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2019年3月

2019年3月26日 (火)

九段会館の建て替え

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 工事前の九段会館


東京都内に次々出来る高層ビルの中には、元の建物の一部を保存して再現したり、由緒ある部分を残して建てられるものも多い。丸の内では進駐軍(GHQ)の本部があった第一生命ビルや、明治生命ビルなどがかつての面影を残しつつ、近代的な高層ビルに生まれ変わっている。皇居の反対側では、よくクルマやジョギングで通る九段坂下の九段会館の建て替えがどうなるのか注目していたところ、ここも特徴あるその外観を保存しながら新しい建物になる工事が行われている。

まるで城郭の様で変わった外観が目を引いた九段会館は、もともとは在郷軍人会の本部として昭和9年にできたビルである。戦前は軍の予備役の訓練や宿泊に使われ、2・26事件の際は戒厳司令部も置かれたそうだ。戦後は進駐軍に接収されたのち、1957年から九段会館として永らく宿泊・結婚式・レストランや貸しホールの用途で使われてきた。ところが2011年の東日本大震災の際に老朽化したホールの天井が崩落して、たまたまその下に居あわせた利用者2名が亡くなったため、取り壊して建て替えられる事になったのである。

このあたり、皇居の北側は旧近衛師団本部などなかなか趣のある建物が残っているが、中でも九段会館はひときわ威風堂々、周囲を睥睨するかの感があった。軍人会館だったにも関わらず戦後は社会党大会などが開かれたのは皮肉だが、印象深かったのが2000年に開催された「女性国際戦犯法廷」というイベントだった。「旧日本軍の性奴隷制を裁く国際戦犯法廷」などという、バカげた政治ショーを、旧軍人会館で開くのは如何なものかと当時話題になったのだった。

こうして時代の波にほんろうされつつも昭和・平成を見届けてきた建物が、2022年に17階建ての新しいビルになる。独特だった外観は、新しいビルにどういう形で再現されるのだろうか、その工事完成後が楽しみだ。九段坂下から竹橋にかけては、千代田区役所を始め役所が多いため、夜間や週末は人通りが少なく寂しくなる一画である。新しい九段会館が周囲のランドマークになれば、九段下交差点もよりにぎやかになるに違いない。


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取り壊し工事が真っ盛りの九段会館

2019年3月20日 (水)

時代

90歳を目の前にして母が急逝した。足腰は弱くなったものの胃腸は丈夫で、食欲があって太って困るとこぼしていた母である。内臓には疾患がないはずと自慢していたが、入っていた老人ホームで突如高熱が出て意識不明になった。尿路感染から敗血症を起こしたそうで急遽国立医療センターに運び込まれたが、入院して48時間もしないうちに息を引き取った。本人の強い遺志で遺体は大学病院に直ちに献体し、通夜・告別式も行わなかったから何やら「けじめ」もつかず、母の死は本当のことだったのか、夢でも見ている気分である。今でも「あれは冗談よ」などとひょっこり顔を出すのではないかと思ったりもする。

体が弱く何度も手術や入退院を繰り返した父は細く長く最後は90歳過ぎまで生き、反対に元気でひょっとして100才まで生きるのではと思っていた母がピンピン・ころりである。父の年齢より早く亡くなった母を考えると、人生は本当にわからないものだとの思いが湧いてくる。我々はすべからく自然というべきか天というべきか、はたまたそれを神と呼ぶのか、そういう大きな存在の掌の上に居るだけなのだろう。人間の浅知恵などは天の前にはいかほどの力があるのかという考えとともに、ならば与えられた環境や時間にせいぜい感謝し、その日一日をなるべく前向きに楽しく過ごすよう心掛ける事が我々のできる事だと思えてくる。

最近齢をとるにしたがい朝早く目が覚め、ベッドの中のうつろな頭にいろいろな言葉が浮かんでくるが、母の死後は中島みゆきの「時代」の歌詞が浮かんでくる。

♪そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう

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2019年3月 4日 (月)

「いだてん」の受動喫煙シーン

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文京区の商店街に掲げられた金栗四三のバナー

日曜夜のNHK大河ドラマなどはここ数十年興味もなかったが、今やっている 「いだてん」 は久しぶりに毎週楽しみに見ている。主人公の金栗四三と云えば陸上競技の長距離を志した者ならまず一度は耳にした名前だし、大塚の「ハリマヤ」もかつてお世話になった馴染みの店だからどうしても興味がわいてくるのだ。現在の春日通りに沿って加納治五郎の講道館、東京教育大の跡地、旧ハリマヤの店舗が一直線に並ぶのは、東京高師(のち東京教育大、現・筑波大)や金栗つながりだったのかと、画面を眺めつつ文京区かいわいの歴史に思いを馳せる。


さてそんな 「いだてん」 に変なところからケチがついた。公益法人「受動喫煙撲滅機構」なる機関から、ドラマの中にタバコを堂々とのんだり受動喫煙のシーンが多いのはけしからん、謝罪のテロップを番組で流せとの抗議が寄せられたと云うからビックリだ。私も妻もタバコは吸わないし、町で歩きたばこのニオイが流れてきたら不愉快になるほどタバコは嫌いである。なので受動喫煙反対という趣旨そのものは大賛成なのだが、テレビドラマに対するこの種のエキセントリックなクレームには到底賛同する事はできない。


「いだてん」の舞台は百年以上も前のこと、ドラマの当時はフツ~に見られた光景を、あたかもそんな日常はなかったかのごとく消し去って彼らは一体なにを得ようというのであろうか。「百年前には多くの人が公共の場でタバコを吸っていたから、今の世の中でもそれをやって差支えないんじゃない?」と現代人がドラマを見て考え方を変えるとでも思っているのだろうか。そうだとするならば、受動喫煙撲滅機構はよっぽどテレビの前の「普通の」人たちを低く見てバカにしているといえよう。


ネット情報によると、この機構に対して「それだったら時代劇で人を斬るシーンも削除しろというのか」といった批判がメールで寄せられたそうだ。しかしその担当者は「人を斬るシーンなら血がドバっと出たり、内臓が飛び出たりというのはテレビでは配慮されてやらないはず」で「たばこだけが堂々と出ているのは変ではないか」とまるで頓珍漢な答えをしているという。ちょっと待ってほしい!。タバコは日常の生活に溶け込んだ風景なのに対して、斬り合いは江戸時代に於いても、あちこちで年がら年中ひっきりなしに行われていた「日常風景」ではない。日々のタバコの場面をあたかもなかったかの如く画面から消し去ることと、たまにあった凄惨な斬りあいの現場を描写することを同一に比較できるわけがない。


これに限らず、昔なら普通だったことが、いまや画面から次々と「あれは駄目、これは駄目」と制限されているようだ。表現する領域がどんどんと狭く差しさわりのないものだけになって、このままでは世の中がひどく窮屈になっていく気がする。私が好きだったクレイジーキャッツのギャグやドリフターズのコントも、ビデオやDVDで見れば各種ハラスメントだらけで、今ではとても放送できないであろう。世の中に生きている人々は多種多様なのに、それぞれの人たちの気分にほんの少しでも障ることを恐れて、常に「正しい」ことばかりを表現するような社会の行先はどうなのだろうか。少し前には「アメリカではマックで買ったコーヒーが熱くて舌にやけどしたからマックに賠償しろと裁判する人がいる」と皆で笑ったものだった。しかしこう何もかもがクレームの対象になるのをみると、日本もアメリカを笑えない社会になってきたようだ。弁護士や評論家だけが忙しい、窒息するような社会風潮はもう少し何とかならないものか。

2019年3月 1日 (金)

都立高校の入試問題と正解

1月21日に「2019年 大学入試センター試験 英語筆記」をアップしたとおり、大学入試となると英語でもそう簡単でないことがわかったが、では高校入試はどうだろうか。理科系は無理としても、文科系ならまあ満点に近いものがとれるだろうとタカをくくって、新聞に載っていた「都立高校入試問題と正解」に挑戦してみる。


まず国語である。冒頭に出題される読みがなや漢字は、何と云う事もなくすらすらと簡単に答えられる。やはりこの程度か、と安心して先に進むと、次は三浦哲郎の「燈火」から引用されたかなり長い文章が出てくる。この小説は登場人物が多いので、まず彼らの関係や立ち位置を考えながら読んでみる。なにしろ「試験」だから慎重に読まねばならないのだが、大学の英語問題と同じように何と云うこともない内容がくせ者だ。


設問はこの小説のある箇所の表現が、登場人物のどういう心理を描いたものかなどを四択の中から選ぶものが続く。ドラマチックとは正反対、落ち着いた文章で描かれる日常的な場面から登場人物の内面を推し量る作業は、けっこう本文を読み込んでみないと判らない。四択のうち2つはすぐに違うと判るが、正解らしき2つの候補を見比べると、どちらとも採れるようでしばし戸惑ってしまう。こういう長文読解は、まず他を解いてからじっくり時間いっぱいまで粘れ、などと受験塾では指導するのだろう。


その後、古文などはそう悩むこともなく国語を終え解答を見比べると、やはり長文読解の箇所で2問間違えていてマイナス10点である。自分では採点できない作文の出題(10点)を除いた結果は90点満点の80点であった。こうしてみると長い文章ではポイントを外した解釈を自分がしている事が分かったが、日頃妻が「あなたは会話の中で時々ポイントを外した事を云うわよ」と言っていたのを思い出ししばし不愉快になる。


次の挑戦が社会科。ここでは日本史の中世から近世にかけて、年代を解答する問題で2問ほど間違えたのは暗記していないから仕方あるまい。一つ悔しいのが「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行なはれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。」とする憲法の条文は (ア)参政権 (イ)自由権 (ウ)社会権 (エ)請求権のどの権利を保障するかという問題であった。


はて最高裁長官は内閣が任命するものの裁判官は内閣が選ぶわけではないし、彼ら裁判官の適・不適を判断し罷免を要求するのが国民審査だから「請求権」か??などと迷いつつ(エ)を選ぶと見事にペケ。正しくは(ア)の参政権で、広辞苑にも参政権は「国民が国政に直接または間接に参与する権利。選挙権・被選挙権、国民投票、国民審査で投票する権利など。」とあった。お恥ずかしい限りだが、高校入試くらいの問題を解いていると、自分の勉強不足に気がついてけっこう面白い。こうして社会も80点台となり、社会なら満点とれるだろうなどと云う自負はもろくも崩れ去ったのであった。

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