来島海峡 プリンス海運 ”白虎”号の沈没事故
青線=推定される白虎号の航跡、黄色線=同U・PIONEER号航跡
来島海峡の指定航路(画面右側中央)と斎灘の一般的航法(画面左側上部)は反対通行で衝突地点で交差する。(AIS データなどから作図)
海の難所・来島海峡の西口でプリンス海運のRORO船”白虎(11454総トン・船主:北星海運)”と、マーシャル籍で実際は韓国のケミカルタンカー"ULSAN PIONEER"(3481重量トン)が衝突する事故が27日(木)の24時前におきた。この事故で白虎が沈没し、船長以下機関士2名、計3名が行方不明になるという惨事になった(その後不明者のうち機関士1名が発見され死亡が確認)。”白虎”は2020年に国内の造船所で建造された最新鋭の大型RORO船である。ROROとはROLL ON ROLL OFF のことなのだが、このROLL ON/OFFをWeblio辞典で調べると Ships which enable vehicles to directly drive in and drive off the shipとある。すなわちフェリーの様に車両が自走してそのまま船内に乗り入れることができ、また自走して出て行くことのできる構造の船をRO/RO船と云う。この種の船舶は船体内部がガレージのようになっており水密隔壁が少ないため、一般的に急激に海水が流入すると浸水区画が拡大しやすい構造だといえる。
オペレーター(運航者)であるプリンス海運は、もともとは日産プリンス海運と云われ日産車の国内輸送に従事していた会社であった。2001年に現社名に改称、現在は日産自動車の国内輸送のほか、シッピングスケジュールを公表して一般車両の輸送も手がけているようだ。発表されている配船時刻表によると”白虎”は毎週木曜日の1630に神戸港を出港、翌日0530に北九州の苅田に到着することになっており、ちょうど現場の来島海峡を5月27日木曜日の真夜中に通過することになっていた。事故が発生した来島海峡は航路が極めて狭く屈曲している上に潮流が速いので、海上交通安全法によって航法が定められているわが国でも屈指の海の難所である。ここでは来島海峡船舶海上交通センターが航路の監視を行っているほか、総トン数1万トン以上の船舶はパイロットの乗船が義務付けられているが、”白虎”のように定期的に通過する船舶や、総トン数が2696トンの”ULSAN PIONEER”にはふつうパイロットは乗船しない。
海上交通安全法によって定められている来島海峡の航法は「順中・逆西」と云い、東行き、西行き問わず、自船が乗る潮流が順目の時には馬島より大島寄りの中航路を通過、逆潮の際には馬島と今治の間の西航路を通過すると規定されている。”白虎”が神戸から苅田に向けて来島海峡を通過した時間の来島海峡の潮汐は南流(逆潮)ゆえ本船は西航路を辿り来島海峡大橋をくぐり斎灘(いつきなだ)に到達、規定航路の出口に向かっていたはずである。一方、韓国から大阪向け酢酸を積んで来島海峡に向かっていた”ULSAN PIONEER”は中航路を通るため航路の東側に出る必要があり、この近辺で”白虎”など西行船の進路を横切ることになる。ULSAN号にとっては、ここまでは一般的な航法に従って右側通行なのが、この時間はここから左側通行に変わる面倒な場所である。このような地点で両船は交錯したが、掲載した略図(上)を参照すればわかる通り、事故直前に”ULSAN PIONEER”のブリッジからは”白虎”の左舷(赤灯)を視認していたと考えられ、万国共通の海上衝突予防法によって避航義務は第一義的には”ULSAN PIONEER”にあると考えられる。
ニュースで見る”ULSAN PIONEER”は船首が大きく損傷、船首のマストが倒壊しており衝突の衝撃の大きさがわかる。それにしてもこの事故にはいくつも解明されねばならない点があるようだ。船体真横に衝突されたとしたも、なぜ2020年に竣工した最新鋭大型のRORO船が簡単に沈没してしまったのだろうか。2009年フェリー”ありあけ”の事故以来、RORO/フェリータイプの船舶の安全性確保にはさまざま手が打たれてきたはずで、船内への海水浸入や荷崩れが起き船体が傾斜してもそう簡単に沈没しない構造になっていると思っていた。また救助に参加したコンテナ船の船長は、”白虎”は事故後に荷崩れがあったようだと証言しているが、そうだとすれば当時多数積んでいたとされるシャシーの固縛は十分だったのか。フェリーの旅が好きな私にはこのあたりの安全対策が他人事ではなくとても気にかかかる
最近の船舶は内航船でも夜間はエンジンルームは無人運転である。よって死亡が確認された機関士はこの時間は上部の居室にいるはずなのに、船尾にある舵機室で発見されたと報道されているのも不思議だ。これはたまたま狭水道通過のためスタンバイで船底のエンジンルームに詰めていて事故に巻き込まれ、一挙大量に進入する海水に逃げ道を失って船尾に追いやられたのだろうか。また衝突から沈没まで2時間ほど時間の余裕があったようだが、66歳の船長は不明の機関士を探しに船内に戻ったのか。助かった乗り組み員は海に飛び込み他船に引き上げられたそうで、なぜ救命艇(救命いかだ)が展開しなかったのかも疑問である。せっかく来島海峡船舶海上センターは安全を監視していながら、航路の入出口の交通整理まではしないのだろうか。行方不明者の捜索に全力をあげるとともに、両船が事故に至った経緯を調査、事故再発防止に関係者は力を注いで欲しい。
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