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2018年5月

2018年5月29日 (火)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズ後半

2018年飛鳥Ⅱワールドクルーズは、早くも約3分の2近くの行程が過ぎてしまった。ここまで凪いできた天気も、大西洋の横断の際は前線の通過に幾度か見舞われ曇天や雨天の寒空が続き、船が大きく揺れる日もあった。クルーズ最初の頃に寄ったシンガポールやプーケットなどは遠い過去の港にようにも思え、光陰矢の如しという感がするこの頃である。いつもながら気の早い人達はこの辺りでみやげの話を始めるので、それを聞いていると宴も終盤に向かうのかと寂しい気持ちが湧きがちである。


ところでクルーズも半ばを過ぎると当初あったお互いの違和感が薄れ、船内の会話が賑やかになってくるようだ。ディナーのテーブルで隣合わせになる、あるいはショアエクスカーションで同じツアーに行く、船内のアククティビティで仲間になるなど共通の体験をする事は、人と人の距離を急速に縮めるようで新たな友達が出来るのであろう。最初は旧知の人だけでお喋りの花が咲いていた船内が、友達の友達はまた新しい友達というかのような新しい組み合わせの夕食テーブルも目立ってくるこの頃である。


私達も以前の長いクルーズで友達になった方々のうちの幾人かとは、帰国した以降も定期的に会うようになった。ふつう友人といえばどうしても学校の友達や、同じ会社で働いた仲間などに偏りがちだが、ロングクルーズで年齢も職種も違う人々と時間、空間を共有する事は人生の得がたい経験といえ、その後も連絡を取り合ったりするのだろう。さてあと何日で現実に戻るのかとだんだん暗くなって来がちなところだが、ここはまだ一ヶ月以上も航海があって、その間には様々な出会いや体験が待っているはずだ。一瞬・一時間・一日の出来事や感じたことを存分に味わう気持ちで過ごしていく事としよう。

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日中の社交場、11デッキのパームコート

2018年5月19日 (土)

アムステルダム・ハンブルグ・ロサイス

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締め切り堤防。右手がソイデル海で左の湖面より高い位置にある

アムステルダム 
アムステルダムには以前に来た事があるので、今回は船から出るオプショナルツアー「オランダ大堤防とSL列車」に参加した。午前中に飛鳥Ⅱを出てバスに乗りフォーレンダムでチーズ製造を見学、エダムにて昼食、開拓時代のSLが牽く列車に一時間ほど乗った後に「締め切り大堤防」の見学と盛り沢山な内容。オランダといえば干拓の歴史で知られる通りである。大きな湾であったゾイデル海の入り口は、1932年に延長30キロにおよぶ締め切り堤防(ダム)によって封鎖され、その内側に干拓地が造成されている。ドイツやフランスなど大国に囲まれたオランダは、どうやってその独立を保つかが常に課題であったそうだ。生きるためには良いと思われる事は何でもやってみるという進取の精神がこの国の基本で、ダム建設もその一環との事。そのほか大麻も合法、レズ・ゲイ・ホモなどにも理解がある国柄であると云う。現地ガイドの説明を聞きながら、伝統と改革、保守と革新の調和・相克に挑戦し続けたこの国のあり様に思いを寄せた。

ハンブルグ
ハンブルグは伝統的な海運会社の多い場所で、現役時代には彼らとの会議に何度か来た事がある。といっても出張で覚えているのは会議室と会食のレストランくらいだったが、今回は当地に赴任している妻の従妹家族一家に町をゆっくり案内してもらう事ができた。以前ここは日本人が多くJALの直行便もあったから、現地の日本人学校もさぞ生徒が多いのだろうと聞くと、日本人の子弟が減って学校を維持するのも大変だという。今回ヨーロッパに来てちょっと驚いたのは、ミラノやローマなどかつてJAL便が来ていた都市に日系航空会社の直行便がない事であった。以前はちょっとした欧米の町には、日本の各企業から派遣された駐在員が多数いたものだ。中には何の用があって人を寄越したのか疑問に思うような会社もあったが、それらの余裕が我が産業界の人材育成ひいては競争力の源になったのでなかろうか。私も良い時代に勤める事ができたと我が僥倖を喜ぶと同時に、合理化や現法化でそういう余地が少なくなった日本の現況を寂しく感じるのだった。

ロサイス
ロサイスはスコットランドの首都エジンバラからファース湾を挟んで20キロあまり北に位置する。エジンバラの市街地にも港があるものの、以前”ウエステルダム”号で来た際にもフォース橋のたもとにあるサウス・クイーンズフェリーにテンダーボートで上陸したから、エジンバラ市にはクルーズ船に適する設備がないのだろう。飛鳥Ⅱが着いたロサイスのクルーズ船ターミナルからエジンバラの町まで連絡バスが出たが、これが往復で1万円弱と高額である。という事で今回は公共の鉄道(スコットレイル)や市バス(ロジアン)で、エジンバラ港に係留されている元王室ヨット・ブリタニア号に行ってみた。鉄道の切符自販機の操作や、昨年の紙幣切り替えによって持参したポンドが使えないなど困惑する場面もあったが、それもまた旅の思い出である。それにつけてもブリタニア号の純正チーク材のデッキは、飛鳥Ⅱを全通する木製のデッキとまったく同じ様子である事を発見し、飛鳥Ⅱが改めてお金をかけて造られた客船である事を認識した。

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ハンブルグ市庁舎

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ブリタニア号のチークデッキ

2018年5月15日 (火)

寄港地での食事の楽しみ・前半

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船の料理も良いが寄港地で地元の料理を試すのも船旅の楽しみの一つだ。とくにヨーロッパは各地に伝統料理が多く、時間があれば現地の店に飛び込んでみた。


バレンシア(スペイン):パエリア発祥の地だけあって市内にはパエリアを出す多くのレストランがある。注文してから20分ほどで出てきた。パエリアというと日本では魚貝類のイメージだが、ここではうさぎ肉やチキンが具だそうだ。お米は固いがそれが塩味に合って美味だった。


マラガ(スペイン):観光客向けと言うよりは地元の人で賑わうバルで昼食。ヨーロッパでは昼にワインやビールを飲む人も多く、こちらも安心してアルコールがすすんでしまう。小イワシのフライに生ビール(セルベッサ)、エビのフライと白ワインに舌つづみを打つ。


リスボン(ポルトガル):2011年に飛鳥Ⅱで寄港した際に立ち寄った港裏のレストランを目指す。地元の人達の店だったが別の料理店になっていたので、その手前のちょっとモダンな店に入る。地元のビール(セルベージャ)に当地名物の微発泡ワイン(ビーニョ・ベルデ)、チョリソー焼き、タコのサラダ、イワシの塩焼き、タラのコロッケを注文し四人で行ったこともあって一人20ユーロと極めて経済的だった。


ビルバオ(スペイン):市場に併設されたフードコートのような場所にあるセルベセリア(ビアバー)のピンチョス。ピンチョスはビルバオが発祥の地との事。賑わいの中で飲むスペインのセルベッサにピンチョスは小腹を満たすにちょうど良かった。ピンチョスはどこの店も1.7ユーロ均一のようだった。


ハンブルグ(ドイツ):ドイツといえばビール。醸造所直営レストランでヴァイツェンにシュパーゲル(ホワイトアスパラガス)を楽しむ。ホワイトアスパラガスは今が旬でとても甘い。飛鳥Ⅱの夕食に出てきたホワイトアスパラガスはこの一本の半分ほどの量だ。このくらいのを食べないとアスパラを食べた気がしない。

左から時計回りにパエリア(バレンシア)、エビのフリット(マラガ)、鰯の塩焼き(リスボン)、ピンチョス(ビルバオ)

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2018年5月11日 (金)

ジブラルタルで考える

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故郷アフリカ大陸を眺めるロック名物の猿(バーバリーマカク)

イベリア半島のスペイン突端に位置するジブラルタラルの面積はわずか6.5平方キロ、人口は3万人でイギリスの直轄地である。初入港する飛鳥Ⅱの小久江船長が船内放送で「函館から函館山だけ切り離したようなところ」と説明したが、18キロ先のアフリカ大陸を目の前に、狭い海峡をにらんで426米の石灰岩の岩壁(ロック)が聳え立つ交通要衝の地だ(函館山は334米)。ここも例によって8世紀にイスラムの地となったのを15世紀にキリスト教徒が奪還したのち、スペイン王位継承のゴタゴタに乗じてイギリスが占領したと云う西洋史のお約束のような地である。


スペインはこの土地の領有権を主張して1967年に国連植民地委員会に返還を要求し、国連総会ではスペイン領として決裁されたもののイギリスが応じないまま現在に至っているそうだ。現地のツアーに参加しこのロックに登ると、崖の中のあちこちに要塞のためのトンネルが掘られ、ジブラルタルがどの時代でも戦略上重要な位置を占めていた事がよくわかる。それにつけてもここで考えさせられるのは、英国といえども国連総会の場において自国に都合の悪い決議に直面しても、それに一切応じなかったという事実であろう。いま覇権主義をあらわにする中国が、国際司法裁判所でフィリピンと争う南シナ海スカボロー礁の帰属問題で敗訴しても、それを一顧だにしないと強弁しているのと同様である。


今回あらためて欧州の歴史のさわりに触れて気付かされるのは、自国の存立を脅かされた国々は、自分で自分を守る固い決意を力で行使してきたと云う事だ。いま、わが国のリベラルと云われる人たちは、軍事力の行使に関して何かというと「国連の枠組みで」とか「国際協調で」などと主張するが、ジブラルタルのロックを前にするとこの主張にほとんど実感が伴わない。ブレクジットや移民問題で揺れるEUを見るにつけ、自国の安全を守るには国連や同盟の前に、経済力はもとよりまず自分で自国を守るという冷徹な決意と、それに応じた軍事力の整備が必要ではなかろうか。欧州の町でもあらゆる面で中国のプレゼンスを感じるこのごろだ。覇権主義の中国、朝鮮半島問題にかたや何をするのか不明のトランプ政権を前に、当面は日米安保を基軸としながらも、一国の独立のためにはわが国に何が必要か考えさせられる欧州の旅である。

2018年5月 4日 (金)

バレンシアの商品取引所

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チビタベッキアを出た飛鳥Ⅱは、スペインのバレンシア、次いでマラガに寄港した。私には生まれて初めてのスペインの地だ。これまで訪れた事のある中南米諸国などスペインの旧植民地の印象からして、本家本元のスペインはなんとなく雑然としているのではと想像していたのだが、どうしてスペイン本土は我が思いこみよりずっと美しい国だった。町を走るクルマも無闇に飛ばすわけでなく、横断歩道でも歩行者優先ルールがきちんと守られていて、やはりスペインは当たり前だが西欧の国だと改めて認識した。


さてバレンシアの旧市街で見学した商品取引所(ラ・ロンハ)は15世紀末にできた町の名所である。いかにも歴史を感じさせるそのラ・ロンハの中の大きな一部屋は、当時は国際的な海運貿易で生じたトラブルを裁く仲裁の場として使われていたという。今でも海運取引に関連する争いは、裁判所で裁くより各地の民間の海運集会所に委ねるのが普通なのだが、そのやり方がすでに15世紀末にあったとは知らなかった。現在もっとも権威があるとされるのがロンドンのバルチック海運集会所で、こちらは17世紀末から活動しているから、それより遥か以前にスペインでは同じ事が行われていたわけである。


今では世界の海運に関する商習慣や書式、たとえば貿易の基礎となる船荷証券などは英国法がもとになっているので、海上貿易を制し商習慣を確立させたのはイギリスだと思いがちである。しかし考えてみると古くから新大陸に植民地を持ち、そこから莫大な富を得ていたのがスペインやポルトガルであった。スペインに海運集会所があったという事は、海上交通のルールを制していたのは当時はイギリスでなくスペインだったという証しであろう。こうして世界を制していたスペインが宗教改革から始まる近代化によって北ヨーロッパの国々、特にイギリスに圧倒されゆく西欧の近世史や諸国の興亡をラ・ロンハの薄暗い大部屋で一人思い起こしていた。

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