« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年9月

2018年9月25日 (火)

新潮45を支持する

月刊誌「新潮45」を支持したい。今回大騒ぎになったので、あちこち行ってこの本を探すのだが「あれ!そういえば売り切れですね」「何かあったんですか?」と逆に町の本屋から聞かれる始末である。この雑誌がよほど話題になって飛ぶように売れたのだろうか。かつて「WILL」や「HANADA」が刊行される前は、出張の飛行機や新幹線で読むために「正論」や「新潮45」を駅や空港で買ったものだが、最近はすっかりご無沙汰の本であった。私にはとうてい馴染めないLGBTとやらの問題で最近はにわかに脚光を浴びているとあって、新潮社応援のために久しぶりに買い求めたくなったのである。


ネットの情報によれば、自民党の杉田水脈衆院議員が「新潮45」で同性カップルを「生産性がない」などと書き、同誌の最新号で小川栄太郎氏が同性愛者と痴漢を比較して評論しているらしい。雑誌が手に入らないため問題の記事を読めず、私は自分の言葉でコメントできないのがははなはだ残念である。ただ報道から察すると彼らの表現の方法や比喩がいささか稚拙かつ乱暴で適切でない部分はあるが、本来ごく当たり前の事を水田氏や小川氏らが言っているように思う。


先天的にせよ、後からの怪我や病気が原因にせよ、身体や心に問題があって不自由な方々が充分に活動できるよう、社会が手をつくすべきことは云うまでもない。しかしLGBT(Tは微妙ではあるが)となるとやはり問題の性質が違うのではないのだろうか。それぞれの人々が感じる性的な趣向を必ずしも否定するつもりはないが、人類が永い間に作ってきた伝統や家族・教育のあり方に従えないという人たちがいるなら、(犯罪にならないかぎり)彼らは『ひっそり』と自分達の好きなように暮らせば良いだけの話しであろう。自分達の特異な生き方をただちに社会的に認知せよ、それに反論する動向や言論は『反動的で許さない』と封殺する性急かつ偏狭な考えが今回の騒動にみえて不愉快である。


性的な問題に対する区別は、国や宗教、人種によって実に様々である。かつてアメリカに住んでいた時、プールの更衣室で2歳にも満たない女児が父親と一緒に着替えをしようとした際、「幼児でも異性が一緒に更衣室にいるのは嫌だという人がいるから」と注意されて彼女だけ係員に外に出された事があった。アメリカ社会の性に関する一種ストイックな面を見たが、一方で欧州ではまた別の文化があろうし、日本ではいまでも田舎の温泉などで混浴がみられる。昔は日本にはお小姓などというものもあったし、中国も宦官制度があった。そういえばイスラムの社会ではLGBTはどう扱われるのかも興味深い。カトリック教会内のセクシャルハラスメントも大問題だし、そもそも同性愛が犯罪になる国も世界には多数あるのである。


性や性別に関する問題というものはその社会に根ざした文化に深く関わっているもので、一月刊誌に掲載されただけのLGBT記事にエキセントリックな大キャンペーンを張り、日本社会の良き習慣に反する主義主張をごり押しする人たちに大きな違和感を感じる。性の問題はきわめて慎重で漸進的であるべきだと私は信じている。その新潮出版は反対運動をかけられ、ついには「新潮45」が休刊すると言うが、これこそパヨクや進歩的文化人がいつも最も嫌う「言論の自由、表現の自由への弾圧」ではないか。御茶ノ水女子大に男子学生が入学するなどという冗談は、小遊三師匠の小噺ぐらいだけにして欲しいものだ。

2018年9月11日 (火)

慶応野球部・三連覇に挑戦

20180911

本屋で立ち読みをしていたらベースボールマガジン社「大学野球」2018秋季リーグ戦展望号が目にとまった。そういえば東京六大学野球も秋のリーグ戦が始まり、季節の変わり目を感じる今日この頃である。最近はこの種の本も買わなくなっているのだが、”46年ぶりV3に挑戦する『陸の王者』・KEIOの謎”という大きなタイトルが目立つうえ、表紙はグレーのKEIOユニフォームを着た選手の集合写真ということで、つい購入してしまった。


この「大学野球」秋季展望号では、東大以外では甲子園を経験した部員がもっとも少ないのにも関わらず、慶應がなぜ昨年秋・今年春のリーグ戦で優勝できたのかなど、チーム好調の秘密や陰で支える裏方の話が盛りだくさんの内容である。また今年の秋、もし慶應が優勝すれば部としては46年ぶりに三連覇の快挙になるとあって、前回三連覇した昭和47年秋の優勝投手である萩野友康氏の話がまとめられており、当時を知る者として懐しかった。


のちに都市対抗野球で久慈賞にも輝いたこともある剛腕、萩野投手(土佐)によれば、当時は「試合の途中でキャッチャーのミットだけが見えて、そこに投げたら打たれる気がしない」こともあったという。三連覇した昭和47年の秋は、初戦の明治戦で勝ち点を落として後がなくなり、法政・明治戦で明治が勝つと三連覇の夢もついえる状況だったそうだ。そこで慶應の投手陣は法・明戦のまえに横浜・日吉のグランドから、当時川崎の木月にあった法政グランドまで走って行き、法政の選手に声援を送った、などという牧歌的な話も披露されている。


そういえば三連覇の試合も私は神宮球場で観戦していたのだが、その瞬間が懐かしくなって当時の試合記録をあらためて引っ張りだしてみると、やはりメンバー9人のうち5人が甲子園組であることがわかった。内野はセンバツの優勝投手である吉沢選手(大宮工業)がサードに入り、大洋ホエールズにすすんだ山下大輔選手(清水東)がショート、外野もプロにも誘われた池田選手(習志野)など実力者ぞろいのチームである。投手では他に阪急のドラフト3位指名を蹴って入った長谷部投手(岸和田)などもいた。もっとも4番を打った福田選手は工学部で県立栃木高校出身、捕手の木原選手は慶應志木高出と「大学野球」でもフューチャーされるような「慶應らしい」チームでもあった。そんな場面、あんな場面を思い出すうち、またこの秋も神宮球場に足を運びたくなってきたのである。


2018年9月 9日 (日)

FM レコパル 音の仲間たち

過去何度かアップした通り、もう聴く事もないと引越しの際に捨ててしまった大量のLPレコードである。その後またレコードプレーヤーを買ったものだから懐かしいLPレコードを買い直しているが、神田の中古レコード店でもなかなか目当てのアルバムが見つからない。CDになって再販売されていないかとか、YOU TUBEで誰かがアップしていないかとあちこち検索しても見つからないものもあって、「あの曲はもう一生聞けないのか」とがっかりすることも多い。


そんな失われたアルバムの中に、キングレコードが1976年に発売したFM Music Program Themes vol.2 (最新FM放送テーマ集)がある。このLPに収められている、FM東京「FMレコパル・音の仲間たち」のタイトル曲、トニー・オズボーン・オーケストラの”花合戦”と”パリの窓辺に”が聞きたかったのだ。なかでも”花合戦”は日本語でも英語"Battle of the Flowers"でもネット検索ではまったくヒットせず、どこかに音源がないかずいぶんと探していたのだった。


ところが最近ひょんな事でヤフオクで売りに出されているこの「最新FM放送テーマ集」(第2巻)を見つけた。さっそくこの種の手続きに慣れている妻に頭を下げてオークションに参加し、これを購入することにした。ほどなく700円+送料実費700円で契約が成立し、それから2日ほどで、あれだけ探したLPレコードがわが家に届いた。なんと便利な世の中になったものか。梱包をとくのももどかしくさっそくレコード盤に針を落とすと、トニーオズボーン楽団の懐かしい響きが部屋に広がって、往時の事がいろいろ脳裏に浮かんできた。


「FMレコパル・音の仲間たち」は日曜の午後の放送でDJ仕立てのポピュラー音楽番組であった。おしゃべりが多いこの種の音楽番組はふつう聴かないのだが、当時は私も若く大いに働かされていた時代である。やっと廻ってきた日曜の昼過ぎは、ラジオのチューニングを切り替えることも億劫で、ただボーッと流れる番組司会の広川太一郎氏のおしゃべりを聞いていたものだった。久しぶりに”パリの窓辺に”や”花合戦”が部屋に流れると、亡き広川太一郎氏の駄洒落に満ちたおしゃべり、「これを見逃したら君はアウトだよ、セーフだよ、ヨヨイのヨイだよ!」「サヨナラ、ナラヅケ、ナラの大仏!ナ~ンちゃって!」などという軽い声がスピーカーから今にも聞こえてくるような気持ちになった。

左が79年発売のFM放送テーマ集(クラシック編)
右が今回落札した76年発売のFM放送テーマ集のLPジャケット
20180910fm

2018年9月 4日 (火)

劣化するメディア

久しぶりに友人の医者と飲んだ。永らく東京郊外にあるベッドタウンの市民病院の院長だったが、定年で院長を辞めて今はフリーランスでいくつかの病院で診療をしているそうだ。彼と杯を交わすうち「今のテレビ番組は見るにたえないね」と例によってメディアがいかに劣化しているかの話題で盛り上がった。彼は「NHKのためしてガッテン」とか「たけしの家庭の医学」などはとにかくひどいと憤慨する。「充分検証もされていないごく一部の例を、さも誰にでも効くかのごとくセンセーショナルに取り上げて」「番組の翌朝は病院の外来初診が増えるんだよ」と苦笑する。また大学医学部の入試で女子の合格者が少ないのは、関係者はじめ受験生も知っている公然のことなのに、医療の実態をよそに今さら正義の面をかぶって取り上げるニュースにも彼は怒っていた。


私も半現役の身となって以前より家にいる時間が増え、テレビのスイッチをオンにする機会も増えたが、とにかく今のテレビ番組はつまらない。殊に各局が真っ昼間に延々と放送しているワイドショーは、取り上げるトピックが同じならその切り口もどこもまるで似たようなもので、たまたま何かの続きでワイドショーになるとあまりのバカバカしさにすぐテレビを切ってしまう。そのワイドショーが盛んに流している一連のスポーツ関連の報道、日大アメフト事件から始まりボクシング連盟の会長やら女子体操の引き抜き騒動なども、大の大人が口角泡を飛ばして論評するような大事件なのか。こんな話題を延々と放送しているのを見ると、他にニュースねたがない日本は平和で平等、貧富の格差も少なく本当に良い国なのだと思う。


こういうワイドショーに出演する識者たちは、肥大化した人権主義やポリティカルコレクトネス(と云うらしい)、反ハラスメントの立場から、常々”お約束の『正しい』”意見を述べているようだが、総じて誰がしゃべっても画一的でまったく面白くない。そういえば日大アメフト事件で思い出したのが、かつて取引先だったある某大手メーカーの幹部の話だった。彼は明治大学野球部在学中に投手として往年の島岡御大のもとでプレーし、入社後は都市対抗野球で活躍したこともあるのだが「とにかく島岡さんは破天荒だったね。いやなバッターに対しては頭の方でも構わず投げろと言うんだよ。でもそれを本当にやっちゃうのが星野仙一よ、星野はホント豪快だったね」と面白可笑しくかつ好意的に喋ってくれたものだった。


そんな話を思い出すにつけ、スポーツの世界でもいわゆる『正しい』ことばかりがまかり通るようになって良いものかとの考えが浮かぶ。テレビを見ていると、ここでも私の大嫌いなコンプライアンスやらコレクトネスという基準が、ステレオタイプのコメントとして巾を利かせているようだ。最近では19才になったプロ野球選手が飲酒をしたとして罰せられたと報道があったが、その一方でこれから18歳になる若者には選挙権を与えて大人として扱うのだと云う。20歳以下と云ってもプロスポーツ選手の飲酒を問題だと報道したメディアが裁く”『正しい』社会”とは、一体どのようなものなのだろうか。ワイドショー識者のコメント通りの世の中がもし来れば、とても生きていけない息苦しいものになってしまうに違いない。こんな報道なら若者がテレビや新聞を離れるのは当然だろう。体育会の「武勇伝」も遠い昔話になるに違いない。

関連ブログ
2018年1月7日 (日)
”コンプライアンス絶対”を考えてみる

« 2018年8月 | トップページ | 2018年10月 »

2019年1月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ