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2019年11月

2019年11月29日 (金)

11月も終わり・秋の雑感

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日比谷公園の紅葉

ラグビーの早慶戦は毎年11月23日に行われている。この日に定期戦を行うことにしたのは、過去の天気を調べると11月23日がもっとも天気が良い日だったからだと云われている。ところが今年の早慶戦は本降りの雨の中で行われ、それ以後の日もぐずついた天気が続いていた。1週間ぶりにやっと晴れた今日は、寒気が南下してもう初冬の気配だ。先日、書類届けの途中に通りかかった日比谷公園の大イチョウや日本庭園のもみじも、すっかり紅葉して見ごろであった。雨の降る公園を歩きながら「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し」とベルレーヌの歌をつぶやいてみた。

ここ数年は平日の朝、起きると毎日ピアノの前に座っている。定年後の第3の職場である会社には、9時に行かなくてよいから出勤前のレッスンだ。モーツアルトのトルコ行進曲付きソナタは指定の速さよりよほどゆっくりではあるが、数年がかりでやっと通して弾けるようになった。次の課題にと最近はバッハの「羊はやわらかに草をはみ」に挑戦しているものの、これが難しいのなんの。先生もいない独学で1週間で数小節しか進まないが、それでも起き抜けに指を動かしペダルを踏めば、今朝も少なくとも脳の血管が詰まって手足に麻痺などがないことを実感する。

最近10年前の日記を見ていたら、この10年で皇居1周5キロを走るタイムが2分遅くなっている事がわかった。60才前にはちょっと気合を入れて走ると5キロ20分を切れていたが、今は22分でヒーヒー・ハーハーである。時速にすると15キロで走れたものが13.6キロに落ちたことになる。この10年(120カ月)で2分(120秒)遅くなっているから、皇居1週5キロにつき毎月1秒づつ遅くなっている計算で、老化というのは確実にやってきている事を自覚する。それにしても各地のマラソン大会は老人の部が一様に60才以上の一くくりで、60才になったばかりの人には到底かなわない。高齢者が増えたし今は大会の計測もシステム化されているのだから、65歳以上・70才代・75歳以上の部など小刻みに分けてくれたら励みにもなるのだが。

日比谷公園の大イチョウ
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2019年11月25日 (月)

韓国よ、歴史の真実を学べ ( E.ルトワック)

韓国がぎりぎりになってGSOMIA「終了延長」を発表した。例によって韓国はアメリカに告げ口外交をし仲裁役に引っ張り出そうとしたが、アメリカからはまったく相手にされず、逆に協定破棄をやめるよう強い圧力を受けて方針転換したとの事。我が国の今までの政権なら、何かと韓国に譲歩して丸く収めてきたに違いないが、安倍政権にはまったく通用しなかった。日本の完勝である。「相手にしない」「譲歩しない」が韓国に対する正しい態度である事が証明されたのは、日韓の今後の為にとても慶ばしい事だといえよう。

とはいうものの、これまで仕事で多くの韓国の人と取引してきたし、職場でも韓国の人たちと一緒に働いたことがあったが皆とても良い人たちだった。また20年前に多額の債権がある韓国の取引先が破綻しそうになり、あわててソウルの本社に「いますぐ精算してくれ」と単身で談判にのりこんだら「日本からわざわざ来てくれたからお宅の会社にはまず払うよ」と倒産手続きの前に送金してくれた事もあった。みな個人としては日本人を信用してくれたのだが、国家となるとなぜこうも理解不能になるのだろうか。

11月24日の東洋経済ネット版に外交官だった田中均氏が「日本人が理解していない韓国人の『恨』の意識」としてこう記している。「16世紀の豊臣秀吉の朝鮮出兵や、その後は清の侵攻を受け従属し、日清戦争の戦場となり、日韓併合により日本の植民地となった。漢族や蒙古族、そして日本民族の支配を受けざるをえなかったことに対する恨みであると同時に、日本の敗戦という形で日本支配を脱したにすぎず、決して自らの手で自立を勝ちとったわけではないというむなしさだ」

ここでは私は「自らの手で自立したわけではない」というというのがキーワードではなかろうかと考える。おりしも月刊HANADA12月号には「中国4.0暴発する中華帝国(2016年4月11日)」などで我が国でも高名なアメリカの戦略研究家エドワード・ルトワック氏の「韓国よ、歴史の真実を学べ」という特集があり、読むと韓国の反日感情に対してなるほどと合点がいった。ルトワック氏は戦後のヨーロッパの例をあげ、反日の韓国と同じように永らく反ドイツ感情が強かったオランダは、彼らがドイツ人と戦わなかったからだと論を展開する。

アムステルダムのユダヤ人アンネ・フランクの隠れ家が密告されたように、戦争中は「オランダ社会はドイツに服従し、対独協力が大々的に行われ」「まるでドイツの使用人のように振舞っていた」。よって戦争が終わった後「若いオランダ人たちは自分の父親が臆病者であったからこそ、戦後反ドイツ的感情を持ち続ける」のだと云う。同様にスウエーデンも「戦争終結までドイツに積極的に協力したからこそ、戦後になると(ドイツを)非難してまわるようになった」そうだ。

これに対してドイツと戦い多くの戦死者を出したロシアやユーゴ、静かだが強力に抵抗したベルギーには戦後強い反ドイツ感情がおこらなかった。何故ならロシア、ユーゴ、ベルギーなどは「臆病ものではなく、立ち上がり戦ったのである。誰も自分たちの父を恥じることなく、誇りを持てた。だからこそ戦後、ドイツ人に対して友好的になれたのである」。レジスタンス運動で戦ったフランスは「日本の朝鮮半島で行った行いよりはるかに過酷」な状況だったが「現在、ドイツに対して公的に損害賠償を要求する人がいれば、フランス国内で変人扱いされるようになっている」との説明である。

日韓問題の本質は、日韓の外交や「日本人が歴史に向き合わない」からではなく、服従以上の態度で自発的に日本に協力した父祖の代と今の韓国人の世代間ギャップ、すなわち韓国の国内にあるとルトワック氏は指摘する。「韓国人はいまだに、自分たちの父親や祖父たちが臆病者で卑屈だったという心理的なトラウマに悩まされて」おり、それに対する反発が反日の原動力になっていると説く。それゆえ韓国は「心理の奥底の弱さ」を克服するために、歴史を直視し「苦悩に満ちた再評価」を自ら行う事が必要で、オランダでも1960年代後半から同様の動きが起きているとしている。そして日本も歴史の真実を研究するプロジェクトに力を尽くせと氏は結論づける。田中氏やルトワック氏の視点に立つと、なぜ韓国が訳がわからない国なのか理解でき、彼らの国内問題に起因するならば日本はやはり「毅然」と対応するべしとも再確認できた。

2019年11月23日 (土)

米国産マツタケ

20191123 近所のスーパーでアメリカ産マツタケを売っていた。かつて現役ご本社勤めの頃は広島県の取引先からこの季節にマツタケをもらっていたが、関連会社に出向の身となると当然そんな進物とは無縁になる。その代わり北米西岸の代理店から暫くの間、秋になるとアメリカ産のマツタケが送られてきていた。パシフィック・ノースウエストと言われるアメリカ北西岸、オレゴン州からワシントン州あたりは米松と呼ばれる良質な松の産地である。ここでは山に入るとマツタケも比較的簡単に手に入るという事で、シアトルやポートランドの日本人向けスーパーに行けば秋にはマツタケが売られていた。もっともこんな物をありがたがって食べるのは日本人だけで、値段はマッシュルームやシイタケなどより高かったが、それでも日本よりかなり安いので現地勤務の駐在員には人気があった。

アメリカ産のマツタケは日本のものより色が白く味も大味、独特の香りも希薄なのだが、それでもマツタケの食感は楽しめる。最後の関連会社勤めを辞めてから10数年、アメリカの代理店からもマツタケが届かなくなって久しいので、近所のスーパーで見かけた時にはどうしても「秋の味覚」が味わいたくなった。もっとも一本千円もするので渋る妻を「今年はサンマも不漁であまり楽しめないから、せめて秋にはマツタケを味わおうよ、スダチもセットについているし」と強引に説き伏せてスーパーの籠に放り込んでしまった。という事でその晩はこれをそのまま焼いて、小片を口に入れるたびに「これで百円分」などとブツブツ唸りながら、味はあまりしないがアメリカ産マツタケの食感を久々に楽しんだ。秋も深くなってきた。

2019年11月18日 (月)

第50回 明治神宮野球大会

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慶應義塾大学野球部が東京六大学野球リーグ戦で3季ぶりに優勝し明治神宮野球大会に臨んでいる。日曜日は神宮球場で行われているこの大会に応援に行ってきた。明治神宮大会は短い日程の間に高校の部と大学の部のトーナメントがあるため、これまで神宮球場と隣の神宮第二球場両方を使って開催されてきたが、オリンピック準備で第二球場が取り壊され、今年から神宮球場だけで一日四試合消化するという忙しいスケジュールである。そのため日曜日の第4試合にあたる慶應義塾 対 北海道地区代表・東海大学札幌戦は、午後5時近くなってからのプレイボールとなってしまった。この時期、晩秋のスポーツ観戦は寒さ対策が必要で、この日はズボン下にセーターとジャケットを着込んでの観戦である。

明治神宮大会は昭和45年に明治神宮鎮座50周年を記念した奉納試合として始まったとの事で、大学の部は各地区のリーグ戦を勝ち抜いた優勝校、もしくはリーグ戦優勝校の中から選ばれた学校によって戦われる秋の大学日本一決勝戦である。今季は11校が参加しており、東京からは慶應の他に東都大学野球優勝の中央大学や首都大学優勝の東海大学などが出場している。これまで50回の大会のうち東都大学代表の優勝が16回、東京六大学代表の優勝が13回と両リーグの優勝回数が飛び抜けているが、年によって東北福祉大や東亜大学(山口)などの活躍もあり、ふだん馴染みのない地方の選手を見るも楽しいものだ。

観戦した慶應 対 東海大学札幌の試合は、慶應の一方的な猛打で9対0で7回コールドゲームとなったが、点差ほど実力の相違はないように見られた。地方の大学野球では観客もまばらだが、この日は神宮球場で慶應を応援する多くのファンやブラスバンド、チアリーダーの前で東海大札幌もやや緊張したのだろうか。東海大にしては与えた四球やボテボテの内野安打、慣れぬ神宮球場のカクテル光線で幻惑されたかのテキサスヒットで慶應の打者が塁を埋め、そこで長打を喫して一方的な試合になったのが残念だった。逆に云えば四球をうまく選び、敵のミスにつけ込むあたりが東京六大学や東都大学など厳しいリーグ戦でもまれたチームの強さなのだろう。

それにしても暗くなり足元から寒気も伝わるスタンドでじっと試合を見ていると、明治神宮大会の大学の部を観戦に来たのは19年ぶりであることに気が付いた(高校の部は39回大会決勝の慶応高校の試合に来たが)。最後に大学の部を見たのが2000年秋の決勝・慶應 対 東海大戦だが、奇しくもこの日の対戦相手は同じ縦じまの東海大ユニフォーム。当時の慶応は投手はオリックスに行った山本省吾、阪神の中村泰広、西武でプレーした長田秀一郎、バッターはロッテに行った喜多隆志など多士済々の選手がいた。考えてみるとそのころ私はまだ40歳代後半の働きざかり、週末も接待のゴルフなど忙しい中での観戦だった。顧みればその翌年には関連会社に一方通行の出向に出され、ほどなく嫌気がして退社、その後は同業他社で働くなど激動が始まった時期であった。神宮球場で大学野球を見ているとかつての印象的な場面がフラッシュバックし、目の前で繰り広げられるプレーと自分の思い出がシンクロして不思議な感慨に浸れるのである。

2019年11月11日 (月)

にっぽん丸の事故(4)米国運輸安全委員会調査報告書

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昨年12月30日にグアム・アプラ港で起きた”にっぽん丸”桟橋衝突事故に関して、10月23日に米国運輸安全委員会・NTSB(National Transportation Safety Board)から事故報告書が出された。このブログでも今年1月に3回アップした通り本件に対して興味を持って見守ってきたが、今回のNTSB事故報告は簡潔明瞭に作成されているでその概要に沿って以下所見を述べたい(日本の国交省運輸安全委員会の事故調査報告書は現在調査中)。
にっぽん丸のグアム事故(2019年1月12日)
にっぽん丸のグアム事故(その2)(2019年2月2日)
にっぽん丸のグアム事故(その3)(2019年2月11日)

<事故概要>
事故はニューイヤー グアム・サイパンクルーズ催行中、昨年12月30日夜21時13分にグアムのアプラ港で発生した。当時の気温は摂氏27度、北西の風5メートルで海上は静穏であった。本船は次港サイパンに向け出港準備を整え2050にパイロットが乗船、船首には一等航海士、船尾に二等航海士、ブリッジには船長の他に三等航海士が出港ワッチに当たっていた。2104に最後の係船索が解かれ本船は船長がウィングブリッジにあるジョイスティックを操作し離岸、港内で後進・回頭して出港しようとするなか(画像)、船は後進で対岸の米沿岸警備隊(COAST GUARD)のドルフィン(係船岸壁)に2113に船尾から衝突、50万ドル以上とされる被害を岸壁に及ぼした。

<事故時操船状況>
船長は本船に28年間、船長として6年乗船し当港には10回寄港、同じパイロットの嚮導で操船した事もあって港内の状況は良く知っていた。またパイロットが乗船した時間に船長はブリッジにおらず、にっぽん丸の会社=商船三井客船(MOPAS)の品質管理基準で必要とされる船長とパイロットの出港手続きに関する確認はなかった。ジョイスティックを握る船長は後進旋回中に見当識を失った(lost sense of orientation)らしく、ジョイスティックを誤ったポジションである後進をかけたままにし、行き足がつきすぎて3ノットで船尾から対岸にぶつかった。

後進中、パイロットはDead Slow Ahead(微速前進)、Hard Port(左舵一杯)、Half Ahead(半速前進)など、後進衝突を止めるべく船長に指示をしたが、船長のエンジンに関する復唱はなく操船は変らなかった。この間、船尾の二航士やタグボートから対岸が迫ってきた事を告げる報告が数度あり、パイロットはタグに衝突回避のためよりパワーを要求、ブリッジの三航士もジョイスティックの位置がFull Astern(全速後進)になっている事を船長に告げ、船長からジョイスティックを取り上げようとしたが船長に阻止(rebuff)された。

<事故後の検証>
怪我人が出ず本船の浸水もなかったため、にっぽん丸は一旦出港した岸壁に戻り、Coast Guardの調べを受けている。そのインタビューで船長は、当日1300に缶ビールを1本、1700~1800にウイスキーのソーダ割缶を1.5本、事故後に"To calm mind"(落ち着く)の為に缶ビール1本呑んだと供述しているが、事故後5時間の呼気アルコールは0.071ℊ/dlで、もっとアルコールを呑んでいたのではないかと報告書は推測している。なお米国の操船基準は0.04ℊ/dl、MOPASの基準は0.03ℊ/dlとの事で、我が国のクルマの酒気帯び運転は0.015ℊ/dl、飲酒運転は0.025ℊ/dlである。

NTSBの報告書は船長が飲酒の上、ジョイスティックを誤って操作した事が事故の主因としているが、ブリッジの三等航海士の証言では「船長にはブリーフィングや報告は要らない」と云われ、船内のコミュニケーションが良くなかった(power distance)状況があった事や、パイロット乗船時に打ち合わせがなかった事、本船オフィサーが日本語で報告しあっているのに対しパイロットやタグは英語でお互いに状況把握が十分でなかった事も事故の要因に挙げている。

<私の感想>
こうして見ると、この事故は最近のアクセルとブレーキの踏み違いの自動車事故と似ているような気がする。ドライバー本人は一生懸命ブレーキを踏んでいるつもりでも、足はアクセルを踏み続けてクルマが暴走し事故が発生すると言われるが、本船の船長も周囲から度々危険が迫っている指摘を受け、ジョイスティックをAstern(後進)からAhead(前進)にしているつもりが、実際はAsternのままで手が動いていなかったのではなかろうか。飲酒していることや日頃からブリッジ内のコミュニケーションが良くない事が、冒進の歯どめを失わせる事に繋がったのだろう。

さて今年の夏に小笠原クルーズで久しぶりに”にっぽん丸”に乗った際は、船長を補佐する副船長が乗船している上、着桟の際のエンジンの速度調整はジョイスティックでなく、ウイングの船長がブリッジ内の3航士ないしはクォーターマスターに口頭で指示する伝統的なやり方になっていた。MOPASも事故に懲りて様々な事故対策を実施しているようである。戦前から一貫して貨客船・移民船を運航し続けて来たMOPASは、この事故を機に見直すべき点は是正して今後は安全運航を期してもらいたい。

2019年11月 7日 (木)

2019 飛鳥Ⅱ 秋の休日ウイーンスタイル クルーズ(3)

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もう一つ、この航海ウイーンスタイルクルーズのオマケが、上野・国立西洋美術館で開催中の「ハプスブルグ展」の鑑賞券だった。オーストリアといえばハプスブルグ家である。オーストリアと日本の国交150年を記念して、同家の600年に亘る帝国コレクションの一部がこの秋から上野で展示されているそうで、その入場券が乗船記念についてきた。私はこれまで音楽は好きでも美術にはあまり興味なかったが、なんでも「参加」してみるとそこに新たな発見があるから、最近は名画と云われるものは一応見てみようかと心掛けている。せっかくの「ハプスブルグ展」鑑賞券である。ウイーンスタイルクルーズ乗船を機に、また新たな分野を知るのも良いかもしれない。

さて飛鳥Ⅱは来年初めからシンガポールのドックでリニューアル工事を実施する。リドカフェやリドガーデンが改装され和洋室のキャビンが登場するなど工事が行われ、その一環で従来あったパドルテニス用のウインブルドンコートが、ドック後は露店風呂のスペースになってしまう。本船は他のクルーズ船に比べジョギングをしたり体を動かす設備が充実しているのがとても良いが、それでも長い航海日が続くと活動がマンネリ化してくるものだ。そこで私たちはグローブと軟式野球のボールを持参し、夕食前など誰もいない時間を見計らい時々ウインブルドンコートで夫婦でキャッチボールをしていた。2011年の世界一周クルーズではフィトネスのインストラクターが高校時代に女子野球部で、彼女を誘ってはその剛球に驚いたのも懐かしい。

そんな思い出の場所が来春から改装されなくなってしまうので、今回はグローブと軟球を持ち込み、夫婦で「思い出のお別れキャッチボール」をしてみた。我々からすれば今の大浴場があれば充分なので、露天風呂などを造るより運動スペースや自由に使える空間のままが良かったのだが、飛鳥クルーズの発展のための工事だろうから仕方がない。ここでは通りかかるクルーや他の乗客から「こんな所で何してるの」と奇異な目で見られつつも、夕陽をバックに大海原でボールを投げるのが気持ち良かったから、妻は「この場所がなくなると思うとうるうるしちゃう」と最後のキャッチボールにやや感傷的になっていた。来年のドック明け、改装された飛鳥Ⅱがどんな内容で復帰するのか、最後のキャッチボールを楽しみながらその姿に思いを巡らせていた。

2019年11月 6日 (水)

2019 飛鳥Ⅱ秋の休日 ウイーンスタイル クルーズ(2)

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コンサートの開演を待つギャラクシー・ラウンジ

”飛鳥Ⅱ”ウイーンスタイルクルーズと云えばウイーンフィルのコンサートマスターを務めたこともあるお馴染みダニエル・ゲーデさんだろう。前回2015年のウィーンスタイルでは違う楽団だったが、2018年のワールドクルーズでは彼が率いる三重奏楽団のステージがあったから、今回で演奏を聞くのは二度目となる。ゲーデさんと飛鳥は特別に相性が良いのかと思っていたら、彼は日本で東日本震災の被災地先を毎年巡ったり、子供たちに音楽を教えたりしているそうで、その様子は先日NHK・BS「奇跡のレッスン」でも放送された通りである。今回彼はピアノとチェロの名手2名を伴いウイーン・フーゴ・ヴオルフ三重奏団としての乗船である。

彼らの姿を11月1日の横浜出帆には見かけないと思っていたら、実はその日は都内で補聴器を利用する人たちのために「みみともコンサート」に出ていたことを、帰宅した日の読売新聞が報じていた。翌日11月2日に四日市で飛鳥Ⅱに乗船した彼らは、3日目終日航海日の夕方、インフォーマルデイのステージに登場だった。船内コンサートは例によって冒頭ショスタコーヴィーチ作品と聞きなれない曲から始まったが、ヘンデル、ファリャ、日本の歌メドレーなどに続き、定番の「美しき青きドナウ」と盛り上げ、アンコールはお約束のラデッキー行進曲である。ウイーンスタイルとくれば日本人が期待する通りにお応えします、という演出で楽しかった。

良い音楽の後は食事である。ウイーン風グーラッシュ(シチュー)などに続き、この日のメインは牛フィレのポワレがシェフお薦めだったが、私たちはせっかくだからウインナーシュニッツェルを(子牛のパン粉焼き)を選ぶ事にした。飛鳥Ⅱの食事は最近とても美味しいので、ここでも迷わずもう一皿ウインナーシュニッツェルをお替りしてしまうが、お替りを遠慮なくできるのが本船の素晴らしいところである。当日はたまたま我々の結婚記念日で、食後バンドの演奏とケーキでクルーから祝ってもらったのも良き思い出となった。昼はウイーンについての講演を聞き、ザッハートルテをおやつに愉しみ、一流の室内三重奏の音楽にウイーン風のディナー、その後は二人でクラブ2100でちょっとダンスと、居ながらにして非日常の世界を楽しめるがクルーズの良さである。

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ザッハートルテとウィンナーシュニッツェル
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2019年11月 5日 (火)

2019 飛鳥Ⅱ秋の休日 ウイーンスタイル クルーズ(1)

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旧東海道は桑名・熱田間七里を水上で結ぶ 桑名七里の渡し跡にて

飛鳥Ⅱの「秋の休日ウイーンスタイルクルーズ」(3泊)に乗船した。2015年11月に行われたこのクルーズが良かった事と、昨年のワールドクルーズ特典であるアップグレード券の期限切れが間近に迫っており、これを使わねば損というのが乗船の動機である。例によってアップグレードの際はどのカテゴリーを選べば最も得なのかを調べてみると、Dバルコニーキャビンの値段でCスイートを利用するのが最も値差が大きいとわかり、今回は久々に嬉しい10デッキ乗船とした。ちょうど3連休の期間で、これなら仕事の影響が少ないのも乗船理由の一つである。

秋晴れの横浜港大さん橋を出たのは11月1日(金)午後4時、今回の寄港地、四日市までの海域は高気圧に覆われて波も穏やかだと新任・赤松船長のアナウンスがあった。このクルーズはほぼ満船状態で、ウイーンフィルの元コンサートマスター、ダニエル・ゲーデさんの三重奏団を目当てのクラシック音楽ファンも多いのか、船内がちょっと上品な感じがしないでもない。そのほか元オーストリア航空関係者の講演のほか、テォータイムにはザッハトルテ、ディナーはウイーン風の料理が出されるとあって、居ながらにしてオーストリアスタイルを満喫する趣向である。

翌朝ついた寄港地、四日市は今年1月に飛鳥Ⅱ新春の伊勢クルーズで来た場所だ。その時は妻と本船の無料ツアーで椿大神社にお参りし、四日市市内をジョギングしたので町の大体の感じは判っているつもりだ。よって今回はシャトルバスで近鉄四日市駅まで行き、近鉄電車に乗り七駅隣の桑名市まで行って、昼に焼き蛤でも食べようと妻と計画していた。近鉄名古屋本線のローカル電車にゆっくり乗る機会も滅多にないから、テツオタとしてはそれも楽しみである。

近鉄四日市駅にやってきた名古屋行準急は3両編成で、このあたりでは各駅に停車する。例によって妻と二人、運転席すぐ後ろのかぶりつきに陣取り、関東の私鉄とは異なる線路標識や信号などを眺めているとあっという間に桑名に着いた。まず駅近い料理屋に飛び込みで入り、地元産の名物焼き蛤や蛤フライを肴にビールを呑んだがそれの旨かったこと。蛤の後は秋晴れの下、風情ある旧東海道をブラブラ歩き「七里の渡し」跡に出れば、広重の「桑名」を彷彿とさせる木曽川・長良川・揖斐川の水辺である。いにしえから交通や治水がさぞ困難だった事が実感できたが、東京から普段あまり来る事のない眺めに触れられるのもクルーズの良さである。

その手は桑名の焼きハマグリ
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