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2019年12月 5日 (木)

リベラリズムの終わり

20191205
私はいわゆる「リベラル」が嫌いである。リベラルを自称する「人権派」の活動をメディアで見聞きすると何となくうさん臭さを感じるし、リベラルが行き場を失ったサヨクの隠れ蓑になっていることも怪しからんと思う。殊に近年リベラル派がLGBTとやらを取り上げてから、彼らのことが一層いやになった。性的な問題は法に触れない限りどういう趣味であろうと個人の自由ではあるものの、それはきわめて個人的かつ慎ましやかなものであって「世間や法律で認めろ」と自己主張する類のものではない、と考えるからだ。

ということで、哲学者の萱野稔人氏がリベラリズムの限界を哲学的見地から解き明かそうとする幻冬舎新書の新刊「リベラリズムの終わり」を本屋の店頭でみつけて早速読んでみた。この本で取り上げるリベラリストとは個人の自由を最大限尊重する立場で「他人に迷惑や危害をあたえない限り、個人の自由は制限されてはならない」と考える人たちのことである。その考えはしばしば社会の慣習や通念、伝統に反した頭でっかちの理想主義になるから、かつての理想主義であるマルクス主義がそうだったように独善的傾向をもつことになる。

萱野氏はまず近年話題になっている同性による結婚の問題をとり上げる。ここで本当にリベラルが「個人の立場を尊重」するなら同性同士の結婚だけでなく、一夫多妻や一妻多夫なども認めるべきだが、現実はそれは争点になっていないことを氏は指摘する。このようにリベラリズムも根っこの部分では社会の規範意識に縛られており、それゆえに社会を成り立たせる最高原理にはなりえず自ずから限界があるのに、自らの理想に基く独善的主張を顧みないのが彼らが嫌われる第一の要因だと本書は云う。

次にパイの分配を弱者や移民に手厚くすべきというリベラリズムは、国家の歳入などパイが増えるという前提の下でしか成り立たないと論を展開する。この20年間、我が国は高齢化に伴う社会保障費増でパイは増えていないから、世の中がリベラル寄りからより功利主義的になるのだと氏は云う。功利主義とは社会全体の利益が最適になることを目指すもので、少数の弱者が犠牲になることもあるが、限りある資源を有効に使うために有用な考え方である。わが国のほか欧米諸国が右傾化したと云われるのは間違いで、限られたパイを全体の為に効率よく使うべく功利主義が台頭したものだと云う指摘には肯ける。

本書の後半は、現代リベラリズムの理論的バックボーンになるアメリカの哲学者ジョン・ロールズの「正義論」をベースとした哲学的考察がつづく。個人の自由を真に尊重することと、パイの弱者への意図的な分配を掲げるリベラルは本来は相入れないのでは?など哲学者らしいやや難しい記述が続くが浅学の小生でも何とかついていける内容であった。パイの分配と功利主義に関する考察を通じてリベラリズムには限界があることを示し、「条件依存的にしか実現できない理念を普遍的な正義として主張する」リベラリストの欠点を解き明かした納得の書であった。


 

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