二年ぶりのスキー(石内丸山スキー場)
高校時代の友人に誘われて2年ぶりにスキーに行って来た。上越国境の石打丸山スキー場である。いまでは東京駅から上越新幹線で最寄の越後湯沢駅までは僅か1時間20分で到着するし、手ぶらでいってもスキー、ストック、ウェアなどはレンタル店で借りることが出来る。事前に連絡しておけばレンタルショップが駅からゲレンデまで送迎してくれるので、まるで近所に行くような軽装で出掛けられる。上越国境なら自宅の玄関からリフトに乗るまで3時間もかからない近さである。若い頃に靴をリュックに詰め込んで2米もある長いスキー板を担ぎ、上野から急行「さど」に乗り、半日かけてこの近辺のスキー場にたどり着いたことを思えば何と楽になったことか。この便利さがあるので私のようなジジイでもスキーに行こうかという気分になるのだ。
とは云うものの怖いのは怪我である。2年前に最後のスキーをする前は15年以上間隔があいており、若い頃に比べればスピード感や技術・筋力は大いに劣化している。スキーで骨を折りましたなどと言ったら、まさに「年寄りの冷や水スキー(2020年2月4日)」と周囲から笑われること必定で、今回もまずは暫くスキー場入口に近い緩斜面で足慣らしをしてから山の上方に向かった。友人は今年すでに4回目だとかで彼にとっては石打がホームコースのような場所なのだが、しかしスキーではこういうパートナーと同行するとよくおこることがある。ゲレンデに出るとだいたい慣れている方が「ここは大丈夫、大丈夫!」などと言ってリフトを乗り継ぎ、山頂近くまで行ってしまうのである。今回も何十年かぶりの石打でコースも良く知らない私は彼に付くて行くのに必死となる。といっても友人の手前「ここは怖いから俺は下へ行くよ」と別れるのはなんだか男の沽券にかかわる。永年の友人でお互いほとんどの事を知っていても、スポーツでは見栄を張らねばならないあたり男は大変なのである。
友人に連れられて山頂まで来て下ろうとすると、そこはコブも多い中上級者向け急斜面であった。アチャーといささか狼狽しつつ、とにかく怪我をしないように慎重にスピードを殺しつつ降りてきたが、歳をとると踏ん張りが効かないもので、上越の重い湿雪に足をとられ、バランスを崩してコース途中で派手に転倒してしまった。急斜面とあってそのまま背を下に為す術もなくずるずると滑り落ちるうちに、今度は左足のスキーも外れてしまう。ようやく雪中でもがいて何とか滑落を止め、まずは怪我がないか体のあちこちを回してチェックしたが幸い何ともないようだ。気を取り直してここでスキーを装着しようと試みるも、あまりに急斜面すぎて片足で立つのもままならない。レンタルで借りたスキーは左足のビンディングの調整が最初から合っていないと思っていたが、こんな急斜面でスキーが外れるとは何ともついていない感じだ。仕方なく外れた左のスキーを肩にかつぎ、右足はズボズボと膝まで雪に埋もれながらホウホウの体で友人が待つ緩斜面までたどり着いた。
初級者の妻とスキーに行くとだいたい私がさっさと降りてしまい、彼女が半べそ顔で遅れてきて「ここは大丈夫だと言ったのにかなりハードだった(怒)」とか「ずっと一緒に滑ってくれると言ったのに、毎回すぐにいなくなって肝心な時に助けてもらえない(怒)」などと不平不満の嵐なのだが、今回はその妻の気持ちの一端がわかった気がした。老人のスキーは自分の実力に合わせて安全なコースを選ぶのが第一と気を取り直し、その後は大汗をかきながら何とか下のゲレンデにたどり着いたのだった。そうこうして半日かけて久しぶりのスキーを楽しみ、その夜は越後湯沢の居酒屋からラーメン屋、ついでにカラオケスナックを2人で梯子して雪国の温泉街の夜を過ごす。相変わらず続く武漢ウイルス蔓延防止対策で、新幹線はガラガラ、スキー場も空いているうえ、普段はすぐ一杯になりそうな地元の小さい居酒屋もいまなら予約なしで楽しめる。アルコールが入れば先ほどのスキーを担いで斜面を下ったという屈辱も忘れ、これからも体が動く限り年に一度はスキーをしようと決めたのであった。それにしても翌日は体のあちこちが筋肉痛で階段を下るもままならない。
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