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2019年10月

2019年10月31日 (木)

大人の社会科見学・製紙工場

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先週、九州にある大手製紙会社の工場を見学する機会を得た。永いあいだ重厚長大産業向けの原料や燃料を輸送する業務に携わってきたので、荷主に納めた貨物がどう使われるのか、いかなる過程を経て出荷されるのかいつも興味をもってきた。これまでに大手製鉄所や自動車工場、銅や亜鉛などの非鉄金属精錬工場、化学プラントやセメント工場など多くの工場を見学することができたが、紙やパルプを造る製紙工場を見るのは初めてだ。我々海運業が世界の各国から運んできた木材のチップ(3センチくらいの木の小片)が、どうなって紙になるのか興味津々である。

輸入された木材チップは、まず工場の大きな溶解釜で薬品と共に煮られ、植物繊維を取り出した後にプレスされてパルプとなることが今回の見学でわかった。できたパルプを叩き薬品で加工すると紙ができるという事を知り、我々のあらゆる生活場面で何気なく使われる紙製品や書籍紙がこうしてできるのかと改めて得心する。かつて製紙過程の副産物であるリグニン(木材の細胞の結合を促す成分)や、カオリン(主に漂白剤として使われる)の輸送に携わった事もあったが、これらの物質が紙の製造にいかに関連していたのか、改めて知識が点から線になった気がする。そのほか東南アジアの紅葉樹や北米の針葉樹が、その性質によってどういう紙に加工されるかなど、同じ「紙」といっても色々な要素がある事を初めて知った。

それにしても国内の各種工場を見ていつも感心するのは、構内がきちんと整理整頓されている事である。かつて中国や東南アジアの各産業の工場を見た際、休止しているプラントや使われていない建屋の中は、ゴミとホコリだらけだった事と正反対だ。また主だったプラントや大がかりな機械だけでなく、工場内の電気回路やモーターなどの各種の機器、さらに工具類までが国産メーカーの製品であることに日本の製造業の真の力を感じた。ちなみに中国では製紙の上流過程はなく、パルプを日本から買って紙をつくるとの事。中国や韓国がいくら偉そうなことを言っても、原料から半製品を経て市場に出るまで一貫した創意工夫で成り立つ日本の基礎産業の強さを見た気持ちがした。

2019年10月23日 (水)

泉屋のクッキー

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六本木で時間が余って明治屋にぶらっと立ち寄ってみると泉屋のクッキーを売っている。子供の頃に来客の手土産や贈答品としてよく頂いた、浮き輪の商標のレトロな雰囲気のクッキーである。アルコール摂取量を減らして以来、甘いものを摂りすぎかと思うも、久しく食べていなかったし小さなビニール袋の廉価版なのでつい買ってしまった。帰宅してさっそく封をあければ当時好きだったラムケーキ風フルーツバーこそ入っていないが、昔食べた思い出の品々ばかりで何から食べようかと一瞬逡巡する。

当時このクッキーの缶入りを開けた時、好きな種類を後のお楽しみとして残しておくと、弟がちゃっかり人の分まで食べていてよく喧嘩をしたものだった。その思い出のクッキーをほおばると甘みを抑えたビスケットのような風味、高度成長が始まる前の昭和というべき素朴な味が口の中で蘇ってきた。「そうだよ、この味だよ」と独り言ちながらついムシャムシャと幾つもほおばってしまう。

泉屋のホームページによると会社創業は昭和2年、クリスチャンだった泉家が米国人宣教師の夫人からクッキーの作り方を学び、日本で初めてクッキーを販売したそうである。昭和30年代の子供時分、記憶をたどればクッキーといえば神戸のユーハイムか泉屋くらいしかなかったし、ケーキは生クリームが貴重品でバタークリームのものがほとんどだった。当時はクッキーやケーキをかじっては、ボンネットバスの形にしたり飛行機をまねしたり想像の世界が縦横に広がった事を懐かしく思い出した。

60年ぶりにチョコレートクッキーから製作したボンネットバス
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2019年10月22日 (火)

慶応野球部・優勝に王手

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明治のエース、広島ドラフト一位 森下君の奮闘

明治神宮外苑に「夕闇迫る神宮球場、ねぐらへ急ぐカラスが一羽、二羽、三羽……」とかつてNHKの松内アナウンサーが放送した季節がやってきた。ラグビーのWC日本対南アフリカ戦を前に、日曜日は東京六大学野球の慶応義塾大学・明治大学の2回戦を観戦に神宮球場へ向かった。慶応はここまで7連勝で3季ぶりの優勝へまっしぐら。投手陣が安定しており、先日のドラフト会議で野球部史上最多の4名がプロ野球に指名された層の厚さでここという場面を制してきた。対する明治は法政と早稲田に勝ち点を落として優勝争いから脱落するも、広島ドラフト1位・エース森下君(大分商業)の最終シーズン登板が楽しみである。スタンドには観客も一万人以上入り、「天日の下にぞたたかわん」という日和である。

明治戦になると登場する慶応応援席の銅鑼の音をバックにプレイボールだが、ふと見まわすと球場周囲の景色も大きく変化した事に気がつく。レフト側にそびえる国立競技場はその外部工事がほぼ完成したようだし、秋のシーズンになると外野手の真正面になる夕陽も日本青年館ビルの高層化で影の伸び方が変わってきた。東京オリンピックを機に神宮第2球場などこの辺りも一変するそうで、懐かしい光景もいつまであるのかと懐旧の念がわきおこる。明治の紫紺のユニフォームに身を包み主将のあかし背番号10の森下君がマウンドに上がると、かつて同じ明治の主将・背番号10で打者と真っ向勝負をした星野仙一や井上明(松山商業・のち朝日新聞)、高橋三千丈(静岡商業・のち中日)ら名投手の雄姿が心に浮かんできた。などと昔の事を思いおこすうち、ベンチから短躯の島岡監督が真っ赤な顔をして薄暮のグランドに飛び出してくるかの幻想にしばし捕らわれてしまう。伝統の一戦とは良いものだ。

病み上がりの森下君は球が上ずり微妙なコントロールに苦しんだが、最速153キロの速球で連打を許さない投球はさすが大学球界ナンバー1の実力と云えよう。対する慶応の森田投手(2年・慶応)もこの秋大きく成長して、まったく危なげない投球である。1対1のまま9回になった試合は、まず慶応の大久保監督が仕掛けた。ここまで好投の森田を一死ランナー無しの場面で交代、明治の左打者に対し左腕の増居(1年・彦根東)がワンポイント・リリーフ、その後を石井(4年・慶応志木)がきっちり抑える。すると9回裏の攻撃で2死から小原(4年・盛岡三)の2塁打でサヨナラのチャンスが到来だ。次打者の申告敬遠のあと投手の打順で代打の橋本(2年・出雲)が粘った挙句、森下の投球を強振すると打球は前進守備のセンターの頭上を越えて行って慶応がサヨナラ勝ちした。スパっと投手を代えるとその裏に投手の打順がきて、そこで起用した代打が成功するとは監督の采配が冴えすぎだ。これで慶応は優勝に王手をかけたが、選手の力もある上に監督が選手をよく理解し信頼しているのがわかり、今年のチームならあと一勝して優勝できるのではと嬉しく帰路についた。家に帰ると旧友から優勝したら祝勝会をしようと早速お誘いのメールが届いた。

薄暮の神宮球場
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2019年10月16日 (水)

リーチ・マイケルの日本語

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ラグビー日本代表の快進撃が続く。ところでリーチ主将の笑顔の記者会見を見ていると「めちゃうれしい」とか「ボコる」、「(とてもいいという意味での)ヤバい」などと若者言葉の連発である。トムさんことトンプソン・ルークの関西弁も流ちょうでほほ笑ましい。画面に登場する外国人と云えばお笑い芸人など一部をのぞいて、ふつうは標準語だから彼らの容姿と喋る言葉の相違がなんだか面白い。考えてみれば彼ら外国オリジンの日本代表は永い間我が国で生活しているし、特にチームメイトとは普段着の日本語で生活しているから、出てくる言葉も若者言葉になるのは当然なのだろう。

そういえば昨年ポルトガル・リスボンのレストランで、妻がおいしい「Gostoso(ゴストーゾ)」と言ったら、現地の人に「それはブラジル語でポルトガルではあまり使わないよ」と言われ「エッ!?」と面食らっていた。かつてポルトガルの植民地だったブラジルに父親の転勤で子供の頃に住んでいた彼女にしてみれば、どこでも通じるポルトガル語のつもりだったのに、それは本国では使わないと云う。店員に「ではこういう時は何て言うの?」と聞くとごく普通に「Bom(ボン)とかMuito bom(ムイトボン)だよ」との事。学校で習う外国語と違って、レストランで使うようなしゃべり言葉は土地土地で違う事にあらためて気づかされたのである。

ふと思うと自分も嬉しそうにアメリカで覚えた口語英語を使って、おいしいを "Awesom!"(オーサム)などと云いそうだ。ところが「素晴らしい」(ヤバい)という意味のこの単語は米国語で、英国ではその意味ではほとんど使われないらしい。かつてアメリカの同じ職場に沿岸警備隊(US Coast Guard)あがりの社員がいて、彼の口癖が "Goofy"(グーフィー) であった。一日に何回も "Goofy" を連発するので、すっかりこちらも耳に馴染んでしまいつい使いたくなったのだが、この単語は「マヌケ」とか「トンマ」を意味するようだ。正式な場で私がうっかりこのようなスラングを使ったら、きっと周囲から奇異な目で見られた事だろう。海外で我々が一生懸命流行しているフレーズでしゃべっても、現地の人には異邦人が「ガチでフルボッコだあ」と言う感じにとられるのか。リーチ主将ならご愛敬だが、スラングや口語は注意も必要だ。

2019年10月15日 (火)

ラグビーワールドカップ・日本代表8強に(10年前の夢)

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このグループで予選リーグを勝ち上がるのはまず無理だろうと思っていたラグビー日本代表がスコットランドも破ってよもやのベスト8である。日曜日はテレビの前でビールを飲みながら、そして妻は日の丸を降りながらの応援であった。画面を見つつスコットランドが日本代表をまくり上げるプレーに、「ああヤンボ、ヤンボ(敵ボール)」「マイボール、マイボール」と幾度も絶叫してしまった。日本代表の突進に対し、かの大男たちが相手を倒さず力づくでモールにし、そのままアンプレーアブルの反則を誘うなど国内の大学ラグビーでは滅多に見られない場面である。こんな相手によくぞ勝ったものだ。さあ、ここまで来たからには次の南ア戦にも期待したいが、ラグビーのこんな盛り上がりを誰が予想したであろうか。

テレビの前で興奮した後に、3連休とあって何となく自分の過去のブログを眺めていたら、ちょうど10年前の2009年にこんな事をアップしていた。以下それを引用してみる。

ラグビーワールドカップ(2009年7月29日)
----- 引用開始 -----
『10年後、2019年ラグビーワールドカップの日本開催が決定したそうだ。最近はサッカーに押されて人気も低迷しているラグビーだが、10年という丁度良い強化期間と目標が出来たわけである。母校のラグビーの応援を中心に、永年秩父宮ラグビー場に通ってきた私も、ラグビーの人気がこれを契機に復活する事を願っている。

人気回復の為には、日本の力が国際レベルになる事が必須条件なのだが、ラグビーという競技は、まず8割方「強い」と云われるチームが勝つのであって、サッカーや野球の様に弱いほうが1点を取って守り切って逃げてしまう様な番狂わせの試合はあまりない。どうしても体が大きくかつ体力に優れたチームが勝つ様だが、最近のラグビールール改正の本旨、すなわち中断せず素早く展開するプレーを、今後の「ジャパン」がより徹底し実践する事で一矢報い、国際レベルに少しでも近づけられないだろうか。それにつけてもアジアでのワールドカップを機に、必ずしも体力勝負だけでは決まらないラグビーになる様に、ルールが抜本的に変わればよいのに、などと素人は思うのだが、それでは格闘技の要素もあるこの競技に根幹に響くだろうか?

もう一点、ラグビーの重要なポイント、オフサイドや密集の中での反則行為がもう少し観客に判りやすく、見るものとグラウンドがゲームの流れを共有できないと、なかなか大衆化しづらいのではないだそうか。審判の絶対的権限や陣取りゲームというラグビーの根っこに触れる点であろうが、反則が観客に広く理解できる様な「見るスポーツ・わかりやすいスポーツ」への改革も必要と思う。こういう点を変えてしまってはもはやラグビーではないと云う点まで抜本的に見直して、ワールドカップを日本でやるに際し人気回復の策をあらゆる点から検討してほしいものである。

それにしても、最近は人気の関東大学ラグビーの対抗戦グループの試合も、便利な秩父宮開催が減って熊谷など遠隔地で行われる事が多い。手短かな人気回復策の為に、なるべく都内の便利な場所で試合をして欲しいものである。競ったラグビーの試合を80分間見ると、日頃のストレスが癒される気がする。それほどラグビーの試合は面白いものだから、以前の様に東京のまん中でもっと多くの人が楽しめたら、と思うのである。』
----- 引用終わり -----

さて10年前に願った思い、「国際レベルの日本代表」は見事に今年のチームが成し遂げてくれている。ルールもスピーディな展開になるように逐次変わってきているし、テレビの解説も今回は判りやすい。スコットランド戦は「オフサイド」など密集での反則も少なく、見ていてもスリリングで多くの人が楽しんだであろう。こうしてみると10年前に描いた思いはほぼ実現したわけだが、あとは秩父宮ラグビー場の改修計画が早く実現し、都心に芝生の美しい本格的なラグビー専用競技場が出来て欲しいと願うばかりである。

2019年10月12日 (土)

東京2020オリンピックボランティア共通研修

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ボランティアのユニフォーム

来年に迫った東京オリンピックで何かのお役に立ちたいとごく気軽な気持ちでボランティアに応募した。ところが今はボランティアになるのもそう簡単なものではない。まずボランティアの応募者は今年の2月にオリエンテーションと面談があり、そこで審査を通らねばならなかった。まあ8万人も必要というボランティアの中に「変な人」がいても困るから面接があるのはわかるが、そのオリエンテーションでは初めて会った応募者同士でなるべく多くの人に自己紹介しろやら、グループを作って紙細工をしろやら参加者を馬鹿にしたような課題が出されて面食らった。

先週日曜日は、代々木の国立オリンピック記念青少年センターで面接をパスした人たちが「共通研修」に呼び出された。同じくボランティアに応募した妻とともに日曜日の午後に正味3時間の研修である。研修は例によって二度と会わないだろう周囲の人との自己紹介に始まったが、演壇の講師の質問に両手を高く挙げて答える練習やら、隣の人とじゃんけんして本気で喜ぶゲームやら、まるで幼稚園レベルの演習である。肝心の講義は近代オリンピック大会の歴史や日本IOCの嘉納治五郎などのレクチャーで、この程度ならすべて常識で知っている範囲といえよう。

長時間の講習で参加者を飽きさせない為か、途中で出されたクイズは「オリンピックの選手村では大会中に食事が何食出るか」「ロンドン大会のツイ―トされた数」などとおよそ本題とは関係ない設問。こんな事で時間を潰すくらいならさっさと時間を切り上げろと気の短い私は心の中で舌打ちし、つい「時間の無駄だよ、早く終わらせろよ」と悪態が口をついて出る。自分ではごく小さな声でつぶやいたつもりだが、隣に座る妻は「真面目にやっている周りの人に聞こえるわよ、黙って!」と気が気でないようだ。こんな事で夫婦の間が険悪になっても拙いと、つい一人でブツブツ舌打ちしては妻に幾度も謝り「何の為に来たのだろう」と情けなくなってきた。

休憩をはさんだオリエンテーション後半は、「ダイバーシティ・インクルージョン」と大仰なテーマの講義である。心身の不自由な身の人になって物事を考えて下さいという趣旨は理解できるも、上から目線の講師の口からLGBTなる単語が出てくると「オリンピックとLGBTに何の関係があるの?」と白けてしまう。LGBTと云えば人権や弱者を前面に押し立てたあやしげな連中が浮かんで来るから、思わず「オリンピック利権」という言葉を連想してしまう。私はセミリタイアの身だが若い人たちはみな忙しい時間を割いて研修に参加しているのである。この長時間の研修は必要だったのだろうか、内容的には1時間ほどで済むようなものだったと感じた。

研修用の豪華(すぎる)冊子。
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2019年10月 9日 (水)

聖坂の変わったビル

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ようやく少し涼しくなり秋らしい気配が漂ってきた。仕事の合間をぬって散歩ができる季節である。事務所の周囲を東京港の方に行ったり芝公園を歩いたりと、天候や気分次第であちこち散歩を楽しんでいる。そんな中でお気に入りのコースが、港区の三田から高輪方面に伸びる「二本榎通り」である。その昔、近くの白金に二本の榎があった事から、あたりを二本榎と云うそうだが、この道はいかにも古くからある尾根筋の街道という風情で歩いていて心地良い。江戸時代の古地図や明治・昭和初期の地図を見ても、道は今と同じ場所を通っていて、適度な勾配に応じて昔の塚や老舗のお菓子屋さん、さらに皇族邸宅などもあって散策して興味が尽きない。

そんな二本榎通りの入り口、三田の聖坂を上っていくと、道路の左側にちょっと度肝を抜かれる建物がある。マンションに挟まれ、鉄筋が丸出しのその異様な建築物を初めて見た時は、立ち退きに応じない土地の所有者が、嫌がらせのためにわざとビルの一部を残して去ったものかと思えたのだった。建物の中にはなにやら資材らしき材料も置かれていて、ますますこの存在の謎は深まる。しかしその建物の周囲には開発に反対などするビラや囲いの類いもなく、道行く人たちもなんら注意を払っていないことからすると、どうやらこの風景はあたりで日常のものであるらしい。見ると壁面には、この建物を説明する雑誌の切り抜きコピーが貼られているので、立ち止まって読んでみることにした。

それによると、これは「蟻鱒鳶ル」(あり・ます・とんび・ル=アリマストンビル)という建物で、ある建築家が2005年からすべて手造りで建てている最中だとある。40平方米の土地に3階建てのビルができるとの事で、建築家は自分で買ってきたセメントと水と砂と砂利を練って型枠にいれ、即興で現場で思いついた建物をこさえているのだそうだ。貼られたコピーには建築家がなぜこのような事をするのか、その人となりや経緯が記してあったが、それにしても人目をひく事業である。さらに建物は周囲のセットバックして作られたマンションより一段と道路に迫っていて、当局から引っ込むように云われていると云う。これまで都内あちらこちらでジョギングしたり散歩してきたが、このような変わった建築物は初めてである。まだまだ面白いものが都内にあちこちあるのだ、と改めて感じつつ、秋の好日にどこを走るか歩くか計画を練る。

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2019年10月 1日 (火)

スポーツの秋(RWC2019 日本対アイルランド)

秋の週末は忙しい。特に今年は4年に一度のラグビーワールドカップがあってなおさらだ。先週土曜日は日本対アイルランド戦があった。テレビで見る関係者や評論家は、前半は点差が離れないようについていき、後半半ばからフィットネスで日本が勝利したいなどと言っていたが、横浜でアイルランド対スコットランド戦をこの目で見たあとは、アイルランドの強さに正直到底かなわないと思っていた。何より彼らの緑の壁と呼ばれる組織だった守備が素晴らしく、まあ日本は30対10くらいで負けるのだろうな、というのが戦前の我が予想であった。さてテレビの前での観戦も、前半9対12で折り返した時には、たぶん後半の10分から20分ほどで2トライは取られ、せいぜい最後に1トライ返して終わるのだろうか、という気持ちだった。

ただ試合は日本のフォワードが思ったほど押されず、ラインアウトもきっちり球を確保している。とくにリーチ主将が途中出場してからは、二人がかりのタックルも良くなり守りが機能しているのが判った。前半相手が取ったトライも攻め込まれた挙句ではなく、キックからのものだったから、日本のプレッシャーはかなり効いていると感じられ、一抹の希望を持ちながら展開を見守った。一進一退で日本の善戦のなか、後半18分ついに日本が逆転トライ、30分のペナルティキックの加点でなんと19対12でリードするではないか。我が予想は大外れで嬉しい「まさか!まさか!」だが、ラグビーは大体強いといわれた方が勝つものだ。数年前の早慶ラグビー対抗戦で慶應リ―ドのなか、終了間際に早稲田に徹底的につながれて逆転された悪夢が蘇る。などと手に汗を握っているうち、そのまま19対12で日本が勝ち切ってしまった。そして、こんな歴史的な日に節酒はやめようと、同じく悲観論から一転大喜びしている妻と共に、日本の勝利を祝いながらいつもの倍のビールを飲んでしまった。

昂奮さめやらぬ翌朝、テレビをつけるとドーハで行われている世界陸上競技選手権50キロ競歩が生中継されていた。残り5kmの時点で、日本の鈴木選手が後続に2分近くの差を付けてトップを歩いている。こちらも固唾をのんで見守るうち、日の丸を手に鈴木選手が見事金メダルを獲得した。日本の競歩界に強い選手がいる事はニュースで知っていたが、世界陸上での優勝とは立派なものだ。競歩といえばかつて我が学生時代は、長距離選手として大成しない選手がインカレの点数稼ぎに転向したように、日本では地味な種目だったが、彼の活躍をきっかけにこの種目がもっと注目を浴びるようになって欲しいものである。さて競歩を見終わった後は、この秋初めての東京六大学野球の秋季リーグ戦観戦に神宮球場に向かう。第一試合は慶應の2年生投手・森田君が立教を1安打に抑える好投、第2試合は主砲・加藤君の活躍で早稲田が明治を下しシーズン初勝利を挙げるなどこの日も見所が沢山。家に帰るとまだ暑さの残る中、ノルマのジョギングが10キロとあって、とにかく秋は見るのもするのもスポーツで忙しい季節である。

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