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2021年3月21日 (日)

「民都」大阪 対「帝都」東京 アゲイン

20210321
久しぶりに本棚から取り出した本書

今朝の読売新聞”HON”の紙面では、原 武史氏が若き日の彼の著作「『民都』大阪対『帝都』東京」(1998年出版)を書いた経緯を綴っている。そういえば、かつてサントリー学芸賞を受賞したこの名著が本棚にあったことを思い出し、久しぶりに取り出してパラパラと読んでみた。原 武史氏と云えば、日本の政治思想史学者として最近あちこちで名前を見るが、専門分野の他に鉄道に対する造詣も深く、この方面に関する著作もいくつか出している。読売の紙面では、東大の助手として本業に専念せねばならない時期に、背水の陣の覚悟で鉄道に関する執筆活動にいそしんだ出版時の思い出が記されていた。そこには彼がこの本を書くことになった動機の一つが、阪急の梅田駅に足を踏み入れたことだとあって、改めてさもありなんと共感した。


読売新聞で原氏は「阪急がJR大阪駅に隣接してターミナルを構えながら駅名は『梅田』であること、大阪駅と梅田駅の間には屋根のない歩道橋しかかかっていないことに、心底驚いた。エスカレーターを上がった瞬間に視界が開け、宝塚線、神戸線、京都線が乗り入れる10のホームが現れる梅田駅に匹敵するターミナルは、関東私鉄にはなかった。」と記しているが、これを読んで東京で生まれ育った私も昭和38年に初めて阪急の梅田駅に降り立った際に、私鉄の駅とは思えないそのスケールに度肝を抜かれたことを思い出した。昭和40年代に高架式のターミナルになる前の阪急梅田駅である。


私が初めて阪急梅田駅を経験した当時、鉄傘と鉄骨の下に広がる梅田駅には「9号線にただいま入りますのは神戸線特急、神戸線特急です」という独特な声の女性アナウンスが響いていた。その放送を聞きつつ、関東では○○号線とは云わず○○番線と云うし、ただいまXXしますという表現も、東京ではまもなくXXします、だよな」とその違いを感じたものだった。今も関西に行くたびに気が付く東西私鉄の相違点をこのブログにも幾度かアップしているが、原氏ならずとも阪急梅田駅に足を踏み入れると関東とは異なる関西私鉄の存在感を肌で感じることができる。彼が本書執筆の為の取材を通じて「無意識のうちに東京を基準として日本を論じてきた思考の偏りに気づく」と読売新聞に述べているように、関西の電車に乗っただけで東西文化の差異についてさまざま考察できそうだ。


さて「『民都』大阪対『帝都』東京」は2008年11月11日にこのブログでアップしたが、その中で私は原氏の説に沿って「東武も東上線然り、伊勢崎線は北千住、西武新宿線は高田馬場で、京成も日暮里でJRに平行に連絡しており、国鉄を起点としてすべての鉄道網が形勢された事が明白である」として、官なにするものぞでターミナルを国鉄駅と違う場所に設けた関西私鉄と比較している。ところが昨年出版された竹内正浩著「妙な線路大研究・東京編」(じっぴコンパクト新書)には西武新宿線は早稲田、東武東上線も大塚まで、いずれも官とクロスして延伸する計画がかつてあったことが書かれていた。こうなるとなぜ東京では、山手線内に進出する案が計画倒れになったのか、その詳細を知りたくなってくる。鉄道の歴史でも研究が進むにつれて新しい発見があり、発達史や文化論が深められていくようで、この分野の進展が楽しみだと今朝の読売新聞を読みながら思っていた。

過去のブログ「民都大阪 対 帝都東京(2008年11月11日)」

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