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2020年8月14日 (金)

WAKASHIOの座礁油濁事故を考察する

20200814mocape
オレンジファンネルの商船三井のバルカー

前立腺摘出手術のため7泊8日の入院をしていた。ダビンチによるロボット手術なのだが、かつての開腹による前立腺手術より入院期間が大幅に短縮されているそうで、1週間で無事に社会に戻ってくることができた。この辺りのことはいずれ落ち着いたら書いておこうと思う。その病室でテレビを見ていたら商船三井が『運航』するケープサイズバルカーM/V"WAKASHIO"がモーリシャス島で座礁して重大な油濁事故を起こしているとニュースが流れてきた。WAKASHIOは2007年に日本の造船所で竣工した重量トン(積載量)20万トン級の大型バラ積み船で、中国で揚げ荷をした後、次航の鉄鉱石積み地ブラジルのツバラオに向けてシンガポール経由インド洋をバラスト航海(空船航海)中の事故であったと報道されている。


ニュースによるとインド人船長のほかフィリピン人などが乗り組む本船は、マラッカ海峡を抜け喜望峰に向かう航海中の7月26日午後7時半頃(現地時間)に、モーリシャス島の東南ポワントデスニー(Pointe d'Esny)沖約0.9マイル(1670米)、ラムサール条約に登録された風光明媚な海岸で座礁したとされている。グーグルアースで確認すればすぐわかる通り、モーリシャス島はマラッカ海峡から喜望峰に向かうルートの上に当たっているが、海上保険の業界紙サイトによれば、本船は通常の航路よりモーリシャス島の陸地に近いところを航海していたという。このためモーリシャスのCOAST GUARD(沿岸警備隊または国によっては海上保安庁の役目を負う)より1時間前に亘って警告が為されているものの、船長は「問題なし」と答えコースを変えずに座礁したと同サイトは伝える。


船舶の座礁事故の場合は、ふつう潮が満ちるのを待ち(必要ならばタグボートなどを使って)離礁を試みるのでモーリシャスの潮汐表をチェックしてみた。すると座礁した7月26日は同島では17時35分が満潮であり、本船が座礁した19時半はまだかなり潮が高い状態だったことが分かる。残念ながらこの頃は、日々潮位が低くなっていく時期で、潮が高い中で座礁した本船の引き出し作業は、以後時間の経過とともに難しくなっていった事が想像できる。また潮汐表によると8月初めの満月で干満の差が大きくなり、引き潮時の潮位が低くなっていることもわかる。こういう時期にエンジンや燃料タンクがあり喫水が深い船尾部がサンゴ礁に深く食い込み動けなくなり、空船の船首部は滿ちる汐の浮力によって上向きに力が働いたと考えられる。船体の前部だけにかかる浮力に長さ300米の船体が耐え切れず亀裂が生じ、とうとう8月6日になって重油が流れ出したものとみられる。


それにしてもCOAST GUARDの警告にも関わらず、なぜ船長は沖に変針しなかったのかが大きな疑問点として残る。南緯20度近辺のモーリシャス島におけるこの季節の夜7時半なら、周囲は暗闇ではなかったはずだ。ましてや悪天候でない限り、右舷前方には町の灯やすぐ近く空港の光も視認できたと思われ、なぜ陸地に近いそのような海岸べりを本船が通過しようとしたのかが争点になるに違いない。私は当初このニュースを聞いた時に電子海図(ECDIS)の故障ではないかと思い、そういう不測の事態に対して外国人船員は天測や沿岸航海で船位を測定する訓練が十分でないことが事故の主因ではないかと思った。しかし続報によると当夜は乗り組員の誕生パーティが行われ、Wi-Fi(厳密にはLTEのことだと思われる)の繋がる沿岸の直近を狙って船長は走ったのでは、との疑いが出てきたそうだ。島影のない広いインド洋は一般乗組員がネットや電話に繋がる機会が少ないので、モーリシャス島接近をこれ幸いばかり、町の近くを航行したことも十分考えられよう。そうだとすれば何とも現代的な事故だといえる。


さて"WAKASHIO"は岡山県笠岡市にある長鋪汽船が実質的な船主である。江戸時代は瀬戸内の帆船、明治以降は内航機帆船で活躍し、今はもっぱら船主業専業者になっている長い歴史ある会社だ。船主業とは自らが資金を調達して本船を建造し、竣工後に船員の配乗や機器の保守点検、ドック手配その他本船が貨物船として機能を保持するために一切の整備手配(これを堪航性を保持すると云う)を行う業務である。今回の事故で巨額になるであろう油濁補償に対応するPI保険(船主相互責任保険)の付保や船体保険契約も船主である長鋪汽船の仕事であり、最後に船を売ったりスクラップにして帳尻を合わせるのも船主の専任事項となっている。この事故の責任は船主である長鋪汽船(またはそのダミー会社)にあるのだが、それは事故の最終的責任を負う船長が、船主の雇人であるという事実に由来する。


一方で商船三井は一定期間チャーター料(用船料)を払ってこの船を借り受け、荷主から預かった荷物を運送するだけで、同社が『法的』に責任を負うのは、荷主や積み荷に対しての部分のみである。空船で回航中のこの事故に於いては、商船三井の責任は次にブラジルから鉄鉱石を輸送予定だった荷主との関連のみに限定される。この仕組みを定期用船契約と云い、今回のような海難・油濁事故の責任は商船三井のような借主(用船者、運航者とかオペレーターと云われる)にはない。この責任分担は、長い間、世界中の裁判所や仲裁所で論争が行われた末に確立された明確なルールなのだが、事件を報じる我が国のメディアはこの辺りをよく分かっていないようで、商船三井にも事故の責任があるかの論調が散見されるのはおかしい。


もっともここ数年、商船三井が絡んだ事故はコンテナ船が折れたり、自動車船がひっくり返ったり、客船が飲酒操船で岸壁を派手に壊したりと、メディアが注目する大きな案件が多い。WAKASHIOのように船主から長期用船した船だけではなく、実質的に自社や子会社で管理している船舶の事故も多いと私は感じるのだが、こういった事故がおきるのは何らかの根本的な問題が同社に内在しているのかと訝しく思う。前述のように定期用船契約で借りた船の堪航性保持義務や海難事故の責任は、もっぱら船主に帰属するのが法的な建てつけとはいえ、商船三井もその船を使って荷主や乗客から運賃を収受するのだから、海上輸送業務で対顧客という点では事故に対する責任は残る。また上場会社として社会への説明責任や環境保護に対する責任もある。増加する運航船舶数(フリート)の下、同社にはもう一度安全管理体制や船主との関係を見直すことを求めたい。病院のベッドで商船三井のシンボルカラーであるオレンジ色ファンネルをつけたWAKASHIOの姿をテレビで眺めながら、そんなことを考えた。

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コメント

船員交代の問題などコロナ禍の影響をもしかしたら受けているのかなと思いますが
サルベージ含めて外国人がPCR検査パスせずにモーリシャスに上陸できないのも厄介です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60839660W0A620C2XQH000/

しかし、モーリシャス現地では座礁してから燃料が漏れだすまでの12日間、
モーリシャス政府の対応が迅速であれば防げた海洋汚染だという意見もありますね。
いずにしても日本P&Iクラブはしばらく大変ですね・・・。

ようそろさん

コメントありがとうございます。インド洋に浮かぶモーリシャスは、どのメジャーな港からも遠いところに位置しています。サルベージのために必要な機材や重油の抜き取りバージなどの手配も簡単ではないロケーションです。ましてウイルス騒動で、専門家の派遣も容易でない状況ですね。座礁後には大潮の日もあったのに、引き出せなかったのは強力なタグがないこともあるでしょうが、よほどの勢いで本船が擱座したのかとも思われます。

多分ジャパンP&Iに加入しているのでしょうが、船主名で加入したのか商船三井フリートでの契約か、いずれにしても次年度以降の各社分担金アップは避けられないものと思います。

もう一点、今回入院して気が付いたのは、大きな病院でも患者向けWIFIがない事。ネットはもう社会のインフラなのだから、世界中いたるところでアクセスできるべきだと感じていました。乗組員のためにも洋上で安価に気軽にネットアクセスするサービスが必要なのでは?

座礁原因に関しては、マスコミに現段階で乗組員の証言だけが本当に漏れているのだとしたらちょっと不思議なのと、仮にWifi接続の話が本当だとして、誕生会を開いているときに家族とハッピーバースデーの連絡を取りたかったとしても(妄想です)、Wakashioに衛星通信がなかったのか疑問点は多いです。何よりもブリッジが無人だったとは考えにくいし。

Wakashioになかったかどうかはわかりませんが、長期間、航海をする船員たち、ましてコロナ禍で船員交代が困難になっている船員のためのネット環境整備はおっしゃる通りです。ただ、ネットしながら車の運転をしてウッカリ事故るのとわけが違うのは飛行機の操縦士と船の船員なので、そこら辺の規範は難しいですね。いずれにしても、漏れ出した重油の処理に関しても、外国人がPCR検査なしで押し寄せることはあの小さな島国、医療設備が整っているとは言えない島でコロナが感染爆発しかねませんので、コロナ禍の影響は果てしないです。

ようそろさん、

まだ本当の原因が究明されて発表に至るまでは時間がかかる事でしょう。誕生パーティが本当だとすれば、その時のブリッジ当直はどうなっていたか、船長はどこにいたかなどもいずれ明らかになると思います。

「wifiにアクセス」と云うのは本船の業務用の衛星放送を介したデータのやり取りとは別に、クルーがスカイプやメールで家族と連絡を取り合うために、これらの電波が拾える距離の町に近寄ったという意味に私は解釈しています。

現在のウイルス禍、サルベージと人の移動にまだ越えねばならない難題が待っているようです。

ありがとうございます。
クルーが利用できる衛星を介したネット環境は整っている船が増えています。
仮にWakashioに一般クルーのためにはなく、そのための接近だとしても40キロまで近づく必要はないのと、
インド洋を知り尽くしている58歳のインド人船長(海外では名前も出ています)が本当に何をしていたのか
詳細はこれからですね。

すみません、名前を入れるのを忘れました。
ようそろです。

バルクキャリアーさま、こんばんは。

このニュースを見たとき商船三井は大変な賠償責任を負うと思いましたが違うのですね、ダイヤモンドプリンセス号の時もそうでしたが、船舶事故の最終的な責任は一般人には分かりづらく今回の記事は勉強になりました。
大変な手術お疲れ様でした、術後のご回復を今宵は沖縄・瀬底島よりお祈り申し上げます。

追伸:東京六大学野球は明治が不甲斐ないので慶應を応援しておりましたが本日は残念でしたね。でも昨日の早慶戦、延長10回タイブレーク代打の代打での決勝打・競り勝ちは誠に見事でアッパレでした。

M・Yさま

こんばんは。沖縄はお仕事と拝察しますが、そうだとしても南の海、羨ましいです。

前立腺手術は2年前から覚悟はしていたものでしたが、術後におきると言われていた尿漏れでオムツが必要なのはやはりショックでした。主治医の先生も看護師さんたちも「皆、尿漏れはおきます、よくなるまで暫く時間がかかります、心配しないで」と励ましてくれるので、時間の経過を待ちたいと思っています。

WAKASHIOのような海難事故が起きた場合、船主責任か商船三井のような借主・運航者にあるかは主要海運国では船主責任だというルールがすでに定着しています。ただし借主である商船三井は借りた船に自社のファンネル(煙突)マークや船体に自社ロゴを書いてもよいと用船契約書にあるのが、第三に誤解を与える元です。これを嫌って一時期、世界の主要海運会社は借りた船のファンネルを真っ黒にしていた時代もありました。今はネットで当該船の情報を誰でも手に入れることができるので隠す必要もなく、借主(=運航者)も自社ペインティングにしていることが多いです。WAKASHIOもオレンジの商船三井カラーファンネルです。海運は英国法に基づいた独特の慣習やルールが支配しているある種独特の世界だと思います。

今日は六大学野球をネット中継で見ましたが慶応は残念でした。明治は新監督で実力が発揮できていませんね。共に秋に期待しましょう。それにしても応援団やブラバンのない六大学には違和感を感じました。秋には元に戻ってほしいです。

初めまして。
今回のバルクキャリアー(貴殿のハンドルではなく)の座礁事故は、SNS上でも着目されているようで、海運業界の複雑さやモーリシャスという遠隔地で起きたことも手伝って、色んな憶測や勘違いによる間違った解釈、責任論などが目立っています。私自身、情報収集が好きで、ある程度は理解していたつもりですが、貴殿のこの記事を拝読して知らない事がまだまだ沢山あるなと思った次第です。
実はここからが本題で、事後報告になり申し訳ないのですが、貴殿のこの記事へのリンクをツイート内に貼りました。上記URLにてご確認いただき、もし不都合がありましたら、お手数ですがお知らせ下さい。
以上、よろしくお願いします。

すな さん、

コメントありがとうございました。

貴ツイートのリンクにどうぞご自由にこのブログをお貼りください。光栄です。またコメントあらばお寄せ下さい。

貴ツイートの衛星からのWAKASHIOの航跡について興味深く拝見。本船のモーリシャス島への接近理由については、今後真相が明らかになるでしょうが、島の南にあるSTORMの存在、また他のほとんどの船舶が領海12マイルを避けて走っている事などは興味深い事実です。どの船舶でも無害通航権といって他国領海内でも通過するだけなら自由なのですが、さすがに島への衝突コースを直進している本船には沿岸警備隊から注意があったのでしょう。

船主と運航者(用船者)の違い、事故の責任問題が誰に帰属するかなどは関係者以外には複雑で分かり難いことは良く分かります。その辺りはまた別途ブログで書いていこうかと思います。

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