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2018年4月26日 (木)

マルタの旧帝国海軍戦没者墓地

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マルタといえばティファナ・ブラスが演じたヒット曲「マルタ島の砂」くらいが思いうかぶ場所であった。今回、飛鳥Ⅱで地中海に浮かぶ小さな島、マルタ共和国の首都バレッタを初めて訪れたところ、そこは中世の騎士団が築いたみごとな要塞都市であることがわかった。イスラムの脅威にさらされた欧州キリスト教国より派遣された騎士たちが、最前線の砦として築いたのがバレッタの町なのである。港を取り巻く見事な石造りの要塞をみると、あらためてイスラムとキリスト教の対立の激しさや根深さに驚き、わが国が有史以来、先の戦争を除き永年にわたって安寧の地であった僥倖をただ喜びたくなった。


そのバレッタでは午前中に中世騎士団の守護聖人であるヨハネをたたえる大聖堂や騎士団長の宮殿を見学した。個人的にはキリスト教の歴史や教会にはさほど興味はないものの、バレッタを観光するといえば騎士団に関連した建物群である。定石通り一応これらを見学した後に昼からは、かねてより計画していた旧帝国海軍の戦没者が奉られている日本人墓地を訪れることにした。マルタは第一次大戦時中は地中海における連合国の基地で、連合軍に加わった日本も対独戦のためにここに第二特務艦隊の12隻の巡洋艦や駆逐艦を派遣していた事を知る人は少ない。


当時バレッタの日本艦隊は地中海で連合軍の輸送船や病院船の護送、潜水艦の制圧に活躍したが、1917年6月駆逐艦”榊”がドイツ潜水艦の魚雷攻撃に会い、上原艦長以下59名戦死している。バレッタの日本人墓地は”榊”の犠牲者の他に、第一次大戦中に地中海で戦没した旧帝国海軍軍人の合計71名がまつられており、安倍首相も先年ここを訪れたとおりである。飛鳥Ⅱの着いたクルーズターミナルからは、タクシーを拾い約15分でカルカーラ地区の英連邦海軍墓地の一角にある日本人墓地に行くことができた。墓地の一角にある事務所備え付けの訪問者台帳を見ると、ここを訪れる日本人もしばしばいるようだ。我々は墓碑に持参の日本酒をたむけ英霊に手をあわせ、加えてこのクルーズの安航を祈ったのであった。

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