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2021年1月

2021年1月31日 (日)

中国海警法が明日から施行・トランプ氏をけなしバイデン新政権を礼賛している場合か

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茂木外相とバイデン政権のブリンケン国務長官との初電話会談で、またぞろ尖閣諸島は日米安全保障条約の適用内であることが確認されたとの報道が為された。日本はアメリカの大統領が代わると毎度この問題で新政権の保証を求めているが、恒例の報道を聞くたびに、如何にわが国が米国の保護国家であるかがわかって不愉快になる。「大丈夫ですか?本当に尖閣を守ってくれますよね?約束はたがえませんよね、本当ですよね?」と親分が変わるたびに疑心暗鬼となり、強迫観念の如く三下奴が親分の庇護を再確認しているようだ。日本は安全保障に関しては、正に幼児のような国家である。それほど心配であるのなら、少なくとも尖閣防衛に関して中共に対抗できる防衛力を整備し、日本人が断固戦う姿勢を見せることがまず必要であるにも拘わらず、毎度変わらずアメリカを前面に押し出し「アメリカさん、守って下さい」と見える卑屈な政府の態度に呆れてしまう。


いくら日米安保の適用範囲内と米国が言っても、尖閣諸島に日本の施政権があり、ここを実効支配していなければアメリカが助けてくれるかどうかは不明である。アメリカは領有権の論争には関与しないし、対中国強硬策はバイデン政権となってどう変わるかはまったく予断を許さない。おりしも中共は公船の武器使用を認める海警法を改定し、明日よりこれを施行すると云う。対する我が海上保安庁は外国の軍艦や政府公船には武器は使わないと自己規制ルールで縛られているのだから何とも情けない。尖閣の実効支配を内外に示そうと、中国海警やその後ろに控える中国海軍が実際に火器を使用する日も近いことだろうが、そういう事態になり初めて日本人は自衛のために武器を取らねばならないことに気がつくのだろうか。私も2012年に石原都知事が創設した東京都尖閣諸島寄付金に1万円を寄付「尖閣諸島寄付金を払う(2012年5月16日)」したままだが、14億円も集まったこの基金はまだ金庫の中にあるそうだ。尖閣諸島のニュースに触れる度に、この基金の有効利用を願いつつ、アメリカにすがるばかりで手を打たない我が国の安全保障政策に暗澹たる気持ちになる。


案の定、バイデン新政権のサキ大統領報道官が、中国に対して米国は「戦略的忍耐」が必要との見解を表明した。「戦略的忍耐」とはオバマ元政権の対北朝鮮政策のキーワードで、北朝鮮が非核化に向けた具体的な取り組みに動くまで交渉に応じない待ちの姿勢を意味したが、結局これは北朝鮮に核開発を進展させる時間を与えるだけに終わった最悪の愚策であった。中国にズブズブの関係と云われたバイデン氏が率いる政権がいま持ち出す「戦略的忍耐」というワードはいったい何を意味するのか。トランプ氏の対中国に対する一方的な強行策と反対に、早くも対中融和へ進まんとするバイデン政権の弱気の本音がぽろっと出たのではないかとも解釈できる。米国の著名な戦略家ルトワック氏は月刊HANADA3月号「未来の鍵を握る日本の戦略」で、バイデン新政権の気候変動問題の大統領特使になるジョン・ケリー元国務長官は、環境対策の見返りに尖閣をよこせという中国の取引に応じる恐れもあると警告を発している。世界の分断を招いたトランプに対し、融和をはかるバイデンなどと単純に持ち上げる日本メディアだが、この新政権が本当に日本の後ろ盾となり尖閣の安全保障を全うしてくれるのか甚だ疑問だ。日本はいかなる中共の覇権主義と軍拡に、まずは自力で立ち向かう覚悟が必要ではないか。

2021年1月26日 (火)

「電車を運転する技術」西上いつき著

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鉄道趣味にはいろいろな分野があるが、ポピュラーなのは列車の運転席を見ることだろう。鉄道好きの男子ならば(最近は鉄子もいるが)、一度は電車の運転台(キャブ)に乗って自らがあの鉄の塊を動かしてみたいと思うはずだ。そんな憧れの場、運転台とはどういうものか、もと名鉄の運転士が執筆した新刊「電車を運転する技術(運転台のリアル)」(発行SB クリエイティブ)を本屋の店頭で見つけて購読した。私は電車に乗ると「かぶりつき」に陣取り、目前に迫る線路際の標識や信号、それに応じて巧みにマスコンやブレーキハンドルを操る運転士の所作、各種計器が示す車両の状況などを観察するのを楽しみにしているが、この本ではガラス超しに見るだけでは判らないキャブ内の真相が元プロによって紹介されている。


ページを繰ると、まず運転士の持つカバンの中には何が入っているかに始まり、車輪の「空転」や「滑走」が起きやすい場面やその対策、ダイヤより遅れた時の回復運転の方法、マスコンノッチの投入方などファンには興味津々のトピックが並ぶ。電車のブレーキでは、電力回生ブレーキが失効しやすい場合やら「2段制動3段ゆるめ」「階段制動階段ゆるめ」などかなりマニアックなテクニックも紹介され、なるほどと読みながら思わずニヤリとしてしまう。2007年に碓氷峠鉄道文化むらでEF63の体験運転「電気機関車は腰で運転する(2008年3月10日)」をした際に、「牽引する後部車両のブレーキの効き具合を『腰』で感じながら電気機関車は運転するものだ」という指導機関士の説明が印象的だったが、電車でも同じような感覚だそうで、電車と電気機関車の制動感覚にはそれほど差がないのかとちょっと驚きの箇所もあった。


その他にラッシュ時の運転やら悪天候時の注意など、興味尽きないトピックがテンコ盛りだが、1人前の運転士になるのはどのくらいの教育や経験が必要なのか、見習い運転士時代の教官との関係や葛藤など、一般人には見えない舞台裏の苦労も本書ではいろいろと披露される。以前、山陽本線の電車であったろうか、運転席の後ろにオムツの予備がおいてあるのを見て、「ちょっとトイレへ」などと云えないキャブの厳しさを見た気がしたが、その実態について一部でもこの本で触れることができ、定時に列車を運行する勤めの重さを改めて思い知った気持ちがした。先輩から受け継いだ安全運転のDNAが組織で脈々と流れているとして筆者は本書を閉めている通り、膨大な先人の知恵や経験の集積に現代の科学技術の成果が融合し、鉄道の定時・安全・快適性が担保されていることが本書でも理解できるのである。

2021年1月23日 (土)

金曜の夜なのに・・・・

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金曜の宵というのに人通りもまばらな銀座・並木通り

昨日は久しぶりの出勤日だった。仕事を終え天気も良いので、たまにはうまいメシを喰おうと妻を呼び出して銀座の天ぷら屋へ向かった。いま我々にできることは少しでも飲食店を援助することだ。妻と待ち合わせてそぞろ歩く銀座は5時過ぎだというのに人通りが少なく、中央通りの歩道も広く感じる。ただこんな早い時間にも関わらず、タキシードやダークスーツでびしっと決めたいわゆる「クラブの黒服」店員がビルの入り口にやけに目立った。どうやら緊急事態宣言で飲食店の営業は8時まで、酒類の提供は7時までと云うことで、普段は8時~9時開店の銀座も夕方の5時から営業しているのだろう。冬とは云えまだ明るさが残る時間、パーマをかけたばかりで職場へ急ぐホステス女性の派手な姿が酔客もいない街路で目をひく。


会社の接待費で昔よく来た銀座のバーやクラブはまだ健在かとビルにかかるネオンサインを見ると、知っている店の幾つかはつぶれたのか営業をやめている。あのママはどうしているのかとビルを見上げているうちに、この辺りも大混雑だったバブル時代の事を思い出した。あの頃はとにかく帰りの足であるタクシーを捕まえるのに必死で、お店に入るなり顧客のためにかかり切りでタクシー会社に配車依頼の電話をしていた。だがタクシーのチケットが乱れ飛んだ時代とあって、夜も更けるにつれ簡単にタクシーが捕まらず、大日本帝国(大和・日交・帝都・国際交通の四社)などはお得意様向け用に電話の裏番号があったし、運転手と個人的に契約している同僚もいた。それでも捕まらない時は寒空の下、土橋ガード下の四社の配車場に並んだが、その乗り場も今はもうなく「強者どもの夢の跡」という言葉が浮かぶ。


そういえば昨春、武漢ウイルス騒ぎが始まった時分には、パチンコ屋で感染すると云われたが結局パチンコ屋からクラスターが出たという事実はなかった。その後はGOTOトラベルが諸悪の根源にように云われ菅首相が批難されたが、GOTOが感染を広げたというエビデンスもなかった。そして今は飲食店やバーがスケープゴートになって銀座は閑古鳥が鳴いている。ここへ来て政府は休業や営業時間短縮に応じない業者には罰則を科すというが、基本的人権を損ねかねない法改正を拙速に強行してよいのか。日ごろ何かというと「人権」「憲法違反」と叫ぶサヨクや憲法学者たちが、今おし黙っているのが不思議だ。小池都知事やら医師会長の上から目線の自粛要請は「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」と国民に自粛を強いた戦時下を彷彿とさせる。天ぷらを堪能しガランとした銀座の街をほろ酔い気分で家路につくと、早く一億総ウイルス狂騒曲を終わらせ、街に元気が戻ってきて欲しいとの思いがますます強くなった。

2021年1月21日 (木)

日本のメディアの軽薄なトランプ叩き

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どうしてしまったのだろう読売新聞は。本来は穏健な中立右派のはずだったのがどうも最近の論調がおかしい。我が菅政権に対しても冷ややかだが、特に気になるのが米・トランプ政権に対する極めて否定的な紙面作りである。先日起こった過激な支持者(と云われる集団)の議会への突入あたりから、特にトランプ批判が強くなったようだが、あの暴力的な集団が本当にトランプ氏の擁護派だったのかはまだ分かっていない。大統領選に僅差で敗れたとはいえ(本当の得票数はいまだに謎のままだが)、わかっているだけでも全米の市民から7000万票もの支持を集めたトランプ氏である。武漢ウイルスが米国内で猖獗を極めなければ、多分彼が大統領選挙に勝利していたとも言われている。こうした中でトランプ降ろしに狂奔したアメリカの多くのマスメディアの尻馬に乗り、一方的にトランプ叩きに乗るような読売の紙面がどうにも浅薄に見える。

 

「トランプ政権・『負の遺産』はあまりにも大きい」とする昨日(1月20日)の読売新聞の社説を読んでみよう。「国際秩序と民主主義は、この4年で深く傷ついた」として、中国に対する「制裁関税による圧力は保護主義の拡散を生んだ」「中国の力の増大を踏まえれば、同盟国と連携して対処するのが筋である。それにもかかわらず…同盟国への極端な防衛負担増要求と海外駐留米軍の削減に動いた」「トランプ氏は世界保健機関(WHO)からの脱退表明などで、国際的な枠組みも否定した」「専門家を軽視し、直言する高官を次々に更迭した独善的なスタイル」「移民への敵意や人種間対立を煽ったトランプ氏」とさんざんである。

 

しかし武漢ウイルスで混乱するまで、トランプ氏の在任中に米国の経済は順調、失業者が減り雇用も拡大してきたのは事実である。また強いアメリカを取り戻すと彼は公言してきたが、結局その在任4年間に米国は世界のどこでも一つも戦争を起こさなかった「最も平和的な大統領」でもあった。中国べったりだったWHO脱退だけでなく、どうにも胡散臭い利権と怪しげな仮説からなる温室ガス排出規制のパリ協定から離脱したことにも拍手を送られて良いだろう。覇権主義をますます露わにする中国に対し、他の政権だったら様々な思惑に縛られなかなか実行が難しかったであろうなか、いとも簡単に次々制裁を繰り出したその手腕は大いに評価されよう。なにより欧州諸国や韓国と異なり、日本と米国の関係は大変良好に保たれてきたことは日本国内でもっと評価されてしかるべきだ。

 

自らの責任を棚上げするかの「国際協調主義」「国連至上主義」などという言い訳に逃げつつ、下らないポリティカル・コレクトネスに各国の指導者が汲々とする中、自らの信じる処に従い米国を再生させる行動をトランプ氏は率先躬行した。幾つかの奇矯な言動があったとしても、こうしてみると彼の業績は云われるほど酷いものではなかっただろう。彼が去ることで誰が一番得をするのか、世界のメディアがなぜそれほどトランプ氏を嫌うのかなどを考えると、巷間流布するディープステート論もあながちトンデモ説の類ではない、と思えてくる。中国べったりと云われたバイデン大統領で、中国の軍備拡大や人権弾圧、不正取引に本当に対抗できるのか。台湾はどうなるか。新政権の副大統領カラマ・ハリスの後ろに控える急進左派がこれから米国政治にどう関わるのか。「分断克服に決意」とメディアがバイデン氏を持ち上げてはしゃぐほど、大きな期待に包まれて2009年にわが国で誕生した、悪夢の民主党政権とこの新政権の末路が重なっていくように私には見えるのである。

2021年1月19日 (火)

パエリア 緊急事態宣言下の献立

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海鮮パエリアキット

テレワークで家にいる時間が増えている。接待や会食がなくなり家での夕食が増え、妻は献立をどうするか以前より頭を悩ませているようだ。そこで手っ取り早く鍋物にしようかということになり、週に1~2度は卓上コンロで寄せ鍋やおでん、しゃぶしゃぶ、すき焼きなどを食べる。テレビは今どの局を見ても武漢ウイルスの感染者数やその怖さを煽る番組ばかりでまったく見る気がせず、以前に撮りだめたBSのクルーズや鉄道の番組を流しながらの夕食である。財布の具合や帰りの足の心配がないので、つい晩酌アルコールの量も増えがちなのが少々気にかかる日々だ。


昨日はイトーヨーカ堂で買ってきた「海鮮パエリアキット」の夕食であった。パエリアといえば2018年12月に都内のスペインレストランで食べたのが最後で、ちょうどその年に飛鳥Ⅱで訪れたスペイン・バレンシアの味を懐かしんで食べたのだった。今回、たまには目先が変わった夕食も良いかと買ったキットは材料がすべてレディメードで、無洗米を始め有頭エビやホタテ、ムール貝やパプリカに調味料が入っている。米は本場の長粒米ではなく国産の令和元年の古米だったが、古い米もいい感じに水分が抜けて、パエリアには合っていたようだ。これを家庭のフライパンで蒸し焼きにすれば良いだけである。


もっとも妻はキットのままでは「パエリア風の料理」になってしまうと考え、ニンニクや玉ねぎ、さらに本場のパエリアではよく使わるウサギの代わりの鶏肉を投入し、いったん炒めた後にオーブンで焼きレモンを絞って「本物風のパエリア」に仕立てた。パエリア発祥の地であるバレンシアで食べたものは塩味が濃かったが、昨日のキットは旨味の効いた日本人にあった風味なのがご愛敬。キットは税抜きで798円、4人前と表示されているが2人で平らげてしまえる程の量である。それにしてもこのような「自粛」が続くと、毎晩料理を考える主婦も大変なことだろう。スーパーの同じ棚には中華キットのラインアップもあったから、これらを利用するのも目先が変わってよいかもしれない。

本場バレンシアのウサギ肉パエリア
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2021年1月17日 (日)

大学入学共通テスト(英文リーディング)

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昨日とうってかわって寒い日曜日の朝、だらだらと起きて新聞を広げると大学入学共通テスト第一日目の問題とその回答が紙面を埋めている。大学入学共通テストは、昨年までの大学入試センター試験に代わって今年から始まったテストで、高校3年生の姪がこの週末にチャレンジしている。彼女はどんな試験を受けているのだろうか、はたまた2年前に「2019年 大学入試センター試験 英語筆記」でアップしたセンター入試試験と大学入学共通テストはどれほど違うのかと思いたち、紙面にある英語のリーディングテストを解いてみることにした。英語なら仕事で永年使ってきたし、いきなりでも何とかなるだろうという軽いノリでのチャレンジである。


そう思ったものの新聞紙面に掲載されたテストの問題は活字がひどく小さい上、設問はすべてが長い文を読んだ上で回答する形式とあって、寝起きの頭にエライものにチャレンジしてしまったと一瞬後悔の念がよぎる。しかし若干18歳の姪がこんなテストに立ち向かっており彼女の試練は如何ばかりかと気を取り直し、まずは点眼鏡を取り出し、脳の活性化に良いかと朝の紅茶にいつもより多めに砂糖を入れて紙面に向かった。取り掛かかってみると、これまでのセンター試験と違って発音の正誤を問うような簡単な質問などはなく、メールのやり取りやホテルへの道案内、人工甘味料に関するレポートなどの問題文を参照しながら、その文章の真意や論理の展開が如何になされているかを択一式で回答させるものだった。


問題の中に難しい単語は皆無、持って回った言い回しもほとんどないが、提示された長文はほとんどがテストの問題にありがちなダラダラと締りのない文章である。もし会社で部下がこんな英文の草案を持ってきたら「必要でないことは書かない」「分かり難いことは箇条書きにする」「時系列順に書け」などと突き返したくなるようなテキストだが、そこから文章の要点を推し量るのが試験なのだから受験生も大変だ。ビジネス英語のように斜めにザっと目を通しても、相手が何を要求しているのか分かるような書き方とはまるで正反対の文章とあって、とにかく読み進めるのに骨が折れてしょうがない。制限時間80分とある中、30分ほど経過すると疲れてしまい、まず答えが何を要求するのか先に読んでから問題文に当たってみるなど英文と格闘することしきり。


こうしてキッチンで結構ウンウン唸りながら過ごした午前中だが、いよいよ解答欄と比べてどの位できている答え合わせをすると何と100点満点の80点しか取れていない。内訳は全45問中で単純な間違いが3問、英文の細かい解釈が違ったというのが4問である。一昨年のセンター試験の英語は200点満点で170点くらいだったし、今回も100点満点で90点くらいは到達するだろう、と甘く見て始めたが、今の我が英文読解力はこの程度のレベルなのかといささかがっかりした。後で姪からはこの試験は85点とれているはずと連絡がきたので密かに拍手を送ったが、こんなエネルギーのいる試験を英語だけでなく何科目も受ける受験生の苦労に触れて、思わず皆の健闘を祈りたくなった日曜日であった。

2021年1月12日 (火)

七草がゆと鏡開き

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1月7日は吉例の七草がゆを妻がつくった。歳の初めの例とて「 セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ七草」とボケが進行していないか、記憶力を試して七つの名前を口に出してみる。松の内が明けるこの時期に春の七草を使って粥を作るのは、正月料理や祝い酒で弱った胃腸を休めるためだとか。いまや仕事はセミ・リタイアの我が身、僅かにやらねばならない仕事はテレワークで済ませ家で過ごす時間が多い日々とあって、季節感のリズムを蘇らせてくれる粥である。

鳴子温泉で買ったこけしの鏡餅

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1月11日は鏡開きの日だった。正月に神や仏に備えた鏡餅を切って雑煮や汁粉に入れて食べるのだが、江戸時代の武家の間では「切る」は腹切りに結びき縁起が悪いので「開き」にしたとのことである。我が家は先日訪れた鳴子温泉で買ったこけしの鏡餅を今年はお供えしたので、本当の鏡餅はない。よって簡易バージョンでスーパーの切り餅を使ったお汁粉である。恒例に従い神や仏に感謝し、この一年の無病息災を祈りつつお汁粉を味わう。ラグビーの大学選手権も終わり、これから東京六大学野球が始まる4月までは特に注目するスポーツもない。昨年の冬に久しぶりに行ったスキーをまた今年もやってみようかと、大雪の知らせを聞きつつスケジュールを考える睦月である。

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2021年1月 8日 (金)

武漢ウイルス陰謀論

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昨日は仕事で各社を廻り、どこもテレワークでがらんとしたオフィスで話をした。現役世代に「周囲に武漢ウイルスに感染した人はいない?」と聞くと、みな一様に家族・親戚・知人に感染者はいないと言う。例年ならインフルエンザや風邪で休む人がそこかしこにいるのに、武漢ウイルスが猛威をふるっているとされる東京でさえ、知っている限り周囲に感染者がいないとはどういう事なのだろう。年代別の感染者数や都内の各地域ごとの数字は報道されているが、性別や一体どこの国から来た人が感染者なのか不明とあって、我々も危機の判断のしようがない。そもそも他の病気で死にかけていた人も最後にPCR検査が陽性だと「コロナで亡くなった」とカウントされるとされる中で、どういう属性の人が死亡したのか、いかなる状況での感染なのかの実態は我々には分からない。その様な状況でもメディアはただただ「感染者」が増えたと大騒ぎをしている。


武漢ウイルスについての「感染者」は発症者と違い、検査の結果で陽性だった人すべてを指すのだと云う。だとすると春先に比べてPCR検査が普及し、検査を受ける人の数が飛躍的に増せば「感染者」も大きく増えるのは自明のことだ。我々夫婦も再開した「飛鳥Ⅱ」のクルーズに乗船するため、これまで2度ほど唾液によるPCR検査を受けている。また日本のPCR検査キットは他国と比べて高感度に設定されていて、外国なら陰性ないし偽陽性のものも陽性と判定とするらしい。さらに検体が東京の機関で分析されて結果が陽性と出ると、東京都の感染として数えられるとも云われており、本当に我々の周囲に武漢ウイルス感染者がそんなにいるのか発表された感染者の多さと実感の差異に戸惑う。出稼ぎや風俗系で働く外国人労働者の共同アパートなどではクラスターが発生しやすいと想像するが、国籍別、職業別の感染者の数が報道されないのも不思議だ。


昨夏に入院・手術をした病院では春先に武漢ウイルスのクラスターが発生しているが、かかりつけの泌尿器科の先生に「大変でしたねえ」と聞くと「えー、まあ」と笑いながらさして深刻なようすはうかがえない。日本は他の先進国よりはるかに感染者が少ない上に入院ベッド数が多いなか、病院も歯科医院もいつもよりガラガラに空いているのに「医療が逼迫」と聞けば、それはひとえに医療資源の配分が悪いというしかないだろう。国民に自粛を訴える前に、第三の波がくる事が必至と云われていたのに、感染者の隔離基準変更や医療従事者の再配置、機器の増設などの施策を実施すべきではなかったか。特に医師会という業界の利益・圧力団体が、感染症に対する内部からの提言や自らの改善計画もなしに、ただ上から目線で「大変だ大変だ、自粛せよ」と危機を煽っている様子がなんとも見苦しい。彼らは自分たちの過酷な状況ばかりを訴えるのでなく、困窮する旅行業や飲食業界従業者の診察代を割り引くくらい提案したらどうなのか。


ちょっと考えてみると、どうもこの武漢ウイルス騒動は不思議なことが多い。まず中国の感染者数は、検査で陽性となっても無症状者は除外されているし、発表される統計数字がまったく信用できない国だから、日本の基準にすれば実際の感染者は2桁くらい多いのではないか。中国共産党はウソの感染者数を発表することで、強権的な手法による一党独裁が西欧民主主義より優れているという自らの正当性を、世界に示すチャンスとして利用しているようだ。さらに中国は武漢ウイルスの実態を知っていながら当初情報を故意に隠蔽し、世界中の経済を混乱に落とし疲弊させたのち、中国資本が市場を席捲するというシナリオで動いているという陰謀説が頭に浮かぶ。これまでも新しい疫病を幾度も世界中にばらまき、今回また武漢でウイルスを発生させ情報を隠匿した中国に世界はなぜ強く怒らないのか。少なくとも国連は中国非難の決議をし、世界の各国はこの国に対して国家賠償くらいは請求して良いと思う。その前にいま何より声を大にして言いたいのは、日本は中国・韓国からの入国を一切停止することだ。

2021年1月 4日 (月)

第97回箱根駅伝 駒澤大学・創価大学の逆転劇

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久しぶりに見るワイドショーでの逆転劇場面

新春恒例の箱根駅伝は2日目もテレビ観戦である。復路はアンカー10区にタスキが渡る時点で、創価大学が駒澤大学に3分19秒もの大差、距離にすれば1000米以上も離しての独走態勢となる。悪いが新興宗教に関連している大学には興味がないから、日課のジョギングに出かけてしまったが、帰宅して結果を見たら駒沢大学が逆転優勝していたのに驚いた。どちらの大学にも縁もゆかりもないものの、創価学会より曹洞宗の方が強くてまだ良かったと思う。また創価は留学生と云う名のケニア人助っ人を頼んでいるのも面白くない。それにしても逆転された10区の小野寺勇樹選手ははどうしたことだろうか。


記録を見ると小野寺君の10000米は29分27秒でハーフマラソンは1時間5分40秒と発表されている。一方で逆転の立役者である駒澤の石川拓慎君は10000米が28分46秒、ハーフが1時間3分7秒とやはり二人に力の差はあったようだ。創価大学の監督の、10区にタスキが渡った時点で2分差あればなんとか逃げ切れると思っていたとのコメントは、このハーフの記録差(2分33秒)から出されたものであろう。しかし小野寺君は想定以上に大きく遅れ10区23.0キロを1時間13分23秒で出場21人の最下位となり、1時間9分12秒で区間賞をとった駒澤の石川君に逆転されてしまった。


ここまで走って来てアンカーが片や区間最下位の大ブレーキ、片や区間賞というのも勝負の綾である。ただ小野寺君の10000米の記録に近い記録を持つ他校選手の多くは、10区を1時間11分台で走っているので彼もブレーキを起こさず無難に走れば逃げ切れた可能性はある。一方で彼のハーフマラソンの記録は10000米に比べると相対的に悪いので、もともとスタミナが懸念されていた選手だったのかも知れない。とすれば23.0キロと他区に比べて長丁場の10区に起用するのは無理があったとも考えられるが、そのあたりは駒があと一枚足らなかったという事なのだろう。


もし以前のように10区のコースが馬場先門を右折して中央通りに向かわず、そのまま外堀通りを読売新聞本社に直進していれば距離が1.7キロ短いから、残り2.1キロでの逆転劇はどうだったか、などあれこれ想像するのも観戦後の楽しみと云える。それにしても小野寺君の心中は如何ばかりか。私も学生時代に駅伝大会で何度かアンカーで走ったことがある。エースでもないのにたまたまアンカーを務める時に限って前の走者がよく頑張る。配置の都合で前から速い順に並べた結果、実業団の強豪チームや有力な大学チームと競る展開になった時は、「そんなに前の方で来なくていいよ。ごぼう抜かれされたくないよ」と何とも複雑な気持ちだった。小野寺君はSNSでまた来年強くなった戻ってくると発信しているそうだ。期待して待っていよう。

2021年1月 3日 (日)

第97回箱根駅伝 関東学生連合・杉浦君

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箱根の杉浦君のゴール(テレビ中継より)

新春恒例の箱根駅伝をテレビ観戦する。後輩の杉浦彗君(3年・成蹊)が関東学生連合の主将として山登りの6区を走るので小田原にでも応援に行きたかったが、今年は沿道での応援は控えてという主催者の呼びかけである。沿道で応援しても三密になるわけでなく、何の関係があろうかと思うも、競走部やOB会からも現地での応援はしないようにとメールが来ているので仕方がない。それにしても画面から見る各校の選手は、半世紀近く前、我々が箱根駅伝を走った時代より総じて足が長くなり走る速度も隔世の感がする。何しろ今年の箱根駅伝の選手は1万米の記録で27分台の記録を持つものが8人、全体の上から20番目でも28分20秒を切っているから壮観だ。私が大学生だった時代に行われた1972年のミュンヘンオリンピック1万米決勝では、世界新記録で優勝したラッセ・ビレン(フィンランド)の記録が27分38秒34で、今の大学生の上位は、当時なら各国のオリンピック代表クラスの選手が揃っていることになる。いやはや時の経過と共に進化する記録の変遷には目を見張らされる。


関東学生連合チームは箱根駅伝の予選会で敗退した学校から各校一人、本番に出場した経験のない日本人の選手が記録の良い順に選抜されている。選ばれた各選手はそこそこの力は持っているが何せ寄せ集めのチームだし、山登り・山下りなどポイントの区間を始め、各区間に適材の選手が抜擢されるわけではないから近年は低位に甘んじているのが実情だ。チームもオープン参加で各選手の記録も参考記録扱いになるが、選抜されて大舞台で走った経験を持ち帰ることで、それぞれのチームや選手のモチベーションアップになることが期待されている。長い間、チームとしては予選で敗退して本レースに参加できない母校だが、学連選抜チームに選手を輩出するのは2年ぶりで、これを機に全体の力も向上してほしいところだ。


画面を見ていると高速レースが予感された1区が団子状態のスローペースで、学連チームの難波選手(麗澤大)は僅差の区間10位と期待を持たせる位置でタスキを運んできた。しかし各校のエースが揃う2区では亜大の河村選手が区間21位で順位を大きく落とす。1万米が28分台後半の記録を持つ河村君も、27分台や28分そこそこで走る各校の2区の陣容の中ではこの順位も仕方なしか。3区中央学院の小島選手や4区立教の中山選手も区間18位相当の走りで山登りの杉浦君にタスキが亘る。この時点でシンガリの一つ前だが、チームの主将らしい走りをして1日目を締め切ってくれと画面に向かって声援を送った。約1時間後、テレビ中継が往路のゴールの様子を伝える中で、順位は変わらずブービーメーカーで杉浦君はゴールのテープを切った。彼のひょろっとした体形や走姿からすると、山登りの5区はあまり適所とは言えないのではと危惧していた通り、個人記録は区間で最下位というのは残念。ただ初日のゴールとあって彼の雄姿が校名とともに画面で大きく映し出されたのが嬉しい一瞬ではあった。復路の学生連合の盛り返しと、いずれの日にか母校のチームとしての出場を願いつつ、テレビ中継を眺める1月3日である。

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