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2021年10月

2021年10月26日 (火)

飛鳥Ⅱ「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」その3(完)

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新たに出来たアスカバルの生ハムとチーズ

11デッキ後方にあるリドカフェ&リドガーデンでは”アスカバル”と銘打って新しいサービスが始まっている。ここでは毎夕5時過ぎから無料の生ハムやチーズ、簡単な和食、焼き鳥に串揚げ、スイーツなどの居酒屋メニューが並べられ、これらを肴にワインや日本酒が楽しめるようになった。従来、午後の時間帯はリドガーデンでピザやハンバーガー、日によってたこ焼きやラーメンなどのスナックメニューを注文できたが、それに加えての”アスカバル”開始とあって、本船の食事のラインアップは大幅に拡充されたことになる。「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」のような短い日程では利用者もごく少なかったものの、長期に乗船するワールドクルーズとなれば船内生活の目先を変えるために利用者も多くなることだろう。今回このアスカバルでは夕方6時までハッピーアワーでアルコール指定銘柄が半額になっており、2回目の夕食までちょっと小腹がすいた我々にとっては毎晩格好の「飲み屋」さんとなり重宝した(妻は予めネットでこのサービスの情報を仕入れており、普段は部屋飲み用に持ち込む缶ビールや乾きものを一切持って来ない徹底ぶりであった)。


さて夕方5時に神戸港を出港した飛鳥Ⅱは、その夜は小豆島の東の播磨灘で錨泊し、翌朝に備讃東瀬戸を抜けて、昼からこのクルーズのハイライトである三原瀬戸へ入った。関西と九州を結ぶフェリーが通る瀬戸内海の本航路は、備讃瀬戸を通過した後は来島海峡まで見どころがあまりないが、三原瀬戸は瀬戸内海の多島美を楽しむクルーズにはもってこいの水路である。ただ残念だったのは、ここには多くの名所が点在するのに、船長の案内放送がきわめて少なかったことだ。島の間を縫うかの狭い瀬戸は右舷遠くに鞆の浦、前方には多くの船乗りを養成する弓削島が横たわり、三原沖から振り返れば尾道水道に千光寺の屋根も垣間見ることができた。戦時中は毒ガスの研究、今はウサギで有名な大久野島のすぐ脇を抜けると、左舷近くの大三島の森陰には大山祇神社が鎮座しているし、さらに当日はあの"ガンツウ”もゆったりと遊弋していた。私にマイクを握らせたらいくらでもこの近辺について説明できるのにと思いつつ、この地の美しさや歴史をもっと多くの乗船者と共有したいという気持ちが沸き起こった。水路を抜けた後の伊予灘では、テレビで有名なDASH島に近寄るというサービスがあっただけに、三原瀬戸のアナウンスがごく少なかったことは惜しまれる。こういう風光明媚な航路では、船内でガイドフォンを無料で貸し出し名所案内をしたらどうだろう。


3日目はこの航海唯一の寄港地である高知に入港であった。武漢ウイルス禍以来久方ぶりの客船入港とあって岸壁には地元メディアのカメラがそこここに見うけられた。しかし高知では残念ながら自由行動は許されず、船会社主催の無料観光バスは桂浜往復のみ、船から出る有料ツアーは桂浜と高知城(ただし城内の入場なし)だけの見物でなんとも味気ない。せっかくここまで来たのだから有名な「はりまや橋」でも見ておきたいところだが、これはいずれまた別の機会に譲るとし、今回はまずは船に乗ることが目的と気持ちを切り替えた。無料コースを選びバスで15分ほど揺られて着いた桂浜には、大きな坂本龍馬の銅像が太平洋をにらんで立っていた。浜茶屋の看板に「海の向こうはカリフォルニア」と書かれているとおり、龍馬ならずともこの海岸に立てば海外雄飛の夢が自ずと湧き上がってくるかの景色である。正調よさこい節の踊りや「南国土佐をあとにして」のメロディに送られ、その日の夕方に本船は高知新港を解纜。翌日の神戸港下船は午後2時とゆっくりだったのはクルーズが一日増えたようで嬉しい日程だった。久方ぶりの楽しい3泊のショートクルーズだったが、パーティションやら体温計の感染対策が目立つ船内が、早く元の姿に戻って欲しいものだと思いつつ帰りの新幹線に乗車した。

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因島大橋をくぐったあと右舷後方に坂の街尾道を見ることが出来た

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TVでお馴染み、松山沖の由利島(DASH島)の西側と東側はトロッコで結ばれている

2021年10月24日 (日)

飛鳥Ⅱ「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」その2(船内編)

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こうしてやっと辿り着いた飛鳥Ⅱである。船内に足を踏み入れると、最後に乗船した今春と同じようにフォーシーズン・ダイニングにはテーブルの間にアクリル板が設置され、ビンゴ会場のハリウッドシアターの席は一つおきの利用と厳しい感染対策が施されていた。クラブ2100は相変わらずフロアーにソファが置かれてダンスができないし、ピアノバーは閉鎖が継続されているなど、船内では密になりそうな場所を一切作らないという姿勢が徹底されている。どの公室に入るにもサーモグラフィーの体温チェックを受けねばならないのは今春と同じだが、さらに今回は船内どこでもテーブルに座るなりサービスクルーが乗船カードとその場に置かれたテーブルIDのICチップをスマホ状の端末で読み取って、いざという時の濃厚接触者を自動的に割り出す新しいシステムも導入されていた(以前は端末ではなく手書き)。そういう乗組員も乗客と同じ厳格な検査をうけて乗船しており、殊に外国人クルーは着いた岸壁以外は帰国まで何か月も船外へ外出禁止という刑務所なみの涙ぐましい労働条件で働いている。


現在行われている秋のクルーズでは、寄港地で乗客は船が手配したバスツアーで団体行動する以外の自由行動が許されないことになったため、船外から武漢ウイルスを持ちこむ可能性はまずないはずだ。今や飛鳥Ⅱは世界で最もウイルス感染から安全な場所であると断言できよう。尤もこれだけ船客の自由が制限されると、「これでもクルーズなのか」「乗船する意味があるのか」などという声が揚がってくるに違いない。それでも今春は使用禁止だったグランドスパ内のサウナは「同時に3人までなら使用可」となったし、飛鳥プラザやパームコートではバンドの音楽で(特に推奨はないが客が勝手に)踊れるなど、状況に応じ快適な船内生活を楽しめるように船も最大限の試行錯誤に努めていることがわかる。わが国ではウイルス禍がダイヤモンドプリンセス号から始まったので、クルーズ船上の感染が注目されるのは仕方がないが、いまや感染者も大幅に減ってきたので、飛鳥Ⅱもなるべく早く日常に近い船内に戻ることを期待したい。


さて今回の「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」の乗船客は200名ほどで、フォーシーズン・ダイニングルームのキャパシティなら本来は夕食は1回で提供できるのだろうが、密になるのを避けるため2回制のディナーとなっていた。昨年に続き今秋催行されるクルーズのうち、全部で4回提供される飛鳥就航30周年記念の30thアニバーサリーディナーが、この航海の楽しみポイントでもある。この30thアニバーサリディナーは終日航海日の2日目に出されたが、短い航海に関わらず当日のドレスコードはインフォーマルと指定されていた。アニバーサリーディナーの冒頭、ダイニング中央で瀧総料理長が詳細を説明してくれたコースは、高価な食材を使った手の込んだ「攻め」の洋食。世界一周などロングクルーズの際に出される落ち着いた味も年配の乗客に好まれるだろうが、最近の飛鳥Ⅱの洋食は味にメリハリがあって私はとても美味しく感じる。何度も触れるが「おいしかったら遠慮なくお替りしてください」の飛鳥Ⅱの食の姿勢には好感が持てる。

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2021年10月23日 (土)

飛鳥Ⅱ「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」その1(乗船前編)

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東海道新幹線N700 Supreme

飛鳥Ⅱの「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」に乗船してきた。神戸発着の3泊のクルーズである。今年のゴールデンウィーククルーズ中、乗客のうち1名が乗船前に感染していたことが判明し、出港翌日に横浜に引き返す事態となり悪目立ちした飛鳥Ⅱであった。10月の営業再開後も船内感染へのこれでもかと云う追加対策で、いま販売されるクルーズは2泊が中心の短いものばかりである(2クルーズ以上の連続乗船は不可)。それも無寄港クルーズか、あるいは寄港しても船を受け入れてくれるが清水、四日市、新宮などで、これらは我々は今まで何度も訪れたお馴染みの場所ばかりとあってあまり興味が湧かない。ということで春に予約していたクルーズが何度もキャンセルになって、フネには乗りたし、しかしスケジュールは物足りなしでしばらく乗船を躊躇し機をうかがっていたところであった。そんな中「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」はこの時期では最長の3泊、最終日に神戸で下船の時刻も午後2時と比較的ゆったりしているのが魅力的であった。ゆっくりと昼の瀬戸内海を航行、それも久しぶりの三原瀬戸の景色を楽しめるうえ、高知新港も我々には初めての訪問とあって、新幹線で神戸まで往復して飛鳥Ⅱに乗船することにしたのだった。


出港当日は13時に神戸のポートターミナルに集合なので、東京からなら朝出れば間に合うと主張する妻に対し、新幹線が遅れるなど旅は何があるかわからない、と念のため神戸で前泊することにした。ところが本当に旅は何が起こるかわからない。「大人の休日倶楽部」で乗れる「ひかり657号」に乗車すべく東京駅の東海道新幹線改札口に着くとザワザワと人だかりがして、なにやら異様な雰囲気である。説明に声を張り挙げる駅員のハンドマイクによると、この日の昼過ぎに豊橋駅で線路に降り「のぞみ」にぶつかった人がいてダイヤが大幅に乱れているとのことだった。事故の影響で上りの列車が到着しないため折り返し列車が仕立てられず、やりくりのつく編成で下りを順次出発させているとの説明であった。予約した列車は少なくとも2時間以上遅れると聞き、深夜の新神戸着かと一瞬愕然としたが、2時間遅れの「ひかり519号」岡山行きが出るとのアナウンスがあり咄嗟の判断で自由席に飛び乗った。立って行くことも覚悟はしたが、幸いなことに飛び乗った車両に空席も見つけた上に車両は最新のN700形のSUPREME!。この列車は後続の「のぞみ」がなかなか東京を発車出来ないためか、いっさい退避待ちなしの上、最新鋭SUPREMEの余裕からか回復運転にこれ努め、熱海・静岡・浜松停車でも新大阪まで2時間40分(のぞみ最速は2時間21分、ひかり最速は3時間弱)と予定より早く到着してしまった。旅にハプニングはつきものだがこういうラッキーもたまにはある。


翌日は、神戸のクルーズターミナルから飛鳥Ⅱに乗船である。と云ってもいま、クルーズ船に乗るのもそう簡単ではない。乗船2週間前からの「乗船前健康チェックシート」への日々の体温・体調記入、1週間前の唾液検体採取による郵送「事前PCR検査」に加え、ワクチン接種済みエビデンスの提示がこの秋からの乗船手続きに加わった。ワクチン未接種の乗客については、乗船の3日前(または4日前)に自費で「PCR検査 等温核酸増幅法⦅LAMP法、SmartAmp法など⦆」を受け陰性報告を提出する必要がある。ターミナル入口で検温と荷物預けをした後、うやうやしく私はワクチン予防接種済証を、「とりあえずまだワクチン受けない派」の妻は、新宿にある民間検査機関で受診した「新型コロナPCR検査結果報告」のメールコピーを提示する。そうして館内でようやく「乗船当日PCR検査」を受けられる訳である。「当日検査」は乗客を30名ほどのグループに分け、各自が綿棒状のスティックを30秒間口に含み、それを(同室者は同じ)容器に入れて提出する方式であった。提出した後、飛鳥Ⅱ船内に新しく導入されたシステムで検体分析が行われる間は、グループごとにホールの椅子に腰かけて待つ。こうして一時間あまり、グループ全員が「陰性」と判明してから乗船カードを受け取り、やっと一団で乗船可能となるのである。こんな検査の当日に限って喉がムズムズしたりして「ここまで来てヒョっとして?」などと不吉な予感が脳裏をかすめるものだが、ホールを見渡す限り問題が生じた乗船客は見当たらなかったようだ。これらが済んでやっと無菌(無ウイルス?)状態の飛鳥Ⅱ船内に乗船することができた。

船内のラボで検査結果が出るまでターミナルで乗船待機
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2021年10月17日 (日)

小室圭氏と眞子さん結婚反対デモ

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ジョギングも皇居の周回コースばかりでは飽きてくる。昨日は足を延ばして銀座方面に向かおうと思い、日比谷公園の脇を走っていたらデモ隊に出くわした。何を訴えているのかと走るのを中断して観察すると、どうやら眞子さんと小室圭氏の結婚反対デモらしい。日の丸の旗を掲げ、「結婚反対」と大書された青い横断幕を持つ先頭の後には、てんでに「小室母子を調査せよ」とか「詐欺」などと書かれたプラカードを掲げた多くの人々がデモ行進に加わっていた。霞が関からこの辺りで良く見る「安保法制反対」や「原発反対」などのサヨクのデモでは、段階の世代の元全共闘とか共産党くずれらしい、ちょっと薄汚いような老人が目立つが、このデモ隊に関しては中高年の女性の姿が過半数であるのが沿道の目を引く。


10月初めに宮内庁から2人の結婚の日程と、眞子さんが「国民の誹謗中傷で複雑性PTSDになった」との発表がなされると、それ以来、小室家の疑惑や圭氏の人となりをあれほど面白可笑しく糾弾してきたメディアが、一転して結婚を祝福する論調になったのに大いに笑ってしまった。しかし土曜日をつぶし、こうして真剣にこの結婚に反対している人も多いのだと改めてこの問題に対する国民の関心の高さを見た気がした。小室圭氏と眞子さんの結婚反対デモ隊は約100人以上が参加していたようだが、もしこれが反政府・反政権などのデモなら「大規模のデモ」だとメディアは大騒ぎをすることだろう。しかし「手の平返し」で慶祝ムードとなったテレビ局などは、一切このデモ隊の報道を封殺するのではなかろうか。


昨年12月11日に「小室氏と眞子さんネタ」で触れたとおり、私はこの問題にさして興味はないものの、たまに暇つぶしの話題としてはニヤニヤしながら週刊誌やネットニュースを眺めている。そもそもこの騒動の発端は圭氏の母親に関わるせいぜい四百数十万円余のカネである。内親王と結婚が決まったほどの人が、例え母親の問題にしろその程度の金額で揉めるなら、「出世払いで良い」とか「10年分割払いで良い」などの約束でカネを融通し、「早く身ぎれいにしとけよ」と忠告してくれる親戚や友人などがいるだろうと不思議でならない。よほどこの家族は信用がないのだろう。「借金だ」「いや贈与だ」と400万円で揉め、その挙句に眞子さんが貰えるはずの1億4千万円の結婚一時金を辞退せざるを得ぬとは、なんとも割の合わないディールである。私なら理屈をこねる前にサラ金から借りてでも400万円はさっさと返済し、1億4千万を堂々と受領していただろう。こういうのを「一文惜しみの百損」というそうだ。最初からさっさと返金していれば、巷間伝わるその後の疑惑も出てこなかったはずだ。


以前にも触れたとおり、身辺調査を怠った宮内庁や秋篠宮家の失態が「結婚反対」のデモ隊までが繰り出す事態を招いたことは明白である。しばらく前までは、ちょっとした企業への入社や結婚の際には、探偵事務所や興信所が本人やその家族の身辺調査をしたものである。ましてや皇室の結婚という場合にはより綿密な調査と慎重な対応が必要だったはずだ。「人を出自によって差別してはいけない」という安易な建て前も、時と場合によるということが改めて認識されねばならない。それにしても小室圭氏の厚顔無恥ぶりは軽蔑を通り越して感嘆の念さえ抱いてしまう。彼はアメリカでM&Aの弁護士に就きたいそうだが、彼の空気の読まなさと図々しさ、28ページのレポート(私も全文読んだが出来が良いとはとても思えなかった)を書いてまで自分や母親を正当化するそのタフネスぶりをみると、彼は弁護士より対中国や対韓国の外交交渉や賠償交渉などでその力を発揮するのではないか。彼が日本の外交官となって、中国や韓国とやりあったらなかなか見ものではないかと思う。

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2021年10月13日 (水)

再エネ偏重や脱炭素政策の危うさ

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オランダ沖の北海に林立する風力発電の風車群 2011年5月飛鳥Ⅱより

欧州では電気料金が高騰しているという。脱炭素政策を進めるために火力発電を減らし、風力発電を促進してきた西欧だが、今夏は風が弱く十分な発電量が確保できなかったのが原因である。風力発電といえば北海に面したオランダでは、古くから風車が有名であった。名物の風車が動力源として使われて来たとおり、ここでは卓越する風を恒常的に利用してきた歴史がある。クルーズ船でヨーロッパ大陸と英国の間にある北海を航行すると、この海域に無数の発電用風車やオイルリグが設置されているのを見ることができる。大西洋や地中海からオランダやドイツなど北欧の諸港に向かう船のなかには、ドーバー海峡入口で風車やリグとの衝突をさけるために北海パイロットを乗船させる船長がいるが、それほど広い海域に数多くの風車が林立している。


その頼みの風力発電が不振とあって、求めた代替エネルギーの天然ガスは、中国の爆買いや産地メキシコ湾のハリケーンで価格が高騰し、英国ではエネルギー会社の破綻が相次いだと報じられている。特に影響が大きいのは、脱原発や再生可能エネルギーの『模範優等生』だったドイツで、ここでは脱炭素政策で火力発電所の削減を急いだため、エネルギー価格高騰によって引き起こされる問題が深刻になっている。インフレ懸念の高まりとこの秋・冬には大規模なブラックアウトの発生がこの国で危惧されているのだと云う。ヨーロッパ各国は送電網で繋がっているうえ、ドイツはロシアからパイプラインで天然ガスの供給もあるにもかかわらずこの状況である。これに対し「再生エネルギーを無暗に優先し、安定供給をおろそかにしたツケが回って来た結果だ」とキャノングローバル戦略研究所・杉山大志氏は10月5日付産経新聞「正論」で批難する。


地球温暖化の原因が二酸化炭素だという「ポリコレ」に日本は追従させられている。菅義偉前首相は2050年までにカーボンニュートラル(脱炭素)を実現すると言い、さらに小泉元環境大臣がまったくの思いつき、ウケ狙いで目標値をさらに引き上げてしまった。しかし自民党総裁選挙の際、河野太郎氏の中国での関連会社に関わる問題で広く知られたのが、太陽光パネルは中国が世界の市場を席捲しており新疆ウイグル自治区がその製造に深く関わっているという事実だった。また「電気自動車や風力発電を大量に導入するなら、そこで使われるレアアースはかなりの程度、中国、それも人権問題を抱える南モンゴルからの供給」(上述:杉山大志氏)だとされる。安全保障の観点からも、人権問題からも脱炭素政策によるシナ頼みは大問題なのである。今回の欧州の例を見ても「お天道さま頼み」「風まかせ」の再生可能エネルギーではなく、我が国は優れた技術をもつ火力発電や原子力をエネルギー源としてより活用すべしだと確信する。原発についてはさっさとフルに動かすとともに、地震や津波など災厄の多い我が国ゆえ、より安全な防御策の構築にこそ大規模な予算を投ずる必要があるのではないか。新らしく任命された経済安全保障大臣に期待したい。

 

2021年10月 8日 (金)

太平洋戦争の大誤解

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先日、新幹線に乗る間際に車中で読める本を駅構内の小さな売店で探したことがあった。ビールやみやげ物に混じった売り場で、その時に見つけたのが2021年9月の新刊、武田知宏著「教科書にはのっていない 太平洋戦争の大誤解」(採図社)であった。著者は高名な歴史学者ではなくフリーライターなのだそうだが、車中の退屈を紛らわすには余り難解な本ではなくこの位の軽い読み物が良いと思って買うことにした。そんな気軽な気持ちで読み始めた文庫本だが、ページを繰ってみると文章・文脈が大変こなれていて読みやすく、明治維新から大東亜戦争に至る歴史上の要点をコンパクトに纏めたなかなか素晴らしい文庫本であることが分かった。私はふつう読んだ本は直ぐにごみに出してしまうのだが、僅か750円でふと手にしたこの「太平洋戦争の大誤解」を旅行後も大事にとっておくことにした。


本書では明治維新が世界に例をみない優れた改革であったことや、戦前の日本は高度成長社会であったこと、それにもかかわらず貧しい農民が多く今では想像できない格差社会であったことなど我が国の近代史の特徴が語られる。そのうえで、日本が満州や中国に進出した動機、米英の対日戦略、ナチスドイツやソ連(ロシア)の存在、コミンテルンの謀略、ゾルゲや尾崎秀美などの共産主義スパイの暗躍など、日本がなぜ戦争への道を突き進んだのかが多様な切り口から解説されている。学問的にみればこの本の内容はかなり大胆なのかもしれないが、分かり易い説明のうえに写真や図表も適宜載せられており、私のような普通の人間には難しい専門書より、なぜ日本が戦争へ向かったかの歴史がすとんと腑に落ちる展開である。読み進めるうち、もし自分が昭和初期に生きていれば戦争を歓迎していたかも、との気持ちにさえになってくる。


たしかマルクス史観では、明治維新から大東亜戦争までの日本の近代は、明治天皇の新体制下ではあるものの封建主義をベースにした近代化に過ぎぬとし、日本が第二次大戦に向かうのは必然的な道だとしていたはずだ。一方でいま保守派からは、大東亜戦争はアジア解放の正義の戦いだったとの声が澎湃として湧き起こっている。日本近代史の評価というものは甚だ難しいものである。本書は明治日本の近代化を称える一方で、戦争に至る社会の貧しさや、国家統治システムの不備など、明治憲法下の多くの問題点も指摘しており、特定の史観によらない広い視点から歴史を俯瞰しているのが特長である。こうした簡潔かつワイドな展開が本書を読みやすくしていると云えるであろう。著者の武田氏のことはまったく知らないので、読後に彼の評判をネットで調べてみると、2012.2.22の「ビジネス+IT」というコラムに武田氏がこんなコメントをしていた。


「大日本帝国の実情を知ろうとするとき、壁になるのがイデオロギーの問題です。大日本帝国を論じた書物の多くは、天皇制や全体主義を批判するものであったり、逆に擁護するものであったり、とかくイデオロギー論に傾きがちです。そして、イデオロギーが主体の本では、実際の国民の生活や社会の様子が、具体的、客観的に語られることがあまりありません。私は大日本帝国の実情を知るためには、イデオロギーよりも、実際に国民はどういう生活をし、社会はどういうふうに動いていたのか、ということの方が重要な情報だと思います。 が、残念ながら、大日本帝国の実情を客観的、具体的に書いた書物は、専門書以外では非常に少ないのです」。ネット記事から9年後、新刊で出された「太平洋戦争の大誤解」は彼のこういう考えを具現化したものだといえよう。駅の売店といえども、心に残るなかなか良い本との出会いがあるものである。

 

2021年10月 4日 (月)

高峰高原・黒斑山

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都内に住んでいると、時々自然の中へ行ってみたい気持ちになる。山道を歩きながら”ブ~ん”とブヨの羽音がまとわりつくような場面が恋しいのだ。ということで台風一過の秋晴れの下、この週末は長野県と群馬県の県境、高峰高原から黒斑山(標高2404米)に登山に行ってきた。高峰高原の車坂峠にはかつて高峰高原ロッジ(との名前だったと記憶)というユースホステルがあり、中学時代に毎夏林間学校に訪れていた。数日間の林間学校のうち一日はロッジから黒斑山までを往復する4~5時間の定例山行で、その時に心に刻んだのが雄大な浅間山の山容やそれに連なる外輪山のすばらしい眺望だった。中学校を卒業以来55年間、高峰高原を訪れたことはなかったが、足腰が丈夫なうちに思い出の登山道をもう一度踏み、あの景色をまた見たいと思ってのノスタルジックツアーである。

 

車坂峠でクルマを下り、登山道の取り付き口に立つと、コースの案内図の脇には入山の注意書きや登山届の投入箱があってまずはびっくりである。半世紀以上前に林間学校の生徒たち数百人で登ったような道だから、まあハイキングにちょっと毛の生えた程度のコースとの認識で来てみたが、登山届が必要な「山」だったろうかとまずは我が記憶を疑う。見ると周囲の登山客はほとんどが登山靴、山用のザックに最近流行のステッキ(杖)を携えているが、こちらはジーンズにジョギングシューズ、手にはペットボトルの水を抱えてという超軽装だ。富士山で見かける観光気分の外国人ツアー客かのごとく、これは場違いかと一瞬うろたえてしまうほどだ。「山を軽く見るな」とか「年寄りの冷や水」などという文句が頭に浮かんだのだが、足にはまだ自信はあり、台風が去ったあとの晴天で天気の急変もなかろうと山に分け入った。(本当はこういうシニアが一番危ないのかもしれないが・・・)

 

歩き出すとコースはやはりそれなりの登山道で、あちこちにガレ場や急坂もある。手を使って体を引っ張り上げたりバランスをとらねばならぬ場所もあるが、軍手さえ携行してないから困ったものだ。黒斑山頂まで登りは2時間、踏み外せば滑落のおそれがある危険な箇所も幾つかあって「気楽なハイキング」よりはちょっと難儀な山道であった。かつて林間学校では山好きの先生が引率してくれたのだろうが、男女混ざっての都会の子供たち、それも大勢で毎年事故もなくよくこの道を行き来できたものだ。思い出をたどりつつ一歩づつ歩を進めるうち、落伍者も出さずに引率してくれた当時の教員たちの指導にあらためて感謝の念が湧いてきた。こうしてたどり着いた黒斑山山頂から目前に望む浅間山や深く切れ込んだ雄大なカルデラは、記憶のとおりわが国でも有数の息をのむ絶景であった。この景色は2時間の登り路に耐えた者だけが味わえるものかと思うと、頬をなでる山の秋風も一層心地よい。麓のコンビニで買ったおにぎりで昼食をとり、あの頃に一緒に登った同級生たちは今頃どうしているか、などと回想に耽りながら帰路についた

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