ダイヤモンド・プリンセスと旗国主義
姉妹船:サファイア・プリンセス 2009年メキシコ、カボサンルーカスにて
外国船の船内は一歩踏み入れれば「外国」である。今回のダイヤモンド・プリンセスは船籍港が英国のロンドンだから、本船が日本国内の港にいてもその船内は英国であって、日本の税関の許可を得なければ陸/船の往復さえできない。一方で日本籍の”飛鳥Ⅱ”や”にっぽん丸”のクルー ズ客船旅客運送約款には「この運送約款は、日本法に準拠し、この運送約款に関する紛争は、当社の本社又は主たる営業所の所在地を管轄する裁判所に提起されるものとします」とあり、同様にダイヤモンド・プリンセスのクルーズ約款も「クルーズに関連して生ずるすべての請求は英国法を準拠法とします」と記されている。今回のダイヤモンド・プリンセスの騒動に関するニュースでは、最近になってネタがつきたのか盛んに「旗国主義」なる言葉が散見され、英国籍の本船と本国の関与がいかなるものかの報道がなされているが、どれも「ちょっと何を言ってるのかわからない?」という類いの記事ばかりだ。本船はたまたま英国が旗国だったが、バミューダやバハマ籍などの客船で同じことが起きればどう云われただろうかイメージが湧かない。「旗国主義」と一口に云っても、世界中で運航される船舶上でおこるさまざまな出来事は複雑で、主義と現実に起きる出来事が一致しないことが多く、今回のような的を得ない解説がなされるのもやむを得ない。
旗国主義による困難な紛争といえば真っ先に浮かぶのがTAJIMA号で、これは2002年に日本の海運会社が実質的に所有・運航するパナマ籍の大型原油タンカー"TAJIMA"号上でおきた殺人事件である。同船はペルシャ湾から姫路港に向け原油を輸送中、台湾沖の公海で日本人の航海士が行方不明になり、この航海士を殺害して海に突き落としたとされた2名のフィリピン人船員の捜査・裁判を巡りもめた事件だ。姫路港にTAJIMA号が到着しても日本の警察や保安庁は被疑者を拘束することはできず、フィリピンも国外犯を裁く法律がないため事件は宙に浮き、結局被疑者たちは一か月以上、本船の居室に留め置かれることとなった。検疫の問題とはいえ船室に拘束されるのは今回の例でも同じようにおきたことだ。当時、海運界は法務大臣など関係大臣に対し被疑者を一刻も早く上陸させる等の措置を講じるよう要望したものの、わが国の法制上はアクションを起こすことは困難であるとして認められなかった。最終的にフィリピン人被疑者両名は便宜置籍国にすぎない「旗国」パナマに引き渡され、同国で裁判が行われ無罪になったのだが、このような事件に対して国際的にも国内にも適用する法律がない事が問題になり、事件の翌年に日本では国会で刑法の一部改正が行われている。「旗国主義」と一口で言っても、事件がおきた時の実際の処理はそう簡単ではないのである。
さて今回のコロナウイルス問題では、ダイヤモンド・プリンセスを横浜港の大黒ふ頭に停泊させ、乗客を隔離させたことが正しかったかどうかが議論になっている。もしダイヤモンド・プリンセスの船長が旗国主義を盾に、今回の措置に疑問があるゆえ日本の防疫体制に従わないと宣言していたらどうだっただろうか。考えられる事はその場合に日本の当局は「それでは日本国の領海外に退去してください」というだけで、ただちに本船は多くの感染者を乗せながら、英国法ないし英国流の処置が受けられる国を探さねばならなかっただろう。領海を無害通行している時には船内で旗国の法令が適用されても、いったん本船が港に入ってしまえば、旗国(本国)主義よりまず寄港国の法律・慣習の適用を受け入れざるをえないのが実務だと云えよう。それが嫌なら何の助けも得ずに再び外洋に出て、自ら助かる方法を考えるしかないのだがそんなことはまず不可能だ。ましてやダイヤモンド・プリンセスには日本人の乗客が多数乗船し、横浜がこのクルーズの最終下船地であることを考えると、「旗国主義」を押し出し何らか違った展開があったかの想像をする事にあまり意味はないだろう。今回は旗国主義の出番はなかったようだが、ただこの問題を契機に、国際海洋法条約に関する新たな取り決めが今後なされることを期待したい。
ダイヤモンド・プリンセスの船尾に翻る英国商船旗 2014年4月基隆にて
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