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2020年5月

2020年5月30日 (土)

ブルーインパルスの都心飛行

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春の終わりから梅雨に入るまでの気持ちの良い季節になった。アメリカではこんな日をゴージャス・デイと言っていた。昨日の昼は都心に広がるゴージャスな青空を背に、航空自衛隊の飛行隊「ブルーインパルス」が上空で華麗な編隊飛行を披露してくれた。これは武漢ウイルスの治療にあたる医療従事者に感謝と敬意を表するための企画で、入間基地をスタートに都立駒込病院(文京区)、都立墨東病院(墨田区)、荏原病院(大田区)、自衛隊中央病院(世田谷区)、国立国際医療センター(新宿区)の上空などを高度800~1400米で2周する飛行である。


テレワークの日々のなか、昨日はたまたま週に一度の出社日で、昼は浜松町のオフィスにいた。まだまだ人の少ない町とはいえ、昼食をすませ東京タワーにほど近い芝公園に向かうと、すでに多くの人が空をにらんでカメラの準備をしている。ここはちょうど飛行コースの真下にあたるので、サラリーマンや家族連れに混じってテレビ局のカメラも見える。皆が青空を見上げつついまや遅しと待ち構えるなか、午後1時前に北の空から6機のジェット機が白煙を吐きながら上空をぐんぐん近づいてきた。編隊の傍らを飛ぶ1機は煙も出さずに随行しているが、これはフライトの模様を撮影でもする役目なのだろうか。


 真上を通過するブルーインパルスの編隊は、あっという間に南の空に消えてしまうも、お楽しみはもう一度ということで10分ほど、2周めは先ほどとは違う陣形で6つの飛行機雲が青い空を引き裂いて飛行していった。ブルー・インパルスといえば2年前の入間航空祭で見た曲芸飛行に感心したのだが、こうした都心の上空での編隊飛行も感動的である。感染症の総本山のような中国で発生したウイルスによって、東京はじめ首都圏では医療に当たる病院関係者は不眠不休の勤務を余儀なくされている。医療従事者に心ない言葉を投げかけたり、その家族にいじめをするチンピラもいるそうだが、そういう民度のきわめて低い人を吹き飛ばすような高い空からの応援飛行を見て清々しく職場に戻った。ありがとうブルーインパルス。ありがとう自衛隊。

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妻の撮影した動画

2020年5月26日 (火)

緊急事態全面解除おめでとう

国内での武漢ウイルス流行がほぼ収束したと認められ、緊急事態が全面解除になった。まずは素直に「おめでとう」と皆で喜びたい。2次感染の恐れもまだあるそうだが、示されたロードマップに沿って徐々に人々の動きも回復していくことだろう。考えてみればわが国では欧米各国が驚くような感染者、死者の少なさで武漢ウイルス感染がコントロールされたわけで、結果からすれば政府の対策がおおむね功を奏した事は間違いない。政府のやる事は大まちがいだと叫び、PCR検査を徹底的に行えと叫んだ「いわゆる」識者やジャーナリストの類いは、この結果をどうみるのだろうか。彼らの云うままにPCR検査をしていたら、医療崩壊でいまごろ日本はどうなっていたことか空恐ろしい。未知の事態とは云え、だれが無責任なウソを垂れ流したのか、今後の検証が待たれよう。


今回は武漢ウイルスが「一応」収束している間にワクチンの開発や、医療体制の再構築が図られるのだろうが、あわせて欧米各国に比して、日本や韓国・台湾など東アジアでなぜ武漢ウイルスの被害が少なったのかの検証も期待したい。握手やハグの文化でないこと、風呂に毎日入るなど普段から清潔好きな国民性であること、家に土足で入らないことなどいくつかの要因があるようだが、なかでも強制的規制ではなく「自粛」によって、取り敢えず事態を乗り切った日本の対応が各国の注目を浴びた。我々はこの事にもっと誇りをもって良いのだが、一方でマスクをしない人が白い目でみられる、他県ナンバーの車が嫌がらせされるなど、いまだ排他的ムラ社会の心理や「世間の目」「人の目」を気にする風潮が強いこともわかった。大東亜戦争時の隣組や「一億総玉砕」「ほしがりません勝つまでは」の精神がまだ社会の底流に流れていたことに気づかされたのである。


さてアメリカのトランプ大統領は、中国が武漢ウイルス感染を世界に広めた事を強く批難し、ドイツやフランスなどでもその動きが広まっていると報道されている。一方で中国は、自らが被害者であり救世者であるかのごとく相変わらず高圧的に振舞っている。こうした中国の真の姿が国際的に広く認識されるようになり、今後サプライチェーンから中国をはずし距離を置く国が増えることは怪我の功名であった。また一旦事が起これば頼りになるのはEUやら国連(WHO)などではなく、国民国家であるという当たり前の事が世界であらためて認識され共有されたこともわかった。武漢ウイルス後の世界は、間違いなく新しい方向に進むのだろう。世界で叩かれる中国は今後日本に擦り寄ってくるだろうが、天安門事件のあと孤立した中国にいち早く手を差し伸べ、いまの覇権国家誕生を招いたのが海部内閣だった。安倍政権ならきっと適切な距離をとれるだろうが、欲に目がくらんだ「親中派」の議員や経済界の動きが心配である。騒動が完全に収束しても習近平の国賓招待だけは金輪際ご免こうむりたい。

2020年5月20日 (水)

がんばれ外食産業

テレワークで毎日家にいて、外出自粛する生活にそろそろ飽きてきた。家にいてもテレビの下らないバラエティはもとより、”いわゆる”識者が出てきては見当違い、批判の為の批判を繰り広げるワイドショーなどはまったく見る気がしない。またインターネットのニュースとくれば、そのほとんどがワイドショーの焼き直しか、政府に対するお気楽な批難で、クリックするに足る記事はごく少ないのが実情である。こういう時期にはやはり内容が練られている紙の新聞の論評や解説の方がまだましだ、と改めて新聞の効用を知る。テレワークをしながら聞くモーツアルトのCDもさすがに毎日同じ様な曲を聴いているので飽きてきたし、YOUTUBEの「お気に入り」に入れた音楽も何か違うものがないか探す日々である。


いつか読みなおそうと思って積んでおいた書籍は2度目を読了したのが大半だ。ということで開いている本屋に新しい本を探しに行ったりするが、そうそう毎日高い本を買ってばかりいられず、一日も早い図書館の再開が待たれるところである。そういえばここ数か月コンサートやスポーツ観戦の機会がなかったが、これらが生活にいかに彩りを添えていたかとしみじみ感じる。その他これまで学校の同窓会や会社のOB会も、本当の老人になってもっと閑になったら出ようかなどと思っていたが、何事もなく旧友と会えるという事は、当たり前と思っていた日常があらばこそということに思い至り、柄にもなく人恋しくなって次からはなるべく出てみようなどと考える。武漢ウイルスも色々なことを、我々に気づかさせてくれるものだ。


第三の人生の仕事で嘱託のようなお手伝いとは云え、幸い私の仕事は当面ウイルスによる直接的な影響はない。今できることは、このさなかに必死で営業を継続するサービス業の人たちを、可能な限り応援することだろう。ということで週に数回、これまで余り立ち寄らなかった近所のレストランや寿司屋でも外食をする機会が多くなった。自粛の要請下で店でアルコールが注文できるのは7時まで、店じまいは夜8時なのだが、5時過ぎに自宅でテレワークを終え妻と二人で向かうには何ら支障はない。店はどこも空いているから予約も要らず、ふらっと立ち寄るとサービスは快適で注文した品もすぐに出てきて気持ちが良い。妻の機嫌もすこぶるよいようだ。しばらく前はいつも満員だった串カツ田中も、今はすぐに座れ注文したものがただちに揚げられて出てくる。


お弁当の販売で生き残りを図るレストランも増えたので、テイクアウトを楽しむこともある。という事でこの一週間に買ったお店自慢の品である。写真一番上はチキン屋から買ったロティサリーチキン。目の前のガラス張りの専用オーブンでぐるぐるローストされるスパイシーなチキンの香りを嗅ぐとつい買わずにいられなくなる。次はフランスビストロのパテ・ド・カンパーニュ。豚や鶏肉、レバーなどを型に入れて焼いた、フランス伝統の家庭料理のひとつだそうだ。下は和牛の熟成肉ハンバーガーである。90年代前半日本にはチェーン店の安っぽいハンバーガーしかなかった時代に、アメリカのグルメバーガーがないかと思っていたが、今や街角あちこちにあって嬉しい。さて、みなそろそろ意識的に出来るところから消費生活を再開し、経済のダメージを最小にしようではないか。

バリスパのロティサリーチキン
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ラビチュードのパテ・ド・カンパーニュ
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ル・パヴェの牛肉しぐれ煮と熟成肉バーガー
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2020年5月15日 (金)

ジョギングを継続するには

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皇居のコースも武漢ウイルス禍でランナーが減った

完全テレワークになって2か月。週に一度はファイリングなどの為に事務所に行く以外は通勤の必要もなく、商談も面倒な事は「今や時期にあらず」で先延ばしされるため時間に余裕がある。おりしも気候がよく外で走るには絶好の季節とあって、ついついジョギングの距離や時間も増える。今日はまだ月の半分、15日目なのだが日記をみるとすでに今月は140キロほど走っており、このまま行くと月末には走行距離が300キロ近くになるだろう。昔は長距離の選手は月600キロ、多い月で800キロくらい走ると云われていたから、速さや練習の質はまったく違えどもかつての部活時代の半分近くは走っていることとなる。


考えてみれば中学3年で走り始めてから50年以上になる。まずは今でも毎日のように元気に走れることを、お天道様に感謝せねばなるまい。ただ日課のジョギングも、日によっては走ることが億劫で気がすすまない時がある。また走り始めても何故か積極的に身体が前に進まないような気がする日もある。そんな際にどうやって「走る気持ち」をキープするかは、ジョギングを続けるにあたり腐心する事だと云える。まず実践するのは、同じ走るのでも、日々の気分によって走る目的を変え、違うコースを走ることだ。かつて学生時代に、当時バリバリ順天堂の沢木監督を招いて話を聞いたことがあり、同僚が「飽きずに長い距離を走るにはどうすれば良いのですか?」と質問すると「まずは400米のトラックを何十周も走りきれるようになってからそんな事は考えなさい」と言われてしまったが、競技するわけでないジョガーならまず嫌にならないような動機付けが必要と云えよう。


という事でジョギングを無理なく継続するのは、走るコースを日々変えることだろう。桜の季節には花見ができる場所まで走ってみる、新緑の頃は公園まで走って行くなどのほか、たまには郊外まで走って行き、帰りは電車にするなど目先を変えることで気分転換がはかれる。ガイドブック片手に都内・近郊の名所、旧跡を訪ねて走るのも良き気分転換の機会である。都内でも10キロも走れば、さまざま場所に江戸時代の遺構や歴史的な遺跡が発見できる。最近はそういう場所に説明版や案内の掲示なども整っているので、じっくり往時の気分に浸るのも良い。その他に自分一人で決めたコース上(私の場合には皇居周回コース)で目標タイムを設定し、タイムトライアルをするのも刺激になる。その記録を取っておくと1年前、5年前、10年前に同じ季節の同じコースでどの位で走れたのが判り、それが練習の励みになったり、反対に自分の老化を実感できたりするものだ。


最近実践しているのが坂道を「喜んで」上る事である。坂道は傾斜の先を見ずなるべく足元だけを見つめて上ると、心理的な負担が少なく感じるものだが、逆に勾配を「意識」し、これを「克服」するように思って走ることにしてみた。というのは65歳を過ぎて体幹、特に大腿四頭筋や腸腰筋が衰えると云われるので、坂道はこれらを鍛える絶好の機会ととらえ、むしろこれを迎え入れる気持ちにしてみたのである。上りながら体幹に意識を集中してみると、人間は嫌いなものでも積極的に立ち向かい、それに意義を見出せば辛さも半減することが今さらながら判る。また腕ふりも走るセオリーに反し、前後ではなく時に左右に振ってみると辛さが和らぐということを最近感じている。ただ、どんな日でも走り終わった後のごほうび、缶ビールの栓をプシュっと開けゴクンと一口飲む場面を想像する事が、走り出す一番のモチベーションになっているのは間違いない。

時には丸の内の有名菓子店に買い物に走るのも練習の一環
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2020年5月12日 (火)

そろそろ武漢ウイルスも収束か

私の知人がこれまで接待などで時々使っていた小さな料理屋に「お見舞い金」を送金していた。武漢ウイルス騒動の外出や宴会の自粛で、ほとんどの飲食店が本当に困っているところだ。こちらが「顧客」なのだから、あえてそんなことをする必要もないと思うのだが、社会は持ちつ持たれつでもある。頼まれたわけでもないのに、日頃料理を提供してくれる相手が困った時に、お見舞いをする彼の姿を見てこちらまで少し嬉しい気分になった。お見舞いではないが、私も政府から10万円の給付金をもらったら、近所の飲食店でうんと飲み食いしようと思っている。

 

さて当初は収入が大幅に減った人に30万円を配るとされた政府の案も、手続きの煩雑さから撤回され、国民一人当たり10万円の給付となった。マイナンバーカードがもっと普及していれば直ちに思い切った施策がとれていたであろうが、国民一人一人を「監視するもの」とメディアや人権派の反対でこれまで導入のタイムスケジュールも遠慮しがちであった。真面目に納税している我々の側からすれば、資産や金の流れに関して不正が起きないように「監視」される事にいささかたりとも不安がないから、これを機に早くマイナンバー制度の有効な活用を望みたいものだ。

 

この点でいえば武漢ウイルスを完全に制圧したと自賛している韓国のマイナンバーがすごい。韓国ではマイナンバーに写真・指紋・出生地やパスポート番号はもとより戸籍・住民票・年金番号、納税、出入国記録、クレジットカードの活用状況、加えて医療保険や健康・服薬の記録、さらには運転免許証のほか、なんと学校の卒業記録までが記録されているそうである。今回はマイナンバーに紐ついている携帯電話の位置情報で、感染者がいつどこにいたのかを当局が把握でき、これをべースに強権的な防御策を講じたことでウイルスの制圧が早かったとされている。しかしいくら感染対策に有効であろうと、こんな監視社会はごめんこうむりたい。各国の状況を知るにつけ、モデラートな方法で収束方向に向かっているわが国の対策がやはり良かったのではないかと感じる日々である。

2020年5月 6日 (水)

2020年ゴールデンウイーク

この連休に町で目立つのは、食事デリバリーのUber Eats(ウーバーイーツ)と小学生くらいの子供を連れたママさんジョガーだ。ママさんジョガーは最近流行のランナーズウエアではなく、どちらかというと学校の体育着を引っ張りだして着ているような人が多い。多分自粛疲れで外出もままならず運動不足気味、屋内のアスレティックジムなども閉鎖しているので、少し走ってみようかしらと昔のトレーニングウエア系を着用して走り始めたのだろう。ふだん走りなれていないものだから一人で町を走るのは気恥ずかしく、子供をダシにまずは走り出したようなことか。季節も良いし連休で一段と町行くクルマも少ないから、子供と一緒にどんどん走って身も心も軽やかになって欲しいと走っている彼女らを心の中で応援する。


新聞を読むと全国ほとんど主要都市の駅で、昨年の同じ時期より混雑が60~80%減っていると云う。強権的なロックダウンなど行わなくとも、自主的に自粛する日本人の民度が実証されているようだ。ただ残念なのはエゴ丸出しで、都会の人間を汚染まみれかのようにみなす一部の地域があったことだ。なかでも酷いのは岡山県で、県内の高速道路の出口を封鎖しサービスエリアで検温を実施するなどを企図した上、知事が警察官や県職員のドライバーへの声がけに「声をかけられた人が『まずいところに来てしまった』と後悔してもらうようになれば良い」と話したそうだ。この発言も前後の流れや全文が判らないものの、もし伝えられた通りなら、騒動が収束した後も岡山県に行くのはやめようと思ってしまう。地域、団体、個人問わずこういう時の発信で、普段の表向きリップサービスとは違う排他的な本音が透けて見えるような気がする。


個人的には「どこかへ出かけねばならない」という強迫観念的な思いも湧かず、今年の連休はゆっくり過ごすことができた。以前読んだ本のうち印象深いものはいつかまた読みなおそうと積んであったが、その内の数冊もじっくり読むことができた。小説は2度読むと前回分からなかった物語の伏線がところどころ散りばめてあることに気が付き、なるほどとあらためて納得する点もある。時事問題に関する新書も2度読むと、書き手は何を論旨展開の中心に置きたかったがより明確に理解できる。その他、時間があるので変わらず毎日10キロほど走っているが、社会的マナーを守ってマスクをつけようか、いや走るのにはマスクは不要で過剰なマナーだと外そうか都度逡巡し、一応持って出たマスクを周囲の状況によってつけたり外したりしながら走っている。いずれにしても今年のゴールデンウイ―クは忘れられないものになるだろう。

 

2020年5月 3日 (日)

ジョギングにマスクがいるのか?

どうにもわからないことがある。武漢ウイルスに際し、他人にうつさない為に、ジョギング中にマスクをつける人がいるのはなぜなのか。かつて陸上競技の長距離でマスクをつけて走る練習をする学校があったが、マスクを着用することで空気の取り込み量が減り、その負荷が酸素摂取能力を高めるという目的があったようだ。このようにマスクをして走ると空気のスムースな取入れが阻害され、身体はすぐに息苦しくなって余計な負荷がかかることになる。また、これから汗をかく季節になると、布や紙でできたマスクはすぐに汗で濡れてしまい、長い時間とても着けていられなくなる。今回マスク必要説の根拠にされたと云う欧州の研究例では、走るランナーの後ろ10米くらいまで空気的な影響があり飛沫が飛ぶ可能性があるかのように書かれているが、どうもそれはスリップストリームなど実験の場での流体力学的な推論のようだ。その実験とウイルスの感染が直ちに結び付くのかは甚だ疑問な内容と云えよう。


武漢ウイルスは「飛沫」と「接触」で感染するとされる。しかし、そもそも走っている最中にジョガーは飛沫など飛ばすのだろうか。走りながら会話や咳をしたり、痰を吐けば飛沫は飛ぶであろうが、多くのジョガーがそうしているように黙って走っている限り飛沫がどこから出るというのだろうか。広辞苑で調べると「飛沫」とは「飛び散るあわ。しぶき。とばしり。」であり、「とばしり」とは「とびちる水。しぶき。飛沫。」とある。さらに「飛沫感染」とは、「唾液や喀痰の飛沫などによる病気の感染」であって、普通にジョギングしている限り唾液や喀痰、あわ、しぶき、とばしりなどは出ないのに「飛沫感染」とはどういうことなのだろうか。あるサイトでは、ジョギング中は勿論だが、歩いていても人からは「飛沫」がでると主張しており、そうなるとただ普通に呼吸をしているだけで、世の中どこも飛沫だらけということになってしまう。どうもこの問題では、客観的事実より気分が優先してしまっているように感じてならない。それとも「飛沫」は辞書的な定義と、医学的な定義が違うというのだろうか?


このまま何もしなければ日本では42万人が武漢ウイルスに罹ると発表した学者がいたし、少し前には2週間後の東京は今のニューヨークになるとネット記事をのせた在米のジャーナリストもいた。「何も対策をしない」などということはその時点でもすでにあり得ない前提だったし、その後も状況に応じて対策は変化しているから、そのような数学の学理的な発表はまるで意味がない。また国民皆保険制度がなく、医療環境が日本とは大きく異なり、経済格差も大きいニューヨークと東京では条件がまったく異なるのに、比較することに意味があるのかと思っていたら、2週間後の東京はやはりそうなってはいなかった。どうやら武漢ウイルスに関しては、第一線で実際に治療に奮闘していない「その他」の人たちによる恐怖ビジネスが展開されているようだ。この騒動が終わったら、どの(自称)識者、どのメディアと(自称)ジャーナリストが無責任な不安を煽りたてたのか、だれか一覧表でも作ってくれないかと最近思っている。

 

追記:今日(5月3日)昼過ぎに皇居コースで定点観察したところ、目の前を通過する50人のジョガーのうち30人がマスクを着用していた。ただしマスクをまず着用しない外人やシリアスランナーが多く走る時間にはこの比率は下がると思われる。

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