VAN JACKET
最近、街でVAN JACKETのロゴを付けた服を着た人をちょくちょく見かける。着ている人はだいたい私のようなシニア世代である。昨年12月に”オールディーズミュージック ON ASUKA Ⅱ”クルーズに乗船した時にも、背中に大きくVAN JACKETとロゴが入ったジャンパーを着た人が乗船しており、「キマっていてカッコいいな」と思っていた。若き日の憧れであったアイビー・ルックを扱うブランドは、往時VAN とその大人版Kentしかなかったからブランドに対する思いもひとしおだ(ブルックスブラザーズの日本上陸は1979年)。VAN JACKETのホームページには『1948年に産声をあげたVANはあらゆるカルチャーが咲き乱れた60、70s'を駈け抜けました。いつも VAN は、新しかった』『ライフスタイルを提案していく中、「TPO」という言葉も「VAN」から生まれた』『1964年の銀座みゆき通りに出現したみゆき族は、世の中にセンセーショナルを巻き起こした。また、雑誌「男の服飾」(後のMEN'S CLUB)を出版社と立ち上げ「Life Style」に革命を起こした』とある。
思い返せば70年代初頭には年に数回出るその男性用服飾誌 「MEN'S CLUB」の特集号を購入し、アメリカ東部のエスタブリッシュメント達が着る正統派アメリカントラディショナルを一生懸命勉強したものだった。当時人気の米テレビドラマ"FBI アメリカ連邦警察"の主演だったF.M. ジンバリストJr.は実際にIVYスクールであるイェール大学の出身で、画面を通して彼の典型的トラッドスタイルにいつも注目していた。学ランで通した大学時代も終わり、社会人になるとようやくこだわりの背広を自分で買うことが出来る。入社式には3つボタン段返り、センターフックベントのトラッドスーツにボタンダウンシャツ、レジメンタルタイで臨んだところ、同期30数名の中にもう一人同じようなトラッド小僧がおり、お互い妙に意識したことを昨日の事のように思い出す。銀行員など堅い職場はまだボタンダウンはおろか、カラーシャツも許されなかった時代である。以来50年近く、基本的に服装はトラッドで通してきたのだが、最近はこだわりも薄れどうでもよい恰好で外出する日々も多い。
仕事量も少なくなりセミリタイアのこの頃である。ただ、年齢が上がってもシニア御用達カラーであるグレーやブラウン系のジジ臭い服装は極力避けようと心掛けている。観光地でアメリカ人のシニアが短パンにスニーカーだったり、おばあさんが派手な色のポロシャツに白のカプリパンツで決めているのを見ると、日本の年寄りは色合いが地味過ぎると思う。こう感じる自分ができる「こだわり」はやはりアメリカントラッドやアイビールックなので、飛鳥Ⅱでジャンパーを見かけて以来VAN JACKETロゴ付の何かを着たくなってきたのだ。ということで日比谷で「トップガン マーヴェリック」を観たあと、JR線高架下の再開発通路「日比谷OKUROJI」に開店したVAN SHOPに立ち寄ってみた。懐かしい尾錠つきノータックのストレートパンツや各種トラッドアイテムを目の肥やしとしながら店内を物色し、悩んだ末にVAN JAC.のロゴ付きTシャツを購入した。5,700円とTシャツにしては高い気もするが、シニアの「こだわり」には財布の紐も緩くなるのである。"for the young and the young -at-heart"で行こう。
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