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2018年10月10日 (水)

10月10日と坂井義則さん

10月10日と云えば1964年に行われた東京オリンピック開会式の日だ。かつて「体育の日」はこれを記念して10月10日だったのが、いつの頃から土・日につけて三連休の一日になってしまった。今日、その10月10日の東京は、あのオリンピック開会式を思いおこさせる気持ちの良い天気であった。もっとも東京生まれ・東京育ちの私なのだが、1964年は父親の転勤で神戸にいて、10月10日はテレビを通じて東方の空の下で行われた開会式を見ていたのだった。


テレビでみた国立競技場の開会式では選手団の入場行進はもちろんだが、聖火の最終ランナー、早稲田大学競走部の坂井義則さんが国立競技場バックスタンドの急階段を駆け上り、聖火台に着火する姿がとても印象に残っている。坂井さんは原爆が投下された日に同じ広島県で生まれたという事から聖火の最終ランナーに選ばれたそうだが、なによりその階段を駆け上るフォームがとても美しかった。今で云えばインスタ映えするかのような、すくっと直立し、一歩一歩乱れる事なく国立競技場の急階段を上るその走姿は何ともりりしかった。彼が聖火最終ランナーに選ばれた理由は、その腰高の美しいフォームにもあったのではないか、と私は思っている。


それから数年後、競技会で当時は東伏見にあった早稲田大学のトラックで走る事があった。そのころ早大競走部の合宿所はグランドのすぐ近くにあり、競技会に参加する他校の選手も着替えの際に自由に合宿に出入りできたが、古びた民家の様な木造の建物の中、ふと傍らの机の上を見ると、日々の練習を記録したノートが置かれていた。「さあ自由にどうぞ見てください」とばかり無造作に置かれたごく普通のノートには、日付とともに数年前まで早稲田の主将だった坂井選手のコメントや記録などが多数記されているではないか。私は書かれた練習のメニューやタイムなどより「あの聖火最終走者の坂井選手が書いたものか」と感激して、彼のコメントの一語一句に目を凝らした事を思いだす。


その坂井義則さんも2014年に70歳で幽明界を異にしたそうである。「東洋の魔女(ニチボウ貝塚)対西洋の美女(ソ連)」「鬼に金棒、小野に鉄棒」「円谷対ヒートリーのデッドヒート」などと当時の話題を言っても、ついてくる人も少なくなったこの頃である。先日、東京六大学野球観戦で神宮外苑に行くと、来るオリンピックの主会場となる国立競技場の立て替え工事が真っ盛りなのに気がついた。その工事風景を眺めているうち、旧競技場にあったバックスタンドの急階段を、満員の観衆の視線を浴び、素晴らしいステップで駆け上った坂井義則選手の姿が、なぜかまぶたに浮かんできたのである。

建設中の(霞ヶ丘)国立競技場
20181010

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