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2022年4月 4日 (月)

路面電車と新宿風景

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昨日は四谷の新宿区立歴史博物館で「路面電車と新宿風景」展を見学した。都電は最盛期には約200キロ、41系統、都内の各地を結び一日200万人近くが利用した都民の足であったが、現存するのはそのほとんどが専用軌道を走る荒川線12キロ余だけである。かつて新宿区内には新宿駅を起点とする都電11~13系統、荻窪へ向かう14系統、高田馬場起点の15系統、四谷からの33系統、飯田橋からの3系統など多くの路線が敷かれていたが、モータリゼーションの発達で昭和44年に荒川線を除く都電の路線は区内からすべて撤去されている。ありし日の都電の走る情景を資料と共に追憶しようというのがこの企画展である。雨にも拘わらず最終日とあって、昨日はけっこう参観者も入っていた。


私も東京の西郊から新宿区内に引っ越してから早くも20年近く経過した。新宿区というと当初は何か猥雑な環境かと云う気もしたが、高層ビルの林立する新宿駅西口や、歓楽街であるゴールデン街や歌舞伎町地区、今やどこの国だかわからないような大久保・新大久保などは新宿の一部の姿に過ぎない。区内には早稲田大学や東京理科大など多くの教育機関のほか古くからの大病院が多く、住宅地や商工業地が拡がるのがもう一つの顔である。そういえば父が亡くなった際に見た結婚前の本籍地は新宿区の百人町であった。今では朝鮮人街になった観のある百人町だが、祖父は今の国立国際医療センターの前身である陸軍病院に勤務していた軍医だったので、病院通勤に至便だったこの地に居構え、そこで父が生まれたらしい。また叔父は矢来下で育ち神楽坂の毘沙門天境内でよく遊んだと言っていたが、こういう話を聞くにつれ新宿区と我が人生は縁が浅からんことを感じる。


と云うことで、むかしの新宿と都電の様子を少しでも多く知りたいとの念にかられ、昨日は時間をかけて展示されていた資料や多くの写真を見て回った。都電の走る写真には現在でも往時の面影が残る場所も多いが、いまやすっかり変わってしまった場所もあって、展示を前にこれは現在のどの地点にあたるのか、「うーむ」と一人唸ることしきり。ただ戦前・戦後を通じて狭かった道路に人や車が溢れていた光景は、写っている人々の様子から今よりずっと街に活気に満ちていたようだ。新宿区内の街はどこもすっかりきれいになったが、一方で庶民の生活の気配が漂う個人商店は表通りから消え、都電の走った通りはビルやマンションに囲まれて味気がなくなった。会場を見て回るうちに老人が増える都内の再活性の為に、路面電車(あるいはライトレール・トランジット)が再登場できないものか、例えば荒川線は早稲田から再延長し、神田川や日本橋川沿いに飯田橋から都心へ乗り入れるようなルートができないだろうかなどと空想していた。

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常設展示会場にある5000系のレプリカ

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