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2020年5月 3日 (日)

ジョギングにマスクがいるのか?

どうにもわからないことがある。武漢ウイルスに際し、他人にうつさない為に、ジョギング中にマスクをつける人がいるのはなぜなのか。かつて陸上競技の長距離でマスクをつけて走る練習をする学校があったが、マスクを着用することで空気の取り込み量が減り、その負荷が酸素摂取能力を高めるという目的があったようだ。このようにマスクをして走ると空気のスムースな取入れが阻害され、身体はすぐに息苦しくなって余計な負荷がかかることになる。また、これから汗をかく季節になると、布や紙でできたマスクはすぐに汗で濡れてしまい、長い時間とても着けていられなくなる。今回マスク必要説の根拠にされたと云う欧州の研究例では、走るランナーの後ろ10米くらいまで空気的な影響があり飛沫が飛ぶ可能性があるかのように書かれているが、どうもそれはスリップストリームなど実験の場での流体力学的な推論のようだ。その実験とウイルスの感染が直ちに結び付くのかは甚だ疑問な内容と云えよう。


武漢ウイルスは「飛沫」と「接触」で感染するとされる。しかし、そもそも走っている最中にジョガーは飛沫など飛ばすのだろうか。走りながら会話や咳をしたり、痰を吐けば飛沫は飛ぶであろうが、多くのジョガーがそうしているように黙って走っている限り飛沫がどこから出るというのだろうか。広辞苑で調べると「飛沫」とは「飛び散るあわ。しぶき。とばしり。」であり、「とばしり」とは「とびちる水。しぶき。飛沫。」とある。さらに「飛沫感染」とは、「唾液や喀痰の飛沫などによる病気の感染」であって、普通にジョギングしている限り唾液や喀痰、あわ、しぶき、とばしりなどは出ないのに「飛沫感染」とはどういうことなのだろうか。あるサイトでは、ジョギング中は勿論だが、歩いていても人からは「飛沫」がでると主張しており、そうなるとただ普通に呼吸をしているだけで、世の中どこも飛沫だらけということになってしまう。どうもこの問題では、客観的事実より気分が優先してしまっているように感じてならない。それとも「飛沫」は辞書的な定義と、医学的な定義が違うというのだろうか?


このまま何もしなければ日本では42万人が武漢ウイルスに罹ると発表した学者がいたし、少し前には2週間後の東京は今のニューヨークになるとネット記事をのせた在米のジャーナリストもいた。「何も対策をしない」などということはその時点でもすでにあり得ない前提だったし、その後も状況に応じて対策は変化しているから、そのような数学の学理的な発表はまるで意味がない。また国民皆保険制度がなく、医療環境が日本とは大きく異なり、経済格差も大きいニューヨークと東京では条件がまったく異なるのに、比較することに意味があるのかと思っていたら、2週間後の東京はやはりそうなってはいなかった。どうやら武漢ウイルスに関しては、第一線で実際に治療に奮闘していない「その他」の人たちによる恐怖ビジネスが展開されているようだ。この騒動が終わったら、どの(自称)識者、どのメディアと(自称)ジャーナリストが無責任な不安を煽りたてたのか、だれか一覧表でも作ってくれないかと最近思っている。

 

追記:今日(5月3日)昼過ぎに皇居コースで定点観察したところ、目の前を通過する50人のジョガーのうち30人がマスクを着用していた。ただしマスクをまず着用しない外人やシリアスランナーが多く走る時間にはこの比率は下がると思われる。

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