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2020年7月26日 (日)

長引く梅雨の思い出

20200726

日本の上空から梅雨前線が一向に去らず各地で大雨や梅雨空が続いている。梅雨の終了時期と云うと、思い出すのは高校や大学時代の夏合宿のことである。その頃は7月10日~20日頃に夏休みに入るとすぐに夏合宿があって、合宿までに梅雨が明けないと、今のような全天候型トラックと違い、当時の土のグランドは雨でぬかるむため練習内容も軽くなった。なので夏休みに入る頃は、梅雨がなるべく長引き、明けないことを願ったものだが、残念ながら合宿入りの前にだいたい梅雨は終わってしまいがっかりしていた。今年の梅雨空を見ていると、そのような思い出が蘇ってくるのだが、こんなにぐずぐずと雨が続くのはいつ以来なのだろうかと関東・甲信地方の気象庁の梅雨明け記録を調べてみた。


気象庁の記録によると1998年と2003年には8月2日頃に梅雨が明けたと発表されているが、歴代で目立つのは1993年の夏で、この年は梅雨明け宣言がないことがわかった。当時の記録によると、1993年は一旦梅雨明け宣言が出されたものの、その後も梅雨前線が日本上空に停滞し、出されていた梅雨明け宣言が取り消されており、その結果日照不足と長雨の冷夏が続いている。この異常気象で日本中でコメの作柄が悪化し、収穫不足から「平成の米騒動」がおこった年である。当時の日本国内の米の需要が年間約1000万トンに対して収穫は800万トンを切ったそうで、「コメは一粒たりとも輸入させない」と永年に亘って政府が農家に大ミエを切っていた中で米不足が起こったのである。


コメの収穫が著しく悪いことが分かったその年の秋から、すったもんだの末に打ち出された政策が、米作りをするアメリカ・オーストラリア・中国・タイから不足分を「緊急輸入米」として買い入れる事であった。とは云っても、それまで沖縄の泡盛用にごく少量のタイ米しか輸入していなかった我が国には、コメ買い付けや輸送のノウハウがなく、食糧庁(当時)や輸入商社、船会社が集まっては、産地ごとに食用米をどのように安全に運ぶか東京で何度も会議が開かれていた。当時私は、シアトルに一人でのんびりと駐在していたのだが、急遽コメ積み開始という事で、93年秋から1000キロも離れた加州米の積みだし港カリフォルニア州ストックトンに毎週のように出張し、多くの関係者と打ち合わせをすることになった。我が社はこの年、ストックトンから各船1万トンの袋詰め加州米を数航海輸送することとになったが、大事なコメを一粒たりとも事故なく日本に運ぶために万全を期しての船積準備であった。今年の長引く梅雨空で、学生時代の夏合宿や、冷夏で加州米を緊急船積した駐在時代の事を懐かしく思い出した。

 

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