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2019年8月

2019年8月29日 (木)

あおり運転

あおり運転が問題になっている。話題になった大阪の中年男女や僧侶は論外としても、このあおり運転についてはあながち他人事だとも思えない。先日もいつも利用するスーパーマーケットへ妻とドライブ中にこんな事があった。私が運転するクルマは2車線道路を直進していたが、この道は途中で右に折れる三差路があり、その先は直進方向が狭くなって一車線となる。その三差路は中央寄りの車線がいきなり右折専用レーンとなる区分のため、直進しようとして中央レーンを来たクルマは、あわてて歩道寄りのレーンに車線変更する必要があるちょっとヒヤっとする場所である。

その日、通い慣れている我々は、三差路の手前で左側、歩道寄りの直進レーンに予め入って交差点の信号が変わるのを待っていた。そこに中央寄り(右折専用レーン)を走って来て、なぜか頼りなげに赤信号で止まるクルマがきた。並んで止まったその車内はと見るとごくふつうの男性ドライバーなのだが、なぜかそのクルマが本当に右折をするのか、なんとなく気になった。さて目の前の信号が青になり、先の狭くなる道めがけてスタートすると、やはりそのクルマは三差路を右折せず中央レーンをダッシュして、我がクルマの鼻先をかすめて狭隘になる道に突き進んでいく。

本来そこからは来ないレーンから飛び出してきたクルマに、我々は目の前で進路を妨害されたわけである。先ほどの六感でなんとなく気にしていたため、事なきを得たのだが、ぼやぼやしていたら事故につながりかねない法定ルール無視のドライバーである。思わず”ブブブー”と、普段はめったに鳴らさないホーンを長めに鳴らしたが、相手はリアウインドウ越しに手を挙げるでもなく、例の「ありがとう」のハザード点滅をするわけでもない。自分のエラーもこちらの驚きもまったく気付くふうもなく、飄々と運転を続けていくその運転態度が何とも腹立たしい限りだ。こういう時は、しばらく車間をピッタリと詰めこの能天気なドライバーに知らしめてやろうか、パッシングライトを点灯して驚かしてやろうか、次の交差点で止まったら注意しに行くかなどという考えがちらっと浮かぶ。

この時は助手席の妻に「カッとなったらダメよ、ああいうドライバーは自分が何をしたのか全く気付いていないから」とたしなめられ、「そうだな、煽ったら大阪の事件の輩と一緒になるしな」と冷静に戻ったのだが、今回のケースで言えば煽られそうになる方に問題があったわけだ。ただ自らを顧みて思うのは、煽りたくなったのは、鼻先をかすめられたクルマが同じドイツ車でもやや小さめだったこと、それにそのドライバーがどうもヤバそうな人でない、という点があるようだ。偉そうな外車に乗っているオヤジが、軽自動車などに横柄な運転をしがちなのもこういう心理から来るのだろう。クルマというパワフルな道具を操る優越感、その密室性、加えて他車とのコミュニケーションの取りづらさなどが煽り運転に背景にあるに違いないと実感した。起きがちな煽り運転防止にはクルマのリアウインドウに、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という電光表示が出るようにしたらどうであろうか。

2019年8月18日 (日)

知ってはいけない現代史の正体

20190818 歴史はいったい何を原動力に動いているのだろうか、それとも単に偶然の積み重ねなのか。そんな疑問を常々抱くなか、本屋の店頭で外務省出身、元駐ウクライナ大使であった馬渕睦夫氏のSB新書新刊「知ってはいけない、現代史の正体」を見つけたので読んでみた。同じ高級官僚出身でも前川喜平とか古賀茂明のようなちょっとどうかと思われる評論家も多い中、これまでネットで見る馬渕氏のニュース解説がなかなか印象的だったのが購読のきっかけである。本書「現代史の正体」によると世界の動きに関わる「絶対に書けない世界史上のタブー」とは、ユダヤ系の人々による「ディープステート」の存在のことだと云う。国家を持たない流浪の民だったユダヤ人が、20世紀初頭からアメリカの金融の中枢を握り、米司法界やメディアを抑え、国民国家の枠を超え国際主義を推進したのがこの100年の世界の歴史であると馬渕氏は説く。彼らがまず実行したことは、国際連合や国際連盟など国民国家の上に置かれた機関の設立であり、国家や民族、宗教・伝統を超えた存在である共産主義の普及だったとされる。

世界的な共産主義革命で敗北した彼らが次に打ち出したのがリベラルの概念や社会主義思想の流布、さらに新自由主義と称される資本移動の自由化・民営化なのだそうだ。これらは一見つながりがないようだが、たしかに本書が指摘するように、いずれもが国民国家を超越する動きであり、伝統的な社会を破壊し、世界を統一基準の価値の下に支配しようとするものである。また国家同士は問題がおきてもなかなか戦争に踏み込めないのだが、ユダヤ人の系譜につながるグローバリスト(国際主義者)は、自らの普遍的価値の敷衍を国家の上に置くから、戦争に対する敷居が低いのだという。このことが戦乱が多発する原因だという本書の指摘は面白い。彼らグローバリストは「自由と民主主義」「民営化」「人権尊重」「男女平等」「少数派の権利擁護」などポリティカルコレクトネスと云う一見だれも反対できない概念をうちだし、これらを国民国家や伝統の上に置きつつ隠れ蓑にして富を収奪し、自らに都合の良い体制を作っているという指摘は肯ける点が多い。

さてこのブログでも日ごろ私は「トランプ大統領はなかなか良い!」と書いているとおりだが、この本を読んで彼が主張することがより理解できた気がした。彼のアメリカ・ファースト主義について、本書では「トランプは、歴代の大統領が『グローバリズム』を声高に叫ぶ”影のキングメーカー=国際金融資本”のコントロール下にあったことに対して正面から宣戦布告している」のであるとしている。すなわち国際主義者、リベラル、社会主義や新自由主義に席巻されたアメリカを、伝統的アメリカ人(WASP)的考えに取り戻そうとするのが日ごろの彼の言説なのだろう。あれだけメディアで叩かれてもトランプ人気は高いこと、かたやブレクジットの混乱などを見ていると、世界はいまグローバリズムとナショナルリズムの狭間でいかに進むべきか分岐点に差し掛かっているようである。日本でもこれまでの国際従属主義から離れ、伝統的な保守思想、日本的な考え方への回帰が図られるのではなかろうか。また自国ファーストに米国が入ったいま、同国に頼る安全保障を見直し、わが国独自で相応の抑止力を保持するよう憲法の改正も急がれる。ディープステート論ですべてが説明できるとも思わないが、国際主義者に席巻される世界の正体を描いたなかなか興味深い本であった。

2019年8月16日 (金)

水の都構想 数寄屋橋アゲイン

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蓮と水草の清水濠(昨年)、今年はまるで蓮池になっている

読売新聞8月10日の夕刊トップは「水の都へ 清きお濠に」「玉川上水から再生水」と題して、東京都が「水の都構想」を掲げ、オリンピック後に新事業を推進する事を報じている。これによると東京都は玉川上水の水路を改修し、流れが少なく水がよどむ外濠への流量を増やし、あわせて新たな導水管を作って内濠にも水を供給し水質を改善すると云う。たしかに私の知る限りでも、外濠の飯田橋近辺は流れが遅いため水が汚くなっているし、内濠の清水濠にいたっては水草の繁殖と蓮の群生で景色がすっかり変わっている。国がインバウンド客で観光立国を目指す今、首都の顔であるお濠の環境改善は急務であり、玉川上水の改修でお濠の流量を上げる工事は速やかな実行が望まれる。

これまで東京では日本橋の首都高速の地下化(2017年7月22日のブログ)や、オリンピック選手村となる晴海地区と日本橋の間の舟運計画などが発表されたが、これにお濠の水質改善工事が加われば「水の都構想」もぐっと魅力的なものになるだろう。考えてみれば江戸の町はその東半分が荒川・利根川水系の沖積地の上にでき、西半分は東京湾に沿う低地に武蔵野の台地が突き出した所に作られたものだ。本来の東京といえば、江戸前の遠浅の海や荒川・隅田川の大川と、武蔵野台地から流れ出た多くの中小河川の周囲に成り立った水辺の町なのである。しかしかつて身近だった海辺は今や工場やビルの彼方になり、多くの中小河川は暗渠化されて住民の目に映らない。中小の川が下流域で地上に現れても、そこはコンクリートの護岸で固められ「水の都」という風情にはほど遠いのが今の東京である。

よってオリンピックを契機に「水の都構想」は、大いに進めるべしと私も賛意を表したい。水辺の利用といえば以前アップしたが(2008年12月17日のブログ)水上交通路を使って羽田空港から各地へ旅客輸送などができないものだろうか。もう一つ考えたいのは、せっかく日本橋方面では首都高速道路を地下化する計画が発表されたのだから、この際首都高のうち利用者が極めて少ない有楽町の東京高速道路部分(KK線)を廃止し、建設時その下に埋められたかつての京橋川や外堀、汐留川の流れを再現できないだろうか。日本一の繁華街である銀座は、以前はこの3つの水路に囲まれていた。この地区で水辺の復活工事を実施すれば、立ち並ぶ銀座の柳が川べりになびき、ネオンサインが水面に反射し、その景色はさぞやロマンチックになるであろう。

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頭上を通る首都高KK線建設の為に埋め立てられてしまった外堀にかかる数寄屋橋の現在

2019年8月12日 (月)

ノーサイド・ゲーム

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日曜の夜NHK大河ドラマ「いだてん」が終わると、今度は9時からTBSのドラマ「ノーサイド・ゲーム」である。ワールドカップの日本開催を控えラグビー熱を盛りあげようという企画だろうが、実業団ラグビーチームの涙ぐましい努力に、定番の悪役がおり会社の権謀術数が絡む池井戸潤らしい痛快ドラマである。実は初回放送で妻に「このドラマ見ない?」と言われた際には、さして乗り気でなかったものの、画面を眺めているうちにその配役に驚き、以後日曜夜はかかさず見るようになった。というのもドラマに出てくる選手たちの、練習の時はもとよりグランドに集合する際などの何気ない所作がとても「本物」っぽかったからだ。ふつうこの手のスポーツものでは、配された俳優たちが大体ヘナチョコに見えてひどくしらけるのだが、「ノーサイド・ゲーム」では一目で本チャンらしき人たちのプレーンシーンが次々と画面に展開する。

まず初回、ラグビーチーム”アストロズ”の中心選手として活躍する特徴的な選手の顔を見て「あれ?まさかこの人は廣瀬じゃない?」と目を疑った。「それにしてはセリフがうまいから俳優だろうな。でもよく似ているな」と話していると、エンドタイトルの出演者に”廣瀬俊郎”と出てきたではないか。廣瀬といえば大阪の北野高校から慶応大学の主将として活躍、東芝にすすんでからも日本代表に何度もなった選手だ。他にもどこかで見た顔だと思っていた出演者は、明治大学のNO.8だった齋藤裕也である。あらためてネットで検索すると、”アストロズ”のキャプテンを演ずる高橋光臣はラグビーの強豪・啓光学園から東洋大でプレー、その他わき役たちの多くも高校や大学でラグビーをやっていたそうで、道理ですべての場面が「本物」っぽくてサマになっているわけである。これら元プレーヤーが皆なかなかの熱演とあって、安心して見ることができる本格派ドラマとしてすっかりハマっている。

さてラグビー・ワールドカップジャパン2019日本大会も目前に迫ってきた。以前にもアップしたように高校時代にラグビーのタックルを試した時の怖さから、常々この競技の選手には尊敬の念を抱いてきた。ということで長い間、母校のゲームを中心に競技場に足を運んだりテレビで応援をしてきたが、最近は母校だけでなくジャパンや海外のマッチも興味をもってテレビ観戦をしている。というのも昔にくらべ最近のラグビーはタックルされた後やラックからの球出しが圧倒的に早くなり、スリリングな連続攻撃を見ることができるからだ。かつてラックの中から球がなかなか出ないうちに反則の笛が吹かれ、見ている方はラックの中で何があったのかといぶかる場面が多かったが、今のラグビーはスピーディな球出しと連続攻撃で競技の魅力を大いにアップさせている。選手の体力や筋力のアップのほかに、ルールや指導法の変更があり、見ているものをより楽しませる方向へこの競技が進化しているのだろう。ゴールデンタイムに「ノーサイド・ゲーム」が放送され、ラグビー自身もより面白いゲームに変身しているのを見ると、これまでの「通」が楽しむものから、ラグビーはユニバーサルなスポーツへ脱皮しようとしていることがわかる。

20190812 
( ルールの本を取り出したら早稲田の日比野さんが書いた昭和60年版だった
最近のラグビーは随分変わったからワールドカップを前に買い替えねば )

2019年8月10日 (土)

夏の思い出

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大山街道(現国道246号線)を走る玉電。玉電真中(現田園都市線駒沢大学)にて

長い梅雨が終わったら暑い夏である。子供のころは冷房などなかったが、こんな暑さの中で普通に暮らしていたのだろうか。そういえば夏の夜は雨戸をあけて月を見ながら寝ていたような気がする。夜になると昭和30年代初めの東京郊外は風がけっこう吹き抜けて涼しかった。寝冷えするからと腹巻をして、蚊帳の中で寝たのだが、ただ蚊帳の中は空気がこもって寝苦しく、足や片手を外に出すと出ている箇所だけ蚊に刺されていた。地球は太陽系の大きな節理のなかで温暖化や冷却化を繰り返しており、最近の「二酸化炭素で地球が温暖化している」などという説を私はあまり信じていない。しかし60年ほど前に比べると日中の冷房の普及もあって、体感上たしかに東京は暑く寝苦しくなった。寝苦しいまま、子供のころの夏はどう過ごしていたのかつらつらと眠れぬベッドで記憶を辿ってみる。

小学校の夏休みは「宿題は朝の涼しいうちに済ませなさい」との親の言葉で午前中はしぶしぶ勉強。ただ専用の勉強机などなく、茶の間のちゃぶ台で学校から与えられたドリルなどを解いていた。昼になれば自転車に乗ってあちこち友達の家に行ったり、虫かごをもってセミやトンボを取りに出かけるとか、町の空き地に集まって野球をよくした。最近は夏休みでも補虫網を片手に虫を追いかける子供の姿をあまり見かけないし、野球はというとチームに入ってユニホームをビシっと決め、大人のコーチの指導を受けている。当時、人数が足りなければ三角ベース、時には走者は三塁から二塁、一塁へ走る逆回り野球も面白かったし、プレーをすると自分が与那嶺や広岡、長嶋らヒーローになった気がしたものだ。今の子供たちの管理された野球とはまったく違う遊びであろう。とにかく泥んこになり、体中赤チンだらけの夏休みで、よくぞ大きなけがもせずに大人になった、と今でもつくづく思う。

そのころの横丁には金魚売りの「キンギョーェ、キンギョー」や竿屋の「たけやー、竿だけー」という声がひびいていた。わが家には千葉から大きな背負いかごの行商のおじさんが佃煮やうぐいす豆を売りに来ており、「今日はお豆のおじさんはまだ?」などと話していた。そういえば房総からその朝獲りたての魚を売りに来ていたオバちゃんが来たし、水戸からワラにくるんだ納豆を持ってきたおばあちゃんも懐かしい。冷蔵庫といえば氷を買って冷やすものだったから、町のあちこちで氷屋さんが大きな氷をのこぎりで切り出す風景も見られた。ビールやスイカは大きな金ダライに冷たい井戸水を汲み上げて冷やしたが、井戸の手動ポンプをエッチラ、オッチラ汲み上げるのは子供の役目である。興がのると水を大量に汲み上げて、庭にドロンコで川の流れやダムなどをこさえて楽しんだのだった。スマホやらゲーム機などなかったが、考えてみれば何でも遊びの対象にできた時代だった。

夕方、当時はどの家にもお風呂があったわけではないし、毎日お風呂を沸かす習慣もなく「今日は行水ですまそう」とか「今日はお隣の家のお風呂を借りなさい」「銭湯に行きましょう」などというのが普通だった。髪の毛を毎日洗うこともなかったから、今の若い人達には考えられない生活であろう。今から思うと不便ではあったが、セピア色に包まれた数々の思い出は、まさに「三丁目の夕日」の世界そのもので、ひどく懐かしい気持ちが沸き起こってくる。そういえば最近帰宅してすぐに手を洗わず、妻に注意されムっとして「俺たちの世代は少々汚くても平気なんだよ」とうそぶくと、「そういう問題じゃなくて、その手でさわるからあちこち黒くなっちゃってるし」と反撃された。年代のやや違う彼女は、「三丁目の夕日」のノスタルジーは半分ぐらいしかわからないらしい。

2019年8月 2日 (金)

渋谷東横デパートとりこわし

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来年取り壊される東横デパート

都心に引っ越して15年。以前は通勤ルートだった渋谷も近ごろすっかりご無沙汰である。その渋谷はJR渋谷駅を中心に大改造の真っ盛りで、最近は町の様子が大きく変わりつつある。東京では珍しくターミナルらしい風情があった東横線の渋谷駅が無くなったのが残念だと思っていると、今度は子供の頃から親に連れられて行った東横デパート(渋谷東急百貨店西館)が、来年3月末で取り壊されると云う。東横デパートといえば、当時9階にあった大食堂でよく昼ごはんを食べたが、大食堂の大きなガラス窓からは原宿方面に伸びる山手線の線路が見えていた。目の下を走る山手線の電車や、現在は埼京線などが使用する線路を機関車に引かれた貨物列車が通るのを、食事をしながら飽かず眺めたものだ。

その懐かしい東横百貨店がなくなる前に、大食堂のあった辺りはどうなったか、眼前に広がっていた景色はどうなったのか、是非一度見たいものだと思いたち、暑い中渋谷に行ってみた。だが大食堂のあった西館の9階に行くと、フロアは名店街となって北向きの原宿方面には開口部がなくなっていた。では10階の屋上に上がってみれば線路を見おろすことができるかと思ったが、屋上はスポ―ツや催しものなどのスペースらしく、この日はオープンしていない。せっかく渋谷までやって来たのに懐かしい景色を見る事ができないのは残念なので、代わりに駅の周辺を散策してみる。ぶらぶらと歩くうちに、新入社員時代は宮益坂のスナックに同期の仲間とよく飲みに来たことを思い出した。当時の渋谷は、池袋や新宿と違って落ち着いた”大人の町”と云われていたが、今や渋谷は若者と外国人だらけで、なにやら異国へやって来たような気がする。

東横デパート2階のコンコースはかつては玉電(現・田園都市線)の乗降場だった場所で、昭和44年に玉電が廃止になるまで、ここから井の頭線と地下鉄銀座線の間にあった専用軌道を路面電車が世田谷方面へコトコトと走っていた。また駅の東側バス広場を挟んだ向こう、いまのヒカリエの場所には東急文化会館があった。五島プラネタリウムの大きな銀色のドームが屋上にみえ、一階には東急パンテオンという映画館があって、ジョーズとかETなどの封切りはここで見たのだった。映画館の横には喫茶の”ユーハイム”があり、洒落た喫茶店が少なかった往時、渋谷で女性と待ち合わせなどという時はよく来たな、と記憶が蘇ってくる。あちこち工事中だらけの渋谷駅周辺を歩いているうち、きれいにならなくても良いから、思い出一杯の昔ながらのコンパクトで落ち着いた渋谷でいて欲しいという気持ちになった。

東横デパートの2階コンコースには玉電の乗り場があった
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