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2019年12月15日 (日)

ピーター・スネル選手の訃報

20140914
早慶競走部後輩達の1500米レース

1960年のローマ五輪陸上競技800米で金、1964年の東京五輪で800米と1500米で二冠を達成したニュージーランドのピーター・スネル氏が亡くなったと報じられた。80歳だったそうだ。スネル氏は30歳そこそこでアメリカに移住し最後はテキサスの自宅で亡くなったとのことだが、記憶に残るのはやはり東京オリンピックでの黒のランニングシャツ、胸にシルバー・ファーンの国章をつけたニュージーランドのユニフォーム姿である。同じ中距離といってもスプリントが重視される800米と持久力も必要な1500米ではかなり競技の様相が異なる。その両方に勝ったのは、彼が類まれなるランナーだったあかしといえよう。懐かしいアスリートの訃報に接して思い出したのは、当時スネルのコーチだったアーサー・リディアード氏によるリディアード式トレーニングの事だった。

ローマ五輪以前は、中・長距離の練習法として広く採用されていたのはインターバルトレーニング方式だった。これは1952年のヘルシンキ五輪で長距離種目3冠王になったチェコのザトペックが実践して知られるようになったものだ。インターバルトレーニングは400米走を中心にダッシュとジョッグを繰り返すもので、心肺機能を高めるのに最適と云われたものの、トラックとストップウォッチで管理される無機質かつ機械的で苦しい練習と云う印象が強かった。それに対してリディアード方式は、クロスカントリーなどを取り入れた幅広い練習方法で、当時私のように陸上競技を始めたばかりの高校生にとっては惹かれる練習方法であった。速く走るためのトレーニングをするならば、少しでも気分良く練習する方が良いといった心境だった。

時を同じくして隣国のオーストラリアは、ローマ五輪1500米の覇者ハーブ・エリオットや、東京の10000米の銅メダリストだったロン・クラークなど傑出した中長距離選手を輩出していた。その豪州のコーチはパーシー・セルッティ氏で、氏によるトレーニング方式もそういえば注目されていた。当時高校の図書館からセルッティ著の「陸上競技チャンピオンの道」を借りて、砂丘での練習が良いなどと知り、顧問の先生にどこか起伏のある場所で練習できないか相談したことが記憶の底から蘇った。久しぶりにスネル氏の名前に接し、聞きかじった練習方法をいろいろ模索した高校時代のことを思い出したが、あれから50年経っている今もまだジョギングだけは続けている。我が走る原点には、スネルやクラークなど名選手の軌跡と彼らが辿った練習への憧れがあったことを訃報を聞いて感じている。

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コメント

スネルが亡くなったのですか。感慨深いですね。
当時は自分にとっては一種の英雄でした。
リデイアードのコーチは兎に角走り込みで主体はクロスカントリーだった様な気がします。現在はケイトリン・テユーイという女性ランナーが似た様な感じの走り方をしていますが彼女が走り込みに徹しているかどうかは判りません。ただランニングフォームを観るとヒルクライムを相当こなしている様な気がします。
自分も、若い頃は股が太くてズボンの内側が擦り切れて、直ぐに穴がいましたが、今はそんな事も無く齢を感じます
  練習は不可能を可能に  の文言は小泉先生の言葉ですね。懐かしい想いがします。

ADAMさん

コメントをありがとうございました。ADAMさんは陸上競技の中長距離の経験者のご様子ですね。

若い頃は内外のいろいろなコーチの本を読んでは、憧れたり感心したり模倣したりの日々でした。大学卒業まで大した実績は残せませんでしたが、60歳を過ぎてねんりんピックの予選に勝ち、東京代表として何回かのねんりんピック全国大会に入賞したのが良い思い出です。70歳を超えて最近はめっきり走力が衰えましたが、今日も皇居周回コースを10キロほど走りました。汗を流してうまいビールが飲めるのも学生時代に競技を続けた賜物だと感謝しています。

気が向いたらコメントをお寄せ下さい。

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