飯田橋駅・新ホーム
水道橋駅(旧飯田町駅)方面に向かい300R急カーブの旧ホーム、飯田橋駅開業時からホームは徐々に旧飯田町駅に向かい延伸したのか?
最寄りのJR総武緩行線・飯田橋駅(東京都千代田区)ホームが7月12日から新しくなる。現在の飯田橋駅ホームは300R(=半径300米)のカーブに、一部33.3パーミル(1000米の間に33.3米上下する)もの勾配に沿って設置されており、ホームと電車との隙間(すきま)が最大33センチあき、線路のカント(左右両線路の高低差)によりホームよりドア入口が20センチ高くなる箇所があると云う結構スリリングな構造である。乗降客には掲示や放送でこのギャップについて注意を促していたが、それでも年間平均10件ほどの転落事故が起きていた。もし"電車でGO"で雨の中飯田橋駅に満員電車を定位置に停車させる設定があれば、毎回緊張の場面連続というような運転士にも難所の駅であろう。実際にホームを監視する駅係員の見張り場所は、曲がったホームの両端を見渡せるように地面から数米高い場所にあって、管理する側も相当な神経を使ってきたことがうかがえる。
7月12日以降はこの300R部分を避け線路の勾配も緩やかにした上で、ホームを南西方向の市ヶ谷方面に200米に延長した様な形で新ホームが稼働する。安全面では大きな進歩だが、しかしこれまで飯田橋駅を利用する度に、なぜこのようなトリッキーな場所にかつて駅を造ったのか、という疑問を常々感じていた。このあたりの経緯を述べた本やサイトが見当たらないので、どうしても個人的想像をたくましくしてしまうのだが、そもそも昭和3年に開業した官鉄・飯田橋駅は、それまで約250米ほど市ヶ谷寄り(西)にあった牛込駅と、反対側500米ほど水道橋駅寄り(東)にあった飯田町駅が統合して出来た駅である。新駅を旧両駅の中間より牛込駅に近い場所にしたのは外堀通り・目白通り・大久保通りが交差して市電の乗り換えなどの便が良かったこと、当時市内有数の遊興の地だった神楽坂への利便性を考えてのことだと思われる。
当時の官鉄線の電車はせいぜい2~4両ほどで運転されていただろうから、飯田橋駅が造られた当初は水道橋寄りにある300R急カーブにかからず、その手前でホーム長が収まっていたはずである。しかし時代の進展で電車の編成が長くなるにつれホームを延伸する必要が生じるが、統合前の旧両駅との間隔を考えると、どうしても遠くなった飯田町(水道橋)寄りの乗降客の利便を考慮する必要がでてきたのではなかろうか。飯田町方面は陸軍関連の施設もまだ多数存在していた時代である。こうして駅は飯田町方面にホームが伸び、最後は東にある急カーブまで延伸した駅になったというのが私の推理である。さて7月12日以降は急カーブにかからない安全な新ホームが使われることになり、これまでの水道橋と飯田橋の駅間距離900米、飯田橋と市ヶ谷間の駅間距離1500米が、それぞれ1100米と1300米に平準化され快適性も増しそうだ。また新ホームの使用とともに飯田橋駅西口駅舎も新装オープンするから楽しみである。それにしても線路の場所やら勾配を見ているだけで、これだけ色々な想像が浮かんでくるのだから鉄道はやっぱり面白い。
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