変地異が起こり政敵も早世したのだが、その道真の怒りを鎮めるための社殿である。道真が優秀な学者だったことから、天満宮は中世以降学問の神様として信仰されるようになり、境内には京都大学合格、国家公務員試験パス祈願など沢山の絵馬が奉納されていた。次に向かったのは大宰府政庁跡である。大宰府政庁は7世紀後半に大和朝廷が置いた役所で、西日本防衛や大陸の窓口の役割を担った歴史的な機関なのだが、こちらは天満宮に比べてアクセスも良くないせいか(我々は天満宮より2キロ半歩いて訪問)訪れる観光客はほとんどいなかった。大宰府といえば天満宮が代名詞なのだが、この政庁跡は大和朝廷時代を偲ばせる貴重な遺構であり、西鉄や地元はもっとプロモーションしたらいかがであろう。

 

旅の締めは福岡空港から2019年度からJALに導入されたエアバスA350-900である。南風の日の夕方15時から19時頃、羽田空港新飛行経路が運用されると、高度を下げていく航空機が我が家からは良く見える。福岡便は主にボーイング777とエアバスが運用されており、帰って来るのにちょうどよい福岡1605発のJAL320便がエアバスで、運よく左舷の席を並んで予約することが出来た。新飛行経路を使ってくれれば都心遊覧便になり我が家を見下ろすことが出来る筈だが、搭乗した日の風向きはまさにお天道様まかせである。クラスJの広いシートに身をあずけ最新のモニターで楽しみながら窓外を眺めていると、この日は房総半島上空から大きく内陸に向けて旋回を始め、どうやら新飛行ルートを使うらしい。荒川の上空あたりでは雲が厚かったが池袋近辺から南へ向かうアプローチに入り高度1000米を切ると、やっと機体は雲の下に出て「あ、うちのマンションが見えた」と二人してしばし興奮しつつ羽田着。こうしてクルーズ船に鉄道、飛行機と「陸と海と空」を堪能する旅を無事終えたのだった。

大宰府政庁跡
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羽田新飛行経路でエアバスA350-900から見る都心風景
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2022年6月10日 (金)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その5(寄港地編 佐渡)

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宿根木の集落は吉永小百合の大人の休日倶楽部CMでも使われた

クルーズ3日目、にっぽん丸は佐渡の小木港に入港した。佐渡と云えば史跡である金鉱山がユネスコ世界遺産に登録される可能性が濃厚で、いま脚光を浴びている島だ。島の南部に位置する小木港は直江津連絡の高速船が着くものの、大型船の係留はできない小ぢんまりした港であった。しかし小木港は江戸時代は西回りの北前船の主要な寄港地であり、すぐ近くの宿根木集落は当時は廻船業の船主で栄えた町だった。そんな小木港に寄港できるのは小粒なにっぽん丸サイズのメリットだといえよう。佐渡島は沖縄本島につぐ大きさで、Sの字にも似た形の島には南と北に二つの山地があり、その間に両津平野が広がっている。島の北部は日本海的気候で冬の積雪も多いが、南部は比較的穏やかで、両津平野は良質なコシヒカリの産地だそうだ。「離島」というと何等かの目的がないとなかなか訪れないが、クルーズ船は国内の様々な島に気軽に連れて行ってくれるのが嬉しい。


小木では「北前船で栄えた町宿根木散策」の有料ツアーに参加することにした。船から観光バスに揺られて10分ほど、海を挟んで対岸の妙高山地を前にした宿根木は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。地元ガイドさんに案内されて踏み入れた集落は、入り組んだ狭い路地の両側に肩を寄せ合うように住居が並んでおり、それぞれの家を見れば廻船の外板を流用した腰板が目立ち、屋根は真っ黒な能登の瓦吹きである。ここは江戸時代は船大工が住み金融が整備されて船主が多数いたそうで、そこかしこの家並が往時の繁栄を偲ばせてくれる。これまでも瀬戸内に点在する各地の伝統的な船主の町を訪れたが、ここ佐渡も西回り北前船の主要な寄港地であったから、同じような海運業が発達したのであろう。集落の入り口にある佐渡国小木民族博物館には往時の設計図を使い新造された千石船「白山丸」が展示されており、これをゆっくりと見学するうちに江戸時代の廻船業や船主業をじっくり研究したいとの気持ちが湧いてきた。完全にリタイアしたら生涯のテーマとして江戸時代の海運業をじっくり研究するのもよいかもしれない。


集落の見学が終わると、目の前の海岸でこのツアーについているたらい舟の乗船であった。船頭さんは昔絵本で見たような編み笠に絣(かすり)の女性でなく運送会社のドライバーのような男性だ。ライフジャケットを着用して生まれて初めてのたらい舟に乗ると予想通りゆらゆらと揺れて何とも不安定な乗り心地。たらい舟は形は丸いし櫓の支点も柔道の帯のようで、櫓で漕ぐ力を推進力にするには何ともファジーな形態と云える。時速は最高でも3キロだそうでなぜこんな乗り物が佐渡で使われたのか不思議なのだが、箱メガネを使いながら岩場で海草や貝を採取するにはたらい舟が良いそうで観光以外に今でも現役で漁に使われている。ところが好事魔多し。こうして妻と共に海岸を一周するたらい舟体験を終え「右足をその座る所にかけて左足で岸壁に」と言われて彼女が上陸しようとする瞬間であった。私の目の前で妻のジーンズのポケットからはスローモーションのように何かが海にすべり落ちるのが見えた。思わず「スマホ!?」と呟くと陸にいたにっぽん丸の付き添いガイドが「ご主人のは撮影用に先ほどお預かりしたのでここにありますよ!」「あっっっ、私のが落ちたんだ!(心の声:ヒィィィ)」と妻。

ここからは妻の日記から引用。
(完全に水没してしまったので)もう(スマホとして蘇生させるのは)無理だな、と思ったけどその箱眼鏡で見えませんか、と船頭のおじさんに頼んでみる。「どんな形状?」「本体は水色でオレンジの短いストラップの先に銀色のカラビナが付いてます」と言ったらそれらしいものが見えたみたい。アワビ漁に使う鉤(かぎ)にストラップを引っ掛けて掬ってくれようとするけどなかなかうまくいかない。そろそろバスの出発時間なので、もし掬えたら小木のにっぽん丸に届けます、とおじさんが言ってくれたので夫の携帯番号を書き残す。後でわざわざ届けてもらうのはあまりに申し訳ないなと思っていたら、おじさんはタモ(網)が要るなと呟きながらも、海の底を狙いすまして何度も鉤でチャレンジしている。海中を漁ること数分、やがて気合とともに鉤に引っ掛けたスマホをタモに受け、なんとか無事サルベージしてくれた。早く清水で洗った方が良いとのアドバイスを得て近くのトイレで充電口を中心に洗った。ご迷惑をおかけして申し訳なかった。特ににっぽん丸のガイドさんが一緒にショックを受けてくれて申し訳ない。でもとりあえず現物が戻って良かった。平身低頭引き揚げる。


海中滞在時間約10分のスマホは、サルベージ直後は不調だったものの、翌日は機能を完全に取り戻した。それにしても箱眼鏡で拾い上げてくれた船頭さんの技は卓越している。この災難から不安定だと思ったたらい舟は、海中の漁にとても適していることが体験的・実証的によくわかった。関係者の皆さん、お騒がせして大変すみませんでした。

スマホを回収してくれるたらい舟の船頭さん(迷惑をかけておきながらでデジカメを出して妻が写真を撮る)
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2022年6月 9日 (木)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その4(寄港地編 関門・天橋立)

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日本製鉄九州製鉄所

先に書いたとおり今回このクルーズを選んだ理由の一つが航路や寄港地が魅力的だった事である。まずは関門海峡である。カボタージュ目的で釜山や済州島に寄港するクルーズ船は、関門海峡を夜間に通行する事が多いが、門司港発着のこのクルーズなら昼の北九州の眺めを船上からゆっくりと堪能できる。小倉・八幡・戸畑の工業地帯に拡がる製鉄所の高炉群、彦島の精錬所の煙突や白島石油備蓄基地の遠影、洞海湾に見えるかつての「東洋一」の若戸大橋など屈曲する関門航路の右舷・左舷につぎつぎに展開する情景は、さながら日本の近代工業化をたどる社会科見学のようで飽きることがない。六連(むつれ)島を最後に見れば、大東亜戦後この検疫錨地が大陸からの引き揚げ船で忙しかった現代史に思いが至る。


翌朝、目が覚めると船は舞鶴湾であった。終戦後に66万人の引き揚げ者が帰国の一歩を踏み出した港である。周囲に山が迫り航路が曲がっている湾内の光景は横須賀港や佐世保港に似ており、ここにかつて帝国海軍鎮守府が置かれた理由も海から来てみるとよく判る。今までも幾度か書いてきたが、クルーズ船で海から訪問すると陸の旅からでは感じることができない、そこに町や港が存在する必然性が体感できるというものだ。ここ舞鶴からは観光バスに揺られて約1時間、日本三景の一つ、天橋立へのオプショナルツアーに参加することにした。松島や安芸の宮島はすでに何度か訪問したので、これでやっと日本三景を制覇できたと思うとちょっと嬉しい気分がする。


天橋立というのは天然の砂州だそうで、ケーブルカーで登った傘松公園からはまずはお約束の「また覗き」を楽しんだ。見ると公園の眼下には橋立観光の遊覧船が走っているのどかな情景が拡がり、砂州の南側には小さな廻旋橋があって、外海につながる宮津湾と橋立内の水域(阿蘇海)を小さな船舶が往来できるようになっていた。阿蘇海の奥には日本冶金の大江山製造所があって、工場の傍らにニューカレドニアやフィリピンから運ばれて来た大量のニッケル鉱石が野積みされているのが傘松山から遠望できる。輸入されたニッケル鉱石は宮津湾で大型のバラ積み本船から何隻かのバージに積み替えられ、廻旋橋を利用して工場の傍の鉱石荷揚げ場までシャトル輸送で運ばれているようだ。


日本でニッケル鉱石を大量に輸入する港は八戸(青森)、日向(宮崎)と宮津の三港のみで、現役時代は八戸や日向の仕事に深く関わってきたものの、ここ宮津に関連する仕事にはまったく縁がなかった。なので持参の望遠鏡は天橋立の松林よりバージの荷揚げ場や鉱石の置き場ばかりに焦点が合ってしまい、まだ仕事の余韻が抜けていないのかと我ながら苦笑。大江山はかつてニッケル含有分が多い鉱石が採れたそうだが、原料を海外に頼る時代になっても天橋立の奥に主力工場があるのはちょっと不思議だ。さて、ツアーのにっぽん丸への帰路は京都丹後鉄道(旧国鉄宮津線)の「天橋立駅」から「西舞鶴駅」まで一両の気動車に揺られる旅であった。途中の由良川にかかる橋梁は水面上3米を走る列車が”バエル”そうで鉄道ファンでなくとも人気のスポットらしく、40分余りの鉄路の内この部分だけを乗る人たちも多かった。こうしてみるとクルーズ船の旅はまことにシニアの社会科見学の場だと思うのである。


天橋立の股のぞき
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京都丹後鉄道・人気の由良川橋梁
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2022年6月 5日 (日)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その3

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食のにっぽん丸

さて「食のにっぽん丸」である。今回の4泊のクルーズでは洋食が2回、和食が2回でいずれもオーソドックスな味で楽しめた。特に和食はダシが適度に効き洋食はドレッシングがとても美味である。せっかくだからディナーも飛鳥Ⅱのように「何でもお替りしてください」と言ってくれると嬉しいが、にっぽん丸は原則お替り不可なのはかえすがえすも残念なところだ(尤も今回はクルーを煩わせては気の毒だとリクエストはしなかった)。また船内のサービスクルーは日本人、フィリピン人とも良く頑張っているも、飛鳥Ⅱと比べ総じてシャイで乗客との距離も控え目だと乗船する度に感じる。例えばフィリピンクルーに知っている限りのタガログを使って話しかけた時は、飛鳥Ⅱのクルーは嬉しそうに返事をして話も弾むが、にっぽん丸は照れ臭そうににこっと笑ってそれっきりということが多い。もっともこれは善し悪しで、飛鳥Ⅱのクルーは馴れ馴れしいとの声が一部にあるようだ。だが、私はせっかくの乗船なのだから飛鳥スタイルの方が楽しめるし、タガログ語の単語をもっと覚えようという気にもなるのである。


乗船した夜は藤田卓也テノールコンサートに先だって船長・機関長・GMの紹介があった。飛鳥Ⅱは感染症対策でオフィサーが乗船客の前に出て来ることはないし、そもそも短いクルーズでは挨拶自体がないが、久しぶりの紹介は客船らしく良いなと思っていたら、肝心の船長のスピーチは、名前を云う程度の余りにそっけないものでびっくりした。これまで内外のクルーズ船に数百泊したが、その中でも最も短い船長スピーチであった。これからのクルーズに先だって航路の予定や天候予報などを聞けば旅への期待も高まるのに、なんだか肩透かしを食らった感じである。フロントで尋ねると本船の船長は商船三井本体から来ているキャプテンだそうである。貨物船ではないのだからせっかくの機会に客とのコミュニケーションが必要ではないか、と思っていたらやはりその懸念が現実のものになった。佐渡小木港はオーバーナイトでステイの予定が、入港日の出港と変更になったのだが、その際のアナウンスが「翌日の出港時に強風が予想されるため、入港した日の夕方に出帆することになった」との味も素っ気もない極めて事務的なものだったからである。


予定変更に関するブリッジからの船長の放送は、前線が通過するのか低気圧の影響なのか、どのくらいの風がどちら側から吹くのか何も言わない。タグが1隻配置されていたのに拘わらず翌朝の出港が無理なのかなど知りたいことは山ほどあるのに、「なんだこのアナウンスは、これで客を納得させようというのか?」と思わせる簡素なもので思わずのけぞった。我々は停泊二日目の早朝に予定していた小木の町でのジョギングができなくなったし、佐渡で友人と再会したものの急遽予定を繰り上げて帰船した知り合いの船客もいた。安全上の理由によって予定が変わることそのものに異論はないが、大きな変更に際しては十分な説明が必要であると私は考える。と言うのも本船が慌てて出港した翌日に、普段は伊豆諸島航路に就航している東海汽船のさるびあ丸が、にっぽん丸が着いていた同じ岸壁、”強風の時刻”に問題なく着岸したことがすぐにわかったからである。


さるびあ丸は東京の青山学院の小学生の「洋上小学校」としてチャーターされ日本一周の航海途中で小木に寄港したもので、SNSの情報によれば「強風」のはずの小木港に朝に着き、子供たちは問題なく下船して島内を廻っている。排水量(重さ)に比べ風袋が大きい客船は風の影響を受け易いのはわかる。とは云え22,472総トンのにっぽん丸が早々と小木港から退散した同じ岸壁に、アジポット推進とはいえわずか6,000総トンのさるびあ丸が何も問題なく着岸できたのは不思議なところだ。港湾設備が十分でない伊豆諸島で大きなうねりの中で着岸させる技術にたけている東海汽船だから小木港でも問題なく着けたということなのだろうか。SNS時代で乗客も様々情報が簡単に手に入る時代である。船長の情報伝達能力には首を傾げざるを得ず、乗船客を納得させる航海情報を常々提供するように心がけてほしい。


などといろいろ注文をつけたがが、中南米移民船以来一貫して客船サービスを提供している商船三井客船とあって、船内は諸所でクルーズを盛り上げようとする気概を感じた。特に新しく始まったクルーズディレクターによるスポーツデッキにおける入出港時の解説は、彼の乗り物好きの本領発揮のようで海陸のあれこれ蘊蓄も混ざり聞き応えがあって秀逸であった。彼はドルフィンラウンジにHOゲージとNゲージの線路を敷き、ここには鉄道模型を持ち込んでも良いらしいからこれからどうなるか興味深い。また予定変更の結果、ゆっくり見ることができた隠岐諸島、特に西の島沖から見る断崖絶壁は、ハワイのナパリコーストを彷彿とさせる絶景でしばし息を吞んだ。にっぽん丸には伝統のサービスをシェイプアップし、より良いクルーズをこれからも展開して欲しいと願っている。

タグを使って小木港出港
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2022年6月 3日 (金)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その2

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PCR検査の結果を待つ間に配られた豪華弁当

5月24日夜、乗船前夜は北九州空港からバスで小倉駅に到着し、駅に隣接するJR九州のビジネスホテルに宿泊。JALのラウンジでサービスの生ビールを三杯も飲んできたし、夜も10時近いのであっさり(?)と小倉ラーメンの夕食を取ることにした。駅前の食堂で独特の細麺に豚骨スープをすすると「九州に来た」という実感が湧いてきた。横浜からクルーズ船に乗る時は大さん橋の駐車場にクルマを駐め、すぐ上のフロアで乗船手続きなので日常の延長感が強いが、このように違う都市から船に乗るのは面倒なるも旅情を掻き立てられるものだ。翌朝は小倉市内の国道3号線などで40分ほどのジョギングをすませ、鹿児島本線の電車で門司港駅に向かう。集合場所のプレミアホテル門司 ( 旧門司港ホテル )では、おなじみの乗船直前PCR検査だが、乗船客が少なめ(今回は約200名)で受付はスムース。あっと云う間に手続きを終えてPCR検査の結果が出るまでの待機場所である宴会場に通された。ここから乗船するまで延々3時間は、マジックショーやインストラクターによるストレッチタイム、さらにお弁当が出て待つだけの無聊を慰めてくれた。


今回のにっぽん丸クルーズで予約したキャビンはスーペリアツインと名づけられたステートルームである。本当はもう少し安いスタンダードステートかコンフォートステートにしたかったのだが、1か月ほど前に乗船予約をした際にはこれらはすでに一杯の状態であった。にっぽん丸はドックのたびに3人部屋のステートルームをスーペリアツインに改装しており、従来の安いキャビンを希望するなら早めの予約が必要になるようだ。ベッドが互い違いに配置されたスタンダードやコンフォートステートは乗船時に部屋に踏み入れた時にいつも違和感を感じてきたが、スーペリアツインはツインの2つのベッド枕の部分が窓際の同じ位置にあるのが「フツー」で良い。


久々のスーペリアツインは、内装が大きくリノベ―トされており使い心地はとても良好であった。収納スペースも十分にあり、これなら今冬のモーリシャスへのクルーズでも十分耐えられそうだ。洗面所・トイレの棚もモダンで機能的である。特にベッド部分とデスクやトイレのスペースが遮光カーテンで仕切られているのは、就寝時の中高年の動線を考えるととてもリーズナブルに思える。残念なのは天井のエアコンの吹出し口が、昔の通勤電車の丸い通風機のようなごく事務的なものであること。それに暗くなってから自室内で点灯すると、4階の我々の部屋はプロムナードデッキから内部が丸見えになってしまうのが何ともいただけない。ここには中から外が見えるも、外からは夜間でも反射して見えないガラスなどをはめて欲しいところである。


デッキのジョギング禁止の本船でも4泊の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」を選んだ理由が、船が舞鶴と佐渡小木港それぞれで毎日着岸するため上陸して街中を走れる旅程だったことにある。しかしなぜか小木港のオーバーナイトステイ予定は急遽前日の夕方に出港することになり(この事は後述予定)、終日航海日が出来てしまった。よってこの日は我々はやむなく7階のオアシスジムで汗を流すことにしたのだが、ここは僅か3台のウオーク・ランニングマシンの内1台が感染対策で使用不可とされていた。ジムにはフィットネスインストラクターではなくフィリピン人サービスクルーの女性が一人ぽつねんとおり、やって来た乗船客の検温と入退室管理をするだけだ。順番を待ってやっと乗ったランニングマシンは、空調がまったく効かない場所に置かれて10分も体を動かすと大汗が噴き出てくる。しかしここにはタオルが置かれておらず「部屋から持ってきてください」とのスタンスにはちょっと驚いた。毎回の事なるも本船のこのフィットネス環境の貧弱さはもう少し何とかならないものか。(続く)

ジムに置かれた僅か2台のランニングマシン
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2022年6月 2日 (木)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その1

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門司港のにっぽん丸

2013年6月に「陸と海と空」と称するブログをアップした。それは乗り物好きの我々が航空機・フェリー・鉄道を乗り継いだ旅行記だったが、先週から今週にかけて久しぶりに各種乗り物を満喫する旅ができた。今回も1週間の旅をするなか、しばし「陸と海と空」というフレーズが脳裏に浮かんできたので、再度この題名で纏めてみたい。その前に2013年当時のブログの冒頭に記した「陸と海と空」の由来を下記にコピーしてみる。


『昭和37年ごろ毎週日曜の朝「陸と海と空」というテレビ番組があった。三遊亭小金馬氏の司会でスポンサーはプラモデルのマルサン。模型の話と共に最新鋭の陸・海・空の乗り物特集が毎週あって、当時全日空に導入されたビッカース・バイカウント機などが紹介されていた。その頃の日本はまだ貧しく、子供にとって特急や飛行機の旅などは夢のまた夢の時代である。乗り物ファンの少年としては、テレビ画面に登場する日航のコンベアジェットや東海道線を疾駆するこだま型の電車を眺めては、早く大人になってあこがれの乗り物の客になりたいと夢を膨らませていたものだった。』


さて今回は4泊5日の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアム」にっぽん丸クルーズを中心に据え、前泊として北九州・門司にほど近い小倉に宿泊、下船後はJR九州や西鉄電車を使い大宰府観光を楽しむことにした。クルーズ船のほか、九州の往復にはマイレージ特典利用の航空機、それも帰路・福岡からはJALの最新鋭エアバスA350-900とし、舞鶴では北近畿タンゴ鉄道乗車のオプショナルツアーに参加、佐渡ではたらい舟を経験するなどの新旧織り交ぜての乗り物ツアーである。


にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」乗船を決めた理由は、よく乗る飛鳥Ⅱが5月中はエンジントラブルで休航していること、終日航海日がなく必ずどこかに寄港する日程のため、デッキ走行禁止のにっぽん丸でも寄港地で毎日ジョギングでき運動不足に陥らないこと(これは後の日程変更で予定が狂わさて面食らったのだが・・・)、舞鶴から天の橋立観光や北近畿タンゴ鉄道に乗車でき、佐渡はこういう機会がなければ訪れることのない島であることなどである。ということで、5月25日(水)の乗船に先がけ、24日(火)は夕方のJAL便で北九州空港に向かった。


エアバスA350-900の窓から
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