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2019年4月

2019年4月30日 (火)

ネットの情報は玉石混淆

間もなく初夏だ。道を歩くと思わず「卯の花の匂う垣根に、時鳥(ホトトギス)、早も来なきて、忍び音もらす、夏は来ぬ」と「夏は来ぬ」を口ずさんでいる自分に気がつく。歌詞を思い出しながら歌いすすめるうち、四番の「棟ちる川辺の宿の、角近く、水鶏(クイナ)声して・・・・」ではたと疑問が浮かんできた。棟(あうち又はおうち)とは何だろうか、と。こういう時に手っ取り早いのがネット検索である。さっそくYahoo 知恵袋などで調べると、「棟(あうち)ちる」の意味には幾つか回答があって、棟は植物の「せんだん」の古い名でこれが散るさま、というのもあれば、田舎で棟(民家)が散らばっているさま、などと云うのもある。広辞苑やら何やらを調べるうち、「棟」は初夏に紫色の小さな花を咲かせる「せんだん」のことだと解ったが、それにしてもいい加減な解釈がネット上に溢れているものだ。

先日もYahoo newsのトピックスで「電車はパンタグラフが付いた車両に乗るべき」というコラムがあり、そのあまりのいい加減な内容にのけぞった。曰く「乗り心地の良いのはパンタグラフのついたモーター付き車両、安全面からもモータつき車両は事故で死傷者が多い先頭車にはないので、パンタ付きの車両に乗ることを薦める」とある。なんでもパンタグラフがついた車両はモーター付き車両で自重が重いから乗り心地が良いそうで、アメリカの研究でも事故の際に先頭車両に死傷者が多いのだと云う。しかしモータがついていてもパンタなし車両はごく普通にあるし、モーターがない方が乗り心地が良いのは広く知られている通りだ。そもそも先頭車両の死傷者が多いという研究が、どういう基準でなされたものなのか。アメリカでは、旅客列車は重量級のディーゼル機関車で牽引されているのにその研究に意味があるのかと、このカラムはツッコミどころ満点。案の定、ほとんどの読者の共感を得られていなかったが、金をもらって書いているにしてはあまりにもお粗末なコラムである。

また今年の確定申告時、昨年の入院・手術の費用を医療費控除で申請しようとした際、がん保険で給付を受けた分を差し引くべきなのか迷った。ネットで調べたところ、大手の保険会社のホームページでは実際にかかった費用から保険で填補された分は差し引いて確定申告せよとあるも、中には「税務署に問い合わせた結果、がん保険で貰った金額はあくまで『給付金』なので考える必要なし」と自信満々の某サイトもあった。結局他の案件もあり税理士のお世話になったところ、やはり病院に支払った費用から保険で貰った金額を引いた純支払い分が医療費控除対象になっていたが、某サイトの云うままに確定申告していたら、費用の過大計上をするところだった。これらの経験から分かったのは、ネットの情報は玉石混淆、内容が信用できるものもあれば、眉につばをつけて読まねばならぬものもあるという事。趣味の世界なら間違ってもご愛嬌で済むが、税金や医療の分野になるとそうも言っていられない。まあ、ネットの情報は、専門家に意見を聞く前の気休めくらいに思っておけばよいのだろうと当たり前の事を再認識している。

 

2019年4月27日 (土)

東京六大学野球の平成三大トピック

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春になると毎年アップする東京六大学野球の春のリーグ戦である。父に連れられて初めて神宮球場に足を運んでからもう60年になるから、私にとって六大学野球リーグ戦の観戦は春や秋の到来を告げる季語のようなものだ。すでに立教に連勝で勝ち点を挙げ、戦力も充実していると云われる母校・慶應野球部である。今日はあいにく冬の様なうすら寒い空だったが、連休初日の慶應-法政・明治-早稲田の好カードに神宮球場もまずまずの観客の入りである。それにつけても学生応援席以外の観客は、我々世代以上のシニア男性が、一人で試合を凝視している姿が多く、同好の同窓同志という共感を持つのである。

慶應-法政戦といえば何故か死闘というより、勝つにも負けるにもあっさりと決まってしまうと云う印象が強い。今日も序盤は慶応の内野守備陣のもたつきもあって、法政がやや優位の展開だったが、途中で追いついた慶應が最後は小原(盛岡三)の3ランで強敵・法政を突き放した試合であった。昨秋のリーグMVPに輝いた慶應の高橋・佑(川越東)は今日は9安打打たれながら、丁寧な投球で8回を1失点のみで粘る投球だった。四死球がなかったのが好投のポイントなのだろう。最終回に抑えに出てきた高橋・亮(慶應湘南藤沢)は150キロを越す速球一本やり、力で法政をねじ伏せた投球が圧巻だった。しかし法政は昨秋の優勝校だし実績のある選手ばかりだから、そう簡単に勝ち点を取る事ができるのか、勝ったら勝ったで明日が心配になるのがファン心理というものである。

そういえば六大学野球も今週の慶法戦・早明戦が平成最後のカードとなった。この30年間、日本に居る時は春・秋とも必ず数試合はリーグ戦を観戦してきたが、この中で「私にとっての六大学野球の平成三大トピック」を考えてみた。1位は平成元年の明治大学・島岡御大の逝去 2位は平成9年秋、慶應・高橋由伸のリーグ新記録23本のホームラン記録 3位が平成29年秋の東大の法政戦勝利である。東大が勝ち点を挙げるのは15年ぶり、連勝での勝ち点は20年ぶり、法政からの勝ち点は24年ぶり、法政から連勝での勝ち点は89年ぶりの記録であった。入れ換え戦をしないと云う東京六大学ならではのトピックが並んだが、来るべき令和には神宮の杜でどんな熱戦を見る事ができるのだろうか。耳に馴染んだる各校の校歌を口ずさみつつ家路についた。
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2019年4月24日 (水)

海運の平成30年間を振り返る

”平成の30年間を振り返る”たぐいの特集が目立つメディアである。確かに一つの時代が過ぎ去ろうとしているのは判るが、毎日の生活では西暦に慣れすぎて、「平成10年のあの事件」などと云われても、「えーと、1998年ね」といちいち読みかえるのが常だ。そうは云っても天皇陛下の御代が変わると同時に元号が変わるというシステムは、世界に誇る我が国の素晴らしい伝統だといえよう。業界誌「海事プレス」にもこのところ「日本海事産業の平成史」と銘打った記者座談会がシリーズで掲載されている。その7回目に「(平成の)この30年間で海運会社の仕事の仕方や文化も大きく変わったのではないかな。」という業界記者たちの話が載っていて、これが面白いので以下に抜粋してみる。

―「最近の海運会社の人たちは本当に忙しそうだ。アポイントの時間がなかなか取れない。」; ―「海運会社の人と飲むと、昔の課長さんや部長さんは何だか暇そうだったな、という話によくなる。朝来てスポーツ新聞を読んでいたというし(笑)。」(筆者注;すみません、私も部課長時代、会社でスポーツ新聞読んでたクチでした); ―「(かつては)基本的にアポなし取材だった。朝一で海運会社のオフィスに行き、端から順番に部長席を回る。そしてネタを聞きまくる。今では考えられないけど、本当に自由だった。」; ―「あれだけ自由に取材できる業界は、その時代でも海運くらいだったらしい。本当に大らかで自由だった。海運業界は特別だと思う。」; ―「アポなしで会社に行くと、時間がある人は15分、30分と取材に応じてくれた。」(筆者注:私もよく業界紙(誌)の記者を会社のカフェテリアに誘って、ある事ない事好き放題に喋ったものでした)などとある。そして業界紙の記者は業界が育ててくれたと、平成初め頃までの海運業界を座談会出席者たちは懐かしんでいる。

続けて、―「昔の海運界はお互いに競争しつつもお互いを認めるという、大らかな関係性があった。みな一緒に飲みに行っていたし、会社の中で言えない悩みをライバル企業の人に話してたよね。」(筆者注;競合他社と飲んだりゴルフもよくしたものだった。銀座には業界の担当者たちが集まるバーもあったし); ―「時代の流れとはいえ、寂しさを禁じ得ない。…やはり昔の雰囲気は最高だった。残念だけど、これだけは元に戻ることはなさそうだ」などとコメントが続く。この座談記事を読み、私よりはるかに若い記者たちでも、最近の海運界から感じる雰囲気が私とまったく同じでちょっと嬉しくなった。私は今も業者として元いた会社に出入りするが、現役連中に「ルールはわかるがもっと融通を利かせて大らかにやれよ」「ほんの20年前まではこうだったんだから」などと言っても、コンプラアイアンスから1ミリも動かない彼らからは化石を見る様な目で睨まれてしまう。

こういう視点で平成の30年間を振り返ると、海運界でも「ポリティカル・コレクトネス」やら「コンプライアンス」あるいは「ハラスメント」などという言葉が使われだし、ついにはこれらが跳梁跋扈する様になっていった嫌な時代が平成だったと言えよう。まあ一年に何回も弁護士が行う講習会に呼び出され「これがハラスメントにあたる」とか「これをやったらコンプライアンス違反になる」などと、最悪の事例を大げさに教え込まれたら、普通の人間ならチャレンジする前に面倒だから余計な事には手を出すのやめようと思うに違いない。「失われた20年」などと云われ、日本の企業が中国や欧米の会社に遅れるようになったのは、米国型株主資本主義やガバナンスの流行に加え、「ポリテカル・コレクトネス」「コンプライアンス」「ハラスメント」などという考えに日本中が染まったからだ、と私は考えている。せっかく「令和」になり新時代が来たのだから、欧米流のこんな概念のくびきから逃れ、少々脱線しても自由にものが喋れ、現場の融通が利くような日本型の良き社会に「逆行」してほしいものだ。

2019年4月15日 (月)

アナログ世代のリタイア組

定年退職後もさまざまな企業で顧問やら嘱託として働いていた友人も、ここへ来て次々と会社勤めからリタイアしている。自宅ではあまりパソコンを開かない世代とあって、これまでは会社のメールアドレスを連絡先にしていた者らが、自宅やスマホのアドレスに連絡先を変更してくれと云う依頼メールが増えた。という事で、通知された新しいアドレスに新しいメールを送ると「配信不可」のエラーメッセージが戻ってくる事がしばしば。よく見ると送られてきた新通知先にどうみてもミスタイプらしき文字が混じっていたりする。かと思うと同窓会の連絡ですでに連絡済のグループにまた同じ内容のメッセージを送る友人などもいて、受けた方が混乱するケースも幾度かあった。我らが世代はEメールが普及した時代にすでに管理職になっており、こまかい実務は部下がやってくれていたから、自分でキーを打ち作業するのに不慣れなようだ。

ネット社会と言えば最近は通勤電車に乗るとみな一応にスマホをのぞき込んでおり、新聞を広げている勤め人などはほとんどいない。我々の現役の頃は出社前に日経新聞に目を通すことはサラリーマンの暗黙の了解事項で、朝の会議で「『新聞』のあの記事なんだけど」と話が挙ると、日経新聞の関連記事だと皆がわかったものだ。かつて私は日経新聞は高いので家では普通の日刊紙をとり、朝の駅で日経新聞を買っていた。しかし二日酔いで会社に這っていくような時や電車に駆け込んだ日などは日経を読めず、そういう日に限って『新聞』の話題が朝から出て恥をかいたものだった。いま電車の中でスマホに熱中する人たちの画面をチラっとのぞくと、朝からゲームをしたり音楽や映画を見たりが多いようで、「日経」を読んでいなければ、会議でも客の前でも話にならないという文化は、いまやサラリーマン世界から消えたのだろうか。

その日経新聞は値段が高い上に読む項目も多く、毎朝目を通すのは辛いものもあったが、記事は世界・日本の経済や金融動向、株やら諸商品相場、各産業の市況の話など自分の業務に関係なくとも、経済人として勉強になったのは確かである。新聞というものは自分の興味ある記事だけでなく、紙面を斜め読みするだけで凡そ世の中の動きが察知できるのが良いが、小さな画面のネットニュースではそれも無理だろう。いま企業社会の中心となって世の中を引っ張っていくべき中年のおじさん達が、新聞も読まず朝から電車の中でスマホゲームに熱中しているのを見ると、日本の社会は本当に大丈夫なのかと心配になってくる。以前にも書いたとおりスマホに熱中している人たちは、目の前に体の不自由な人や妊婦、高齢者がいても気づかないことも多い。たしかにITで社会は便利になったし、その利便を私たちも享受しているが、アナログおじさんとしては昔の風情がときどき恋しくなったりするものである。

2019年4月12日 (金)

COSTCOはコスコかコストコか?

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英米から来た書簡を抜粋して蓄えた自作文例集の一部

現役時代は、仕事で英語が必要だったのでそれなりに苦労した。なにしろ大学の語学の成績はほとんどがC.C.C、すなわち優・良・可・不可の可ばかり、お情けで卒業させてもらったようなものだからとにかく就職した当初は大変だった。会社に入って初めて書いたテレックス文案を見た上司は、「うーん!」と絶句し、「キミは本当に大学を出たのか?」とあきれたものだ。さすがにクビになったら拙いと思い、同じような不出来な同僚を集め、自費でアメリカ人に英会話を習ったり、英語の通信講座を受けたりした。そのほか英字新聞や英語が上達する本を読み、ドライブ中はFENにチューニング、通勤電車でも英語カセットを聞くなど我ながら相応の努力をした。ハリウッド映画の人気ビデオ(当時はDVDなどなかった)を借りると、聞き取れない場面を何度も繰り返し見たことも思い出である。

という事で何とかアメリカ一人駐在も乗り切ることができたのだが、現役を退くと英語が必要な場面もなくなってホッとする。イギリスの高校を出た妻が時々DVDで字幕のない外国の映画を見ており、以前は勉強とばかり一緒に画面を眺めたが、最近は「あ、どうせ判らないからよいよ」と素直に本音が出せる。それでも日本の国内で氾濫する英語表記には、思わず目が留まってしまうのは永いこと英語で苦労したサガだろう。今も地下鉄の車内で「非常時には駅の間で線路におりないでください」などと英語の掲示があると、これがあまりに直訳かつこなれない英語なので「俺ならこういう書くのに」と見る度一人ブツブツ唸るのである。

そういえば近頃よく行くスーパーにはCOSTCOの巨大なポテトチップスの袋があって、その売り場の表示に「コストコ」とあるのにしばし違和感を感じる。アメリカで住んでいた家のすぐ近くにCOSTCOの本社があり、当時よく買い物をした際は、アメリカ人も現地の日本人もみな「コスコ」と呼んで「ト」を現す発音は聞こえなかった。スーパーと云えばスープなどの会社Knollも正しくは「ノル」のはずなのに、日本では「クノール」の呼び方が一般的だ。シンガポールでシングリッシュが使われるとおり、言葉は生き物で、場所によって違って良いものの、できれば本場い近い読みの方が恰好良いのではないか。

英語と云えば先ごろイチローの出場で話題だったように、アメリカのメジャーリーグ公式戦も日本で行われる様になり、日米の用語の違いが分かり興味深い。四球は米ではWALKというのに対し、こちらではフォア・ボール、HIT BY PITCHが死球と訳され、日本ではデッドボールと呼ぶのも面白い。日本のネクストバッターズサークルは、「待機する」という意味で使われるON DECKからON DECK CIRCLEと本場では云う。こんな中でアメリカのグランド・ルール・ダブル(外野でバウンドしたボールが観客席に飛び込んだ際に2塁打とするルール)をエンタイトルド・ツーベースと名づけた日本人のセンスの良さは特筆ものだと思う。明治時代、日本に入ってきた野球のルールを、正岡子規ら当時のインテリ達が知恵をしぼって編み出した用語なのだろう。さしてモノにならなかった英語だが、やっぱり違う言語に触れ、いろいろなところで彼我の違いを見つけるのも面白いものだ。

2019年4月 8日 (月)

コンバーティブルで花見

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今年は桜の花が咲き始めてから花見の見ごろが長いのが嬉しい。一部で早くから満開になったものの、その後一旦寒くなった上に風や雨の日が少なく、10日以上あちこちで満開の桜を見る事ができる。という事で先の週末は妻と花見のドライブを楽しむことにした。といってもどこかにビニールシートを広げてゆっくりと花見酒を楽しむのではなく、コンバーチブルのルーフトップを開けてあちこちの桜並木の下をドライブするのである。以前このブログで、さかんに一生に一度はオープンカーが欲しいと書いた通り、7年前にBMW335iのまだ5000キロも走っていない下取り中古車を正規ディーラーで手に入れた。燃費は悪いし屋根のない分だけ車体の剛性やハンドリングも劣るが、屋根を開けた時の解放感と、3リッター直列6気筒ツインターボのトルクフルなフィーリングに惚れ込んで購入したのである。

今のコンバーティブルは屋根を開けても車内が快適になるようにエアコンなどに様々な工夫がされており、真冬でも極寒でない限り屋根を開けてドライブできる。とは言え雨が少なく一年中屋根全開でも快適なカリフォルニアとは違い、東京では様々な制約が多い。最悪なのは夏の日射しで、直射日光が頭の上から遠慮なく突き刺されば頭が熱くなってたまらない。エアコンをかけてはいるが、真夏はさっさと屋根を閉めてこの日差しを遮りたいと思ってしまう。春・秋でも曇り空かと思うと一転にわかに掻き曇り雨粒がポツポツ、という日がけっこうあって、渋滞のさなかでそんな状況になろうものなら、周囲のクルマから「あの車雨に降られてるよ。いつ閉めるのかねぇ」と好奇の目でみられるのが恥ずかしい。まあオープンカーなどは見られてなんぼ、シニア夫婦が青山通りあたりを屋根全開でゆったり流すのも良いか、と居住性を無視した自己陶酔の世界である。

で、週末はまだ残った桜を求めて都内各地や神奈川県をあちこち回ってみた。時折りしも気温は20度前後、空は青く咲き誇る桜並木の下を走ると、頬をなでる風も爽快で枝まで手が届きそうだ。屋根を開けて走ると周囲の音がけっこう入ってくるもので、春を告げる鳥の鳴き声に混じって、どこかの宴会のカラオケでうなる声まで聞こえてくる。のみならずバーベキューのソースの匂いとともに、車内には花粉が容赦なく飛び込んで2人してグシュ、ハクションの一日だ。それでも信号で止まるとひらひらと桜の花びらがシートに舞い降りて、おもわず「肩にひとひら花が散る、花もかがやけ希望にみちて、競え青春強気きもの」と「若い力」の歌詞を思い出したりする。これからの季節、ゴールデンウイークから梅雨に入るまでが屋根を開けてのドライブには絶好のシーズン、せいぜいこの間を安全運転で楽しみたい。

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2019年4月 6日 (土)

日本共産党の正体

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元号が「令和」と発表され、メディアでは平成の30年間の回顧が盛んに特集されている。なかなか良い響きの新元号だと私は思うが、天皇を党の綱領で認めない共産党がこの事についてどうコメントするのかに興味があった。ということで新聞に載った共産党のコメントを読んでみると「元号はもともと中国由来のものだ。中国では皇帝が空間のみならず時間を支配した。君主が時間を支配する元号は、今の憲法にはなじまない。政府が元号を強制するのはよくない」という趣旨である。世の中、70%以上の人たちが元号が変わることを前向きにとらえているそうだが、そんな中、このトンチンカンなコメントを読んで「やはり共産党!」と妙に納得してしまった。

マルクス・レーニン主義が消滅し、世界の国々で「共産党」という党名がなくなっているが、「日本共産党」だけはそのプレゼンスがまだ国内に残っているというのが面白い。「天皇や自衛隊を認めない」日本共産党とは一体いかなる組織なのか、最近読んだ新潮新書の新刊「日本共産党の正体」(福富健一著)がとても良かった。この本では占いの類に過ぎないようなマルクス主義を科学として信望する人々(党員)がまだ国内に30万人もおり、機関紙「しんぶん赤旗」が100万部も発行されているという党勢が詳しく書かれている。その他そもそも共産主義とはなにか、日本共産党の歴史はどうだったか、党の歴代大物の略歴や現在の綱領がどうなのかが判りやすく纏められている。(もっとも赤旗は最近西暦・元号を併記している)

共産主義社会は必ず到来するという唯物史観、歴史の必然ゆえにそれを実現させるためには「暴力革命」も辞さないというその手段、個人の意思は全体の意思と一致していなければならないのと云う「民主集中制」など、現実をみないアタマでっかちの思想が共産主義の「本質」である。この本を読み、なぜ日本共産党がこれほどまでに教条的なのか、今では国民から「もっとも保守的な政党」と揶揄されるほど硬直しているのか、その不可解な行動原理の理解に役立った。それにしても世界から消えていく絶滅危惧種である「共産主義者」が、日本では教育界やメディアの世界で生き残り、いま「リベラル」と名を変えて活動しているのがおぞましい。リベラル信望者である団塊以上の老人が退くと共に、天皇や自衛隊を認めない日本共産党も消えていって欲しいものだ。

2019年4月 1日 (月)

ドライブしながら考える

日曜日に都内をドライブしていると、立憲民主党の枝野党首のポスターを掲げた宣伝カーが街頭で盛んに政策を訴えている。信号待ちで聞くともなく流れるスピーチに耳を傾けると、安倍内閣に対する批判の他に、「LGBTを支援する立憲民主党…」と言っていて思わず座席でのけぞった。彼らは人権派を気取りたいのだろうが、そもそも大多数のLGBTの人たちはひっそりと今のままで生きていたいのだという。この問題を政治の争点にしようとしたり、LGBTの権利を拡大せよなどと騒ぐのはごく一部の活動家だけらしい。モリカケ問題もそうだったが野党はもっと大きな問題、例えば消費税などに議論の焦点を当てて欲しいものだ。日本は海外債権が3兆ドル、対外債務は事実上ゼロ、経常収支は黒字、国民の金融資産はGDPの3倍、国債は国内でさばけて金利は上がらない国である。国の資産もさまざまな形で各所に相当あるそうだ。それでも消費税を上げる必要性を与野党はきちんと時間をかけて是非議論して欲しい。LGBTなどにこだわっているようでは彼らは万年野党でいるより仕方あるまい。

クルマを進めて近所では数少ない駐車場無料のスーパーに行くと、そこの入口で羽田空港の新しい進入路が新宿の上空を通るはけしからん、と演説してい市民団体に出くわす。なんでも騒音や危険が増す、なにも人口の多い新宿区の上空を通る事はない、と声高に訴えているようだが、こういうのも聞いていると鼻白む思いがする。騒音といっても羽田空港から離れたこのあたりでは、着陸機も上空1000米の高度を飛ぶ。飛行機の部品が落ちる危険性はごく僅かで、そんなことまで心配しだしたら都会で暮らしていけやしない。いや、どんな人里離れた場所でもあっても、生きている限りは天変地異や事件・事故から完全無縁、絶対の安全などがあるはずもない。何より彼らは羽田空港の利便性や都会の便利さを一方で享受しながら、自分の近辺だけはほんの僅かでもいかなる不利益も蒙りたくないという訴えをしているようだ。こういうのを住民エゴと云うのだろう。同じ新宿区民の私は、羽田に着陸する飛行機がより近く低く飛ぶようになれば、双眼鏡を持って機体を眺めて楽しもうと考えているが世の中はさまざまだ。

一方BREXIT離脱問題では英国が揉めに揉めている。こうなると新聞を読んでも、何がどうなっているのかフォローするのに一苦労である。もう一度EU離脱するか否かの国民投票を行ったら結論が変わるかもしれない、と聞くと単一イッシューの住民投票の恐ろしさやその無責任さが良くわかる。住民投票が「民意」というなら、先に行われた辺野古移設の住民投票も、百田尚樹氏が云うように、真の当事者である名護市や辺野古の住民だけの投票が行われ、そこで「移設賛成」多数だったらそれが「民意」になるのであろう。こうして見ると、住民投票はそれまでの歴史や経緯、国や地域の置かれた立場、より広くは安全保障問題や経済・外交問題を無視し、問題をごく単純化して住民に問うものだと云えよう。我々は代議制による間接民主主義と云うシステムを作り上げてきたが、ベストではないものの、住民投票のような直接民主主義よりはましだとBREXITの大混乱を見るにつけ思う。さてこうなると我が国の憲法改正では、国民投票が必要というのが何とも鬱陶しく感じる。

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