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2018年10月

2018年10月31日 (水)

一切かかわるな韓国

やはり出た韓国最高裁で、日本統治時代の徴用工訴訟の賠償確定判決である。この国の事だからこういうバカな判決がでるだろうな、と思っていたが予想通りの結果であった。日本はもう韓国と「なるべく」ではなく、「一切」つき合わないくらいの覚悟が必要であろう。わが国の政界はもとより経済界の重鎮たちも、これまで日韓関係については、きれいごとを言う傾向にあったようだが、これで彼らも少しは目が覚めたことだろう。原材料の調達・加工・製品の販売、合弁など形態を問わず、いずれにしても関係を避けるべき危険な国である事が明確になった。接触を回避すれば経済的な損失も大きいだろうが、それよりも我々には大事な守るべきものがある。


私も以前よりロッテの製品はどんなことがあっても買わないし、サムソンの電気製品や通信機器にも見向きもしない。何かのイベントのシャトルバスに運悪くヒュンダイ製のバスが配車されて来たら、一台見送って国産車が来るまで待つだろう。ただ妻によると、原産地や加工地がはっきりしない韓国製品がスーパーのプライベートブランドなどとして出回っているようだ。そんな場合には包装や袋を隅々までチェックして、韓国や中国製でないことを確かめてから買うようにしていると彼女は言う。。整形手術だらけで皆おなじような顔のタレントが出てくる韓国ドラマや歌番組の、わが国スポンサー企業の製品購入も、これからは真面目に考えねばなるまい。


外航海運業界では、以前からエージェントをつかって韓国人船員を使ってきた歴史がある。船長や機関長など上級船員が韓国人で、普通のクルーがフィリピン人の場合、クルーが韓国人船長から殴られたとしばしば訴えがあったものだ。日本から韓国に中古で売った大型フェリーを、一年後に見たときは火気厳禁の車両甲板を改造し、飲食・喫煙可能なバーが作られているのを見て腰が抜けるほど驚いたこともある。個人としてつきあうと韓国人にも良い人はいるのだが、あれは演技なのだろうか。今回の徴用工訴訟を見ると、30年くらい後に韓国人海運業者からわけのわからぬイチャモンをつけられて、飛び上がる日本の海運会社が出て来るのも想像に難くない。「卑日」と「ケンチャナヨ!」の国よ、さらばである。

日本から買った韓国籍フェリー。わが国では考えられないように改造された車両甲板で行われたレセプション
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2018年10月22日 (月)

「米韓同盟消滅」を読んで

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距離は近いがひどく遠い隣国、韓国は最近あらゆる面で、奇妙なふるまいをする。そこでソウルや香港などに駐在した日経新聞のベテラン記者である鈴置高史氏著の「米韓同盟消滅」を読んでみた。この10月に発売されたばかりの新潮新書の新刊で、一読してまさに我が意をえたりと膝を打ちたくなる内容である。以前にも書いたが、旧帝国陸軍の軍医だった私の祖父は、新宿の大久保に住み、今の戸山公園あたりにあった陸軍の病院に勤務していた。東京の空襲が激しくなったため庭先に家具を埋めて郊外に避難したが、戦争が終わって元の家に帰ると、朝鮮人たちがあたりを不法占拠して立ち退かず、やむをえずに西荻窪に居を構えたのだと幼い頃に幾度か聞かされた。そんなわけで今でもハングルだらけ、新大久保界隈の異様な世界をみると、あまり良い気持ちはしない。


さて最近は「最終かつ不可逆的に合意した」慰安婦問題をいとも簡単にひっくり返す、済州島の観艦式に招待した我が自衛艦に旭日旗を上げるなと注文する、朴大統領に対するごく普通の批判記事を書いた産経新聞の記者を長期拘束するなど、枚挙にいとまがないほどこの国は日本に対して非礼な事を繰り返している。そんなに日本人が嫌いなら、我が国を訪問などしなければよいものを、都内でも無遠慮に大声で朝鮮語を話しながら闊歩する韓国人観光客が多いのは実に不思議だ。さらに国際社会が一致して北朝鮮に制裁を加える中、文在寅政権は南北融和の掛け声とともに包囲網をゆるめようと欧州行脚もした。彼らのすることは理解不能で、私はこの国に一切かかわりたくないから、たまたま乗船したクルーズ船が釜山や済州島に入港しても、最近は一歩も上陸せずに船内で過ごすことにしている。


この本では中国の柵封国家だった朝鮮半島の歴史、反日を超え”卑日”になった最近の経緯、自意識過剰で「中学2年生」程度の成熟度である国内の実態などが詳しく語られる。法の支配ではなく、儒教思想によって国が動くことが多くの実例で示されており、なぜ韓国が奇異な行動をとるのかがよくわかる。私は朝鮮半島に関わらないことが日本人のためだと常々思っているが、そうは云っても気になるのが北朝鮮の傀儡・文在寅政権の動きである。このままだと北の核と南の経済力が一体になって半島統一がなされるとみられるが、そうなった場合には、米韓同盟は必要なくなり、米軍は半島から撤退する可能性が高いと本書は指摘する。その際に中国は覇権を半島全体に伸ばすことが必至だから、朝鮮半島全体が中国の強い影響下に置かれるに違いない。中国勢力圏下の朝鮮半島と、我が国や米国の勢力は対馬海峡で対峙することになって、東西冷戦なきあと、米・中両大国の覇権争いの最前線は海峡にひかれよう。対馬海峡はあらたなベルリンの壁になる、との私の危惧は本書を読んでますます強くなるのであった。

2018年10月13日 (土)

中国支配の世界などまっぴらだ

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2011年のNYトランプタワー

数年前まで勤めていた海運会社に行く用事があった。会社のカフェテリアで現役の若者達と話していたら、ここ半年で中国向けの物流がすっかり変わったと云う。これまでの約20年、アメリカから中国に大量に運ばれていた穀物の動きがまったくなくなり、困った中国は南米などから輸入しているそうだ。このこと自体は船会社にとって輸送距離が伸びるため良いことなのだが、彼らの話を聞いてトランプ政権の圧力で中国を廻る国際物流が実際に大きく変化している事を実感した。


アメリカのトランプ政権も、いよいよ本気になって、中国共産党による世界支配の企みを阻止する行動に出たことはまことに喜ばしい限りである。米国の中間選挙を前に、相変わらず米国のみならず日本のメディアもトランプ大統領のスキャンダラスな面だけを取り上げ、なんとかこの大統領をおとしめようとしているが、ひょっとするとトランプ氏は後世、歴史に残る素晴らしい大統領だったと評価されるかもしれない。


おりしもアメリカの戦略家で、日本でも有名なエドワード・ルトワック氏に対するインタビュー記事が今朝の読売新聞に掲載されていた。彼によると、米国の対中戦略はワシントンで国家として合意されたもので、たとえトランプ政権が終わっても、習政権の覇権主義が続く限り米国は「中国支配の世界を阻止」するのだと云う。5年ほどまえ「太平洋は中国とアメリカの二国が活動するのに、十分な広さがある」と習近平がオバマ大統領に言った時には悪い冗談だと笑って聞き過ごしたアメリカだったが、これが中国の本音だという事にやっと彼らも気づいたのだろう。


軍事や経済だけでなく様々な国際ルールの制定・敷衍、文化や芸術スポーツなど含め中国に支配された世界なぞ考えてみるだけでおぞましいから、米国が本気で中国の台頭を阻止しようとし始めたことに諸手を挙げて賛成である。また紙面でルトワック氏は、中国は自分に都合がよくなるように米国の選挙にも干渉していると批判しているが、それが事実だとすると、日本のメディアや「リベラル」親中派の人たちにも中国の工作が浸透していると考えた方がよさそうだ。外交強硬派の安倍政権を揺さぶろうと中国が工作を試みているなどと云うと、「そんなのは陰謀論とか謀略説の類いだ」と一笑に付す人たちこそかえって怪しい気もする。ルトワック氏のインタビュー記事を読みつつ、そんな事を考えて土曜日の朝のコーヒーをすすっていた。


2018年5月に行った際はトランプタワーも観光名所になっていて入館のセキュリティーも一段と厳しくなった。ビル内にあるトランプストアで記念のグッズをいろいろ物色した。
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2018年10月10日 (水)

10月10日と坂井義則さん

10月10日と云えば1964年に行われた東京オリンピック開会式の日だ。かつて「体育の日」はこれを記念して10月10日だったのが、いつの頃から土・日につけて三連休の一日になってしまった。今日、その10月10日の東京は、あのオリンピック開会式を思いおこさせる気持ちの良い天気であった。もっとも東京生まれ・東京育ちの私なのだが、1964年は父親の転勤で神戸にいて、10月10日はテレビを通じて東方の空の下で行われた開会式を見ていたのだった。


テレビでみた国立競技場の開会式では選手団の入場行進はもちろんだが、聖火の最終ランナー、早稲田大学競走部の坂井義則さんが国立競技場バックスタンドの急階段を駆け上り、聖火台に着火する姿がとても印象に残っている。坂井さんは原爆が投下された日に同じ広島県で生まれたという事から聖火の最終ランナーに選ばれたそうだが、なによりその階段を駆け上るフォームがとても美しかった。今で云えばインスタ映えするかのような、すくっと直立し、一歩一歩乱れる事なく国立競技場の急階段を上るその走姿は何ともりりしかった。彼が聖火最終ランナーに選ばれた理由は、その腰高の美しいフォームにもあったのではないか、と私は思っている。


それから数年後、競技会で当時は東伏見にあった早稲田大学のトラックで走る事があった。そのころ早大競走部の合宿所はグランドのすぐ近くにあり、競技会に参加する他校の選手も着替えの際に自由に合宿に出入りできたが、古びた民家の様な木造の建物の中、ふと傍らの机の上を見ると、日々の練習を記録したノートが置かれていた。「さあ自由にどうぞ見てください」とばかり無造作に置かれたごく普通のノートには、日付とともに数年前まで早稲田の主将だった坂井選手のコメントや記録などが多数記されているではないか。私は書かれた練習のメニューやタイムなどより「あの聖火最終走者の坂井選手が書いたものか」と感激して、彼のコメントの一語一句に目を凝らした事を思いだす。


その坂井義則さんも2014年に70歳で幽明界を異にしたそうである。「東洋の魔女(ニチボウ貝塚)対西洋の美女(ソ連)」「鬼に金棒、小野に鉄棒」「円谷対ヒートリーのデッドヒート」などと当時の話題を言っても、ついてくる人も少なくなったこの頃である。先日、東京六大学野球観戦で神宮外苑に行くと、来るオリンピックの主会場となる国立競技場の立て替え工事が真っ盛りなのに気がついた。その工事風景を眺めているうち、旧競技場にあったバックスタンドの急階段を、満員の観衆の視線を浴び、素晴らしいステップで駆け上った坂井義則選手の姿が、なぜかまぶたに浮かんできたのである。

建設中の(霞ヶ丘)国立競技場
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2018年10月 5日 (金)

60歳代後半のランナー

人生も60歳代後半になると、筋力の衰えを如実に感ずるものである。60歳くらいまでは皇居一周、ちょうど5キロで高低差約30米のコースを20分以内で走れたが、いまやとてもそんな記録はだせない。それでも65歳になる前は、頑張ると21分くらいで一周できたのが、65歳以降になると22分を切るのに 「ハーハー!、ゼーゼー!!」と喘ぐ始末である。速度にすると5キロの距離を時速15キロで走れたものが、時速13.5キロくらいでしか走れなくなったというわけである。


そう云えば、かつて国際大会で活躍したような元大選手が、還暦過ぎにレ―スに招かれて走るのを見ると、名選手もずいぶん遅くなったと感じたものだ。特に65歳以降に招待された場合は、若い頃と違って、よぼよぼした走りで、まるで他人事として見ていたのだった。ところ変わって今度は自分がその年齢の老人になると、ちょうど彼らのようで、おのれのフォームが町のショーウインドウに映るところなどをみると、一生懸命に走っている割にはよたよたのゆっくりジョギングのように見えて何とも情けなくなってくる。


たとえばいま私が、皇居一周を時速13~14キロで走ろうとした時、ふつうスタートして3キロ~3.5キロくらいで息が苦しくなる。以前なら苦しくともそのままのリズムで5キロ程度は押し通せたのだったが、60歳代後半となると、そこで腕を意識的に振ったり、ステップを維持しようと努力しても、ただバタバタと苦しさに全身もがくばかりでスピードが持続できない。生理学的な知識はないのだが、筋持久力というのだろうか、酸素やスタミナが切れた状態のなかで、筋肉が踏ん張る能力が失せてきた事を如実に感ずるである。


これが老化という事なのだろう。若い頃はまったくの無名選手で、いつも他人の後塵を浴びせられてきたのだが、永く走ってきたおかげで、今は同年代のレースでメダルや賞状を貰えるようになった。だが最近こうも遅くなってくると、次は「70歳代以上」という部門がある大会を狙って走るしか良い思いができないかという気もしてくる。もっとも最近思わぬ大病・手術をして気弱になった私に妻がくれた斎藤茂太氏の「モタさんの楽ラク人生術」という本には、「他人と比較するな」 「ある年齢になったら無理に体を鍛えるなかれ」「年齢相応と思って生きるのが楽なみち」とあって懸命に走るのはもう卒業するかという気持ちも一方でおこるのである。

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息の苦しくなる3.5km過ぎ

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