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2020年8月25日 (火)

佐藤琢磨、インディ2度目の快挙

世界三大自動車レースの一つと云われるインディアナポリス500マイルレースで、佐藤琢磨選手が2度目の優勝を遂げた。快挙である。ということで、昨日は午後6時からNHK BSで完全中継録画されたレースを、4時間フルに興奮しながら見てしまった。例年なら5月最終週メモリアルデイの前日に何十万人もの観客を集めて行わるインディ500も、今年は武漢ウイルスのため8月末の開催、しかも無人の観客席という異様な状況でのレースである。それでも一周2.5マイル(4キロ)のオーバルコースをグルグル回って200周、平均300キロ以上の速度で500マイル(800キロ)を走り抜けるアメリカンスタイル自動車レースの迫力を久しぶりに画面で堪能した。


考えてみれば初めてインディ500の素晴らしさを知ったのは、1960年代なかば毎週末にテレビで放送していた海外作成の自動車レース記録番組からだった。当時インディアナポリス・スピードウェイで競うクルマは消火用ポンプがベースだと云われたオッフェンハウザー製エンジンを積みこみ、フロントエンジンでリアタイアを駆動する旧式のフォーミュラカーが主流だった。そこにイギリスのロータスがフォードエンジンを積み、今のようなリアエンジンの本格的モノコックボディにジム・クラークと云う天才ドライバーを擁して殴り込みをかけた。まだ私は免許証を取れない中学生だったが、なにより乗り物大好き少年で、もちろんクルマにも大いに興味があったから、その番組で見るロータスのモダンなインディカーに目を見張ったのだった。


昨夜、居間のテレビで佐藤琢磨と2位になったスコット・ディクソンの一騎打ちに手に汗を握りつつ見ていたら、60年代当時の14インチの白黒画面から流されていた番組は、いったい何というタイトルだったのだろうとふと気になった。レースシーンのバックに流れるタイトルミュージックが”007危機一髪”だったことは良く覚えているのだが、60年代の、それも当時はマイナーコンテンツだった海外自動車レースの放送などは、ネットで検索してもなかなかなかなかヒットしない。それでもインディ500の中継を見終わって、あちこちパソコンで探すうちに何とかたどり着いたのが、日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)の「世紀のデッドヒート」という番組だったらしいことが分かった。


自動車レースのあれこれを検索してうちに「世紀のデッドヒート」が放送されていた頃の、わが国のカーレース黎明期の印象的な場面が脳裏に蘇ってきた。1964年に鈴鹿で行われた第2回日本グランプリで、プリンススカイライン・ワークスチームの生沢徹選手が、式場壮吉選手のポルシェ904の前を走った時は、国産セダンがドイツの本物のレースカーを抜いたとテレビの前で興奮したものだった。大人になってからスカイラインを何台も乗り継いだ原点が、あのテレビ放送にあるのは間違いない。また1966年の第3回日本グランプリでは滝進太郎あやつるポルシェ・カレラ6のあまりのカッコ良さに感動し、飯倉にあったポルシェの総代理店・三和自動車のショールームに実車を見に行ったこともあった。昨日はインディ500の佐藤選手の見事な勝ちっぷりに刺激されて、昔のレース番組のことや、国産車勃興期でクルマやレースにあこがれていた若き日々のことを思い出していた。

中学時代、飯倉の三和自動車ショー・ルームで父のカメラでポルシェ・カレラ6を撮影

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