東京2020オリンピックボランティア共通研修
ボランティアのユニフォーム
来年に迫った東京オリンピックで何かのお役に立ちたいとごく気軽な気持ちでボランティアに応募した。ところが今はボランティアになるのもそう簡単なものではない。まずボランティアの応募者は今年の2月にオリエンテーションと面談があり、そこで審査を通らねばならなかった。まあ8万人も必要というボランティアの中に「変な人」がいても困るから面接があるのはわかるが、そのオリエンテーションでは初めて会った応募者同士でなるべく多くの人に自己紹介しろやら、グループを作って紙細工をしろやら参加者を馬鹿にしたような課題が出されて面食らった。
先週日曜日は、代々木の国立オリンピック記念青少年センターで面接をパスした人たちが「共通研修」に呼び出された。同じくボランティアに応募した妻とともに日曜日の午後に正味3時間の研修である。研修は例によって二度と会わないだろう周囲の人との自己紹介に始まったが、演壇の講師の質問に両手を高く挙げて答える練習やら、隣の人とじゃんけんして本気で喜ぶゲームやら、まるで幼稚園レベルの演習である。肝心の講義は近代オリンピック大会の歴史や日本IOCの嘉納治五郎などのレクチャーで、この程度ならすべて常識で知っている範囲といえよう。
長時間の講習で参加者を飽きさせない為か、途中で出されたクイズは「オリンピックの選手村では大会中に食事が何食出るか」「ロンドン大会のツイ―トされた数」などとおよそ本題とは関係ない設問。こんな事で時間を潰すくらいならさっさと時間を切り上げろと気の短い私は心の中で舌打ちし、つい「時間の無駄だよ、早く終わらせろよ」と悪態が口をついて出る。自分ではごく小さな声でつぶやいたつもりだが、隣に座る妻は「真面目にやっている周りの人に聞こえるわよ、黙って!」と気が気でないようだ。こんな事で夫婦の間が険悪になっても拙いと、つい一人でブツブツ舌打ちしては妻に幾度も謝り「何の為に来たのだろう」と情けなくなってきた。
休憩をはさんだオリエンテーション後半は、「ダイバーシティ・インクルージョン」と大仰なテーマの講義である。心身の不自由な身の人になって物事を考えて下さいという趣旨は理解できるも、上から目線の講師の口からLGBTなる単語が出てくると「オリンピックとLGBTに何の関係があるの?」と白けてしまう。LGBTと云えば人権や弱者を前面に押し立てたあやしげな連中が浮かんで来るから、思わず「オリンピック利権」という言葉を連想してしまう。私はセミリタイアの身だが若い人たちはみな忙しい時間を割いて研修に参加しているのである。この長時間の研修は必要だったのだろうか、内容的には1時間ほどで済むようなものだったと感じた。
研修用の豪華(すぎる)冊子。
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