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2021年3月

2021年3月30日 (火)

"EVER GIVEN"スエズ運河で巨大コンテナ船座礁(続々)

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スエズ運河のムアリングボートマンたち。万一の為に乗船してくるが客船上ではデッキで土産物を売る事に専念している。(2018飛鳥Ⅱワールドクルーズにて)


どうやら"EVER GIVEN" 号は離礁したようで、まずは一安心である。事故の原因究明はこれから始まるのだろう。私は航海や操船については門外漢ではあるが、事故の原因を探る上でのポイントを素人ながら下記に推測列挙してみた。


①遮るもののない砂漠地帯での突風と砂嵐が原因と云われているが、地中海向きの船が船団を組んで一列で航走していた中でなぜ"EVER GIVEN"号だけが針路を違え事故をおこしたのか。パイロットの指示は?船長とパイロットは協調できていたか?

②水深が24米と浅い水路の中で船団を組んで8ノット程度の速力で走っているときの本船の舵の効きどうであったか。一般論としては水深が浅く船の速力が遅いと舵が効きにくくなる。突風が吹いていた時に本船の速力がどうだったのか。もっと遅かったのか?サイドスラスター(船体を横向きに移動させるプロペラ)を使用するような状況ではなかったのか?

③スエズ運河通峡には万一に際に備え、タグボートとの間でもやい綱を遣り取りするためにムアリングボートマンと呼ばれる作業員が乗船して来るが、タグボートやこれらボートマンは規則通りに機能したか。

④狭い水路で突風が吹き荒れた際には錨を降ろすことができず(錨をおろせばそこを起点として本船が振れ回る)、大型船はただ前進あるのみで非常に危険な状態になると考えられる。当日の朝の天気予報では突風や砂嵐の吹く可能性はどうであったのか。

⑤"EVER GIVEN"号はまだ船齢も若いので重要な航海計器や舵の故障は考えにくいものの、ブリッジやエンジンルームの乗員配置を含めて本船は運河通過のための堪航性が保持されていたのか。

⑥本船は10段ほどコンテナをオンデッキに積んでいるようだ。この状態で、ブリッジから狭水路を航行するのに十分な視界が得られていたのか。(かつて北米航路コンテナ船の配船担当だった時代に、ミーティングで各船船長から怒られたのは寄港地のスケジュールが厳しすぎて寝る暇がない、ブリッジ前に荷物を積みすぎて前が見ない、オンデッキの荷物が過大で船の重心が高すぎ復元性が心配だ、の3点だった)

⑦オンデッキ10段積みの状態では横風に対して水面上に長さ400米x高さ50米ほどの巨大な壁ができる事になる。同じ20万重量トンクラスでも原油タンカーなら満載状態において風に流される面積は水面上10米ほどの高さ(乾舷)にしかならない。そもそもこのような巨大「コンテナ船」が、オンデッキにコンテナを高々と積み上げてスエズ運河を通る際に、風に対する安全性は確認されているのか。船舶の排水量に応じたオンデッキの高さ制限が必要でないか。

以上である。

砂漠の中を地中海から紅海に向かうスエズ運河通峡中のコンテナ船。マースクラインのこの船はデッキ上8段積んでいる。ブリッジからの視界は十分なのだろうか?
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2021年3月26日 (金)

"EVER GIVEN"スエズ運河で巨大コンテナ船座礁(続)

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スエズ運河を船団を組んで航行する巨大コンテナ船群(2018年飛鳥Ⅱワールドクルーズで撮影)

その後の報道では、"EVER GIVEN" 号は船主である正栄汽船が事故の処理に奔走している事からして、本船は「定期用船」によって正栄汽船(のパナマ法人)から借り主のエバーグリーン社側にチャーターアウトされているようだ。よってこの事故については、まずは日本側が責任を負うことになるのは間違いないだろう。では正栄汽船は、船舶管理や乗組員の配乗を任せていたとみられるドイツのベルンハルト・シュルテ・シップマネジメント社に求償することができるだろうか。この点について国際的な船舶管理契約書の標準様式であるSTANDARD SHIP MANAGEMENT AGREEMENT "SHIPMAN 2009" を読むと、管理者(シュルテ社)は「本船に関わる損失,損傷,遅延または費用について,船主(正栄汽船)に対して一切の責任を負わないこと」となっている。同様式には管理者の過失、重過失または故意のみから損害が生じたことが立証された場合には、年間管理手数料の10倍を超えない範囲で責めに応じるとあるものの、管理手数料そのものは一般的に一年で数百万円からせいぜい一千万ほどゆえ、この事故による賠償責任はほぼ正栄汽船が負うということになる。(乗り組員を船主が直接手配する管理契約もあるが、その場合も配乗会社は船主に対して責を免れる。)


船主が今回の事故責任を負うことに関して、"EVER GIVEN"号がスエズ運河のパイロット乗船中だったために、パイロットの責任はないのかと問う声もあるようだ。スエズ運河を通る航路の選定は確かに借り手であるエバー・グリーン社であり、パイロットの手配も実際はエバー社の現地代理店が行なっているので、こうした疑問が生じるのも無理からぬものと云える。しかし船主:正栄汽船と用船者:エバーグリーン社が交わしている定期用船契約書の約款に "The Owners shall remain responsible for the navigation of the Vessel, acts of pilots and tug boats" との条項が入っているであろうことは間違いない。すなわち「本船の航行に関する事項、及びパイロットやタグボートの行為・行動に関する一切は用船者(エバー社)ではなく、船主(正栄)に責任がある」ことが用船契約で定められているのである。"WAKASHIO"号の事故の際にこのブログでも取り上げたとおり、定期用船契約の下で運航に関わって生じた事故については、これまで多くの係争が内外で起こってきたが、借主ではなく船主の責任であるという事は、国際的にほぼ確立されたルールとなっている。では船主はパイロットに求償できないかというと、極く一部の判例を除き、事故は船長責任であると判断されるのが世界の通例である。


このように今回の事故では船主が全面的に責任を負うことになるはずだが、では船主の現在の損害と今後受けると予想される損害賠償は何で、それがどう処理されるであろうか。"EVER GIVEN"号の船体損傷の修理や離礁のための直接的費用は、まずは正栄汽船(または船舶管理のシュルテ社)が付保している損保の船舶保険でカバーされるだろう。また本船の事故で運河が閉鎖されたことによる運河の利益逸失や他船の遅延損害を、当局や他船の関係者が正栄汽船に求償できるかどうかは判断が難しいところだが、もし、その損害賠償が裁判や仲裁で認められれば、PI保険(船主賠償責任保険)がカバーする事になるはずだ。その他、損保ではこのような用船契約中に起こった一切の船主の賠償責任をカバーする保険や、事故期間中に入らなくなるチャーター料を補填する保険もあるので、本船もこれに入っていたかもしれない。


荷物に関しては、これまでのところ積み荷のコンテナには損害がないようなので、荷主から貨物損害に関わるクレームは起きていないと思われる。ただ冷凍コンテナに積まれた食料品などはいつまでもつであろうか。仮に荷主より何らかの賠償請求があったとしても船荷証券(積荷の引き受け証)に記載された「航海過失は免責」とされる国際条約のヘーグ・ルールにより、まず船主は支払いを免れようとするはずである。なお船荷証券は通常は船社(エバー社)のフォーマットで、船社またその代理店が荷主に発行するが、用船契約と同じ法理によって運送に関する責任はエバー社でなくで船主にあると約款に記されている。今後もし本船の喫水を浅くして離礁させるために、クレーン船などを手配して荷物を一時陸揚げするなり他船に移動させれば、海上保険契約上で「共同海損」と呼ばれる事態となる可能性があり、多くの荷主を費用精算に巻き込む事になる。そういう事態に陥らないためにも、早期に本船が引き出され航海に復帰する事を望みたい。


「運河はスルっと通過するに限る」とパナマ・スエズ運河通峡の際に飛鳥Ⅱで出されるウナギの昼食
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2021年3月25日 (木)

"EVER GIVEN"スエズ運河で巨大コンテナ船座礁

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今回事故があった付近のスエズ運河(2018年飛鳥Ⅱワールドクルーズで撮影)

スエズ運河で大型コンテナ船"EVER GIVEN"号が座礁し運河を完全に塞ぐ事故が起こった。船主は日本の正栄汽船、運航会社(船社)は台湾のエバーグリーン社、船舶管理はドイツが本社のベルンハルト・シュルテ・シップマネジメント社となっている。AISデータを見ると座礁した地点はスエズ運河の紅海側起点から約5.5マイル(10キロ)の場所で、運河の西にエジプトの街、東側に砂漠を望む地域である。この辺りはエジプトとイスラエルが争った第4次中東戦争の戦車の残骸が運河を行く船舶から見えるほか、今でも非常時用に渡河に使う簡易ポンツーン(浮き桟橋)が運河沿いに準備されているきな臭いエリアでもある。スエズ運河の北部(地中海側)には水路が2本あり、北行き・南行きが別々になっている部分もあるが、残念ながら事故の起こった箇所は一つの水路を両方向に向かう船舶が共有しており、ここがブロックされると運河の機能は完全に麻痺してしまう。


本船はアジアからヨーロッパに向かうコンテナを積み、地中海向きの船団の一隻としてパイロットが乗船して(注:下記)紅海側錨地を早朝に出発、運河に入った直後に強風と砂嵐で進路を誤り、水路を完全に塞ぐ形で座礁したものと思われる。コンテナ船は甲板上の風に当たる面積も大きいので、強風に流されたのだろうか。折しも世界的な巣ごもり需要でコンテナの需給がひっ迫しており、今治造船で造られた2万個積みの新鋭・超巨大船である"EVER GIVEN"号は、写真で見ると喫水も満載の16米に達している。現在タグボートを使って、離礁作業が行われている模様だが、このような事故が起きるとその事故責任は日本の船主にあるのか、運航するエバーグリーン社にあるのかが話題になる。先般モーリシャスで起きた"WAKASHIO"の場合は、岡山県の船主が所有し商船三井が運航しており、両者が交わしているのが「定期用船契約」であることが判っていたので、船主責任が明確であったが、今回は正栄汽船とエバーグリーン社の用船形態によって責任の所在が違ったものになる。

 

正栄汽船とエバー社が本船を"WAKASHIO"と同じく「定期用船契約」でチャーターしているとすれば、その場合は船舶管理者のシュルテを起用しているのは正栄汽船と考えられ、すべての事故責任は船主・正栄汽船となる。船舶管理者とは乗組員を手配し、船舶保険やPI保険を付保、船体や諸機器の補修・整備を行って本船を航海に堪える状態にする外注事業者を云う。古くは船主がもっぱら自分たちで行っていたが、最近はこれを専門に行う業者も多数あり、シュルテ社も船舶管理の大手だとされている。(船舶管理者とその雇い主との責任関係についての説明はここでは省く。)同社は古くからドイツにある船会社で永らく船主業を営んでおり、私もかつて同社のバラ積み船をチャーター(定期用船)した事があったが、最近は船舶管理業社としても業容を伸ばしているようだ。正栄汽船は今治造船グループの会社で、もともとは今治造船が作った船の自社所有(ストックボート)を引き受ける役割であったが、近年は大手船主として国内・国外の多くの船会社(運航会社)に様々な種類の船を用船(チャーター)に出している会社である。ストックボートとは、自動車のディーラーが売れない車を取り合えず自社登録するようなものと云えば分かり易いだろう。


一方で、正栄汽船とエバー社のチャーター契約がもし「裸用船契約」であるなら、正栄汽船は船舶そのものを貸し出すだけで、エバー社側が船舶管理者であるシュルテ社を起用して本船を運航可能な状態にしていることになる。船主は本船の資本費相当の用船料をエバー社側から受けとるだけであり、今回のような事故の責任は一切なく、事故責任はエバー社側にある。船主は事故で本船が不稼働になっても、その期間の用船料も受領できる。日本の船主は伝統的にあまりヨーロッパ系の船舶管理会社を起用しないので、シュルテ社が使われていることからすれば、本船の用船形態は裸用船なのかもしれない。エバーグリーン社は台湾の大手コンテナ船会社で、エバー・エアなど航空業界にも進出しているのは周知の通り。設立当初から親日的な会社で、日本の造船所や日本の商社、日本の船主とも繋がりが深く、その一環で"EVER GIVEN"号を今治造船で建造、船主に正栄汽船を起用したものと思われる。現在、スエズ運河では必死で離礁作業が行われているのだろうが、もし運河の閉鎖が長引くようだと、コンテナ船だけでなくバラ積み船など、いま高騰している海運市況が一層上昇するかもしれない。

 

注)パイロット乗船中の事故でも一義的にパイロットには責任はない。パイロットは船長の雇人で事故責任は船長(または船長を雇う会社)にある。


この辺りは非常時の渡河用にあちこちにポンツーンの準備がされている
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【参考(過去の投稿)】
WAKASHIOの座礁油濁事故を考察する(2020年8月14日)
WAKASHIO の座礁油濁事故を考察する(続)(2020年8月22日)

2021年3月21日 (日)

「民都」大阪 対「帝都」東京 アゲイン

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久しぶりに本棚から取り出した本書

今朝の読売新聞”HON”の紙面では、原 武史氏が若き日の彼の著作「『民都』大阪対『帝都』東京」(1998年出版)を書いた経緯を綴っている。そういえば、かつてサントリー学芸賞を受賞したこの名著が本棚にあったことを思い出し、久しぶりに取り出してパラパラと読んでみた。原 武史氏と云えば、日本の政治思想史学者として最近あちこちで名前を見るが、専門分野の他に鉄道に対する造詣も深く、この方面に関する著作もいくつか出している。読売の紙面では、東大の助手として本業に専念せねばならない時期に、背水の陣の覚悟で鉄道に関する執筆活動にいそしんだ出版時の思い出が記されていた。そこには彼がこの本を書くことになった動機の一つが、阪急の梅田駅に足を踏み入れたことだとあって、改めてさもありなんと共感した。


読売新聞で原氏は「阪急がJR大阪駅に隣接してターミナルを構えながら駅名は『梅田』であること、大阪駅と梅田駅の間には屋根のない歩道橋しかかかっていないことに、心底驚いた。エスカレーターを上がった瞬間に視界が開け、宝塚線、神戸線、京都線が乗り入れる10のホームが現れる梅田駅に匹敵するターミナルは、関東私鉄にはなかった。」と記しているが、これを読んで東京で生まれ育った私も昭和38年に初めて阪急の梅田駅に降り立った際に、私鉄の駅とは思えないそのスケールに度肝を抜かれたことを思い出した。昭和40年代に高架式のターミナルになる前の阪急梅田駅である。


私が初めて阪急梅田駅を経験した当時、鉄傘と鉄骨の下に広がる梅田駅には「9号線にただいま入りますのは神戸線特急、神戸線特急です」という独特な声の女性アナウンスが響いていた。その放送を聞きつつ、関東では○○号線とは云わず○○番線と云うし、ただいまXXしますという表現も、東京ではまもなくXXします、だよな」とその違いを感じたものだった。今も関西に行くたびに気が付く東西私鉄の相違点をこのブログにも幾度かアップしているが、原氏ならずとも阪急梅田駅に足を踏み入れると関東とは異なる関西私鉄の存在感を肌で感じることができる。彼が本書執筆の為の取材を通じて「無意識のうちに東京を基準として日本を論じてきた思考の偏りに気づく」と読売新聞に述べているように、関西の電車に乗っただけで東西文化の差異についてさまざま考察できそうだ。


さて「『民都』大阪対『帝都』東京」は2008年11月11日にこのブログでアップしたが、その中で私は原氏の説に沿って「東武も東上線然り、伊勢崎線は北千住、西武新宿線は高田馬場で、京成も日暮里でJRに平行に連絡しており、国鉄を起点としてすべての鉄道網が形勢された事が明白である」として、官なにするものぞでターミナルを国鉄駅と違う場所に設けた関西私鉄と比較している。ところが昨年出版された竹内正浩著「妙な線路大研究・東京編」(じっぴコンパクト新書)には西武新宿線は早稲田、東武東上線も大塚まで、いずれも官とクロスして延伸する計画がかつてあったことが書かれていた。こうなるとなぜ東京では、山手線内に進出する案が計画倒れになったのか、その詳細を知りたくなってくる。鉄道の歴史でも研究が進むにつれて新しい発見があり、発達史や文化論が深められていくようで、この分野の進展が楽しみだと今朝の読売新聞を読みながら思っていた。

過去のブログ「民都大阪 対 帝都東京(2008年11月11日)」

2021年3月18日 (木)

歓迎 緊急事態宣言 解除

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東京など1都3県に出されていた緊急事態宣言が21日で解除される。当然と云えば当然であろう。すでに都内の盛り場には人出がかなり戻り、週末に行楽地に向かう高速道路の渋滞情報も頻繁に出されている。あい変わらず「いわゆる」専門家やメディアは「前週比」感染者が減っていないと煽っているが、ほとんどの国民は必要な対策をしていればそうそう怯える感染症でないことを肌で知ったのだ。私の周りでは云えば、弟嫁の95歳の母親が入居している高齢者施設で罹患し、その施設でも何人かウイルスに感染したと聞いたが、全員いずれも無症状、母親も微熱が出た程度で、深刻な状況には至らなかったそうだ。このケース以外にこの一年に親戚・友人・会社の関係者で武漢ウイルスに感染した人は周囲にはいない。つまり武漢ウイルスは、毎年流行するインフルエンザより、よほど深刻な病ではないと私には思える。


3月17日の読売新聞の「新型コロナ」”ワクチン あなたの場合は”という特集によると、この一年で国内で武漢ウイルスに感染した人は累計45万人だが、そのうち重症化した人の割合は50歳代で1.47%、60歳代3.85%、70歳代8.4%、80歳代14.5%、90歳代16.64%である。また年代別死者数は50代178人、60代579人、70代1,816人、80歳以上4,999人となっている。これを見て直ちに判るのは武漢ウイルスに感染して重大な事態に陥るのは、やはり70歳以上、殊に80歳以上の高々齢者であるということである。しかもこの死者の数はどのような既往歴があろうと、最後に武漢ウイルスに感染していればここにカウントされるというから、高齢者に関しては大幅に水増しされた数字である。一方で3月16日に厚労省から発表された統計では、11年ぶりに自殺者が増え女性と未成年の増加が顕著であること、夏場に自殺が多かったことなどがわかり、武漢ウイルスの巣ごもりや自粛、経済的な困難が背景にあるのではと指摘されている。すなわち高齢者を守るための外出自粛や緊急事態宣言の施策が、社会的な弱者と云われる若者や女性に影響を与えていると考えられる。


元気な若者は外で感染しても無症状の為知らずに家庭にウイルスを持ち帰り、家庭内で老人に感染させることが感染者数が減らない原因だとして、4都市圏ではこれまで緊急事態宣言が継続されてきた。しかし誇張された感染データを基にした老人保護を優先するあまり、ごく普通の経済活動が制限されるのはもう沢山だ。ここには常に問題視される日本の課題、すなわち過剰な高齢者保護が現役世代の負担となり、社会の活性化を妨げるという構図が見てとれる。老人、殊に高々年齢の人はどう抗っても若者より先に死ぬ確率が高いのだから、これらの人たちの感染対策に必要以上に気を使うより、国の基礎である経済を活性化し、次代を背負う人々を助ける事がより重要だと言えよう。緊急事態解除は、若者のためにも賛成である。高齢者である私だが、この一年ほとんど自粛などせず、どこにいっても空いている外食や旅行を静かに楽しんできた。緊急事態宣言が解除されたら少し混むだろうが、もっと大きな顔して外食に旅行に出かけられそうだ。

 

2021年3月15日 (月)

膀胱がん+前立腺がん治療記(6/6・最終)

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再び「はい終わりましたよ」の声で手術から目が覚めると、前回と同じように体はチューブやらセンサーに繋がれていた。開口一番「輸血はしたのですか」と主治医に聞いたところ、「出血は400ccほどだったのでしていません」と言われまずはホッとする。術後2日目には病棟の風呂場で点滴と尿道カテーテルのまま自分でシャワーを浴びて下さいとのことで、日々社会復帰へ向け体がなまらないように日課が組まれているのがわかる。2年前の入院と違うのは、武漢ウイルス禍で手術日と入退院日以外の面会が謝絶となった事で、徐々に回復して元気になるにつれ、一人退屈で仕方がなくなってきた。もっとも開腹手術で前立腺を取った時代には3週間以上の入院が必要だったそうだが、腹腔鏡手術になって10日ほどとなり、ダビンチの導入で私の場合は7泊で退院と入院期間は大幅に短縮されている。医療の進歩は実に素晴らしいものだ。


前立腺の全嫡出手術の合併症は尿漏れと男性機能喪失で、ほとんどすべてのケースで起こるらしい。尿漏れについては、尿道カテーテルを外すにあたり院内にあるコンビニで尿漏れパッドを購入したのだが、何しろこんなものを装着した事などこれまであるわけがない。面会謝絶で妻の助けが得られない中、買ってきた尿漏れパッドをどうやって包装から出し下着につけるのか皆目わからず、仕方なしに若い女性の看護師に手伝ってもらう破目になった。「すみませんね、ジジイの下着の中などの世話をさせて」とついペコペコ頭を下げると、「いいんですよ、わからない時はいつでも言って下さい」と微笑む顔がやはり白衣の天使に見えたものだ。


男性機能喪失の方は、やはり心理的には寂しいものがあるが、命の事を考えれば仕方なしと割り切ることにした。数年前に同じ手術を受けた演出家の宮本亜門氏は、今年1月23日の読売新聞「からだCAFE」欄で「男性機能喪失は心配したほど精神的ダメージを感じなかった」。 「 尿漏れには苦労したものの…高齢女性の多くが悩む症状で、男性には理解しにくい困惑や恥ずかしさを実感することができた。舞台の上の物語を書く上で必ず役立つ経験になる。」などと恰好良い事を言っているが、彼のように達観した心境になるまではもう少し時間がかかりそうだ。


今回も退院にあたり主治医からは特段の禁止事項はなかったものの、しばらくは禁酒し、運動も一か月検診で普段の生活に戻して良いと云われるまではウォーキング中心に抑えることにした。その後、毎日、骨盤底筋を鍛える体操を自宅で行っている効果もあってか、尿漏れは徐々に改善し、手術から7か月たった今では日常生活ではそれほど気にならない程度、尿漏れパッドも少~中量用を一日一回替えれば良いという状態である。ただしジョギングは想像以上に身体に上下の振動を与えるようで、走った後は尿漏れがひどいことがあり、あわててパッドを交換する日もある。暫くはマラソン大会の出場は無理だろうが、同じ手術を経験した友人からの「時間はかかるがだんだん良くなるから焦らずに」という助言を糧にしようと考えている。


会社の健診に続き、たまたま家の近所に総合病院があり、そこで受けた人間ドックで見つかった2つのがんに、周囲の人たちは皆「早くわかって良かったね」と云ってくれる。特にドックから診療予約して貰った同じ病院の泌尿器科の主治医の先生は素晴らしい医師で、すべてが良い結果におさまったのだろうと感謝する日々である。また日頃から体力をつけておく事は、手術・検査や治療の領域を広げることがわかり、ふだんの節制の重要性が改めてわかったことも大きい。その他、掛け捨てになるだろうと思いながら永年保険料を払い続けてきたがん保険は、今回の2回の手術で元をとった勘定になる。もちろん病にならないのが一番良かったが、ならなければ判らなかった事、この歳ではあるが学んだことが数多くあったと前向きに考ることにしよう。(了)

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2021年3月14日 (日)

膀胱がん+前立腺がん治療記(5/6)

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泌尿器科の主治医の先生は退院後の生活について、あれをしないで下さい、これをしないで下さいと云う禁止主義ではなく、普通の生活で無理せずできる事は徐々にしても良いですよ、と言ってくれる。よって盛夏にも拘わらず退院の翌日から近所のウォーキングを開始し、1週間後には軽いジョギングも再開できた。もっとも膀胱内はまだ手術後のキズだらけとあって運動時には頻尿感・残尿感が強い。すぐにトイレに駆け込める道を辿って走ると、一緒にジョギングする妻からは「女性はいざという時にすぐできないから、トイレスポットの事はいつも頭に入っているのよ。女性の気持ちが少しはわかるでしょ」との言葉。病気になってみて初めて気づく世の中の事も多いものだ。


その後、膀胱がんの標準療法ということで、手術から2ヶ月経過した2018年の秋口から、週に1回づつ、BCG薬液を尿道から注入する治療を6週間に亘って受けることになった。結核の予防で子供の頃に受けたあのBCGである。この薬液で人工的に膀胱内に炎症を起こし、がん細胞を取り除くのだそうだが、膀胱炎を人為的に起こすのだから、人によって高熱、痛み、血尿などに悩まされるらしい。幸いなことに私は、この期間にごく軽い血尿を自覚した位で乗り切る事ができ、年末の内視鏡検査を経て、ひとまず膀胱がんの治療が終了した。こうして、正月明けの人間ドックから飛鳥Ⅱの世界一周クルーズを挟み、予期せぬ泌尿器の疾患に忙殺された2018年が終了したのだった。この頃になると残尿感や頻尿も日々改善されてきた。


明けて2019年、数か月おきの採血・採尿と膀胱内視鏡、MRIやらCTシンチテスト検査など膀胱の術後経過と前立腺に関する各種の検査を受けつつ、手術から一年した夏場になると先生は、「膀胱は順調に回復しているから、そろそろ前立腺を考えましょう。諸検査で中にがんがあるのは分かったのだから」とそちらに言及する発言が多くなってきた。ただPSAは5.0前後で推移しているし、もう手術など真っ平だから、なんとか放射線治療など手術以外の方法がないのか、こちらは先生に幾度か尋ねてみる。しかし前立腺に放射線を当てると手術をした膀胱に影響を及ぼす恐れがあるので、それは選択肢に入らないそうだ。「最新のダビンチ(腹腔鏡ロボット)が入ったばかりです。〇〇さん(私)の為に入ったようなものですね。〇〇さんは持ってますね」と彼はやはり摘出手術を薦めるのである。傍らで付き添いの妻は「取ってすっきりすれば良いのに」と呟くが、先生はこちらの希望を察すると「それなら再度生検を行って慎重に進めましょう。それは医師にとってもこれこれのメリットがあることだから」などと患者に寄り添って代替案を示してくれるのが嬉しかった。


かくして2020年春。先生は「前立腺がんの悪性度は中程度、この前のMRI検査では影がやや広まっているようです。このまま放置しておいて良いという訳にはいきません。今年はウイルス禍で長い旅行が中止になったそうですし、もう思い切って取ってしまいましょう」と今度は有無を言わせぬ雰囲気である。ここに至れば「この先生が言うなら信じて従ってみよう」と清水の舞台から飛び降りる覚悟で前立腺手術をお願いすることにした。もっとも今回は小さな器官とはいえ身体の一部を摘出するし、全身麻酔の腹腔鏡ロボット手術は時間がかかるとの事で、身体が手術に耐えられるのか多くの術前検査が待っていた。脳や胸、循環器などの検査に加え、人工呼吸のため挿管するため歯医者の検査まで1か月ほどかけてのチェックである。これだけ色々調べられると、当該部分を除き却って身体中が異常なしという気がする。こうして昨年の夏に、今度は前立腺手術でまた同じ病院に入院することになった。(続く)

2021年3月13日 (土)

膀胱がん+前立腺がん治療記(4/6)

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103日間の飛鳥Ⅱ2018年世界一周クルーズはあっという間に終わってしまった。船上生活中は下半身の病気などはすっかり忘れており、このまま何もなかったことにして逃げてしまおうかとも思ったが、帰国後の診察日や生検入院も主治医の先生と決めてしまったからそうもいかない。久しぶりに自宅に戻った翌週、7月上旬に決まっていた予約の日は重い足を引きずり病院へ向かい、月末に予定する2泊の生検のための診察と諸検査を終えた。ところがその翌日午前中、家でクルーズの土産ものを整理してくつろいでいると、突如携帯電話に先生から電話がかかってくるではないか。「昨日の検査ではどうも膀胱の方が良くないので、今日午後に病院に来られますか」との事だ。病院から電話がある時はろくな事がない、とよく云われるので、妻に付き添ってもらい押っ取り刀で青い顔して病院に向かった。


先生の話では今度の尿検査の結果、膀胱がんが疑われるのですぐに内視鏡で確認し、月末の入院はもともとの生検の目的から全身麻酔による膀胱がんの内視鏡手術に変更、前立腺の生検はその時に一緒にしようというものだった。前立腺は今日明日の問題ではないので、膀胱が落ち着いた後にそちらの手術をしましょうとの事。よって今回の入院も当初の2泊予定から1週間に伸びることになると説明があった。天国のような洋上クルーズ生活の余韻も消えぬうち、一挙に地獄へ落ちたようなもので、「天国と地獄」とは正にこの事かと嘆きたくなった。こうしてあれよあれよという間に2018年7月末、膀胱がん除去手術のために入院させられることなってしまった。


当時の日記には「手術前夜は緊張で眠れず、夜中まで妻や姪とLINEをする」などとあって人生初の試練に狼狽する様子が誌されている。手術室にはオリンパスなどの光学メーカーの機器が沢山あって感心した事を覚えているくらいで、麻酔薬が点滴で体に入ったのかと思ったら、次は「はい終わりましたよ」の看護師さんの声で目を覚ましていた。身体中をチューブやらセンサーに繋がれ身動きがとれずストレッチャーに乗せられ、手術室を後に長い廊下の天井照明が流れ行くのを眺めながら、これは映画やテレビで見たような情景だが、それが現実に我が身に起きている事なのだと妙に覚めた頭で悟ったことを思い出す。妻には手術直後に先生から「膀胱の内壁にあったガンをすべてレーザーで焼き切りました」と写真入りの説明があったそうで、本件を割と軽い感じでとらえていた彼女は、焼け野原の様になった膀胱の内壁を見て「結構大変なことだったのかも」と認識したようだった。


手術後は日一日とセンサーやら管が抜け、ゴハンも五分粥から普通になっていき体が回復していくのがわかった。数日して残ったのは腕の点滴と、尿道カーテル及びその先にあるビニールの採尿バッグであった。膀胱手術後の血尿も時が経過するに連れて少しづつ色が薄くなっていくのだが、視界に赤みを帯びた尿がたまっているビニール袋があるというのはやはり何とも不快なものだ。高校1年生の姪が見舞いに来てくれた時に、思わず採尿バッグに目隠しのタオルをかぶせると、母親(義妹)は「私一人で見舞いに来た時にはお義兄さん、バッグを隠さなかったじゃない。おばあさんが入っている混浴風呂では何も隠さないのに、若い娘が入ってきたら急に前を隠す男性みたいな??」などと茶化して無聊を慰めてくれたのは良い刺激。内視鏡手術はやはり体への負担がそれほど大きくないようで、こうして1週間で無事に社会に舞い戻ることができた。(続く)

 

2021年3月12日 (金)

膀胱がん+前立腺がん治療記(3/6)

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2018年春から夏にかけて懲りずに自身3回目の飛鳥Ⅱワールドクルーズに乗船する事を決め、2017年内に嘱託だった第三の会社を退社。飛鳥Ⅱには日本人船医も乗船しているとはいえ、陸地を離れた洋上で一番怖いのは病気である。ということで100日のクルーズを前に、2018年1月に近所の総合病院で半日人間ドックを受ける事にした。5万円もする人間ドックとはいえPSA検査は追加料金有りのオプション設定ではあったが、たまたま受診者が少ない正月明けのプロモーションで、この時期に限りPSA検査は無料にします、ということである。前立腺は気になっていたことでもあり、このオプションを申し込むことにしたが、こう見ると私にはPSA検査となぜか切っても切れない縁があったようだ。


ドック受診から2週間ほど経った頃、郵便で届いた結果報告書の封をおそるおそる開けると、体のほとんどの部分は概ね健康であったものの、やはりPSA値は5.218で「要精密検査」と記されている。さらに定型の報告フォーマットに加え病院の健康管理センター長名で「尿検査の結果、異形細胞が±(擬陽性)になっております。3か月以内に泌尿器科をご受診されるようお願い申し上げます」とのレターが尿検査の細かい結果とともに同封されていた。はて尿の異形細胞とはなんだろうかと耳慣れない用語に戸惑いつつも、100日の海外洋上生活を前にさすがにあまり呑気にしていられないと、2月半ばにドックを受けた病院の泌尿器科に予約を入れることにした。


人生初めて受診する泌尿器科である。診察室前の椅子には老人の男性が目立ち、奥さんらしき女性に付き添われている人も他科に比べて多いようだ。そういう私も不安で妻に来てもらった。出産以外で婦人科に付き添う男性はあまり見ないそうだが、泌尿器科では夫人同伴の男性が目立つとは男は弱いものだ。さて診察室の扉を開けて、その後長くお世話になることになった主治医に対面すると、彼は50歳前の働き盛りという感じのすっきりとした先生であった。先生にはまずこれまで数年間のPSAの変化の経緯とドックで見つかった異形細胞の事を説明し、さらにこの後にクルーズで7月初めまで海外に旅行することを告げる。


確かな事は精密検査をしてみなければわからないが、PSAがこの一年強で4.2~4.4から5.2と1近く上昇した場合は前立腺がんの可能性が疑われると統計値を出して、主治医は理路整然と解説してくれる。異形細胞は膀胱または尿路に何らかの問題があると思われるが、両方ともまだそう緊急性が感じられないので、クルーズから帰ったら直ちに2泊の入院で前立腺の生検をし、併せ膀胱内視鏡で中を見てみましょうと提案をされた。麻酔をするとは云え、生検は直腸から針を10数回も刺して前立腺の細胞をとるもので、ついでに膀胱に内視鏡を入れると聞くと、想像するだけで卒倒しそうだ。ただ100日ものクルーズの後の事などまだ及びもつかない遠い未来であると気を取り直し「その時はなんとかなるさ」と腹をくくって先生の方針に従うことにした。


その日、話が終わるとやおら先生は「ズボンと下着を脱いでそこの診察ベッドの横になって下さい」と言う。一体何をされるのかとビクビクしながら横になると、下腹部のエコー検査に続いて、ビニールの手袋を付けた彼が私の尻の穴に指をいれて腸の中を探り始めた。そういえば映画「花嫁の父」で主役のスティーブ・マーチンが泌尿器科に迷い込んで同じように触診されそうになり、絶叫して逃げ出すというシーンがあったが、それが笑いごとではなく我が身におこっているわけだ。えらい事だ。これから泌尿器科のお世話になるということは、こういう恥ずかしい場面も多々経験することを覚悟しつつ、「今直腸から触った所では、前立腺はそう肥大していませんし、明らかに異常という感じもしていません」という主治医の説明を夢の中の出来事のように聞いていたのであった。(続く)

2021年3月11日 (木)

膀胱がん+前立腺がん治療記(2/6)

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膀胱のすぐ下に前立腺はあります

そもそも前立腺とは何か。先般、旧友に会った際に「前立腺の手術をしたよ」と話したら「え、おチンチンをとったの?」と云われのけぞったのだが、そういう私でさえ自分が罹患するまでは前立腺がどこにあって何をするものなのかまったく知らなかった。調べてみると前立腺は膀胱のすぐ下、直腸の前面にあり、その中を尿道を走るごく小さな生殖器官であることがわかった。睾丸で作られた精子が前立腺のすぐ後ろにある精嚢に蓄えられ、射精時に前立腺でできる液体とともにここから尿道へ出ていく構造になっているのだそうだ。射精する時には尿が出ないのは、前立腺内のバルブが尿と精液の通過をコントロールしているのだが、泌尿器科の診察室にある男性の下腹部の解剖模型を見て、今回初めて前立腺の存在を意識したのである。機械でいえば内燃機関のセトリング・タンクとサービス・タンクが一緒になったようなものなのだろう。


で、いよいよ訪れた2015年秋の会社の健診で、PSA値は予期した通り正常値と云われる4.0を突破して4.11となり「再検査が必要です」とやんわり書かれた診断結果を貰った。ただその年には直ちに泌尿器科を受診しなかった。それは健診の直後、2015年12月から嘱託契約の会社を休職し、約100日間の飛鳥Ⅱ「南極・南米ワールドクルーズ」に出発することが決まっていたことが大きい。それにPSA値はがんだけでなく老化でも上がるし、前立腺肥大や服薬、その他自転車のサドルでこすれても上がることがあるなどと云われており、あまり神経質に考えることもないしだろうという自己判断が働いたものと思われる。何の自覚症状もない中、あまり知りたくもないことはなかったことにしようという心理が働いたと共に、当時話題になった慶応病院の近藤誠氏の「定期検診などを受けるのはやめよう」「病院に行くのは自覚症状が出てからで十分」などの説に影響された面もあったと記憶している。


飛鳥Ⅱ「南極・南米ワールドクルーズ」から帰国後、復職して受けた2016年秋の健診では、やはりPSA値は更に上昇して4.41となっていた。気にするのは止めようかと思いつつも、やはりいつまでもそうも言っておれず、会社の診療室に来診する産業医のドクターに相談にいった。その日、巡回にきた先生は有名な医科大学のベテラン循環器科の医師で、我がPSA値をみるなりしばし「ウーン」と唸りながら考えたのち「もう一回血液検査をしてみますか」との指示。その日に採血した再検査数値は4.28とやや下がり、後日結果を持って先生に再び相談すると「下がったのなら、まあ、様子をみましょうか」との事。別の診療科目とは云え、医療のプロが自分の病院に来いともいわず、この程度なら様子見するか、という云うならまあ大したこともなかろうと、その後は前立腺の事は忘れることにした(続く)

2021年3月10日 (水)

膀胱がん+前立腺がん治療記(1/6)

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今日は2年半前に受けた膀胱がんと昨年受けた前立腺がん手術の定期的な経過観察の日。まあ、何も問題ないだろうと思いつつも、病院に向かう道すがら、やはり不安と心配が胸をよぎる。血液検査、尿検査に膀胱内視鏡チェックの結果、主治医の先生からは「両方とも術後は順調ですね。次は5か月後で良いですよ」と云われホッと帰宅したところである。泌尿器系の病気になるなどとは若いころには想像もしなかったことで、ましてや「私もたくさんの患者さんを見てきたが、膀胱と前立腺両方に転移ではなく同時に癌があった人は5人くらいです」と先生から云われた時にはどうなることかと思ったものだ。心配で最初の診察から付き添ってくれた妻は「癌が二つあると先生から云われた時のあなたは目が潤んでいたわよ」と言っている。


振り返れば60歳過ぎになるまで手術はおろか本格的な入院もしたことがなかったし、痛みには大げさに反応するうえ血を見たりするのも嫌なほど気が小さい性分だったが、我が身に降りかかった災いを経験してちょっと人生観が変わったような気がする。先日、若い知人から一時的な血尿が出たため膀胱内視鏡検査を受けなればならないがどんな感じですか、と聞かれ「想像すると気持ち悪いだろうけど、それほど怖かったり痛かったりしないよ」と送り出したことがあった。後日「検査はどうだった?」と彼に聞くと「痛くて痛くて気が遠くなりそうでした」とのこと。こういうものは幾度も経験してみると違和感や怖さが薄れ、それだけ痛みも感じなくなるのだろう。あまり経験したくはない事とは云え、何事も慣れが平常心を保つには必要。これから年を経るにつれて怪我や病気、それに老化で医療行為とはより関わりが増えるだろうから、今回の入院や手術も人生の経験の一つだと思うことにしよう。


そもそも前立腺の事を意識するようになったのは10年ほど前、まだ50歳代後半時の会社の健診で血液検査の項目にPSAがあったことからである。PSAとは、主に前立腺がんが発生すると血液中に増加するたんぱく質のことで、前立腺がんのスクリーニングに用いられる腫瘍マーカーである。ふつう一般健診ではPSA検査は「オプション」扱いとなっているのがほとんどのところ、当時勤務していた会社の健診にはなぜか自動的にこれがセットされていた。もともと前立腺がんは欧米の白人に多いと云われていたのだが、日本でも高齢化や食生活の洋風化、PSA検査の普及もあって近年は前立腺がん発見が増え、今では胃がんを抜いて男性のがん罹患者では前立腺がトップなのだと云う。たまたま勤めた第三の職場の健診で、毎年自動的にPSA検査を受けられたのは今思うと幸運だったのかもしれない。


当時の検診結果を出してPSA数値を較べてみると、2009年は1.6、2011年2.1、2012年2.31、2013年3.07、2014年3.64と毎年確実に数値が上がっている。PSAが4.0を超えると前立腺がんの可能性が高くなるため泌尿器科を受診すべしと云われている中、2014年の3.64という値を前に「来年は確実に4.0を超えるな、何か考えなければいけないのか」と一抹の不安を胸に抱き始めた。そのころ会社の医務室に努める顔馴染みの看護師さんに「PSAが4.0を超えて病院で受診したらどういう事をされるの?」と聞くと、さらっと「生検と言って直腸側から前立腺に針を刺してがんがあるか調べたりします」と言われて思わず言葉を失い、本件については翌年の検査まで極力何も考えないことにした。 (続く)

2021年3月 4日 (木)

臺灣加油(がんばれ台湾)・パイナップル支援 "SUNNY HILLS"

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原産国 台湾 パイナップルケーキ

テレワークで家にいる間に妻が一人ジョギングに出かけたが、いつまで経っても帰ってこない。スマホを持ちながら走っているはずなので、どうしたのかと電話すると、表参道にある台湾のパイナップルケーキの店 "SUNNY HILLS"まで遠征したと言う。そこでケーキを買いこれから地下鉄で帰って来るところらしい。そういえば中共が台湾産パイナップルを3月1日から禁輸することにしたとニュースが流れたから、台湾を応援する意味でこれは良いことをしたと彼女の帰りを待った。報道によれば台湾では年間40万トンのパイナップルが作られ、そのうち4万トンが中国に輸出されていたが、中共は有害生物が検出されたとして急遽輸入禁止にしたそうだ。


パイナップルの産地である台湾南部は、現在の蔡英文政権の与党・民主進歩党が強い所で、今回のイチャモンは、蔡政権の反大陸の動きに対するけん制措置であると云われている。武漢ウイルス発生について真相を求めるオーストラリアに対して、同国産のワインに高関税を導入したのと同じ類の嫌がらせである。新疆ウイグル地区での人権弾圧、香港の民主化阻止、南シナ海や尖閣での緊張拡大などその本質を隠さなくなった「ならず者国家」中共に対し、簡単には屈しない蔡政権を応援したくなるのが日本人というものだ。特にあの東日本大震災の際に一早く応援に駆け付け、アメリカ合衆国とほほ同額である29億円もの義援金を差し出してくれたのが台湾である事は記憶に新しい。


ただ今回の禁輸で中国へ輸出できなくなった4万トンのパイナップルは、台湾国内の反中共の盛り上がりで大いに売れたほか、日本も輸入を大幅に増やしているとのこと。我が家でも台湾パイナップルを応援し、中共に一泡吹かせたい一心で、妻は以前からちょっと気になっていた店に急遽走って行くことにしたらしい。こうして表参道の"SUNNY HILLS"で買ってきたケーキは原産国名:台湾と表記されており、小分けの紙袋から茶色のケーキを取り出して食べると甘さが控えめ、こってりした菓子が多い世の中の風潮に反する素朴で優しい味であった。大陸の中共がどう出ようと台湾のWHOオブザーバー参加を支援するなど、日本はもっと台湾に寄り添い接近すべきだ、と思いながらコーヒーと共にパイナップルケーキを楽しんだ。義を見てせざるは勇無きなり。

南青山"SUNNY HILLS"の店舗
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2021年3月 2日 (火)

みずほ銀行のATMトラブル

2月28日(日)にみずほ銀行のATMで預金引き出しなどの操作が出来なくなるばかりか、機械に入れたキャッシュカードや通帳が戻ってこないというトラブルがおこった。私もみずほ銀行のATMを日曜日や休・祭日に利用するから他人事とは思えない。現金が出てこない上に、マシンに吸い込まれたキャッシュカードが戻ってこなかった例が全国で5000件以上との事で、休みで行員もいないATMを前にして、備え付けの電話でセンターに連絡しつつイライラして待った人が日本中にいたのである。今朝の読売新聞によると 「2月28日は定期預金の定期的な更新作業と合わせ、一定期間取引がない『定期預金口座を管理する不定期の作業』が同時に行われた。作業量がシステムの処理能力を上回ったことが障害の原因」  との事だ。


それにしても2002年にみずほ銀行の統合以来、これで大規模なシステム障害が3回目である。みずほ銀行のシステム運営には何か根本的な欠陥があるのではないだろうか。今回のトラブルの原因となった「預金口座を管理する不定期の作業」と云えば、2月15日午前、みずほ銀行から突如「重要なお知らせ」としてダイレクトメールが来て驚いた。そこには「お客さまは2021年1月末時点で過去1年以上通帳への記帳をされていない口座をお持ちの状況です。つきましては上記に該当する口座は、2021年2月下旬~3月上旬にかけて通帳を発行しない『みずほe‐口座』に自動的に切り替えさせていただきます」とあった。


いきなりの通知に何事かとメールを読み進むと、質疑応答形式で「Q.通帳への記帳はいつまでできますか?A.通帳未記帳明細がある場合、2021年2月26日金曜日までは通帳記帳いただけます。」とある。各銀行は開設されたまま使用されていない口座が増え、その管理コストで困っているそうだから、その対策に乗り出すのだろうが、それにしてもいきなりの通知から2週間以内に記帳しなければ、勝手にe‐口座に切り替えるとはショート・ノーティスすぎないか。そもそも銀行の口座に関しては、かつて友人たちから 「銀行に就職したから配属された支店にぜひ口座を作ってくれ、預金は100円でもよいよ」 などと必要もないのに強引に口座開設を要請された覚えがある。e‐口座では通帳の再発行にカネをとるそうだが、今になって昔の口座の管理負担が重いから勝手にそちらに移すとは余りにも一方的な措置だと云えよう。


ただ来たメールを読み「はて?自分には記帳していない口座などがあったか?」と不思議だったので、メール末尾にある問い合わせ先に電話をするが、これまた幾らかけても「只今混み合っております、後でおかけ直し下さい」という録音対応である。一時間たっても埒が明かず、仕方なくいつも電話をかけてくる支店の外回り担当者に電話したところ、未記帳分はふだん気にかけていない貯蓄性預金やe-口座とは関係ないと思っていた外貨預金のものだと判明した。その担当者によるとこの急なメールを受けた顧客からの問い合わせが多く、問い合わせ用の回線が混雑していたとのこと。過去に開設したものの記憶の外にある口座や、少額の金を預けてそのままになっている口座は全国にはあまたあるだろうから、問い合わせ殺到も当然の事だ。


今回のニュースを聞き、僅か2週間(10営業日)前の通知で、不利になりたくなければ預金者は月末までに記帳を終えろと云う、一方的かつ性急な『定期預金口座を管理する不定期の作業』が、システム障害を引き起こした一因であることがわかった。みずほ銀行は、記帳をしていない口座を勝手にe-口座に移行するのでなく、この問題に関して利用者に丁寧に周知徹底をし、十分な移行期間を置くことが必要ではなかったか。たとえば「窓口で対応するので、今後一年以内に身分証明や古い通帳を持って全国どこでもよいので当行の窓口でお尋ね下さい」などと対応していればシステム障害も防げたはずだ。また「過去一年の未記帳期間」も短すぎで「過去3年未記帳」くらいが妥当と思う。システムに関しては門外漢で詳細はわからないが、こう何度も大規模なシステム障害を起こすとなると、みずほ銀行には、拙速を排するという体質改善が必要だと考える。

 

注)昨年11月26日にみずほ銀行から「通帳デジタル化につきまして」のメールがあり、よく見ると一年以上の通帳未記帳者はe-口座に移行します、とある。しかし同メールには受信者が一年以上未記帳者かどうかの表示はなく、ごく一般の広報・宣伝メールに思われ、これを見て自ら何かする必要があると思いつく人はごく少ないだろう。

 

2月15日のみずほ銀行からのDM。いかにもSHORT NOTICE
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